校長室から
蘇る
10月9日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.114 台風で倒れたヒマラヤ杉が・・・
体育祭の予行が行われた今日、中庭では、台風で倒れたヒマラヤスギが蘇っていた。倒木を見たある教員が、「この学校が立って以来、ずっと一緒に育ってきたあの木をモニュメントにして残しませんか」と相談にきた。話によると、外房にチエンソーカービングの達人がいるという。お願いすれば、やっていただけるかもしれないというので、早速行動に移してもらった。帰ってきた教員は、満面の笑顔で、OKサインを出している。「一体何ができるか楽しみにしていてください」予行の開会式で生徒にも、「学校と歴史を共にしたヒマラヤスギが蘇るんだよ」と披露させてもらった。
引き受けてくださったのは、木一吉(きいちきち)というペンネームを持つ、浜勇夫(ハマハヤオ)さん。存じ上げなかったが、その道では有名な方。お礼を述べると、ヒゲの口元が素敵な笑みを浮かべ、子供のようなキラキラした目が一層輝いた。どうやら作ってくださっているのは、ベンチのようである。「先生ね、ここにこうやって座ると、ほらこの子(子グマ)が座った人と目を合わせるように見上げている。いいでしょう」微笑ましい中庭の光景が目に浮かんできた。ヒマラヤスギの話を聞いて、今度はベンチとして蘇って、長く生徒と親しんでくれるようにという思いからだそうである。嬉しい、ありがたい。
市原中央高校の生徒のみなさん、君たちは知らない人からも暖かい思いで包まれているんだ。いいね。
刺激になったようです
10月8日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.113 テンプル大学ジャパン・キャンパス
昨日(10月7日)本校の英語コース(来年度からグローバル・リーダー・コース)の第三学年最後の校外研修が行われた。午前中の研修先は、テンプル大学・ジャパン・キャンパス。新しく三軒茶屋の昭和女子大学に隣接して建てられた校舎である。まだ建材の匂いがする新校舎に入ると、そこはアメリカ。ペンシルバニア州立大学を拠点とするこの大学に通う学生は、日本40%、アメリカ30%、他国30%の比率で、国際色豊かである。大学の概要をお聞きした後、生徒たちは大学の3組みに別れて、授業に参加。私は施設を見学させていただいた。まずはスタッフの多さに感激した。学生の学びのコンサルティングや指導だけでなく、日常や私生活に至るまでのケア体制がすごかった。最近日本の大学でもこうしたケア体制は充実してきているが、これほどのものを持っているところは少ないのではないかと思う。お相手をしてくださった加藤副学長は、アメリカの拠点である本学の方針で、スケールが小さくても、必要なスタッフは大きな大学と同じだけ必要なのだと語ってくださった。言葉に自信がある。
授業体験から帰ってきた生徒たちは、興奮気味。コミュニケーション関係の授業に参加した生徒は、「テーマが難しいのだけれど、活発な意見が出されていてすごい。こんな授業素敵です」と語っていた。「で、どんなテーマだったの?」という問いに、「宗教観です。偶像崇拝についてどう考えるか。Yes・Noのディベート。少数の宗教が肩身の狭い思いをするのはだめ。というような話も出ていました。」と答えてくれた。そこまで聞きとれ、理解できているのはすごいことだと思った。やるね、うちの英語コース。
チンパンジー「サラ」の話はしましたか?
10月4日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.112 終始業式が行われた
全校集会の場、久しぶりな気がする。集会指導の先生が大きな声を出さなくても、ちゃんと整列できる。私にもっとも近いところは、3年生。すでに点呼も終わり、整然と並んでいる。『さすがだな』と思いながら、ブログ用に一枚写真。シャッターを切ろうとする瞬間に、申し合わせたように、一斉に笑顔とピースサイン。あらら、いけない。校長自ら彼らの「整然」に石を投じてしまったようである。みんな、ごめん。
終始業式・校長講話 チンパンジー「サラ」の話をしただろうか? 後期が始まる。3年生は決戦の時である。今ある自分をしっかり見つめ。チャレンジの精神を忘れないで欲しい。 前期の終業式、後期の始業式の式辞とします |
目は口ほどにものをいい
10月2日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.111 ニワトリの話をしようか?
目の前に二人の生徒がいる、利発そうな話し方をする男子。女子の目は、どうやればそんなに大きな目になるの?と尋ねたくなるほど、大きな目をしている。『瞳に星を輝かせれば、少女漫画の主人公だな』と思わせるほどである。(実際、星か輝いていたかもしれない)男子が言葉を選びながら語りかけてくる。聴いて欲しいことは「わがまま」ではない。内容がそう理解されないように慎重に言葉を選んでいる。女子は時折頷きながら、私をじっと見つめているだけ。彼女の瞳に自分が写っているようにも見える。見透かされているような、不思議な魔力がある。男子の語りは、まるで呪文のように説得力を持って訴えかけてくる。本校の生徒のこの部屋でのおしゃべりは、ある共通点を持っているように思っている。目の前の二人もそうだ。それは俗な言葉で表現しては失礼かもしれない「わきまえ」である。『もっとわがままでいいぞ、君たちぐらいは』と思うが、反面、そうした「わきまえ」を大切にしてあげたいとも思う。如何ともしがたいことなんだけれど、まぁ聴いてくださいよ。言葉と目で語りかけてくる。
ニワトリの話をしよう。昔、その昔、ニワトリたちは草原の中を自由に歩き回り、空を飛び、森の木々に羽を休めていた。たくさんの餌を得ることができ、とにかく幸せな日々を送っていた。悩みは、ヤマネコやキツネ、へびのような肉食の生き物に脅かされること。「昨日、誰々の家の○さんが、キツネに襲われたそうだ」ニワトリたちは安心を求めた。そこに人間がやってきて、「ねえき君たち・・・」
決勝ブロックまでは進んだのですが・・・
9月30日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.110 全国枕投げ大会? 決勝?
ICH放送委員会のTwitterに面白い記事がツイートされていた。
----全国枕投げ大会千葉県予選----------
決勝トーナメントまで駒を進めたものの、惜しくもベスト16止まりでした
次こそは全国目指して頑張ります!
円陣は「おー、真心!!!!!」
さすがです笑
女尊男卑。で山崎さんが男子達を操っていました!(男子より)
----------------------------------------------
MakuranageHPによると、リーダーとなる「大将」、掛け布団でガードする「リベロ」、相手を就寝に追いやる「アタッカー」、自陣に枕を運び入れる「サポーター」という4つのポジションがあり・・・とかなり本格的な「修学旅行の思い出」をスポーツ化したものらしい。これに全国準優勝を果たした我が放送委員会が参加をしたのだという。行きたかった。元校長(現理事長)の応援もあって、奮闘して予選を勝ち抜いたが、決勝トーナメントで敗退してしまい結果はベスト16。
さすが市原中央高等学校生、色々なところで情熱を燃やし、楽しんでいる。頑張れ!
ICHをイメージさせた生徒の後ろ姿
9月29日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.109 あの印象のままだ
ある学校行事に参加していて思い出したことがある。もう1年以上も前のこと。まだこの高等学校にこうした縁があるとは思っていなかった頃のことである。自宅近くに本校のバス停があって、毎朝そこからバスに乗って通学する女子生徒がいる。本校のあの青いバスに乗るので、ICHの生徒であることはすぐにわかった。私の関心を引いたのは、その生徒の後ろ姿である。すくっと背筋が伸びて、肩口まである髪が清潔感を感じさせる後ろ姿。そう、あの頃のこの生徒の髪はもっと長かった。そんなことまで今思い出した。
よく結婚式の新郎新婦への祝辞の中で「今時珍しい・・・」を決まり文句に語る初老の上司がいるが、私はその時『へぇ、今時珍しい』を彼女に感じた。スクは「直く」「健く」、背筋がしっかりと伸びた心身の健康に結びつく言葉。健康な高校生然とした・・・。彼女のイメージは、そのままこの学校のイメージとして私の中に棲みついた。いい出会いであった。何の機会だったか、彼女は私との縁を覚えていて、「先生・・・」と語りかけてくれた。まだ幼い頃の出会いだったので、記憶の中で結びつくのに少し時間がかかった。さらに、後ろ姿の女子生徒と結びつくにはさらに時間を要した。
この行事で、発言者の話を食い入るように聴いている後ろ姿をみて、遠い記憶の彼方に遠ざかろうとしていた、わずかな、そしてそれだけに大切な「印象」を思い出させてもらった。この学校は、あの時に、あの後ろ姿に感じたままの高校です。
後ろ姿は正直で豊かな、深い「表情」を持っている。正面の喜怒哀楽を表現しうる姿と違って、後ろ姿は素直に語りかけてくる。例えば、弱り果てて泣きべそをかいている表情より、肩を落とした後ろ姿の方が、ずっと説得力がある。一目瞭然。表情で繕うことができないだけに、後ろ姿は無防備である。見られることに対する防御のないまま、見抜かれる危うさを持っている。後ろ姿は面白い。以前「正史」より「外史」の方が面白い、「正伝」より「外伝」が好きであると書いたことはあったが、同じくらい「後ろ姿」はいい。こんなことを考えさせてくれた、彼女に感謝しなければ。ありがとう。
生徒がみんないい後ろ姿をしている市原中央高等学校、いいね。
こんなにも嬉しいことは、久しぶりだ
9月27日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.108 外伝は、な・い・し・ょ
今朝、嬉しいことがあった。一人の生徒が、絞り出すように「自分」を語ってくれた。あれはできることではない。いいなぁ。目の前にいるこの生徒は、偶然に今日、その機会を得たが、うちの子たちはみんなそうなんだよなぁ。生徒との会話が終わったあと、しばらく余韻に・・・。内容はもちろん内緒。しかし、こんな思いをすることは、こんなに嬉しいことはしばらくなかった。ありがとう。
定期考査が終わって、歌声が聞こえる、友人とはしゃぐ声が学校中に満ちている。考査からの開放感は、彼らの情熱を表に出してくる。この日の午後、英語のスピーチコンテストが行われると聞いて、のぞいてみることにした。自慢ではないが、本校の「えいご」はちょっとしたものなのだ。途中廊下の学習コーナー(?・勝手に私が名付けている)で、3年の男子生徒が数名、集まって何やら・・・。原稿用紙を持っていたので、「おぉ、反省文か?」とからかうと、さすがもう3年生ともなると、校長のあしらい方もわかっている。「いやいや、いつもそうとは限りませんよ。直面している未来に向けての試行錯誤です」進路に関わる文章を書いていたようである。つまづいたら校長室においで、遠慮なく。
いいひと時をもらった。ありがとう生徒たち。いい学校です、市原中央高等学校。
英語スピーチコンテストに寄せて(校長)
こんなに多くの諸君が、チャレンジしてみようという気持ちを持ってくれるだけで、校長としては、何もいうことなく嬉しいのある。私の高校時代から「スピーチ・コンテスト」と名付けられているが、本当は「コミュニケーションコンテスト」なんていう名前にした方がいいのではないかと思っている。
ただ暗唱した英語の上手さを披露したり、競ったりするだけでなく、もちろんそれも大切なのだが、どう動かせたか、聴衆の心をどう掴んだか。そのあたりもしっかりとできてほしいと考えている。
右脳に働きかけ感じさせ、左脳で考えさせる。難しそうだが、テーマとして選んだ、与えられたものの中にどこまで入り込めているか。どこまでpassionを持って表現できるか、にかかっていると思う。
表情もそうだ。ボディランゲージもそうだ。楽しみである。この時が、喜びである。もうワンランク上のICH・Englishを目指してほしい。
開催にあたり、尽力くださった先生をはじめとするみなさんに感謝の気持ちを持ちながら、全力で臨んでほしい。豊かな時を過ごしてください。期待しています
クマとカッパに出会った
9月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.107 試験期間中の学校はつまらない
ふいに世界から取り残されたような気分になってしまう、そんな経験は誰にでもあるだろう。台風の被害で学校のリズムが狂った。この時期の1週間、10日の季節の移ろいは早い。何よりも「秋の日はつるべ落とし」。あっという間に陽が西の端に隠れてしまう。季節と定期考査があることが、マッチしない。体内時計と合わないのである。それもあってか、部屋に一人でいると、何か寂しい。寒いぐらいの秋の風を感じながら、夏を懐かしむ。今の子は「釣瓶(つるべ)」なんてわからないだろうなと思い、清掃に来た男子生徒に聞いてみた。「つるべ」ってわかる?「えぇ、でも本物は見たことありません。おばあちゃんちに井戸があったけれど、あれ、なんて言うんですか?手で上下させる・・・そうそうポンプだったから」へぇ、ちゃんと分かってるんだ「つるべ」。他愛のない会話だが、こんな会話も楽しい。人恋しいのである。
廊下に出ると忙しそうに、小走りに放送室に入っていく後ろ姿。放送室の前まで行くと「ふっ」と影が暗い凹みに吸い込まれていった。チョロっと頭を覗かせ、こちらを見るようにしてまたいなくなった。不思議の国のアリスに出てくるウサギのようである。こちらから壁の凹みに首を入れると、いた。思わず「君はクマ」と声をかけると、「はいクマです」と笑顔を作ってくれた。Vol95に登場したクマの撮影主である。400ミリの望遠で・・・しばらく写真談義に花を咲かせていた。
週末から姿を見なかった教員が、「先生、うちの生徒すごかったです」と報告に来てくれた。話によると水泳の新人戦で、200メートル、400メートルメドレーに出場した女子生徒が、県でいずれも4位の成績をあげたのだそうである。200メートルは3位と僅差、「本当に惜しかったです」と我が事のように悔しがっていた。
夢中になれるものを持っているって素晴らしいなぁ。クマもカッパも。いいね、市原中央高生!
