校長室から

お祝い 11−5 Vs 木更津高等学校 

7月13日(土) ほぼ毎日校長 Vol.65

市原中央 311 600 000 11
木更津 020 030 000  5

 まずは、全校生徒の諸君、ごめんなさい。この「ごめんなさい」は期待に応えられなくてという意味です。おそらく状況をしっかり捉えてもらえれば、私が「中止」の決断を下したことは納得してくれるだろうと信じています。
 当日ZOZOマリンスタジアムは、弱雨。試合を中断するほどではないが、時折激しくなり、懸命にプレーする選手も、応援団の諸君もずぶ濡れになっていた。保護者の方が、レインコートを勧めてくださったが、お断りした。一つは、応援しているチアや吹部の諸君、スタンドで声を枯らしている野球部の諸君も雨に濡れているのに、という気持ちと、いま一つは、全校応援を中止した自分の判断の是を証明するような気持ちがあったのだろうと思う。持参したSASのベンチコートも持っていたのだが、『雨に打たれたい』とトータルな気持ちがそうさせたのだと思う。
 大勢の保護者の方、OB、一般の方々に応援されながら、両チームはいい試合をしていたと思う。かつて身を置いたことのある木更津高校。強いチームに向かう時、彼らは強くなる。不思議とそういう力を有している。同じくらいの実力のチームに、ポロリと負けるのに、なぜ、こんな力がどこにあったのかと思うチーム力を発揮するのである。それが出ないことを祈った。出させないためには、圧倒的な押さえ込むような勢いが必要である。権謀術数に長けた試合巧者である必要がある。内心ハラハラしながら応援していた。

晴れのち曇り インターアクトの生徒たちだったんだ

7月9日(火) ほぼ毎日校長 Vol.64 一生懸命

  放課後の時間帯に校内をぐるぐる回ってみた。本当に久しぶりに生徒の活気ある姿に触れることができた。ひと通り巡って、中庭を見ると2人の生徒が草木に水やりをしている。対角線上にいたので大きな声で声がけするのも申し訳ないと思い、廊下をぐるりと回って、教室の窓から・・・、あれぇいない。四角の一辺の反対側に姿を見つけたので、そちらへ向かった。生徒棟から職員室に向かう渡り廊下になっているところである。一歩踏み出して、また姿を見失っている自分に気づいた。あらら、今度はまた対角線にいる。水中に浮かぶ小さな紙片を両手ですくおうとして、するりとすり抜けてしまい、なかなかすくえなかった経験があるだろう。あんな感じだ。すり抜けて行けば行くほど、生徒たちが何をしているのか知りたくなる。『まるで鬼ごっこだな』と思いながら、待ち伏せ作戦を決め込むことにした。そんな私を見つけて大きな声で「こんにちは!」と声をかけてくれた女子生徒がいる。しっかりと足を止めて、相手を見つめ挨拶ができる。テニス部の女子である。「こんにちは」と返事をして、その時私の頭を支配していた興味と疑問の解決を、彼女に求めることにした。「インターアクトの生徒たちです。いつも水やりや雑草取りをして、ハーブを育てています」と爽やかな笑顔で紹介してくれた。彼女の爽やかさと、インターアクトの生徒たちの「いつも一生懸命」が相俟って、清々しい気持ちになった。部活を見にいく前に覗いた教室では、担任の先生の丁寧な面談がまだ続いていた。ありがたいな。

仲間たちが何をしているのか、ちょっと気にかけているのだろうか。あるいはその行為への感謝があったのだろうか。「インターアクトの生徒たちです。・・・」と即答してくれたテニス部のキミのすごさにも、後になって気づいた。いいね、市原中央生!自慢です。

晴れ 元気もらえました

7月8日(月) ほぼ毎日校長 Vol.63 いいねぇ

 チャイムが鳴り終わってしばらくすると、事務室側のドアに人影が見えた。待ち望んでいたものが手に入った子供のように、ウキウキしながら手招きすると、コロコロ笑いながら二人の女子が入ってきた。「寂しかったぁ」と声をかけると、「先生、今日はいらっしゃるんですね」「◯◯ちゃんやバスケ部の〇〇さん、友達が何度か覗くんだけれど、ここのところいない日が多いって残念がってました」「私たちが来ると笑顔になる?」と、たわいもない会話をかわしてくれる。「あぁ、げんきになる、元気になる」と素直に喜びを伝えると、「ほら、先生!」と言って一人が肢体を軽やかに動かしながらダンスを踊り始めた。「?」という表情でもしたのだろう、もう一人がアカペラで、野球応援のリズムを歌う。「あぁ、野球応援の、チアの・・・」「覚えちゃいました。応援団でもチアでもないけれど、踊っちゃいます」と言ってまたコロコロと笑っている。「でも、12日だけが狙ったように雨マークなんです」と顔を曇らせていた。茶道部のUGAさん(彼女たちの間でそう呼ばれているらしい)が入ってきた。先日の文化祭の写真を見せるととても喜んでくれた。AirDropでDATA交換ね。うっとおしい梅雨空が一気に晴れた。

うちの生徒は、接するものを元気にするパワーを持っているらしい。市原中央いいね!

重要 答えのない課題から協働で答えを導く喜び

7月6日(土) ほぼ毎日校長 Vol.62 大学生たちとのお遊び?

  何人かの大学生とちょっと面白い試みをやっている。この試み、ぜひ本校でやってみたいと思っているものなのだが、まだ第一歩が踏み出せないでいる。試みはこうだ
 西洋の窓と和風の窓を比較する
 ①違いが見える   → 違いが意味するものは?
           → 違いが生まれたのはなぜ?
 ②共通点も見える  → 共通点はどこ?
 論理的な展開を作ってみよう。そうすると、窓を眺めることで(説明することで)何が語れる?
 そこまでできたら、自分の思考の流れをビジュアルに表現してプレゼンテーションしてみよう
答えは⭕️❌では語れない多様性を持っている。みんなで考え、他人の意見で自分を変容させる。本校の生徒たちなら、結構面白い結果を出してくれそうなのである。チャンスがない。語りかけるきっかけがない。高校生は結構忙しいのである。「校長の放課後講座」なんていうことを始めてみるかなどと一人つぶやいてみる。でも、誰も来なかったらどうしよう。(^ ^)

? 心が風邪を引くことってある

7月5日(金) ほぼ毎日校長 Vol.61 特効薬はないのだけれど・・・

 午後の時間帯に出かけることが多くなった。生徒と触れ合う時間が少ない。「ほぼ毎日」の執筆?が滞るのは、原因はこれしかない。何もないはずはないと思いながらキーボードに向かっても、思い浮かばない。一つのストーリー性を持って内容が泉のように湧いてくることもある。決まって生徒との会話や共に笑った「時」の共有がある時はそうである。文章を書くのは得意ではないが、嫌いでない。筆が進まない状態、原因はわかっているのに解決できないのである。部屋を訪ねてくれた先生とそんな話をすると、「心が風邪を引いているんですよ」と話してくれた。なるほど、上手く言ったものである。風邪の菌(原因)は・・・。思い当たる節がある。じっとしていても(生徒から近づいてくるのを待っていても)仕方がないと思って昼休みに中庭に出てみた。ガラスで囲まれたテラスのテーブルにお弁当を広げて、歓談しながら昼食タイムの女子生徒たち。スマホを見ながら何かに興じている男子生徒たち。生徒たちは楽しそうに「お昼」を楽しんでいた。風邪引きの心を持った校長の会話はどうやら、たどたどしいようで、いつものように弾まない。中庭に面したガラスを一匹のアマガエルが、私に気づかれないように少しずつ歩を進めている。抜き足差し足、ゆっくりゆっくり。写真を撮影すると一瞬戸惑ったように静止したが、またゆっくり動き始めた。触りたい衝動にかられた時、志賀直哉の「城の崎にて」をふと思い出した。いかんいかん、こんな風邪引き心の状態で触れると、我にもあらず彼の身の上に不幸を招いてしまうかもしれない。こんな時は、あったかいお風呂に入って、何か美味いものでも食べるに限る。

キラキラ 先輩発見!いい目をしていました

7月3日(水) ほぼ毎日校長 Vol.60 ブログの日髙先生ですか?

学習塾の先生方を対象にお話をする機会があった。時間も限られていたので、本当にポイントだけをご説明申し上げたのだが、好評だった。市原中央の強み=「各コース共通の取り組み」+「スキル(学力)Upとプロジェクトの両輪がうまく動き、学びのスパイラルを作っている」ところ。本当にポイントだけの説明なのだが、生徒諸君の日頃の頑張りと、それを支える教員の努力が説明できたと思っている。一人でも多くの中学生に伝わって欲しいと思った。帰り際にご挨拶していると、「あのー、ブログの日髙先生ですか?」と声をかけてくださった方がいた。数年前に本校と同じように「ほぼ毎日」書いていたブログをご存知で、読んでいてくださったのだという。ある塾を取り上げた記事をご覧になっていて、一度お会いしたいとまで思っていてくださったとの話を聞かせていただいた。光栄なのである。きっとこのブログも読んでくださっているだろう。やりがいがある。親しくお話しして、「今後とも・・・」挨拶が終わると、若い女性が近づいてきて「卒業生です。」と笑顔で話しかけてくれた。君たちと同じように瞳のキラキラした素敵な先輩でした。

部屋を一人の先生が訪ねてくれた。手に封筒がある。本当に嬉しそうに「校長先生、こんなお手紙をいただきました」と紹介してくれる。声の抑揚も、喜びが感じられる。手紙には「息子が在学中大変お世話になった。この出会いに感謝する。先生のおかげで、息子はこんなに人生を楽しめる人間に育った。本当に嬉しい。今、大学でツキノワグマ研究会に・・・」研究調査の際に出会ったツキノワグマの写真と、大学の門の前で緊張顔に立っている息子さん(教え子)の写真が添えられていた。写真の中の彼の目もキラキラ輝いていた。「すごいでしょう、いいでしょう」と持参した先生が嬉しそうに語る。「先生、すぐにお返事差し上げてください。教員冥利に尽きます。こちらこそ感謝ですと」。「ええ、すぐに書きます。今すぐに」部屋を出て行く背中までが喜びに満ちているように見えた。

教員やっててよかったなぁと思える瞬間(とき)、共有させていただきました。いい学校です、市原中央。

 

! 次回はご遠慮なくお訪ねください

7月2日(火) ほぼ毎日校長 Vol.59 幸せな気分です

見事なものである。あれだけの装飾、あれだけの準備をしながら、盛り上がりを見せた「祭り」のあとは、ものの見事に片付けられていた。本日から平常授業。祭りのあとの寂しさが心にへばりついているのかと思っていたが、表に出すことなく「平常」が営まれている。本校の生徒はやはりすごい。

 土曜日の午後、文化祭も終わりに差し掛かったころ、部屋に帰ると一冊の書籍に手紙が添えられて届けられた。持ってきてくれた事務の職員に「寄っていただければいいのに、もうお帰りになった?」と問いかけると、そのようにお声がけしたのですが、「お渡しいただければそれでいい」とおっしゃってすぐに帰られたとのことであった。書籍はご自身が取り組んでおられる活動に係るもの。早速添えられた手紙の封を切ってお手紙を拝見した。書籍に手紙でなく、お手紙に書籍が正しい表現のようであることがすぐにわかった。かつて担任だった先生に「日髙くん、手紙というのはな、封の切り方で期待度が分かるんだよ」と教えていただいたことを妙に納得したことをふと思い出した。中には便箋3枚に渡り、お子様を本学に通わせた(通わせる)思いが丁寧な字で綴られていた。不安を抱いての入学と、保護者会や入学式で挨拶をかわしてくれる生徒や教員の姿にその思いが払拭され「いい学校に・・・」という安心に変わりつつある。安心感が増してきた。と書いてくださっていた。なんとも幸せな気分なのです。ありがとうございます。今度は遠慮なくお立ち寄りください。

