校長室から

お知らせ 感謝の一言です

満員御礼 ありがとうございました

市原中央高等学校芸術コース音楽専攻定期演奏会にお越しいただき、誠にありがとうございます。生徒たちは、今年もこの市原市文化会館でみなさまにお会いできますことを、心より楽しみに練習に励んでまいりました。
 初めての演奏会を開いてから、早いもので三十余年の歳月が流れます。そして残念なことではありますが、今回を持って最後の開催となります。刻まれた歩(あゆみ)は、その時々に悩みや課題はあったと思いますが、優秀な講師陣の生徒一人ひとりに応じたご指導により、生徒たちが熱意を結集して乗り越えた歴史です。これも保護者の皆様の深いご理解とご協力を始め、卒業生や毎年の演奏会を楽しみにしてくださる地域の方々のご支援の賜物と衷心より御礼申し上げます。
 これほど「琴線」というものの存在を感じさせる催し物はないと思っています。今日、この会場で演奏を披露する生徒諸君の音が上質なだけではありません。奏でる音は、毎日の生徒たちの営み、努力、そしてそれを支える周囲の情熱そのものと結びついて心に響くからです。今日この日に、この舞台に立つ生徒たちの「汗と喜びと涙のシンフォニー」なのです。
  生徒の皆さん、今日のこの時間と空間が設けられることに感謝し、聴く者の心を大いに刺激してください。今日は君たちの最後の演奏会のために、たくさんの先輩も駆けつけてくださいました。ご来場の皆様、生徒たちの奏でる音にきっと感動していただけけることでしょう。ぜひ彼らの熱く輝く「瞬間」(とき)の連なりに、喝采をお願いします。

お知らせ 素敵なプレゼントが届いた

市の集まりで偶然知り合った卒業生の茜さんが学校を訪ねてくれた。来月の12日に開かれるFINAL CONCERTのフライヤーを持ってきてくれたのだ。芸術コースが募集停止になって、1987年来続けてきたコンサートも今回が最後になる。「先生、私力一杯応援する」芸術コース(美術)を卒業してデザイナーをしている彼女のエールである。本当に嬉しかった。11月12日は満員御礼間違いなし。皆さんも時間を作って感涙を流しにきませんか?

お知らせ SDGsゲームにチャレンジ

第一学年の生徒の皆さんへ
昨日の総合的な探究の時間で紹介したように、SDGs学習ゲーム『Get The Point」の体験希望者を募ります。わかっているようでわからない「持続可能性」ということが、楽しみながら「自分ごと化」できるゲームです。ぜひ体験してみませんか?
応募 このアンケートに「希望する」と回答してください。
と呼びかけたところ、希望者はなんと「0」。確かに放課後自分の時間を割いて、SDGsについて理解を深めると考えると、希望はないのかもしれない。でも残念だったなぁ。学年でクラスルーム長を中心に再度呼びかけてもらうと、21名が集まった。4人一組のゲームなので、足りないところは、先生方に入ってもらって、市役所の方のファシリテーションで進めてみると、これがなかなか楽しい。
『Get The Point」社会人向けワークショップ参加者の感想
持続可能性に対する深い洞察を得ることができる
持続可能性の大事さが何よりもよくわかる
「持続可能って?」をシンプルに体感できる
教えられている感が全くなく、自然と気づいていく仕組み
(Get The Pointオフィシャルサイトから)
https://www.sdgsgtp.com/
とあるのが体感できた。生徒の感想にも、「協力して資源について考えることでm持続可能性が保てることがよくわかった」とあった。いい瞬間(とき)を過ごしたね。
Get The Point説明動画
https://www.youtube.com/watch?v=uMdJqfmCsd4

重要 総合的な探究の時間

市原市役所総合計画推進課&東洋スチレン(株)から講師を招いて
総合的な探究の時間は後期に入って「探究のための第一歩」を踏み出した。今日はその第一歩のために講師をお招きして、今が旬な市原市と東洋スチレン(株)のSDGsへの挑戦を語っていただいた。15分の講演と15分の講演の間に、Office365のTeamsを用いたチャット機能で生徒から質問を受け付ける仕掛けを作っておいた。正直質問や感想が出ないのではないかと不安だったのだが、出るは出るは、ものすごい数のコメントが寄せられていた。かなりハイレベルなハイスピードな講演であったにもかかわらず、すごい量には驚いた。さすが本校の生徒である。いい瞬間(とき)を過ごした。
講演に先立って紹介したGet The Point(SDGsを理解するためのカードゲーム)、10月14日(金)の放課後に行うので、参加希望の生徒は、この後にとるアンケートで応募してほしい。残念ながらカード数に限りがあるので先着20名となってしまう。結構楽しめるゲームで、行政(市役所)がこれを作ってしまったことに驚きを感じる。

お知らせ 校長講話(夏季休業前)

夏季休業を迎えるにあたって、市原中央高校生の「すごい」を話しておくことにしましょう。
安倍元首相の銃撃事件、ロシアのウクライナ侵攻と全世界規模の危機的食糧難、猛威を震い続ける新型コロナウイルス。今、二重三重に重なる人類の平和を脅かす事件や要因が私たちを取り巻いています。それらを遠い国の話、自分達とは無縁な出来事と感じてしまうことは、この上なく恐ろしいことです。
そうは感じないまでも、「人為」(自然の成行きのままでなく、人手が加わる、人のしわざ)に係る事柄に対する情報の取捨選択と、真偽の見定めは極めて大切になってきます。よく言われる「生きる力」(自ら考え、判断し、行動する力)が今ほど必要とされるときはありません。ある事象に対し流布されている情報は、正しいものなのでしょうか。一面的には正義であっても、他の面ではどう見えるのでしょうか。主張する者、伝達する者の都合によって歪められ、誇張されていることはないでしょうか。鵜呑みにすることは恐ろしいことです。立ち止まって、冷静に見つめてみることは大切なことです。
その意味で、本校生徒の素晴らしい一面を、7月になって3回も経験しました。いずれも男子生徒たちなのですが、校長室を訪れて「時間をとってほしい」と相談に来てくれたのです。もちろん具体的な内容に触れることは控えますが、彼らの相談内容は、「自分達にはこう知らされているが、学校としてはどういう方向性を見ているのか」といったことや、「如何ともし難いことだが自分達の思いを聞いてほしい」「企画を進めるにあたって、ある情報があったがそれについて意見を求めたい」といった内容であった。
いずれも先に述べた「生きる力」との関連で言えば、単一の情報に翻弄(ほんろう)されず、自らの判断のための情報収集をさらに進め、行動しようとする姿勢です。本校生徒が、こうした姿勢をしっかり持ってくれていることは、心から喜ぶべきことだと思っています。やはりすごいよ、市原中央高校生。
最後に、体調に気をつけて、いい夏を過ごしてください。これで校長講話を終えます。

重要 初夏の日差しの中で

5月10日(火)
今年の梅雨は早いのか?今週の半ばからは雨が続き、梅雨の走りとテレビの天気予報で告げていた。今日はそれを思わせない爽やかな晴れである。2階から1年生がゾロゾロ降りてきた。校内見学でもあるまいしと思っていると、中庭に出ていく。上履きが土で汚れない場所に陣取って、教師とクラスメイトが行う実験の見学である。フイルムキャップに人参のすりおろし+過酸化水素水の希薄液。キャップをするとやがて「ポン」という音とともに破裂する(キャップが飛び上がる)。ドヤドヤとするが、みんな口を押さえて声を出さない。中庭に面した教室では、3年生が真剣に授業に臨んでいる。いいなぁ。この気遣い。さすが市原中央高等学校の生徒である。

お知らせ シュークリームを美味しくいただいて

4月27日(水)
放課後の校舎をグルリと回ってみた。2階の階段の踊り場で、さっき見た光景が蘇った。数名の女子が、ガラスに向かってダンスを踊っている。あまりに楽しそうだったので、声をかけずに通り過ぎようとしたタイミングに曲が終わった。嫌な顔一つせず、「あぁ校長先生。みんなで動画撮っていたんです」「不用意にネット上にUPしないようにね」「はーい」。同じ2階を半周すると甘い香りが漂ってくる。ドアを少し開いて、1人の女子が「おいで、おいで」をしている。「先生、おひとつどうぞ」とびっきりのシュークリームをご馳走になった。クッキング同好会の皆さん。ご馳走様です。1階のキャリアセンターでは、コーディネーターに相談に乗ってもらっている男子生徒が2人。英語の学習法の相談に乗ってもらっているようだ。いずれもいい光景だね。

花丸 校内に活気が

4月22日(金) 新入生の活力

バスの見送りを終えて昇降口を歩いていると、日頃よく会話してくれる2人の生徒に出会った。仲が良いようで、いつも出会うときは2人のイメージが強い。同じ部活に入っている。「どう?新入生入った?」と声をかけると、明るく「6人入りました。経験者が3人」と嬉しそうに答えてくれた。「可愛がってあげてください」と声をかけてその場を後にした。行く先々で新しい部員たちの活気に満ちた姿が目に入る。『いいねぇ、こうでなくちゃ』と思いながら、新しくできたキャリアセンター(進路室)に向かうと、西陽の射す大きな窓に遮光カーテンをひき、机に向かう生徒たちの背中が見えた。3年生。目標達成に向けてまっしぐら。いい空間になってほしい。

お知らせ 3年ぶりの・・・

4月21日(木) 全校揃ってディズニーランド(春の遠足)
昨日春の遠足が行われた。コロナ禍において、この時期の遠足が行われるのは、3年ぶりである。雨が心配されたが、本校のバスが到着するころには止み、時折日差しの指す中、快適な1日を過ごすことができた。出発前の学校や、バスの中では全く素振りも見せなかった生徒たちが、打ち合わせが終わって解散(ランドに入場可)となった時点で、リュックやバッグからさまざまなカチューシャを取り出し、グループお揃いで蜘蛛の子を散らすように駆け出していた。コロナのためか、入場制限がなされていたのか、アトラクションの多くは待ち時間なし。長くても10分程度だった。

花丸 授業開始

新年度の授業が今日から始まった。一年生はまだ環境に慣れていなくって、疲れているだろうなぁ。と思って3階4階の教室まで階段を上がっていくと、夏の陽気にひと汗かいた。元気に挨拶を交わしてくれる生徒たちを見ていると、「疲れているかなぁ」は杞憂だった。校庭を見下ろすラウンジに、花が生けてある。心遣いが嬉しく思った。BYODの第一時間目。ガイダンスの中で「ピンチで写真を大きくしてみる」学びがあった。かつて撮ったオニイトマキエイの写真を使っていたら「PhotoByHidaka」を見て、1人の男子が「すげぇ、校長先生の写真だ。水中だ」と言ってくれるのが聞こえた。「Hidaka」=校長であることを知っているだけでも感動である。内心「そうなんだよ」とちょっと鼻を高くしていた。肯定してもらえるって嬉しいのは、生徒も教員も同じだね。今日は、君の一言に感謝。

お知らせ ガイダンスの挨拶

偶然に出会った3人の日本の若者たち。館山、西表、Majuro(マーシャル)で同じ夢を追いかけていた。海藻牧場を作るんだ。海藻は人類を救う。20数年前に出会った若者たちを「探求」に突き動かしたのは「興味・関心」。好きや惹かれるを超えた、「衝動」を伴った「興味・関心」。彼らの追い求めていたものは、今、南カリフォルニア大学の一大プロジェクトとなって花開いた。「衝動」は残念ながらチョーク&トークの授業では生まれない。生まれrづらい。協働、コミュニティの中に生まれる。本校の学びの面白さははそこにある。新たな学びの世界にワクワクするだろう。
志望進路を掴み取るために費やせる時間はあまりにも少ない。卒業までに5000時間ほどしかない。市原中央高等学校では、駿台の現役講師を招聘して、校内で予備校の授業が受けられる環境を整えた。ぜひ活用してほしい

お祝い はじまり

令和4年度が始まった。昨日は40期生を迎える入学式を盛大に挙行した。コロナ禍もあって縮小の挙行であったが、それを思わせない厳かな式典が行えたと感謝している。満開の桜花がそれこそ華を添え、一層艶やかな華やかさを醸し出してくれていた。式を終えて部屋に帰ろうとすると、1人の保護者が声を掛けてくださった。目を見て彼女のお母様だとすぐに分かった。第一志望を貫き通して、見事勝ち取った「やり抜きました」と言った彼女の自己評価は正しかった。すごいな。今度は下のお子様が入学していただけたのだという。嬉しい限りである。
今日、駐車場では満開の桜の花のもと、数名の女子生徒がはしゃいでいた。後ろ姿の写真を撮影させてもらった。絵になていた。中の1人が「先生、先日、もっと満開の頃、委員会の人に撮影してもらったんです。モデル」と言ってワンショットをスマホで見せてくれた。なるほど、うまい。プロ顔負けである。何気ないこんなやりとりで始まった新しい年度、良い年度になりそうだ。

お知らせ 感染拡大防止の陥穽(Web講話)

感染拡大防止の陥穽

基本中の基本であると同時に、これ以外の効果的な対策はない。

三密を避ける  ・・・ 空気感染かも
マスク着用   ・・・ マスク越しに感染
手洗い、手指消毒の励行
黙食      ・・・ 対面でなくとも

県下の多くの高校で、臨時休校や学年、学級閉鎖、時差登校などなどを採らなければならないほどの中で、本校の生徒諸君はよくやってくれていると高く評価する。

一方で残念な情報も入ってくる。
急激な感染拡大の要因にもなっているのではないかと思っている人間の「油断」である。
今まで経験したこともない急激な感染拡大のスピード。
言うまでもなく、現在の感染の90%近くを占めているオミクロン株の特徴に原因がある。
しかし、第5波の時には聞くことのなかった「油断」が聞こえてくる。
一例を挙げてみることにしよう。
過日、某高等学校の教頭先生から電話が入り、コロナ罹患(陽性)生徒が出た。
行動をたどると、中学校時代の友人である本校在学中の生徒と共にカラオケに行って時を過ごしていたという。心配で電話したとのことであった。
この事例、あまりにも軽く見ていると思いませんか、我々の置かれている窮状を。
我々市原中央高等学校が置かれている、千葉県民が置かれている、大きくは人類が置かれている状況を、あまりにも軽く見ていると思いませんか?
おそらくは、第5波のもたらした閉塞からの軽率な解放感、馴れからくる自分は大丈夫だという過度な自信、合わせて自分だけよければという醜いエゴなど、人のもつ脆弱な心が、先のオミクロン株の特徴に拍車をかけていないだろうかと思うのです。
自由に過ごすことを閉ざせとは言いません。いま述べたような人のもつ弱みを少し自制する気持ちを持ってもらいたい。

以前にもお願いしました
生徒諸君、どうか助けてください
この窮状から君たちを含む皆を救うのは君たちしかいません
自分を周りの人を、大切な人々を、愛するものを、救うのは君たちの力しかないのです

右 去年今年・・・

校長講話

前回の校長講話で「探究する心」という話をしたのを覚えているでしょうか。1年のうちに出会った3人の若者(海藻にエネルギーの将来を求める学生たち)を例に取り、興味・関心があることを探究に結びつけるには、「強い衝撃」が必要だと言った話です。漫然と生きていたのでは、それは得られない。常にその衝撃が、いつ訪れようとも感受できる研ぎ澄まされた感性を持ち続けるくらいの緊張が必要だと言った内容でした。
 今日は、生徒会の皆さんからいただいたお題が「3年生への激励の言葉」(=1・2年生への新たな年に向かう決意に結びつく言葉)ですから、見つかった興味・関心に基づく「探究心」を継続するための姿勢というか、生き方の話をしようと思っています。卒業する生徒たちが部屋にやってきて「何か一言をください」と言われた時、私はお気に入りの別役実の名言「人間は、何か一生懸命やり通さなくちゃいけないのさ」を書くことにしています。それに通じるような話です。
去年今年貫く棒のごときもの
これは明治から昭和にかけて活躍した俳人、高浜虚子(たかはま きょし)の句です。この句と先に述べた「(探究の)継続」との関係を語るには、少し彼の文学人生に触れておかなければなりません。彼の文学の道は平坦なものではありませんでした。四国松山から俳句の師「正岡子規」を慕って上京した虚子は、同郷の川東壁梧桐らと共に俳句革新運動に身を投じていきます。正岡子規の没後の俳壇牽引継承者への誘いを断った虚子は、正岡子規の死後、碧梧桐と袂を分かち、しばらく小説の世界に入っていくのですが、自由律の俳句を良しとして進んでいく碧梧桐と日本の俳壇を憂い、再び俳句を読むようになります。「春風や闘志抱きて丘に立つ」はその頃の虚子の心境を詠んだ句です。強い衝撃を受けて「探究」に進む瞬間です。それは「闘志」ほどの強さを持ったものでした。こうした強い衝撃により、(闘志を持って)一生懸命やり通す(継続する)ことを貫いてきた人、虚子の晩年(76歳)の時の句ですから、意味としては
「何の変哲もない棒のようなもの、それが去年と今年を貫いている」
ということでおおよその間違いはないと考えます。碧梧桐の自由律俳句を一線を画し、伝統的な俳句を推し進め牽引してきた俳壇に、前衛俳句という新しい波が押し寄せてきたころでもありました。私はこの句に詠まれている「棒」は、自分の中にある「信念」「闘志」のようなものだと考えて良いと思っています。「去年から今年へと年は変わり、周囲の状況がどんなに変わろうとも、自分の中には変わらない信念が貫かれている」という意味、来し方を振り返り我が人生に悔いなしという思いがこの句には込められていると解釈しています。お前には貫き通せる信念はあるのかという問いを突きつけ問いかけてくれる句であます。
 皆さんには「これだけは譲れない」といった信念のようなものはあるでしょうか?本校の生活の中で培うことはできたでしょうか(できているでしょうか)。本校の先生方はそれぞれにアプローチの仕方は違いますが、みんなそうした力(生きる力)を身につけてもらうために全力で臨んでいます。今眼前にその存在を求めるとするなら、入試に対する姿勢にそれが現れているはずです。君たちを襲う「不安」や「弱気」「妥協」と言った要因を跳ね除ける力を見出してほしいと思います。必ずあるはずですし、持っているはずです。虚子のいう「闘志」に値するものを持つ自分を信じてください。
 今まさにそれを発揮する時です。自分の道の扉を自分でしっかりと開いてください。
激励の言葉とします。

家庭科・調理 最後かぁ

これも思い出づくりなんです

ここのところ食堂が混んでいると聞いた。週はじめから何度か足を運んでみたが、本当に混んでいる。行列ができている日もあった。賄いのカウンターは、普通は食べ物を受け取る場所。そこを駅前の立ち食いそばよろしく、立ち食いカウンターにしている。最初は分からなかったので、覗き込むと「いやダァ、先生!」と女子に叱られてしまった。失礼しました。しかしこの光景、ぜひ写真に収めてご披露したいと思い、一・二枚失礼してシャッターを切った。よく話をする男子生徒が「校長先生、取材ですか?」「すごいね。この混み具合」「よくみてください。3年生が多いでしょ。これも思い出作りなんです。もうこの食堂のラーメン、食べられないから」とつゆまで飲み干した器を見せてくれた。『そうか、最後かぁ』と思うと、少し寂しくなった。3年生の実質登校は、あと・・・。

インフォメーション 「大切」が満ちている

7月20日(火)校長講話 この学校には「大切」が満ち溢れている


写真上、緑のカーテンの収穫物を持ってきてくれた男子生徒、ご馳走様本当に美味しかった
写真下、70キロ級で全ての試合1ラウンドKO勝ち 初代チャンピョン 左は清掃に来てくれていたクラスメイト、エキストラ出演