高い評価・嬉しい視線
9月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.106 学習塾の学校説明会
「難関高等学校フェア2019(高校受験の部)」と言う名の説明会(学習塾主催)のお招きがあった。「高校受験の部」であるから『偏差値や得点の話を詳しくしなければならないのか?』と思いながらも、用意したスライドは、本校の教育理念と概要。特に力を入れている2020年大学入試への取り組みや、新しくスタートするGLC(グローバル・リーダー・コース)の説明が中心になっている。ピントがずれていないかなぁ?プレゼンにはそこそこ自信のある私が、少し不安になった。そこに追い討ちをかけるように「先生、お久しぶりです」と数年前に校長として勤めていた学校の教え子が声をかけてくれた。この塾で働いていると言う。「先生のお話、楽しみにしています」と言われた途端、柄にもなく緊張した。
全体説明の後には長蛇の列の個別相談会。私と担当職員の二人で、25・6名の説明に当たっただろうか。じっくり時間が取れずに申し訳ないと言う思いと同時に、ありがたいなと心から思った。質問も、生々しい点数化されたものではなく、「今日の話の中の5つのP、とてもよくわかりました。Peersって具体的にどんなところに見られるのですか?」「GLC魅力的なんです。学上で何が一番大切ですか?将来は・・・」といったものが多かった。すでに点数が何点取れると入れるかではなく、入って何が得られるかといったところに目が向けられていた。
今、自分の行きたいという希望を持っている高校、うちでなくてもいい(できればうちであってほしいが)、行ければいいなではなく、「絶対に行くんだ」と言う気持ち、忘れないでください。素晴らしい中学生との出会いがあった。「うちの子」になってほしい生徒ばかりだった。
久しぶりにはしゃぐ声を聞いた
9月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.105 生徒のいる学校が一番
「人間贅沢をすると、後戻りができない」祖母がよく語っていた。心が満たされると、その満たされたもの以上が欲しくなる。満たしていたものがなくなると、ぽっかり穴が空いたようになる。台風15号の被害で臨時休業を続けていた本校は、そんな感じだったのだろう。当然あるべき、あって普通のものが目の前からなくなってみると、本当に辛いもので、あって普通のものがどれほど大切だったか気づく。授業の合間の休憩時間、昼休み、放課後、生徒たちの喧騒は、何重奏もの音楽のようなもの。映画「奇跡のシンフォニー」の主人公の少年が街に出て聞いた「音」はこんなものだったのかもしれない。ただうるさい雑音が、重なって重厚な心に響く音楽となる。11年間離れ離れになっていた絆を結びつける音楽の才能を持った彼の耳ほどではないが、天賦のものとまでも言わないが、長年の教員生活があそう感じさせるのだろう。生徒たちの喧騒は、我が力なり。
生徒がいる学校って、やはりいい。生徒がうるさい学校って、とてもいい。
写真は、試合の抽選結果を知らせに来てくれた野球部の二人。「21日は敬愛学園戦です。それに勝つと23日に・・・楽しみです」と笑顔で報告してくれた。「残念ながらどちらも仕事だ」と残念がると「予報では、どちらも雨です」「お前ねぇ」と掛け合い漫才をやっていた。初めて来た時より緊張がない。いいぞ、いいぞ。
「先生、進路のトライアングル、やっているうちに変わったの、どうしよう。何かになるために学ぶのではなく、大学で学びたいものが見つかりそうなの」と、臨時休業前に書いたメモ書きを大切そうに持ってきた女子生徒。どうやら一歩あゆみを進めたようである。「そう、じゃぁも少し考えてみよう。今君が陥った陥穽(落とし穴)は、三つのリングで説明できる。ほらね、大学生活のトライアングル。円の交わりが学生生活なんだ。」といって説明を始めると、「そんな考え方初めてだ。面白い」といって、今日のメモも大切そうに持って帰った。また一歩進むのだろうか?楽しみである。
ただ与えられるだけでなく、与えられたものを糧に成長してくれる本校生徒は、やはりすごいと思う。
大変なことだが その中で Part4
9月15日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.104 賑やかな生徒たちと過ごした
Vol.102で紹介した生徒が帰って間もなく、「先生、いますか?」と声をかけてくれた女子生徒がいる。「いますよ。どうぞ」入ってきたのは2人。一人の生徒の後ろに、まるではにかんで隠れている妹のようにもう一人、(姉の)肩越しにこちらを見ている。最近は歳のせいか、生徒がみんな同じに見えてしまう。先ほどの生徒と違って「悩み」ではなさそうである。予想が的中した。「なんでもないです。ただ姿が見えたのできました」大歓迎である。台風被害の話、災害時にわかる平穏のありがたさなどをとりとめもなく語りあった。1年生と2年生という組み合わせの二人の共通点は、インターアクトクラブだそうである。ブログVol64の記事を読んでいてくれたらしい。インターアクトの活動が市民権を得ていてメジャーである市原中央が誇りだというようなことを語ると、二人は満面の笑顔で「嬉しい」と答えてくれた。
自分の高校時代は、もっと利己的て自己中心的な考えをしていたように思う。確かに社会全体が奉仕や貢献という村社会の持つ慈愛に満ちていた時代だったかもしれない。敢えて「○○活動」などと名付けなくてもよかった時代であったかもしれない。ただそうした自然の流れと環境の中で、我々の世代が伝承し忘れた「美しさ」を彼女たちは伝播として持ってくれている。すごいことである。多くの高校からこうした取り組みがなくなる中、彼女たちの活動は、やはり誇りである。活動を支え、意義深くしてくれている顧問の教員の努力にも感謝したい。
「あれぇ。きたみたい。いいですか?」スマホを私の前で見ることにもちゃんと礼儀を正してくれる。これもすごい。「友達がきているみたいなんです。呼んででいいですか」「どうぞどうぞ」と招き入れ、入りづらそうに入ってきたのは同じクラスの男子生徒。「私服で・・・」とためらいながら入ってきた彼らを「校長室に私服で初めて入った生徒たち」とキャプションをつけて、記念撮影。
しばらくの間、とりとめもない会話で盛り上がった。この学校の、こんな時間が大好きだ。
大変なことだが その中で Part3
9月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.103 彼らから元気をもらえた
TVのテロップに施設開放のニュースが流れる。ネット上では電力会社の記者会見動画。まだ完全復旧までには時間がかかる。復旧を待つ地域には、本校の生徒たちや教職員の居住地もある。不自由しているのだろうと思い、辛くなる。ある高校の校長が激励のメールを送ってきてくれた。この校長の学校では、やや無理をして学校を再開したが、出席は芳しくなかったと言う。しかし、登校して仲間と語らい合っている生徒たちの姿を見て、心から「いいな」と思ったと言う。通学手段さえ許せば、学校に来ている方がいい、できる限り努力をしたいとも語っていた。彼にも心配をかけた市原中央高等学校は、おかげさまで昨日(13日)の夕刻に、停電、断水が解消した。施設設備の安全点検を行なった上で、17日(火)の再開に向けて準備を整えたい。
滅入った気持ちで部屋にいると、ドアをノックして「いま、よろしいですか」と声をかけ、2人の男子生徒が入ってきた。モザイクを入れた写真を見てもすぐにわかるように、野球部の生徒である。新しく主将、副主将務めている二人。もっと早く来ようと思っていたが、県大会出場を決めるまで顔を出しづらかったようだ。会話の行間にそんな思いを読み取った。荷物を取りに、野球場を確認にきた。覗くと校長室の奥に姿があったので挨拶にきたのだと言う。
Vol.100に書いた「軸」の話を少し噛み砕いて話をしてみた。真剣に体を動かさず、目は私を凝視し、聞き入っている。人の上に立つことは難しいことだ。いや上に立ったと思った瞬間にその動きは終わったいるのかもしれない。何かの支えにあって力を発揮することは、人はできる。しかし、支えになって人を動かすことは、これは難しい。「あいつがいるから自分は120%の力を発揮できた」「あいつの心が失敗をエネルギーに変えてくれた」そんな存在に君たちがなってくれると、もっともっといいチームになる。3年生の先輩が、君たちの力を十二分に発揮させてくれたあの力以上のものを持てる二人であってほしい。素晴らしい同僚や、後輩たちのために。聴き終えた二人は声を揃えるように「ハイ」と大きな声で返事をしてくれた。彼らに語りながら、自分に言い聞かせているようでもあった。語り終えた後、滅入った鬱々とした気持ちが晴れた気がした。ありがとう、生徒たち。
校長を元気にする生徒がいる学校、市原中央高等学校。
大変なことだが その中で Part2
9月13日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.102 ひとつ生徒との出会いがあった
一人の生徒が部屋の応接の椅子に少し浮かぬ顔をして座っている。やはり校長室のドアが開いていたので訪ねてみたという。今回の台風で大変なことになったのかしらと思いながら、「どうしたの?」と尋ねる問いに、生徒の抱えている悩みを語ってくれた。(内容はその生徒と私だけの秘密)確かな結論が出たわけではないが、最初に見た顔とは違いまっすぐに顔を上げ、私をしっかり見つめることができている。よかった。その表情だけで話をした甲斐がある。
少し曇りの晴れた生徒の心は、私との「雑談」に応じるだけのエネルギーを回復したのだろう。面白い話を聞かせてくれた。英語圏での生活が長かったためか、思考言語が英語なのだそうである。いや、それを失わないように努めているというのである。会話は流暢な日本語、そういえば気づかなかったが時折、意識しなければ感じないほどのタイムラグがコミュニケーションにある。頭の中で翻訳機が働いていたのだろう。
勤務した高校の中で、こうした経験をもつ多くの生徒と関わる機会があった。「頭の中フランス語なんです」「まだドイツ語の方が表現できる」なんて生徒たちである。授業の中で「春霞(はるがすみ)という語が出てきて、どうしても理解できないという生徒と長い時間をかけて話をした。この生徒の場合はスペイン語。生活の中で「春霞」との出会いがない。とても説明に苦労したが、やっと「先生、ありがとうございました。薄いFogですね」。「う〜ん、確かに。いいのかなぁ」こちらが持っているイメージがこの生徒に伝わったか、自信がない。かすみがかった少し春愁のような侘しさまで含んだ情景まで・・・。生徒が去った後、聞くともなしに聞いていた会話に、周辺の同僚が大笑いしていた。「日高さん、大変だね」
