2019年9月の記事一覧

重要 決勝ブロックまでは進んだのですが・・・

9月30日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.110 全国枕投げ大会? 決勝?


 ICH放送委員会のTwitterに面白い記事がツイートされていた。

----全国枕投げ大会千葉県予選----------
決勝トーナメントまで駒を進めたものの、惜しくもベスト16止まりでした
次こそは全国目指して頑張ります!
円陣は「おー、真心!!!!!」
さすがです笑
女尊男卑。で山崎さんが男子達を操っていました!(男子より)
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MakuranageHPによると、リーダーとなる「大将」、掛け布団でガードする「リベロ」、相手を就寝に追いやる「アタッカー」、自陣に枕を運び入れる「サポーター」という4つのポジションがあり・・・とかなり本格的な「修学旅行の思い出」をスポーツ化したものらしい。これに全国準優勝を果たした我が放送委員会が参加をしたのだという。行きたかった。元校長(現理事長)の応援もあって、奮闘して予選を勝ち抜いたが、決勝トーナメントで敗退してしまい結果はベスト16。

 さすが市原中央高等学校生、色々なところで情熱を燃やし、楽しんでいる。頑張れ!

まる ICHをイメージさせた生徒の後ろ姿

9月29日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.109 あの印象のままだ

 ある学校行事に参加していて思い出したことがある。もう1年以上も前のこと。まだこの高等学校にこうした縁があるとは思っていなかった頃のことである。自宅近くに本校のバス停があって、毎朝そこからバスに乗って通学する女子生徒がいる。本校のあの青いバスに乗るので、ICHの生徒であることはすぐにわかった。私の関心を引いたのは、その生徒の後ろ姿である。すくっと背筋が伸びて、肩口まである髪が清潔感を感じさせる後ろ姿。そう、あの頃のこの生徒の髪はもっと長かった。そんなことまで今思い出した。
 よく結婚式の新郎新婦への祝辞の中で「今時珍しい・・・」を決まり文句に語る初老の上司がいるが、私はその時『へぇ、今時珍しい』を彼女に感じた。スクは「直く」「健く」、背筋がしっかりと伸びた心身の健康に結びつく言葉。健康な高校生然とした・・・。彼女のイメージは、そのままこの学校のイメージとして私の中に棲みついた。いい出会いであった。何の機会だったか、彼女は私との縁を覚えていて、「先生・・・」と語りかけてくれた。まだ幼い頃の出会いだったので、記憶の中で結びつくのに少し時間がかかった。さらに、後ろ姿の女子生徒と結びつくにはさらに時間を要した。
 この行事で、発言者の話を食い入るように聴いている後ろ姿をみて、遠い記憶の彼方に遠ざかろうとしていた、わずかな、そしてそれだけに大切な「印象」を思い出させてもらった。この学校は、あの時に、あの後ろ姿に感じたままの高校です。
 後ろ姿は正直で豊かな、深い「表情」を持っている。正面の喜怒哀楽を表現しうる姿と違って、後ろ姿は素直に語りかけてくる。例えば、弱り果てて泣きべそをかいている表情より、肩を落とした後ろ姿の方が、ずっと説得力がある。一目瞭然。表情で繕うことができないだけに、後ろ姿は無防備である。見られることに対する防御のないまま、見抜かれる危うさを持っている。後ろ姿は面白い。以前「正史」より「外史」の方が面白い、「正伝」より「外伝」が好きであると書いたことはあったが、同じくらい「後ろ姿」はいい。こんなことを考えさせてくれた、彼女に感謝しなければ。ありがとう。

 生徒がみんないい後ろ姿をしている市原中央高等学校、いいね。

! こんなにも嬉しいことは、久しぶりだ

9月27日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.108 外伝は、な・い・し・ょ

 今朝、嬉しいことがあった。一人の生徒が、絞り出すように「自分」を語ってくれた。あれはできることではない。いいなぁ。目の前にいるこの生徒は、偶然に今日、その機会を得たが、うちの子たちはみんなそうなんだよなぁ。生徒との会話が終わったあと、しばらく余韻に・・・。内容はもちろん内緒。しかし、こんな思いをすることは、こんなに嬉しいことはしばらくなかった。ありがとう。
 定期考査が終わって、歌声が聞こえる、友人とはしゃぐ声が学校中に満ちている。考査からの開放感は、彼らの情熱を表に出してくる。この日の午後、英語のスピーチコンテストが行われると聞いて、のぞいてみることにした。自慢ではないが、本校の「えいご」はちょっとしたものなのだ。途中廊下の学習コーナー(?・勝手に私が名付けている)で、3年の男子生徒が数名、集まって何やら・・・。原稿用紙を持っていたので、「おぉ、反省文か?」とからかうと、さすがもう3年生ともなると、校長のあしらい方もわかっている。「いやいや、いつもそうとは限りませんよ。直面している未来に向けての試行錯誤です」進路に関わる文章を書いていたようである。つまづいたら校長室においで、遠慮なく。

