校長室から

花丸 ある親子との会話(悪いことばかりじゃないPart4)

5月7日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.168 あの子はどうしているかしら?
  自宅にいて「何ができるだろう?」と考えてみた。10年ほど前に関わったICT活用の授業を考え、本校に着任してから校長室を訪ねてきた生徒との会話を考え、「Zoomで校長と・・・」というイベントを考えた。よく考えもせず一人の生徒のところにメールを送ってみた。よく考えもせずだから説明も難しかったろうが、その生徒は一生懸命動いてくれたようだ。すまなさそうなメールが届く。「先生、ごめんなさい」目論見は達成できなかったのだが、彼の懸命な動きと相手を思いやる気持ちに触れ、嬉しかった。もちろん保護者の方にもお断りしていたので、お母さまからもメールをいただいた。「春のたくさんの大事な行事が中止になり、先生方も大変な中、ありがとうございます」「不安な気持ちで過ごしているなか前向きになれるような」「いいえ大丈夫です。負担に感じるようなことはありません」心が温まる。
 さーてどうしたものかと、夕暮れ時を散歩した。ただでさえセンチメンタリズムを刺激しそうな「夕暮れ」。
 さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮
 秋ではないが、春愁。春もまた憂の季節である。橋を渡ろうとすると、真っ赤になった西の空に霊峰が燻(いぶし)銀のような姿を見せ、川面に映じている。「いいなぁ」心からそう思った。「寂しさに色はあるのかもしれない」と取り止めもないことを考えながら、自分の心の中で何かが変化していることに気づいた。きっと先ほどのメールで交わした姿見ぬ会話のが、素直に「いいなぁ」を感じさせたのだろう。
 夕陽を見ていて2人の生徒のことを思い出した。
 一人はバスターミナルに歩いていく女子生徒。初めてあった市原中央高等学校の生徒。後ろ姿で「なんていい学校なんだろう」を感じさせた生徒である。時間があれば家の近所の塾の自習室に行って、学校がある時と変わらない時程を過ごしていると聞いた。どうしているだろう。
 一人は、夕陽の赤が思い出させてくれた。ボルネオ島タワウからスピードボートで行く小さな島の夕陽。「先生、ここの夕陽すごいです」を教えてくれ、私に行動させてくれた教え子。もう30年以上も前になる。「親父とうまく行っていないんだ」とこぼしていた彼の、高校生活最後の試合に観戦にきてくれていたお父さん。短い手紙を下さった。気持ちが十分に伝わってくる、短い手紙。ふとそんなことを思い出させた夕陽。いろんなことが複合的に重なって、結局「いい日、いい瞬間(とき)」だった。

 「悪いことばかりじゃない」そんなふうに捉えることができない「今」だから、自分の瞬間(とき)を見つめ直してみよう。結構いい人生歩んでいるよ。

晴れ 千葉大医学部現役合格(悪いことばかりじゃない?Part3)

4月24日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.167 すごいことなのです・ⅠCHの力

 このニュースが飛び込んできたのは、もう1ヶ月半以上も前のこと。コロナウイルス 騒ぎの中で、卒業式等の学校行事をどうしようかと悩んでいた時のことである。ある先生が「いいニュースです。すごいです」と言って、本当に頬を紅潮させながら、興奮気味に教えてくれた。昨年の一橋大学2名の現役合格も凄かったが、それに続き快挙である。よく頑張ったと思う。おめでとう。いつの日か後輩の在校生たちに披露したいと思いながら、機会を失っていた『コロナめっ!』
 3.11の時もそうだった。外的要因で我にもあらず通常の学習機会を失ってしまった時、現実をしっかりと見つめ、今ある不運を悔やんだり、恨んだりしても仕方がない。今ある現実の中で、何ができるか、目標達成に向けて何をするかを考え、実行出来た者、瞬間(とき)を懸命に生きた者は強い。

 「悪いことばかりじゃない」そんなふうに捉えることができない「今」だから、できることを見つけてみよう。君たちならできる。

晴れ 悪いことばかりじゃない?Part2

4月23日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.166 そんな風に捉えることができないいまだけど

 人間のもつ大切な力の発現、そんな内容のことを書いていて、どこからともなく聞こえてくる「すき焼きソング(上を向いて歩こう)」に記憶が刺激された。
 演出家の宮本亞門がさんリーダーとなって「上を向いて〜SING FOR HOPE プロジェクト」、新型コロナウイルスと闘っている方、医療従事者の方に希望を届ける取り組みを行なっていることを知っている人も多いだろう。自分が闘病生活に苦しんでいるとき、歌が元気付けてくれた。頑張っている人々、苦しんでいる人々へのエール。自分たちにできることは何かないか。そう考えたときに坂本九さんの「上を向いて歩こう」をみんなで歌い続けようじゃないかと考えた。実行した。
 この歌にはちょっと思い出がある。もう10年以上も前に勤務した学校の校歌が、中村八大の作曲だった。もうお亡くなりになったが、親しくしていただいていた北総にある大きな総合病院の院長さんが、病気で入院している子どもたちの院内学級開級式でお聞きになって「いい校歌ですね。包み込むような、心が洗われるような。いいですね。子どもたちが頑張ろうって気になります。」と褒めてくださったのをよく覚えている。「中村八大さんの作曲です」とお伝えしたところ、「どおりで」と納得し、深くうなづいておられた。
 3.11東日本大震災の時も、阪神淡路大震災の時も、被災した人々、応援する人々、見守る人々、誰も誰もがこの歌に元気づけられた。先日、NHKの番組で、取り上げていた。古く南米に移住した日本人たちがアイデンティティを感じた歌。永六輔作詞の歌詞には主語がない。誰でもその歌の中に「主」として入り込み、苦境や苦難の中にあって「上を向いて歩こう」と語れる歌、口ずさめる歌。すごい歌だと思う。

 「いま」という瞬間(とき)を駆け抜けている君、立ち止まって口ずさんでみませんか?『悪いことばかりじゃない?』そんな風に捉えることができないいまだけど。

晴れ 悪いことばかりじゃない?

4月22日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.165 そんな風には捉えることができない「いま」だけど

朝、部屋に入りコンピュータの電源を立ち上げて、GoogleChromeを開くと、お気に入りのトラック諸島のグランブルーの隅に、小さく「家にいよう。みんなのために」とメッセージがあった。Googleからの新型コロナウイルス感染拡大防止に貢献しようというメッセージだ。時々こんな粋な?ことをやる。「そだねー」(何年か前の流行語大賞)と肯定的にメッセージを受け止めながら、心が少しほっこりした。
 報道では深刻な状況が常に流され、自粛で身を守ろうという呼びかけが多く流される。その影で起こるDV問題や医療崩壊、精神的に不安定になる子どもたちの増加。ウイルスの猛威は、社会のあり方、人間のあり方そのものへの大きな問いかけとしてある。そんな中、アスリートたちが、リレーでメッセージを贈り始めた。ロックダウン下にあるイギリスの街では、毎週木曜日の20時にNHS(国民保健サービス)を励ますために、人々が拍手をする。一斉に。人には力がある、自然の猛威の前には弱いかもしれないが、大きく強くなる力があることを表明し始めた。大切にすべきものは何かを確認するように。
 いつまで続くかわからないこの状況はとても不安である。それでも私たちは生きているし、今日のこの瞬間(とき)は今しかない。手を取り合い強く生きよう。
 いま自分にできることは何があるだろう。考えてみるだけでも価値がある。自分には何もないと気づいた君、いい気付きですよ。角度を変えてもう一度自分を見つめてみませんか。Googleのメッセージはいいヒントかも。

お知らせ つながりが「分からない」を「分かる」に変える

4月16日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.164 ICH風オンライン授業
 臨時休校中の家庭学習支援。本校では有名な教育事業として展開するWeb授業の活用だけでなく、もっと血の通った「つながり」による指導が行われている。
「面白い取り組みですよ」と数学科の一人の教員がTwitterの画面を見せてくれた。
教員A「○○君からの質問です。複素数を用いて円を表すとき、直径の2点α、βを定めて・・・変形した①②の式が何を表しているかもピンときません」
教員B「αーzの正負のところですが、複素数なので・・・」
教員C「②は①と同じですが②の方が・・・」
教員A「なるほど、説明の方は私が・・・」
教員C「よろしくお願いいたします。後半も・・・」

ある生徒からのメールによる質問を巡って、教員のSNSコミュニティが活発に動いている。この生徒がしている質問からすると、ここがつまづきとして考えられる。克服するにはこの角度から説明するのがいいのではないか、あの角度からアプローチするにがわかりやすくはないかと意見を出し合うのである。導かれた結論の中で、その生徒の理解に最適と思われる解説を、メール受信した教員が当該生徒に送る。
なんて素晴らしい「つながり」なんだろう。生徒と教員とのメールは、「Webでお知らせメール」(本校の独自のメールアドレス)で行われるため、外部に漏れる心配はない。コミュニティに参加しているのは本校の数学科の教員のみ。一人の生徒の「分からない」に大勢の教員がコミュニティでワイワイ、ガヤガヤ。ツイートの時間を見ると、約1時間の間に様々なやりとりがあり、生徒に返信がなされているようである。質問の対象は、共通して渡されている副教材上の問題。
学校にこれない生徒の家庭学習支援。つながりが途切れることを憂慮した教員が差し伸べた手に、生徒がしっかりと握り返してきている。握り返した手は一人で掴まない。コミュニティに参加する教員みんなの暖かい手が包み込んでいる。すごいな。この取り組みがもう少し進んで、他の生徒への公開がなされると、もっと広がりを見せるだろう。いいなぁ。
生徒は自宅学習、教員は在宅勤務。こんなときだからこそ、こんなつながりの暖かみが嬉しい。市原中央高等学校、いいね!

