2020年4月の記事一覧

晴れ 千葉大医学部現役合格(悪いことばかりじゃない?Part3)

4月24日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.167 すごいことなのです・ⅠCHの力

 このニュースが飛び込んできたのは、もう1ヶ月半以上も前のこと。コロナウイルス 騒ぎの中で、卒業式等の学校行事をどうしようかと悩んでいた時のことである。ある先生が「いいニュースです。すごいです」と言って、本当に頬を紅潮させながら、興奮気味に教えてくれた。昨年の一橋大学2名の現役合格も凄かったが、それに続き快挙である。よく頑張ったと思う。おめでとう。いつの日か後輩の在校生たちに披露したいと思いながら、機会を失っていた『コロナめっ!』
 3.11の時もそうだった。外的要因で我にもあらず通常の学習機会を失ってしまった時、現実をしっかりと見つめ、今ある不運を悔やんだり、恨んだりしても仕方がない。今ある現実の中で、何ができるか、目標達成に向けて何をするかを考え、実行出来た者、瞬間(とき)を懸命に生きた者は強い。

 「悪いことばかりじゃない」そんなふうに捉えることができない「今」だから、できることを見つけてみよう。君たちならできる。

晴れ 悪いことばかりじゃない?Part2

4月23日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.166 そんな風に捉えることができないいまだけど

 人間のもつ大切な力の発現、そんな内容のことを書いていて、どこからともなく聞こえてくる「すき焼きソング(上を向いて歩こう)」に記憶が刺激された。
 演出家の宮本亞門がさんリーダーとなって「上を向いて〜SING FOR HOPE プロジェクト」、新型コロナウイルスと闘っている方、医療従事者の方に希望を届ける取り組みを行なっていることを知っている人も多いだろう。自分が闘病生活に苦しんでいるとき、歌が元気付けてくれた。頑張っている人々、苦しんでいる人々へのエール。自分たちにできることは何かないか。そう考えたときに坂本九さんの「上を向いて歩こう」をみんなで歌い続けようじゃないかと考えた。実行した。
 この歌にはちょっと思い出がある。もう10年以上も前に勤務した学校の校歌が、中村八大の作曲だった。もうお亡くなりになったが、親しくしていただいていた北総にある大きな総合病院の院長さんが、病気で入院している子どもたちの院内学級開級式でお聞きになって「いい校歌ですね。包み込むような、心が洗われるような。いいですね。子どもたちが頑張ろうって気になります。」と褒めてくださったのをよく覚えている。「中村八大さんの作曲です」とお伝えしたところ、「どおりで」と納得し、深くうなづいておられた。
 3.11東日本大震災の時も、阪神淡路大震災の時も、被災した人々、応援する人々、見守る人々、誰も誰もがこの歌に元気づけられた。先日、NHKの番組で、取り上げていた。古く南米に移住した日本人たちがアイデンティティを感じた歌。永六輔作詞の歌詞には主語がない。誰でもその歌の中に「主」として入り込み、苦境や苦難の中にあって「上を向いて歩こう」と語れる歌、口ずさめる歌。すごい歌だと思う。

 「いま」という瞬間(とき)を駆け抜けている君、立ち止まって口ずさんでみませんか?『悪いことばかりじゃない?』そんな風に捉えることができないいまだけど。

晴れ 悪いことばかりじゃない?

4月22日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.165 そんな風には捉えることができない「いま」だけど

朝、部屋に入りコンピュータの電源を立ち上げて、GoogleChromeを開くと、お気に入りのトラック諸島のグランブルーの隅に、小さく「家にいよう。みんなのために」とメッセージがあった。Googleからの新型コロナウイルス感染拡大防止に貢献しようというメッセージだ。時々こんな粋な?ことをやる。「そだねー」(何年か前の流行語大賞)と肯定的にメッセージを受け止めながら、心が少しほっこりした。
 報道では深刻な状況が常に流され、自粛で身を守ろうという呼びかけが多く流される。その影で起こるDV問題や医療崩壊、精神的に不安定になる子どもたちの増加。ウイルスの猛威は、社会のあり方、人間のあり方そのものへの大きな問いかけとしてある。そんな中、アスリートたちが、リレーでメッセージを贈り始めた。ロックダウン下にあるイギリスの街では、毎週木曜日の20時にNHS(国民保健サービス)を励ますために、人々が拍手をする。一斉に。人には力がある、自然の猛威の前には弱いかもしれないが、大きく強くなる力があることを表明し始めた。大切にすべきものは何かを確認するように。
 いつまで続くかわからないこの状況はとても不安である。それでも私たちは生きているし、今日のこの瞬間(とき)は今しかない。手を取り合い強く生きよう。
 いま自分にできることは何があるだろう。考えてみるだけでも価値がある。自分には何もないと気づいた君、いい気付きですよ。角度を変えてもう一度自分を見つめてみませんか。Googleのメッセージはいいヒントかも。