校長講話

最近自分の好きな風景、空間を知ることがあった。ブラインド越しの柔らかい日差しが、白い壁にシルエットの窓を作り、その窓の中で木の葉と小枝がゆっくりと揺れている。老爺は彼のそばにいる私に語りかけるでもなく、独り言をつぶやく「いい日だ」。幸せが共有されて、彼の視線の先にある風景が、空間が、「瞬間(とき)」が大好きになった。遠い昔のそんな透明な強い経験を、しっかりとした色を着けて認知させてくれたのは、名も知らないボサノバの曲(「音」)であった。東京女子大学の某氏の研究では、聴覚より嗅覚の方がその力は強いのだそうだが、私のこの場合は「音」(聴覚)であった。
誰しもが経験したことがあるだろう。「音」とはそうした力を持っている。それが「絆」で結ばれた者たちの総和としての奏でる音なら、楽曲なら、なおさらである。
これは過日行われた吹奏楽部の第11回定期演奏会での挨拶文である。
30数年前の経験、記憶。話の中に登場する老爺は私の父。彼が亡くなる数日前の出来事。
「こんな風景が好きだったんだ。」「こんな空間を好んでいたのだ。」を気づかせてくれる。今の「音」(ボサノバの曲)
君たちは、何気ない感覚が呼び覚まさせる、目覚めさせてくれる記憶というものを持ち始めていないか。「自身・自分」が出来上がりつつある兆しなのだろうと思う。
触れ合うこと、印象深く刻まれるということ。それは今の君たちにとってとても大切なこと。
この学校にはその「大切」が満ち溢れている。ここ数日でも私は多くを経験している。少し披露しよう。
●コンクールがあるので、まだまだ全力投球していますと語ってくれた吹奏楽の男子。黒いマスクの上に乗せたメガネの奥で、目がいっそう輝くようになってきた。
●ある男子生徒が、「クラスの緑のカーテンに成ったトマトです、キュウリ、ナスです」といって校長室を訪れた。歴史好きの彼の進路についてしばらく時間をもらって話をした。
●帰りのバスに向かう途中で、笑顔で「さようなら」。彼女の頑張りを知っていたので、声をかけてみた。「夏、何を頑張る?」「数学です」ときっぱり。ガッツポーズをしてみせる。
●「写真撮影です」と言って、鉢巻をしてランニングに出かけようとする陸上競技部の彼は、教室前の廊下を通るたびに、黙々と勉強している姿を見せてくれている。
●入学して間もなく、格闘技でオーストラリア遠征をして入賞。今日は、ベルトを持ってきて、ランキングの初代チャンピョンになったと報告があった。心身ともたくましくなっている。
●作成した映像が関東を通過して全国大会準決勝にノミネートされました。「視点」を変えると何か見えてくる。あの発想の転換、よかったです。と報告してくれた放送委員会の女子。よかったね。でも映像はまだ見せてもらっていません。
●梅雨明けの暑い最中、涼を取ろうとしているのだろう。ゴム風船に水を入れて、遠くへ投げている数名の女子。「何しているの?」「遊んでます。ご一緒にいかがですか?」あの後、駐車場に残ったゴム片を、汗だくになって一つ残らず回収していた。かえって暑くなったね。
●毎日自転車で帰宅する女子。バスが出た後に、2人であったり1人であったり。正門で「さよなら」している私と、何気ない会話を1、2分交わしてから帰ってくれる。おかげで。いい1日を終えることができている。
私にとっての「大切」、自身・自分探しの途上にある君たちにとっての「大切」。この学校の日々は「大切」で満ち溢れている。
明日から夏休み。それぞれの夏を、「大切」に過ごしてください。

晴れ 夏をお届けしよう

7月19日(月) 暑い、熱い夏があった

校内をぐるりと回ってみた。面談で各クラスでは、担任の先生と生徒が座って話をしている。管理棟の3階にある進路室では、2人の女子が進路コーディネータに受験について相談している。さすが長年大手予備校で専門に相談に携わっていただけあって、彼の話には説得力があった。それに応じている生徒の眼も真剣そのもの。熱い夏が始まっている。
廊下をまっすぐに進んでいくと、フィックスの窓があり、そこから京葉工業地帯の上に広がる夏空、夏雲を一望できた。結構お気に入りの場所である。いつものように過ごし、いつものように学んでいる生徒たちは、この雄大な景色に気づいているかしら。そうでないとちょっともったいないよと思った。
フィックスの窓の脇に、階段の踊り場のようにして少し広がったオープンスペースがある。『波の伊八か?』と思わせるぐらい迫力のある波と、海のうねりが立体的に描かれ、作り込まれている。背景には灼熱が渦を巻いている。製作した者(たち)の熱い思いが伝わってくる。
1人教室にいた担任の先生に「面談生徒待ちですか?」と声をかけると、後ろから「先生、まぁ入りませんか」と生徒が声をかけてくれた。緑のカーテン作っているんです。茂るようになっているきゅうりやトマト、隣の窓にはゴーヤがなっている。
体育館の吹き抜けに咲いた鮮やかな傘の花。コロナで「つまんない」「面白くない」が続き、日頃は何も感じない吹き抜けに殺風景を感じたのだという。熱い生徒会役員たちの作品である。「元気に明るく、がんばります」新生徒会長のR子さんの声が聞こえた気がした。
いいな、いい瞬間(とき)が流れている学校っていいなぁ。心からそう思った

3ツ星 「黙食」中

令和3年6月11日(金) みんなちゃんとやっているかい?

 放送委員会の「い◯◯」さんが毎日のようにお昼の放送でアナウンスしてくれる。朗読やアナウンス部門で活躍している彼女の声は耳に心地よい。乾燥した清々しい風が耳元を抜けていくようなそんな声である。「(校長先生からのお知らせです)皆さん、黙食を心がけ、コロナ感染対策に努めましょう」『( )内のセリフはいらないよ』そう思いながらも、なんだか嬉しくくすぐったい。黙食してくれているかな?校内をぐるりと回ってみた。ぐるぐる頭の集団が私の姿をみて、一斉に黒板に正体して「黙食!」どこか憎めない生徒たちである。感染が確認されると「夏」がダメになるぞ。
 パン屋さんの前の行列。生徒会では新メンバーたちが「黙食」。昼休みにある評議会に向けて、ちょっと急いだ昼食のようである。食堂では、きちんと一列に並んで「黙食」。中庭の欅の下では、ピクニック気分で「黙食」。いい昼休みの光景だった・

晴れ 雲外蒼天かぁ

5月25日(火) 心が晴れた

コロナウイルス感染で臨時休校となって週が明けた昨日、校舎内を回っていた。「昼食は黙食で」の実行状況を見に行っていた。行き交う生徒は明るく挨拶を交わしてくれる。足を止めて、対応を労ってくれる者までいた。「色々、辛い思いや、寂しい思いをさせたね」「いえいえ」そんな会話の交わせる生徒たちである。その中の1人の男子生徒が、語ってくれた。吹奏楽部の生徒である。日曜日の定期演奏会が流れてしまった。「申し訳ないなぁ、楽しみにしていたのに」彼から返ってきた言葉が印象的だった。「先生、雲外蒼天って知っていますか?僕の座右の銘です。何かを見つける時です。今は雲の中、その内蒼天が・・・」兄弟で本校に通っていて、1年の頃から見知っている生徒である。もう3年生かぁ。振り向いて教室に入る背中が大きく見えた。
 「その内蒼天が・・・」晴れた気がした。いい瞬間(とき)を過ごした。 

 

 

お知らせ 千葉テレビで紹介されていますMiraiメディアラボ

 

いちはらMIRAIデザインラボへの参加 

GLCホームページから

「いちはらMIRAIデザインラボ(第2回)」にGlobal Leader Courseの生徒が参加しました。「市原の新たなストーリを考える」をコンセプトに「AIブレストパーク」を活用して、各自で用意をしてきたアイデアを順に発表をしました。最初に、水野さんが『Findいちはらの秘密』をテーマに、市原ぞうの国と連携した、人との関わりを大切したプランを、川崎くんは『朝まで市原』をテーマに、ゴルフや温泉・アスレチックなどで家族みんなが楽しめる施設を提案してくれました。また、安田さんは『イチハラエコシステム×レトロ市原市』で、古民家スーパーや病院の設置など大変に魅了的な発表をして、高い評価を受けました。さらに、細谷くんは『市原リゾート』をテーマにゴルフ場だけでなく、ドッグランなどを併設するユニークな提案をし、袴田くんは『イチハラ起爆剤』として、小湊鉄道と協力して魅力度をアップする企画を考えてくれました。山口さんは『市原お友達紹介』をテーマに、QRコードを活用して、農家と消費者を結ぶ企画を提案してくれました。どれも素晴らしい発表で、会場全体から大きな拍手を受けていました。最終的に、各チームごとに、他の発表者の意見を取り入れながら、各チームごとに新しい案を発表しました。小出市原市長からも講評を頂き、たくさんの「気づき」があったとともに、Global Leader Courseでの「学びの形」が、存分に生かされた貴重な機会となりました。

いちはらMIRAIデザインラボ(第2回)」の様子がメディアで紹介されました。

曇り 嬉しい知らせ

ほぼ毎日・校長 No.189 「何を語ったのか?」

本文の内容と写真は無関係です。

 自宅に着いた私に「何お話をしたの?」と奥さんが聴く。(最初から私ごとで恐縮だが、この嬉しいことの発端はそこからだから仕方ない)友人からLINEが来て、その友人の友人の娘さんが帰ってくるなり、「校長先生の話、よかったぁ」とお母さんに話したそうである。「奥さんだったらどんな話かご存知かと思って」彼女の友人のLINEはそこで終わっている。嬉しかった。素直に嬉しかった。
 この嬉しさは幾つかの層でできている。嬉しさのミルフィーユのようなものである。
1層:話を感動した、よかったと言ってもらった喜び。嬉しい。
2層:話をちゃんと聞いてくれていた喜び。(放送での講話だったのに)
3層:家に帰って家族との会話がある喜び。
4層:娘の感動を、友人に伝えたいと思った母の気持ちの嬉しさ。
5層:きっと嬉しく思うだろうとLINEを送ってくれた妻の友人の気持ち。
6層:ぐるーりめぐって人が繋がっている喜び。
 コロナはソーシャルディズタンスを強要し、人と人を引き離そうとするが、そうあればそうあるほど、人どおしの繋がりがねければ、人間って弱い。絶対不可欠なもの人間の交わり。それを教えてくれた気がする。
 「嬉しいね」なんて思いながら、スーパーに買い物に言ったら、「先生ー」と明るい声で、今年大学を卒業する教え子に出会った。「嬉しいね」が「嬉しいね」を呼んできたみたいだ。
 最初のきっかけをくれた、在校生の君。ありがとう。

 

曇り 修学旅行 最終日 その3(最終回)

ほぼ毎日・校長 Vol.188 令和2年11月25日(水)

 京都駅近くのホテルで昼食を済ませ、新幹線のホームを目指します。いよいよ修学旅行も終わりです。「あと2〜3日欲しいなぁ」と後ろ髪を惹かれる思いで集合場所に向かいます。人は旅に出ると良きもあしきも「本性」を表すと言いますが、この旅では、本校生徒の「良さ」「素晴らしさ」をしっかりと見せてもらえた気がします。

晴れのち曇り 修学旅行 最終日 その2

ほぼ毎日・校長 Vol.187 令和2年11月25日(水)

 今日はどんより曇り空。退館式で生徒会長の挨拶があった。いい挨拶だった。こんな楽しい思い出づくりを支えてくださった聖護院御殿荘の皆さんに感謝しています。宿の前で記念撮影をしてバスで、最後の観光地、清水寺へ。ほんの1時間30分ほどの滞在であるが、それぞれに楽しんでいる。清水から産寧坂、円山公園、知恩院、八坂神社このあたりは思い出深いところ。高校生時代に唯一朝まで外出を許された日(大晦日)、除夜の鐘を聴きながら、ふらりとした場所。生徒たちがお参りを終え、土産物あさりに入った頃、独りでふらりと歩いてみると、高校時代の思いがリアルに蘇る。遠に忘れた感慨が鮮明に・・・。音楽を聞いてそのころの雰囲気をふと懐かしむのと同じように、古都にはそんな力があるのかもしれない。視覚に訴える寺社、嗅覚に訴えるお香、床板の軋む音は聴覚に。「そうだ、京都行こう」のコピーが人の心を掴んで止まないのは、こうした古都の力があるのかもしれない。修学旅行で感じ取るのは難しいかもしれない。でもうちの生徒たちなら「ならでは」をしっかり掴んでくれているはずである。まもなく京都を離れる。無事であってくれてありがとう。生徒たちに感謝したい。

晴れ 修学旅行 最終日

ほぼ毎日・校長 V0l.186  令和2年11月25日(水)


 楽しい時間は早く過ぎる。廊下ですれ違った生徒が明るく元気な挨拶をしてくれた。「どう?楽しかった?」と語りかけると、「本当に楽しかったです。ありがとうございます」本校の生徒の素晴らしいところは、「・・・ありがとうございます」という感謝の念を持ってくるところである。「えぇ、楽しかったです」だけでも、こちらは嬉しいのだが「ありがとうございます(お陰様で)(先生たちが面倒を見てくださった)」という気持ちが伝わってくると、なお嬉しいしやりがいがある。いい生徒たちに恵まれている。こうしたお子様を育てていらっしゃる庭訓に敬意と感謝。
 今、館内放送が入りました。「発送する荷物をトラックのところまで・・・」その後がまた素晴らしかった。「全てが、皆さんのおかげで順調に進んでいます。時間を20分切り上げます。(最終日の見学、土産物購入時間を少しでもたくさんとりましょう任)」By学年主
 いい瞬間(とき)過ごしています、市原中央高等学校。

晴れ 修学旅行 第三日目 その2

ほぼ毎日・校長 Vol.185 令和2年11月24日(火)

 最後の夜の最終打ち合わせを終わってからこのブログを書いています。体調不良ゼロ、発熱ゼロ、保健室利用ゼロ。同行くださった看護師さんから「いい生徒さんたちですね。限度を心得て・・・」とお褒めの言葉をいただいた。その通りだと思う。学年の先生方の団結した力だと思う。最後の打ち合わせの後、学年担任団から学年部長に「これまでありがとう、これからもよろしく」の気持ちをこめたセレモニーがあった。いい学年だと思います、心から。ぐるり廊下をひとまわりしてきましたが、部屋からは物音一つ聞こえません。生徒たちは、いい睡眠の瞬間(とき)を送っているのでしょう。もうすぐこの旅も終わりを迎えます。東京駅解散後は、寄り道せずに帰宅するよう指導しますので、ご家庭でもご承知おきください。

晴れ 修学旅行 第三日目 

ほぼ毎日・校長 Vol.184 令和2年11月24日(火)
 今日はUSJのグループに同行しています。入場したはいいけれど、しばらく経つとどこへいったのやら?お目当てのアトラクションに一目散なのでしょうか、見当たりませんうちの生徒、と思っていると、通りの向こうからミニオンの被り物を被った一団を発見。男子の一行でした。みんなでおそろいに決め込んだんだね。『アトラクションの一つは』と思いながら歩いていると、13:00開催のヲーターワールドが目に入った。そのすぐそばにジュラシックパーク。55分待ち。効果的に時間を使おう。ジュラシックパークに挑戦。水濡れ注意・『どうせ後ろの方なら、かかりはしないだろう』決め込んで列に並んで順番を待つと、なんと(アン)ラッキーなことに一番前の センター。あらら、ずぶ濡れで降りる時、係の方から申し訳なさそうに「水がかかります・・・」一緒に乗っていた南米から来たというカプルが気の毒そうに、ハンカチを出して拭いてくれた。国際交流。

晴れ 修学旅行 第二日目 その3

ほぼ毎日・校長 Vol.184 令和2年11月23日(祝日)

  ロビーで待っていると続々と生徒たちが帰ってくる。「ただいまぁー」「楽しかったです」明るく元気である。何より。宿に入る前に非接触型体温計で検温。全員異常なし。ホッとして彼女たちの日頃と違う雰囲気に気づいた。私にそれを感じさせたのは、髪型である。『そうかぁ、和服に着替えて京の街を楽しんだんだ』「写真撮っていたら見せてください」とお願いすると、何枚かの素敵な写真を見せてくれた。早速AirDropでいただいて、使わさせていただくこととした。鬼滅の刃の影響だろうか、大正ロマン、大正デモクラシーを感じさせる柄の着物に身を包んだ生徒が写っている。『これ本当に君たちかい?』と生徒たちに目をやり、『狐につままれたみたいだ』と思うと、「先生、ただいま」と声がする。振り返ると、顎の下に両手を揃え、マスクをした狐が一尾立っていた。「ははは、すごいね。かわいいね」とかまっていると、みるみるうちに四尾の狐に増殖した。明るく元気にいい瞬間(とき)を過ごしています。
 本日の夕飯は、すき焼きです。

晴れ 修学旅行 第二日目 その2

ほぼ毎日・校長 Vol.183 令和2年11月23日(祝日)

 古都の紅葉のお裾分け。生徒たちはこんな紅葉に包まれて、秋晴れの1日を過ごしています。
 修学旅行出発の前日、ある保護者の方と連絡をとる機会があった。話によると、この修学旅行に参加するお子さんを残して、家族が外出することになってしまったという。「えぇ?独りで東京駅集合に向けて起きて、身支度を整えて・・・ですか」すごいなぁ。生徒のことをよく知っている。確かにしかりした生徒であるが、状況を考えても「強い信頼」が伺えて、やはり「すごいなぁ」なのである。修学旅行外伝である。お母さん、今日も元気に友人と出かけていきましたよ。ご報告。

晴れ 修学旅行 第二日目 

ほぼ毎日・校長 Vol.182 令和2年11月23日(祝日)
 修学旅行2日目は、全体が2つに別れます。京都市内を班別に散策するグループとUSJに向かうグループ。明日はその逆になる。一斉に動かすことの難しい状況の中の工夫である。ありがたいのは、全クラスを通じて、深刻な疲労や発熱、風邪様症状を訴え生徒が一人もいないこと。写真でお分かりいただけるように、秋晴れの空の下、元気いっぱいにに出かけていきました。報道発表では、渡月橋あたりは昨年の同時期の4倍の人手だったということです。今日はそれほどではないと思いますが・・・。私は本部付でお留守番。班別のグループでは、体験学習もたくさん計画されているようです。いい瞬間(とき)を満喫してきてください。

晴れのち曇り 修学旅行 第一日目 その3

ほぼ毎日・校長 Vol.181 令和2年11月22日(日)


一足先に宿に帰って待っていると、日程を終えた生徒たちが続々と帰ってきた。まだ初日、元気いっぱいである。ロビーに置いてある荷物をそれぞれが部屋に持ち込み、着替えを済ませると待ちに待った夕飯。ディスタンスをしっかりとって、同じ方向を向いてみんなで食事。豪勢な御膳に舌鼓を打っていた。「静かに騒がず食事ね」という注意をしていたが、食べている間は無用であったようだ。美味しさは人を黙らせる。男子のある部屋から坊主頭がのぞいている。「どうした?」「あのぉ、おかわり」食べ盛りである。何杯も何杯もおかわりをしている。係の人が持ってきてくださった、結構大きな炊飯器が、あっという間に空になった。
 体調不良の者もなく、スムーズに1日が終わろうとしている。これを書いている最中も、廊下で大きなはしゃぎ声が聞こえる。寝不足にならないでよ。お願いだから。

晴れのち曇り 修学旅行 第一日目・その2

ほぼ毎日・校長 Vol.180 令和2年11月22日(日)


昼食の後、大原コース、伏見稲荷コース、嵐山散策コースの3つに別れて、晩秋の京都を散策した。3連休の中日で、Gotoキャンペーンの最中とあって、人の出も多かった。(添乗してくださっている担当の方の話だと、これでも例年の半分以下とのこと)渡月橋の上は、人の列である。天候にも恵まれ、紅葉の盛り、生徒は最高の京都を満喫したようである。