本校の生徒にこのエピソードを話して、でも今君が持っている力、僕の教え子たちが持っていた力、これはそんなに簡単に身につけられるものではない、大切にした方がいい。大切にしている君の姿勢は立派だと「肯定」を話しておいた。
思考言語が異言語であるがゆえに、日本語を母語とする世界では、他の仲間が想像できない苦労もあるに違いない。それをポジティブに捉え返し、大切な力としようとする生徒。市原中央の生徒っていいでしょう。自慢、自慢。
大変なことだが その中で
9月12日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.101 心温まる瞬間(とき)をいただいた
台風が千葉を直撃してから4日が経つ。東日本大震災の時に「想定外」という言葉が使われた。今回の台風15号の被害もそう表現されるのだろう。「想定」が甘いのかもしれない。もう20年以上も前のこと、毎年夏と冬に通っていた白い砂浜の綺麗な孤島の自慢の砂浜が、年ごと、いや半年ごとに狭くなっていくことに、地球温暖化を切に感じていた。我々の世代が、今の若者たちに残した大きな負の遺産の一つ。受け止めてもらうものがあまりに重い。しかし、それをしっかりと受け止め、手を取り合って解決する力だけはつけてあげたいと思った。
留守番のために学校に朝から行っていると、多くの生徒が保護者の方の車で荷物を取りに来る。中には校長室をのぞいて、「校長先生!お宅は大丈夫でしたか?」と声をかけてくれる生徒もいる。嬉しかった。我がことでも精一杯だろうに、ふとみた校長室のドアが開いていて、姿が見えたので声をかけてみる。その心の動きだけでも嬉しかった。
お子様を送ってきた保護者の方と話をする機会もあった。お母さんの第一声が心を和ませた。「先生、大変でしょう。お陰様で自宅は今朝断水が解消しました。何かお手伝いできることがあれば」立ち話も失礼なので、どうぞお部屋へ。やはり台風の被害の話。本校生徒のお子様がまだ小さい頃、茨城の地で東日本大震災を経験したという。今回は断水。水の手に入るところまで子供と一緒に何度も足を運んで、家族の生活の水を確保した。途中、もう覚えてもいないだろうと思っていた3.11のことを子供が語り、一緒に支え合った記憶を蘇らせていたという。その「子」は、この夏休みは「戦争」をテーマに調べ物をして過ごしていた。調べれば調べるほど知る悲惨さ。(母)「多感な年頃でしょ、『辛く』て胸を絞られるような思いをしたこともあったようです」でもそれを超えた時「戦争って絶対だめ」という子がいたと語ってくださった。「ひとつひとつ、いい経験になって、成長しているんです。ありがといことです」
問わず語りに語ってくださった話に、先述の「力」をつけてあげなければという思いを確認した。
もう少しお話をさせていただきたかったが、荷物を揃え終わった生徒の「終わったよ」という声がけで幕引きとなった。「母と子の心のつながり」いいものを見せていただきました。
惜敗から学んだものは何だったんだろう
9月7日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.100 期待できるチームづくり
成田北高校 000 100 0 1
市原中央高校 210 024 × 9 7回コールド
いいメンバーがいることがいいチームではない。「夏の決勝戦経験メンバーが多く残っているので今年は強いでしょう」野球のことがよくわからない私の評論家のような言葉に「いやぁ、そういう時ほどチームづくりは難しいです」かつて身をおいたことがある学校の監督が語ってくれた。よく分からなかった。時が経ち、10数年学校経営に携わって「歯車の噛み合わせ」のようなものを「チーム(学校)」に考えるようになってきたいま、何となくあの監督の言ったことが理解できてくるようになったと思い始めている。「軸」なのではないかと考え始めた。
袖ヶ浦球場で行われた敗者復活戦の初戦。成田北高等学校との戦いをみてもそう思った。結果は1−9の7回コールド勝ちなのだが、プレーもいい、勢いもいい、気合いも入っている。でもどこかこのチームの100%を見ているような気がしなかった。別の言い方をすると「もっと強いチームであっていいはずなのに・・・」なのである。今回はバックネット裏でベンチの様子も拝見しながらの応援にした。カジュアルな私服でサングラスを掛けて、自分では十分な変装をしているつもりが、見つかった。「やはり気になって」と駆けつけてくださっていた3年の保護者の方に見つかった。立ち話で私の素人談義に付き合ってくださったお父さんに同じような思いを話すと「そうなのかもしれません。プレーや素材は、県ベスト4のチームに比べてもずっといいのです」と語ってくださった。
いくら歯車が良くて、原動力もパワーアップしても、噛み合うためには歯車を回す軸がしっかりしていないとダメなのだろう。君たちならそれができるはずである。前回の試合に比べたら、徐々にではあるができ始めているように見えた。楽しみである。
校長が生徒の活動や成長を楽しみに思える市原中央高校。いいでしょ!
ゾクゾクとやってきた 楽しみだ
9月6日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.99 SLPメンバー増殖中です
遅い時間に生徒が訪ねてきた。男子5人、女子1人。一昨日校外学習で一緒した1年生のグループである。とあることで悩んでいるという。「なぜですか?校長先生」と質問があった。「その答え、私が答えていいのだろうか?」ただ○か×かと答えを求めるだけでいいのだろうか?自分なりに答えを追求することは必要ないか?」と投げかけてみた。ジェネレーションリングの話をし、交わりの部分では常に摩擦や衝突がある。混ざり合った文化の中で新たなものが誕生してくる。それが文化の継承と創造の普通の姿なのである。真っ赤な文化の元で育った真っ白な文化は、摩擦や衝突、混ぜ合わせの中から鮮やかなピンクの文化担っっていく。「やってごらんよ、摩擦と衝突。満足するまで。」「ただし、大切なのは、相手をリスペクトすること」と付け加えておいた。答えのない問いかけ。単にわがままや自己中心的な考え方で思いついていることではない。そこが本校生徒のすごいところだ。「なぜ、君たちの先の世代は、君たちに押し付け、強制、束縛をするのだろうか?言ってごらん」。ちゃんと説明できている。高校1年生でここまでできているのはすごいと思う。下手な大学生よりずっといいものを持っている。高校時代にこうした問いかけや変容を多く経験していると、自分の道を見つけ始めた時のいいエネルギーになる。論理に長けたMonsterの誕生である。
答えのない問いかけ、世の中そんなものばかりだ。よかったら「哲学対話」しませんか?何も結論は出ません。校長室を出る時、余計に複雑になった、わからなくなった状態でドアを出ます。どうですか?
「きます、きます」「します、します」「おれ。今日の話の中で『ピンク』しか残っていない」
SLPメンバー6名さま、ご案内。いいね!
始動!哲学対話(市原中央SLP)
8月5日(金) Vol.98 男子生徒からの申し出が嬉しかった
書類の整理と訪問者対応に追われた1日だった。秋の陽はつるべ落とし。もう暗くなった廊下に男子生徒が2人立っている。ソファで語っていた教員に無礼を詫びて部屋の入り口まで出て行った。一人は、先日進路の関係で面談した男子であることがすぐわかった。海洋関係の学びに興味があって、某大学を受験しようと考えている。
その時、南の島で出会った学生の話をした記憶がある。人類が近い将来迎えるであろう食糧難のために海藻を研究しているグループの話。インド洋で出会った若者と同じ志を持った若者に西表島で、伊豆半島で出会った。一夏に偶然3人と出会った。不思議な出会い。みんな熱く同じ話をする。西表で出会った若者にインド洋の彼の話をすると、「あぁ、誰々さんです。同じ大学同じ学部の○○ゼミの・・・」と話してくれた。同じ興味、同じ志の者たちが、世界中の海で異なる環境で調査研究をしている。そんな出会いの話をした。
話を聞いていた彼(本校生徒)は、目を輝かせ「そんな世界に身を置きたいんです」と語っていた。あれから数ヶ月。ますますその思いを強くしているらしい。面談の中で語った「哲学対話」が魅力的で、夏を過ぎたこの時期からやってみようかと思ったという。
少人数でよければやろうよ。面白くなりそうだ。
来週月曜日(9月9日)16:10開始
校長室 冷やかし、見学、無言の参加 OK
興味があったら、君ものぞいてみないか?
テーマは当日でないとわからない
学ぶことは見つけること
9月4日 ほぼ毎日・校長 Vol.97 1類の校外学習に同行してきました
「好きなことを見つけよう」これほど難しい質問はなかった。小学生の頃だったか、もう中学生になっていたのか、記憶が定かでない。学校の先生に言われて、「僕は何が好きなのだろう?」と考え込んでしまった。あれはよく覚えている。友人からも一目置かれる優秀な奴が「獣医。僕は獣医になる」と何かのきっかけに語った。「動物が好きだから」=なりたいもの。『こいつ、やはりすごいなぁ』と心から思った。何も持てていない自分が小さく思えた。
進路指導の一環として行なっている校外学習。午前中は証券取引場、午後は最先端技術館。さすがうちの生徒たちである。何に触れても興味関心が強い。発展的に色々な世界を広げていく。彼ら彼女たちに教わることはとにかく多い。半年ほど前に彼らと一緒したことがあったが、比べ物にならないほど成長している。一緒しながら、「将来のこと」を考える機会を与えている指導の立場として問いかけた。実際は言葉に出すことはなかったが、この機会を与えることは、問いかけること。
何か(好きなこと、興味あるもの)見つけたかい?
自分が何が好きなのかに注目すると、意外と見えないことがある。そんな時は、「ここにいるの退屈」を探してみるのも面白い。これには自分は全く興味を示さないんだという自分発見。それも「学び」の大切な要素だと思うのだが・・・。あまり説得力ないかしら?
1年生、1類の諸君。校長先生は君たちと1日を過ごせてとても楽しかったんだ。
生徒とわいわい。生徒とガヤガヤ。やはり根っからの教員のようである。
こんな喜びを感じさせてくれる市原中央高校生、いいね!
君は陸上競技部だったの?