お知らせ つながりが「分からない」を「分かる」に変える

4月16日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.164 ICH風オンライン授業
 臨時休校中の家庭学習支援。本校では有名な教育事業として展開するWeb授業の活用だけでなく、もっと血の通った「つながり」による指導が行われている。
「面白い取り組みですよ」と数学科の一人の教員がTwitterの画面を見せてくれた。
教員A「○○君からの質問です。複素数を用いて円を表すとき、直径の2点α、βを定めて・・・変形した①②の式が何を表しているかもピンときません」
教員B「αーzの正負のところですが、複素数なので・・・」
教員C「②は①と同じですが②の方が・・・」
教員A「なるほど、説明の方は私が・・・」
教員C「よろしくお願いいたします。後半も・・・」

ある生徒からのメールによる質問を巡って、教員のSNSコミュニティが活発に動いている。この生徒がしている質問からすると、ここがつまづきとして考えられる。克服するにはこの角度から説明するのがいいのではないか、あの角度からアプローチするにがわかりやすくはないかと意見を出し合うのである。導かれた結論の中で、その生徒の理解に最適と思われる解説を、メール受信した教員が当該生徒に送る。
なんて素晴らしい「つながり」なんだろう。生徒と教員とのメールは、「Webでお知らせメール」(本校の独自のメールアドレス)で行われるため、外部に漏れる心配はない。コミュニティに参加しているのは本校の数学科の教員のみ。一人の生徒の「分からない」に大勢の教員がコミュニティでワイワイ、ガヤガヤ。ツイートの時間を見ると、約1時間の間に様々なやりとりがあり、生徒に返信がなされているようである。質問の対象は、共通して渡されている副教材上の問題。
学校にこれない生徒の家庭学習支援。つながりが途切れることを憂慮した教員が差し伸べた手に、生徒がしっかりと握り返してきている。握り返した手は一人で掴まない。コミュニティに参加する教員みんなの暖かい手が包み込んでいる。すごいな。この取り組みがもう少し進んで、他の生徒への公開がなされると、もっと広がりを見せるだろう。いいなぁ。
生徒は自宅学習、教員は在宅勤務。こんなときだからこそ、こんなつながりの暖かみが嬉しい。市原中央高等学校、いいね!

お祝い まだ見ぬ君たちへ(新入生に寄せる)

4月15日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.163 入学式がなくて残念なのだが
コロナウイルスの猛威のおかげで、入学式ができなくなった。少し無理をしてでも・・・と考えたが、ほぼ全員がスクールバスを活用する本校では、クラスター感染が心配である。なんとも言えない残念な気持ちを持ちながら、同じぐらい強く「早く会いたい」とも思う。「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」

まだ見ぬ君たちへ(荷物に同封したメッセージ)
古来、日本人は「みる」を大切にした。「見えぬもの」を恐れ、敬う。神々と人の境にも「見るな」(タブー)を設けた。それほどに視覚は重要な意味を持っていたようだ。いま人類は「見えぬ敵」と戦っている。侮ってはいけない。厳しい戦いになるだろう。こうした戦いは今後も増えるだろう。その社会の担い手となる若者たちが本校に入学してきた。頼もしく、嬉しい。早くその姿が見たいと心から思う。お互い我慢の時だ。頑張ろう。   校長 日髙 学

お祝い 言い忘れがなかっただろうか

4月14日(火) ほぼ毎日・校長 卒業おめでとう

机上の電話が鳴り、受話器を取ると「ぜひ校長先生とお話がという保護者の方が・・・」副校長先生が少し困惑した声で事情を伝えてきた。長く電話でご説明し、納得いただけているのだが、最後にぜひ校長先生と話をしたい。替わると、開口一番「やっと出てくれた、校長先生。やってやくださいよ卒業式。規模縮小でもいい、みんなと会う機会をあげてくださいよ。教頭先生も、副校長先生も『やる方向で検討中』、そんなんじゃ終われない。先生から一言『安心してください。必ず』と聞きたい」心を絞るような声でお父さんが語りかけてきた。私の回答に「本当だね。絶対ですよ。でないと、子供が不憫で・・・。その友達も今みんな来ている。お父さん学校に電話して・・・って言っている。いいですね、校長先生が約束してくれたって伝えていいですね」
もう1月以上も前の話だが、お父さんの声も、話の内容も、感情もみんな覚えている。心からありがたいなぁと思った。3月18日、卒業証書授与式を挙行した。コロナ騒ぎで縮小した挙行だったが、よかった。