お祝い まだ見ぬ君たちへ(新入生に寄せる)

4月15日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.163 入学式がなくて残念なのだが
コロナウイルスの猛威のおかげで、入学式ができなくなった。少し無理をしてでも・・・と考えたが、ほぼ全員がスクールバスを活用する本校では、クラスター感染が心配である。なんとも言えない残念な気持ちを持ちながら、同じぐらい強く「早く会いたい」とも思う。「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」

まだ見ぬ君たちへ(荷物に同封したメッセージ)
古来、日本人は「みる」を大切にした。「見えぬもの」を恐れ、敬う。神々と人の境にも「見るな」(タブー)を設けた。それほどに視覚は重要な意味を持っていたようだ。いま人類は「見えぬ敵」と戦っている。侮ってはいけない。厳しい戦いになるだろう。こうした戦いは今後も増えるだろう。その社会の担い手となる若者たちが本校に入学してきた。頼もしく、嬉しい。早くその姿が見たいと心から思う。お互い我慢の時だ。頑張ろう。   校長 日髙 学

お祝い 言い忘れがなかっただろうか

4月14日(火) ほぼ毎日・校長 卒業おめでとう

机上の電話が鳴り、受話器を取ると「ぜひ校長先生とお話がという保護者の方が・・・」副校長先生が少し困惑した声で事情を伝えてきた。長く電話でご説明し、納得いただけているのだが、最後にぜひ校長先生と話をしたい。替わると、開口一番「やっと出てくれた、校長先生。やってやくださいよ卒業式。規模縮小でもいい、みんなと会う機会をあげてくださいよ。教頭先生も、副校長先生も『やる方向で検討中』、そんなんじゃ終われない。先生から一言『安心してください。必ず』と聞きたい」心を絞るような声でお父さんが語りかけてきた。私の回答に「本当だね。絶対ですよ。でないと、子供が不憫で・・・。その友達も今みんな来ている。お父さん学校に電話して・・・って言っている。いいですね、校長先生が約束してくれたって伝えていいですね」
もう1月以上も前の話だが、お父さんの声も、話の内容も、感情もみんな覚えている。心からありがたいなぁと思った。3月18日、卒業証書授与式を挙行した。コロナ騒ぎで縮小した挙行だったが、よかった。

 春風駘蕩、梅花馥郁と薫るこのよき日に・・・通常卒業式の式辞の冒頭はこれで始めることにしている。今年は違う。猛威を振るうウィルスのおかげで、季節がひとつずれたような時期に、君たちとの別れをする。「ふつうでない」と感じる者も多いだろう。「異常」「想定外」などという言葉を当てはめてみたら、ぴったりする感覚を感じるものも多いだろう。しかし、我々が、いや君たちがいきるこの時代に、「異常でない」「想定内である」はどこにあるだろう。触れるものすべてが「思いもよらなかった」というものばかりが蔓延、氾濫する時代である。式辞では普通、グローバル化、情報化が進み、狭くなった地球の、激流のように流れる時の流れの中で・・・と続けるのだが、そういう時代であるからこそ、大切になることを語っておきたいとおもう。今日はひとつ予想だにしない式辞で君たちのはなむけの言葉としたいと思う。
私におおきな影響を与えた青年の話である。もう10年も以上も前の話。病院に隣接する学校に勤務していた。着任して日も浅い4月初め。今日のような春の日である。陽が当たる病院から学校に続く渡り廊下を、電動車いすでゆっくりと渡ってくる青年がいる。あの時の彼は、今の君たちと同じくらいの17・8歳。傍まで来て「新しくお見えになった校長先生ですか?」と語りかけてくれた。名前を「KAI」(たしか「海」とかいて「かい」)君という。笑顔のすがすがしい青年である。久しぶりにみたような気がした、澄んだ目の持ち主である。生徒会長である。しばらく話をして病棟に帰っていった。
はじめて会話を交わした生徒だったので、印象深かった。毎日病棟からやってきて、お昼は病棟に帰って昼食。午後やってきて授業が終わるとまた病棟に帰っていく。昼休み彼が帰っていく姿を何度となく見ているうちに、あることに気づいた。彼は必ずわたり廊下の、同じ個所で車いすを止めて、中庭の一角を眺めて帰っていく。ほんの数秒のことだったに違いない。私には10秒にも20秒にも、それ以上に長く感じた。彼の視線の先には、今を盛りと咲いている菜の花があった。
彼の中にそんな思いがあったのかどうか確かめたことはない。この話をするたびに、自分のなかで増幅されたストーリーであるだけのような気になってくる。「花を見つめることの意味」を私は感じ取った。彼は、筋線維の破壊・変性(筋壊死)と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患筋ジストロフィーという病に支配されている。そのことを知った時に「菜の花を見つめることの意味」を私は付加したのだろう。彼にとって毎年訪れる「春」、菜の花をめでることは、「筋萎縮と筋力低下の進行」を確認すること。「昨年まで腕は動いていたのに、今年は指先しか動かない」を知ること。病棟に「ただいま!」と言って帰り、同室の仲間と話をする。それは、数年後の自分の姿を見ること。
私は「ちがう」と思った。私のような年老いたものが、春の桜花を見るたびに、「あと何回この桜をみられるのだろう」と考えたり「あの頃のわたしは」とよみがえる思い出に浸るのは世の常である。それはいい。しかし、17・8の青年がそれを感じてはいけない。それが「ちがう」なのである。それまでここに集っている君たちと同じように、今を懸命に生きている元気溌剌生徒と接していた自分が、気づかなかったことを彼は教えてくれた。どんな者も自らの「生」と向き合いながら生きているんだという、大切なことを彼は教えてくれた。吉野弘の詩「I was born」。確かに誕生は生まれる者の意志は介在しないが、自らの「生」として強く生きること。君たちの「生」に託されるさまざまな思いを受け止めながら・・・
「命」を大切にしてほしい。他者のも己のも。「ふつうでない」が蔓延する時代だからこそ。それをつたえて、私の式辞、君たちの門出のはなむけとしたい。
さあ、35期生の諸君、いよいよお別れの時です。この学校での3年間を糧に、いい人生を歩んでください。君たちの将来が幸多からんことを心より祈ります。
卒業、おめでとう
令和二年三月一八日
   君津学園 市原中央高等学校長 日高 学

重要 今日から3日間・書道同好会書作展

2月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.161 みんな頑張っている

 木更津のイオンモールで開かれている書道同好会の書作展に早速伺ってきた。一年生も二年生も。
何日か前のこと、見知った2年生の男子が部屋を訪ねてくれた。2年には珍しく、よく部屋に来てくれるKくん。木更津総合高等学校との書作展の招待状を持って。「何を書いたの?」「漢詩、春を詠んだ漢詩の一説を半切に書きました」漢詩の内容をイメージできただろか。昔少しばかり書道をかじったことのある私は、K君と同じ歳くらいの時のことを思い出していた。井の中の蛙で、地域の書作展でもてはやされ天狗になっていた頃の自分を思い出していた。やがて大学に行って、見事に鼻をへしおられ、挫折した時のことも思い出していた。「楽しみ(play)」がなかったのだと思う。書いている時の充実や、喜び、そんなものをK君には感じて欲しいと思っていた。
 一年も頑張っているので来て欲しいという彼の誘いに、「行く、行く」と約束したものの、週末がなかなか難しい。通院の時間を少し早めて、思い切っってお休みをもらって行ってきた。ちょっと気取って、花を持って行ってきた。行ってよかった。同好会のみんなが喜んでくれた。始めてまもない者も、少し心えのある者も、一生懸命に「楽しんで」いた。

 また一つ、市原中央高等学校の生徒の魅力を発見した。いい「瞬間(とき)」を過ごしています。

音楽 私学吹奏楽大会の報告にきてくれた

2月7日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.160 インフルエンザで大変だったね

「先生、行ってきました!」と報告にきてくれたのは吹奏楽部の部長さん。モザイクをかけているのでよくわからないでしょうが、ちょっと丸みがかった黒い細い縁取りの大きめのメガネがとてもよく似合う。ややもすると知的な雰囲気が優先しそうなイメージを、温かく柔らかいものに変えて、とても素敵な感じなのである。(イメージからはドクタースランプの則巻アラレちゃん)予防のためにマスクをしていたので、最初は誰か?と思ったのだが、メガネとその奥のにっこり笑った目ですぐに分かった。手には大会の冊子と缶バッジを持って、報告にきてくれたのである。開催の直前にインフルエンザの流行で、1クラスが学級閉鎖になっっている。その中に部員が?気がかりで聞いてみた。「そうなんです。ホルンの子がいけなくなって・・・1年生を代わりに立てたのですが、結構間際だったので・・・」と苦労話をさらりと語ってくれた。さぞ大変だったろうに、「さらり」なのである。今ある現実をしっかり受け止めてやるべきことをやり遂げた爽やかさすら感じさせる。部長を務めているだけあって、キッパリとした決意がメガネの奥に光っていた。よくがんばりました。彼女が帰った後、インターネットで楽曲を探して聴いてみた「マードックからの最後の手紙」。驚いた。ホルンのソロパートが結構な長さである。これをやり遂げたのか?短時間で。「すごいなぁ」心からそう思った。素敵な報告をありがとう。

 また生徒の素晴らしさを実感した。市原中央高等学校の生徒の力の奥深さ。いいね!

NEW 育っていますGL(グローバル・リーダーシップ)

2月6日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.159 質問が凄かった

 まだ入学してまもない頃『大丈夫かなぁ?』の心配をよそに、見事にゴールドマンサックス社でグローバルプレゼンテーション(Vol.78)をやってのけた英語コースの1年生。今度はMetLife社でジョブシャドーにチャレンジである。中学校時代にインターンシップを経験しているこの子たちが、ジョブシャドーを理解し、感得するのは難しいかもしれない。サッカー選手になりたいのは何故だろう?という問いかけから始まる。ああなりたい、こうしたいには、必ず手本になるような大人、憧れる大人がいるはずである。それに気づくのにそんなに時間は掛からなかった。Educationするだけの学校に通っているだけでは生まれない。Learningするきっかけ、興味や関心を与えることに力を注ぐ学校でないと生まれない。「かつこいい大人」と会ってほしい。憧れて欲しい。そんな願いを込めて企画(Project)が誕生する。今日は、MetLifeのCSR(corporate social responsibility)担当部署からきていただいた方からの事前レクチャーである。「彼らなら大丈夫だろう」というゴールドマンサックスの経験からの期待があったが、遥かにそれを超えた成長ぶりを見せてくれた。担当の女性がプレゼンを終え、「何か質問は?」のその一言から私の驚愕は始まった。生徒たちの口から飛び出した質問を列挙しよう。おそらく高校1年生が・・・と、私と同じ驚きを感じてくれるに違いない。

Q 日本企業の典型とはおよそ違うという話があったが、貴社にしかないものは何ですか?
Q 入社してから長いと聞きましたが、その間に会社は変化しましたか?
Q 会社のマネジメントを支える「連携」のつぼ教えてください。
Q 在宅業務の話がありましたが、他の人々との関係で大切にしていることは?
Q サイエンスアプローチを具体的に教えてください。
Q MetLife社員として一番心がけていることは?
Q コミュニケーションで大切になってくること、1番はこれを教えて
Q 元々グローバルな会社だが、社内でグローバル化はどのように意識されている?
Q 障害者の雇用問題に興味があります。貴社の障害者雇用実態について教えてください。 
 などなど。


いつの間にこんなに成長したのだ?担任の先生に伺ってみると、「いやぁ、今日の生徒の姿には正直驚きました。きっと面談やちょっとした会話でも、必ず『質問して』と要求している、それが力になっているのかな」と語ってくれた。さらりと答えてくださったが、いい環境作ってくれていますね。