8月30日(金) ほぼ毎日校長 Vol.96 すごい成績なのです
ここのところこのブログに登場してくれる彼女。選手表彰の時「陸上競技部◯◯さん」と呼名があって目の前に立っている。『おっ、君は陸上競技部なんだ』と思った表情を読み取ってか、賞状を読み上げている間、ニコニコ笑顔を振りまいていた。集会が終わってからかうと、「壇上に上がった途端、友人が後ろで話しているのが聞こえたんです。でも先生、すごいでしょ。自己ベストなんですよ」と表彰状を誇らしげに掲げてくれたので、パシャリ。「綺麗に?可愛く?写っていたら、そのまま載っけてOKですよ」と許可をいただいた。機転が利いて、言葉のキャッチボールができる、話をしていて楽しい生徒である。
夏休み明けの校長講話 今日の話は2つ 先ずは、本校の全生徒に、「いい夏をありがとう」と言っておきたい。 ブログの86や89を読んでいただいてわかるように。私の故郷は関西、瀬戸内です。夏が白い。砂のせいか、真夏の昼下がりは、風景が揺らぐように真っ白になる。鍵っ子だった私は、広場でみんなと遊んでいて、家々から「〇〇ちゃん、ご飯よー」と呼ばれて、友達たちが一人、また一人と帰っていく。ご飯の後はお昼寝。今度みんなが集まるのは、夕暮れ時なのである。一人残った私が、大きな柿の木の下で座って、誰もいない広場を眺めていてその頃に感じた「夏の色は白」。 |
名優たちが監督とクマを連れてやってきた
8月28日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.95 クマの正体は・・・
夏休みもあとわずかとなって、生徒の影も少ない校舎をぐるっと回って部屋に戻ると、3人の生徒が待っていたかのように来てくれた。「女尊男卑」を演じた名優二人と、監督を務めた放送委員会の委員たちである。準優勝の報告に来てくれたようである。「山崎さん」を演じた彼女。映像の中のイメージと全く違うのである。はにかみながら、ふふっと笑う癖のある笑顔の素敵な彼女。「演じていて楽しかった」と感想を述べてくれた。彼女のイメージのギャップは、プロの役者さんやアスリートがみせる平常と舞台、生活時間とフィールドの違いのそれである。冗談で「日頃の放送室内のドキュメントだったりして・・・」とからかってみると、男子二人が顔を見合わせて、ニヤニヤしている。「えっ、ズバリそうなのか?」とさらに突っ込んでみる。「いえいえ、受賞のインタビューで、監督である僕が、先生と同じような発想で『映像中の「山崎さん」は、本校放送委員会のドキュメントです』とジョークを言って笑いをとったんです」と語ってくれた。ふとした機転で「笑い」「ユーモア」をその場に加えられるってすごい力だと思う。あの映像がこの監督、この名優たちのもとに出来上がったことがよくわかった瞬間(とき)だった。
「もう一人は?」と思っていると「山崎さん」が気づいたのだろう、「男優の一人は、・・・クマ・・・」と教えてくれた。いま「山崎さん」に「ガツン!と一言、言ってやる」と勇気を振り絞っていた彼は、クマの写真撮影中なのだそうである。LINEで監督に送られてきた写真を見せてもらっった。スゴイ!掲載させていただいたのはスマホからの写しなので画像が荒くなっているが、プロ顔負けのいい瞬間を撮影している。『くそー!いい写真撮ってやがる』立場も年齢もかなぐり捨てて、写真大好きな私は、心から羨ましく思った。
こうした感性の協働(交わり)があの素晴らしい作品を誕生させているのだ。市原中央高等学校生、いいね。
全国準優勝(2位)おめでとう!
君たちの豊かな感性応援しています。
「松山」ですね V0l.89の解答
8月26日(月) V0l.94 すごいなぁ、さすが歴史研究会
一昨日(8月24日土)、中学生の保護者向け説明会のサポートに来てくださった本校保護者の方が、朝一番で校長室を訪ねてくださった。「先生!今日は長男が一緒なんです。と言うより、彼がメインなのです」母の後ろにいた3年生の男子生徒が、「おはようございます」と元気よく入ってきた。兄弟揃って本校生徒。下の息子さんは吹奏楽で頑張っている。背が高くギターを弾く姿が、「いいね」と感じさせる好青年である。お兄ちゃんは歴史研究会に所属していて、ぜひ校長に自分たちの活動を見にきて欲しいと希望している・・・までは母から伝え聞いていたが、まだ面識がなかった。文化祭の折にブースを訪ねたことは承知していて、まずはそのお礼をいただいた。「後輩が担当していたので、彼のいい勉強になると思って」声がけを控えたのだと言う。今日も後輩たちの研究の進捗を見にやってきたそうである。こう言う先輩の背中を見て、後輩は育っているのだと感じた。実際、学校見学会の時にそうした姿に触れた中学生が、「この学校で歴史研究部に入って・・・」と言う具体的な動機で入学してきている。学校の宝は生徒ですね。その生徒を育てている教員ですね。
「先生、松山です」ほぼ毎日校長Vol.89の解答である。「夏季休業中だから、まだ誰も来ていないのではないですか?1番ですか?」と正解か不正解かを問う前に聞いてきた。日頃の「歴史研究」に熱く燃えている血が騒いだのであろう。「一番だよ。そして正解だよ」と応えると、最初はイメージと維新だけで「福島」と言う答えが直感で出てきたのだが、秋山兄弟、正岡子規と続いたので、すぐに松山とわかったと言う。すごいことだと褒めると、顧問の教員との会話で、維新のころの話が印象的に残っていたのだそうだ。「『坂の上の雲』ですよね。いいですね。よかったですか」とイメージする「松山」をなぞるように会話を進めていた。
うちの生徒、触れれば触れるほど味わいがある。市原中央高等学校、いいね。
笑顔の明るい二人が訪ねてくれた
8月24日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.94 毎日来ているんですよ
「へぇ、広いんだね」という会話と共に、野球応援で活躍してくれていた二人の女子が部屋を訪ねてくれた。(実はこの時まで名前を知らなかった。ごめんなさい)「久しぶりだね」と語りかけると、「私たち、毎日学校に来ているのです」「ねぇ、緊張が途切れるといけないから」自宅ではついつい自分に甘くなってしまうので、学校で受験勉強に励んでいるのだと言う。「これまでの教師経験から・・・」と前置きして、秋風が吹き始めるこれからが勝負になる。どこまで歯をくいしばれるか。ゴールまで一気に駆け抜ける加速をつけられるか。本当に忍耐の時が待っている。学年主任をしたその昔、「この学年からは、おいそれと『推薦』は出しません。なぜなら、ここの生徒はその大学に一般入試(実力)で入ることができるから。本人も、親も、教師も歯を食いしばりましょう」と語り、例年1桁しか合格の出ない国公立に50数人を合格させたことがある。市原中央高等学校のみんなもそうなんだ。ちょうどそんな力を持っているんだ。そんな話をしていた。その中で、母親と言うのは一番辛かったかもしれないね。特に息子を持った母は。と何気なく話すと、「先生わかります。うちの母、兄の時を見ていると・・・」と一人の生徒が語った。
もうすっかり大人の会話ができている。いいなぁ、うちの生徒。
その話から、彼女のプライベートな話になっていった。もちろんここでご披露するわけにはいかないのだが、当時持っていた人からは羨まれるような環境(名声?)に背を向けて、彼女がなぜ本校へ来たのかそのルーツを語ってくれた。実にポジティブな思考なのである。そして入学の時点で、そのポジティブな思考に導かれた結論を持ち、それを今貫いている。もう一人の生徒が語った。「ねっ、●●ちゃんは無理でしょ(私の指導めいた話が通用しないでしょと言うほどの意)。でも私には響いてます」(ちゃんとフォローしてくれている)彼女の本校へ来た思いと、貫いている姿勢を聞いて、心から「すごいな」と思った。頑張れ!
いいでしょう、うちの生徒。自慢、自慢。
ちょっとしたリレーション 大切です
8月23日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.93 明日のために
部屋からほとんど出ないでこもっていた。夕刻昇降口が賑やかなので、ドアから首を出してみると、いかにもいい汗を流してきましたと言わんばかりの女子生徒が5人ほどいた。私の姿を見つけると一人が「こんにちは」と大きな声で挨拶をし、しっかりと清掃に取り組んでいたみんなが手を止めて、みんなで挨拶をしてくれる。明日の説明会の準備の仕上げとして清掃活動に取り組んで切れているのである。卓球部の女子だそうである。「いいなぁ、なんだか嬉しいなぁ、ブログのネタ作りに写真撮れせてください」「はーい」といってピースサイン。「そうではなくて、君たちの奉仕の精神が写り込むような。自然な・・・」と注文をつけると。また「はーい」といって上の写真が撮影できた。
これだけのことなのだが、この記事を読んでいる皆さんに、彼女たちとのリレーションは感じていただけると思う。『うちの生徒って、接したときに嫌な思いをすることがないなぁ』と素直にそう思った。
部活で疲れていたろうに、本当にありがとう。
「あらた」の意と「信」の重みを感じて欲しい
8月22日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.92 結果としての惜敗
市原中央 000 000 000 0
志學館 000 000 10✖️ 1
立秋を過ぎた。正確には「立秋が始まり間も無く終わる」になるのだろうが、夏とはいえどことなく秋の気配漂うこの頃である。野球の秋季大会の始まり。こんな行事の始まりに秋の気配を感じる者もいるかもしれない。試合開始には少し遅れたが、応援に行くことができた。両校ともがっぷり四つに組んだいい試合展開だったと私は思っている。野球通の御仁は、「あの時のあのプレーが」とか「あの時の交代が」といった深い知識や洞察力で評価をなさるが、私にはよくわからない。ただこの夏の大会でベスト4に入ったそのメンバーを残してのチームスタート。その中に、今まで自分たちを支えていた糸が、今回の大会から変わったことを選手たちに気づかせくれる試合だったのではないかと、私は思っている。
上手い下手、試合慣れ、術数に長けた試合運び。色々と言い方はあるかもしれないが、守備のうまさやバッティングの強さを本領発揮させてくれる「何か」の存在に気づいたはずである。『あれぇ?なんだ?この前までは繋がっていたのに』『えぇ?あのタイミングではアウトが取れたはずなのに』といった微妙なズレを生じさせている「何か」である。それが「信」だと私は思っている。これまで培ってきた本校野球部のチームにあった「信」とは、似て非なるものである「信」である。それが太くなれば「勝利」に繋がる。気づかずそのまま過ぎると「勝利」は遠のく。
「新チーム」の「新」は、「あらたまる」(新しくなる)=「改まる」(変わる)ことである。自分たちの「信」、改まった「信」、ぜひ築いて欲しい。
いい試合を見せていただきました。感謝。応援に来ていた3年生諸君、ありがとう。わざわざ駆け寄ってくれてみんなで挨拶をしてくれた。嬉しかった。やはり市原中央高等学校は、生徒が誇りなのである。
生徒がいる学校が一番!