お手紙の中に、この「ほぼ毎日」のことが記されていた。楽しみに読んでくださっているとのこと、これも嬉しい。展示や発表を見て歩く途中でも、「こんにちは、読んでますよ、ほぼ毎日」と声をかけてくださる保護者の方も多くいらっしゃった。日頃伝わりづらい学校生活のこと、少しでも知っていただくことができれば幸いです。

 

花丸 素晴らしい2日間だった 心から感謝したい

6月29日(土) ほぼ毎日校長 Vol.58 完成度の高い催し物

「令月の和楽」(文化祭)ポスター候補作品12点 どれも素晴らしい。

 心から感謝をしている教え子たちがいる。出会ってからこれまで、どれだけこの子たちに助けられたか。心の支えになってくれている。男子4人、女子7人の12人のグループで、よく自宅に遊びに来る。一人計算の合わないのは、悲しい出来事で失ってしまったから。もう四半世紀も前の教え子たちであるが、1年として会わなかった年はない。今はみんな家庭を持ち、中には伴侶となった方を連れてくる者もいる。そんな彼らと少しお酒を飲んで、思い出話をすると文化祭の話になる。全くまとまりのないクラスで、ラグビー部の主将でクラス会長を務めてくれていた男子生徒は、職員室に来て「先生、うち(のクラス)ダメです」とぼやいていたのを思い出す。しかし「演劇」をみんなでやると決めてから団結はすごかった。この12人を中心に見事にまとまった。その「絆」がいまだに続いている。高校時代に経験した「率先垂範」や「同僚支援」「方向性指示」などという協働の場で大切になってくる力(リーダーシップ)は、人を育て絆を深めてくれるようだ。

 着任後初めての大イベントに接するにあたり、市原中央高等学校の生徒たちにそんな力を期待した。全く裏切られることはなかった。自慢の生徒たちである。

いい文化祭でした。

お祝い 始まった!令月の和楽(文化祭)

6月28日(金) ほぼ毎日校長 Vol.57 これが市原中央高校の品格

いよいよ始まった。期待していた通りの上質なイベントである。考えている。質を落とさずに簡素に。どうすればいいかをみんなで工夫している。金をかけて時間をかけて作り上げる上質ではなく、アイデアで勝負する。すごい力だと思う。

黒板の中から飛び出しそうなニワトリ。焼き鳥屋の黒板アート。串に刺した肉が美味しそうなのである。

臥していた龍が玉を追いかけ天に登ろうとしている。

古代と現代をつなぐ「和楽」、それは学校全体の持てる力    校長 日髙  学

「令月の和楽」何とも面白いテーマをつけたものだ。もちろん「令和」という新元号で行われる初めての文化の祭典を意識しているのだか、そこに「和楽」(互いにうちとけて楽しむこと)を絶妙につなげている。よくこんな言葉が出てきたものだと感心するばかりである。自分たちの作り出す祭典を気高い、崇高なものに仕上げているネーミングだと感じた。令和の出展の万葉集にある梅花の宴の歌群の序に描かれる宴は、大宰帥である大伴旅人の、大宰府政庁の近くにある邸宅で催された宴とされているが、本校の文化祭のこのテーマには、当時の風流人が催した宴席の華やかさが重ね合わされて、さらに面白さを魅せる。無意識のうちにではあるかもしれないが、現在と古典の世界との「つながり」を認めることができる。ここが本校生徒の能力の高さだと自慢に思うところである。

証が一つある。「今年の文化祭のポスターをご覧になっただろうか。パープルの地に淡いピンク。令月(美しい月)に手をかざす少女。高貴な色とされた「紫」の品格のある色の中で、髪を風になびかせている。まさに「薫る(カヲ・ル)」なのである。先にあげた序文は最後を「蘭薫珮後之香(蘭は身を飾る衣にまとう香のように薫せる)」と締めくくる。その世界をこのポスターは、つややかな美しさとして表現した。このポスターは、テーマのイメージを美術コースの生徒が具現化し、いくつかの候補の中から全教員の投票で選んだものである。もうお分かりのように、今年の文化祭を考えた時に、内面に持った印象を「言葉」(テーマ)として表出し、全く別の者がそれを「絵」(ポスター)としたのである。最後の選定には、市原中央高等学校という小社会で共に生活する教職員の思いまでもが関わっている。

本校の文化祭は学校力の表出だけにとどまらず、その総和としての体をなしている。大いに品格ある楽しみ「令月の和楽」を満喫してほしい。

文化祭のしおり・挨拶から

! カウントダウン! 文化祭まであと1日

6月27日(木) ほぼ毎日校長 Vol.56 まもなくだ!という熱気

令和の和楽が近づいてきた。全てが楽しみなのだが、密かに楽しみにしている企画がある。公の場で(ブログで)語ると支障があるかもしれないので、内緒にしておく。外に出ると忙しそうに立ち働いている生徒たちが大きな声で挨拶をしてくれる。「みんな、文化祭で忙しそうで、校長室が閑散としている。寂しい」と語ると、「でしょう、先生、そんな時は外に出てグルーっと一回り」「そだねー」などとたわいもない会話をしながら、校内を回ろうとすると、「あっ、校長先生、ちょっといいですか?」と教員に呼び止められた。『この無粋者め!』と思いながらも、笑顔で「いいですよぉ」、生徒たちの頑張りに触れる時間がなくなってしまった。しばらくすると、このブログにもっとも出場数の多い2人がやってきた。「保護者会の方々から、先生に被っていただけと預かってきました。」と行ってキャップをいただいた。今までTシャツ、タオルはあったが、キャップは初めてである。嬉しい、嬉しい。被って応援させていただきます。子供のように心がはしゃいだ。

重要 令月の和楽(文化祭)まで、後2日

6月26日(水) ほぼ毎日校長・Vol.55 クラスの企画で繋がろう

  文化祭が後二日で開催になる。新生徒会長が入ってきて「先生、文化祭当日の挨拶お願いします。といって式次第を持ってきてくれた。前生徒会長に勝るとも劣らない段取りのうまさである。「ちょっとからかってやれ」という悪戯心で「ものを頼んでいるのだから・・・」と声をかけると、どの言葉、どの表情、どの仕草から読み取ったのだろう。スススッと前にすり足をするように進み出て、「誠にお忙しい中恐縮ですが・・・」と慇懃に礼を尽くして見せる。こちらも芝居ががって「よかろう」と応じると、あげた顔は満面の笑顔だった。「新たな会長(君)の初仕事、前会長の有終。成功させたいね。いい祭典にしたいね。」と付け加えると「はい」と大きな声で返事をしていた。着任当初、生徒会室で見かけていた彼の姿から想像できないほと「頼もしさ」を感じた。

 役が身を育てる? いい生徒に生徒会を任せる判断が全校生徒でできたことに、この学校のすごさを感得した。感謝。

注意 グローバル化、着々と進んでます

6月25日(火) ほぼ毎日校長 Vol.54 アメリカから留学生がやってきた

 まぁとにかくお客さんの多い日だっった。朝の打ち合わせが終わってから、校長室への来客が後を断たない。新生徒会長が何度か顔をのぞかせたようだが、なかなか入ってくることは難しかったようである。申し訳ないなぁと思いながらも、出かける時間まで、彼の存在をすっかり失念していた。分掌の相談、生徒に係る報告etc、先生方の対応が終わると、教育実習生の研究授業視察に大学の先生がお見えになる。前日にお電話をいただいた。「まぁ、校長先生が日髙先生だなんて・・・」まだ若かりし頃、同じ学年、同じ分掌、隣同士の(コートの)部活動など、10年近く一緒に務めた同僚である。あった途端、久闊を叙するどころか、二人とも以前の若者に戻ってしまった。「そんなに仲良しだったんですか?」と実習生が驚いている。千葉県の英語を背負って立っていたと言っても過言ではない彼女の存在は、本校の先生たちも知っていた。実習生の研究授業を終えて、彼女(大学の先生)の評価があった。実習生の授業は素人目にも「優」である。それに加えて「この学校の英語教育は『上質』です」と最高の評価をいただいた。実習生(うちの大学生)の力をあそこまで引き出せる指導担当の先生の力量、何よりも生徒たちの素晴らしさを褒め称えてくださった。彼女をよく知る私は、この言葉がお世辞抜きの賞賛であることを一番よく知っている。それだけに嬉しかった。まだ英語の4技能なんて言葉のなかった時代、先進的な英語教育をやろうと言って「資料収集、分析」指導担当、プレゼンのための「論理的展開」指導、そして「英語スピーチ」指導担当の3者が作り上げていった「あの頃」を思い出していた。

 時を同じくして、アメリカから留学生がやってきた。3年の英語コースに所属し、2ケ月近くを本校で過ごしていく。いい交流をしてほしい。

 市原中央高等学校グローバル化、着々と進んでいます。いいね!

鉛筆 玄関を入るとその学校の全てがわかる

6月24日(月) ほぼ毎日校長 Vol.53 高校説明会にお伺いした中学校

 高校説明会に伺う機会があった。なんども伺ったことのある中学校である。いついってもこの学校は、玄関を入るだけで気持ちが洗われる。日頃生徒たちにどんな指導をなさっているのか、どういう教育が展開されているのか、そして先生たちの協働の体制がいかにしっかりしているかが分かる。「すごい学校だなぁ」といつも思ってしまう。見習いたい。兄弟校の木更津総合高等学校の説明を真板校長(理事長)がなさっている間に、パシャリと写真撮影。ご覧いただいて分かるだろうか、姿勢を正してじっと話者の方に目を向けている。「話は目で聞け!日髙!」中学校時代に話を上の空で聞いていた私を注意した先生に「聞いていましたよぉ」とふて腐れると、可愛がってくれていた担任が横から大きな声で指導してくれた。「話は目で聞く」もの、ここの生徒たちはちゃんと実践している。もちろん市原中央高等学校の生徒諸君も。いいね。

 本校の保護者の方が話してくださったお話を思い出した。中学校の教員をなさっている方で、「日髙先生、私の教え子に話してくださった『ドーナツの穴』のお話、よく覚えています」嬉しい限りである。その話を思い出し、この中学校でも「二匹目のドジョウ」を狙ってみた。

ドーナツの穴と動物園の話し(高校選びはこうあるべきだ)

自分って何?という問いかけは難しいが、わかりやすい。自分=ドーナツの穴と考えること。あるかないかを明確に説明できない「穴」は、ドーナツによって形づけられている。自分を「穴」と考えるなら、ドーナツは周辺(=仲間、教員、他者)である。他者が上質であればあるほど、「穴」は上質な自己確認をする。上質なドーナツのある学校をどうやって選べばいいか、その話をしよう。行ける学校選びは、「それなり」のドーナツしか得ることはできない。