 すごいでしょう市原中央高等学校。GLCだけでなくⅠ・Ⅱ類でもSLP(Student Leadership Program)で展開して行こうと企んでいます。

こちらでも紹介しています

了解 いつもありがとうの生徒たち

2月5日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.158 明るい笑顔で一生懸命

 写真に写っているのは2年生の生徒たち。校長室の清掃当番で、代わる代わるやってきてくれる。まだ少し生徒たちにも遠慮があるのか、私にも遠慮があるのか、『何を話せばいいだろう?』と構えてしまうところがある。もう一つ、最近夕刻に不在になったり会議が入ったりで、校長室の掃除が応接室だけになってしまうことがあって、会えないことが多い。でも話しかけるとみんな笑顔で応じてくれる。いつもきてくれる一人の女子がいない。代わりにきてくれた生徒に「どうした?」と尋ね、話してくれた事情を聞いてから、その子のことを「まいこ」さんと呼んでいる。理由はこの子たちと私だけの秘密です。その話題に他の生徒と興じていると、当番が替わって本人が訪れたとき「あっ、君は・・・」と声をかけると「はい『まいこ』です」と応じてくれた。「素敵な名前があるのに・・・ごめんごめん」ちゃんと君の本名は覚えていますよ。
 校長室の会話、生徒間で話題にしている。ただそれだけのこと、ただそれだけの会話なのですが、生徒と校長がこんなたわいもない会話ができる市原中央高等学校って、いいと思いませんか。自慢、自慢。嬉しい、嬉しい。

花丸 素敵な週末、保護者の方との会話

2月3日(月) Vol.157  校長講話が話題ですか?嬉しいですね+こども歌舞伎

(左斜め上の写真とその他の画像に関連はありません)
 週末に素敵な保護者の方々とあった。3年生の常任委員を努めてくださっている方が会する機会、そこで出た会話。「先生、うちの下のが『今日の校長講話はね。・・・兄貴。話に出てたよ』って帰って来たんですどんな話だったのですか?」「そうそううちはまだ2年なんですが、放送の校長講話よかったって言っていました」と嬉しい話題が飛び出してきた。大抵校長の話なんて、右の耳から左の耳へと通り過ぎるものなのだが、ちゃんと聞いてくれていてくれて、ご家庭で話題にもなるなんてすごいと感動したのです。まぁ、話がよかったなんてのはお世辞なのでしょうが、いい環境でみんな育っているのだなぁ。嬉しい限りです。「こどもたちの持っている「もの」の高尚さや奥深さの話をしたのですよ。」と語り、録音していたピアノ・ショパン「革命」を聞いていただいたり、お城の好きな息子さんのお話をさせていただいた。するとある保護者のかたが「Yさんちの息子さん、ミュージカル舞台デビュー。観にいくんです」と紹介してくださった。隣に座っていたお母さんが「Yの母です」。Vol131の音楽コースの男子生徒の保護者の方でした。すごいなぁ。「そうそう、こども歌舞伎をやっている生徒がいましてね。無理やり招待をおねだりしたら・・・」2月2日に県文化会館で公演があることを話題にした。
 行ってきました。楽しみにしていたその期待以上の生徒の姿に驚きを感じてきました。持っている「もの」の高尚さや奥深さの再確認です。感動していると、お昼過ぎにその生徒のお母さんがわざわざお礼にきてくださった。日頃の生徒との触れ合いや、彼を取り巻く友人の素晴らしさをご報告し、ひょんなところから「写真」の世界に話題が飛び、ボルネオ島のオランウータンの話やマレーシアの夕陽、サバンナのシマウマの話で盛り上がった。この母あってあの息子ありなのですね。

 いい瞬間(とき)をありがとうございました。ほぼ毎日・校長は幸せ者です。

重要 同窓会・頼もしい先輩たちと共に

2月1日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.156  頑張っている卒業生から頑張っている在校生へ


 一期生の会長から歴代の卒業生の方々がたくさん集まってくださった。挨拶をお願いされていたので、現在の市原中央高等学校の生徒諸君の頑張りをお話しした。学校がEducationをやってのけることはそれほど難しくないと思う、しかしLearningの場であり続けるることは難しい。できている学校、それが市原中央高等学校である。先輩たちに接していて、つくづくそ思った。
  Learningのためには、倫理やインスピレーションを学ぶためのメンターやロールモデルが必要である。本校の現役の生徒たちのメンター、ロールモデルがしっかりここにいた。ある同窓生の方がからご提案いただいた。「頑張っている卒業生がたくさんいます。頑張っている在校生のために」

市原中央高等学校 同窓会 素敵な会です


同窓会HP
https://dousoukai.site/ichihara-chuo/

 

お知らせ 放送による校長講話(地図とコンパス)

1月31日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.155 3年生の先輩から窺える本校


 インフルエンザの流行が真っ先に影響するのは集団行動。この日予定されていた体育館での校長講話も放送によるものに変更した。相手の顔をみながら話をするのでなく、マイクに向かって・・・は難しい。ラジオのパーソナリティや録音は、やはり慣れなんだろうなと思う。講和の内容は、出会ってから大切にしている評論家の「今必要なのは『地図』ではなく『コンパス』である」という話。
 もちろん教え育むことも大切である。しかし、本当にその生徒が「学ぶ」ためには、興味を抱かせることが大切になってくる。そこがなかなか難しい。興味を抱くこと、自然に湧き出てくるそのチャンスを与える工夫。実は難しいようだが、それほど「困難」ではない。「協働」の中にヒントがあって、何かの共通の目的に向かって、協働で動き始めた時、人は「仲間」の中にメンターやロールモデルを見つけ出して、自己変容を始めるのである。そういうメンターやロールモデルはある程度豊かで深い「もの」を持っていないと、スパイラル的に展開する自己変容は進まない。こうした学びに「地図」は必要ない。自分で進むための「コンパス」が必要である。どうやって学ぶか。メンターやロールモデルをどう与え、活用する機会を作るか。それが大切になってくる。これからの学校はそうなるだろう。しかし、そんな上質なメンターやロールモデルの要素を持った者が集う学校はそうはない。市原中央高等学校にはそれがある。
 この春に卒業する3年生の紹介をしよう。
 「城」が大好きで、語り始めると止まらない。旅先で城や城跡に触れる機会があると彼の顔が浮かぶほど興味を持って夢中になっている。・・・Vol.128の生徒
 絵を描いている時間が一番自分らしい。だから絵が好きだ。好きなことは一生大切に取っておきたい。続けていきたい。でも仕事にする好きとは違うと語る生徒。・・・Vol.146の生徒
 声楽の姿をみてもらったけれど、本当の自分はこれ。これしかないから夢中でまっしぐらに進んでいる。「革命」をピアノで聞かせてくれた生徒・・・Vol.153の生徒
 市原中央高等学校は、単なるEducationの場ではない、Studyingだけの場ではない。Learningの扉をいくつも提供する学校だ。

 そんな話をした。いい学校です、市原中央高等学校。

 *放送の校長講話に協力をしてくれた放送委員会の諸君、ありがとうございました。 

音楽 こんな瞬間(とき)を独り占め

1月29日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.154 意思を離れ生き物と化した指の奏でる音

お昼少し前、「先生、お時間大丈夫ですか?」と言って、女子生徒(Vol,153)が部屋を訪ねてくれた。今日は肩まである髪を、ポニーテールに結んでいる。いつも練習している第二音楽室のグラウンドピアノの前に立った姿は、女子の姿を形容するにはそぐわない言葉かもしれないが、「荘厳さ」が感じられた。それだけ、鍵盤に向かう姿勢が凛とした真剣なものであった。生徒は椅子に浅く腰掛け、少し斜め上を見上げるようにして、大きく息を吸った。鍵盤に指を当てがい、最初の音が出るまでのほんの少しの間、時が止まった。私の、緊張に耐えきれず、口が乾くような気がして、つばを飲み込んだ音が聞こえるほどの静寂。次の瞬間、最初の音が出たあとは、生徒の指が、まるで本人の意思を離れた、一個の生き物のように鍵盤の上を目まぐるしく動いていく。ショパンの「革命エチュード」。難曲として有名な曲。その世界に疎い私ですら、それとすぐわかった。
 見事だった。時にはシーケンスに、時にはランダムに動く生き物と化した指は鍵盤を通じ、ハンマーを動かし、弦を叩く。奏でられる音は、こうした構造を説明する言葉で表現するには失礼なぐらい「いのち」を持って伝わってきた。大きく上半身を動かしながら、波打つように揺れる彼女の身体はピアノと一体化していく。華奢な小さな体が、何倍にも大きく、偉大に見えた。彼女そのものが部屋全体に満たされた「おと」になっていく。琴線が震えた、涙腺が刺激された。「すごい」かつて勤務した高校で、吹奏楽部の生徒が全国大会に臨む楽曲を、私に聞いてもらいたいと言って聞かせてくれた時と同じだ。
 辛い時もあったろう、もう投げ出したいと思う時もあったろう。喜びも苦しみも、共に感じてきた白と黒の配列。生徒がそれに向かう時、裏切ることなく「自身」を表現してくれた。この時のこの生徒の心情を確認することはもちろんなかったが、素晴らしい感動の「共鳴」を私に与えてくれたことは間違いなかった。

 ありがとう。こんな素晴らしい瞬間(とき)を。独り占めさせていただきました。すごい学校です、市原中央高等学校。

音楽 この瞳、この笑顔どこかで見た気がする

1月24日(金) ほぼ毎日・校長Vol.153 2週間ぶりの投稿

 3年生が自宅学習に入ってから部屋を訪れる生徒がめっきり減った。寂しい。と言うより部屋のドアを閉めていることが多くなり、繋がりを閉ざしていたのは私の方なのかもしれない。年度末になるとなんだか忙しい、慌ただしい。
 今日も部屋に籠もってPCと向き合っている。自分らしくないなと思いながらも、目の前にある山積みの仕事と格闘していた。ドアがノックされた気がした。風の悪戯かと思えるほどの微かなノック。「はい」と返事をしてドアを開けてみると、見知った3年生の女子が立っている。音楽コースの生徒である。みんなが進路を決める中、自分はまだこれから挑戦を・・・。少し不安の影を宿した面持ちで「頑張っているんです」を伝えにきてくれたのである。音楽の道へ進む彼女は、今が山場なのだろう。「それでね先生、試験で弾く楽曲を聞いていただきたくて」と嬉しいお願いをしてくれた。ぜひ一度聴いて欲しいと語ってくれた。「いつが空いていますか?」「そうだね」今から楽しみである。
 部屋を出ていくとき、「受験で卒業式に出られないかもしれない」と少し寂しそうに語った。「そう、そうなったら担任の先生と一緒に、この校長室で卒業式をやろう」
 そうだ、あの瞳、あの笑顔。かつての教子の吹奏楽の部長、かつての教子の書道部のパフォーマンス部長。彼女たちの輝く瞳、柔らかい優しい笑顔と同じだ。何かに夢中になって、真剣に取り組んでいる若者の輝きは美しい。うらやましくなった。市原中央高等学校、いいね。

3ツ星 芸術は、哲学だ、人生だ!