晴れのち曇り 修学旅行・第一日目

ほぼ毎日・校長 Vol.179  令和2年11月22日(日)


 本日から令和2年度の修学旅行が始まりました。朝8時30分の東京駅集合。しかも混雑と密を避けるため、新幹線のホームに直接集合という前例のない集合形態が採られました。『大丈夫かなぁ』という不安は正直あったものの、生徒たちはちゃんと期待に応えてくれました。9時に無事出発し、京都に。昼食も3つのグループに別れて密を避けました。同行したのは、知恩院前の平野屋本家「芋ぼう」さんで昼食を摂るグループ。棒鱈と海老芋の煮物に舌鼓を打ちました。ある男子生徒が、「先生、お椀の内側や座布団、箸置きがここはみんな瓢箪。何故ですか」と質問してきた。『そういえば、すごいところに気づいたなぁ』「瓢箪はね、縁起物で、きっとこのお店でも商標のようなものとして使っているのかもしれないね。3つ揃うと3拍子揃う、6つなら無病(む・六、びょう・瓢)息災・・・」それらしいことを語って、店を出る時、おかみさんらしき方に生徒のエピソードを語ると、「いやぁ、嬉しい。お食事だけやのうて、お店の気遣いに気づいてくれはるなんて」と言いながら生徒のことを褒めてくれた。やはり「無病息災」だそうである。店を出て、知恩院の方に向かうと、瓢箪を6つだけ描いた看板があった。
 修学旅行の素敵なスタートのエピソードである。
 早朝から見送りに来てくれた上市教頭先生ありがとうございました。

お知らせ 彼女の授業は楽しい歓声でいっぱい

10月27日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.176 passionとplayに満ちている

 「あ、またやっているなぁ」理科の授業である。遠くから廊下の空間を通して、歓声が聞こえてくる。以前に拝見したときは、百均で買ってきた粘土で細胞の模型を作っていた。それぞれの班が作った細胞の模型を、大型のプロジェクターで投影して、説明を加える。カラフルな細胞の出来上がりである。「うまい」みんな本当にうまく作っている。「でも・・・」一人の女の子が遠慮がちに言った。「うまいんだけど・・・色が違う。」「そうだ!違う」「本当だ!」と引かれるように声が出る。待っていたように「よく気づいたね。どこが違うんだろう」「◯◯を意味したこの形は、緑色」などと声が出ている。印象に残るだろうなぁ。夢中になって取り組んだこと、忘れないだろうなぁ。授業で笑顔を作ったこと、記憶の片隅の大切な思い出。
 『今日はなんだろう?』「腎臓の働きを模型で確認したんです」いがくり頭の男子生徒が、壊しかけた模型を再度組み立てて実演している。「この段階で、たんぱくと◯◯は残ります。・・・そして排出されたのが、これが、尿」すかさず彼女(先生)が褒める。「わかっているじゃない。いいね」面白い授業作りができている。

お知らせ 定期演奏会があるよ〜

10月1日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.175  楽しみにしていた

姉妹ではありません、師弟です。音楽コースの3年生の女子生徒が先生と一緒にきてくれた。「先生、定期演奏会があるんです」新しくできたプログラムを手に、ニコニコ笑っている。校長室は初めてらしく、「へぇー、へぇー」と言いながら見渡していた。「ドレスは?何色?」「赤です」嬉しそうな満面の笑顔。あれからもう1年が経つんだ。当時の3年生が、最後の演奏会はドレスで臨みたい。何度か話し合って、いくつかの約束をして、もう1年かぁ。早いなぁ。楽しみにしていた演奏会。皆さんもお出かけになりませんか?豊かな時を過ごせますよ。お待ちしています。

?! 前期終業式の放送講話

9月28日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.174

前期終業式の放送講話

前期の終業を迎えるにあたり、生徒諸君に一言お伝えしておきたい。話は目で聴くといいながら、諸君の表情が見えないことが残念である。
この歳になって自分の人生を振り返り、君たちの行末を思うとき、これからの人生を歩む中で、自分を支えている様々なことの原点を辿ってみると、高校時代の体験、経験、考えに行き着くことが多い。
実はそうではないのだろうけれど、明確に辿れるのはやはり高校時代である。私ばかりではないだろうと思う。その意味で、君たちには日々を大切にしてほしいと切に願う。
ジェネレーションリングを知っているだろう。孫の世代、子の世代、親の世代、それぞれを円にする。孫と親の円が点で接し、その点を中心に同じ半径の円を描く。
一つの円は「One Generation」(60年)である。親が人生の真っ只中、社会の担い手である頃に子が生まれ、その子が社会の担い手になるころに、親は社会の一線から退く、同時に孫の誕生。我々の文化の継承はこうした交わりの中にある。はずである。
一つの文化が生まれるためには、その文化が誕生する過程の「よき」も「あしき」も噛み分ることがあって、混ざり合って誕生してくるものである。それがそうではなくなった。一段ずつ上がるべき階段を、二段も三段も飛び上がるようにして開花すると、精神がついていかない。気息奄々(きそく・えんえん)とした日本人の姿がそこのある。「内発的に変化して行くが好かろう」と語ったのは漱石であった。(現代日本の開花) 私は今になってそれが理解できる気がする。そんな時代だから、より「夢中になるもの」を見つけ、瞬間(とき)を大切にしてほしい。

先日、数名の生徒と話をする機会があった。
他の者に誇れる何か夢中になっているものはあるか?
1人の生徒は、きっぱりと答えた。勉強です。誰にも負けないだけやっている自信があります。進学を考えているんだから当然です。効率や身についたということについては、人より優れているかどうかはわかりませんが、今までの中で、これほど「やっているな」というほど勉強に打ち込んでいることはありません。
ある生徒は自信なさげに答えた。「それがないんです」「じゃあ、少しの時間先生とゲームをやろう」ゲームのあとで、その生徒は「人生観変わりました。目標が見えた気がします」と答えた。生まれ変わった気がする。真剣に目標に向かって頑張ったことがない過去を振り返り、スタートをする決意をしたという。頑張ってほしい。
この秋は君たちにとって人生のターニングポイントである。ほんの少しの経験が、ほんの少しの振り返りが、大きな前進を生む。コロナ禍で、全てがこれまでの「今まで通り」を見つめ直させている。見つめ直すいい機会だ。見つめ直せばいい。しかしその中に、不易、不変、不断は必ずある。上質で豊かな秋を過ごしてほしいと思う。

 

晴れ 自分で作り上げるものなんだよぉ

9月16日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.173 書く気になった

執筆というほどではないが、ブログを書くにも筆のノリがある。ウダウダとまとわり付く問題に煩わされていると、一向に生徒との触れ合いに気持ちが向かない。『つまんないのぉー』なんて今日も一人で食事をしていると、ドアをノックする音が聞こえた。『校長先生、ちょっといいですかぁ?どうして「ちょっといいですか?」なんだろう。ちょっとであった試しがない。』覚悟を決め、それでも明るく「はーい、どうぞぉ」。予想に反して、「先生、お一人ですか?」と明らかに生徒の声。「ですよ。どうぞお入りなさい」二人の女子生徒が入ってきた。「へぇ」とか「ふーん」とか言いながら、初めてみる空間をひとしきり見回して、ソファーに腰掛けた。
 「悩みがあるんです」と一人がいうと、その言葉が終わらないうちに「私は付き添い、おまけのようなもの」。妙に連携が取れた、いい相方のようである。さらりと「悩みが」と言っていたので、それほどでもないのかな?と思って聞くと、かなり深い。なんとか答えてあげたいという気持ちで、空海の密教の世界まで入り込んでしまった。「今言ったように『自分』ってね、自分で作り上げるものなんだよ」抽象的でわかりづらい説明であったろうに、「先生、わかった気がする」「少し(悩みが)溶けた気がする」と言って、「ねぇ」と声を合わせて顔を見つめ合った。コンビネーションの良さを感じながら、「お名前は?」二人は同じような悪戯っぽい笑みを浮かべて、「◯◯」二人合わせて「◯◯・◯◯」ファーストネームが同じだった。
 「ありがとうございました」と元気よく帰っていく背中に、「今度はお弁当持っておいで、一緒に食べよう」と語りかけると、振り返った目が「本当にいいんですか?」と語っていた。「はーい」という元気な声が、廊下に消えていった。

 今日の秋晴れのような清々しい、気持ちになった。いい1日になりそうだ。

曇り 「離れている」が見せるもの

7月31日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.172 Distanceは何を語りかけるのか

本文と二人の女子生徒は無関係です。お昼休みに人生ゲーム(命名:日髙・将来像確認トーク)に来てくれている二人です。

夏休み前の校長講話

いま口を開くと「新型コロナウイルス」一色である。「人」という文字は、支え合っている姿を表している。「人」は一人では生きていけない。よく言われる話。人は元々「群れ」で生きるようにできている。「村(ムラ)」の語源が「群れ(ムレ)」であるように、共同体、コミュニティが必要な生き物である。
新型コロナウイルスは、その我々に、真逆のDistance(距離、道のり、隔たり)を要求する。「離れろ」と強要してくる。寄り添って、距離を縮めて発揮できる人間の力を奪い取っていく。そんな現状をポジティブに考えたいが、なかなかそうはいかない。しかし今日は考えよう。この事態が我々に見せてくれたもの。Distance(距離、道のり、隔たり)を強いられたこの状態は、本来の人の姿、本来の人間力をしっかりと見つめてさせくれるチャンスと考えてみてはどうか。

人の刻む歴史を記録としての「正史(正しい歴史)」とするなら、正史には現れてこない「離」のもつ力、人が「離(れている」ことを通して、「会う(支え合う)」ことの大切さを認識していた心の動きが、人の心の動きを伝える「外伝」としての文学に現れてくる。

万葉集の有名な歌である。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫草の映える標野を行きながら、そんなに袖を振らないでください。(標野の)見張りが見るではないですか。私たちの逢瀬がみんなの知るところとなってしまうではありませんか。
有名な額田王(ぬかたのおおきみ)の歌である。中大兄皇子:大海人皇子の兄との恋愛関係にあった女彼女が、大海人皇子の蒲生野での狩りに一緒に行ったときに、額田王が詠んだ歌。天武、天智の時代を生きた女性の歌である。ここに記される「袖振る」は、離れている者が相手の魂を呼び寄せる行為と言われている。バスで帰る君たちに「さようなら」「(私は)ここにいるよ」ではなく、「あなたの心が欲しい」「会いたい」「一緒にいたい」という気持ち。今はDistance(距離、道のり、隔たり)があるけれど、「会う(逢う)」ことを望んでいるのですよ。どうかあなたの心、私に届け。離れている現実から、本来あって欲しい(あるべき)姿を見る姿勢である。「外伝」には、他にもある。

徒然草『花は盛りに』
「障ることありてまからで。」なども書けるは、「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。

古人は「なき状態」から「ある状態」の素晴らしさを思う心の動きを大切にした。なかなか感じることができない、持つことができない姿勢のチャンスをコロナは与えてくれた。不自由な、規制のある、ままならない状態から、今まで感じることもなかった「当たり前」とその大切さ、ありがたさに目を向けるチャンスをくれたと考えてもいいのではないか。(ちょっと無理があるかな?)

人には「協働」とか「知恵」とか、幾多の難関を切り抜けてきた素晴らしい力がある。将来の社会の担い手としての君たちの人間力に期待したい。
「なき状態」から「ある状態」を観ることを知った者は、成長するだろう。生まれ変わるだろう。本校の生徒たちには、それができると思っている。そんな思いで君たちを見ると、なんて素晴らしい学校なんだろうと改めて思う。

お知らせ 月曜日から登校バス増便

7月3日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.171

登校バス増便のお知らせ

1 増便になるのは次の路線(停留所)です
(1) 五井線(五井駅東口)
(2) 木更津線(坂上、光風台セイムス、双葉中)
(3) 鎌取線(ちはら台駅入口、尾梨)
(4) 千葉みなと線(蘇我駅)
(5) 茂原線(志鎌医院)
(6) 東金線  既に増便済み

2 運行時間が変更になる停留所
    菊間線(千葉銀行辰巳台支店)発車時刻 
    Webでお知らせ(市原中央通信)メールで時刻確認してください

3 運行体制が変わる停留所
    大原線(大原駅入口) 発車時刻の変更はありません。
    これまでこの停留所からは1台のバス運行でしたが2台のバスになります。
    先発車両(1台目):各停留所に止まり生徒を乗せて運行。
    後発車両(2台目):原則途中の停留所からは生徒の乗車はなく運行します

お知らせ 学校再開にあたって(動画配信)

6月16日(火) これからが本番

15日に発出した文書に関する解説動画です。
1 文書解説 4点
 (1)最初の一週間について
 (2)夏休みについて
 (3)部活動における感染拡大防止
 (4)もう一度確認、感染拡大防止対策
2 スクールバスについて

市原中央通信にお送りしたURLからご覧ください。

【お詫びと訂正】
6月15日発生徒保護者様あて文書「通常登校開始について(お知らせ)」の中に、日付と曜日が合わない記載がありました。申し訳ございませんでした。下記のとおり訂正いたします。

3 行事予定について

(誤) (1)8 月1日(日)

(正) (1)8 月1日(土)

お知らせ 学校再開にあたって

 

6月7日(日)ほぼ毎日・校長  Vol. 170   学校再開にあたって

明日以降、これまでより多くの生徒が登校する機会が生まれ、感染拡大により注意しなければなりません。学校でもできるかぎりの感染拡大防止措置を講じますが、手洗いの励行等ご家庭でもご指導いただきたくお願い申し上げます。

新規ではありませんが、以下のことをお願いいたします。
1 Web健康チェックは全生徒が行う
2 ゴミの持ち帰り
3 手洗いの励行(アルコール手指消毒液は補助)
学校再会にあたってPart5(動画)を配信いたしました。市原中央通信でお知らせしたURLで参考になしてください。
*Web健康チェックは先週一週間、各学年とも90%以上の回答率でした。すごいことです。素晴らしいと思いますが・・・100%目指しましょう。

合格 なぜ、おじいさんとおばあさんなの?(悪いことばかりじゃないpart5)

6月3日(水)ほぼ毎日・校長 Vol.169 コロナウイルスが教えてくれたもの

「普通に」「通常に」が、とにかくありがたく感じる。コロナウイルスはそれを奪い去った。100歳になろうかという長寿の母が亡くなった時にも、『あの小言はもう聞けないのか?』まず感じたのがそれだった。「ダメ」を口にする人ではなかったが、説諭されるとけっこう効いたなぁ。当たり前にあることのありがたさに気づかない。コロナウイルスはそんなことに気づかせてくれた。
 初めて登校した1年生にそんなことを語った。今まで常識として疑いもしなかったことが、「なぜ?」を帯びて眼前に立ちはだかる。自分で考え判断して行動する。より積極的にそれに向かう姿勢が要求される時代。それがコロナによってスタートした。
T Vドキュメントでイタリアのおじさん2人が語り合っている。窓から吊るした籠に、わずかな食糧を入れて下げる。職を失った男が感謝の言葉を述べながら、捧げるように両手を上げている。まるで神を拝むように。その籠のおじさんが別のボランティアで頑張っているおじさんに「よくやるねぇ。嬉しい」と語りかけると「やらないでいられる方が不思議だろうよ」と返事が返ってきた。そして「どうだろう、コロナが去った後、俺たち人間は成長しているのかなぁ」と問いかけてきた。籠のおじさん「成長なんていうもんじゃない。新たな人類の誕生、スタートの時さ。今まで(の人間の汚れ)を拭い去って、綺麗な人としての出発だ」T Vの中のおじさん2人の会話を興味深く聞いていた。
「悪いことばかりじゃない」そんなふうに捉えることができない「今」だから、自分の瞬間(とき)を見つめ直してみよう。生徒たちに語った。こんなふうに捉えるとわかりやすいかもしれない。前に座っている3人に協力してもらった。日本昔話の語り方の定番を私と一緒に語ろう。(私)「むかし、むかし」→(生徒A)「あるところに」→(生徒B)「おじいさんとおばあさんが」→(生徒C)「住んでいました」。すかさず尋ねた。「Bさん、なぜ『おじいさんとおばあさん』なの?」会場中が首を傾げている。「永遠の5歳チコちゃんに叱られてしまいそう」クスクス笑いが出た。
こういう問題が山ほど周りにある。今まで考えたこともない、常識として疑いもしなかったこと。突然姿を変えて大問題として取り組まなければならなくなる。そんな時代がスタートした。籠のおじさんがいうほどの「人類の再スタート」もあながち大袈裟でない。そういう時代を担うのは君たちだ。コロナウイルスはそれを教えてくれた。時代を担う力、この市原中央高等学校で培ってください。ようこそI C Hへ。

「悪いことばかりじゃない」そんなふうに捉えることができない「今」だから、自分の瞬間(とき)を見つめ直してみよう。けっこう感動の発見があったりする。

 

重要 明日から分散登校

5月31日(日)ほぼ毎日・校長 Vol.外伝   バスに乗る前に「マスク」忘れに気づいた!どうする?

明日から分散登校がが始まります。注意事項を守って、登校してください。
バス乗車の注意事項に「マスク着用」があります。
乗る直前に、家を出てから忘れていることに気づいた。もう時間がない・・・
ありそうな展開です。そんな時「マスクがない」=「バスに乗れない(登校できない)」と考えないでください。大丈夫です。以下の対応、対策をしてください。

【対応】
バスに乗って登校してください。
【対策】
乗車している間、ハンカチ等で口元をふさぎ、飛沫感染防止に努めてください。
乗る前に、運転手さんに「マスク忘れてしまいました」と告げてください。

 

(動画)学校再開に向けてPart4を配信しました。市原中央通信でお知らせしたURLからご覧ください。 

お知らせ Web健康チェック必ずお願いします

 

5月30日(土)9時更新 自分を管理することはみんなを守こと

Web健康チェックの試行を3日間行ってきました。協力ありがとうございます。日増しに回答の%が上昇し、さすが市原中央高校生と感心しています。月曜日は1年生の登校ですね。いくつか確認しましょう。

1 Web健康チェック 単なるアンケートじゃないですよ!
  必ずWeb健康チェックをしてから登校しましょう。
  うっかりの場合は、必ず教室に入る前に昇降口にいる先生に声をかけてください。
2 夏服・マスク着用・持ち物チェック
  登校は夏服です。
  マスクをして登校してください。
  替えのマスク、ハンカチ、ビニール袋(マスク保管用)
3 バスの座席
  十分な間隔をとって座れるように配車しています。
  赤いテープや印のついている座席には座らず。
  ソーシャルディスタンスを確保してください。
4 その他(結構失念しがち)
  熱中症対策を忘れないでください。
  水筒持参するなどして水分補給ができるように心がけてください。

重要 重要なお知らせ2件

 

5月28日(木) 午前6時更新 重要なお知らせ2件です

【1】健康チェックアンケートに回答してください
 学校生活の安心・安全のために必要な健康チェックアンケートを送信しています。6月1日からの実施となっていますが、この週末に試行実施しますので協力してください。
 午前6時ごろ配信 午前8時30分までに回答(通常の学校生活が始まったら7時30分)

【2】再開後のバス利用について(総務部から)
 本校では登下校の際のスクールバスは、予め登録した路線・停留所を利用することを原則としています。6月からの学年別分散登校におきましては、三密状態を回避するために、登録された路線別人数からバスの配車をいたしました。したがって、この期間におきましては、他の路線・停留所の利用は禁止とせていただきます。下校時に予備校等へ行く場合も含めて、一旦登録してある路線で帰宅した後、向かうようにしてください。

お知らせ 初回の登校は夏服で

 

5月28日(木)午前10時更新  文書通知事項の訂正です


通知文書でお知らせした内容を変更いたしました。
気温の上昇により、マスクの着用に加え、夏服とすることが、生徒の皆さんに過酷な環境を作り出す可能性を考えてのことです。よろしくお願いいたします。

 夏 服 で登校してください

動画「学校校再開に向けてPart3」を配信しています。Web通信でお知らせしたURLからアクセスしてください。大切なお願いです。

お知らせ 画稿再開に向けて

 

5月26日(火) 午後6時30分更新  学校再開に向けて

 全国の緊急事態宣言解除を受けて、予定どおり6月1日から学校を再開します。市原中央通信で標記のことについて文書をお送りしました。ご査収いただき、6月1日からの登校に備えてください。
 感染拡大については、宣言解除が終焉を意味しないことは言うまでもないことです。気を引き締めてたゆむことなく、危機感を持って取り組んでいきましょう。これからが本番です。
 しばらくの間、分散登校を余儀なくされますが、こうした過渡的な状況こそ、ご家庭の協力、何よりも生徒本人の自覚と協力が必要です。お送りした文書をよく読んで、自覚を持って登校に望んでください。
 学校でお会いしましょう。

送付文書

○学校再開に向けて-準備と予定について-(お知らせ)保護者あて.pdf

○感染症対策(保護者にお願い).pdf

お知らせ スクールバス時刻

5月24日(日) 午前10時更新 スクールバスダイヤ(停留所)と日課表掲示

5月20日に配信した動画・校長講話でお話ししていた標記のDATAは、市原中央通信の多目的掲示板、5月21日に載っています。ダウンロードして確認してください。
日常性の回復のために、努力していますか?