動物園(や水族館)に行ったことはあるだろうか?・・・

ほくそ笑む・ニヤリ 「お弁当なしね」が生んだ出会い

6月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.52 唐揚げ弁当350円

 私ごとですが、奥さんが出かけるときはお弁当がありません。そんな時は、生徒の昼休みが始まる前に食堂でお弁当を購入することにしている。ボリュームのある弁当が350円と、かなりリーズナブルである。写真は唐揚げ弁当。今日もこれにする予定でしたが、来客があり昼休みが始まって少し時間が経ってからになってしまった。案の定、食堂には行列ができている。「食券の最後尾は?」独り言のように言うと「先生、ここです」と招いてくれた。私の後に2人の女子生徒。どうやらここが終わりのようで、その後は誰も並ばなかった。後ろの二人と色々とお話をさせてもらった。「食券はあらかじめ販売数が決まっているの?」とか「私で売り切れるといけないから、先に買えばどう」といった類の、たわいもない話なのだが、こう言う時間が一番好きである。この17日から販売を開始した売店。ちょっとしたスナックやアイスクリームが売っている。「もう利用した?」「はい便利に使っています」「一番のお気に入りはアイスクリーム」だそうである。列の途中にノートを見ながら並んでいる生徒がいた。「すごいなぁ、行列の中で勉強か?」と問いかけると、下を向いてしまった。そばにいた友人が「追試験があるそうです」と、小声でこっそり教えてくれた。よく考えもせず「そうか、追試か、頑張れ!」と大きな声で励ましたものだから、耳まで真っ赤にしてさらにうつむいている。申し訳ないことをしました。ごめんなさい。

「お弁当なしね」が生んだ素敵な出会いである。感謝。

部屋に帰ると、いつもの野球部の二人が待っていた。抽選の報告に来てくれたのである。「高校球児としての最後の夏を飾るのに、いいくじを引いたね」と迎えると、二人で声を合わせるように「はい!」と大きな声で返事をしてくれる。清々しい空気で部屋が満たされるのを感じた。ありがとう。

王冠 なぜ走るのだろう? カウントダウン

6月20日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.51 あと1週間

 「令月の和楽」をテーマとした文化祭の開催が迫っている。それぞれに忙しそうに準備に追われている。以前(もう30年以上前)から気になっていたのだが、生徒たちはなぜ走るのだろう?テンションが高くなっているのか、やたらとこの時期走りたがる。とある高校に勤務していた時のこと、クラスの生徒で、外からの強い衝撃が加わることに気をつけなければならない生徒がいた。普通に生活している分には、廊下を走る生徒なんて一人もいない学校だった。ところが文化祭の前は、走るのである。あちこちで「あっ、ごめん」「すみません」。ちょっとした衝突事故が起き始める。それも頻繁に。当該の生徒と真剣に考えた。サンドイッチマンのように、前後に看板ぶら下げてみるか?スーパーのお子様買い物カートのように、のぼり旗の立った竿でも持って歩くか?笑いながら話しているが、どちらも真剣に考えなければならない対策であることが分かっていた。「先生、僕は全校生徒の前で事情を話します。僕であることがわかるように、赤い帽子を被って生活します。文化祭終了まで」彼は身長のある人だったので、意外と目立って効果があった。集会を開いてもらい、壇上で彼が赤い帽子を被って事情を話した時、傾聴の姿勢を示していた生徒たちから、拍手がおこった。彼の「勇気」に対するものだったのか。文化祭実行委員長が「ぜひみなさん気をつけてください。この文化祭準備は、疾走禁止です」と語っていたことを思い出した。

 本校の生徒は、見るかぎりまだ走っていない。文化祭に向かって気持ちが高まっていない訳ではないが、まだ走っていない。本校生徒のもつ品格なのかなぁ。印刷室で資料を印刷していると、生徒会役員が新入生の後輩を連れてきて、機器の使い方や手順を丁寧に教えていた。新生徒会役員に期待したことを、ちゃんと実践してくれている。市原中央高等学校、いいね!

校長室の3人は、本文とは無関係です。清掃担当の女子たち。いつも笑顔で、校長を元気にしてくれる生徒たちです。

合格 学校経営の方針は君たちから生まれているようだ

6月19日(水) ほぼ毎日校長 Vol.50 市原市内の中学校長が大勢お見えになった

「僕ってなに?」「私ってどうなの?」という問いかけは、ドーナツの穴ってあるの?という問いに似ている。穴は確かにあります、でも食べてしまったらどうなるだろう?「ない?」確かにあったはずの穴は?穴はドーナツによって形づくられている。人生の中で、高校3年間はそんな自己確認をしたり、人間形成をしていく大切な時期にある。どんなドーナツが周りにあるかで、人生が変わると言っても過言ではない。水中を飛ぶように泳ぐペンギン、やはり鳥だった。プールの中でダンスを踊るシロクマ、王者の風格がある。ガラスの向こうからにらめっこするアザラシ、好奇心の強さが本領。みんならしさを引き出されている。それぞれの動物のプロが、他には真似できない特徴を引き出している。飼育のPROなのである。本校には、自慢できる教育のPROがたくさんいる。だから生徒は生き生きし、らしさを引き出され、光り輝いているのである。市原中央高等学校の自慢はそこにある。

校長先生たちに教育方針と本校の素晴らしさを語り、部屋に帰ると、しばらくして「アレェ、いるぅ」という言葉とともに女子生徒が二人入ってきた。部屋の清掃をしながら、「先生、吹奏楽のコンクール、私たちの前は市立船橋、次の次には市立柏・・・。やりがいあります」と言って笑顔で報告してくれた。ぜひ行くよ。頑張ってください。

会話を交わしながら「本校の教育方針」などと立派なことを言いながら、気づいてみれば、目の前の生徒像を語っているだけである。どうやら校長は、君たちから何をすればいいかを学んでいるようである。いい生徒たちに恵まれた。

野球 12日 Vs 木更津高校 マリンスタジアム 応援お願いします

花丸 正解のない答え合わせと100点ダルマ

6月18日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.49 少年の話・・・答えは?

 ほぼ毎日校長Vol.36「ニライカナイから神が来る」の中で登場した案内役の少年、どうして祭りの話を聞かせてくれるごとに、「おじさんはいい人だから・・・」を枕詞のように使うのだろう?先日の校長講話で私の考えた解答を述べたので紹介しよう。

幼い子が「おじさんはいい人だから」と必ず言ったのは、日髙を「いい人」にしていないと自分が罪人になるから。

神々の話(祭り)にはタブー(=禁忌:してはいけない)がつきものである。異類(神)との婚姻を語るものには必ずと言っていいほどある。鶴の恩返し「機織りを見ないでください」浦島太郎「開けてはいけません」雀のお宿「覗いてはならない」三輪山の杉「触ってはいけない」などなど。この島の秘儀の祭りは「語ってはいけない」(島民だけの共同幻想)である。島民たちは子々孫々にいい伝える「語ってはいけない」純粋な子供は、純粋な疑問を持つ。「なぜ?」そうすると母と子の間に、こんな会話が成立しはしないだろうか。
子「なぜ話しちゃいけないの?」
母「・・・」(答えられない)
子「ねぇ、お母さん、なぜ話しちゃいけないの?」
母「島の人たちの大切な祭りだから、悪い人に聞かれるといけないからよ」
(「いい」←→「悪い」という、本当は難しいが、子供には理解しやすい概念で説明する)
子「ふーん」(じゃあいい人なら語ってもいいんだ)

「おじさんはいい人だからね」という少年の言葉は説明できているだろうか?これは「正解」ではない。◯や✖️で判断されるものではない。私の説明であり解釈である。あの宿題を出した時、生徒諸君はどんな答えを導いたろうか。右から左へ「口から耳へこぼれゆくもの」として聞き流す者も多かったに違いない。(HRで話題として取り上げてくれた教員もいると聞いている。ありがたい)世の中には、こうした問いはあまりにも多い。 いや、こうした問いばかりである。そして時には誰も答えを示してくれない。協働のスパイラルの中で自分を変容させ、強い頭を鍛えるそんな学びが必要な時代なのだ。

これは◯✖️の世界。でも先に書いた学びの根底に、これは絶対に必要だ。この層が薄い者が強い頭を鍛えられるはずがない。スタートはここから。

100点ダルマ、今回は何人いるのだろう。「卒業までに◯個目標」いいね!

体育・スポーツ 心から賞賛の拍手を贈ろう、頑張れ!中央球児たち

6月17日(月) ほぼ毎日校長 Vol.48 壮行会にお招きいただいた

 一人の教え子のことを思い出していた。大会に出場している全員が、守りからベンチに帰る時、彼の手を通って帰ってくる。ランナーを出し追加点を入れられた後も、ナイスプレーでゲッツーをとりピンチを切り抜けた後も、ナインは必ず彼の手を通過していく。3アウトのコールがあると、真っ先にベンチから飛び出し、大きな声で何かを叫びながら、両手をいっぱいに広げる。その手にナインは、タッチしてからベンチに戻る。バッターボックスに入る仲間を応援するのも彼が一番大きな声を出している。よく聞くと全てポジティブな言葉ばかりである。2年間しか見ていないが、ムードメーカーの彼が守備につくのを見たことがない。いつもベンチで大きな声を出している。チームの「信」は彼によってつながり、彼によって拡張され、強度を増していた。最後の夏の大会、ラストバッターとして打席に立った。私がフィールドの中で彼を見たのは、それが最初で最後だった。熱い一つの夏が終わった。試合後、ゲートの傍らで母親と抱き合って涙していた。「こんなのあり?・・・」応援のチアの女子生徒が呟いて、もらい泣きをしている。彼の球児人生には「外伝」があったのだろう。母と二人でしか感じあえることのできない、素晴らしい「外伝」があったに違いない。

一つ事に夢中になる者の姿は美しい。この日(6月15日・土)お招きいただいた本校の野球部の壮行会でも、子と親御さんの「絆」(信)を熱く感じた。いい壮行会でした。

2019年 熱い夏が始まる。「信は力なり」この夏を熱く駆け抜けろ!市原中央球児たち

お祝い 「共時」の充実を図ると同時に「通時」の意味を深く受け止めよ

6月14日(金) Vol.47  生徒会新役員に期待すること

朝の打ち合わせ前に、生徒会役員の女子がきた。大きな黒い縁のメガネの奥の瞳が綺麗に輝いている。文化祭が近いので、文化祭パンフレットの巻頭言の原稿を依頼したいという。「いいですよぉ。で、いつまで?」「月曜日にはいただきたいのですが・・・」無茶振りを承知で笑顔でお願い。最短の依頼ではないだろうか。昨年度の巻頭言を見せていただく約束をしたが、?おやぁ?、7限が始まろうとするのにまだ来ない。替わりに昼休みに現生徒会長(琴音さま)が新会長を連れてやってきた。「本日の認証式のご挨拶、お願いします」彼女は本当に律儀である。必ず前もって依頼して、当日にもやってくる。見習うことが多い生徒である。さて、何の話をしようと思案して考え出したのが、伝播と伝承の話である。ちょっと難しい話だが、『うちの子なら大丈夫』と思った。

校長講話 生徒会新役員に期待すること

我々の文化には、通時的な流れ伝承と共時的な伝播がある。同じ時を過ごしながら、共に何かを協働で創造していく。人はおおいにしてその刹那に目を奪われ、目を向けがちである。しかし、その刹那の伝播のリングは、気づかない速度で動いている。ジワリ、ジワリと揺れながら動いている。それは「時の流れ」(通時)として認識することができる。通時にのみ目を向けると、年表のような味気ない年号の羅列になってしまうが、先の共時と組み合わせて、その瞬間(とき)を捉えるとき、先人の偉業や偉大さとその瞬間(とき)を生きた労苦を知り、喜びを知ることができる。さらには次に来たる者たちへの期待や活力に思いを馳せることができるのである。

生徒会の新会長は、入学授時に「今やりたいことをしっかりやりなさい」という当時の校長の言葉に背中を押されるように、会長に立候補したと聞いている。先に話をした、君たち新役員が担う「共時」の充実を果たすとともに、「通時」の意味を深く受け止め、市原中央高等学校の「伝統」を築いていただきたいと思う。平野さんをはじめとする旧役員の皆さま、本当にありがとうございます。新役員の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

学校 中央見聞録ってご存知ですか?