1月10日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.152 芸術コースの展示会

 市原地区の高校の芸術作品展示会が行われていた。ぜひ顔を出しておきたかった。そんな思いにさせたのは、3年生のサカナさんVOL146で紹介した彼女の存在である。あそこまで自分自身を引き込んでいる絵画。そんな彼女の後輩たちが集っている。3年生がいなくなった中で、1・2年生の活躍はどうだろう。関心があった。
 平日の午前中、訪れるお客さんは少ない。開場してまもない催し物フロアに椅子を並べて、本校の芸術コースの生徒が先生方からレクチャーを受けている。「冬休みの宿題、みんなで批評し高め合っているんです。」と一人の先生が説明してくれた。講師役の二人の先生が批評、感想を1枚、1枚のデッサンに述べていく。どれもすごい。「いいな、うちの子たち」と思いながら、一緒に聞いていた。
 これはね、製作途中に陥ること。必ずと言っていいほど。見事に陥ったね。
 そんな時は、距離を置いて観ること。
 近づいたり遠のいたりしてみつめてみること。
 技術、テクニックだけでなく人生を語っている。こうした視点、視野を持つチャンスを自分でつかんでいる。すごいことだと思う。絵ができてからテーマやキャプションを考える。テーマやキャプションがあってから絵をものす。どちらでもそれはいい。写真を撮影するのだが、撮影に入る前にテーマを考える。シャッターを切る瞬間には、キャプションが出来上がっている。そんな撮影の仕方をすることもあれば、とりあえず感動や流れに従ってバシャパシャとシャッターを切る。出来上がった作品をみながら、キャプションを考える。
 何を語りたかったのか自問してみること。やはり人生なのだ。

 芸術は面白い。作品と、講評と、生徒たちの表情をみながら、心からいいなと思った。

お祝い 本校生徒の中に息づく日本

1月8日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.151 嬉しかったなぁ

新年・校長講話
「あけましておめでとうございます。良い年を迎えましたか?」
「はい、ありがとうございます。先生はいかがですか」
「はい、良い年を迎えました。ありがとう」

 今年になって初めてあった本校生徒との新年の挨拶である。何気ない挨拶なのだが、私はこの生徒の生活環境や、大きく言えば「育ち」に感心した。それは、このオリンピックイヤーと呼ばれる2020年にあたって、ちょっと考えてみたいことにつながっている。
 私は2度目の東京オリンピックを迎える。小学生の頃、ワクワクドキドキしながら、白黒のテレビの前に家族で集った。祖母も父母も兄弟も、テレビのない親戚も。近所の家はカラーテレビだった記憶がある。ちょっと悔しかった。粒子の荒い映像でブラウン管に映る選手たちの勝敗や記録に一喜一憂した。会場の臨場感をそのまま茶の間に持ち込んで楽しんだ。時は流れ、そこに集った者たちの多くは、鬼籍に名を連ねるものとなってしまった。記憶の片隅に「あの日ローマで眺めた月が、今日は・・オリンピックの顔と顔」三波春夫の東京五輪音頭のリズムと朧げな歌詞が残っている。
 今回の「オリンピック2020」は、ガンダムが衛星で打ち上げられ、地球・東京に向かって、開催期間中にずっと応援メッセージを送るそうだ。時代が違う。ソサエティ5.0(5G)の時代が、いよいよ本格的に始まる。そんな急速な時代の流れの中で、狂言師・野村萬斎氏は開会式で日本の伝統を踏まえた催しを企画しているらしい。日本の伝統と新しい技術革新のコラボレーションである。楽しみである。
 「らしさ」の追求である。忙しく移り変わる時代。そんな中にあってこそ「らしさ」が求め、問われるのである。どうすれば我々日本人が持っている「らしさ」(オリジナリティ)が伝えられるか、腐心しているのである。
 みんなと一緒がいい。違うことは勇気のいること。大勢の中の一人であることが安心な時代ではないのである。自分「らしさ」を考え、「自分って何」「違っていいんだ」その中で、率先垂範や、同僚支援、方向性指示の力を求めつづけるスタートの年にしていただきたいと思う。
 先ほど紹介した本校生徒との新年の挨拶。この中には、大切な日本の心がある。そんな風に思う。まだ始まって間もいない1年に対し、「良いお年をお迎えになりましたか?」いかにもおかしな問いかけであるけれども、「ありがとうございます。そちら様は?」と返す。言葉による呪言(寿ぎ・ことほぎ)、相手に「幸」を贈る。贈られた者は、感謝の気持ちを込めて相手に「幸」を贈る。互いを尊重する「日本の文化(らしさ)」なのである。前回のオリンピックを一緒に楽しんだ、鬼籍に名を連ねるものたちの時代には、自然に存在した「日本文化・らしさ」である。
 これを意図せず本校の生徒から感じ取ることができた。生徒の中に息づいていることに喜びを感じた。こんな嬉しいことはない。こんな頼もしいことはない。生徒のおかげで、私の一年は「いい一年」になる。
 いま私は、全校生徒と本校の全職員、この文章を読んでくださっている関係諸氏に同じ「幸」を与えたい。寿ぎを
  あなたたちにとってこの一年は最良の年です。いい年を迎えました。
  あけましておめでとうございます。
  今年も、市原中央高等学校をよろしくお願いいたします。

お祝い 生徒がくれた贈り物 Part2

12月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.150 合格報告と学びの共有

 「先生、お時間よろしいですか?」ドアをノックする音と共に、丁寧な挨拶で2人の生徒が入ってきた。応接に座って話し込んでいた教員が「オヤ、生徒ですね。では私はこれで」と言って立ち上がった。心遣いが嬉しかった。
 一人はVol.120に登場した「源氏物語」を読んでいる彼女である。「久しぶりだね」と声をかけると「合格報告に友だちときました」と言ってもう一人の彼女を紹介してくれた。表彰式の壇上で「成績優秀者」として何度か顔を見たことのある彼女。部屋を訪ねてくれるのは初めてである。二人が報告してくれた「合格」は立派なものである。「ところでそこでなにを学びたいの?」背伸びをさせるような質問をしてみた。思いもよらぬ答えが返ってきた。「言語学なんです」専門に研究している友人たちでもうまく設定できない、多様な切り口のある分野である。その学びにむけた思いを称賛し、語ってくれた学問の世界に感心した。あまりに素晴らしいと感じたので、ソシュールの「ラング」と「パロール」の話の入り口を語ってみたところで、さらに驚いた。彼女は既にこの単語だけでなく、意味までも知っていたのである。
 「源氏」を片手に廊下を歩いている彼女といい、ソシュールの世界の扉を開いている彼女といい、うちの生徒の新たな一面を発見した気がした。市原中央高等学校、すごいです。いいね。

雪 生徒がくれた贈り物 Part1

12月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.149 3年生を送る会
 表彰式の後、校長講話、3年生を送る会が行われた。講話を終えて壇上からフロアに帰ってくると、生徒会の諸君が「それではこれから3年生を送る会の準備に入りますので、少しお待ちください」というアナウンスをする。全校の生徒がおかしな動きをしている。静かな水面に様々な絵具を浮かべ、静かに待っていると、わずかな空気の動きで緩やかに模様を作って線画ができていく、あんな動きである。一定の法則性を持っていて、それでいて明確な意思によって動いているのではない、緩やかで「ためらい」を感じさせるようなそんな動きである。よく見ると2年生の動きが1年生に伝播していることがわかる。そう、3年のためにステージ前のフロアに空間を作ろうとしているのである。2年生は昨年の経験があるからスムーズである。1年はなにが起こっているかわからなく、やがて納得して動き始めるから、タイムラグがある。初めての経験であったから、近くにいる教員に尋ねた。「このように動くことが予め指導されているのですか?」「いいえ、自然な流れのようです」
 誰が指示をしているわけではない。誰が促しているわけでもない。自然にこの行動がとれている。「3年生のために」が大きなうねりとなっているのである。「すごい」と思った。

3年生を送る会 校長挨拶
 さほど君たちとは遠くない先輩に、担任として先生が記した「贈る言葉」に接する機会があった。奇しくもこの場で語っておこうと思っていた内容と合致したので、紹介していこうと思う。
その先生は語る。Society5.0の社会が進み、情報化・グローバル化が進む中で、その大きなうねりは、個々人が希望する希望しないに関わらず押し寄せて、君たちを巻き込んでいく。今まで持っていた価値観や常識は、電車の車窓の景色のようにあっという間に遠のき、過去のもの、古きもの、異なるものに変わって行き、通用しないものになっていく。
 その中で必要とされる力は、仲間とのリレーションによって課題を解決する協働力・共生力と、今ある姿に疑問を感じる批判力である。よく語られる「生きる力」「真の学力」につながるものであるが、生徒諸君に直接関わってきた担任の先生が、卒業という節目で語る言葉であるが故により説得力がある。
 もう一つこの力に付け加えるなら、シンパシーに止まらず、エンパシーまでもができる「こころ」を持つことである。この学校での3年間を振り返る時、ここで語られた力の礎が築かれていることを切に願う。これからが本番の諸君が多い。体調を整えて、頑張って欲しい。やり抜いて欲しいと切に願う。

注意 こだわりが生んだ大切なもの

12月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.148 こちらこそありがとう

 覚えているだろうか、先日このブログ(Vol144)で紹介した彼女。笑顔で部屋に入ってきた。愛犬自慢、拘っているんです、「また来ていいですか?」「ええよぉ」、パラサイトの彼女である。あの時は心底思い詰めたような感じがあった、手元の手帳に大切に挟んだメモを見ながら、確かに涙を流していた。私との会話の中で、自分の思いにスラッシュ「/」を引くように区切りをつけて、しっかり結んだ唇に「決」の文字が浮き出てくるような、キッパリとした表情を見せる。笑顔で「やってみます」。竹を割ったような性格とはこのことを言うのだろうと思った。
 その彼女が、今日は最初から笑顔である。しかし私にはその笑顔が、重い我慢と自律によって裏打ちされていることが見て取れた。笑っているが心が笑っていない。案の定彼女の口からは「ダメでしたぁ」と言う一言。「こんなもんですよね」あらら、こんなに若い頃に「世間」を感じ取らせてしまった。こりゃぁいかんと思った戸惑いは、次の言葉で払拭された。「『なんとかなる』『無理にでもなんとかしてほしい』ではないんです。分かって欲しかっただけなんです、きっと」自分を見つめ直した時にそう見えたのだろう。「それを校長先生がしてくださったので」(←ここ太文字にしたい)そんな風にとってくれているなんて、嬉しい限りなのである。
 康成の「伊豆の踊り子」だっただろうか。「いいひとはいいね」踊り子とその連れの会話の中に、自分に対する「いい人」評価を聞いた主人公は、素直に自分をいい人と感じることができたと言う描写があったことを思い出した。彼女の一言で私は、自分を本当にいい人と、素直に、自分で、照れもなく思っていた。彼女の笑顔も、さっきの笑顔とは違う。心も笑顔になっている。こだわりが産んだ副産物?なのかな。将来彼女もきっとこんな思いをしたりさせたりする経験をしてくれるのだろうな。
 「パラサイト、拘ってね」「はーい」明るく部屋を出て行ってしまった。「また来ていいですか?」「ええよぉ」は、今回はなかった。少し寂しい。

  いい瞬間(とき)を過ごしています。市原中央高等学校生。いいね!