8月21日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.91 もう平常授業のように
チャイムが鳴った。『チャイムの音色を替えたのか?』と思っていたら、夏季セミナー用の特別なチャイム。聞きなれない新鮮な気持ちで聞くと同時に、様子が見たくなったので、ぐるーりと学校を一回り。通常の授業なら、遠慮なく中に入っていくのだが、写真のような真剣な取り組みの様子に圧倒されて、外から覗かさせていただいた。「エェーっ、なんで。なんでなん?」数学科の若い先生(本校の卒業生)である。よく声が通るので、廊下の端にいてもすぐにわかる。声に誘われるように、教室の後ろから拝見。「ちゃうよぉ、それをこんな風に捉えるさかい、まちごうてしまうねん。」彼の生い立ち、経歴を知りたくなった。綺麗な嫌味のない、上質な(上品な?)関西弁を使う。関西人の私が言うのだから間違いない。それよりも何よりも、この先生の授業は「会話」が成立していることに驚きを感じている。数学の授業でここまでできる教員は珍しい。生徒もすごい。時を選ばず手をあげて、「先生・・・」と質問を投げかけ、納得するまで食い下がっている。「わからない」「理解できていない」ことを解決して「分かる」「理解できた」に変えるプロセスが、コミュニケーションで展開できている授業。これ、いいわぁ!きっとこの先生の授業では「わからない」を表明することにためらいはないのだろう。それと、「何がわからないのか」が分かる時空になっているのだろうと思う。夏休み明けにじっくり1時間拝見しようと思う。
渡り廊下を歩いていると、硬式テニス部の部員たちが私に気づき、一斉に練習をやめて挨拶をしてくれる。この部活はここが大好きだ。礼儀正しくけじめがちゃんとついている。みんなの目がこちらを向いているので、ちょっと緊張しながら「暑いのによく頑張っています。雷鳴が聞こえたら、すぐに練習止めるんだよ」(う〜ん、もう少し気の利いた言葉があったろうに)
廊下に貼られているインターアクトのポスターを発見した。通常の学校ではマイナーな活動体である場合が多いのだか、本校では結構メジャーな集団である。(意外と在校生はその活動の実態を知らないのかもしれない。ふとそう思った)「キャップ回収協力ありがとう!」ポスター。簡潔明瞭に書かれているのだが、必要事項が明確に示されている。「私たち(本校生徒たち)の活動結果」が数値で示されている。小さな一つの所作が、協力が、こんなに多くのこんなに大量の成果につながっている。それがちゃんと示されているのである。
141,298個(3,826kg)
=ポリオワクチン9,823人分
=61,887kgのCO2削減
説得力あるなぁ。海洋汚染のプラゴミ問題で言うと、そのまま3,826Kg/800万tの削減になっているのだよなぁ。
すごい。ちゃんとここまでできる生徒たちの活動(インターアクト)が、メジャーである市原中央高等学校って、すごい。みんなで考えてみませんかSDGs。
グローバル・リーダー・プログラム(1年生)
8月20日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.90 自分の不摂生をこれほど悔やんだことはない
旅先で台風の直撃を受けないうちに・・・と考えた理由の一つが、今日の報告である。1年生の英語コースが8月16・17・18日の2泊3日で市原市内のホテルに缶詰になり、彼らにとっては初めてのプログラム経験をすると聞いていた。ぜひ参加して様子を知りたかった。急いで最終日は夜通し東名高速を走れば、18日に間に合うかもしれない。それほどに楽しみだったのである。
過日、ゴールドマン・サックス社で実力を発揮してくれた彼らである。全く心配することはなかったのだが、はじめでつまづくと挽回が大変である「うまくいくといいなぁ」という祈る気持ちもあったことは確かである。担当の先生にメールで、体調不良で伺えないことをお伝えすると、「無理なさらないでください。でもものすごい成果、成長ですよ」と返信をくれた。病気で楽しみにしていた遠足に行けなくなった子供のように、ただただ残念であった。
目の前に英語科の若い先生がいる。アクティブな学びについて、非常にいいものを持っている先生である。教育実習生の指導でそう感じた。昨日(19日)朝一番で部屋を訪ねてくれたのである。興奮冷めやらぬ様子で、「すごいですよ。本当にすごいんです」女子が感動をなんでも「可愛い!」で表現するように、「すごい」を連呼している。「おぁ、すごいんだ。で、何が?」整然と語られていなかった研修の様子を丁寧に語ってくれた。
Program=生徒のリーダーシップを伸ばすための仕掛けが段階を踏んでできている
Peers=協働の中で自己を変容させ、成長している姿と、率先垂範、方向性指示がちゃんとできている。
Passion=情熱的に取り組む姿勢が貫かれていた。情熱を傾けられない者への同僚支援。そんな難しいことまでできていた。
Play=笑顔が絶えない、創造を楽しむことができた研修だった。
「校長先生!これいいですよ。学校のあらゆる場面に導入しませんか」と熱く語ってくれた。嬉しいことである。彼の一連の話の中に、この取り組みや、教職員の努力、何より生徒の学習成果に肯定(Positive)が見られた。最高の評価、営みだと思う。感謝。
市原中央高等学校の新たな舵取りの方向性が見えてきた気がする。教育に5つのPがある。いい学校です。
嵐の夜 いい人情に触れた いい人に出会った
8月19日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.89 ここはどこだろう、あの小説の行間はこの景色を見なければ
夏風邪を引いたようである。「鬼の霍乱」使うが漢字がかけそうにない言葉の一つである。「霍乱」とは辞書によると「日射病や暑気あたり」とある。滅多に体調を崩さないから「鬼」であってもいいか。
郷里に車で帰っていた。前半の激しい暑さと、台風10号の直撃で、さんざんな旅であったが、元気な母親の顔が見られて、それはそれなりにいい旅だったと評価しよう。しかし、郷里から少し足を伸ばした旅先で体調を崩した。最後に宿泊した宿の女将はいい人で、台風が近づいてくるのを気遣って、「このあたりはとても穏やかないいところなんですよ。瀬戸内の夕陽は黄金色に輝いて・・・」と土地自慢をしながら、「来てください。もう一度来てください。こんな日では気の毒です」と、台風の接近する前に宿を出ようとする私たちをしきりに気遣ってくれた。「今からお通りになる道は、のたりのたりとした海のそばをゆっくりと曲がりながら、その向こうに浮かぶ島の黒い影。空と海の境がわからなくなるような黄金色の夕陽・・・」聞いているだけで情景が浮かびそうである。幼い頃、生まれ故郷の近くの海で見た夕陽の情景である。もう何年も前、教職についていたから30をとっくに過ぎた頃のことである。大学で教鞭をとっているという友人のお父さんと、瀬戸内の夕陽の素晴らしさを語り合ったことがあった。染みるように心に残る情景の一つである。
女将の気遣いと人柄に、太宰の富嶽百景に出てくる老婆を思い出した。「また来ますよ。必ず」そう応える私に、「本当ですか。そうしてください。こんな日でなければ」と、また気遣ってくれた。その前日に写真のような光景を眺めていた私は、女将が何をどう語りたいか絵を見るより鮮やかに想像していた。いや、実際の風景の持つ美しさより美しい「印象」の瞬間(とき)を心に刻んでいた。『女将さん、ありがとう』しっかりとお礼も言えずに、追われるように宿を後にした。最後にいただいた湯が本当にいい湯だった。あの湯の後で、車のクーラーで冷えてしまったのか。風邪を引いてしまった。鬼の霍乱。
さて、校長はこの夏休み、郷里から足を伸ばしてどこに行っていたのでしょうか。答えが分かったら校長室にどうぞ。
ヒント 明治維新、秋山兄弟、正岡子規
ついに待望のあの動画が公開された 要視聴
8月14日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.88 Nコン 創作テレビドラマ部門 準優勝作品
制作意図 一昔前では男性が上、女性が下という差別的な風潮、男尊女卑がありました。今では男女平等が当たり前の世の中になり、男尊女卑という言葉自体もあまり聞かなくなりました。しかし、僕たちの高校生活の中ではその男女平等を逆手にとった女子から男子への差別、女尊男卑を度々受ける時があります。男尊女卑ではなく、女尊男卑について知って欲しいという思いから創作しました。(「NコンWEB」より)
ツイッターに放送委員会のつぶやきがあった。「今日Eテレで放映されます。見てくださいね。」ちょうど移動中で見ることができそうにない時間帯である。拝見したかった作品であるだけに、残念に思っていた。録画予約もしていない。心から申し訳なく思っていると、次のツイートには「NコンWEBで見て頂けます」とあった。早速拝見した。面白かった。本校の生徒の特徴がよく表現されている。もちろんこの動画の内容の「女尊男卑」=本校の特徴ではない。何気ない日常に自然に見られる光景や言動。それをちょっと皮肉って描いてみるとこうなるのかな。ちょっと面白スパイスを利かせるとこうなるのかな。その「皮肉って」や「面白スパイスを利かす」のさじ加減が難しい。下手をすると「お決まりのね」「なんだかベタつく展開」になってしまいがちなところを、それをさらりとやってのける力がある。そんなところが本校生徒の特徴なのである。見終わって「ある、ある」ちょっとした皮肉や中傷にも「ははは」と笑って済ませるかと思わせる。そうした展開が面白い。上の画像にリンクを貼っておいたので、百聞は一見にしかず、ぜひご覧いただきたい。下手なテレビのコント作家やお笑いライターよりずっとうまい。8分間という決められた時間に、よくこれだけまとめられたものだと感心している。いい瞬間(とき)を過ごしている。
うちの生徒、力ある。またひとつ自慢が増えた。いいね、市原中央高等学校!
PS
人生の先輩から一言(男子=私)
一昔前もふた昔前も、私が高校時代もこういう世界はありました。
ある意味男女の機微の「核」を描いているのかも・・・。
人生の先輩から一言(女子=私の奥さん)
よく見てるわねぇ。すごいわぁ!
こういう風に応援してくださっている方もいる
8月13日(火) ほぼ毎日校長 Vol.87 一般生徒の応援が・・・
この夏の野球。千葉学芸戦の応援の様子がYoutubeに載っていた。「ファンが選ぶ高校野球応援曲ベスト10」(チャンネル高校スポーツ応援団)QueenのWeWillRockYou本校の応援団の応援動画を用いて紹介してくれている。このちゃんねんる運営者が、本校を取り上げてくれていた。
応援曲ベスト10
また同じチャンネルで、
市原中央の応援席はとにかく楽しそうで参加したくなりました(笑)
特に多数来ていた一般生徒がノリノリで、おそらく自主的に来たのでしょう。
画一的なできあがった応援もいいけど、こうした応援が高校生らしいのかなあなんて、微笑みながら考えていましたw
というコメントをつけて、本校の満ち溢れるエネルギーに「高校生らしさ」を賞賛してくださっていた。なんだか誇りに思えて嬉しかった。
「市原中央メドレー とにかく一般生徒が楽しそうな応援」
さらに嬉しかったのは、校歌を全員で歌う時の姿勢が、選手だけでなくスタンド全体が、応援にきた生徒全員が大きな声で歌っている。こんな学校の姿が、ベスト4を後押ししたのだろうと語ってくださっていた。
帰省で帰った郷里で、スイカを食べながら、いいものみーつけた
市原中央高等学校、いい学校です。
四つのPに大切な「スパイスP」の発見
8月11日(日) ほぼ毎日校長 Vol86 愛知教育大学の学生たちと触れ合う機会があった
愛知教育大学の天文愛好会です。まだ1年生だろうか、君たちとあまり変わらなく見える若者が目の前にいる。毎月ここ(ハイウェイオアシス・刈谷)で天文観察のイベントを子供達向けにやっているという。暗くなってから10時ごろまで。今日は、お盆で帰省する家族づれの小さな子供達から、その親御さんまで、大変な賑わいである。子供達が「見えた見えた、ほらお父さん」・「おぉ、すごいねぇ。お父さんにも見えるよ」、「綺麗だよ、お母さん」・「本当ね。切り取ってペンダントにしたいわね」などと、親子の会話が弾んでいる。楽しそうでしょう、こういう時間を作っていただきたくてやっているんです。1年生から4年生まで、いろいろです。みんな将来は、教育職か教育関係の仕事に就きたいと思っているんです。「いい先生になれそうだね」親子の会話に喜んでいる彼の表情をみて心からそう思った。「えっ、本当ですか。嬉しいです」と自分の将来を肯定された彼は、顔中を笑顔にして嬉しそうに喜んでくれた。「どうしたの?●●くん」と先輩らしき女性が声をかけてきた。「この方がね、僕たちはいい先生になれるだろうって・・・」「まぁ、嬉しい」それを聞いた彼女も一緒になって喜んでいる。一つの「企画」(project)に「情熱」(passion)を燃やし、みんな「協働」(peers)で、「楽しむ」(play)。日頃君たちに行っている、学校の教育の大切な要素を体現している若者たちと触れ合うことができた。そして彼らから教わった。そこにスパイスとして(周りの者のほんの少しの)「肯定」(positive)があると、なおいい。