 いいひと時をもらった。ありがとう生徒たち。いい学校です、市原中央高等学校。

 英語スピーチコンテストに寄せて(校長)

 こんなに多くの諸君が、チャレンジしてみようという気持ちを持ってくれるだけで、校長としては、何もいうことなく嬉しいのある。私の高校時代から「スピーチ・コンテスト」と名付けられているが、本当は「コミュニケーションコンテスト」なんていう名前にした方がいいのではないかと思っている。
ただ暗唱した英語の上手さを披露したり、競ったりするだけでなく、もちろんそれも大切なのだが、どう動かせたか、聴衆の心をどう掴んだか。そのあたりもしっかりとできてほしいと考えている。
 右脳に働きかけ感じさせ、左脳で考えさせる。難しそうだが、テーマとして選んだ、与えられたものの中にどこまで入り込めているか。どこまでpassionを持って表現できるか、にかかっていると思う。
表情もそうだ。ボディランゲージもそうだ。楽しみである。この時が、喜びである。もうワンランク上のICH・Englishを目指してほしい。
 開催にあたり、尽力くださった先生をはじめとするみなさんに感謝の気持ちを持ちながら、全力で臨んでほしい。豊かな時を過ごしてください。期待しています

動物 クマとカッパに出会った

9月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.107 試験期間中の学校はつまらない

 ふいに世界から取り残されたような気分になってしまう、そんな経験は誰にでもあるだろう。台風の被害で学校のリズムが狂った。この時期の1週間、10日の季節の移ろいは早い。何よりも「秋の日はつるべ落とし」。あっという間に陽が西の端に隠れてしまう。季節と定期考査があることが、マッチしない。体内時計と合わないのである。それもあってか、部屋に一人でいると、何か寂しい。寒いぐらいの秋の風を感じながら、夏を懐かしむ。今の子は「釣瓶(つるべ)」なんてわからないだろうなと思い、清掃に来た男子生徒に聞いてみた。「つるべ」ってわかる?「えぇ、でも本物は見たことありません。おばあちゃんちに井戸があったけれど、あれ、なんて言うんですか?手で上下させる・・・そうそうポンプだったから」へぇ、ちゃんと分かってるんだ「つるべ」。他愛のない会話だが、こんな会話も楽しい。人恋しいのである。
 廊下に出ると忙しそうに、小走りに放送室に入っていく後ろ姿。放送室の前まで行くと「ふっ」と影が暗い凹みに吸い込まれていった。チョロっと頭を覗かせ、こちらを見るようにしてまたいなくなった。不思議の国のアリスに出てくるウサギのようである。こちらから壁の凹みに首を入れると、いた。思わず「君はクマ」と声をかけると、「はいクマです」と笑顔を作ってくれた。Vol95に登場したクマの撮影主である。400ミリの望遠で・・・しばらく写真談義に花を咲かせていた。
 週末から姿を見なかった教員が、「先生、うちの生徒すごかったです」と報告に来てくれた。話によると水泳の新人戦で、200メートル、400メートルメドレーに出場した女子生徒が、県でいずれも4位の成績をあげたのだそうである。200メートルは3位と僅差、「本当に惜しかったです」と我が事のように悔しがっていた。

 夢中になれるものを持っているって素晴らしいなぁ。クマもカッパも。いいね、市原中央高生!