お祝い これもすごいことなのです 英語スピーチコンテスト

12月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.147 関東大会第3位


 第13回関東甲信越地区高等学校英語スピーチコンテスト(於:宇都宮共和大学)に生徒引率に行っている教員から吉報SNSが届いた。英語コース2年生のJade Alisa Teeさんが、第2部の第3位に入賞した。千葉県で準優勝、嬉しいけど少し悔しい。関東大会では全国に出られるように頑張りたいと語っていた彼女は素晴らしいスピーチを披露したという。全国大会への出場は優勝者のみ。残念ながら彼女は果たせなかったが、新しい目標の一つとしてスタートを切ったという。
 英語コースのグローバルリーダープログラムでの様々な体験が、彼女のスピーチの輝きに現れてきているのだと指導にあたっている教員は語ってくれた。小学生と共に英語で交流の場面でも、笑顔とボディランゲージでわかりやすく会話を楽しんでいる姿を拝見した。

 すごいな。市原中央高等学校。この英語コースの礎のプログラムが、次年度コースとしてスタートする。グローバルリーダーコース楽しみです。期待してください。

具体的な取組はCLCホームページへどうぞ →

お祝い おめでとう!佐藤太清大賞受賞!これ、すごいことなんです。

12月11日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.146 こんなにすごい賞だとは思わなかった

校長先生
おはようございます。美術科の●●です。ただいま3年生の▲▲のお母様からお電話頂きました。絵を出品しておりました佐藤大清賞展で見事に大賞受賞したそうです。校長先生にはブログにもあげて頂いたりしました事本人も大変喜んでおりましたので急ぎご報告申し上げます。
 一通の嬉しいメールが届いた。校内メールに美術を担当している先生から、いただいたメールである。修学旅行出発の前日に校長室を訪ねてくれた(Vol.134)彼女のことについてのメールである。あの時は「梱包してしまうので先生にみていただきたくて」という彼女の気持ちが嬉しかった。そのやり取りを知っていて、朗報をいち早く伝えようと考えてくださった先生のこのメールにある「心」がまた嬉しい。この先生、偶然に私と同郷なのである。この近辺の地域で例えるなら、五井と八幡宿ぐらいの近さである。しばらく話しているときっと「そやさかい、おもしろいやんか」と、郷里の小さな地域特有の関西弁が出るはずである。もちろんメールに訛りはない。メールをいただいたのが今週のはじめ。今日は師弟揃って報告に来てくれたのである。
 残念なことに教養に欠ける私に「佐藤太清(さとう・たいせい)」という日本画家がピンとこない。でもおめでとう。先生の高揚した頬の色に「すごい」が滲んでいて、無教養な私にもこれが尋常なことでないことだけは伝わってきた。二人が帰った後、早速ネットで調べてみた佐藤太清賞公募美術展。ワォ、文化庁後援、横浜赤レンガ(横浜市芸術文化振興財団)共催・・・etc。この美術展の一等賞をとったのだ。京都、名古屋、東京、横浜、有名な場所で巡回展示される。絶対に見に行こうと思った。そしてその絵の前で「これ、うちの生徒の作品なんです」とみんなに自慢したいと思った。梱包して、出展する直前の、誰にも公開されていないこの作品を、学校の3階にある美術室で、一番最初に見たのは私なんです。生徒は、わざわざ校長室に作品の仕上がりを報告にきてくれて、梱包の前に見ていただきたいなんてことが言える生徒なんです。この作品の作者。すごいでしょ、いいでしょ。外行く人を無理やり呼び止めて、作品の前に立たせ、思いっきり自慢したくなった。

 創造の君、今ごろ家の水槽にいる黒鯛の幼魚にドジョウを食べさせているのかなぁ?おもしろい生徒である。同郷の師も「ものすごく大きな何かを秘めた生徒です。楽しみにしています」と語っていた。今日も一日いい日になりそうである。いい瞬間(とき)過ごしています。市原中央高等学校。

お知らせ Eigo De Kouryu グローバル・リーダーを目指して

12月10日(火) ほぼ毎日・校長 V0l.145 英語コース2年 海上小学校の生徒と交流
 この日、昼休みから午後の1時間を使って、本校英語コースの2年生が海上小学校に行って、英語で異校種交流を行った。海上小学校は市原市が小規模特認校として特色ある教育を展開している学校で、造形教育、外国語教育推進校として、地域社会との連携を深めている。近年ではその先進的な取組と、研究実績を上げてきたことの功績が評価され、「教育功労賞 学校教育 団体の部」を受賞をしている学校である。
 地域で学ぶ高校生が、地域の子供(小学生)と触れ合う機会。それも生徒たちで企画して、「小学生が英語に興味関心を持って、楽しく過ごしてくれるにはどうすればいいだろう」を具体的なものにして実践する。日頃から行っている4つのP(project、peers、passion、play)の実践である。「みんな、今日はハリーポッターゲームをやるよ。ルールは簡単・・・」英語で語りかけ、説明する。三つのグループに分けた小学生は、体育館中を走り回り、passionとplayに満ちた時を過ごしていく。中にはノリの悪い仲間に声がけをしている小学生が出てくる。本校の生徒がそれを見ていてそっと寄り添い盛り上げている。ゲーム終了後は、1対1の英語会話。いい瞬間(とき)を過ごしていた。

 「同僚支援」「率先垂範」「方向性指示」、リーダーシップをちゃんと身につけ始めている。市原中央高等学校の生徒ってすごい。

 

! こだわっています

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.144 先ずはワンコ自慢から


 予約の彼女がやってきた。今週の月曜日、日も暮れて寒さを感じ始めるころ。一人の女子生徒がやってきた。「あぁ、ごめんね。これから職員会議で・・・時間がないんだよ」うつむいて「少しの時間でもダメですか?」深刻な雰囲気である。「じゃぁ10分ね」本当に時間がなかったので、10分のお約束。見事に自分の辛い?悲しい?苦しい?痛い?思いをわかりやすく語ってくれた。なるほど、聞いていて深刻である。このまま置いていくのも?と思いながら、「会議が終わるのを待っているかい?」と尋ねると、いつか時間をとってほしいと素直な気持ちを言葉にした。それが今日のお昼休み。
 昼食も摂らずにやってきた。「ありがとうございます」という言葉がドアの内側に入ってきた。気持ちを和らげようと、うちの犬(ジュニアくん)の写真。「可愛いだろう。先生メロメロなんだよ」と語ると、彼女も9歳になるチワワとポメのミックス犬の写真を見せてくれた。マーブルのコートが美しいわんちゃんだった。「いいね、愛情たっぷりの子だね。飼い主さんの愛情がそのまま表情に出ている」
 お互いのワンコ自慢で雰囲気を和らげて、本題に入った。そうなんだよ、君たちぐらいの歳までは、さっきのワンコと同じように、愛情たっぷりの経験をしなければいけないんだよ。果実が太陽の光をいっぱい浴びて甘く美味しくなるように。その意味ではキミの経験は、ズキズキと疼(うず)く傷跡がついたかもしれないね。先生は、いま一生懸命その傷に軟膏を刷り込んで、少しでも痛みが和らぐようにしているんだけれど、利いていますか?「先生、ありがとうございます。このことがあってから、色々な先生が関わってくれて、いっぱい軟膏を塗ってくれたような気がします。痛み残っていません」と答えてくれた。「でも、こだわりがある。つまらないことなんですが、こだわりがあるんです。自分で納得のいく方法見つけてやってみます。ダメだったら、また来ていいですか?」「ええよぉ」
 なーんだ、いい環境でいい瞬間(とき)の学校生活を送っているんだ。よかった。彼女はドアを出ていく時に語った。「先生、私パラサイト(寄生虫)に興味があるんです。大学で勉強しようと思っているんです。」
 ほぉ、「パラサイトが地球の危機を救う」頭の中に奇妙なキャッチフレーズが浮かんだ。???なんだか、市原中央高等学校って面白い。

花丸 やはり日本はすごい国だ

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.143 おもてなし

https://www.youtube.com/watch?v=6hggygKWwhg
YouTube ANN・News「滝川クリステルさんのプレゼンテーション」から

 この写真の切り取り。女性の手の配りを見て、誰しもが同じシーンを想像するだろう。そう2013年に、ブエノスアイレスで来年(2020年)のオリンピック開催地を決めるオリンピック委員会の総会が行われた。滝川クリステルさんの東京プレゼンテーションの「お・も・て・な・し」の瞬間である。彼女は語る。「東京は安全な、思いやりのある都市です。あなたが何かを失ったとしても、それはきっとあなたの手元に戻ってくるでしょう。」
 このプレゼンに、ある評論家は「うそ」を指摘する。今時の日本を・・・という寂しい見解である。しかし「寂しい」と感じながらも、「確かに」と首肯する自分がいることに気づく。ところがこの滝川さんの「お・も・て・な・し」を身をもって体験した生徒がいる。過日行われた修学旅行で、数万円の現金の入った財布を失った。どこで失ったかわからない。記憶を辿っても行き着かない。落胆しながらも、仲間の助けを借りて旅行を満喫して帰ってきた。しばらく経ったある日、旅行先の警察署から財布の拾得があったという連絡がこの生徒の元に届いた。全て失った時のまま。現金もカードも、全てが揃って手元に戻ってきた。安全な、思いやりのある国の「お・も・て・な・し」をいっぱい詰めたお財布が帰ってきた。
 「すごい」と感じたのは、財布が戻ってきたことだけではない。この経験をしたこの生徒の成長に目を向けてみよう。きっとよほどの大きな「裏切り」がない限り、この生徒は経験を行動規範として持つことだろう。同じようなシチュエーションに逆の立場で遭遇した時、この生徒はきっと内面にある「お・も・て・な・し」を発現するに違いない。潜在的な意識、善行としての「お・も・て・な・し」、それを何気なく身につけさせる文化や環境がこの国にはある。すごい。