市原中央高等学校の生徒諸君、君たちの学校にはこの四つのPがある。大切にしてほしい。そんないい学校なんだよ、ここは。君たちの営みを積極的に「肯定」できる大人である必要がありそうである。
どう声をかければいいのだろう 頑張ったね ありがとう
8月9日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.85 吹奏楽部2年連続金賞ならず
訪ねてきた業者の方との話の中で、「私は『外伝』が好きなんです」という話をした。なんの話からそうなったのか?確か「授業」の話だったと思う。授業で本能寺の変を学んだ時、それが何年の出来事か、伝えられる史実はどうかというより、教師が語った「人間・明智光秀」の方がずっと心を打った。その行為に及んだ光秀のことを語った「祖父物語」の方が面白かった。伝聞形式の軍記物だから信ぴょう性に欠ける。もっともなのだが、概して正史は面白くない。外史、外伝の方が面白い。人が語られている。日本書紀より古事記である。まあ、そんな話をしたのだろうと思う。そんな授業が成立するお手伝い、進学校だから大学に受かるための知識や力はもちろん大事である。その一方で人の心や仲間のためをしっかりと捉えることができる生徒たちなのだから、それこそ「外伝」に導いてやるというような瞬間(とき)がたくさんあって欲しい。そんな話だったと思う。
それを語った時に、私の語る「生徒」は、吹奏楽部の諸君であった。確かなものとして、彼らを思い描きながら「そんな生徒だから・・・」と語っていた。8月6日に吹奏楽コンクールの予選が千葉文化会館であった。残念なことに仕事の都合で行けなかった。結果は銀賞。本選の出場がならず、三年生の最後の夏は終わった。野球部が快進撃を続け、その応援に駆けつけた吹奏楽部は、自らのための時間を削って「仲間のため」を貫いた。コンクールの前に行われた合宿では、忘れていた夏を取り戻すような暑さの中で、何人もの体調不良者が出たという。演奏の順番もくじ引きで、強豪校、本線常連校の間での演奏となったそうだ。それだけでなく、課題曲が同じであるのは当然だが、自由曲までもが同じであったと聞く。身を尽くした彼らに、運命の神様はなぜそんな試練を与えたのか。かけてあげられる言葉がない。ただ君たちの日ごろの努力と、「身を尽くし」の汗に「よく頑張った。ありがとう」とだけは言っておきたい。あのとき、私は市原中央高等学校吹奏楽部の「外伝」を読んでいたのかもしれない。目の前にある事実や事象だけでなく、その影にある「人間・吹奏楽部(の生徒たち)」の営みを感じ取っていたのかもしれない。
君たちの姿は、本校の誇りです。市原中央高等学校、充実の瞬間(とき)で満たされています。いいね。
文中の受賞「銀賞」受賞でした。ごめんなさい。訂正しておきました(By kotyo R01.08.10)
盛況・首都圏進学フェア
8月4日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.84 大勢のお客様に来ていただいた
幕張メッセで行われた「首都圏進学フェア」に行ってきた。入試センター、本校教職員計8名でブースの対応に当たっていたが、昼食を摂る時間もないほどにお客さんが途切れることはなかった。3組みしか座れないブースはいつも満席で、立ち話でお相手させていただいた中学生とその保護者の皆さん、本当に申し訳ありませんでした。私も7〜8組みの皆さんとお話をさせていただきました。十分な時間も取れず申し訳ありませんでした。体験入学に来れなかった方、ぜひ見学にいらしてください。
◆明るい学校になりましたね 8期卒業生
息子さんが今度高校進学を迎える本校の卒業生のお父さん。息子さんより熱心に話を聞いてくださいました。さすがうちの卒業生。そのお言葉の中で印象的なのは、今の市原中央高等学校の生徒は、本当に高校生活を楽しんでいるように見える。ずっと私たちの頃より、明るいです。いい学校です。ありがとうございます。最高の評価です。楽しくなけれな学校じゃない(Play)
◆グローバルリーダーコース魅力的です お二人のお母さん
友達同士なのだろうか、お子様とは離れて、訪問くださった。一度ブースで説明を聞いてくださったのだが、また戻ってきたという。立ち話で、しばらくお話させていただいた。グローバルリーダーコースに興味を持っていただいたようで、詳しくお話しした。先日行われたゴールドマンサックス社の研修や、他国とのテレビ討論など、プロジェクトの豊富さをお伝えしながら、そのためのスキルアップを大切にしている本校の学びについて聞いていただいた。さらに詳しく?今月末に保護者対象説明会がありますよ、とコマーシャルも忘れずに。(project)
◆ピッチャー●●さんの後輩です 真っ黒に日焼けした顔に白い歯
「僕、ピッチャーの◯◯さんの後輩です。同じ中学校なんです」とお母さんと一緒にきてくれた、見るからに野球少年が熱い気持ちを伝えてくれた。「野球ばっかりではねぇ」とお母さん。そう、そのとおりです。何かに夢中になっている姿は大切だし、それがなければ、高校生活はつまらない。でも何も持てないものと違って、君は持っている。いいねぇ。その夢中になったものを持つ仲間からの刺激は絶対に息子さんを育てます。それだけの環境が本校にはあります。自信を持って熱く語った。何かに夢中になれなかった者が、社会に出て仕事に夢中になれるはずはない(passion)
◆同僚支援が見事にできる これってすごいことなんですよ
「うちの子ついていけるのかしら」やはりグローバルリーダーコースに興味を持ってくださった親御さんが心配そうに言う。(娘)「お母さん、大丈夫だよ」(母)「だってあなたは、聞き取りはできても、表現できないじゃない。ただ黙って座っているだけじゃダメなのよ」(娘)「やれると思う」二人のやりとりを面白く聞かせていただきながら、「うちの骨頂、学びの協働」と口を挟んだ。実際わずか4月の間に私はそれを感じている。グループでの協働が多く取り入れられているだけでなく、その中でちょっと距離を置いている、なかなか馴染めない者への同僚支援が見事にできているのである。誰に教わるだけでもなく。互いが支えあっている。これってすごいことだと思います。(娘)「心配しないで」受験してくれるかなぁ?(peers)
本校の生徒予備軍の中学生とその親御さん 有意義な時間をありがとうございました。私と話した人、「高校校長推薦枠でみんな合格!」と言いたくなるほど、素晴らしい生徒さん達でした。来春、入学式でお会いしましょう。その前に、学校見学会でお会いしましょう。
1000名近いお客様で賑わった2日間
8月3日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.83 限られた条件の中で、魅力は伝わっただろうか?
今日も暑い。暑い中、多くの生徒諸君がお手伝いをしてくれている。その姿を見ていて「この子たちが一番の広告塔だな」と思った。何人かの保護者の方々とお話しする機会があった。異口同音に、「いい生徒さんたちですね」「こんなにしっかりするのかしら?」と、手伝いをしてくれている生徒諸君に対するお褒めの言葉をいただいた。やはり一番の自慢は、生徒である。
その自慢の、手伝いをしてくれている生徒と話をしていた。何を話していたんだろうか、会話の内容は忘れてしまった。確か陸上競技の400mという種目は、難しい。駆け引きもトレーニングも・・・」そんな会話であったように思う。そんな会話の途中で、意図せずテーブルの上に置いたスマホの待ち受け画面の楽しそうなものを見つけた。「おっ、面白い視点」スマホに現れた待ち受け画面に興味を示すと「でしょう。お昼休みの中庭です。文化祭の近い日でした」とその時の楽しさを語ってくれた。許可を得て、パシャリ。ありがとう。この何気ない生徒とのひと時にある幸せ、わかっていただけるだろうか。
体験にきてくれた中学の生徒さんたちは、思い想いの授業体験、クラブ体験に臨んでいる。ご夫婦とお子様、1組が部屋の前でこちらを見ていた。「どうぞ、どうぞ」とお勧めしたが、やはり距離はまだ遠い。本校の生徒のようには行かない。「お昼時はこの部屋は賑やかなんですよ」と本校生徒とのふれあいを立ち話で紹介した。「楽しそう」とお嬢さんが語ったのが印象的だった。「一生懸命に目標に向かって頑張ろうね」と声をかけておいた。「はい」と笑顔で答えてくれた輝く目が印象的だった。
その目、市原中央高等学校の生徒の目だよ。縁があったら、よろしくね。
保護者のみなさまへご挨拶(本校紹介) A高校 国公立合格数名→50人後半 東大理Ⅰ、千葉薬学etc 確かにラッキーボーイなのかもしれない。そういう「何か」があるのかも知れないが、あまりそういう「何か」を私は信じない。共通するものは?考えてみた。もし言えるとするなら、啐啄同時、対象の特性を知った上での「がまん」と「ほめ(伸ばし)」、協働であるような気がする。=学校(進学校)の教員に何が求められているかという問いに対する私なりの回答なのだろう。 |
今日から体験入学
8月2日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.82 駆け抜けるように3年間を過ごせる学校
校長あいさつ
中学生のみなさん、そして保護者の皆さん、おはようございます。
ようこそ、市原中央高等学校へ 校長の日髙です。
一日の体験入学を通じて、本校の素晴らしさを十分に感じ取ってください。
そのためのポイントを紹介します。
ここ市原中央高等学校は、4つのPが充実した学校です。
1つ目は Passion=情熱と感動
何かに夢中になり、それに情熱を注いでいる生徒や教職員が多い
2つ目は Peers=協働
みんなで一緒に何かをやる。グループで何かをする機会と取り組みが多い
そん中で同僚支援の姿をよく目にします。
3つ目は Project=企画、計画
ただ知識や技能を学び磨くだけでなく、それが活用できるたくさんの企画がある
4つ目(最後)は Play=楽しみ、喜び
色々な取り組みの中に、楽しさや喜びを感じながら過ごしている生徒が多い
そんな学校です。
1日で全てを見切ることは難しいでしょうが、今の4つの視点のどれか1つでも見つけることができたら、本校の素晴らしさがわかっていただけると思います。
熱く、駆け抜けるように3年間を過ごすことができる学校。他にはないと思います。
有意義な1日を過ごしてください。
今日も暑くなりそうです。こまめに水分を補給して、熱中症には十分気をつけてください。
以上で校長の挨拶を終わります。
こちらは 全国2位 放送委員会
7月26日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.81 NHK杯 全国高校放送コンテスト
参加全国1582校の頂点を極めた
市原中央高等学校放送委員会
第66回NHK高校放送コンテストが7月23日(火)から、国立オリンピック青少年記念総合センターで行われた。予選を勝ち抜いた本校の放送委員会は、本日(25日)行われたNHKホールでの決勝で見事に準優勝(全国2位)の成績に輝いた。おめでとう。
部門 創作テレビドラマ部門
作品 女尊男卑(じょそんだんぴ)
NHKEテレで放送されます
『ティーンズビデオ 2019』創作テレビドラマ部門
8月 13 日(火) 午前9時 30 分~午前 10 時 15 分 E テレ
終わったのではない はじめの一歩を踏み出してくれたのだ
7月25日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.80 うなだれるな、上を向け
ここ市原中央高等学校の幕開け宣言をしてくれたような日だった。
誇りを持って欲しい。
この試合の始まりを待つかのように梅雨が明けた。もくもくと湧く雲が、遅い夏の到来を急がせるように沸き立っている。やがて迎えた9回裏、最後のバッターは渾身の力を込めてバットを振り抜いた。観客席の誰もがその一振りに祈りを込めていたであろう。カメラの背後についたモニターの中に、私の後ろにいる生徒たちが、鏡に映るようにいる。両手を組み、胸の前で合わせ祈るように一瞬を見つめる生徒が映っている。まるで神の前で祈りを捧げるように。相手の内野手の投げたボールが、一塁手のミットに収まる。一塁ベースにスライディングした彼は、勢い余って回転して転がった。全てがスローモーションをみているように見えた。一瞬の静寂の後、応援席にいた生徒から拍手が起こった。健闘を讃える拍手である。
ファインダーの中の彼は、まるで神前で懺悔をする男のように、片膝を立て下を向いている。右手は彼自身の胸にあてがっているようにも見えた。ハイスピードシャッターの数コマの中で、景色は確かに動き、時の流れを示しているのに、彼だけはそのまま止まっている。彼の姿、ファインダーに映った生徒の姿、まさにここは祈りの場であり、祈りの時である。若い情熱が、自然に一つになり大きなこの空間と、この一瞬を「聖なる地、聖なる時」にしている。球児たちだけではなく、それを支えた保護者をはじめ、様々な人々、共鳴した仲間、師、この瞬間(とき)を迎えるために関わった者たちの聖地となっている。
彼の胸に去来したものは一体何だったのか。友と過ごした野球人生が走馬灯のように、脳裏を掠めたか。心を満たしていたのは哀愁か、充足か、達成か、誰にもわからない。彼本人にもわからなかったに違いない。きっと「空虚」だったろう。空っぽな状態だったのだろう。いま暑く照り輝く夏の太陽の下に、自分がいることの理由すらわからないほどの燃え尽きた心だったのだろうと思う。