6月13日(木) ほぼ毎日校長 Vol.46 本校の新聞委員会が出している新聞です

「中央見聞録」なるものが配られた。掲載されている写真をみて、遠い記憶を思い出した。新聞委員会の男子が来て、原稿を依頼された、写真を撮影された。新任の教員紹介の記事が載っている。保護者の皆様、お手元に届いていますか?耳鼻科検診に来ていた学校医の看護師さんが、新聞と学校案内を見ながら「校長先生は髪型で随分と印象が違うのですね」と。『確かに、自分でもそう思う』気分がストレートに表情に出るようで、廊下を歩いていて「今日の先生は怖いですね」と教え子に言われたことがある。きっと難しい顔をして、全身から「寄るな!」オーラを出していたのだろうと思う。授業の様子を覗きに行こうと校内を歩いていると「今日の校長先生は怖いです」と後ろから声をかけられた気がした。振り向くと壁のフックに掛けられたリュックサックに付いた面白いぬいぐるみが、ニッと笑っていた。

新聞記事から

①自己紹介をお願いします ②本校の生徒の印象は?  ③高校生の時はどんな生徒でしたか? ④大切にしている考え方や言葉を教えてください。

  ① 自己紹介:瀬戸内の小さな町で生まれました。18歳の時に上京し、それ以来、関東に住んでいます。今では関西弁もあまり出なくなりました。趣味は南国(の海)に行くこと。若い頃は、波音を聞きながら満天の星空を眺めるために、年間30日くらいは、インド洋や南太平洋の島々に行っていました。
② 本校生徒の印象:「いいね!」「こういう高校生、好きだな」が、印象です。他人の話に傾聴の姿勢を持っている。これって素晴らしい力だと思う。まだそれほど多くの生徒と接していないのですが、接した限りではとても好意印象を持っています。
③ 高校生の時はどんな:同窓会で同級生に会うと、「日髙は変わらないなぁ」とよく言われます。『高校の頃からこんな老け顔だったのか』『人間的成長がないのか』と複雑な気持ちです。「できる」が嬉しくて、できるものが見つかると、とことんのめり込んでいました。わがままを許してくれる寛大な心を持った友人が多かった。感謝しています。
④ 大切にしている言葉:人は、何か一つことをやり通さなくちゃいけないのさ」別役実の言葉だったと思う。若かりし頃に出会って、大切にしている。本当は違う表現だったかもしれない。一生懸命な姿や何事かに投じている様子は美しく、心打つものだという解説とともに、私の中に染み込んでいる。

まる 親睦と友情、つながり、そして奉仕へ

6月12日(水) ほぼ毎日校長 Vol.45 市原ロータリークラブの方々と

左から   平野 様 ・ 野口 様 ・ 日髙 ・ 篠田 様(新会長)

市原ロータリークラブの方々が、わざわざご挨拶に来てくださった。本校のインターアクトの生徒諸君が深い繋がりを持せていただいており、様々な活動への参加や支援を頂戴している。「ロータリークラブ」名前はよく存じ上げているが、私にとって決して身近な存在ではなかっった。「奉仕活動」「地域貢献」という用語がすぐに連想はされるが、恥ずかしながら実感として感じることは少なかった。新会長の篠田さんは、「会長を仰せつかるにあたり、『市原ロータリークラブかくあるべし』をまとめて見ました」といってA4版4枚にも及ぶレポートをご持参くださった。長年継続してきたマレーシアの交換留学生の話、9月に予定されている音楽鑑賞会の話などなど、ぜひ本校のインターアクトの皆さんにお手伝いいただきたいというお話をいただいた。ロータリーが「親睦と友情」を起首とし、やがて「つながりを築く」活動に、そして「奉仕」へと進んだ流れを実際に語っていただいているようなお話をいただいた。

本校のインターアクト、30名を超える生徒が熱心に活動していると聞いている。県下一位ではないのかな。数といい、質といい。市原中央高等学校、いいね!

合格 そうか、ここに来ればよかった

6月11日(火) ほぼ毎日校長 Vol.44 生徒会室いつも満員御礼

 「令月の和楽」今年の文化祭のポスターが貼り出された。パープルの地に淡いピンク。令月(美しい月)に手をかざす少女。紫の高貴な品格のある色の中で、髪を風になびかせている。まさに「薫る(カヲ・ル)」なのである。つややかな美しさ、このポスターを手がけた生徒は誰だろう。13枚の候補の中から選出された一枚。もちろん「令和」の「風和らぐ」を視覚的に意識した作品なのだろう。見るものにその意図を感じさせる。かつて読んだ書物の中で、確か和歌の解説であったと思う。「きよし」と「さやけし」は違う。物その物がもつ「きよし」によって対する者の心が浄化される状態それが「さやけし」と書いてあった記憶が蘇る。このポスター「見る者の心を洗うほど」なのである。

 ぼんやりとポスターを眺めていると「こんにちは」と明るく挨拶をしてドアの向こうに隠れていく影。生徒会の生徒である。文化祭が近いのでコトコト忙しそうにしている。『お邪魔かな』と思いながら中を覗くと、案の定、みんなが何かに取り組んでいる。「何しているの?(あーそぼ!)」と声をかけると、PCの方を向いたまま、「はい、クラスの出し物の説明文の活字化です。」と答えてはくれるけれど、応えてくれない(あーとで)なのである。察してくれたのであろう、生徒会顧問の先生が「◯◯さん、校長先生のお相手」と一人、遊び相手をあてがってくれた。嫌な顔もせず「はーい」。ところがこうして改まると、何を話していいかわからない。「えっ、まぁ」などと柄にもなくドギマギしていると、「校長先生、私、生物で97点とったんです。もう、最高」と話題を提供してくれた。それを機会に、そこここに座っている生徒が代わる代わる相手をしてくれる。あっと言う間に時がすぎていった。出来上がった学校案内を見ながら、「素敵なパンフ。表紙はタマちゃん。友達なんです」「アレェ、校長挨拶なんて書いてるけど、これ校長先生ですか?」「えっ、違う」と写真と私をしきりに見比べている。写真が悪いかな?写真変えるかな?

生徒会室、ここに来ると市原中央高校が、グッと凝縮されているようだ。そうか「校長は寂しい( ;  ; )」時にはここにくればいいんだ。生徒会の諸君、忙しい中お付き合いありがとうございました。

話題の写真→ 

鉛筆 アクティブなチョーク&トーク

6月10日(月) ほぼ毎日校長 Vol.43 ちょっと授業を拝見に行ってみた

授業の観察は改めてさせていただくことにした。授業の開始から少なくとも2/3くらいの時間は拝見しないと、生徒の取り組みは見えないだろうから。考査の終わった次の週の月曜日『多くの授業はテスト返却から始まっているだろう』返却がどんな風に指導がされ、生徒たちの取り組みはどうなんだろうと興味はあるが、また次の機会にしようと思ったのである。だから今日は、授業の覗き見。

音楽(声楽):いつも校長室で聞いている綺麗な発声と歌声。アリアナ・グランデという歌手をご存知だろうか。少しハスキーな歌声なのに、とんでもない高音を発声することができる。もちろん彼女ほどでは無いが、うちの生徒たちの歌声は美しい。どれぐらいの音域が出ているのかわからないが、とても域が広い。発声の練習をしながら、音取りがうまくできなくなりそうな一歩手前で、ピアノの鍵盤がポンと鳴る。導かれるように声がその音と一緒になる。『プロの指導だなぁ』このタイミングで指導ができると、他の教科でもきっと「わかる」授業ができるのだろうな。

数学:テスト返しの真っ最中であった。「え〜、追試は・・・」先生が日程を知らせると、クラス中がざわついた、ため息が漏れた。中には、頭を抱え込む者もいる。すかさず「でもな、君たちはすごいぞ。この時期の私の授業では普通、◯◯人ぐらいいていいのだが、◯人しかいない。これは見上げたものだ。見込みがある」と褒める。ダメ出しではなく、いいところを褒めて伸ばそうとする。基本中の基本なのだが、なかなかできることではない。

日本史:「最後の遣隋使は?」かん高く良く響く声で質問が出る。何人かの生徒が声を揃えるように「犬神御田鍬!」「すごいね珍しい名前だから覚えていたかな?初めての遣唐使でもあるんだね。じゃあ、その遣唐使が終わったのは?関わっている重要人物」また「菅原道真!」何人もの生徒が答えている。質問と答えというより会話なのである。生徒も教員も楽しんでいる。アクティブなのである。「じゃぁ・・・」連想ゲームのように続いていく。「白紙(はくし・894年)に戻そう遣唐使」

中学3年生「6」、高校1年生「25.4」。単位は%である。何の?「学校の授業以外に、塾や家庭で全く勉強しない生徒の%である。どうすればいい?「環境を作ってあげることですよ」元都立三田高等学校の校長先生は、さらりと答えた。

花丸 先生、なんだか嬉しそう!

6月6日(木) ほぼ毎日校長 Vol.42 確かに一番はしゃいでいるのは私

チャイムがなり終わった。しばらくするとガヤガヤ、キャァキャアと賑やかになってくる。机を運ぶ音が聞こえる。教員経験のある方なら、これだけでリアルに映像まで浮かんでくることだろう。それだけでなく今まで淀んでいた空気が、一気に爽やかに動き始めるのを感じているに違いない。考査が終わった。この音や生徒たちの会話を聞くだけで、心がウキウキしてくる。「先生、なんだか嬉しそう」清掃担当の生徒が笑顔で語りかけてきた。「嬉しいんだよぉ。先生はこの時を待ったいたんだ」と返事をすると「校長先生は寂しい(≧∇≦)ですね」(Vol38)とブログの記事を話題にしてくれる。「本当に嬉しそう」全身に嬉しさが現れていたのだろうか。話しかける生徒それぞれが、「あーとで」ではなく、ちゃんと相手をしてくれる。「あぁ、あの問題配点が10点だったらまだ救われる。15点だったら地獄」とテスト結果を嘆きながら廊下を歩いていた女子生徒に、「テストが終わった喜びを全身で表現してみよう」と声をかけると、瞬時に明るく応じてくれた。調子に乗って、「さぁみんなも」清掃担当の3人組も全身で喜び。玄関掃除の男子生徒、「僕らはいいですよ」と言いながら「5・4・3・2・1」とカウントダウンすると「ワォ」と付き合ってくれた。一番はしゃいでいたのは、やはり私なのである。みんな、お付き合いありがとうございました。「校長室の清掃担当の男子が来ないなぁ」と独り言を呟いていると「先生、あの二人は提出期限今日までのワークブック回収係になっていて、今日はこれないと思います」同じクラスの女子(彼女は確か吹奏楽部の部長さん)が事情を説明してくれた。気配り段取りができる生徒っていいな。自慢です。

梅雨が近く、曇り空が多くなるかもしれない。でもここ市原中央高等学校の校内は、ぴーかんの晴れなのである。

苦笑い 口から耳へこぼれゆくもの

6月2日(日) ほぼ毎日校長 Vol.41 不断の努力と学校力(市原中央新聞から)