 いい成長しています。市原中央高等学校生。いいね。

お祝い 訪れた彼の目的は・・・

11月29日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.142 行ったんですね名古屋城。いいなぁ


 このブログに何度も登場している(母とも一緒に登場している)歴史研究部の彼がやってきた。手にしているのは「合格証書」。難関の大学、尊敬する教授のいる希望の大学の合格証書である。あの時「受験報告ではなく合格報告にきて欲しいなぁ、そうあってくれるとなお嬉しいな」と語ったことを覚えていて、きてくれたのである。「おめでとう」の一声で迎えた。
 ところが彼の口から発せられたのは、「校長先生、行ったんですね名古屋城。G20の関係で無理かと思っていたのに、行けたんですね。」であった。本題であろう「合格」とそれに関わる話を・・・と思っても、「あの天守閣は、今度木造建築・・・」「戦火で焼失して以来・・・」「今は入れない天守閣の・・・」矢継ぎ早に出てくる。彼の「城」に関する興味関心はすごい。興味関心だけでなく並外れた知見を有している。「えぇ、ブログの写真、記事無くなったんですかぁ?残念」話が尽きないのである。
 しばらく彼のお話しに付き合いをさせていただいて、合格証書を手に一枚パシャリ。下宿はどうする。「大学から一駅離れたいいアパートが見つかったんです。決めてきました。」『きっと母は泣いたんだろうな』と思っていると、その思いを察するように、「在学中は何度も母にきてもらおうと思います。古都の観光を4年間でいやというほどしてもらいます」と言葉をかけて部屋を後にした。

 大学進学の頃に母に対してこんな気持ち持っていたかな?拙かった自分のそのことと比べて、人間的にもいい成長していると感じた。いい成長をしています生徒たち。市原中央高等学校、いいね。

花丸 この日の彼女は笑顔だった

11月28日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.141 よかったね いい思い出にできて

 一人の女子生徒が、担任の先生と一緒に校長室にやってきた。入ってくるなり笑顔である。「ありがとうございました。おかげさまで・・・よかった。・・・嬉しかった。」
 彼女と話をしたのは夜の帳の降りた琵琶湖畔。修学旅行のディナークルーズ船に乗り込む列の中。話しかけてくれた。「今度、校長室に伺っていいですか?」「ええよぉ」関西の空気を吸った途端、DNAに組み込まれた関西の血が蘇る。自然に関西のおじさんになっている。船の逆光でシルエットでしか見えなかった彼女の横顔だが、妙に印象に残っていた。
 翌日の宿のロビーのソファで、大粒の涙を流している女子生徒。見るなり昨夜の女子生徒だとわかった。「君かぁ。どうしたの?」絞るように泣きじゃくりながら事情を話してくれた。涙の質を本人もわからなかっただろう。「ごめんなさい」我にもあらず受難者となった彼女は、その心を「申し訳ない」という気持ちでいっぱいにして、何層もの感情が折り重なった重みに潰れそうになって、それがフローして涙になって、瞳からボロボロこぼれ落ちている。
 エンパシーとシンパシーの話。こんな時にそんな難しい話はいらない。「ごめんね」と相手の気持ちを察しているだけでなく、「ごめんね」が向けられる相手の心に感情移入をしてみよう。今君が受難者となったことを友人たちはどう思っているだろう。誰も悪くない、悪くないけど彼女の身の上に難が降りかかった。そんな状況の中で、受難者本人が「申し訳ない」と思って塞ぎ込んでいる。余計に辛いのでは?「さっきはごめんね。心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫。楽しう」と言ってくれた方がずっといい。顔をあげて、笑顔になってエンパしーを実行してみよう。そんな意味のことを語った。
 強い子だった。まだ涙の止まらない瞳をこちらに向けて、こくりと小さくうなずいた。よかった。彼女のバッグにBob'sBearTim(ティム)がぶら下がっていた。一つ年上の姉が土産に買ってきてくれたのだと教えてくれた。
 「校長、いい子だねぇ」Tim(ティム)が、小さなピンクの舌をぺろりと出して、語りかけているように思えた。いい生徒が集っています。市原中央高等学校。自慢です。

お辞儀

ほぼ毎日・校長 Vol.136〜140は欠番です

重要 仕上がったんです、見ていただけますか?

11月20日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.134 幸せな気分です


 Vol123に登場した美術専攻の女子2人がやってきた。「先生、あの時話していた絵が出来上がったのです。明日梱包して展覧会に送るので、先生に見てもらおうと思って・・・」と来室の趣旨を話してくれた。以前にもこういうシチュエーションに幾度か出会っている。「先生、楽曲が仕上がったんです。聞いていただけますか?」ある高校の吹奏楽部。「先生、結婚するんです。親に会う前に彼に会ってもらえますか」2児の母になった教え子などなど、こんなことがあるんだが、日髙に見てもらいたい、会ってもらいたい。こんなに嬉しいことはないのである。
 拝見すると2人の絵の素晴らしいこと。自分の背丈ほどある大きなキャンパスに、老婆(彼女の曽祖母)をモデルに写実的に描いている。あの時はまだ線画だった。時間が足りないことを憂いながら懸命に描き続けたのだろう。すごい力である。「いいねぇ。絵の道に進まないなんてもったいないよ」とからかうと、やはり「サカナ」であった。自分が飼育している黒鯛の幼魚にドジョウを食べさせている写真。水族館で撮影したエイやイルカの写真。ご披露いただきました。本当に好きなんだね。
 もう一人の彼女の作品は、木炭で描いた「流動」。流動から連想される様々なものが、一つの大きなうねりのように塊りとして描かれ、一定方向への流れを見せている。よく見ると時計。時の「流れ」が思考言語に会ったのかしら?思いついたら不躾でも聞いてみる。「流動から連想された思考言語がこうしたビジュアルに変更する、思考の変容はどんなもの?」かなり難しい質問だったが、「ことば」が自然に「え」に移ろっていく。そんなイメージを語ってくれた。面白いね。
 二人にすっかりいい気分にしていただいた私から、ささやかなお返し。水爆実験が行われた「ビキニ環礁」。女性のセパレートの水着をビキニっていうだろう。あれは核実験に対する抗議からデザイナーが名付けたんだよ。そこの景色と野生のイルカの話しを聞いてもらった。

 豊かなお昼時間をいただきました。情緒豊かな市原中央高等学校生、いいなぁ。

 明日から修学旅行。彼女たちが今日きてくれなかったら、この瞬間(とき)はなかった。ありがとう、感謝します。

 

お祝い 千葉県1位:再び全国大会出場・放送委員会

11月19日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.133 AP部門「音で視る。」千葉県1位

 AP部門とは「オーディオピクチャー部門」のことであるらしい。
 一通のメールが届いた。「監督動きます。今、扉の前にいます。」放送委員会からの怪文書ならぬ快文書メールである。「先生!今いいですか?」は、よくある声がけ。ドアを閉めてあったからだろう。この訪問は初めてである。ドアを開けると、見覚えのある監督が頭を丸めて立っている。坊主頭なのである。「いいえ、気分転換で・・・」といいながら、メンバー紹介。新顔は真ん中の男子生徒である。今回は彼が新監督であるらしい。来年(2020年)に高知県で行われる総文祭に、千葉県1位(優秀賞)で、出場が決まったという。すごいことである。「ご当地もの」をテーマーに、AP部門作品の作成を行なった。本校の放送委員会が選んだのは「音訳」に取り組む地元のボランティア団体と、点字図書館の存在。高校生の目線で、障害のある人々を支える市民の熱意が見事に描き出されていた。監督にインタビューすると、謙遜がちに「思わぬきっかけでボランティアの方々の活動に出会い、それがテーマに結びつきました」と答えてくれた。
 視覚障害を支援する様々な取組を話し、知り合いの息子さんが伴走者としてパラリンピックに出場を果たしたエピソードを語って聞かせた。ついえたと感じていた走る夢をまた復活できた喜び。誰かのためになることを知った嬉しさ。交錯する心情のあざないは、感動という滴を絞り出す。今君たちは、このテーマに出会うjことによって、健常者である限り(正確には視覚の障害がない限り)なかなか取り去ることのできない、高いハードルとしてある透明なバリアをクリアしたのだと語って聞かせた。3人の中の一人が「透明なバリアフリーか」と呟いた。いい心のリレーションがあった「瞬間(とき)」であったと思う。おめでとう!これは全国大会(総文祭)出場だけでなく、君たちの心の透明なバリアフリー実現への賛辞である。

 接するごとに成長を感じる市原中央高等学校生、いいね。

暗くなった廊下を歩いていると、向こうから音楽コースの2人の女子生徒が駆けるようにしてやってきて、「先生、ありがとうございました」と謝意を表してくれた。これもまた嬉しかった。

お知らせ 空気が凛と澄んでいた

11月18日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.132 懸命にピッチを駆ける姿が眩しかった


 先週のある日の午後、一人の男子生徒が訪ねてきた。目の輝きの澄んだ生徒である。応接の椅子に座って部活のことを語る。矢継ぎ早ではなく、じっくりと噛み締めるように。こちらの発する言葉に一つひとつ理解をし。応じながら語っていく。良識を踏まえ、その上であってほしいことを丁寧に説明していた。聡明な生徒である。最終に私が告げた結論に「嬉しいです。ありがとうございます」と慇懃に礼を述べた後、「先生、遠いんですが、来ませんか?11月17日(日)、東京学館浦安で翔凛高校と対戦です。みんな頑張っています。ぜひ」と誘ってくれた。別件があったので困った表情をしたのだろうが、黙って私を見る澄んだ目が「否」とは言わせない素直な強さを持っていた。「できるだけ」曖昧な返事に「お見えになったら、挨拶に伺います。ありがとうございます」と言ってドアを開け、丁寧にお辞儀をして出て行った。ぜひ応援に行こうと思った。

  台風や豪雨で流れた第12節の試合がこの日(11月17日)に行われた。快晴の空は初冬を思わせ、合わせるように空気が冷たく凛と澄んでいた。海岸線のためか、風がやや強く、前半、風下のゴールを守る本校にとっては、相手のボールが思いの外、足が早く伸びを見せてくる。開始から25分過ぎ、コーナーキックから上がったボールに双方合わせることができず、こぼれ球を本校の10番が身を呈してクリアした。そのボールがどういう過程でか見えなかったが、ゆるゆるとゴール右サイドのネットにもつれるように入って行った。悪夢を見ているような失点であった。
 2点ビハインドで迎えた後半。動きは本校の選手の方がよかったように見えた。攻めに集中していた本校の隙を突かれた。終了5分前、センター付近でボールをキープした相手88番がドリブルでディフェンスをかわし、ゴール前の空きスペースに送ったパスに合わせ、29番が左で蹴ったシュートは、キーパーの逆をついてゴールネットを揺らした。
 翔凛高校の選手は3年生が中心だったのだろうか、素人目に試合慣れしているように見えた。ただ最後まで諦めることなく、相手のゴールを目指して突き進んでいた本校生徒の姿に感動した。結果は0対3というスコアであったが、決して負けていない闘志を伺うことができた試合だった。頑張れ、市原中央高等学校サッカー部。