注意点
1 分散登校の時は別の時間が組まれます。改めて連絡しますので注意してください。
2 セキュリティの観点から、これ等のDATAは在校生と保護者のみに止め、拡散しないでください。

重要 臨時休校期間に変更はありません

5月23日(土) 午後7時30分更新  臨時休校期間に変更はありません

 報道発表によりますと、緊急事態宣言について政府は、新たな感染者数などが現状のまま推移すれば、25日にも宣言の解除は可能だという見解です。現在のところ、本校の対応措置としての5月31日まで臨時休校とする対応に変更はありません。6月1日(月)以降の対応は、来週火曜日(5/26)以降にお伝えいたします。

お知らせ 取り戻そう日常の生活

5月20日(水) 午前17時更新 取り戻そう日常の学校生活

動画で講話をアップしました。
Webでお知らせしたアドレスからご覧ください。

花丸 ある親子との会話(悪いことばかりじゃないPart4)

5月7日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.168 あの子はどうしているかしら?
  自宅にいて「何ができるだろう?」と考えてみた。10年ほど前に関わったICT活用の授業を考え、本校に着任してから校長室を訪ねてきた生徒との会話を考え、「Zoomで校長と・・・」というイベントを考えた。よく考えもせず一人の生徒のところにメールを送ってみた。よく考えもせずだから説明も難しかったろうが、その生徒は一生懸命動いてくれたようだ。すまなさそうなメールが届く。「先生、ごめんなさい」目論見は達成できなかったのだが、彼の懸命な動きと相手を思いやる気持ちに触れ、嬉しかった。もちろん保護者の方にもお断りしていたので、お母さまからもメールをいただいた。「春のたくさんの大事な行事が中止になり、先生方も大変な中、ありがとうございます」「不安な気持ちで過ごしているなか前向きになれるような」「いいえ大丈夫です。負担に感じるようなことはありません」心が温まる。
 さーてどうしたものかと、夕暮れ時を散歩した。ただでさえセンチメンタリズムを刺激しそうな「夕暮れ」。
 さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮
 秋ではないが、春愁。春もまた憂の季節である。橋を渡ろうとすると、真っ赤になった西の空に霊峰が燻(いぶし)銀のような姿を見せ、川面に映じている。「いいなぁ」心からそう思った。「寂しさに色はあるのかもしれない」と取り止めもないことを考えながら、自分の心の中で何かが変化していることに気づいた。きっと先ほどのメールで交わした姿見ぬ会話のが、素直に「いいなぁ」を感じさせたのだろう。
 夕陽を見ていて2人の生徒のことを思い出した。
 一人はバスターミナルに歩いていく女子生徒。初めてあった市原中央高等学校の生徒。後ろ姿で「なんていい学校なんだろう」を感じさせた生徒である。時間があれば家の近所の塾の自習室に行って、学校がある時と変わらない時程を過ごしていると聞いた。どうしているだろう。
 一人は、夕陽の赤が思い出させてくれた。ボルネオ島タワウからスピードボートで行く小さな島の夕陽。「先生、ここの夕陽すごいです」を教えてくれ、私に行動させてくれた教え子。もう30年以上も前になる。「親父とうまく行っていないんだ」とこぼしていた彼の、高校生活最後の試合に観戦にきてくれていたお父さん。短い手紙を下さった。気持ちが十分に伝わってくる、短い手紙。ふとそんなことを思い出させた夕陽。いろんなことが複合的に重なって、結局「いい日、いい瞬間(とき)」だった。

 「悪いことばかりじゃない」そんなふうに捉えることができない「今」だから、自分の瞬間(とき)を見つめ直してみよう。結構いい人生歩んでいるよ。

晴れ 千葉大医学部現役合格(悪いことばかりじゃない?Part3)

4月24日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.167 すごいことなのです・ⅠCHの力

 このニュースが飛び込んできたのは、もう1ヶ月半以上も前のこと。コロナウイルス 騒ぎの中で、卒業式等の学校行事をどうしようかと悩んでいた時のことである。ある先生が「いいニュースです。すごいです」と言って、本当に頬を紅潮させながら、興奮気味に教えてくれた。昨年の一橋大学2名の現役合格も凄かったが、それに続き快挙である。よく頑張ったと思う。おめでとう。いつの日か後輩の在校生たちに披露したいと思いながら、機会を失っていた『コロナめっ!』
 3.11の時もそうだった。外的要因で我にもあらず通常の学習機会を失ってしまった時、現実をしっかりと見つめ、今ある不運を悔やんだり、恨んだりしても仕方がない。今ある現実の中で、何ができるか、目標達成に向けて何をするかを考え、実行出来た者、瞬間(とき)を懸命に生きた者は強い。

 「悪いことばかりじゃない」そんなふうに捉えることができない「今」だから、できることを見つけてみよう。君たちならできる。

晴れ 悪いことばかりじゃない?Part2

4月23日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.166 そんな風に捉えることができないいまだけど

 人間のもつ大切な力の発現、そんな内容のことを書いていて、どこからともなく聞こえてくる「すき焼きソング(上を向いて歩こう)」に記憶が刺激された。
 演出家の宮本亞門がさんリーダーとなって「上を向いて〜SING FOR HOPE プロジェクト」、新型コロナウイルスと闘っている方、医療従事者の方に希望を届ける取り組みを行なっていることを知っている人も多いだろう。自分が闘病生活に苦しんでいるとき、歌が元気付けてくれた。頑張っている人々、苦しんでいる人々へのエール。自分たちにできることは何かないか。そう考えたときに坂本九さんの「上を向いて歩こう」をみんなで歌い続けようじゃないかと考えた。実行した。
 この歌にはちょっと思い出がある。もう10年以上も前に勤務した学校の校歌が、中村八大の作曲だった。もうお亡くなりになったが、親しくしていただいていた北総にある大きな総合病院の院長さんが、病気で入院している子どもたちの院内学級開級式でお聞きになって「いい校歌ですね。包み込むような、心が洗われるような。いいですね。子どもたちが頑張ろうって気になります。」と褒めてくださったのをよく覚えている。「中村八大さんの作曲です」とお伝えしたところ、「どおりで」と納得し、深くうなづいておられた。
 3.11東日本大震災の時も、阪神淡路大震災の時も、被災した人々、応援する人々、見守る人々、誰も誰もがこの歌に元気づけられた。先日、NHKの番組で、取り上げていた。古く南米に移住した日本人たちがアイデンティティを感じた歌。永六輔作詞の歌詞には主語がない。誰でもその歌の中に「主」として入り込み、苦境や苦難の中にあって「上を向いて歩こう」と語れる歌、口ずさめる歌。すごい歌だと思う。

 「いま」という瞬間(とき)を駆け抜けている君、立ち止まって口ずさんでみませんか?『悪いことばかりじゃない?』そんな風に捉えることができないいまだけど。

晴れ 悪いことばかりじゃない?

4月22日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.165 そんな風には捉えることができない「いま」だけど

朝、部屋に入りコンピュータの電源を立ち上げて、GoogleChromeを開くと、お気に入りのトラック諸島のグランブルーの隅に、小さく「家にいよう。みんなのために」とメッセージがあった。Googleからの新型コロナウイルス感染拡大防止に貢献しようというメッセージだ。時々こんな粋な?ことをやる。「そだねー」(何年か前の流行語大賞)と肯定的にメッセージを受け止めながら、心が少しほっこりした。
 報道では深刻な状況が常に流され、自粛で身を守ろうという呼びかけが多く流される。その影で起こるDV問題や医療崩壊、精神的に不安定になる子どもたちの増加。ウイルスの猛威は、社会のあり方、人間のあり方そのものへの大きな問いかけとしてある。そんな中、アスリートたちが、リレーでメッセージを贈り始めた。ロックダウン下にあるイギリスの街では、毎週木曜日の20時にNHS(国民保健サービス)を励ますために、人々が拍手をする。一斉に。人には力がある、自然の猛威の前には弱いかもしれないが、大きく強くなる力があることを表明し始めた。大切にすべきものは何かを確認するように。
 いつまで続くかわからないこの状況はとても不安である。それでも私たちは生きているし、今日のこの瞬間(とき)は今しかない。手を取り合い強く生きよう。
 いま自分にできることは何があるだろう。考えてみるだけでも価値がある。自分には何もないと気づいた君、いい気付きですよ。角度を変えてもう一度自分を見つめてみませんか。Googleのメッセージはいいヒントかも。

お知らせ つながりが「分からない」を「分かる」に変える

4月16日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.164 ICH風オンライン授業
 臨時休校中の家庭学習支援。本校では有名な教育事業として展開するWeb授業の活用だけでなく、もっと血の通った「つながり」による指導が行われている。
「面白い取り組みですよ」と数学科の一人の教員がTwitterの画面を見せてくれた。
教員A「○○君からの質問です。複素数を用いて円を表すとき、直径の2点α、βを定めて・・・変形した①②の式が何を表しているかもピンときません」
教員B「αーzの正負のところですが、複素数なので・・・」
教員C「②は①と同じですが②の方が・・・」
教員A「なるほど、説明の方は私が・・・」
教員C「よろしくお願いいたします。後半も・・・」

ある生徒からのメールによる質問を巡って、教員のSNSコミュニティが活発に動いている。この生徒がしている質問からすると、ここがつまづきとして考えられる。克服するにはこの角度から説明するのがいいのではないか、あの角度からアプローチするにがわかりやすくはないかと意見を出し合うのである。導かれた結論の中で、その生徒の理解に最適と思われる解説を、メール受信した教員が当該生徒に送る。
なんて素晴らしい「つながり」なんだろう。生徒と教員とのメールは、「Webでお知らせメール」(本校の独自のメールアドレス)で行われるため、外部に漏れる心配はない。コミュニティに参加しているのは本校の数学科の教員のみ。一人の生徒の「分からない」に大勢の教員がコミュニティでワイワイ、ガヤガヤ。ツイートの時間を見ると、約1時間の間に様々なやりとりがあり、生徒に返信がなされているようである。質問の対象は、共通して渡されている副教材上の問題。
学校にこれない生徒の家庭学習支援。つながりが途切れることを憂慮した教員が差し伸べた手に、生徒がしっかりと握り返してきている。握り返した手は一人で掴まない。コミュニティに参加する教員みんなの暖かい手が包み込んでいる。すごいな。この取り組みがもう少し進んで、他の生徒への公開がなされると、もっと広がりを見せるだろう。いいなぁ。
生徒は自宅学習、教員は在宅勤務。こんなときだからこそ、こんなつながりの暖かみが嬉しい。市原中央高等学校、いいね!

お祝い まだ見ぬ君たちへ(新入生に寄せる)

4月15日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.163 入学式がなくて残念なのだが
コロナウイルスの猛威のおかげで、入学式ができなくなった。少し無理をしてでも・・・と考えたが、ほぼ全員がスクールバスを活用する本校では、クラスター感染が心配である。なんとも言えない残念な気持ちを持ちながら、同じぐらい強く「早く会いたい」とも思う。「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」

まだ見ぬ君たちへ(荷物に同封したメッセージ)
古来、日本人は「みる」を大切にした。「見えぬもの」を恐れ、敬う。神々と人の境にも「見るな」(タブー)を設けた。それほどに視覚は重要な意味を持っていたようだ。いま人類は「見えぬ敵」と戦っている。侮ってはいけない。厳しい戦いになるだろう。こうした戦いは今後も増えるだろう。その社会の担い手となる若者たちが本校に入学してきた。頼もしく、嬉しい。早くその姿が見たいと心から思う。お互い我慢の時だ。頑張ろう。   校長 日髙 学

お祝い 言い忘れがなかっただろうか

4月14日(火) ほぼ毎日・校長 卒業おめでとう

机上の電話が鳴り、受話器を取ると「ぜひ校長先生とお話がという保護者の方が・・・」副校長先生が少し困惑した声で事情を伝えてきた。長く電話でご説明し、納得いただけているのだが、最後にぜひ校長先生と話をしたい。替わると、開口一番「やっと出てくれた、校長先生。やってやくださいよ卒業式。規模縮小でもいい、みんなと会う機会をあげてくださいよ。教頭先生も、副校長先生も『やる方向で検討中』、そんなんじゃ終われない。先生から一言『安心してください。必ず』と聞きたい」心を絞るような声でお父さんが語りかけてきた。私の回答に「本当だね。絶対ですよ。でないと、子供が不憫で・・・。その友達も今みんな来ている。お父さん学校に電話して・・・って言っている。いいですね、校長先生が約束してくれたって伝えていいですね」
もう1月以上も前の話だが、お父さんの声も、話の内容も、感情もみんな覚えている。心からありがたいなぁと思った。3月18日、卒業証書授与式を挙行した。コロナ騒ぎで縮小した挙行だったが、よかった。

 春風駘蕩、梅花馥郁と薫るこのよき日に・・・通常卒業式の式辞の冒頭はこれで始めることにしている。今年は違う。猛威を振るうウィルスのおかげで、季節がひとつずれたような時期に、君たちとの別れをする。「ふつうでない」と感じる者も多いだろう。「異常」「想定外」などという言葉を当てはめてみたら、ぴったりする感覚を感じるものも多いだろう。しかし、我々が、いや君たちがいきるこの時代に、「異常でない」「想定内である」はどこにあるだろう。触れるものすべてが「思いもよらなかった」というものばかりが蔓延、氾濫する時代である。式辞では普通、グローバル化、情報化が進み、狭くなった地球の、激流のように流れる時の流れの中で・・・と続けるのだが、そういう時代であるからこそ、大切になることを語っておきたいとおもう。今日はひとつ予想だにしない式辞で君たちのはなむけの言葉としたいと思う。
私におおきな影響を与えた青年の話である。もう10年も以上も前の話。病院に隣接する学校に勤務していた。着任して日も浅い4月初め。今日のような春の日である。陽が当たる病院から学校に続く渡り廊下を、電動車いすでゆっくりと渡ってくる青年がいる。あの時の彼は、今の君たちと同じくらいの17・8歳。傍まで来て「新しくお見えになった校長先生ですか?」と語りかけてくれた。名前を「KAI」(たしか「海」とかいて「かい」)君という。笑顔のすがすがしい青年である。久しぶりにみたような気がした、澄んだ目の持ち主である。生徒会長である。しばらく話をして病棟に帰っていった。
はじめて会話を交わした生徒だったので、印象深かった。毎日病棟からやってきて、お昼は病棟に帰って昼食。午後やってきて授業が終わるとまた病棟に帰っていく。昼休み彼が帰っていく姿を何度となく見ているうちに、あることに気づいた。彼は必ずわたり廊下の、同じ個所で車いすを止めて、中庭の一角を眺めて帰っていく。ほんの数秒のことだったに違いない。私には10秒にも20秒にも、それ以上に長く感じた。彼の視線の先には、今を盛りと咲いている菜の花があった。
彼の中にそんな思いがあったのかどうか確かめたことはない。この話をするたびに、自分のなかで増幅されたストーリーであるだけのような気になってくる。「花を見つめることの意味」を私は感じ取った。彼は、筋線維の破壊・変性(筋壊死)と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患筋ジストロフィーという病に支配されている。そのことを知った時に「菜の花を見つめることの意味」を私は付加したのだろう。彼にとって毎年訪れる「春」、菜の花をめでることは、「筋萎縮と筋力低下の進行」を確認すること。「昨年まで腕は動いていたのに、今年は指先しか動かない」を知ること。病棟に「ただいま!」と言って帰り、同室の仲間と話をする。それは、数年後の自分の姿を見ること。
私は「ちがう」と思った。私のような年老いたものが、春の桜花を見るたびに、「あと何回この桜をみられるのだろう」と考えたり「あの頃のわたしは」とよみがえる思い出に浸るのは世の常である。それはいい。しかし、17・8の青年がそれを感じてはいけない。それが「ちがう」なのである。それまでここに集っている君たちと同じように、今を懸命に生きている元気溌剌生徒と接していた自分が、気づかなかったことを彼は教えてくれた。どんな者も自らの「生」と向き合いながら生きているんだという、大切なことを彼は教えてくれた。吉野弘の詩「I was born」。確かに誕生は生まれる者の意志は介在しないが、自らの「生」として強く生きること。君たちの「生」に託されるさまざまな思いを受け止めながら・・・
「命」を大切にしてほしい。他者のも己のも。「ふつうでない」が蔓延する時代だからこそ。それをつたえて、私の式辞、君たちの門出のはなむけとしたい。
さあ、35期生の諸君、いよいよお別れの時です。この学校での3年間を糧に、いい人生を歩んでください。君たちの将来が幸多からんことを心より祈ります。
卒業、おめでとう
令和二年三月一八日
   君津学園 市原中央高等学校長 日高 学

重要 今日から3日間・書道同好会書作展

2月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.161 みんな頑張っている

 木更津のイオンモールで開かれている書道同好会の書作展に早速伺ってきた。一年生も二年生も。
何日か前のこと、見知った2年生の男子が部屋を訪ねてくれた。2年には珍しく、よく部屋に来てくれるKくん。木更津総合高等学校との書作展の招待状を持って。「何を書いたの?」「漢詩、春を詠んだ漢詩の一説を半切に書きました」漢詩の内容をイメージできただろか。昔少しばかり書道をかじったことのある私は、K君と同じ歳くらいの時のことを思い出していた。井の中の蛙で、地域の書作展でもてはやされ天狗になっていた頃の自分を思い出していた。やがて大学に行って、見事に鼻をへしおられ、挫折した時のことも思い出していた。「楽しみ(play)」がなかったのだと思う。書いている時の充実や、喜び、そんなものをK君には感じて欲しいと思っていた。
 一年も頑張っているので来て欲しいという彼の誘いに、「行く、行く」と約束したものの、週末がなかなか難しい。通院の時間を少し早めて、思い切っってお休みをもらって行ってきた。ちょっと気取って、花を持って行ってきた。行ってよかった。同好会のみんなが喜んでくれた。始めてまもない者も、少し心えのある者も、一生懸命に「楽しんで」いた。

 また一つ、市原中央高等学校の生徒の魅力を発見した。いい「瞬間(とき)」を過ごしています。

音楽 私学吹奏楽大会の報告にきてくれた

2月7日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.160 インフルエンザで大変だったね

「先生、行ってきました!」と報告にきてくれたのは吹奏楽部の部長さん。モザイクをかけているのでよくわからないでしょうが、ちょっと丸みがかった黒い細い縁取りの大きめのメガネがとてもよく似合う。ややもすると知的な雰囲気が優先しそうなイメージを、温かく柔らかいものに変えて、とても素敵な感じなのである。(イメージからはドクタースランプの則巻アラレちゃん)予防のためにマスクをしていたので、最初は誰か?と思ったのだが、メガネとその奥のにっこり笑った目ですぐに分かった。手には大会の冊子と缶バッジを持って、報告にきてくれたのである。開催の直前にインフルエンザの流行で、1クラスが学級閉鎖になっっている。その中に部員が?気がかりで聞いてみた。「そうなんです。ホルンの子がいけなくなって・・・1年生を代わりに立てたのですが、結構間際だったので・・・」と苦労話をさらりと語ってくれた。さぞ大変だったろうに、「さらり」なのである。今ある現実をしっかり受け止めてやるべきことをやり遂げた爽やかさすら感じさせる。部長を務めているだけあって、キッパリとした決意がメガネの奥に光っていた。よくがんばりました。彼女が帰った後、インターネットで楽曲を探して聴いてみた「マードックからの最後の手紙」。驚いた。ホルンのソロパートが結構な長さである。これをやり遂げたのか?短時間で。「すごいなぁ」心からそう思った。素敵な報告をありがとう。

 また生徒の素晴らしさを実感した。市原中央高等学校の生徒の力の奥深さ。いいね!