着任早々挨拶文を求められるのは校長の常である。生徒会の挨拶文、新聞委員会が出しているのだろう「市原中央新聞」の巻頭言。この号は、卒業生の進路に係るコメント、後輩たちへのエール特集である。その新聞に「校長あいさつ」として書いた文章がこれ。教員との個人面談の中で、この文章を話題にしてくださった先生がいた。自分でも存在を忘れていたが、前期の第一回考査が終わり、夏を迎えるこの時期に、在校生諸君へのエールとして記しておこうと思った。

  誰の言葉だっただろうか、「[『ことば』は口から耳へこぼれゆく」もの。刹那的で命短いものだが、人の心や万物を動かす大きな力を持っている。古人はその力を言霊(ことだま)と呼んだ。ここに記された卒業生たちの「ことば」は尊く、力強い。不断の努力に裏打ちされた大きな力を持っている。魂(霊)を持っている。「筆舌に尽くしがたい」というが、彼らとてもそうであろう。「こんなに努力しました」と自慢げに成果をひけらかしてはいないが、その筆に滲むような努力の軌跡を追うことができる。伸び悩み、苦しむことの連続であったろう。やや先に光が見えたかと思うと、その光はたちまちに霧の中に消えてしまう。目指す方向性も見失い、「もうだめだ」という絶望感だけが支配する時期もあったに違いない。言葉でなんか語ることはできない心境、それが行間から滲み出てくる。その苦しみという大きな壁を穿った力、打ち勝った力の存在を共有させる、姿なき表現を聴くことができる。一つ事を貫き、成し遂げた者たちの、尊厳に支えられた発語である。いま私が語っている感覚が実感できない、享受できない者がいるとすると、やや危うい。目標に向かって真摯に臨む姿勢に、いまある自分の姿に内省の目を向けてみる必要があるかもしれない。
 彼らの目標達成に向かう努力を継続させ、栄冠を勝ち取らせたものは何だろう。もちろん本人の強い意志が一番であることは間違いない。ここで問う「何」は、その意志を、そのモチベーションを保ち続けさせたものは?という問いかけである。多くの要因が考えられるだろうが、もう一度彼らの筆を辿ってみると見えてくる。それは「学校力」である。受験は団体戦ということをよく耳にするが、その団体戦を勝ち抜く力を高めることができるかどうかは、この「学校力」にかかっていると思っている。その学校の空気が、水が、そこに集う者たちの心を刺激し、より高みに向かわせる。一人ひとりの姿勢、奥歯を噛みしめる力、紙面に鉛筆を走らせる音までもが伝播し、刺激する。和紙に落としたインクが滲むように、静かにそして確かに。やがてそれは総和として、学校全体の雰囲気として成立する。学校力の発動である。
 ここには、他にはない素晴らしい学校力がある。寄稿された卒業生の一言一言と、輝かしい実績はその証である。在校生、新入生の諸君にとっては、何物にも代え難い応援メッセージ、熱いエールになっている。険しく辛い道程ではあるが、歩を進めることを止めないで欲しい。君たちの頭上にも栄冠が輝くことを祈念している。

驚く・ビックリ 悔しかったに違いない

6月1日(土) ほぼ毎日校長 Vol.40 よく頑張りました

午前中に保護者会の集まりがあった。ありがたいことに「ほぼ毎日校長」を読んでくださっている方が大勢いらっしゃる。「先生、真紅の優勝旗から・・・」「体調でも・・・」前任校でも3日休むと、副会長から電話があった。「はい、今校長は一番さびしい時を過ごしています(Vol38)」自宅の近所から本校に通っている生徒のおじいちゃんが、楽しみにしていると声をかけてくださることもある。とにかくありがたいと思う。頑張ります「ほぼ毎日・・・」

というわけで、「今週の土曜日試合があります」と誘ってくれたバスケットボール部の午前中の試合の応援には伺えなかった。午後一番に駆けつけると、午前中に試合のあった女子が私を見つけ「先生!ありがとうございます。1試合目勝ちました。これから男子、そして女子・・・」歓迎の言葉をかけてくれた。試験前で忙しいだろうに、若い先生が数名応援に来てくれている。自分のクラスの生徒が出ているのだという。生徒の思いに応えてくださっている姿に感謝である。結果は男子も女子も残念な結果に終わってしまったが、いい瞬間(とき)を共有させてもらった。自分たちの力が存分に発揮できなかったもどかしさが残ったかも知れない。でも流した汗は正直である。ともに過ごした日々に培われた絆は何にも換えがたいものである。しっかり見せていただきました。涙する君たち(女子)の丸めた背中を見て、私は、だらしなくも声がかけられなかった。悔しかったろう。でもこの時を悔しいと思えるだけ、君たちの日々は懸命だったのだ。そんな風に歩みを確認してみるのもいい。よく頑張りました。

終了間際に、足を捻ってしまったセンターさん、大事ないですか?

視聴覚 ちょっと楽しみな活動

5月31日(金) ほぼ毎日校長 Vol.39 ドキュメント番組を作る

演劇を志す若者には独特の雰囲気がある。うまく表現できないが、どこか浮世離れしたような、俗人にはない個性が伺えたりする。私の中での日常の彼らは大抵、ぼんやりとしていることが多い。科学に思いふけるばかりに道を踏み外して、溝に落ちてしまったり、壁にぶつかってしまったり。日常に戻るために「叩き役」を連れて歩く天空の城ラピュータの住民(ガリヴァ旅行記)を思わせる。私の印象なので失礼があってはいけないが、多くの演劇に関わる教え子たちがそうであったように思う。彼らのすごいところは、舞台に立って「役」を演じると、豹変してものすごいエネルギーを発するところである。舞台で演ずる役者だけでなく、裏方の者たちもそうである。芸術家やアスリートたち、一つことを極めたものたちも同じような空気を持っている。全ての緊張から自分を解き放った時を過ごしながら、舞台やトラックに立つ、キャンパスに向かう「一瞬」に爆発的な力を発揮する。この日部屋を訪れてくれた3人の放送委員にも同じものを感じた。「僕は、私は、こういうものを音で表現したいのです」と熱く語る。その表情や仕草、目の輝きに、ハイレベルな芸術家の血を見たような気がした。大人の尺度では「それ、相当無理があるよ」「現実を見つめて、諦めるなら早いほうがいい」と言ってしまいそうなものであっても、彼らの語りに裏打ちされると、「いいねぇ、面白いかもしれない」と逆に価値観を改めさせられる。NHKの放送コンテストにチャレンジするそうだ。ぜひ頑張ってほしい。

本校の生徒たちは、想像していたよりワンランク上にいるのかも知れない。いいね了解

困る 校長先生は寂しい(>_<)

5月30日(木) ほぼ毎日校長 Vol.38 あーとで

写真は放課後の職員室前廊下。試験前に限らないが、大勢の生徒たちの学びの壁になっている。廊下の壁際にズラっと長机が並べられて、質問のある人は目的の先生を呼んで、指導を受ける。本校の日常的な光景である。試験前はいつも満員で、空気もピリピリしている。いつもも見慣れた顔がいる。「あっ、先生こんにちは」と言ってすぐに机に向かう。『おーい、それだけか?』いつもなら、ねぇ、ねぇ先生、と話しかけてくれるのに、ここのところ冷たい。一様に冷たい。「あーとで」なのである。幼い頃、友人の家を訪ねて「◯◯ちゃん、あーそーぼ」と声をかけると、「はーい、今行くヨォ」と声を返してくれるのに、その日に限って「あーとで」。なんとも言えない寂しさを感じた思い出が蘇ってくる。校長先生は、さびしいのである。早く考査が終わらないかな。

背中からも緊張を感じさせる本校生徒の勉強する姿勢、いいね。

体育・スポーツ 深紅の優勝旗が校長室に来た?

5月27日(月) ほぼ毎日校長 Vol.37 応援に行けなかった

  長い電話の対応をしていると、ドアをノックして野球部のいつもの2人が入ってきた。もちろん内側からの「どうぞ」に応えての入室であるが、まだ左手に受話器のある私の姿を見て、「失礼しました」と出て行こうとする。急ぎ受話器をおいて、入ることを促した。手には「優勝旗」が持たれている。「報告がてらきました。東海大望洋に勝ち、優勝しました。ここに置かせていただいていいですか」その報告を聴きながら、副キャプテンの右手に、私の視線は注がれていた。薬指に包帯が巻かれている。「どうした?」という問いに、試合中に打球が当たって骨折したと説明しながら、うつむいている。「夏の大会前に、最後の大山場の前に・・・」その言葉に、大きな大きな体が、小さくなったように見えた。言ってはならない言葉だったかもしれない。自責を受け入れるように「他のことではなく、野球でなら納得もある」とわけの分からぬ繕いをした。うつむいていた顔をあげて、「その時までに治します」と、笑顔ではっきりと応えてくれた。君が一番気にしていたであろうことを言ってしまってごめんなさい。空気を読むようにキャプテンが「先生、逆転なんです。接戦を制しました」と昨日の試合の報告に話題を転じてくれた。痛々しいほどの気遣いである。嬉しいね。聴くと下のような結果である。こうした接戦を制することができるのは、この夏に向けていい力をつけてきている証拠だと思う。

頑張れ!市原中央球児たち。

市原中央 210 040 100 

東海望洋 240 001 000 7

先日の吹奏楽部定期演奏会、大勢で駆けつけてくれたこと、感謝します。ありがとう。

グループ ニライカナイから神がくる夜

5月24日(金) ほぼ毎日Vol.36 信頼されることを教えてくれた少年

生徒会役員選挙の立会演説会があった。先駆けて生徒会長の「◯音さま」が部屋に来てくれた。今日校長講話よろしくお願いしますということと、立会演説会に触れるような内容であってほしいというお願いである。『難しいなぁ・・・』と思っていると、察したのか「そうですね、前回の終わりが、『次回は、信頼を教えてくれた少年の話をしよう』でしたものね」ちゃんと聞いていてくれたのですね。案の定、無理やりこじつけの講話になってしまった。

校長講話

南の小さな、小さな島の話である。その島では夏の初めに、ニライカナイから神々を迎える秘儀の祭りがある。島民以外は全て島外に出して行われる、写真撮影はもとより、筆録も許されず、見たことは語ってはならないタブーがある。まさに秘儀である。その祭りに招かれた。長老の家で紹介され許された私は、招いてくれたオジイが案内係に付けてくれた少年に導かれて祭りの場に向かった。真っ直ぐ続く細道の向こうに、こんもりと茂った森がある。神々の宿る杜(もり)であるらしい。太鼓と木を打ち鳴らす音が聞こえ、2柱の神が現れた。赤い顔の神と黒い顔の神。夫婦神である。「ねぇ、あの神様は夫婦なの?」少年に尋ねると、少し考えた少年は「おじさん、おじさんはいい人だからね、教えてあげる」と言って「夫婦神であると教えてくれた。赤い顔の神さまが女神で、黒い顔の神が男神。勝手に自分の中に出来上がった基準で少年に語りかけると、「違うよ、おじさんはいい人だから教えてあげる。一日中海で釣りをして、日焼けで真っ赤なのが男。かまどの灰を被って真っ黒なおが女の神。」興味津々で少年に尋ねるたびに、彼は枕詞のように「おじさんはいい人」を繰り返す。聞いているうちに私は心が浄化されて、どんどんいい人になっていく。人に信頼されることの喜びをこれほど純粋に感じたことはない。信じることも難しいが信じられていることを実感することはさらに難しいかもしれない。「信」という万有引力のような人の繋がり。大切にしてほしい。立会い演説で、自分たちの学校生活の心臓部を担う労を買って出た仲間との「信」をしっかり確認してほしい。