音楽 汗と涙と喜びのシンフォニー

11月17日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.131 感動の3時間ステージ

  鍵盤に向かい伏せ目がちにしばらくあって、彼女の手は動き始めた。後悔した。「演奏する生徒たちの踊るような手の動き、ご覧になりたければあちらの席がよろしいかと」案内してくださった講師の先生がお勧めくださったのに、真正面の席に陣取ったことを後悔した。経験の少ない私には、演奏は歌声は聴くものという先入観があったのかも知れない。一人二人と演奏がなされ、美しい声を披露するごとに、観るものであり参加するものであることがわかってくる。
 腕からも手の動きは感じ取ること、見てとることもできた。さざ波のように指に連動して動く腕の筋肉。柔らかく優しい動きの中に、ピンと張り詰めた鋭さを宿している。鋭く突き進もうとする指の動きをセーブするように肩から二の腕が緩やかに動く。いや上半身全体を使って指の激しく強くなりすぎる動きに調和を与えようとしているかのようだ。鍵盤に直接つながる身体の一部は指、手であるが、奏でているのは全身であり、生徒たちの心、魂そのものだ。
 彼がオペラ座の怪人の一節を歌う時、掌を上に向けた腕を胸元から喉元に幾度も持ち上げる。心の高揚をさらに高めようとするかの如く。感動のピークは差し出した腕と手に見られた。一瞬彼の差し伸べた手と聴衆の手が結ばれたような錯覚があった。単なる錯覚ではなく、心のリレーションが創り上げた幻想だったのだろう。彼の心の高鳴りは私たちと共にあった。会場全体が包まれていた。
 挨拶で今日の演奏会は、彼らの汗と涙と喜びのシンフォニーだと紹介したが、偽りではない。日々部屋で聴くピアノの音色。同じところを何度も何度も繰り返す。苦悩の中で勝ち取った表現。そしてその集大成。それを「汗と涙と喜び」と表現して見た。美しかった。

 おめでとう、演奏会の成功。そして感動をありがとう。素晴らしい学校です、市原中央高等学校。

興奮・ヤッター! エンパシーということ

11月16日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.130 共感や同情ではない


 写真は「市原中央高等学校に新しい風を、校長先生、どうすればいい?」と相談に来てくれた男子生徒。エンパシーの話を考えていたので、思いを想像し、共有しようと努めた。お付き合いありがとう。君が考えている構想、うまくいくよ。

 いや、君ならうまく達成できるよ。会話に力があった。

校長講話

 前期の終業式、後期の始業式を兼ねた式辞で「チンパンジー・サラ」の話をしたことを覚えているだろうか。「思いやりなら猿でもできる」でも他に及ぼすことは「猿にはできない」といった話だった。そこに「ヒト」の力がある。この「思いやり」に似た言葉とつい最近出会った。
 君たちは知っているだろうか。本屋大賞を受賞したノンフィクション本。ブレイディみかこさんがイギリスに住む息子の日常を母親目線でつづったノンフィクション本『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』本校の図書館にも間も無く並ぶのでぜひ読んでみてほしい。
 中学校に通う息子が、人種差別や、貧富のいじめなどに巻き込まれながら、成長していく。貧しい家庭環境の友人に、制服をあげようと考える場面。どう渡せば彼を傷つけないか、悩んだ末に言葉を掛かる。「友だちだから」。共感や同情など(シンパシー)ではなく、他人の感情を想像し、分かち合う力。エンパシー。
 「エンパシーとは何か?」と尋ねられた時に息子が出した答え「誰かの靴を履いてみる」に筆者は気付かされたという。「誰かの靴を履いてみる」ということ、つまり違う立場や考え方の人の考えを想像することと語っている。
 「なるほど」と納得させられるが、ちょっと残念にも思った。インタビューに筆者はこう語る。「履きたくない臭い靴とかもあるじゃないですか。絶対嫌な靴とかもあるから。でもそれでも、履いて歩くことまでは、しなくていいけど、とりあえず履いて、どうなんだろうなと想像してみる。それって勇気のあること。力が必要。」
 この息子が語った「エンパシー」=「誰かの靴を履いてみる」とは、そんな意味だったのだろうか?筆者が語るから間違いないのだろうが、私にはもうワンステップあっていいのかなと思われた。誰しも他人の靴を間違えて履いたことがあるだろう。なんとも言えない違和感。足裏に感じる微妙な傾きやずれ。あの感覚にエンパシーの入口があるのではないか。違いを知ること、馴染まないことを自覚すること、違和感を感じている自分の存在に気づくこと。
 直ちにわかる「ちがい」 + リスペクト =エンパシー
エンパシーの始まりを息子は語ったのではないか。そんな思いがしている。
「エンパシー」難しいことだが、モテる人間でありたい。君たちにもそうあってほしいと願う。

 

音楽 芸術コース(音楽専攻)定期演奏会 明日開催

 11月15日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.129  楽しみにしています

*お車でご来場の方は、市民会館の駐車場をご利用いただけます。

演目はこちら      プログラム.pdf

会場までのバスはこちら バス時刻.pdf

 生徒たちは、今年もこの市原市文化会館でみなさまにお会いできますことを、心より楽しみに練習に励んでまいりました。
 初めての演奏会を開いてから、早いもので三十余年の歳月が流れます。刻まれた歩(あゆみ)は、その時々に悩みや課題はあったと思いますが、優秀な講師陣の生徒一人ひとりに応じたご指導により、生徒たちは熱意を結集して乗り越えた歴史です。これも保護者の皆様の深いご理解とご協力を始め、卒業生や毎年の演奏会を楽しみにしてくださる地域の皆様のご支援の賜物と衷心より感謝申し上げます。
 これほど「琴線」というものの存在を感じさせる催し物はないと思っています。今日、この会場で演奏を披露する生徒諸君の音が上質なだけではありません。奏でる音は、毎日の生徒たちの営み、努力、そしてそれを支える周囲の情熱そのものと結びついて心に響くからです。
 生徒の皆さん、今日のこの時空が設けられることに感謝し、聴く者の琴線を大いに刺激してください。ご来場の皆様、生徒たちの奏でる音にきっと感動していただけけることでしょう。ぜひ彼らの熱く輝く「瞬間」(とき)に、喝采をお願いします。

お祝い 生徒と奈良盆地と関東平野と

11月13日(水) ほぼ毎日・校長 V0l.128 お土産ありがとう

 「大和盆地でなぜ日本文明が生まれたか?」「家康はいかに関東を制覇したか?」「水」をキーワードに紐解く面白い話を聞いた。日本水フォーラム・代表理事の竹村氏のお話しである。奈良盆地が元は湖で豊かな水運インフラが存在したこと、利根川の流れが銚子に向かうのは家康の関東制覇のための策であったこと。ワクワクドキドキの話だった。真面目に学習していれば、当然のことだったのかもしれないが、不勉強な私にとって、新鮮で驚きに満ちた内容だった。知れば知ったかぶりで他人に話したくなる。「知ってた?家康はね・・・」
 カモがネギを背負ってではないが、生徒が土産を手にやってきた。「先生、関西に行くことに決まりそうです」と言って京都のお土産をくれた。このブログのVol.94にお母さんと一緒に登場してくれた歴史研究部の彼である。進学をい考えているその大学に、『城』を研究している先生がいて、その先生に学びたいと思うようになったというのである。すごいなぁ、大学進学でしっかりと焦点が絞れている。さすがである。「お母さんは少し寂しいかも知れないね」と語ると「そうなんです。もう寂しがっています。まだはっきりと決まったわけではないのですが。観光がてらに息子の下宿においでよと慰めておきました」なんだか暖かい母子の関係が感じられて、心がほっこりした。
 ところで「奈良盆地」って湖だったこと知ってるかい?家康が利根川の流れを変えたって知っているかい?さも自分が唱えている説であるかのごとく、講釈師よろしく感動のお裾分け。退屈もせずに付き合ってくれた。かえって「先生それ面白いです。僕の勉強に役立ちそうです」と喜んでくれた。お付き合いありがとうございました。

 そうだね。「水」をキーワードに「城」を考えてみるなんて、面白いかも知れないね。市原中央高生いいね!

関東の地図(東歌とゆかりの地から)
http://kiyotan.net/many_11kantou.html   

奈良盆地の図(奈良盆地の原風景から)https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7 

鉛筆 授業にお邪魔 生徒観察

11月11日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.127 主体的、能動的な学びに向けて


 ルーズリーフのはし切れに、うし・ぶた・ニワトリの絵が描かれて、教室の後ろに飾ってあった。写メに撮って使用したが、持ち主不明で本人の承諾がない(=著作権違反)のである。あまりに可愛いから使ってはみたけれど、後ろめたい。「センセェ!だめ!」だったら申し出てください、すぐに削除します。
 ぜひぜひと思いながらなかなか実行できなかった。11月に入ってから、ちょこちょこ授業にお邪魔して、生徒の様子を拝見している。電子黒板を使って、ICTを駆使したアクティブラーニング。何よりも「すごいな」は、生徒の能動的な取り組みである。これが市原中央の原動力だ。
 数学の女先生が「電子黒板入ったんだけれど、どう使えばいいのか迷っています」この先生、自分の授業のものすごい価値に気づいていないらしい。私は初めて拝見して「これは分かるは」とすぐに感心した。一見、単なるチョーク&トークのように見えるのだが、ちゃんと右脳に語りかけ、左脳で考えさせているのである。私がメモした手帳を見せながら「ほらね。こんなところでビジュアル。それが同じ黒板の上で、論理的に語られている。右脳と左脳を上手く使わせて説明できているんだ」と解説すると、「ほんとだ。こんな見方しなかったです」と自分が発見できたようである。すぐにでも電子黒板使ってみたくなったのではないですか?

 分かる授業が展開できる教員に、わかろうとする能動的な姿勢をもつ生徒。師弟同行です。授業中にもいい瞬間(とき)が流れているこの学校、いいね。

インフォメーション 感動をあらかじめいただきました

11月8日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.126 笑顔の音楽コースの2人

 二階の第二音楽室で鳴っていたグランドピアノの音が止んだ。しばらくあって、ドアをノックする。「どうぞ」という誘いに、明るく笑顔で女子生徒2人が入ってきた。音楽コースの2人である。プログラムが出来上がったので、お礼方々きてくれたのだという。「今、ピアノを弾いていたのは?」と尋ねると、出演するみんなで通し練習をしていたのだという。「やりきった」が言える演奏会にしたいという。
 過日きてくれた後に、音楽の先生が訪ねてくださったことや、その先生の表情がなんとも言えず暖かかった印象を話すと、二人とも「私たちは幸せ者だ」と話してくれた。音楽の先生方が学校の「家族」のような存在なのだという。いいなぁ、生徒にそれを感じてもらえるだけでも、本校の誇りです。
 最近読んだ雑誌に載っていた神経細胞の話。神経細胞は「発火」で繋がりを持つ。その発火はどういう伝達になっているのか。光る時間の長短?光る強さ?長短であるなら、基準が必要だ。そんなものがあるのか?甲論乙駁している脳科学の世界に新しい光がさしてきた。その基準となるような、メトロロームのような細胞が見つかったという。発火のながさの基準となる細胞の発見。しかしそれは個人差がある。その個人差はリレーションで同調してくるのだというのである。
 音楽を聴く感動って似ていないだろうか。奏でる者の情熱や感動、これが伝播するには、発火の長さの基準の同調が必要なのでは?などと考えた。つまらない話しに付き合わせてしまった。『よくわからないけど・・・』という思い顔をしながらも「私たち音楽をやっていることは凄いこと?」
 そうなんだよ。音楽という繋がりの手段、同調の流れ、共鳴の方法をそこまで極めて、聴く者の感動を呼び覚ます。17才、18才でそれが持てていることは、自慢に値するよ。胸をはっていいです。

 16日(土) 定期演奏会。楽しみにしています。いい演奏会になってほしいですね。きっとできます。

会議・研修 アー、もうダメ。助けてください。

11月7日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.125 えっ「友達は彼女を見放しました」?