NEW 育っていますGL(グローバル・リーダーシップ)

2月6日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.159 質問が凄かった

 まだ入学してまもない頃『大丈夫かなぁ?』の心配をよそに、見事にゴールドマンサックス社でグローバルプレゼンテーション(Vol.78)をやってのけた英語コースの1年生。今度はMetLife社でジョブシャドーにチャレンジである。中学校時代にインターンシップを経験しているこの子たちが、ジョブシャドーを理解し、感得するのは難しいかもしれない。サッカー選手になりたいのは何故だろう?という問いかけから始まる。ああなりたい、こうしたいには、必ず手本になるような大人、憧れる大人がいるはずである。それに気づくのにそんなに時間は掛からなかった。Educationするだけの学校に通っているだけでは生まれない。Learningするきっかけ、興味や関心を与えることに力を注ぐ学校でないと生まれない。「かつこいい大人」と会ってほしい。憧れて欲しい。そんな願いを込めて企画(Project)が誕生する。今日は、MetLifeのCSR(corporate social responsibility)担当部署からきていただいた方からの事前レクチャーである。「彼らなら大丈夫だろう」というゴールドマンサックスの経験からの期待があったが、遥かにそれを超えた成長ぶりを見せてくれた。担当の女性がプレゼンを終え、「何か質問は?」のその一言から私の驚愕は始まった。生徒たちの口から飛び出した質問を列挙しよう。おそらく高校1年生が・・・と、私と同じ驚きを感じてくれるに違いない。

Q 日本企業の典型とはおよそ違うという話があったが、貴社にしかないものは何ですか?
Q 入社してから長いと聞きましたが、その間に会社は変化しましたか?
Q 会社のマネジメントを支える「連携」のつぼ教えてください。
Q 在宅業務の話がありましたが、他の人々との関係で大切にしていることは?
Q サイエンスアプローチを具体的に教えてください。
Q MetLife社員として一番心がけていることは?
Q コミュニケーションで大切になってくること、1番はこれを教えて
Q 元々グローバルな会社だが、社内でグローバル化はどのように意識されている?
Q 障害者の雇用問題に興味があります。貴社の障害者雇用実態について教えてください。 
 などなど。


いつの間にこんなに成長したのだ?担任の先生に伺ってみると、「いやぁ、今日の生徒の姿には正直驚きました。きっと面談やちょっとした会話でも、必ず『質問して』と要求している、それが力になっているのかな」と語ってくれた。さらりと答えてくださったが、いい環境作ってくれていますね。

 すごいでしょう市原中央高等学校。GLCだけでなくⅠ・Ⅱ類でもSLP(Student Leadership Program)で展開して行こうと企んでいます。

こちらでも紹介しています

了解 いつもありがとうの生徒たち

2月5日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.158 明るい笑顔で一生懸命

 写真に写っているのは2年生の生徒たち。校長室の清掃当番で、代わる代わるやってきてくれる。まだ少し生徒たちにも遠慮があるのか、私にも遠慮があるのか、『何を話せばいいだろう?』と構えてしまうところがある。もう一つ、最近夕刻に不在になったり会議が入ったりで、校長室の掃除が応接室だけになってしまうことがあって、会えないことが多い。でも話しかけるとみんな笑顔で応じてくれる。いつもきてくれる一人の女子がいない。代わりにきてくれた生徒に「どうした?」と尋ね、話してくれた事情を聞いてから、その子のことを「まいこ」さんと呼んでいる。理由はこの子たちと私だけの秘密です。その話題に他の生徒と興じていると、当番が替わって本人が訪れたとき「あっ、君は・・・」と声をかけると「はい『まいこ』です」と応じてくれた。「素敵な名前があるのに・・・ごめんごめん」ちゃんと君の本名は覚えていますよ。
 校長室の会話、生徒間で話題にしている。ただそれだけのこと、ただそれだけの会話なのですが、生徒と校長がこんなたわいもない会話ができる市原中央高等学校って、いいと思いませんか。自慢、自慢。嬉しい、嬉しい。

花丸 素敵な週末、保護者の方との会話

2月3日(月) Vol.157  校長講話が話題ですか?嬉しいですね+こども歌舞伎

(左斜め上の写真とその他の画像に関連はありません)
 週末に素敵な保護者の方々とあった。3年生の常任委員を努めてくださっている方が会する機会、そこで出た会話。「先生、うちの下のが『今日の校長講話はね。・・・兄貴。話に出てたよ』って帰って来たんですどんな話だったのですか?」「そうそううちはまだ2年なんですが、放送の校長講話よかったって言っていました」と嬉しい話題が飛び出してきた。大抵校長の話なんて、右の耳から左の耳へと通り過ぎるものなのだが、ちゃんと聞いてくれていてくれて、ご家庭で話題にもなるなんてすごいと感動したのです。まぁ、話がよかったなんてのはお世辞なのでしょうが、いい環境でみんな育っているのだなぁ。嬉しい限りです。「こどもたちの持っている「もの」の高尚さや奥深さの話をしたのですよ。」と語り、録音していたピアノ・ショパン「革命」を聞いていただいたり、お城の好きな息子さんのお話をさせていただいた。するとある保護者のかたが「Yさんちの息子さん、ミュージカル舞台デビュー。観にいくんです」と紹介してくださった。隣に座っていたお母さんが「Yの母です」。Vol131の音楽コースの男子生徒の保護者の方でした。すごいなぁ。「そうそう、こども歌舞伎をやっている生徒がいましてね。無理やり招待をおねだりしたら・・・」2月2日に県文化会館で公演があることを話題にした。
 行ってきました。楽しみにしていたその期待以上の生徒の姿に驚きを感じてきました。持っている「もの」の高尚さや奥深さの再確認です。感動していると、お昼過ぎにその生徒のお母さんがわざわざお礼にきてくださった。日頃の生徒との触れ合いや、彼を取り巻く友人の素晴らしさをご報告し、ひょんなところから「写真」の世界に話題が飛び、ボルネオ島のオランウータンの話やマレーシアの夕陽、サバンナのシマウマの話で盛り上がった。この母あってあの息子ありなのですね。

 いい瞬間(とき)をありがとうございました。ほぼ毎日・校長は幸せ者です。

重要 同窓会・頼もしい先輩たちと共に

2月1日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.156  頑張っている卒業生から頑張っている在校生へ


 一期生の会長から歴代の卒業生の方々がたくさん集まってくださった。挨拶をお願いされていたので、現在の市原中央高等学校の生徒諸君の頑張りをお話しした。学校がEducationをやってのけることはそれほど難しくないと思う、しかしLearningの場であり続けるることは難しい。できている学校、それが市原中央高等学校である。先輩たちに接していて、つくづくそ思った。
  Learningのためには、倫理やインスピレーションを学ぶためのメンターやロールモデルが必要である。本校の現役の生徒たちのメンター、ロールモデルがしっかりここにいた。ある同窓生の方がからご提案いただいた。「頑張っている卒業生がたくさんいます。頑張っている在校生のために」

市原中央高等学校 同窓会 素敵な会です


同窓会HP
https://dousoukai.site/ichihara-chuo/

 

お知らせ 放送による校長講話(地図とコンパス)

1月31日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.155 3年生の先輩から窺える本校


 インフルエンザの流行が真っ先に影響するのは集団行動。この日予定されていた体育館での校長講話も放送によるものに変更した。相手の顔をみながら話をするのでなく、マイクに向かって・・・は難しい。ラジオのパーソナリティや録音は、やはり慣れなんだろうなと思う。講和の内容は、出会ってから大切にしている評論家の「今必要なのは『地図』ではなく『コンパス』である」という話。
 もちろん教え育むことも大切である。しかし、本当にその生徒が「学ぶ」ためには、興味を抱かせることが大切になってくる。そこがなかなか難しい。興味を抱くこと、自然に湧き出てくるそのチャンスを与える工夫。実は難しいようだが、それほど「困難」ではない。「協働」の中にヒントがあって、何かの共通の目的に向かって、協働で動き始めた時、人は「仲間」の中にメンターやロールモデルを見つけ出して、自己変容を始めるのである。そういうメンターやロールモデルはある程度豊かで深い「もの」を持っていないと、スパイラル的に展開する自己変容は進まない。こうした学びに「地図」は必要ない。自分で進むための「コンパス」が必要である。どうやって学ぶか。メンターやロールモデルをどう与え、活用する機会を作るか。それが大切になってくる。これからの学校はそうなるだろう。しかし、そんな上質なメンターやロールモデルの要素を持った者が集う学校はそうはない。市原中央高等学校にはそれがある。
 この春に卒業する3年生の紹介をしよう。
 「城」が大好きで、語り始めると止まらない。旅先で城や城跡に触れる機会があると彼の顔が浮かぶほど興味を持って夢中になっている。・・・Vol.128の生徒
 絵を描いている時間が一番自分らしい。だから絵が好きだ。好きなことは一生大切に取っておきたい。続けていきたい。でも仕事にする好きとは違うと語る生徒。・・・Vol.146の生徒
 声楽の姿をみてもらったけれど、本当の自分はこれ。これしかないから夢中でまっしぐらに進んでいる。「革命」をピアノで聞かせてくれた生徒・・・Vol.153の生徒
 市原中央高等学校は、単なるEducationの場ではない、Studyingだけの場ではない。Learningの扉をいくつも提供する学校だ。

 そんな話をした。いい学校です、市原中央高等学校。

 *放送の校長講話に協力をしてくれた放送委員会の諸君、ありがとうございました。 

音楽 こんな瞬間(とき)を独り占め

1月29日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.154 意思を離れ生き物と化した指の奏でる音

お昼少し前、「先生、お時間大丈夫ですか?」と言って、女子生徒(Vol,153)が部屋を訪ねてくれた。今日は肩まである髪を、ポニーテールに結んでいる。いつも練習している第二音楽室のグラウンドピアノの前に立った姿は、女子の姿を形容するにはそぐわない言葉かもしれないが、「荘厳さ」が感じられた。それだけ、鍵盤に向かう姿勢が凛とした真剣なものであった。生徒は椅子に浅く腰掛け、少し斜め上を見上げるようにして、大きく息を吸った。鍵盤に指を当てがい、最初の音が出るまでのほんの少しの間、時が止まった。私の、緊張に耐えきれず、口が乾くような気がして、つばを飲み込んだ音が聞こえるほどの静寂。次の瞬間、最初の音が出たあとは、生徒の指が、まるで本人の意思を離れた、一個の生き物のように鍵盤の上を目まぐるしく動いていく。ショパンの「革命エチュード」。難曲として有名な曲。その世界に疎い私ですら、それとすぐわかった。
 見事だった。時にはシーケンスに、時にはランダムに動く生き物と化した指は鍵盤を通じ、ハンマーを動かし、弦を叩く。奏でられる音は、こうした構造を説明する言葉で表現するには失礼なぐらい「いのち」を持って伝わってきた。大きく上半身を動かしながら、波打つように揺れる彼女の身体はピアノと一体化していく。華奢な小さな体が、何倍にも大きく、偉大に見えた。彼女そのものが部屋全体に満たされた「おと」になっていく。琴線が震えた、涙腺が刺激された。「すごい」かつて勤務した高校で、吹奏楽部の生徒が全国大会に臨む楽曲を、私に聞いてもらいたいと言って聞かせてくれた時と同じだ。
 辛い時もあったろう、もう投げ出したいと思う時もあったろう。喜びも苦しみも、共に感じてきた白と黒の配列。生徒がそれに向かう時、裏切ることなく「自身」を表現してくれた。この時のこの生徒の心情を確認することはもちろんなかったが、素晴らしい感動の「共鳴」を私に与えてくれたことは間違いなかった。

 ありがとう。こんな素晴らしい瞬間(とき)を。独り占めさせていただきました。すごい学校です、市原中央高等学校。

音楽 この瞳、この笑顔どこかで見た気がする

1月24日(金) ほぼ毎日・校長Vol.153 2週間ぶりの投稿

 3年生が自宅学習に入ってから部屋を訪れる生徒がめっきり減った。寂しい。と言うより部屋のドアを閉めていることが多くなり、繋がりを閉ざしていたのは私の方なのかもしれない。年度末になるとなんだか忙しい、慌ただしい。
 今日も部屋に籠もってPCと向き合っている。自分らしくないなと思いながらも、目の前にある山積みの仕事と格闘していた。ドアがノックされた気がした。風の悪戯かと思えるほどの微かなノック。「はい」と返事をしてドアを開けてみると、見知った3年生の女子が立っている。音楽コースの生徒である。みんなが進路を決める中、自分はまだこれから挑戦を・・・。少し不安の影を宿した面持ちで「頑張っているんです」を伝えにきてくれたのである。音楽の道へ進む彼女は、今が山場なのだろう。「それでね先生、試験で弾く楽曲を聞いていただきたくて」と嬉しいお願いをしてくれた。ぜひ一度聴いて欲しいと語ってくれた。「いつが空いていますか?」「そうだね」今から楽しみである。
 部屋を出ていくとき、「受験で卒業式に出られないかもしれない」と少し寂しそうに語った。「そう、そうなったら担任の先生と一緒に、この校長室で卒業式をやろう」
 そうだ、あの瞳、あの笑顔。かつての教子の吹奏楽の部長、かつての教子の書道部のパフォーマンス部長。彼女たちの輝く瞳、柔らかい優しい笑顔と同じだ。何かに夢中になって、真剣に取り組んでいる若者の輝きは美しい。うらやましくなった。市原中央高等学校、いいね。

3ツ星 芸術は、哲学だ、人生だ!

1月10日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.152 芸術コースの展示会

 市原地区の高校の芸術作品展示会が行われていた。ぜひ顔を出しておきたかった。そんな思いにさせたのは、3年生のサカナさんVOL146で紹介した彼女の存在である。あそこまで自分自身を引き込んでいる絵画。そんな彼女の後輩たちが集っている。3年生がいなくなった中で、1・2年生の活躍はどうだろう。関心があった。
 平日の午前中、訪れるお客さんは少ない。開場してまもない催し物フロアに椅子を並べて、本校の芸術コースの生徒が先生方からレクチャーを受けている。「冬休みの宿題、みんなで批評し高め合っているんです。」と一人の先生が説明してくれた。講師役の二人の先生が批評、感想を1枚、1枚のデッサンに述べていく。どれもすごい。「いいな、うちの子たち」と思いながら、一緒に聞いていた。
 これはね、製作途中に陥ること。必ずと言っていいほど。見事に陥ったね。
 そんな時は、距離を置いて観ること。
 近づいたり遠のいたりしてみつめてみること。
 技術、テクニックだけでなく人生を語っている。こうした視点、視野を持つチャンスを自分でつかんでいる。すごいことだと思う。絵ができてからテーマやキャプションを考える。テーマやキャプションがあってから絵をものす。どちらでもそれはいい。写真を撮影するのだが、撮影に入る前にテーマを考える。シャッターを切る瞬間には、キャプションが出来上がっている。そんな撮影の仕方をすることもあれば、とりあえず感動や流れに従ってバシャパシャとシャッターを切る。出来上がった作品をみながら、キャプションを考える。
 何を語りたかったのか自問してみること。やはり人生なのだ。

 芸術は面白い。作品と、講評と、生徒たちの表情をみながら、心からいいなと思った。

お祝い 本校生徒の中に息づく日本

1月8日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.151 嬉しかったなぁ

新年・校長講話
「あけましておめでとうございます。良い年を迎えましたか?」
「はい、ありがとうございます。先生はいかがですか」
「はい、良い年を迎えました。ありがとう」

 今年になって初めてあった本校生徒との新年の挨拶である。何気ない挨拶なのだが、私はこの生徒の生活環境や、大きく言えば「育ち」に感心した。それは、このオリンピックイヤーと呼ばれる2020年にあたって、ちょっと考えてみたいことにつながっている。
 私は2度目の東京オリンピックを迎える。小学生の頃、ワクワクドキドキしながら、白黒のテレビの前に家族で集った。祖母も父母も兄弟も、テレビのない親戚も。近所の家はカラーテレビだった記憶がある。ちょっと悔しかった。粒子の荒い映像でブラウン管に映る選手たちの勝敗や記録に一喜一憂した。会場の臨場感をそのまま茶の間に持ち込んで楽しんだ。時は流れ、そこに集った者たちの多くは、鬼籍に名を連ねるものとなってしまった。記憶の片隅に「あの日ローマで眺めた月が、今日は・・オリンピックの顔と顔」三波春夫の東京五輪音頭のリズムと朧げな歌詞が残っている。
 今回の「オリンピック2020」は、ガンダムが衛星で打ち上げられ、地球・東京に向かって、開催期間中にずっと応援メッセージを送るそうだ。時代が違う。ソサエティ5.0(5G)の時代が、いよいよ本格的に始まる。そんな急速な時代の流れの中で、狂言師・野村萬斎氏は開会式で日本の伝統を踏まえた催しを企画しているらしい。日本の伝統と新しい技術革新のコラボレーションである。楽しみである。
 「らしさ」の追求である。忙しく移り変わる時代。そんな中にあってこそ「らしさ」が求め、問われるのである。どうすれば我々日本人が持っている「らしさ」(オリジナリティ)が伝えられるか、腐心しているのである。
 みんなと一緒がいい。違うことは勇気のいること。大勢の中の一人であることが安心な時代ではないのである。自分「らしさ」を考え、「自分って何」「違っていいんだ」その中で、率先垂範や、同僚支援、方向性指示の力を求めつづけるスタートの年にしていただきたいと思う。
 先ほど紹介した本校生徒との新年の挨拶。この中には、大切な日本の心がある。そんな風に思う。まだ始まって間もいない1年に対し、「良いお年をお迎えになりましたか?」いかにもおかしな問いかけであるけれども、「ありがとうございます。そちら様は?」と返す。言葉による呪言(寿ぎ・ことほぎ)、相手に「幸」を贈る。贈られた者は、感謝の気持ちを込めて相手に「幸」を贈る。互いを尊重する「日本の文化(らしさ)」なのである。前回のオリンピックを一緒に楽しんだ、鬼籍に名を連ねるものたちの時代には、自然に存在した「日本文化・らしさ」である。
 これを意図せず本校の生徒から感じ取ることができた。生徒の中に息づいていることに喜びを感じた。こんな嬉しいことはない。こんな頼もしいことはない。生徒のおかげで、私の一年は「いい一年」になる。
 いま私は、全校生徒と本校の全職員、この文章を読んでくださっている関係諸氏に同じ「幸」を与えたい。寿ぎを
  あなたたちにとってこの一年は最良の年です。いい年を迎えました。
  あけましておめでとうございます。
  今年も、市原中央高等学校をよろしくお願いいたします。