ところで、話に出た少年は、言葉の前になぜ「おじさんはいい人だから・・・」と必ず言ったのだろう。宿題です考えておいてください。

 

晴れ 君たちのことを忘れていないぞ

5月23日(木) Vol.35 訪問者はこれで何人目だろう、嬉しい限りです

まだ2ヶ月も経たないのに本当に多くの生徒が訪れてくれた。複数回来てくれた生徒も含め、延べ人数で100名は超しているだろうと思う。何がきっかけだったのか、集会の挨拶で「遠慮なく来てください」と言ったのかな?写真を必ず撮影させていただくことにしている。

 A  「カンバック!先生、ただいまぁ〜」の清掃担当の女子生徒たち。一緒の写真がないねという話になり、自撮りで撮影してくれた写真。とにかく彼女たちが来るだけで、部屋がパッと明るくなる。少々ブルーな気分でも、元気が出てくる。5月13日撮影

 B  「ねぇ、本当にやるの?」何かが始まるらしい。ドアの前の廊下に4人の女子生徒。中の一人が「うっ、うううっ」と言ってうずくまり、「先生っ!、これ」と言って、胸元からゴム製の心臓を取り出している。「もう10回以上やっているんです。誕生日プレゼントにもらったとかで・・・」ぜひ校長にも見せようということになったらしい。結構、楽しかったよ。4月18日撮影

 C 「今度、応援はこれでお願いします」野球部のキャプテン、副キャプテンである。応援用のTシャツを作ったので、校長にもぜひと保護者会の方々からの心遣いなのだという。この場をお借りしてお礼申し上げます。熱い夏が始まる。3年生の君たちは、あと何日みんなと野球ができるんだろう。高校球児としていられるのは何日間だろう?もちろん、甲子園の決勝の日までだよ。5月9日撮影

 D このパターンは珍しい。クラスの代表でやってきた。文化祭での企画にアドバイスがほしいという。彼らの考えた企画に、私が詳しいという情報が入ったらしい。ちっとも詳しくないのだが、聞いてみると、とにかく面白い。創造性があって、主催側も来客側も楽しめる企画である。ここまで考えられるのはすごいと思う。なんとか実現させてあげたくて、こういうスパイスを利かせばどうだろう、隠し味は・・・。逆に混乱させてしまったかな?5月16日撮影

ピース 激しい動きの中につながりを感じる

5月22日(水) Vol.34 バスケットボールの試合 5月19日(日)県立市原八幡高校にて

バスケットボールは、「ど」がつくほど素人である。ルールも流れもわからない。そんな私が(観戦するのに)好きなスポーツとしては、一番に挙げるスポーツである。まだ若かった頃、このスポーツの部活動顧問がいないというので、白羽の矢が立ったことがある。早速挨拶に来てくれた男女のキャプテンから「先生はバスケットの顧問が初めてとお聞きしました。二人からのプレゼントです」と言ってビデオテープをいただいた。NBAの試合を録画したもの。後日彼らが「ベンチに入っている監督はみんなスーツ姿でネクタイを締めていた。先生にもそうあってほしい」(女子キャプテンがクスっと笑った)ちょっとした、からかいなのである。その気になってスーツにネクタイで公式戦の監督に出向いた。どのチームを見ても、スーツを着てネクタイを締めている監督なんていない。『やられたぁ』と思ったが、顧問である間中その姿を貫いていた。もう40も半ばになるキャプテンが我が家を訪ねてくるたびに、笑い話にしている。

こんな出会いのあるスポーツだから、応援に行くのも楽しみにしている。この日男女の試合が行われたが、午後に吹奏楽部の演奏会が控えていたので、途中で失礼した。「躍動」という言葉が似合う。コートの中で激しく動く選手たち、ベンチで大きな声で指示する顧問。激しい動きの瞬間(とき)の中で、確かに心のリレーションがあった。

市原中央高等学校バスケットボール部、ファイト!

笑う 誰もこない日もある (T_T)

5月21日(火) Vol.33 やはり来てくれた

1日バタバタしていた。昼時も部屋にいることができず、放課後の時間も来客対応でドアがしまっていることも多かった。『これじゃ、生徒たちが来てくれても・・・』と少し残念に思いながら書類整理をしていると、「先生!カンバック。ただいまぁ〜」と言って清掃担当の女子生徒が入ってきた。彼女たちは私にとって、「空気」のような存在になっている。あることが当然のように思っているが、なくてはならない存在なのである。仕事をしながら、彼女たちは清掃をしながら、自然に会話を交わしている。「この掃除機とっても使いやすいです。ありがとうございます」と、私が持ってきた使い古した家庭用の掃除機のお礼を言ってくれる。茶道部に所属している一人から、部活を訪ねてほしい、きっとみんな喜ぶと思うとお誘いをいただいた。ぜひぜひ伺います、その時にはよろしく。「ほら、いらっしゃる」清掃担当の生徒が帰って間もなく、放送委員会の生徒が入ってきた。どうやら何度か訪ねてくれたようなのだが、申し訳なかった。3年生の二人。放送コンクールの作品づくりへの協力依頼である。金曜日の放課後に訪ねたいので、今日はアポ取りだけ。せっかく来たのだからと無理やりお付き合いいただいて、粗々の構想を聞いた。これまたすごい企画である。妙に奇をてらって無理を承知という安っぽいものではない。身の丈に応じた、そしてちょっと難易度の高い「挑戦」が感じられる企画である。話の中で「オノマトペ」(擬音、擬態音)のことを話した。二人ともこの語彙があった。目の前に座っている生徒たちが「すごい」を感じさせた。いいね。金曜日楽しみにしているよ。

音楽 魂のシェア・外伝

5月20日(月) Vol.32 まだ冷めやらぬ余韻

疲れているのに眠れない。興奮が目を冴えさせている。そんな夜を過ごした経験は誰にでもあるだろう。しばらくの間忘れかけていた、若い血潮の躍動。一つ事に夢中になっている者のもつ尊厳。よかった、素晴らしいステージだった。「本当にすごかったですね」見知る人が語りかけてくれる。見送りの列を作った吹奏楽部員の背中が、またひとつ大人になったようにも見えた。顧問の先生が、さぞ疲れているだろうのに、わざわざ歩み寄って来て、慇懃にお礼を述べてくださった。お疲れ様、そしてありがとう。心からそう述べたい。

   「魂のシェア」という言葉は、一人のアメリカ大陸の先住民の血を引く若者が教えてくれた。シルクドソレイユの「トーテム」に出演している。中休憩の混雑する待合室のモニターに彼が映し出される。「血を引く」が直ちに感じられる浅黒い、私たち日本人に似た顔つき。モニターの中の彼は語る。私が祖先の人々がそうしたように、神々との交流の所作を舞台で演ずる時、それは見世物として(ショー)として演じているのではない、我が民族の「魂のシェアである」と語る。この言葉を語らせる背景には、筆舌に尽くせぬ苦悩に満ちた日々があったに違いない。踊りながら「我が魂の尊厳何処に・・・」と考えたかもしれない。時にはあらぬ言葉に傷ついたかもしれない。自分に言い聞かせるように語った言葉かもしれない。しかし私には説得力があった。生徒の奏でる音に涙するのは、熱く駆け抜ける青春の魂の躍動がシェアされているからだ。この日お越し下さった皆さんもきっと琴線を慄わす「何か」をお感じになったことであろうと思う。

市原中央高等学校の生徒たちに、喝采。

音楽 熱く駆け抜ける3年間の魂のシェアである

5月19日(日) V0l.31 第10回 吹奏楽部定期演奏会

 本日はご来場ありがとうございます。ようこそ市原中央高等学校吹奏楽部定期演奏会へ。
 突然ですが、皆様は音楽に涙されたことはあるでしょうか。私には、はっきりと認識できる経験が一度だけあります。ある高校に勤務していた頃のことです。早朝も夕刻の遅い帰りも、ほぼ同じ時刻になる吹奏楽部の部長が、関東大会出場の楽曲が仕上がった、ぜひ私に聴いてほしいと誘ってくれた時のことです。素人にもその難しさがわかる楽曲を披露してくれ、聴いているうちに涙がこぼれてきました。もちろん初めての経験です。気付くまでにそれほど時間は必要ありませんでした。部員たちのこの音を生み出すまでの強い意志と忍耐、向上心そして支え合う力、それらの総和が楽曲を通じてシェアされているのでした。それが涙腺を刺激しているのです。
 着任して日が浅いのですが、本校吹奏楽部の諸君の日頃にも、既に同じものを感じています。今日のこの時空が設けられることに感謝し、聴く者の琴線を大いに刺激してください。ご来場の皆様、生徒たちの奏でる音にきっと感動していただけけることでしょう。それだけ本校の吹奏楽部の音は上質です。ぜひ彼らの熱く輝く「瞬間」(とき)に、喝采をお願いします。

パンフレット巻頭のあいさつから

了解 Global・Leader育成中(英語コース)

5月17日(金) ほぼ毎日Vol.30 4つのPと3つのリーダー資質

米・マサチューセッツ大学のMITラボの所長は日本人・Joiである。彼は「クリエイティブな学びには4つのPが必要である」と唱え、それを実践している。Project・Peers・Passion・Play。このプログラムにはその全てが揃っていた。そして育成には難しいとされるリーダーシップの三要素「率先垂範」「同僚支援」「方向性の指示」が見事に個々の生徒によって表出された時間が過ごされている。担当の先生から「3年間の集大成です。ぜひ」というお誘いをいただき、のぞいてみた。市原中央高等学校の英語コースは、単に英語を学びに来るところではない。これから生きていく社会において、求められる力(グローバルリーダーシップ)の育成と必須言語としての英語、その学び融合にもっとも価値があることがわかった。見事に目標設定と段階を踏んだ学びが企画されれいる(Project)、机に向かってチョークアンドトークの一方的学びでなく、主体的協働的な学びの仕掛けが随所にある(Peers)、夢中になったことがよくわかるプレゼン(Passion)、プログラムの間中笑顔と笑いが絶えない(Play)素晴らしい瞬間(とき)を過ごしている。

また一つ本校の教育の素晴らしさに触れた。そしてやはり一番の自慢は生徒であることを確認した。

*来春、本校の英語コースは、その学びにふさわしい「GLC(グローバル・リーダー・コース)」に変わります。

本 1册のノートから

5月16日(木) Vol.29 大切にしているんだ、大切にしてもらっているんだ

放送委員の1年生が教員に連れられてやって来た。何度か訪れてくれたようなのだが、タイミングが悪かったという。事務にいた教員が対応し、今日の日なら大丈夫という約束をしてくれていたのである。顔を見ると、昨日、東京大学・早稲田大学に一緒に行った生徒である。放送委員会に所属していて、NHKのコンクールにエントリーする取材をしているという。手に持った手帳、机の上にはボイスレコーダーがわりのiPhone。『すごいな、本格的だな』と思いながら、取材に応じていた。質問と回答。その中に彼が雑談風に入れる合いの手。ちょっと気になる話題は、自分なりに換言した言い回しで理解を確認する。物静かだけれども、口調に彼の強い頭を感じた。取材の間気になっていたアイテム(大切そうに使っているハードカバーのノート)について尋ねると「お気に入りなんです。父が買ってくれました」と答えてくれた。大切にしているんだ、そして大切にされているんだね君は。ふと自宅の机の引き出しに眠っている、何かの折にApple社から頂いたノートのことを思い出した。長い間使われることなく放置されている。彼の親子の「大切」が羨ましく、ちょっと介入したくなった。私の気まぐれで放置されているノートにも「大切にされる」時を過ごしてもらおうと思った。