花丸 高い評価・嬉しい視線

9月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.106 学習塾の学校説明会
 「難関高等学校フェア2019(高校受験の部)」と言う名の説明会(学習塾主催)のお招きがあった。「高校受験の部」であるから『偏差値や得点の話を詳しくしなければならないのか?』と思いながらも、用意したスライドは、本校の教育理念と概要。特に力を入れている2020年大学入試への取り組みや、新しくスタートするGLC(グローバル・リーダー・コース)の説明が中心になっている。ピントがずれていないかなぁ?プレゼンにはそこそこ自信のある私が、少し不安になった。そこに追い討ちをかけるように「先生、お久しぶりです」と数年前に校長として勤めていた学校の教え子が声をかけてくれた。この塾で働いていると言う。「先生のお話、楽しみにしています」と言われた途端、柄にもなく緊張した。
 全体説明の後には長蛇の列の個別相談会。私と担当職員の二人で、25・6名の説明に当たっただろうか。じっくり時間が取れずに申し訳ないと言う思いと同時に、ありがたいなと心から思った。質問も、生々しい点数化されたものではなく、「今日の話の中の5つのP、とてもよくわかりました。Peersって具体的にどんなところに見られるのですか?」「GLC魅力的なんです。学上で何が一番大切ですか?将来は・・・」といったものが多かった。すでに点数が何点取れると入れるかではなく、入って何が得られるかといったところに目が向けられていた。

 今、自分の行きたいという希望を持っている高校、うちでなくてもいい(できればうちであってほしいが)、行ければいいなではなく、「絶対に行くんだ」と言う気持ち、忘れないでください。素晴らしい中学生との出会いがあった。「うちの子」になってほしい生徒ばかりだった。

晴れ 久しぶりにはしゃぐ声を聞いた

9月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.105 生徒のいる学校が一番
 「人間贅沢をすると、後戻りができない」祖母がよく語っていた。心が満たされると、その満たされたもの以上が欲しくなる。満たしていたものがなくなると、ぽっかり穴が空いたようになる。台風15号の被害で臨時休業を続けていた本校は、そんな感じだったのだろう。当然あるべき、あって普通のものが目の前からなくなってみると、本当に辛いもので、あって普通のものがどれほど大切だったか気づく。授業の合間の休憩時間、昼休み、放課後、生徒たちの喧騒は、何重奏もの音楽のようなもの。映画「奇跡のシンフォニー」の主人公の少年が街に出て聞いた「音」はこんなものだったのかもしれない。ただうるさい雑音が、重なって重厚な心に響く音楽となる。11年間離れ離れになっていた絆を結びつける音楽の才能を持った彼の耳ほどではないが、天賦のものとまでも言わないが、長年の教員生活があそう感じさせるのだろう。生徒たちの喧騒は、我が力なり。

 生徒がいる学校って、やはりいい。生徒がうるさい学校って、とてもいい。

 写真は、試合の抽選結果を知らせに来てくれた野球部の二人。「21日は敬愛学園戦です。それに勝つと23日に・・・楽しみです」と笑顔で報告してくれた。「残念ながらどちらも仕事だ」と残念がると「予報では、どちらも雨です」「お前ねぇ」と掛け合い漫才をやっていた。初めて来た時より緊張がない。いいぞ、いいぞ。
 「先生、進路のトライアングル、やっているうちに変わったの、どうしよう。何かになるために学ぶのではなく、大学で学びたいものが見つかりそうなの」と、臨時休業前に書いたメモ書きを大切そうに持ってきた女子生徒。どうやら一歩あゆみを進めたようである。「そう、じゃぁも少し考えてみよう。今君が陥った陥穽(落とし穴)は、三つのリングで説明できる。ほらね、大学生活のトライアングル。円の交わりが学生生活なんだ。」といって説明を始めると、「そんな考え方初めてだ。面白い」といって、今日のメモも大切そうに持って帰った。また一歩進むのだろうか?楽しみである。

