笑う これやってみませんか? この指とーまれ!

7月17日(水) ほぼ毎日校長 Vol.71 考えるとはどういうことか?

 語学研修の行程も無事進んでいるようである。体調を崩しているものはいないか?環境に馴染めず寂しい思いをしているものはいないか?などと心配したが、杞憂であったようである。16日の大学での様子がレポートされていた。明日から姉妹校に行く。プレゼンテーションの総仕上げのようである。緊張せずにうまく表現できるといいな。これもきっと杞憂なのだろう。

 ここのところ何かと話題を呼んでいる「哲学対話」。地域や学校での実践が盛んに行われている。仕掛け人は、梶谷真司(かじたに・しんじ)氏。「問う、考える、語る、聞く」ための方法を、実践しているうちに身に着ける。自然に体内に入ってくる。正解を求めて⭕️や❌で評価する。正解があってそれに繋がる理解を求める。そうした学びの過程も大切であることは確かなのだが、ここで培われる力は「考えること」なのである。それが哲学対話。SLPやBLPなど、協働で養うリーダーシップを少し推進してきたので、この試みには大いに興味がある。実践している高校の哲学対話に、昨日参加する機会があった。
 この日は考査の午後ということもあって、自由参加になっている部屋に訪れる生徒は少なかった。それでも10名ほどの生徒の参加がある。自主的に、それも考査の午後に集まってくる。彼らにとってここはすでに「居場所」なのである。始まった、今日のお題は「ドラえもんはのび太の役に立っているか」である。話は自由に八方に飛ぶ。ルールに従って話が展開していく。「人間とロボット」「ロボットの開発理由と意味」「人間ってなに?他の動物とどう違う?」などなど、本当に自由である。ファシリテーター役の東大の院生が時々軌道修正しながら、あっという間に1時間がすぎていくのである。生徒たちは学ぶ(studying)のではなく、学ん(learning)でいる。知らなかった発想に、世界に、自分を変容させている。結論はない。むしろ混沌とした「分からなくなった」という状態に陥っていくのである。とにかく面白い、夢中になる世界である。
 参加しているうちに、その学びが、本校の校長室を訪れた生徒との会話の世界と同じであることに気づいた。内容こそ異れ、見方によっては、本校でがより上質なものが展開されている。そこで気の早い校長は考えた。「これ、本校でやりませんか?」である。「いつでもどうぞ」でも敷居は高いかもしれない。放課後やっている学習活動の一コマに入れてみればどうだろう。

 生徒の皆さん、学年を問いません。やってみようかな?という人「この指とーまれ!」
 時間設定は指に止まった人と一緒に考えましょう(この夏休みからでも、休み明けからでも)
 担当(ファシリテーター風)は、校長
 場所は校長室     でいかがでしょう。ご質問は校長まで、どうぞ遠慮なく。


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