 春風駘蕩、梅花馥郁と薫るこのよき日に・・・通常卒業式の式辞の冒頭はこれで始めることにしている。今年は違う。猛威を振るうウィルスのおかげで、季節がひとつずれたような時期に、君たちとの別れをする。「ふつうでない」と感じる者も多いだろう。「異常」「想定外」などという言葉を当てはめてみたら、ぴったりする感覚を感じるものも多いだろう。しかし、我々が、いや君たちがいきるこの時代に、「異常でない」「想定内である」はどこにあるだろう。触れるものすべてが「思いもよらなかった」というものばかりが蔓延、氾濫する時代である。式辞では普通、グローバル化、情報化が進み、狭くなった地球の、激流のように流れる時の流れの中で・・・と続けるのだが、そういう時代であるからこそ、大切になることを語っておきたいとおもう。今日はひとつ予想だにしない式辞で君たちのはなむけの言葉としたいと思う。
私におおきな影響を与えた青年の話である。もう10年も以上も前の話。病院に隣接する学校に勤務していた。着任して日も浅い4月初め。今日のような春の日である。陽が当たる病院から学校に続く渡り廊下を、電動車いすでゆっくりと渡ってくる青年がいる。あの時の彼は、今の君たちと同じくらいの17・8歳。傍まで来て「新しくお見えになった校長先生ですか?」と語りかけてくれた。名前を「KAI」(たしか「海」とかいて「かい」)君という。笑顔のすがすがしい青年である。久しぶりにみたような気がした、澄んだ目の持ち主である。生徒会長である。しばらく話をして病棟に帰っていった。
はじめて会話を交わした生徒だったので、印象深かった。毎日病棟からやってきて、お昼は病棟に帰って昼食。午後やってきて授業が終わるとまた病棟に帰っていく。昼休み彼が帰っていく姿を何度となく見ているうちに、あることに気づいた。彼は必ずわたり廊下の、同じ個所で車いすを止めて、中庭の一角を眺めて帰っていく。ほんの数秒のことだったに違いない。私には10秒にも20秒にも、それ以上に長く感じた。彼の視線の先には、今を盛りと咲いている菜の花があった。
彼の中にそんな思いがあったのかどうか確かめたことはない。この話をするたびに、自分のなかで増幅されたストーリーであるだけのような気になってくる。「花を見つめることの意味」を私は感じ取った。彼は、筋線維の破壊・変性(筋壊死)と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患筋ジストロフィーという病に支配されている。そのことを知った時に「菜の花を見つめることの意味」を私は付加したのだろう。彼にとって毎年訪れる「春」、菜の花をめでることは、「筋萎縮と筋力低下の進行」を確認すること。「昨年まで腕は動いていたのに、今年は指先しか動かない」を知ること。病棟に「ただいま!」と言って帰り、同室の仲間と話をする。それは、数年後の自分の姿を見ること。
私は「ちがう」と思った。私のような年老いたものが、春の桜花を見るたびに、「あと何回この桜をみられるのだろう」と考えたり「あの頃のわたしは」とよみがえる思い出に浸るのは世の常である。それはいい。しかし、17・8の青年がそれを感じてはいけない。それが「ちがう」なのである。それまでここに集っている君たちと同じように、今を懸命に生きている元気溌剌生徒と接していた自分が、気づかなかったことを彼は教えてくれた。どんな者も自らの「生」と向き合いながら生きているんだという、大切なことを彼は教えてくれた。吉野弘の詩「I was born」。確かに誕生は生まれる者の意志は介在しないが、自らの「生」として強く生きること。君たちの「生」に託されるさまざまな思いを受け止めながら・・・
「命」を大切にしてほしい。他者のも己のも。「ふつうでない」が蔓延する時代だからこそ。それをつたえて、私の式辞、君たちの門出のはなむけとしたい。
さあ、35期生の諸君、いよいよお別れの時です。この学校での3年間を糧に、いい人生を歩んでください。君たちの将来が幸多からんことを心より祈ります。
卒業、おめでとう
令和二年三月一八日
   君津学園 市原中央高等学校長 日高 学