お祝い 生徒がくれた贈り物 Part2

12月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.150 合格報告と学びの共有

 「先生、お時間よろしいですか?」ドアをノックする音と共に、丁寧な挨拶で2人の生徒が入ってきた。応接に座って話し込んでいた教員が「オヤ、生徒ですね。では私はこれで」と言って立ち上がった。心遣いが嬉しかった。
 一人はVol.120に登場した「源氏物語」を読んでいる彼女である。「久しぶりだね」と声をかけると「合格報告に友だちときました」と言ってもう一人の彼女を紹介してくれた。表彰式の壇上で「成績優秀者」として何度か顔を見たことのある彼女。部屋を訪ねてくれるのは初めてである。二人が報告してくれた「合格」は立派なものである。「ところでそこでなにを学びたいの?」背伸びをさせるような質問をしてみた。思いもよらぬ答えが返ってきた。「言語学なんです」専門に研究している友人たちでもうまく設定できない、多様な切り口のある分野である。その学びにむけた思いを称賛し、語ってくれた学問の世界に感心した。あまりに素晴らしいと感じたので、ソシュールの「ラング」と「パロール」の話の入り口を語ってみたところで、さらに驚いた。彼女は既にこの単語だけでなく、意味までも知っていたのである。
 「源氏」を片手に廊下を歩いている彼女といい、ソシュールの世界の扉を開いている彼女といい、うちの生徒の新たな一面を発見した気がした。市原中央高等学校、すごいです。いいね。

雪 生徒がくれた贈り物 Part1

12月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.149 3年生を送る会
 表彰式の後、校長講話、3年生を送る会が行われた。講話を終えて壇上からフロアに帰ってくると、生徒会の諸君が「それではこれから3年生を送る会の準備に入りますので、少しお待ちください」というアナウンスをする。全校の生徒がおかしな動きをしている。静かな水面に様々な絵具を浮かべ、静かに待っていると、わずかな空気の動きで緩やかに模様を作って線画ができていく、あんな動きである。一定の法則性を持っていて、それでいて明確な意思によって動いているのではない、緩やかで「ためらい」を感じさせるようなそんな動きである。よく見ると2年生の動きが1年生に伝播していることがわかる。そう、3年のためにステージ前のフロアに空間を作ろうとしているのである。2年生は昨年の経験があるからスムーズである。1年はなにが起こっているかわからなく、やがて納得して動き始めるから、タイムラグがある。初めての経験であったから、近くにいる教員に尋ねた。「このように動くことが予め指導されているのですか?」「いいえ、自然な流れのようです」
 誰が指示をしているわけではない。誰が促しているわけでもない。自然にこの行動がとれている。「3年生のために」が大きなうねりとなっているのである。「すごい」と思った。

3年生を送る会 校長挨拶
 さほど君たちとは遠くない先輩に、担任として先生が記した「贈る言葉」に接する機会があった。奇しくもこの場で語っておこうと思っていた内容と合致したので、紹介していこうと思う。
その先生は語る。Society5.0の社会が進み、情報化・グローバル化が進む中で、その大きなうねりは、個々人が希望する希望しないに関わらず押し寄せて、君たちを巻き込んでいく。今まで持っていた価値観や常識は、電車の車窓の景色のようにあっという間に遠のき、過去のもの、古きもの、異なるものに変わって行き、通用しないものになっていく。
 その中で必要とされる力は、仲間とのリレーションによって課題を解決する協働力・共生力と、今ある姿に疑問を感じる批判力である。よく語られる「生きる力」「真の学力」につながるものであるが、生徒諸君に直接関わってきた担任の先生が、卒業という節目で語る言葉であるが故により説得力がある。
 もう一つこの力に付け加えるなら、シンパシーに止まらず、エンパシーまでもができる「こころ」を持つことである。この学校での3年間を振り返る時、ここで語られた力の礎が築かれていることを切に願う。これからが本番の諸君が多い。体調を整えて、頑張って欲しい。やり抜いて欲しいと切に願う。

注意 こだわりが生んだ大切なもの

12月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.148 こちらこそありがとう

 覚えているだろうか、先日このブログ(Vol144)で紹介した彼女。笑顔で部屋に入ってきた。愛犬自慢、拘っているんです、「また来ていいですか?」「ええよぉ」、パラサイトの彼女である。あの時は心底思い詰めたような感じがあった、手元の手帳に大切に挟んだメモを見ながら、確かに涙を流していた。私との会話の中で、自分の思いにスラッシュ「/」を引くように区切りをつけて、しっかり結んだ唇に「決」の文字が浮き出てくるような、キッパリとした表情を見せる。笑顔で「やってみます」。竹を割ったような性格とはこのことを言うのだろうと思った。
 その彼女が、今日は最初から笑顔である。しかし私にはその笑顔が、重い我慢と自律によって裏打ちされていることが見て取れた。笑っているが心が笑っていない。案の定彼女の口からは「ダメでしたぁ」と言う一言。「こんなもんですよね」あらら、こんなに若い頃に「世間」を感じ取らせてしまった。こりゃぁいかんと思った戸惑いは、次の言葉で払拭された。「『なんとかなる』『無理にでもなんとかしてほしい』ではないんです。分かって欲しかっただけなんです、きっと」自分を見つめ直した時にそう見えたのだろう。「それを校長先生がしてくださったので」(←ここ太文字にしたい)そんな風にとってくれているなんて、嬉しい限りなのである。
 康成の「伊豆の踊り子」だっただろうか。「いいひとはいいね」踊り子とその連れの会話の中に、自分に対する「いい人」評価を聞いた主人公は、素直に自分をいい人と感じることができたと言う描写があったことを思い出した。彼女の一言で私は、自分を本当にいい人と、素直に、自分で、照れもなく思っていた。彼女の笑顔も、さっきの笑顔とは違う。心も笑顔になっている。こだわりが産んだ副産物?なのかな。将来彼女もきっとこんな思いをしたりさせたりする経験をしてくれるのだろうな。
 「パラサイト、拘ってね」「はーい」明るく部屋を出て行ってしまった。「また来ていいですか?」「ええよぉ」は、今回はなかった。少し寂しい。

  いい瞬間(とき)を過ごしています。市原中央高等学校生。いいね!

お祝い これもすごいことなのです 英語スピーチコンテスト

12月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.147 関東大会第3位


 第13回関東甲信越地区高等学校英語スピーチコンテスト(於:宇都宮共和大学)に生徒引率に行っている教員から吉報SNSが届いた。英語コース2年生のJade Alisa Teeさんが、第2部の第3位に入賞した。千葉県で準優勝、嬉しいけど少し悔しい。関東大会では全国に出られるように頑張りたいと語っていた彼女は素晴らしいスピーチを披露したという。全国大会への出場は優勝者のみ。残念ながら彼女は果たせなかったが、新しい目標の一つとしてスタートを切ったという。
 英語コースのグローバルリーダープログラムでの様々な体験が、彼女のスピーチの輝きに現れてきているのだと指導にあたっている教員は語ってくれた。小学生と共に英語で交流の場面でも、笑顔とボディランゲージでわかりやすく会話を楽しんでいる姿を拝見した。

 すごいな。市原中央高等学校。この英語コースの礎のプログラムが、次年度コースとしてスタートする。グローバルリーダーコース楽しみです。期待してください。

具体的な取組はCLCホームページへどうぞ →

お祝い おめでとう!佐藤太清大賞受賞!これ、すごいことなんです。

12月11日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.146 こんなにすごい賞だとは思わなかった

校長先生
おはようございます。美術科の●●です。ただいま3年生の▲▲のお母様からお電話頂きました。絵を出品しておりました佐藤大清賞展で見事に大賞受賞したそうです。校長先生にはブログにもあげて頂いたりしました事本人も大変喜んでおりましたので急ぎご報告申し上げます。
 一通の嬉しいメールが届いた。校内メールに美術を担当している先生から、いただいたメールである。修学旅行出発の前日に校長室を訪ねてくれた(Vol.134)彼女のことについてのメールである。あの時は「梱包してしまうので先生にみていただきたくて」という彼女の気持ちが嬉しかった。そのやり取りを知っていて、朗報をいち早く伝えようと考えてくださった先生のこのメールにある「心」がまた嬉しい。この先生、偶然に私と同郷なのである。この近辺の地域で例えるなら、五井と八幡宿ぐらいの近さである。しばらく話しているときっと「そやさかい、おもしろいやんか」と、郷里の小さな地域特有の関西弁が出るはずである。もちろんメールに訛りはない。メールをいただいたのが今週のはじめ。今日は師弟揃って報告に来てくれたのである。
 残念なことに教養に欠ける私に「佐藤太清(さとう・たいせい)」という日本画家がピンとこない。でもおめでとう。先生の高揚した頬の色に「すごい」が滲んでいて、無教養な私にもこれが尋常なことでないことだけは伝わってきた。二人が帰った後、早速ネットで調べてみた佐藤太清賞公募美術展。ワォ、文化庁後援、横浜赤レンガ(横浜市芸術文化振興財団)共催・・・etc。この美術展の一等賞をとったのだ。京都、名古屋、東京、横浜、有名な場所で巡回展示される。絶対に見に行こうと思った。そしてその絵の前で「これ、うちの生徒の作品なんです」とみんなに自慢したいと思った。梱包して、出展する直前の、誰にも公開されていないこの作品を、学校の3階にある美術室で、一番最初に見たのは私なんです。生徒は、わざわざ校長室に作品の仕上がりを報告にきてくれて、梱包の前に見ていただきたいなんてことが言える生徒なんです。この作品の作者。すごいでしょ、いいでしょ。外行く人を無理やり呼び止めて、作品の前に立たせ、思いっきり自慢したくなった。

 創造の君、今ごろ家の水槽にいる黒鯛の幼魚にドジョウを食べさせているのかなぁ?おもしろい生徒である。同郷の師も「ものすごく大きな何かを秘めた生徒です。楽しみにしています」と語っていた。今日も一日いい日になりそうである。いい瞬間(とき)過ごしています。市原中央高等学校。

お知らせ Eigo De Kouryu グローバル・リーダーを目指して

12月10日(火) ほぼ毎日・校長 V0l.145 英語コース2年 海上小学校の生徒と交流
 この日、昼休みから午後の1時間を使って、本校英語コースの2年生が海上小学校に行って、英語で異校種交流を行った。海上小学校は市原市が小規模特認校として特色ある教育を展開している学校で、造形教育、外国語教育推進校として、地域社会との連携を深めている。近年ではその先進的な取組と、研究実績を上げてきたことの功績が評価され、「教育功労賞 学校教育 団体の部」を受賞をしている学校である。
 地域で学ぶ高校生が、地域の子供(小学生)と触れ合う機会。それも生徒たちで企画して、「小学生が英語に興味関心を持って、楽しく過ごしてくれるにはどうすればいいだろう」を具体的なものにして実践する。日頃から行っている4つのP(project、peers、passion、play)の実践である。「みんな、今日はハリーポッターゲームをやるよ。ルールは簡単・・・」英語で語りかけ、説明する。三つのグループに分けた小学生は、体育館中を走り回り、passionとplayに満ちた時を過ごしていく。中にはノリの悪い仲間に声がけをしている小学生が出てくる。本校の生徒がそれを見ていてそっと寄り添い盛り上げている。ゲーム終了後は、1対1の英語会話。いい瞬間(とき)を過ごしていた。

 「同僚支援」「率先垂範」「方向性指示」、リーダーシップをちゃんと身につけ始めている。市原中央高等学校の生徒ってすごい。

 

! こだわっています

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.144 先ずはワンコ自慢から


 予約の彼女がやってきた。今週の月曜日、日も暮れて寒さを感じ始めるころ。一人の女子生徒がやってきた。「あぁ、ごめんね。これから職員会議で・・・時間がないんだよ」うつむいて「少しの時間でもダメですか?」深刻な雰囲気である。「じゃぁ10分ね」本当に時間がなかったので、10分のお約束。見事に自分の辛い?悲しい?苦しい?痛い?思いをわかりやすく語ってくれた。なるほど、聞いていて深刻である。このまま置いていくのも?と思いながら、「会議が終わるのを待っているかい?」と尋ねると、いつか時間をとってほしいと素直な気持ちを言葉にした。それが今日のお昼休み。
 昼食も摂らずにやってきた。「ありがとうございます」という言葉がドアの内側に入ってきた。気持ちを和らげようと、うちの犬(ジュニアくん)の写真。「可愛いだろう。先生メロメロなんだよ」と語ると、彼女も9歳になるチワワとポメのミックス犬の写真を見せてくれた。マーブルのコートが美しいわんちゃんだった。「いいね、愛情たっぷりの子だね。飼い主さんの愛情がそのまま表情に出ている」
 お互いのワンコ自慢で雰囲気を和らげて、本題に入った。そうなんだよ、君たちぐらいの歳までは、さっきのワンコと同じように、愛情たっぷりの経験をしなければいけないんだよ。果実が太陽の光をいっぱい浴びて甘く美味しくなるように。その意味ではキミの経験は、ズキズキと疼(うず)く傷跡がついたかもしれないね。先生は、いま一生懸命その傷に軟膏を刷り込んで、少しでも痛みが和らぐようにしているんだけれど、利いていますか?「先生、ありがとうございます。このことがあってから、色々な先生が関わってくれて、いっぱい軟膏を塗ってくれたような気がします。痛み残っていません」と答えてくれた。「でも、こだわりがある。つまらないことなんですが、こだわりがあるんです。自分で納得のいく方法見つけてやってみます。ダメだったら、また来ていいですか?」「ええよぉ」
 なーんだ、いい環境でいい瞬間(とき)の学校生活を送っているんだ。よかった。彼女はドアを出ていく時に語った。「先生、私パラサイト(寄生虫)に興味があるんです。大学で勉強しようと思っているんです。」
 ほぉ、「パラサイトが地球の危機を救う」頭の中に奇妙なキャッチフレーズが浮かんだ。???なんだか、市原中央高等学校って面白い。

花丸 やはり日本はすごい国だ

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.143 おもてなし

https://www.youtube.com/watch?v=6hggygKWwhg
YouTube ANN・News「滝川クリステルさんのプレゼンテーション」から

 この写真の切り取り。女性の手の配りを見て、誰しもが同じシーンを想像するだろう。そう2013年に、ブエノスアイレスで来年(2020年)のオリンピック開催地を決めるオリンピック委員会の総会が行われた。滝川クリステルさんの東京プレゼンテーションの「お・も・て・な・し」の瞬間である。彼女は語る。「東京は安全な、思いやりのある都市です。あなたが何かを失ったとしても、それはきっとあなたの手元に戻ってくるでしょう。」
 このプレゼンに、ある評論家は「うそ」を指摘する。今時の日本を・・・という寂しい見解である。しかし「寂しい」と感じながらも、「確かに」と首肯する自分がいることに気づく。ところがこの滝川さんの「お・も・て・な・し」を身をもって体験した生徒がいる。過日行われた修学旅行で、数万円の現金の入った財布を失った。どこで失ったかわからない。記憶を辿っても行き着かない。落胆しながらも、仲間の助けを借りて旅行を満喫して帰ってきた。しばらく経ったある日、旅行先の警察署から財布の拾得があったという連絡がこの生徒の元に届いた。全て失った時のまま。現金もカードも、全てが揃って手元に戻ってきた。安全な、思いやりのある国の「お・も・て・な・し」をいっぱい詰めたお財布が帰ってきた。
 「すごい」と感じたのは、財布が戻ってきたことだけではない。この経験をしたこの生徒の成長に目を向けてみよう。きっとよほどの大きな「裏切り」がない限り、この生徒は経験を行動規範として持つことだろう。同じようなシチュエーションに逆の立場で遭遇した時、この生徒はきっと内面にある「お・も・て・な・し」を発現するに違いない。潜在的な意識、善行としての「お・も・て・な・し」、それを何気なく身につけさせる文化や環境がこの国にはある。すごい。

 いい成長しています。市原中央高等学校生。いいね。

お祝い 訪れた彼の目的は・・・

11月29日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.142 行ったんですね名古屋城。いいなぁ


 このブログに何度も登場している(母とも一緒に登場している)歴史研究部の彼がやってきた。手にしているのは「合格証書」。難関の大学、尊敬する教授のいる希望の大学の合格証書である。あの時「受験報告ではなく合格報告にきて欲しいなぁ、そうあってくれるとなお嬉しいな」と語ったことを覚えていて、きてくれたのである。「おめでとう」の一声で迎えた。
 ところが彼の口から発せられたのは、「校長先生、行ったんですね名古屋城。G20の関係で無理かと思っていたのに、行けたんですね。」であった。本題であろう「合格」とそれに関わる話を・・・と思っても、「あの天守閣は、今度木造建築・・・」「戦火で焼失して以来・・・」「今は入れない天守閣の・・・」矢継ぎ早に出てくる。彼の「城」に関する興味関心はすごい。興味関心だけでなく並外れた知見を有している。「えぇ、ブログの写真、記事無くなったんですかぁ?残念」話が尽きないのである。
 しばらく彼のお話しに付き合いをさせていただいて、合格証書を手に一枚パシャリ。下宿はどうする。「大学から一駅離れたいいアパートが見つかったんです。決めてきました。」『きっと母は泣いたんだろうな』と思っていると、その思いを察するように、「在学中は何度も母にきてもらおうと思います。古都の観光を4年間でいやというほどしてもらいます」と言葉をかけて部屋を後にした。

 大学進学の頃に母に対してこんな気持ち持っていたかな?拙かった自分のそのことと比べて、人間的にもいい成長していると感じた。いい成長をしています生徒たち。市原中央高等学校、いいね。

花丸 この日の彼女は笑顔だった

11月28日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.141 よかったね いい思い出にできて

 一人の女子生徒が、担任の先生と一緒に校長室にやってきた。入ってくるなり笑顔である。「ありがとうございました。おかげさまで・・・よかった。・・・嬉しかった。」
 彼女と話をしたのは夜の帳の降りた琵琶湖畔。修学旅行のディナークルーズ船に乗り込む列の中。話しかけてくれた。「今度、校長室に伺っていいですか?」「ええよぉ」関西の空気を吸った途端、DNAに組み込まれた関西の血が蘇る。自然に関西のおじさんになっている。船の逆光でシルエットでしか見えなかった彼女の横顔だが、妙に印象に残っていた。
 翌日の宿のロビーのソファで、大粒の涙を流している女子生徒。見るなり昨夜の女子生徒だとわかった。「君かぁ。どうしたの?」絞るように泣きじゃくりながら事情を話してくれた。涙の質を本人もわからなかっただろう。「ごめんなさい」我にもあらず受難者となった彼女は、その心を「申し訳ない」という気持ちでいっぱいにして、何層もの感情が折り重なった重みに潰れそうになって、それがフローして涙になって、瞳からボロボロこぼれ落ちている。
 エンパシーとシンパシーの話。こんな時にそんな難しい話はいらない。「ごめんね」と相手の気持ちを察しているだけでなく、「ごめんね」が向けられる相手の心に感情移入をしてみよう。今君が受難者となったことを友人たちはどう思っているだろう。誰も悪くない、悪くないけど彼女の身の上に難が降りかかった。そんな状況の中で、受難者本人が「申し訳ない」と思って塞ぎ込んでいる。余計に辛いのでは?「さっきはごめんね。心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫。楽しう」と言ってくれた方がずっといい。顔をあげて、笑顔になってエンパしーを実行してみよう。そんな意味のことを語った。
 強い子だった。まだ涙の止まらない瞳をこちらに向けて、こくりと小さくうなずいた。よかった。彼女のバッグにBob'sBearTim(ティム)がぶら下がっていた。一つ年上の姉が土産に買ってきてくれたのだと教えてくれた。
 「校長、いい子だねぇ」Tim(ティム)が、小さなピンクの舌をぺろりと出して、語りかけているように思えた。いい生徒が集っています。市原中央高等学校。自慢です。

お辞儀

ほぼ毎日・校長 Vol.136〜140は欠番です

重要 仕上がったんです、見ていただけますか?