 ただ与えられるだけでなく、与えられたものを糧に成長してくれる本校生徒は、やはりすごいと思う。

右 大変なことだが その中で Part4

9月15日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.104 賑やかな生徒たちと過ごした


 Vol.102で紹介した生徒が帰って間もなく、「先生、いますか?」と声をかけてくれた女子生徒がいる。「いますよ。どうぞ」入ってきたのは2人。一人の生徒の後ろに、まるではにかんで隠れている妹のようにもう一人、(姉の)肩越しにこちらを見ている。最近は歳のせいか、生徒がみんな同じに見えてしまう。先ほどの生徒と違って「悩み」ではなさそうである。予想が的中した。「なんでもないです。ただ姿が見えたのできました」大歓迎である。台風被害の話、災害時にわかる平穏のありがたさなどをとりとめもなく語りあった。1年生と2年生という組み合わせの二人の共通点は、インターアクトクラブだそうである。ブログVol64の記事を読んでいてくれたらしい。インターアクトの活動が市民権を得ていてメジャーである市原中央が誇りだというようなことを語ると、二人は満面の笑顔で「嬉しい」と答えてくれた。
  自分の高校時代は、もっと利己的て自己中心的な考えをしていたように思う。確かに社会全体が奉仕や貢献という村社会の持つ慈愛に満ちていた時代だったかもしれない。敢えて「○○活動」などと名付けなくてもよかった時代であったかもしれない。ただそうした自然の流れと環境の中で、我々の世代が伝承し忘れた「美しさ」を彼女たちは伝播として持ってくれている。すごいことである。多くの高校からこうした取り組みがなくなる中、彼女たちの活動は、やはり誇りである。活動を支え、意義深くしてくれている顧問の教員の努力にも感謝したい。
 「あれぇ。きたみたい。いいですか?」スマホを私の前で見ることにもちゃんと礼儀を正してくれる。これもすごい。「友達がきているみたいなんです。呼んででいいですか」「どうぞどうぞ」と招き入れ、入りづらそうに入ってきたのは同じクラスの男子生徒。「私服で・・・」とためらいながら入ってきた彼らを「校長室に私服で初めて入った生徒たち」とキャプションをつけて、記念撮影。

 しばらくの間、とりとめもない会話で盛り上がった。この学校の、こんな時間が大好きだ。

右 大変なことだが その中で Part3

9月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.103 彼らから元気をもらえた


 TVのテロップに施設開放のニュースが流れる。ネット上では電力会社の記者会見動画。まだ完全復旧までには時間がかかる。復旧を待つ地域には、本校の生徒たちや教職員の居住地もある。不自由しているのだろうと思い、辛くなる。ある高校の校長が激励のメールを送ってきてくれた。この校長の学校では、やや無理をして学校を再開したが、出席は芳しくなかったと言う。しかし、登校して仲間と語らい合っている生徒たちの姿を見て、心から「いいな」と思ったと言う。通学手段さえ許せば、学校に来ている方がいい、できる限り努力をしたいとも語っていた。彼にも心配をかけた市原中央高等学校は、おかげさまで昨日(13日)の夕刻に、停電、断水が解消した。施設設備の安全点検を行なった上で、17日(火)の再開に向けて準備を整えたい。
 滅入った気持ちで部屋にいると、ドアをノックして「いま、よろしいですか」と声をかけ、2人の男子生徒が入ってきた。モザイクを入れた写真を見てもすぐにわかるように、野球部の生徒である。新しく主将、副主将務めている二人。もっと早く来ようと思っていたが、県大会出場を決めるまで顔を出しづらかったようだ。会話の行間にそんな思いを読み取った。荷物を取りに、野球場を確認にきた。覗くと校長室の奥に姿があったので挨拶にきたのだと言う。
 Vol.100に書いた「軸」の話を少し噛み砕いて話をしてみた。真剣に体を動かさず、目は私を凝視し、聞き入っている。人の上に立つことは難しいことだ。いや上に立ったと思った瞬間にその動きは終わったいるのかもしれない。何かの支えにあって力を発揮することは、人はできる。しかし、支えになって人を動かすことは、これは難しい。「あいつがいるから自分は120%の力を発揮できた」「あいつの心が失敗をエネルギーに変えてくれた」そんな存在に君たちがなってくれると、もっともっといいチームになる。3年生の先輩が、君たちの力を十二分に発揮させてくれたあの力以上のものを持てる二人であってほしい。素晴らしい同僚や、後輩たちのために。聴き終えた二人は声を揃えるように「ハイ」と大きな声で返事をしてくれた。彼らに語りながら、自分に言い聞かせているようでもあった。語り終えた後、滅入った鬱々とした気持ちが晴れた気がした。ありがとう、生徒たち。