君の高校生活は始まったばかり、いい瞬間(とき)を重ねて豊かに過ごしてください

? 5人のクマ子さんたち

5月15日(水) Vol.28 会話が楽しい

早稲田の見学を終えて、帰路につく地下鉄の中。一緒の車両に乗った5人の女子生徒が話しかけてきた。「校長先生、制服どう思います?」この婉曲的な言い回しの中に、肯定的な洞察を求めるかすかな意図が感じられる。(ねぇ君、何を話してるの、だからさ聞き取れないよ、もっと大きな声で、もっと大きな声で・・・[これが分かる世代には、それだけで状況を掴んでいただけるであろう])同じ場面には、教員生活の中でなんども出会っている。その度に「ただ可愛くしてほしい」「変えてほしい」という願望だけを聞かされるのだが、この子達は違った。願望とともに、理由と具体的解決案を持っていた。それに驚きながら、危惧されることを提示してみると、かなり包み込むようにストレートな表現を避けたつもりなのだが、ズバリこちらの真意を受け止め、「その辺りは、もうちゃんと自分たちで管理できると思う」という答えが帰って来た。「そうか、じゃあ変え方、変える手順はどうあればいいかという段階だね」「なるほど・・・」と会話しながら『すごいなぁ、真摯に受け止めてあげなきゃ』という気にさせる会話だった。

言葉のキャッチボールができる生徒っていいね

*念の為:彼女たちは早稲田大学で、クマの被り物を被ったわけではありません。ちょっとお遊びで画像処理をしただけです。念の為。

晴れ 輝いている目が眩しい 

5月15日(水) Vol.27 Ⅰ類・校外学習

心配された雨も去り、校外学習にとっては好天に恵まれた。訪問したのは東京大学と早稲田大学・慶應大学。午前中の東京大学では、大学内にある動物病院にお邪魔し、研究に当たっている皆さんの活躍の様子を拝見したり、魚類の研究をしている先生の興味に満ちた知的探求の実践に触れることができた。「東大はね、14トン/1月の海水を購入しているんです」淡水魚と海水魚の話、温泉トラフグ、第一線で情熱を燃やしている先生方の姿に直に触れた生徒たちの目は輝いていた。

笑う 支えていただいている実感

5月11日(土) V0l.26 保護者会総会

本当に大勢の保護者の皆様の参加があった。本校の教育活動へのご理解とご協力を強く感じた。お集まりいただいた保護者との協議からは「学校も、ソサエティ5.0社会の到来や、働き方改革関係法案の順次施行等、社会の大きなうねりの中で、教育活動推進がこれまでと同じでは済まされない難しい局面にある。今こそ学校、家庭が連携を密にして臨まなければならない時である。保護者会として協力を惜しまない」というありがたいメッセージをいただいた。本当に嬉しいことである。今後ともよろしくお願いいたします。ご挨拶の中で、たくさんの生徒が校長室に来てくれ、その数のべ80を超えることと、そこで交わされた会話、エピソードをお話しさせていただいた。全体の行事が終わり、部屋に帰っていると「こんな感じで覗いて行くんですね」と言って、ドアから顔を出してくださったお父さんがいた。「うちの息子にも来るように言っておきます」ぜひぜひどうぞ。その後正門近くに立っていると「◯◯中学校の教員です。先生のドーナツの穴のお話し伺ったことがあります」と声をかけてくださるお母さん。「覚えてないでしょうね。◯◯高校で教わった教え子です」という保護者の方。繋がりってあるんですね。懐かしくもあり、嬉しくもあり。一人ウキウキしていると、女子生徒が、「じゃあね」と言ってハイタッチをしていた。感じていた「つながり」を表しているように見えて、一枚撮影させてもらった。ほら、こんなにいい絵が撮れました。

イベント 望んでいた雰囲気なのです

5月10日(金) Vol.25 行きますよ〜、フードカルチャー同好会

校長室のドアを開いていると、時折甘いいい香りが漂ってくる。誰かが何かを作っている。それも「お菓子」。以前勤務していた高校で、服飾デザイン部と調理研究部がセットになった活動場所が、部屋の近くにあり、そこに集う生徒たちと随分仲良くさせてもらった。「先生、カレーパン!」「センセー、クリスマスケーキ。これはワンちゃん用」愛犬にまで差し入れをしてくれる生徒たち。お礼は、ファッションショーに言われるがままの格好をして出演すること。楽しかった思い出が蘇る。香りに誘われて、2階に上がると、いたいた、フードカルチャー同好会の生徒たち。すでに1年生も先輩と一緒に活動している。文化祭での出し物を制作実験中とか。みんなが笑顔で迎えてくれた。おまけに試作品の試食。美味しかった。お世辞抜きで美味しかった。「先生、お誘いしますから、また来てくださいね」嬉しい。餌付けされた野良猫のように、ゴロゴロ喉を鳴らしていたような心地よさである。

楽しくなければ学校じゃない。望んでいた雰囲気を実践している生徒たちがここにもいた。

グループ 打ち上げパーティではありません

5月9日(木) Vol.24 こんなに美しい気持ちを持っていただろうか

昼休みに男子生徒の一団が来た。「おや?珍しい」と思っていると、手にお弁当を持って遠慮がちに入ってきた。「いいよ、昼休みぐらいしか先生が捕まらないいんだね。ここで昼食摂ればいい」と声をかけると、持参した弁当を広げ、むしゃむしゃ食べ始めた。せっかくだから写真撮影。「あぁ、今日は母が手抜きだと言っていました」(それにしては豪勢なお弁当です)ふと高校時代のことを思い出した。隣の友人の弁当がやたらに豪勢で、卵焼きがふんわりしている。看護師をしていて、朝時間のない母が作る弁当は、のり弁か日の丸弁当。それでも美味しかった。ポツンとその事情を呟くと、一緒に昼食を摂っていた友人が、「これお前の分だって、お袋が」と言って、翌日ふんわり卵焼きを持ってきてくれた。嬉しかった。何日かに一回、自分と同じおかずを持ってきてくれる。遊びに行ってお礼を述べると「喜んでもらえたら・・・」という、おばさんの言葉を遮るように「俺が作れって言っているんだ」と友人が言葉を挟んだ。今でも付き合いがある。お母さんはなくなったそうだが。彼らの弁当で、いい思い出を思い出させてもらった。

「で、来たからには、何か目的があるのだろ」と問いかけると、如何ともしがたい、やるせない思いを語り合っているうちに「そうだ校長に聞いてもらおう」という気になったのだという。(内容は彼らと私だけの秘密)一緒に高校生活を送って来た仲間に有終の美を飾らせたい。大きな壁があるし、それはどうすることもできないものであることも自覚している。『しかしなぁ・・・』何がどうなるわけではないが、聞いてくださいよ。堂々巡りの思い。同じ場所をくるくる回るメリーゴーランドのようなもの。話を聞いていて、そんな彼らが羨ましかった。「いい経験しているよ。だでれもできるものではない。私が何をしてあげられるわけではないが、『だめ』という結論を出してしまっているものにチャレンジしてみればどうだろう。互いのつながりや思いを確認するためにも。結果として『だめ』であっても、この『なかま』『ともに』はより強い『絆』となるのではないか」というほどのことを語った。いいアドバイスになったかどうかわからないが、リーダー格の生徒が、「やってみるか。ダメだったらごめんな。」と渦中の友人に語りかけていた。語りかけられた生徒は「ありがとう」とつぶやいている。高校時代に、こんな美しい気持ちを持っていただろうか?

市原中央高等学校生徒の保護者の皆様、お子様はいい成長していますよ。いい学校です。

雪 ここには100点達磨がいた

5月8日(水) Vol.23 創立来生徒を応援してきた

朝の打ち合わせが終わって、担任の先生がHRに向かう。外を眺めると、快晴の空に山々の新緑が眩しかった。爽やかないい朝である。一人の先生が、眺めている私の様子をみて「いい天気ですね」と声をかけてくれた。ささやかな一言だが、こういう会話って大切だと思う。校長室にきたある先生が、私の文章を読んで「言霊」の話をしてくれたことがある。『読んでいてくれたんだ』という嬉しさと、コトダマというもう古語になった語句を共有できる喜びを感じたのだが、今朝のこの先生の言葉にも「コトダマ」が宿っていたようである。いい朝、いい一日の始まり。校長が難しい顔をしていては、学校が暗くなる。いい1日になりそうである。声がけをくださった先生が思い出したように、「校長先生、ご存知ないかも知れませんが、本校には100点達磨がいるんです」といって、足元の引き出しから、手のひらサイズの達磨を出して見せてくれた。各考査のテストで、100点満点を取った生徒に贈られるものだという。創設者の故・真板益夫先生が考え出したものらしい。「頑張っている姿は美しい」少しの励みになればというお考えであったに違いない。毎年ダルマ獲得に意欲を燃やす生徒もいるという。1年生諸君、初めて聞く話かも知れないが、ぜひ狙ってみてはいかがですか。つまらないことでも夢中になるpassionって大切ですよ。

重要 南の海での経験を話そう

5月7日(火) Vol.22 たった一度の経験が命を救う

避難訓練が行われた。様子を拝見していてますます「うちの子」が好きになった。担当の先生が、放送を入れ、避難を開始してからのタイムを図っている。「昨年度は8分30秒くらいでした。今年は7分15秒です」競い合うものではないが、訓練とはいえこの時間で1000名近い人が移動を開始し、整然と整列を完了できる。すごいことだと思う。さて、校長の出番である。実は連休でこの行事を忘れていた。(告白、申し訳ない)当然、講評を忘れている。南の海での貴重な経験を話すことにした。新聞委員の諸君、原稿が遅れてごめんなさい。

1分前の話が人の命を救った

南の海が好きで、年に何回も海に出かけていた。趣味の水中写真を撮影することが目的である。インド洋の小さな島で出会った日本人の若者のこと。彼は経験が豊富らしく、船の上で懸命にレクチャーをしてくれる。はるかに経験の豊かな私は、少しあしらうように彼と話をしていた。移動中のボートの上でウェイトをつけるのはよくない。そのまま落ちると、死が待っている。そんな話になった。「その時はね。こうやって・・・」と実演をして、対処方法を彼に説明して間もなく、大きな波を受けたボートがぐらりと揺れた。すでにポイント近くに来ていたので、私と話をしていた彼もウェイトをつけている。二人とも海に転落した。透明度の高い真っ青な海の中で、私より数メートル先を彼はどんどん沈んでいくのが見えた。数メートル潜ると、水圧でウェットスーツが縮む。加速をつけて、落ちるように潜行していく。苦もなくウェイトを外した私の脳裏に、若者の「死」が浮かんだ。『覚えていてくれればいいが・・・』なすすべなく浮上した私から15メートルほど離れたところに、数秒遅れて彼が浮かんできた。咳き込みながら「ウェイト、ちゃんと外せました!」と彼が叫んでいる。

彼と船上であの話をしなければ、一回の会話による疑似体験が彼になければ、命を落としていたかも知れない。訓練や練習とはそういうものだと思う。ことさら意識はしないが、自分の体は学校の机に入りづらいのだとか、この経路を使って避難場所にいくのだとか、一度実体験しておくこと、イメージしておくこと、それが命を救う。私のような経験をするものは少ないかも知れない。何事もないに越したことはない。しかし、有事に自らを救うのはこうした事前の経験なのである。その「訓練」に真摯に、静かに臨めた君たちは素晴らしい生徒たちである。

晴れのち曇り 楽しんでいるだろうか?