11月20日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.134 幸せな気分です


 Vol123に登場した美術専攻の女子2人がやってきた。「先生、あの時話していた絵が出来上がったのです。明日梱包して展覧会に送るので、先生に見てもらおうと思って・・・」と来室の趣旨を話してくれた。以前にもこういうシチュエーションに幾度か出会っている。「先生、楽曲が仕上がったんです。聞いていただけますか?」ある高校の吹奏楽部。「先生、結婚するんです。親に会う前に彼に会ってもらえますか」2児の母になった教え子などなど、こんなことがあるんだが、日髙に見てもらいたい、会ってもらいたい。こんなに嬉しいことはないのである。
 拝見すると2人の絵の素晴らしいこと。自分の背丈ほどある大きなキャンパスに、老婆(彼女の曽祖母)をモデルに写実的に描いている。あの時はまだ線画だった。時間が足りないことを憂いながら懸命に描き続けたのだろう。すごい力である。「いいねぇ。絵の道に進まないなんてもったいないよ」とからかうと、やはり「サカナ」であった。自分が飼育している黒鯛の幼魚にドジョウを食べさせている写真。水族館で撮影したエイやイルカの写真。ご披露いただきました。本当に好きなんだね。
 もう一人の彼女の作品は、木炭で描いた「流動」。流動から連想される様々なものが、一つの大きなうねりのように塊りとして描かれ、一定方向への流れを見せている。よく見ると時計。時の「流れ」が思考言語に会ったのかしら?思いついたら不躾でも聞いてみる。「流動から連想された思考言語がこうしたビジュアルに変更する、思考の変容はどんなもの?」かなり難しい質問だったが、「ことば」が自然に「え」に移ろっていく。そんなイメージを語ってくれた。面白いね。
 二人にすっかりいい気分にしていただいた私から、ささやかなお返し。水爆実験が行われた「ビキニ環礁」。女性のセパレートの水着をビキニっていうだろう。あれは核実験に対する抗議からデザイナーが名付けたんだよ。そこの景色と野生のイルカの話しを聞いてもらった。

 豊かなお昼時間をいただきました。情緒豊かな市原中央高等学校生、いいなぁ。

 明日から修学旅行。彼女たちが今日きてくれなかったら、この瞬間(とき)はなかった。ありがとう、感謝します。

 

お祝い 千葉県1位:再び全国大会出場・放送委員会

11月19日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.133 AP部門「音で視る。」千葉県1位

 AP部門とは「オーディオピクチャー部門」のことであるらしい。
 一通のメールが届いた。「監督動きます。今、扉の前にいます。」放送委員会からの怪文書ならぬ快文書メールである。「先生!今いいですか?」は、よくある声がけ。ドアを閉めてあったからだろう。この訪問は初めてである。ドアを開けると、見覚えのある監督が頭を丸めて立っている。坊主頭なのである。「いいえ、気分転換で・・・」といいながら、メンバー紹介。新顔は真ん中の男子生徒である。今回は彼が新監督であるらしい。来年(2020年)に高知県で行われる総文祭に、千葉県1位(優秀賞)で、出場が決まったという。すごいことである。「ご当地もの」をテーマーに、AP部門作品の作成を行なった。本校の放送委員会が選んだのは「音訳」に取り組む地元のボランティア団体と、点字図書館の存在。高校生の目線で、障害のある人々を支える市民の熱意が見事に描き出されていた。監督にインタビューすると、謙遜がちに「思わぬきっかけでボランティアの方々の活動に出会い、それがテーマに結びつきました」と答えてくれた。
 視覚障害を支援する様々な取組を話し、知り合いの息子さんが伴走者としてパラリンピックに出場を果たしたエピソードを語って聞かせた。ついえたと感じていた走る夢をまた復活できた喜び。誰かのためになることを知った嬉しさ。交錯する心情のあざないは、感動という滴を絞り出す。今君たちは、このテーマに出会うjことによって、健常者である限り(正確には視覚の障害がない限り)なかなか取り去ることのできない、高いハードルとしてある透明なバリアをクリアしたのだと語って聞かせた。3人の中の一人が「透明なバリアフリーか」と呟いた。いい心のリレーションがあった「瞬間(とき)」であったと思う。おめでとう!これは全国大会(総文祭)出場だけでなく、君たちの心の透明なバリアフリー実現への賛辞である。

 接するごとに成長を感じる市原中央高等学校生、いいね。

暗くなった廊下を歩いていると、向こうから音楽コースの2人の女子生徒が駆けるようにしてやってきて、「先生、ありがとうございました」と謝意を表してくれた。これもまた嬉しかった。

お知らせ 空気が凛と澄んでいた

11月18日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.132 懸命にピッチを駆ける姿が眩しかった


 先週のある日の午後、一人の男子生徒が訪ねてきた。目の輝きの澄んだ生徒である。応接の椅子に座って部活のことを語る。矢継ぎ早ではなく、じっくりと噛み締めるように。こちらの発する言葉に一つひとつ理解をし。応じながら語っていく。良識を踏まえ、その上であってほしいことを丁寧に説明していた。聡明な生徒である。最終に私が告げた結論に「嬉しいです。ありがとうございます」と慇懃に礼を述べた後、「先生、遠いんですが、来ませんか?11月17日(日)、東京学館浦安で翔凛高校と対戦です。みんな頑張っています。ぜひ」と誘ってくれた。別件があったので困った表情をしたのだろうが、黙って私を見る澄んだ目が「否」とは言わせない素直な強さを持っていた。「できるだけ」曖昧な返事に「お見えになったら、挨拶に伺います。ありがとうございます」と言ってドアを開け、丁寧にお辞儀をして出て行った。ぜひ応援に行こうと思った。

  台風や豪雨で流れた第12節の試合がこの日(11月17日)に行われた。快晴の空は初冬を思わせ、合わせるように空気が冷たく凛と澄んでいた。海岸線のためか、風がやや強く、前半、風下のゴールを守る本校にとっては、相手のボールが思いの外、足が早く伸びを見せてくる。開始から25分過ぎ、コーナーキックから上がったボールに双方合わせることができず、こぼれ球を本校の10番が身を呈してクリアした。そのボールがどういう過程でか見えなかったが、ゆるゆるとゴール右サイドのネットにもつれるように入って行った。悪夢を見ているような失点であった。
 2点ビハインドで迎えた後半。動きは本校の選手の方がよかったように見えた。攻めに集中していた本校の隙を突かれた。終了5分前、センター付近でボールをキープした相手88番がドリブルでディフェンスをかわし、ゴール前の空きスペースに送ったパスに合わせ、29番が左で蹴ったシュートは、キーパーの逆をついてゴールネットを揺らした。
 翔凛高校の選手は3年生が中心だったのだろうか、素人目に試合慣れしているように見えた。ただ最後まで諦めることなく、相手のゴールを目指して突き進んでいた本校生徒の姿に感動した。結果は0対3というスコアであったが、決して負けていない闘志を伺うことができた試合だった。頑張れ、市原中央高等学校サッカー部。

音楽 汗と涙と喜びのシンフォニー

11月17日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.131 感動の3時間ステージ

  鍵盤に向かい伏せ目がちにしばらくあって、彼女の手は動き始めた。後悔した。「演奏する生徒たちの踊るような手の動き、ご覧になりたければあちらの席がよろしいかと」案内してくださった講師の先生がお勧めくださったのに、真正面の席に陣取ったことを後悔した。経験の少ない私には、演奏は歌声は聴くものという先入観があったのかも知れない。一人二人と演奏がなされ、美しい声を披露するごとに、観るものであり参加するものであることがわかってくる。
 腕からも手の動きは感じ取ること、見てとることもできた。さざ波のように指に連動して動く腕の筋肉。柔らかく優しい動きの中に、ピンと張り詰めた鋭さを宿している。鋭く突き進もうとする指の動きをセーブするように肩から二の腕が緩やかに動く。いや上半身全体を使って指の激しく強くなりすぎる動きに調和を与えようとしているかのようだ。鍵盤に直接つながる身体の一部は指、手であるが、奏でているのは全身であり、生徒たちの心、魂そのものだ。
 彼がオペラ座の怪人の一節を歌う時、掌を上に向けた腕を胸元から喉元に幾度も持ち上げる。心の高揚をさらに高めようとするかの如く。感動のピークは差し出した腕と手に見られた。一瞬彼の差し伸べた手と聴衆の手が結ばれたような錯覚があった。単なる錯覚ではなく、心のリレーションが創り上げた幻想だったのだろう。彼の心の高鳴りは私たちと共にあった。会場全体が包まれていた。
 挨拶で今日の演奏会は、彼らの汗と涙と喜びのシンフォニーだと紹介したが、偽りではない。日々部屋で聴くピアノの音色。同じところを何度も何度も繰り返す。苦悩の中で勝ち取った表現。そしてその集大成。それを「汗と涙と喜び」と表現して見た。美しかった。

 おめでとう、演奏会の成功。そして感動をありがとう。素晴らしい学校です、市原中央高等学校。

興奮・ヤッター! エンパシーということ

11月16日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.130 共感や同情ではない


 写真は「市原中央高等学校に新しい風を、校長先生、どうすればいい?」と相談に来てくれた男子生徒。エンパシーの話を考えていたので、思いを想像し、共有しようと努めた。お付き合いありがとう。君が考えている構想、うまくいくよ。

 いや、君ならうまく達成できるよ。会話に力があった。

校長講話

 前期の終業式、後期の始業式を兼ねた式辞で「チンパンジー・サラ」の話をしたことを覚えているだろうか。「思いやりなら猿でもできる」でも他に及ぼすことは「猿にはできない」といった話だった。そこに「ヒト」の力がある。この「思いやり」に似た言葉とつい最近出会った。
 君たちは知っているだろうか。本屋大賞を受賞したノンフィクション本。ブレイディみかこさんがイギリスに住む息子の日常を母親目線でつづったノンフィクション本『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』本校の図書館にも間も無く並ぶのでぜひ読んでみてほしい。
 中学校に通う息子が、人種差別や、貧富のいじめなどに巻き込まれながら、成長していく。貧しい家庭環境の友人に、制服をあげようと考える場面。どう渡せば彼を傷つけないか、悩んだ末に言葉を掛かる。「友だちだから」。共感や同情など(シンパシー)ではなく、他人の感情を想像し、分かち合う力。エンパシー。
 「エンパシーとは何か?」と尋ねられた時に息子が出した答え「誰かの靴を履いてみる」に筆者は気付かされたという。「誰かの靴を履いてみる」ということ、つまり違う立場や考え方の人の考えを想像することと語っている。
 「なるほど」と納得させられるが、ちょっと残念にも思った。インタビューに筆者はこう語る。「履きたくない臭い靴とかもあるじゃないですか。絶対嫌な靴とかもあるから。でもそれでも、履いて歩くことまでは、しなくていいけど、とりあえず履いて、どうなんだろうなと想像してみる。それって勇気のあること。力が必要。」
 この息子が語った「エンパシー」=「誰かの靴を履いてみる」とは、そんな意味だったのだろうか?筆者が語るから間違いないのだろうが、私にはもうワンステップあっていいのかなと思われた。誰しも他人の靴を間違えて履いたことがあるだろう。なんとも言えない違和感。足裏に感じる微妙な傾きやずれ。あの感覚にエンパシーの入口があるのではないか。違いを知ること、馴染まないことを自覚すること、違和感を感じている自分の存在に気づくこと。
 直ちにわかる「ちがい」 + リスペクト =エンパシー
エンパシーの始まりを息子は語ったのではないか。そんな思いがしている。
「エンパシー」難しいことだが、モテる人間でありたい。君たちにもそうあってほしいと願う。

 

音楽 芸術コース(音楽専攻)定期演奏会 明日開催

 11月15日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.129  楽しみにしています

*お車でご来場の方は、市民会館の駐車場をご利用いただけます。

演目はこちら      プログラム.pdf

会場までのバスはこちら バス時刻.pdf

 生徒たちは、今年もこの市原市文化会館でみなさまにお会いできますことを、心より楽しみに練習に励んでまいりました。
 初めての演奏会を開いてから、早いもので三十余年の歳月が流れます。刻まれた歩(あゆみ)は、その時々に悩みや課題はあったと思いますが、優秀な講師陣の生徒一人ひとりに応じたご指導により、生徒たちは熱意を結集して乗り越えた歴史です。これも保護者の皆様の深いご理解とご協力を始め、卒業生や毎年の演奏会を楽しみにしてくださる地域の皆様のご支援の賜物と衷心より感謝申し上げます。
 これほど「琴線」というものの存在を感じさせる催し物はないと思っています。今日、この会場で演奏を披露する生徒諸君の音が上質なだけではありません。奏でる音は、毎日の生徒たちの営み、努力、そしてそれを支える周囲の情熱そのものと結びついて心に響くからです。
 生徒の皆さん、今日のこの時空が設けられることに感謝し、聴く者の琴線を大いに刺激してください。ご来場の皆様、生徒たちの奏でる音にきっと感動していただけけることでしょう。ぜひ彼らの熱く輝く「瞬間」(とき)に、喝采をお願いします。

お祝い 生徒と奈良盆地と関東平野と

11月13日(水) ほぼ毎日・校長 V0l.128 お土産ありがとう

 「大和盆地でなぜ日本文明が生まれたか?」「家康はいかに関東を制覇したか?」「水」をキーワードに紐解く面白い話を聞いた。日本水フォーラム・代表理事の竹村氏のお話しである。奈良盆地が元は湖で豊かな水運インフラが存在したこと、利根川の流れが銚子に向かうのは家康の関東制覇のための策であったこと。ワクワクドキドキの話だった。真面目に学習していれば、当然のことだったのかもしれないが、不勉強な私にとって、新鮮で驚きに満ちた内容だった。知れば知ったかぶりで他人に話したくなる。「知ってた?家康はね・・・」
 カモがネギを背負ってではないが、生徒が土産を手にやってきた。「先生、関西に行くことに決まりそうです」と言って京都のお土産をくれた。このブログのVol.94にお母さんと一緒に登場してくれた歴史研究部の彼である。進学をい考えているその大学に、『城』を研究している先生がいて、その先生に学びたいと思うようになったというのである。すごいなぁ、大学進学でしっかりと焦点が絞れている。さすがである。「お母さんは少し寂しいかも知れないね」と語ると「そうなんです。もう寂しがっています。まだはっきりと決まったわけではないのですが。観光がてらに息子の下宿においでよと慰めておきました」なんだか暖かい母子の関係が感じられて、心がほっこりした。
 ところで「奈良盆地」って湖だったこと知ってるかい?家康が利根川の流れを変えたって知っているかい?さも自分が唱えている説であるかのごとく、講釈師よろしく感動のお裾分け。退屈もせずに付き合ってくれた。かえって「先生それ面白いです。僕の勉強に役立ちそうです」と喜んでくれた。お付き合いありがとうございました。

 そうだね。「水」をキーワードに「城」を考えてみるなんて、面白いかも知れないね。市原中央高生いいね!

関東の地図(東歌とゆかりの地から)
http://kiyotan.net/many_11kantou.html   

奈良盆地の図(奈良盆地の原風景から)https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7 

鉛筆 授業にお邪魔 生徒観察

11月11日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.127 主体的、能動的な学びに向けて


 ルーズリーフのはし切れに、うし・ぶた・ニワトリの絵が描かれて、教室の後ろに飾ってあった。写メに撮って使用したが、持ち主不明で本人の承諾がない(=著作権違反)のである。あまりに可愛いから使ってはみたけれど、後ろめたい。「センセェ!だめ!」だったら申し出てください、すぐに削除します。
 ぜひぜひと思いながらなかなか実行できなかった。11月に入ってから、ちょこちょこ授業にお邪魔して、生徒の様子を拝見している。電子黒板を使って、ICTを駆使したアクティブラーニング。何よりも「すごいな」は、生徒の能動的な取り組みである。これが市原中央の原動力だ。
 数学の女先生が「電子黒板入ったんだけれど、どう使えばいいのか迷っています」この先生、自分の授業のものすごい価値に気づいていないらしい。私は初めて拝見して「これは分かるは」とすぐに感心した。一見、単なるチョーク&トークのように見えるのだが、ちゃんと右脳に語りかけ、左脳で考えさせているのである。私がメモした手帳を見せながら「ほらね。こんなところでビジュアル。それが同じ黒板の上で、論理的に語られている。右脳と左脳を上手く使わせて説明できているんだ」と解説すると、「ほんとだ。こんな見方しなかったです」と自分が発見できたようである。すぐにでも電子黒板使ってみたくなったのではないですか?

 分かる授業が展開できる教員に、わかろうとする能動的な姿勢をもつ生徒。師弟同行です。授業中にもいい瞬間(とき)が流れているこの学校、いいね。

インフォメーション 感動をあらかじめいただきました

11月8日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.126 笑顔の音楽コースの2人

 二階の第二音楽室で鳴っていたグランドピアノの音が止んだ。しばらくあって、ドアをノックする。「どうぞ」という誘いに、明るく笑顔で女子生徒2人が入ってきた。音楽コースの2人である。プログラムが出来上がったので、お礼方々きてくれたのだという。「今、ピアノを弾いていたのは?」と尋ねると、出演するみんなで通し練習をしていたのだという。「やりきった」が言える演奏会にしたいという。
 過日きてくれた後に、音楽の先生が訪ねてくださったことや、その先生の表情がなんとも言えず暖かかった印象を話すと、二人とも「私たちは幸せ者だ」と話してくれた。音楽の先生方が学校の「家族」のような存在なのだという。いいなぁ、生徒にそれを感じてもらえるだけでも、本校の誇りです。
 最近読んだ雑誌に載っていた神経細胞の話。神経細胞は「発火」で繋がりを持つ。その発火はどういう伝達になっているのか。光る時間の長短?光る強さ?長短であるなら、基準が必要だ。そんなものがあるのか?甲論乙駁している脳科学の世界に新しい光がさしてきた。その基準となるような、メトロロームのような細胞が見つかったという。発火のながさの基準となる細胞の発見。しかしそれは個人差がある。その個人差はリレーションで同調してくるのだというのである。
 音楽を聴く感動って似ていないだろうか。奏でる者の情熱や感動、これが伝播するには、発火の長さの基準の同調が必要なのでは?などと考えた。つまらない話しに付き合わせてしまった。『よくわからないけど・・・』という思い顔をしながらも「私たち音楽をやっていることは凄いこと?」
 そうなんだよ。音楽という繋がりの手段、同調の流れ、共鳴の方法をそこまで極めて、聴く者の感動を呼び覚ます。17才、18才でそれが持てていることは、自慢に値するよ。胸をはっていいです。

 16日(土) 定期演奏会。楽しみにしています。いい演奏会になってほしいですね。きっとできます。

会議・研修 アー、もうダメ。助けてください。

11月7日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.125 えっ「友達は彼女を見放しました」?