 校長を元気にする生徒がいる学校、市原中央高等学校。

右 大変なことだが その中で Part2

9月13日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.102 ひとつ生徒との出会いがあった


 一人の生徒が部屋の応接の椅子に少し浮かぬ顔をして座っている。やはり校長室のドアが開いていたので訪ねてみたという。今回の台風で大変なことになったのかしらと思いながら、「どうしたの?」と尋ねる問いに、生徒の抱えている悩みを語ってくれた。(内容はその生徒と私だけの秘密)確かな結論が出たわけではないが、最初に見た顔とは違いまっすぐに顔を上げ、私をしっかり見つめることができている。よかった。その表情だけで話をした甲斐がある。
 少し曇りの晴れた生徒の心は、私との「雑談」に応じるだけのエネルギーを回復したのだろう。面白い話を聞かせてくれた。英語圏での生活が長かったためか、思考言語が英語なのだそうである。いや、それを失わないように努めているというのである。会話は流暢な日本語、そういえば気づかなかったが時折、意識しなければ感じないほどのタイムラグがコミュニケーションにある。頭の中で翻訳機が働いていたのだろう。
 勤務した高校の中で、こうした経験をもつ多くの生徒と関わる機会があった。「頭の中フランス語なんです」「まだドイツ語の方が表現できる」なんて生徒たちである。授業の中で「春霞(はるがすみ)という語が出てきて、どうしても理解できないという生徒と長い時間をかけて話をした。この生徒の場合はスペイン語。生活の中で「春霞」との出会いがない。とても説明に苦労したが、やっと「先生、ありがとうございました。薄いFogですね」。「う〜ん、確かに。いいのかなぁ」こちらが持っているイメージがこの生徒に伝わったか、自信がない。かすみがかった少し春愁のような侘しさまで含んだ情景まで・・・。生徒が去った後、聞くともなしに聞いていた会話に、周辺の同僚が大笑いしていた。「日高さん、大変だね」
 本校の生徒にこのエピソードを話して、でも今君が持っている力、僕の教え子たちが持っていた力、これはそんなに簡単に身につけられるものではない、大切にした方がいい。大切にしている君の姿勢は立派だと「肯定」を話しておいた。

 思考言語が異言語であるがゆえに、日本語を母語とする世界では、他の仲間が想像できない苦労もあるに違いない。それをポジティブに捉え返し、大切な力としようとする生徒。市原中央の生徒っていいでしょう。自慢、自慢。

右 大変なことだが その中で

9月12日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.101 心温まる瞬間(とき)をいただいた

 台風が千葉を直撃してから4日が経つ。東日本大震災の時に「想定外」という言葉が使われた。今回の台風15号の被害もそう表現されるのだろう。「想定」が甘いのかもしれない。もう20年以上も前のこと、毎年夏と冬に通っていた白い砂浜の綺麗な孤島の自慢の砂浜が、年ごと、いや半年ごとに狭くなっていくことに、地球温暖化を切に感じていた。我々の世代が、今の若者たちに残した大きな負の遺産の一つ。受け止めてもらうものがあまりに重い。しかし、それをしっかりと受け止め、手を取り合って解決する力だけはつけてあげたいと思った。
 留守番のために学校に朝から行っていると、多くの生徒が保護者の方の車で荷物を取りに来る。中には校長室をのぞいて、「校長先生!お宅は大丈夫でしたか?」と声をかけてくれる生徒もいる。嬉しかった。我がことでも精一杯だろうに、ふとみた校長室のドアが開いていて、姿が見えたので声をかけてみる。その心の動きだけでも嬉しかった。
 お子様を送ってきた保護者の方と話をする機会もあった。お母さんの第一声が心を和ませた。「先生、大変でしょう。お陰様で自宅は今朝断水が解消しました。何かお手伝いできることがあれば」立ち話も失礼なので、どうぞお部屋へ。やはり台風の被害の話。本校生徒のお子様がまだ小さい頃、茨城の地で東日本大震災を経験したという。今回は断水。水の手に入るところまで子供と一緒に何度も足を運んで、家族の生活の水を確保した。途中、もう覚えてもいないだろうと思っていた3.11のことを子供が語り、一緒に支え合った記憶を蘇らせていたという。その「子」は、この夏休みは「戦争」をテーマに調べ物をして過ごしていた。調べれば調べるほど知る悲惨さ。(母)「多感な年頃でしょ、『辛く』て胸を絞られるような思いをしたこともあったようです」でもそれを超えた時「戦争って絶対だめ」という子がいたと語ってくださった。「ひとつひとつ、いい経験になって、成長しているんです。ありがといことです」

 問わず語りに語ってくださった話に、先述の「力」をつけてあげなければという思いを確認した。

 もう少しお話をさせていただきたかったが、荷物を揃え終わった生徒の「終わったよ」という声がけで幕引きとなった。「母と子の心のつながり」いいものを見せていただきました。