4月25日(木) Vol.20 DisneySeaへ

 今日は全校生徒がTDSへ。私はお留守番でした。見送っていると、「先生はどのバスですか?よかったら来ませんか?」と声をかけてくれる生徒もいる。(大人気なく)一緒に行きたい! 晴れ男の私。天は味方してくれたようで、出発時には小雨だったが、すぐに西の空に薄陽がさしてきた。みんな楽しんでいるかなぁ。

後日・・・あるクラスのクラス新聞が回ってきた(抜粋)。楽しんでいるようだった。よかった。

①絶叫系のに乗れない私に合わせてくれて、嬉しかったです。(その想い大切にね

②ステラルーのぬいぐるみゲットした(知らないうちにキャラが誕生していた

③シンドバットのアトラクションに◯◯先生がいた(よく似ているが違う。先生は学校にいた

④チュロスは3本目からがきつい(無理をしないで、校長先生に相談してください

⑤いろんな先生と写真撮れた(よかったねえ)

楽しいひと時を過ごしてきたようで、何よりです。お疲れ様。

笑う アジアが好きだ!

4月24日(水) Vol.19 ベトナムからのお客さん

ベトナムのFPT大学からお客さんがあった。シンガポール、マレーシア、インド、スリランカ、インドネシア、モルディブ・・・、アジアは美しいと思う。いい思い出ばかりで、自分もアジア人の一員でありたいと切に願う。日本ともっともっと交流を深めたいと思っている国がある。ありがたいことである。写真で私と握手してくださっている方は、大学のグローバル・ディレクターを務めているCuong Hoangさんである。国際化推進センター所長のようなもの。日本への熱い想いを語ってくださった。茶道が好きで、大学にも茶室があるという。大学では、カリキュラムの中にJapanCultureProgramがあり、日本の言語や文化を多くの学生が学んでいるという。写真の一番右に立っているのは、Nguyenさん。日本に憧れ、君津学園に留学していた青年である。留学の頃の話を上司にすると「是非に・・・」と今回の訪問になった。私たちは彼らのこの姿勢に学ことが多いと思う。日本の◯◯を伝えるとか、◯◯指導などといったことではなく、真にアジアの一員として、パートナーとして、互いにをリスペクトしながら手を携える、そんな関係、そんな交流があってほしいと心から思う。高校生がベトナムを好きになり、FPT大学で学んでくれるなら、スペシャルプログラムで人材育成するといってくれた。彼らの持っているキラキラ輝く希望に満ちた目を、私はいつか失ってしまったような気がして、少し恥ずかしかった。「これから積極的に交流しましょう。良きパートナーとして、AIにできない温もりの交流、やりましょうよ」思い、伝わっただろうか。

FPT大学は、大手ICT企業「FPTコーポレーション」によって設立された首都ハノイに本部を持つ私立大学で、2016年度のQS世界大学ランキングでは、高い評価を受け、5つ星を獲得している大学である。

音楽 顧問の先生と仲良くしてる?

4月23日(火)Vol.18 多彩な訪問者達

打ち合わせが長くなり、昼休みの時間まで食い込んでしまった。30分を過ぎる話し合いは、大抵の場合何も生まれない。『もうそろそろ終わりにするか』と思っていたら、開けていたドアのところに人影がある。見えるのは私だけ。「おーい、どうした?」と声をかけると、「いえ、あらためます」といって立ち去ろうとする。良い機会にして、打ち合わせを終わりにした。

入ってきたのは、テニス部の男子2人組。男子がくるのは珍しい。色々と話をしているうちに、一人が「国枝選手とプレイしたことがあるんです」と言い始めた。私の知る限りでは、テニス・・・国枝といえば、車椅子のパラ・テニス、シングルスグランドスラム◯◯回達成したあの人である。彼の話では、到底勝てなかった。パラのツーバウンドルールでなくても、まず無理だったとのことであった。貴重な経験しているなぁ。ところで君は、何者なんだ?

次の訪問者も男子だった。新聞委員会の二人が原稿依頼にしてくれた。部ではなくて、委員会。クラスの中で選出された役割分担での訪問である。しっかりと務めを果たしている。集団の中の一人として、自分が担うべきものをしっかりと受け止め、責任を持って遂行する姿に、安心を感じた。この自覚は、現役で社会を担っている大人だって、なかなか難しい。この学校の日常で育みたいと思っているものが、ちゃんと身に付き始めているようで嬉しかった。

最後はとても明るい女の子2人、吹奏楽部の女の子だ。一人はフルート、一人はクラリネットをやっているという。お願いがあってきたのだという。「そうそう、一度彼女に会いに行きたかったんだ。毎朝練習している・・・」二人が怪訝そうに顔を見合わせている。「ブログ(Vol11)に書いた・・・、あっ読んでないか?」と語りかけると、「いいえ、わかります。でも・・・彼、◯◯君です」と名前を教えて、クスクス笑い出した。私の中で、勝手に「彼女」に仕上がっていたのである。しかも可憐な乙女が、うまく弾けない曲を・・・と説明し、みんなで大笑いした。「で、お願いってなに?」吹奏楽部の定期演奏会のパンフの原稿依頼だった。「うーん、顧問の先生と仲良くしている?」とひやかすと、「とーっても仲良いです」「大好きです」と即答があった。「どうしてですか?」もうすでに顧問の先生にお渡ししてある原稿を読んで聞かせた。自分たちが率先垂範して、定期演奏会の準備をしようという責任感と、顧問の「この部員のために・・・」という思いが交錯したエアポケットのような瞬間(とき)だったのだろう。なんだかいい雰囲気だね。素敵な午後が過ごせました。感謝。

驚く・ビックリ サッカー部の試合前の調整練習に伺った

4月22日(月) Vol.18 いい環境に感謝の気持ちを

先週の金曜日、本校の強化部活動であるサッカー部の試合前の調整練習を見に行ってきた。「行ってきた」でお分かりのように、学校から少し離れたところに練習場がある。ゴルフ場が、地域スポーツ振興への貢献にと整備して、一般に貸し出している施設である。生徒たちは日課が終了すると、直ちに更衣を済ませスクールバスに乗ってやってくる。短い限られた時間に効果的な練習をするために、一人ひとりの自覚が大切になってくる。もう少し早く伺うつもりであったが、午後5時30分を過ぎてからの訪問になった。防球ネットを潜るようにして中に入ると、ドリブルやパス練習をしていた生徒が、大きな声で挨拶をしてくれた。「いいところですね。こんな環境をいただけるなんて幸せですね」と語りかけると、声を揃えるようにして「はい、感謝してます」と応じてくれる。『これはいい、この挨拶とこの会話ができるなら大したものだ』と思いながら練習を見ていると、今まで見てきた高校生サッカーと一味もふた味も違うスピーディな動きが感じられた。声出しもできている。『2部リーグってやはりステージが違うな。いいなぁ』と思いながらしばらくいた。いつの間に駆けつけたのだろう、校務を終えてやってきた顧問の先生が「ありがとうございます」と慇懃に挨拶をしてくださった。率直な感想を述べると「まだまだこれからです。10年はかかると思っています」と語った。週末の試合、ぜひ頑張ってほしい。熱く駆け抜けている部員たちの声を聞きながら、会場を後にした。

にっこり 最高の褒め言葉をいただいた気がする

4月21日(日) Vol.17 締めは彼女たち

先週の金曜日にはたくさんの訪問者とたくさんの交流があった。昼休みに美しい歌声を聞かせてくれた合唱部の二人連れ。校長室を訪ねてくれた人を、いつも同じところで写真を撮影するので、今日は場所変え。「君、この椅子に座って、君はその横に立って」と指示をすると、ためらいがあった。小さな心の動きなのだが、「わきまえ」が感じられた。「いい歌声だったね。ありがとう。もう少し人数がいるともっと楽しいかも」と語りかけると、3年生の男子が目を輝かせて「今年の1年生は多いんんです。10名ほど入ってくれるそうです」と語ってくれた。嬉しいね。ぜひ可愛がってあげてください。

校長室のすぐ近くに生徒会室がある。いつも誰かしらコトコトと仕事(?)をしている。綺麗に片付けられた机の上が、役員たちの仕事力を物語っている。「先生、机の上を片付けなくても、四角くすればいいんですよ。ほら」といって教えてくれたかつての教え子のことが頭に浮かんだ。6月にある文化祭のテーマ決めに忙しいのだそうだ。6つほどの候補が黒板に綺麗な字で書かれている。「チョークでこれだけの字をかけるのはすごいよ」お世辞抜きで褒めて、候補を写真に撮ろうとすると、「ダメダメ、まだトップ・シークレットなんです。ブログに載っちゃうでしょう」と撮影許可が降りなかった。元号発表と同じ厳重な体制が敷かれているようだ。いいテーマになるといいですね。楽しみにしています。

「先生、来ましたぁ。大きなこえで明るくやってくるのは、清掃当番の女子2人。これ捨てていいですか?と開けたこともない引き戸の中から「ゴキブリ◯◯」を取り出した。「ワォ、捨てて、捨てて」机に向かっている私と、常に会話しながら一生懸命清掃に取り組んでいる。私が何をやっていても邪魔にならないBGMのような会話である。先日模試があったとかで来なかった日は、何か物足りなかったので、どこかで私も楽しみにしていたのであろう。一週間ご苦労様でした。ありがとうございました。ドアをでるときに、「先生、ブログ読んでいます。結構みんな知っていて読んでいるみたいです。」「嬉しいけど、評価が聞きたいなぁ。校長なんだからもっと気の利いた・・・なんて言ってなかった?」「いいえ、『結構文才あるんじゃない』と褒めてましたよ」なんだかちょっと複雑な気持ちだが、最高の評価をいただいた気がする。 

了解 シナントロープを見つけた

4月20日(土) Vol.16 朝の光景も清々しい

 昨日の朝、昇降口から大きな挨拶の声が聞こえるので部屋を出てみた。登校する生徒たちと教員が挨拶を交わしている。快晴の朝だっただけに、その声がまた清々しく感じた。一人の生徒が私に気づき、笑顔で挨拶をしてくれた。その朝の空気と「さやけさ」を切り取りたかった。なぜか下駄箱から上履きを取り出している後ろ姿の切り取りが、朝のスタートとしてそれを叶えてくれるように感じ、挨拶をしてくれた生徒に被写体になってもらった。「あっ、はい、いいですよ」とポーズを取ってくれた。ありがとうございました。いい朝の始まりを感じながら2階に行き、ちょっとお気に入りの「天空の廊下」(生徒棟から体育館への渡り廊下)に向かった。よく晴れていて、見上げると青い空に雲が美しく浮かんでいる。水底から水面をみているような錯覚すらある。先ほどの生徒からもらった清々しい空気の余韻に浸りながら、ぼんやり眺めていた。すーっと小さな黒い影が横切る。「ツバメだ」目で追うと、バスの停まる昇降口前の地面をすれすれに飛んで、職員昇降口の方に飛んでいった。昇降口の屋根に巣を作っている。ツバメのように人の生活環境に依存して生きる生き物を、シナントロープというそうだ。昔からこうした動物に対し、人は「共に暮らす」意をしっかりと受け止め、一歩譲って「どうぞ」という敬意を払ってきたように思う。ある場所で、糞の害を理由に、作る巣を壊しているのを見て残念に感じたことがあった。本校は?ちゃんと「どうぞ」を大切にしてくれていた。ここでもいい朝を感じる瞬間(とき)があった。感謝。