両側の紅葉は、本文とは無関係です。感動のお裾分け。
 いつも掃除に来てくれる賑やかな二人。二人が入ってきただけで部屋の中がパッと明るくなる。またこの二人は中がいい。勉強のことについてもいいライバルのようで、「えぇ、なんでそんな点数が取れるのぉ」「教えて、教えて。解き方教えて」と賑やかに会話を交わす場面を何度も見ている。羨ましいぐらい中がいいんだ。一方の子が悩んでいる。もう一方の子が「もう親友は見放しました。話を聞いているうちに『イラっ』ってするんです。助けてください。」
 志望動機、面接練習で悩んでいるという。「貴学では・・・」「5分でお悩み解決。校長マジック。付き合ってみるかい?」とまるで詐欺師のように甘い言葉をかけてみた。藁をも掴む気持ちなのだろう。「ぜ、ぜひ」と食いついてきた。
 「面接は考えてきたことを語ってもダメ。自分の内面に宿るPassionを語らないとダメ。やってみよう。本当に君がその大学、その学問に憧れているのなら、5分で大丈夫」
 いつもの会話からは想像できない「将来」を語ってくれた。意外性を感じながらも、それにしっかり焦点が絞られているなら大丈夫だと思った。いつものトライアングル。What?とWhy?で組み立てて行く。見る見るうちに完成した。「裾野に広がる9つの要素、目指している大学にありますか?」「せんせい、あります」「貴学では・・・」もう自分の言葉で、学びに対するPassionが見事に語れるようになっていた。「ありがとうございました!」お礼もそこそこに、元気に満ちた背中が部屋を飛び出していった。担任の先生との面接練習の時間が迫っていたようである。

 5分は嘘だったね。15分はかかったかしら?でもそんな短時間で自己確認のトライアングルを完成できるなんて、やはりうちの子はすごい。いい「瞬間(とき)」を過ごさせていただきました。

キラキラ オルゴールの上の人形のように

11月2日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.124 暖かい日差しのもとでランチタイム


 学校見学会が行われた日の昼下がり。職員の昇降口から外を見ると、中学生とその保護者の方々がお帰りになったバスターミナルで、女子生徒がくるくると回っている。しっかりと軸を作って、見事に回転している。きっとバレーの心得があるのだろう。『まるでオルゴールの上のバレリーナ人形だなぁ』。そのすぐそばの掲揚ポールの下には、暖かい日差しを求めて生徒たちが集っている。ランチタイムである。よく見かけるこの生徒たち。あまりに楽しそうなので、お邪魔して、写真を一枚。二枚。被写体の生徒たちが一斉に「こんにちは」と挨拶をした。振り返ると、一人の先生がこちらに近づいてきて、「校長先生もご一緒に」と、生徒と一緒にパシャリと集合写真。先生エアドロでDATAください。ワイワイと写真交換会が始まった。
 何気ない「瞬間(とき)」なのだが、温かい。市原中央高等学校の素晴らしさってこんな些細なところに現れてくる。

 ありがとう、生徒たち。ありがとう先生。いい学校です。

王冠 ギョギョギョ!のギョ子生徒

11月1日(金) ほぼ毎日・校長 Vol,123 さかなクンの話で盛り上がった

 「おや?君は・・・」後ろ姿しかみたことがなかったが、すぐにわかった。何度か美術の部屋で、大きなキャンパスに向かっている後ろ姿をみたことがある。集中しているので声もかけづらい。立ち並んでいるイーゼルに置かれたキャンパスの隙間から背中が見える。時々小首を傾げて、しばらくするとまた手を動かしている。あまり緻密な描写は、誤解を招きそうなのでこれぐらいにしておくが、とても集中した素敵な後ろ姿なのである。初めて顔(笑顔)を拝見した。おおいにして後ろ姿で作られたイメージは裏切られるのだが、彼女の場合はそれはなかった。こんな話題から、今手掛けている大作の話に至った。制作途中の作品に関わるお願い。そればかりは、私にどうしようもなかった。「ごめんね」と心から謝って、帰ろうとする彼女に興味について聞いてみた。「絵」が返って来ると思っていた予想に反して、「生き物、特に魚が好きなんです」
 この言葉を皮切りに、さかなクンの話になった。彼がまだこんなにテレビにも出ない頃。知り合いの海辺の家の隣に海洋大学の実習所があって、そこにさかなクンは水槽を持っていた。陽気な青年で、私たちの顔を見ると、「海の中はどうですか?」撮ってきた写真を見て「ありゃ〜、ユウゼンの子供ですねぇ」などと話しかけて来る。「ギョ、ギョ」はまだ持ちネタになかったが、「さかなクン」の愛称はもうすでに持っていた。「魚」を語り始めると止まらない。ある時「砂イソギンチャク」の個体識別について問いかけると、「日高さん、苦手なんですボクぅ」と言って悩み始めた。
こんなエピソードを話して聞かせると「えぇ、さかなクンを知っているのですか?」と目を輝かせている。さっきまで少し残念そうに伏せ目がちだった彼女の目がキラキラ輝いていた。「先生!またきていいですか?この部屋に」「いいよ。いつでもおいで」
 見送るといつもとは違う背中、後ろ姿があった。ニコニコしている後ろ姿。いいね。「秋の日はつるべ落とし」すっかりと暗くなった駐車場の向こう側の校舎の窓に、洛陽の最後の光が映っていた。

花丸 これは凄いことなのだと自分に語り、得心した

10月30日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.122 アウン=サン=スーチー直筆サイン

アウン=サン=スーチーさんの名前を知らない者はいないだろう。ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。彼女の直筆サインが本校の職員昇降口に掲示されている。8月にミャンマーでおきた豪雨被害への支援を、本校のインターアクトクラブの諸君がおこなったところ、アウン=サン=スーチーさんの直筆のサインの入った感謝状が届けられた。
インターアクトの生徒たちの活動は一見地味だが、人の心を動かす。温かくて重みがある。誰も気づかないようなささやかな善意、思いやり。その小さな一歩のあゆみ、動きに、あの「女史」が答えてくれたのだそうである。本校の生徒の善意を受け取ったミャンマーの財団の代表が、彼女を知っていて「日本の若者の気持ちに応えて上げて欲しい」とお願いしてくれたのだそうである。ありがたいことである。顧問の教員がわざわざ見せに来てくれて、「どこに飾りますか」といって、机の背後の棚をみている。「ダメダメ、一番目立つ、一番輝いて見える場所にしよう」として、この場所に落ち着くことになった。日本との関係では、第二次世界大戦の悲しい過去もある。「水島は、『やはり自分は帰るわけには行かないんだ』と思った」懐かしい故郷・日本と戦友たちとの惜別の思い。その中にある揺るぎない決意。独りこの地に残って、共に戦い死んでいった仲間たちの供養をしよう。『ビルマの竪琴』のあのくだりが好きだ。あの本を読んでから、少し近しい気持ちでいるミャンマー。その国の「事実上の首相」と呼ばれることもある女史の直筆サイン。目の前にして心がいっぱいになった。

 ありがとう、市原中央高等学校インターアクトクラブの諸君。感謝です。

 こんにちは。インターアクトクラブです。日頃よりインターアクトの活動にご理解、ご協力頂きありがとうございます。
 インターアクトクラブでは、今年の8月頃ミャンマーでおきた大雨による災害とその被害に対して、募金活動を校内で行い、ドーチンキー財団を通じて義援金として寄付をしました。お陰様で、今回は7,359円集めることができました。先日、財団からアウンサースーチーさん直筆のサイン入り感謝状が届きました。(感謝状は来客・職員用玄関に掲示します。機会がありましたらご覧ください。)
ご協力頂きまして、ありがとうございました。
 今後ともインターアクトクラブの活動にご協力、よろしくお願い致します。
 市原中央高等学校インターアクトクラブ
                          市原中央高等学校Web通信から

 

晴れのち曇り 今日はすべてが内緒なんだねぇ

10月24日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.121 サプライズ


 仲の良さそうな4人の生徒がやってきた。チャイムがなったばかりのお昼休み「いろいろお話があって来たんです」「なんだろう。入って入って」生徒の笑顔に心が暖かくなったのか、嬉しくなってウキウキしている自分がちょっと照れ臭いぐらいだ。『男子1人に、女子3人?』本校の生徒の組み合わせでは、それほど珍しくないのだが、ちょっと「?」。顔に感情が出やすいたちなのだろう、とてもポーカーフェイスは私には無理だ。もう高校生に心を読まれて、「あぁ、音楽コースの3年生です」と自己紹介された。「考えていることがあって、相談して、行こうってことになって、来ちゃいました」口を開いた一人の女子。途切れ途切れに語る経緯。『こんなこと話していいのかなぁ』という遠慮とためらいが感じられて、上品さすら感じさせた。「あのね、・・・」自分たちの企画?企て?もくろみ?挑戦?楽しいサプライズを語ってくれた。「先生だったら、賛成してくれます?」「後輩たちがね。『いいな、私たちも・・・』と思ってくれるものを作りたいんです」いいぞ、いいぞ。単なる思いつきやわがままではなく、きっとこうなるだろうという未来予想図を描いている。企画について、大人ながらの心配事をいくつか投げかけたが、ちゃんと答えも用意している。『すごいなこの子たち』と素直に思いながら、大いに賛成を伝えた。
 ご披露できないが、サプライズ。11月16日(土)の発表会でお披露目です。些細なことだけでど、自分たちや周辺を豊にする術を知っている。市原中央高等学校ってすごい。

部屋の上に第二音楽室があって、グランドピアノが置いてある。休み時間ごとに、ピアノの素晴らしい音色に囲まれて過ごしています。ありがとう。

3ツ星 懐かしい親友のことを思い出した

10月21日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.120 源氏物語を片手に・・・

 田舎育ちの私からみても「いなか」に住んでいた。農家の長男で、長距離走の得意な男だった。左の頬にニキビが多いことまで覚えている。心の広い男で、わがままな私と妙に気が合った。「しょうがない、長男だし。いいなぁ日髙は」彼は大学に進まず家を継いだ。「game」というニックネームでみんなから親しまれていた。大学に進学した私が、箱根の走者と偶然話をした時「そうですか、○○高校ですか。陸上競技部に●●君がいたでしょう。(大学は)どこへ行きました」とgameの名前に思わず出会った。『へぇ、あいつすごいやつだったんだ』
 彼のことを思い出させたのは、写真の向かって右側の書物で顔を隠している女子生徒。装丁から小学館の古典文学全集であることがわかる。「何を読んでいるの?」と尋ねると、黙って背表紙を見せてくれた。「源氏物語」である。「すごいね、高校時代に源氏を読破しようなんて、すごいね。僕の友人にねgameと言うのがいて、暇さえあれば源氏を読んでいた。」思い出話を勝手に聞かせてしまった。文学部に進んで「女流文学を学びたい」と目を輝かせて語ってくれた。「虚構」という問題について語った。高校生には難しいかもしれないと思ったが、彼女はちゃんとついてきた。「『今』に通じるところがあるんです」正伝はhistoryと言う通り男が作ってきたかもしれない。でも女性の持つあの力、創造力は男にはない。羨ましいほどの豊な力である。

 知性に輝く目が美しい生徒でした。大学に行ってもその輝き、失わないでくださいね。市原中央高校生は素敵だ。

合格 進学指導講話ー不易なものー

10月18日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.119 秋風の吹く頃、木枯らしの吹く頃が一つの山


 7時間目のLHRの時間を活用して、進学指導講和が行われた。写真は3年生の集会の様子。よく知る男子生徒が体育館に入ってきたので、「進路、どうするんだ?」と尋ねてみた。かねてからいい目をしている彼だが「やっています」が烱々とした眼に伺えた。案の定「センター、一般一本です」と朴訥としているが、説得のある響の返事が返ってきた。こういう頃の青年の目は大好きだ。
 講話が始まった。私立(都内)の大学の定数厳格化により、二極化していた大学の枠が重なって、ファジーな位置関係になった。2020年の入試改革を目の前に、安全志向が働く。難関大と呼ばれていた大学の受験者が減少してくる。この踏ん張りって大切じゃないか。受験生にとってピンチをチャンスと考えてチャレンジする。いい機会が、いま君たちの前にやってきている。
 「そんなこと言って、受験に失敗したら、どうするんですか?誰が責任をとってくれるんですか」よく耳にした言葉である。「心が折れる」のである。本人はスランプに陥って、悩んでいる。頑張っても、頑張っても模試の結果が伸びない。その姿を見ていた「心折れ」part1。3教科に変更!AO入試!推薦入試!みんな決まっているし、焦る。ちょうど今頃、夏の終わりから、秋風が立つ頃。乗り切った受験生に対し、part2は木枯らし第一号とともにやってくる。「どこでもいいんじゃないか?ある程度のところで安全策をとっておこう」=志望校DOWN。今も昔も語ることは同じだ。
 現役の頃に辛い思いをしながら指導にあたった覚えがある。「先生、推薦」「文転するかなぁ」「出ないんだ結果が、無理かも」親御さんも、教員も辛い。もちろん生徒本人も辛い。だからこそ頑張り時だ。「心が折れそうになる」のをどこまで頑張れるか。いよいよ今年もそんな季節がやってきた。

頑張れ、市原中央高等学校生! 

 駿台予備校の講師の先生配布資料から。カラーのマークは日高が付けました。

お知らせ ラストシーンの「顔なし」になってごらん

10月17日(木) Vol.118 二人で哲学対話 人間関係って難しい

 自宅に帰ってDVDの山をごそごそ探した。TV録画をしていたものがあったはずである。整理整頓ができていないから、見つからない。でも探した。放課後の女子生徒との会話は、どうしても「それ」を確かめたい衝動にかられた。「千と千尋の物語」ラストシーンの「顔なし」である。
 彼女は少し悩んでいた。人間関係だという。詳細は秘密だから、もちろん語れないが、その問題にぶつかり、どうにかしたいと思っている。いつも本校の子供達は、結論を求めてやってこない。「聞いてくださいよ、私(僕)の話・・・」と言ったスタンスである。どんな流れでそうなったか、「顔なし」の話になった。きっと私の中では、個の内部で増幅する「魔物」のようなことを話したかったのだろう。人間関係の悩みはこの歳になってもあるし、尽きない。うまい処し方も知っている訳ではないが「相手を変えるのではなく自分が変わるは、結構有効だね」とか、「流行語対象の『そだねー』から関係づくりをするといいよ」などと語ることが多いので、それかなと思う。自分の中で育った「魔物」は、そのまま相手を「魔物」にしてしまう。消そう。自分が変わって、消そう。ラストシーンの「顔なし」、おとなしくなって千尋と一緒に銭婆の所へいくのだろう。
 女子生徒は予期せぬ答えを返してきた。「自分の存在が認められたから?」それを要にしながら、どうあればいいのか、考えた。二人で哲学対話。出た結論が、ラストシーンの顔なしになってみようだった。

 正解のない問いかけに、複雑な話の流れ、部屋にきた時より分からなくなったかも知れないが、「ありがとうございます」と言って部屋から暗くなった廊下に出て行った。『寒くなったな』と思いながら見送ると、すくっと伸びた背筋の後ろ姿があった。いいね、市原中央高等学校生。

お知らせ できた!体育祭!

10月15日(火) Vol.117 台風で順延になった祭典

第35回体育祭に寄せて
 まずは台風15号で被災された皆様に、お見舞い申し上げますとともに、1日も早い復旧復興をお祈りいたします。
 清々しい季節の中で、保護者会会長をはじめ多くのご来賓の方々のご臨席を賜り、第35回体育祭を実行できますことは、この上ない喜びであります。
 その喜びと同時に、この体育祭を迎えるにあたっての、校長としてのもう一つの喜びをお伝えしておこうと思います。自然災害に大きな打撃と影響を受け、準備期間も十分に取れない中でこの日を迎えました。中には「中止」の考えもあったと聞きます。あの状況下では当然のことだと思います。しかしその中で、前に進むことを決意し、「今何ができるか」「この苦境の中で何をすべきか」を考えながら、実施にまで漕ぎつけた力は素晴らしい。それを選択し一歩一歩確かに踏みしめて来た、その力を生徒諸君が持ってくれた喜びであります。東日本大震災の時に、釜石の小学生が「奇跡」と呼ばれる避難を見事にやってのけた。あの時も子供達の支えになったのは、「諦めない」「前に進む」という気持ちだったと聞いています。人が協働で何かを成しとげようとする時、方向性を定め団結を生むのは、この力なのだろうと思っています。ぜひ大切にしてください。いいものを持っています。
 最後になりましたが、保護者の皆様には、日頃から多岐にわたるご支援を賜り、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。この「瞬間(とき)」をお子様と一緒に楽しんでいただければ幸いです。言葉整いませんが、挨拶といたします。(プログラム挨拶文から)

まる ほぼ5日に一回・校長?ですか

10月11日(金)あたりの回想 ほぼ毎日・校長 Vol.116 話題がなかった訳ではないのです

 体育祭の応援にお見えになったある保護者の方が「先生!ほぼ5日に一回・校長ですか」と声をかけてくださった。ブログをまめにチェックいただいている。様々な案件に翻弄されて、自分が向くべき方向を見失っていたのかもしれない。こう書くと、きっとこのお母さんは、「ですねぇ」と共感してくださると思う。「申し訳ない」は生徒への言葉。筆が進まないのは、生徒の方を向けていない証拠だと思っている。で数日の回想。

 「先生、やろうよ哲学対話。台風で流れてしまって、あれっきりだ。結構楽しみにしているんだ」と嬉しい呼びかけをしてくれたのは、1年の男子生徒。ジェネレーションリングの交わりの中で、自分色が作られて来るんだ。例えば赤の文化を持った親と、白の文化を新たな世代(自分)の文化と捨子の世代。いい交わり方をすると、赤をしっかりと継承した鮮やかなピンクがね・・・。そんな話をしながら誘った生徒たちである。「今日の話でしっかり焼きついたのは『ピンク』」と言いながら部屋を出て行った生徒である。いいねぇ、やろう、やろう。放課後ね。

 「ルーチンなんです。青いかもしれないけれど、同じところぐるぐる回っている。なのも結論が出なくて、誰かとこうして語っていると、何か生まれるかと思って。付き合ってください」2年の男子生徒。いいじゃない。ぐるぐる回ろうよ。特権だよ。ただスパイラルのように、少しずつ上昇しようよ。しているはずだよ。この日は、ある結論を伝えにきた。部活の先生に背中を押されて、一歩前に踏み出すことにした。まずは校長に報告と思ってやってきたのだという。いいね、嬉しいね。ほらちゃんと上昇している。自分では自覚できないけれそ、ちゃんとプラスのスパイラルに乗っかっている。またおいで。とりとめもない話をしよう。

 うーん、どこかであったぞ。一度この部屋に来たよね。誰と一緒だったかも定かではない。部屋を訪ねてくれた女子2人を見ながらそう思った。記憶への繋がりの糸は細いが強く、そして意図や自覚を超えて、偶然的で刹那的に「もの」と結びついているものである。一人の女子の仕草で記憶は呼び覚まされた。それは右手を口元にやる仕草。彼女がその仕草をとった途端に蘇った。インターアクトの2年の先輩に連れられてやってきた1年生だ。この日は、本校からこの2人が、ロータリー主催の海外派遣に選ばれ、近々マレーシアに行くことになったという報告にきてくれた。「何が楽しみ?」と尋ねると、とっても真面目で模範的な答えが帰ってきた。それも大切だけど、美味しいものいっぱい食べておいで。その国の特徴をよく表した、美味しいもの食べておいで。だって君たちがいく国は、美しくそしてとっても美味しい国なんだよ。行ってらっしゃい。

重要 見事だ!中庭の温かい雰囲気が目に浮かぶ

10月10日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.115 インスタ映えしますね

 台風が近づいている。15号の被災も復旧しないのに、神も罪なことをなさる。鬱々とする中、担当してくれていた先生が、「できました」と報告してくれた。昨日のブログに書いた「蘇るクマさんたち」なのである。生命が吹き込まれた。廃材となってどこかで朽ち果てるのではなく、見事な「いのち」として蘇っている。生徒たちの喜ぶ声が聞こえてきそうだ。木一吉(きいちきち)さん、ありがとうございます。
 下校バスの放送が入っている。賑やかだった学校が静かになった。歌声が聞こえなくなった。淡墨をさっと刷毛で掃いたような曇り空が重い。「校長先生、ブログの写真できましたね。インスタ映え」と声が聞こえた。じっとこちらを見つめている木彫りのリスとクマ。彼らが語りかけてくれたのかと思った。本当にいのちあるものなのである。振り向くと「琴音様」とそのお友達が立っていた。

 今日も温かい気持ちで一日を終えることができそうである。いいね、市原中央高等学校。感謝。