人はこんな心の状態を一生のうち何度も経験できるものではない。そして経験した者にしかわからない。「やりとおしました」「やり抜きました」と胸を張って言える瞬間(とき)の積み重ねを、「信」で繋がった友と一緒に繋いできた者だけに許された空虚だと思う。
燃えたよ…
まっ白に…燃えつきた…
まっ白な灰に…
「あしたのジョー」ラストシーンから
この生徒たちと瞬間(とき)を同じくできることが嬉しい
感動がある学校、市原中央高等学校 素敵です
ひと夏 燃焼した情熱
7月24日(水) ほぼ毎日校長 Vol.79 どのようにお礼を言えばいいだろう
人を感動させ、動かすのは容易なことではない。今君たちはそれをなした。
その者自身が情熱を燃やし、楽しみ、懸命になっていないと人の心は動かない。感動させることはあっても、共有する動きをさせること、共鳴させることはできない。
夜の帳(とばり)が下りた校長室にやってきた、いつもの2人は、私の「ありがとう」という一言に、「はい、やりきりました」と答えてくれた。その言葉が言えるほどに燃焼したのだろう。情熱を燃やしたのだろう。それは、一塁側の応援席に集まった600名を越す生徒たちの感動と喜びの共有を生んでいた。
背番号のないユニホームに身を包んだ者たちの叫ぶような応援。我がことのように歓喜し、感涙に頬を濡らす女子生徒たち。通路の中に出て、率先して体を動かす男子生徒の躍動。あの力は確かなものとしてグラウンドに届いていた。私は身短かに見せてもらった。そして一体化するエネルギーの帯をみた気がした。決して幻ではなかったろう。あの力を見せてくれた生徒たちに、心から感謝したい。
ありがとう。市原中央高等学校。
やはり、自慢は生徒たちである。いい学校です。
ゴールドマン・サックスで英語研修
7月22日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.78 本校生徒の力を再発見
六本木ヒルズ47階にあるGSのミーティング施設
この日行われたのは、本校英語コース(来年度からグローバル・リーダーコース)のプロジェクト。ゴールドマン・サックス社の社員ボランティアの支援を受けて、シンガポール・香港・東京をWeb通信(TV会議システム)でつなぎ、それぞれの国の若者が捉えている社会的な課題を解決に導く。その提案を英語でプレゼンするというのだからかなりハイレベルである。ゴールドマン・サックス社が高校生を対象に、今回のようなSBC(ソーシャル・ビジネス・チャレンジ)を行うことは初めて(?)と言っていいほど異例のこと。本校の英語コースがその体験をできることは、本当に幸せなのである。
他の国々のネイティブな英語は当然のことながら私には聞き取れない。ところが生徒たちは見事に彼らの質問に応じている。中にはコミカルに笑いまでもとっている生徒もいた。「まだ1年生なのに」と甘く見ていた認識をすっかり変えさせられてしまった。
語学力だけでなく、こうしたプロジェクトによって、思考力、判断力、表現力に磨きをかけるのが本校の英語教育、リーダーシップ養成教育の特色である。それを見事にやってのけた。本校の生徒の力を再発見した。
まるで国連の会議室のような円形のプレゼンルーム。画像はシンガポールの高校生のプレゼンを聞いている本校生徒とGSの社員ボランティアスタッフ
1年生の英語コースの生徒が3グループに別れて発表した
「若者はなぜ投票に行かないのか」「プラスティックゴミから地球を救えるか」「ネット社会に毒された若者が見出す光明は」3つのグループの選んだテーマはかなり難しいものであった。
5分間のプレゼンの後、他国のゴールドマン・サックス社の社員から質問が飛ぶ。もちろん英語で。困難の上に困難を重ねた状況の中で、数秒チームで話をした後に、代表が見事に回答する。ご存知のように社会貢献や環境問題に積極的に社で取り組んでいるこの会社の社員たちである。「核心をつく質問もあって、かなり悩みました」と後で教えてくれたが、私にはそうは見えなかった。立派なものであった。合計10名ほどのボランティア社員は、「こうした青年の学びを手伝えるなら」と言って率先して買って出てくださったとのことであった。ほとんど丸一日お付き合いくださった。的確なアドバイス、啐啄同時の支援。さすが超一流企業の社員だと思わせるものばかりであった。感謝したい。
研修が終わった後で、「校長先生、こんな機会を与えてくださってありがとうございます」と一人の男子生徒がお礼を言ってくれた。「石井先生や木嶋先生なんだよ。ありがたいね」
市原中央高等学校生、結構いい学習環境の提供を受けています。いいね!
やり切るだけ 創部初のベスト4 Vs市川高校 0-3
7月22日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.77 力が一つになる時
(昨日)試合が終わり、バックヤードで応援団の労をねぎらったり、保護者の方にお礼を行っていると、一人のお母さんが近づいてきて、「気にかけてくださってありがとうございます」と丁寧にお礼の言葉をいただいた。過日このブログに記した「気になる選手」のお母さんである。お世辞でもなんでもなく素直に「いい息子さんです」と心が言葉になった。「一緒に写真撮りましょう」誘われるままに一緒に集合写真「パチリ」スマホに残った写真を見て、心が一つになっているのを感じた。「明日もお見えになりますか?」問われ、申し訳ないと思いながら、球場での応援が無理なことを伝えると、「大丈夫、先生の分私たちが・・・」と応じてくださった。
スタンドの大きな力は、確かにグラウンドの選手たちの背中を押している。親も兄弟も、OBもOGも、おじいちゃんやおばあちゃんの姿も見える。懸命の白球を追う選手の姿は、それぞれの心の投影なのである。彼らの悔しさは、我が悔しさ。壁を穿つ力を貸そう。一歩を踏み出す勇気を授けよう。友を思う絆を太くしよう。実際に手を貸すことはできないが、この声は、この一喜一憂する心の動きは、大きな「念」となって君たちの「信」を確かなものにしている。
ここまできたら「やり切るだけ」頑張れ市原中央高等学校野球部!
写真は7月21日に行われたマリンスタジアムのものです
市川高校 | 000 000 000 0 |
市原中央高校 | 002 100 00✖️ 3 |
始まったばかりだ Vs千葉学芸 4−6
7月21日(日) ほぼ毎日校長 Vol.76 マリンスタジアムが一体になった
千葉学芸高校 | 000 101 020 4 |
市原中央高校 | 010 110 30× 6 |
準々決勝 Vs市川高校 ゼットエー12:30
熱い夏がやってきた Vs柏陵高校 1−6
7月19日(金) Vol.75 よく頑張っている いいなぁ 市原中央
県立柏陵高等学校 | 000 010 000 1 |
市原中央高等学校 | 111 002 01✖️ 6 |
行けなかった。残念であるが、仕方ない。朝バスの中で挨拶した応援団・チアの生徒たち、吹奏楽部の生徒たち、本当にありがとう。今日は湿気が多くて大変だったろう。こんな曇天の高温多湿の状態は熱中症になりやすい。動いている選手たちより、スタンドの応援団の方が、その苦しみは多いのかもしれない。友のために、中央高校のために、本当にありがとう。
私はどうやら「野球好きの校長」になっているようである。語学研修団の見送りに行くと、保護者の方が「野球、おめでとうございます」と口々に声をかけてくださる。「野球」=よく分からないけれど、みんなが一つになる瞬間を節のように持っているスポーツ?というところだろうか。何しろ若いエネルギーの爆発があるところ。そんなところに惹かれているのだと思う。プレーの経験はないが、一度部長を引き受けた経験がある。もう教頭職に就いていた頃のこと、事情あって選手の願いに首を縦に振った。朝早くから夜遅くまで練習をする熱心なチームだった。私は仕事柄早く出勤し、遅くまで電気をつけていた。何を勘違いしたか、主将と副主将がやってきて、「先生いつもありがとうございます。僕たちの練習に付き合ってくれて。感謝しています。お願いしてよかった」と慇懃にお礼の口上を述べ、栄養ドリンクを差し入れてくれたことがあった。後ろめたいような、嬉しいような。
夢中になっている物を持っている若者の姿は、やはりいい。
試合が終わって、自主練習をしている本校の野球部の近くを通った。後片付けを一生懸命している部員たちのそばを通った。手を休め、私の方をしっかり見つめて「こんにちは」と挨拶する。当たり前といえば当たり前なのだが、素晴らしい姿だと思う。
「見えてきたな、自分たちのリズム。登りきれるまで登りきれ。一歩ずつ」
大きな声で檄を飛ばしていた。彼らの情熱が心を高ぶらせているようである。
頑張れ!市原中央高等学校球児たち、頑張れ!アルプススタンドで声を枯らしている仲間たち。
心からエールを送る。
夏は人生のターニングポイント
7月19日(金) Vol.74 放送による校長講話
放送室から校長講話、以前にもやったことがあるが、なかなか話しづらいものである。相手の表情が見えないというのはこれはコミュニケーションにとって致命的なものなのかもしれない。ただ何かを伝達するだけでなく、伝えたい、思いをわかってほしいというものがあればあるほど。もっとゆっくりと時が流れている頃には、手紙の文面の行間を読むとか、電話の沈黙の時間から感情や心理を推測するとか、大切な営みが個人の中で行われていたのかもしれない。
長期の休業を迎えるにあたって、君たちに伝えたかったこと。高校生活の3年間は人生のターニングポイントとなる経験や思いが多くある。ぜひ豊かな、いい夏を送ってほしい。
放送室から中庭が見える。清掃を終えた3年生が外に出て何かお話をしている。目ざとく私に気づき、手を振ってくれた。手を振り返し、カメラを構えると、ハイ、ポーズ。ただこれだけのことだが、幸せな時空間なのである。そんな時や空間があるところ、それが市原中央高等学校。いいね
夏季休業前の放送講話 夏季休業中を迎えるにあたり、生徒諸君に一言お伝えしておくことがある。 先日、数名の生徒と話をする機会があった。 1人の生徒は、きっぱりと答えた。勉強です。 ある生徒は自信なさげに答えた。「それがないんです」 この夏は君たちにとって人生のターニングポイントである。ほんの少しの経験が、ほんの少しの振り返りが、大きな前進を生む絶好の機会である。 上質で豊かな夏を過ごしてほしいと思う。 |
豊かな会話だった
7月18日(木) ほぼ毎日校長 Vol.73 いろんな生徒と濃い話ができた
野球応援からとんぼ帰りのようにして学校に帰ってきた。しばらくすると外で声がする。『訪ねてきてくれたのか』と思い少し待っていたが入ってくる気配がないので、お迎えに行った。3人の女子生徒が遠慮がちに入ってきた。野球の応援に行かせてもらっていることへの感謝の言葉から、あの感動をぜひ全校で共有したいという思いを語っている。わがまま、自己中心的な空気は全くない。ただ自分たちの思いを聞いてほしいという体である。どこかわきまえのある「いい子」を伺わせる物言いである。3人とも。そんな姿勢を見ると、受け取る側は逆になんとかしてあげたいという気になってしまう。(「全く女の子に弱いんだから」我が女房殿の日頃の評価)素直な気持ちに素直な気持ちで応え、立場上の判断の難しさや葛藤について伝えた。伝えてよかった。本当に素直に受け入れてくれた。「ありがとうございます。お話ししてよかったです」とドアを出て行く背中に「生徒ファーストですよ、校長は」と声をかけた。振り向き笑みを浮かべて「はい」。その笑顔を見て、ものすごく大切な約束をしたような気がし、おまけにその心を読まれているように思えた。
1−8× Vs 磯辺高等学校
7月18日(木) ほぼ毎日校長 Vol.72 流れの掴み方がいい(らしい)
「アレェ、校長先生、行かないんですか?」声をかけてくれたのはチアの生徒たち。「今日はね、お客さんがあって残念だけれどね。先生の分まで応援してきてください」朝のバスの中での会話である。来客対応が終わってスマホを見ると、1−0で負けていた。5回の表の守備。今から駆けつければ、間に合うかもしれない。いそいそと出かけていった。球場に着くと駐車場がない。うろうろしながらやっとの思いで駐車し、球場内に入っていく。間違えて一塁側に・・・。「あっ、市原中央は3塁側ですよ」入場券もぎをしていた野球少年が教えてくれた。『なぜ知っているんだろう?』と一瞬戸惑ったが、頭の上の帽子であることがすぐわかった。すでに回が進み、1対6のリードに変わっている。「逆転してくれました」保護者会のお父さんが駆け寄って歓迎してくれる。お母さんは冷たい飲み物で・・・。遅れてきたのに、本当にありがとうございます。試合の全体像は分からないが、とにかく勝っている。勝った。
放課後清掃に来た吹奏楽の生徒が、「流れを『グッ』とと掴んで、一気なんです。ピッチャーもよかったんです」と投球の真似をして見せてくれた。「女子なのに野球のことよくわかるんだね」と褒めると「だって吹奏楽部ですから」(会話として成立していますよね)
すこーし焦点がずれたところで成立する彼女との会話。ちょっとお気に入りです。
磯辺高校 | 100 000 00 1 |
市原中央高校 | 000 013 22× 8 |
これやってみませんか? この指とーまれ!
