体育・スポーツ 「あらた」の意と「信」の重みを感じて欲しい

8月22日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.92 結果としての惜敗

  市原中央 000 000 000  0

  志學館  000 000 10✖️ 1

 立秋を過ぎた。正確には「立秋が始まり間も無く終わる」になるのだろうが、夏とはいえどことなく秋の気配漂うこの頃である。野球の秋季大会の始まり。こんな行事の始まりに秋の気配を感じる者もいるかもしれない。試合開始には少し遅れたが、応援に行くことができた。両校ともがっぷり四つに組んだいい試合展開だったと私は思っている。野球通の御仁は、「あの時のあのプレーが」とか「あの時の交代が」といった深い知識や洞察力で評価をなさるが、私にはよくわからない。ただこの夏の大会でベスト4に入ったそのメンバーを残してのチームスタート。その中に、今まで自分たちを支えていた糸が、今回の大会から変わったことを選手たちに気づかせくれる試合だったのではないかと、私は思っている。
 上手い下手、試合慣れ、術数に長けた試合運び。色々と言い方はあるかもしれないが、守備のうまさやバッティングの強さを本領発揮させてくれる「何か」の存在に気づいたはずである。『あれぇ?なんだ?この前までは繋がっていたのに』『えぇ?あのタイミングではアウトが取れたはずなのに』といった微妙なズレを生じさせている「何か」である。それが「信」だと私は思っている。これまで培ってきた本校野球部のチームにあった「信」とは、似て非なるものである「信」である。それが太くなれば「勝利」に繋がる。気づかずそのまま過ぎると「勝利」は遠のく。
 「新チーム」の「新」は、「あらたまる」(新しくなる)=「改まる」(変わる)ことである。自分たちの「信」、改まった「信」、ぜひ築いて欲しい。

 いい試合を見せていただきました。感謝。応援に来ていた3年生諸君、ありがとう。わざわざ駆け寄ってくれてみんなで挨拶をしてくれた。嬉しかった。やはり市原中央高等学校は、生徒が誇りなのである。

タグ 部活