7月17日(水) ほぼ毎日校長 Vol.71 考えるとはどういうことか?
語学研修の行程も無事進んでいるようである。体調を崩しているものはいないか?環境に馴染めず寂しい思いをしているものはいないか?などと心配したが、杞憂であったようである。16日の大学での様子がレポートされていた。明日から姉妹校に行く。プレゼンテーションの総仕上げのようである。緊張せずにうまく表現できるといいな。これもきっと杞憂なのだろう。
ここのところ何かと話題を呼んでいる「哲学対話」。地域や学校での実践が盛んに行われている。仕掛け人は、梶谷真司(かじたに・しんじ)氏。「問う、考える、語る、聞く」ための方法を、実践しているうちに身に着ける。自然に体内に入ってくる。正解を求めて⭕️や❌で評価する。正解があってそれに繋がる理解を求める。そうした学びの過程も大切であることは確かなのだが、ここで培われる力は「考えること」なのである。それが哲学対話。SLPやBLPなど、協働で養うリーダーシップを少し推進してきたので、この試みには大いに興味がある。実践している高校の哲学対話に、昨日参加する機会があった。
この日は考査の午後ということもあって、自由参加になっている部屋に訪れる生徒は少なかった。それでも10名ほどの生徒の参加がある。自主的に、それも考査の午後に集まってくる。彼らにとってここはすでに「居場所」なのである。始まった、今日のお題は「ドラえもんはのび太の役に立っているか」である。話は自由に八方に飛ぶ。ルールに従って話が展開していく。「人間とロボット」「ロボットの開発理由と意味」「人間ってなに?他の動物とどう違う?」などなど、本当に自由である。ファシリテーター役の東大の院生が時々軌道修正しながら、あっという間に1時間がすぎていくのである。生徒たちは学ぶ(studying)のではなく、学ん(learning)でいる。知らなかった発想に、世界に、自分を変容させている。結論はない。むしろ混沌とした「分からなくなった」という状態に陥っていくのである。とにかく面白い、夢中になる世界である。
参加しているうちに、その学びが、本校の校長室を訪れた生徒との会話の世界と同じであることに気づいた。内容こそ異れ、見方によっては、本校でがより上質なものが展開されている。そこで気の早い校長は考えた。「これ、本校でやりませんか?」である。「いつでもどうぞ」でも敷居は高いかもしれない。放課後やっている学習活動の一コマに入れてみればどうだろう。
生徒の皆さん、学年を問いません。やってみようかな?という人「この指とーまれ!」
時間設定は指に止まった人と一緒に考えましょう(この夏休みからでも、休み明けからでも)
担当(ファシリテーター風)は、校長
場所は校長室 でいかがでしょう。ご質問は校長まで、どうぞ遠慮なく。
これができる高校生はそうはいない 市原中央高校はすごい
7月16日(火) ほの毎日校長 Vol.70 いきなりマシュマロチャレンジですか
「 英語コース海外語学研修2019」の様子が、英語コースHPで報告されている。大学(ACU)での研修にいよいよ突入。ホストファミリーたちと和やかな時も過ごしているようだ。
大学では、研修の前のアイスブレイクに「マシュマロチャレンジ」をやったと報告があった。ちょっと面白いゲームである。ある大学のSLP(StudentLeadershipProgram)や先輩との交流授業で、私が使った反転授業用のビデオを使って紹介してみることにする。同じ母語を持つ者同士でもなかなか難しい意思疎通(コミュニケーション)と、協働作業で展開していく。私が行ったのは、串の代わりにスパゲッティ。さらに難易度が高かったかもしれないが、反転授業ビデオと写真を見ると、どれほど会話力が必要かがわかっていただけると思う。
しかし、外国の大学に行ってこれがすぐできる高校生はそんなにいない。本校の英語コース(来年度からはグローバルリーダーコース)のレベルの高さがこれだけでもわかる。
すごいね、市原中央高等学校!
反転授業とは、「新たな学習内容を、通常は自宅でビデオ授業を視聴して予習し、教室では講義は行わず、逆に従来であれば宿題とされていた課題について、教師が個々の生徒に合わせた指導を与えたり、生徒が他の生徒と協働しながら取り組む形態の授業」(ウィキペディア・Wikipediaから)
この試みでは、上のゲームルールをあらかじめビデオ視聴により、自分で理解しておいて、当日はすぐにチームで協働作業を始めています。
支え、支えられている喜び
7月15日(月・祝) ほぼ毎日校長 Vol.69 中庭で、昇降口で
野球大会の初戦を2日後に控えた10日、昼休みに野球部と応援団の生徒が中庭に集まって、応援の披露をし、日頃の支援へのお礼と今回の応援のお願いをしていた。もうすでに応援の中心になっている野球部員の声は枯れ始めている。数日前から体育館ステージで放課後振り付けを練習していたチアの諸君の動きも徐々に揃ってきた。昼食を終えた生徒たちがベランダから顔を出し、挨拶の言葉に拍手を送っていた。ガラス張りのテラスでの円卓で昼食を摂っていた女子生徒たちは、箸を持ったままその光景を眺めている。「大きな音で、落ち着いて昼食摂れなかったね」と声をかけると、「魅入ってしまいました」「夢中なんですね」と仲間たちの熱い想いを感じ取っているようだった。
次の試合は
対 県立磯辺高等学校
7月16日(火) ゼットエー球場 第一試合 9:00から
語学コース 海外研修無事 現地到着
7月14日(日) ほぼ毎日校長 Vol.68 大変だったねぇ
2019年度英語コース2年生の語学研修が無事スタートした。現地に到着した団長の教諭から8時20分に全員元気でスタートを切ったと連絡が入った。よかった。一昨日、出発ロビーで「行ってらっしゃい」と見送った後、予想しなかったトラブル発生。飛行機が不具合が見つかってフライトができないという。長い時間待たされた結果、その日の出発は無理ということになって1日ホテル泊。翌日(13日)に同じ便で出発ということになった。
再出発の日、出発ロビーに行ってみると長蛇の列に生徒たちが並んでいた。荷物預かりに時間がかかっているようだ。心配して駆けつけてくれていた一年の担当教員が私を見つけ、「まだ、だいぶかかりそうです」と気の毒そうに声をかけてくれた。生徒たちに会えたのは、それから2時間後。列に並び始めて2時間半以上は経っている。受付を済ませた生徒たちに、「大変だったね。」と語りかけると、ひとりの生徒が、「それはそれで楽しかったです」と返してくれた。ポジティブな考えに周囲が賛同している。今ある姿や目の前の状況を捉え返して前向きに考える。そう簡単にできることではない。
また一つ本校の生徒たちの素晴らしさを感じ取ることができた。いいね!
密度の濃い、いい経験たくさんしておいで。
11−5 Vs 木更津高等学校 part3
7月13日(土) ほぼ毎日校長 Vol.67 外伝(気になっていた生徒)
一人の選手のことが気がかりだった。誠実な目をした彼は、しっかりと相手を見つめて話を聞くことができる。その視線と目の輝きをみているだけで彼自身の野球への取り組みの真摯さ、いや大きくは「生きる」ことへのまっすぐな姿勢を感得できる。好青年である。最後の試合『彼が報われる結果がでてほしい』と思っていた。彼のことである。たとえ自身にその結果が訪れなくても、チームのため仲間のために全力を尽くせるだろうとは信じていた。大会の少し前に練習試合で指を骨折した。痛い怪我である。肉体的にも精神的にも。察するに辛かった。
対戦相手も決まった大会直前、挨拶に部屋を訪れた。先に書いたことを聞きづらかった。「とにかく全員野球で頑張ろう。一試合でも多く。決勝で兄弟校と対戦しよう」と声をかけておいた。「ハイ、ありがとうございます。応援お願いします」と応えたのち、しばらくして彼の方から「先生、僕はスコアラーとしてベンチに入れていただけます」と報告してくれた。「よかった」と心から思い、忘れられない教え子のことを語った。「私はその子のことが大好きた。誇りに思う。同じような教え子がまた一人増えたな」と締めくくった。彼と一緒に来ていた生徒の目に涙が浮かんでいた。頑張っても頑張っても結果として報われない者もいる。腐らず、焦らず、諦めず。現実をしっかりと受け止め前に進もうとする。そんな努力の人の存在がわかっているから、その辛さも背負いながら試合に臨める生徒たちである。
人の痛みをわかる青年たち、その存在をリスペクトできる彼らは強い。力の限りを尽くしてほしい。それが自分自身への正直な姿である。
今大会初戦の応援をしていて、ベンチを乗り出すようにしている彼の背中を見た。アルプススタンドで背番号のないユニフォームに身を包み、声の限りに応援する者たちの姿に間近で触れた。強くたくましく育っている。市原中央高校生、誇りです。
11−5 Vs木更津高等学校 part2
7月13日(土) ほぼ毎日校長 Vol.66 いかん、ここは敵応援団の真ん中だ
試合全般は、安定しているとは言い難かったが、安心してみていることができた。彼らの壮行会で例のごとく「信」の話をした。野球ほど「信」を感じさせてくれるスポーツはない。チームプレーのスポーツの多くは同じことが言えるのだが、とにかくプレーの一つ一つに「信」を見ることができた。マウンドにいるピッチャーは殊の外そうだったと思う。全員野球ができている。いいチームだ。途中危惧していたことが起こった。木更津高校の底力が少し見えてきた。「くるぞ!」と思っていたダブルスチール。上手かった。わかっていても塞ぎようのないほどのうまさを見せつけられた。一回表の3点があったものの、このまま・・・とも思ったのだが、このチームの凄さはその流れを断ち切ったところにある。流れを引き寄せる、流れを掴む、流れに乗る、流れを断ち切る。簡単にいうが、どれも難しい。それをきっちりとできていたように思う。本当にいい試合を見せていただいた。
背番号3の守備が光っていた(いるように見えた)。時折送球が乱れる仲間のボールを、懸命に体を伸ばしてキャッチする。一塁側のアルプススタンドからはネットが邪魔になって撮影が難しい。思い切って3塁側に行くことにした。雨を避けることができそなところは、もうみんな埋まっている。試合も大詰め、相手チームも気力に満ちたプレーをしている。7回以降の0−0の均衡がどちらも破れない。ファインダーを覗きながら、選手たちの検討に思わず声を出していた。ファインダーから目を離し、カメラを降ろした時に、視線を感じた。「いかん、ここは敵陣だ」と目深に帽子を下げようとして、気づいた。今日被っている帽子は、応援用に保護者の方らいただいた「C」マークの野球帽だった。