両側の紅葉は、本文とは無関係です。感動のお裾分け。
 いつも掃除に来てくれる賑やかな二人。二人が入ってきただけで部屋の中がパッと明るくなる。またこの二人は中がいい。勉強のことについてもいいライバルのようで、「えぇ、なんでそんな点数が取れるのぉ」「教えて、教えて。解き方教えて」と賑やかに会話を交わす場面を何度も見ている。羨ましいぐらい中がいいんだ。一方の子が悩んでいる。もう一方の子が「もう親友は見放しました。話を聞いているうちに『イラっ』ってするんです。助けてください。」
 志望動機、面接練習で悩んでいるという。「貴学では・・・」「5分でお悩み解決。校長マジック。付き合ってみるかい?」とまるで詐欺師のように甘い言葉をかけてみた。藁をも掴む気持ちなのだろう。「ぜ、ぜひ」と食いついてきた。
 「面接は考えてきたことを語ってもダメ。自分の内面に宿るPassionを語らないとダメ。やってみよう。本当に君がその大学、その学問に憧れているのなら、5分で大丈夫」
 いつもの会話からは想像できない「将来」を語ってくれた。意外性を感じながらも、それにしっかり焦点が絞られているなら大丈夫だと思った。いつものトライアングル。What?とWhy?で組み立てて行く。見る見るうちに完成した。「裾野に広がる9つの要素、目指している大学にありますか?」「せんせい、あります」「貴学では・・・」もう自分の言葉で、学びに対するPassionが見事に語れるようになっていた。「ありがとうございました!」お礼もそこそこに、元気に満ちた背中が部屋を飛び出していった。担任の先生との面接練習の時間が迫っていたようである。

 5分は嘘だったね。15分はかかったかしら?でもそんな短時間で自己確認のトライアングルを完成できるなんて、やはりうちの子はすごい。いい「瞬間(とき)」を過ごさせていただきました。

キラキラ オルゴールの上の人形のように

11月2日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.124 暖かい日差しのもとでランチタイム


 学校見学会が行われた日の昼下がり。職員の昇降口から外を見ると、中学生とその保護者の方々がお帰りになったバスターミナルで、女子生徒がくるくると回っている。しっかりと軸を作って、見事に回転している。きっとバレーの心得があるのだろう。『まるでオルゴールの上のバレリーナ人形だなぁ』。そのすぐそばの掲揚ポールの下には、暖かい日差しを求めて生徒たちが集っている。ランチタイムである。よく見かけるこの生徒たち。あまりに楽しそうなので、お邪魔して、写真を一枚。二枚。被写体の生徒たちが一斉に「こんにちは」と挨拶をした。振り返ると、一人の先生がこちらに近づいてきて、「校長先生もご一緒に」と、生徒と一緒にパシャリと集合写真。先生エアドロでDATAください。ワイワイと写真交換会が始まった。
 何気ない「瞬間(とき)」なのだが、温かい。市原中央高等学校の素晴らしさってこんな些細なところに現れてくる。

 ありがとう、生徒たち。ありがとう先生。いい学校です。

王冠 ギョギョギョ!のギョ子生徒

11月1日(金) ほぼ毎日・校長 Vol,123 さかなクンの話で盛り上がった

 「おや?君は・・・」後ろ姿しかみたことがなかったが、すぐにわかった。何度か美術の部屋で、大きなキャンパスに向かっている後ろ姿をみたことがある。集中しているので声もかけづらい。立ち並んでいるイーゼルに置かれたキャンパスの隙間から背中が見える。時々小首を傾げて、しばらくするとまた手を動かしている。あまり緻密な描写は、誤解を招きそうなのでこれぐらいにしておくが、とても集中した素敵な後ろ姿なのである。初めて顔(笑顔)を拝見した。おおいにして後ろ姿で作られたイメージは裏切られるのだが、彼女の場合はそれはなかった。こんな話題から、今手掛けている大作の話に至った。制作途中の作品に関わるお願い。そればかりは、私にどうしようもなかった。「ごめんね」と心から謝って、帰ろうとする彼女に興味について聞いてみた。「絵」が返って来ると思っていた予想に反して、「生き物、特に魚が好きなんです」
 この言葉を皮切りに、さかなクンの話になった。彼がまだこんなにテレビにも出ない頃。知り合いの海辺の家の隣に海洋大学の実習所があって、そこにさかなクンは水槽を持っていた。陽気な青年で、私たちの顔を見ると、「海の中はどうですか?」撮ってきた写真を見て「ありゃ〜、ユウゼンの子供ですねぇ」などと話しかけて来る。「ギョ、ギョ」はまだ持ちネタになかったが、「さかなクン」の愛称はもうすでに持っていた。「魚」を語り始めると止まらない。ある時「砂イソギンチャク」の個体識別について問いかけると、「日高さん、苦手なんですボクぅ」と言って悩み始めた。
こんなエピソードを話して聞かせると「えぇ、さかなクンを知っているのですか?」と目を輝かせている。さっきまで少し残念そうに伏せ目がちだった彼女の目がキラキラ輝いていた。「先生!またきていいですか?この部屋に」「いいよ。いつでもおいで」
 見送るといつもとは違う背中、後ろ姿があった。ニコニコしている後ろ姿。いいね。「秋の日はつるべ落とし」すっかりと暗くなった駐車場の向こう側の校舎の窓に、洛陽の最後の光が映っていた。

花丸 これは凄いことなのだと自分に語り、得心した

10月30日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.122 アウン=サン=スーチー直筆サイン

アウン=サン=スーチーさんの名前を知らない者はいないだろう。ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。彼女の直筆サインが本校の職員昇降口に掲示されている。8月にミャンマーでおきた豪雨被害への支援を、本校のインターアクトクラブの諸君がおこなったところ、アウン=サン=スーチーさんの直筆のサインの入った感謝状が届けられた。
インターアクトの生徒たちの活動は一見地味だが、人の心を動かす。温かくて重みがある。誰も気づかないようなささやかな善意、思いやり。その小さな一歩のあゆみ、動きに、あの「女史」が答えてくれたのだそうである。本校の生徒の善意を受け取ったミャンマーの財団の代表が、彼女を知っていて「日本の若者の気持ちに応えて上げて欲しい」とお願いしてくれたのだそうである。ありがたいことである。顧問の教員がわざわざ見せに来てくれて、「どこに飾りますか」といって、机の背後の棚をみている。「ダメダメ、一番目立つ、一番輝いて見える場所にしよう」として、この場所に落ち着くことになった。日本との関係では、第二次世界大戦の悲しい過去もある。「水島は、『やはり自分は帰るわけには行かないんだ』と思った」懐かしい故郷・日本と戦友たちとの惜別の思い。その中にある揺るぎない決意。独りこの地に残って、共に戦い死んでいった仲間たちの供養をしよう。『ビルマの竪琴』のあのくだりが好きだ。あの本を読んでから、少し近しい気持ちでいるミャンマー。その国の「事実上の首相」と呼ばれることもある女史の直筆サイン。目の前にして心がいっぱいになった。

 ありがとう、市原中央高等学校インターアクトクラブの諸君。感謝です。

 こんにちは。インターアクトクラブです。日頃よりインターアクトの活動にご理解、ご協力頂きありがとうございます。
 インターアクトクラブでは、今年の8月頃ミャンマーでおきた大雨による災害とその被害に対して、募金活動を校内で行い、ドーチンキー財団を通じて義援金として寄付をしました。お陰様で、今回は7,359円集めることができました。先日、財団からアウンサースーチーさん直筆のサイン入り感謝状が届きました。(感謝状は来客・職員用玄関に掲示します。機会がありましたらご覧ください。)
ご協力頂きまして、ありがとうございました。
 今後ともインターアクトクラブの活動にご協力、よろしくお願い致します。
 市原中央高等学校インターアクトクラブ
                          市原中央高等学校Web通信から

 

晴れのち曇り 今日はすべてが内緒なんだねぇ

10月24日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.121 サプライズ


 仲の良さそうな4人の生徒がやってきた。チャイムがなったばかりのお昼休み「いろいろお話があって来たんです」「なんだろう。入って入って」生徒の笑顔に心が暖かくなったのか、嬉しくなってウキウキしている自分がちょっと照れ臭いぐらいだ。『男子1人に、女子3人?』本校の生徒の組み合わせでは、それほど珍しくないのだが、ちょっと「?」。顔に感情が出やすいたちなのだろう、とてもポーカーフェイスは私には無理だ。もう高校生に心を読まれて、「あぁ、音楽コースの3年生です」と自己紹介された。「考えていることがあって、相談して、行こうってことになって、来ちゃいました」口を開いた一人の女子。途切れ途切れに語る経緯。『こんなこと話していいのかなぁ』という遠慮とためらいが感じられて、上品さすら感じさせた。「あのね、・・・」自分たちの企画?企て?もくろみ?挑戦?楽しいサプライズを語ってくれた。「先生だったら、賛成してくれます?」「後輩たちがね。『いいな、私たちも・・・』と思ってくれるものを作りたいんです」いいぞ、いいぞ。単なる思いつきやわがままではなく、きっとこうなるだろうという未来予想図を描いている。企画について、大人ながらの心配事をいくつか投げかけたが、ちゃんと答えも用意している。『すごいなこの子たち』と素直に思いながら、大いに賛成を伝えた。
 ご披露できないが、サプライズ。11月16日(土)の発表会でお披露目です。些細なことだけでど、自分たちや周辺を豊にする術を知っている。市原中央高等学校ってすごい。

部屋の上に第二音楽室があって、グランドピアノが置いてある。休み時間ごとに、ピアノの素晴らしい音色に囲まれて過ごしています。ありがとう。

3ツ星 懐かしい親友のことを思い出した

10月21日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.120 源氏物語を片手に・・・

 田舎育ちの私からみても「いなか」に住んでいた。農家の長男で、長距離走の得意な男だった。左の頬にニキビが多いことまで覚えている。心の広い男で、わがままな私と妙に気が合った。「しょうがない、長男だし。いいなぁ日髙は」彼は大学に進まず家を継いだ。「game」というニックネームでみんなから親しまれていた。大学に進学した私が、箱根の走者と偶然話をした時「そうですか、○○高校ですか。陸上競技部に●●君がいたでしょう。(大学は)どこへ行きました」とgameの名前に思わず出会った。『へぇ、あいつすごいやつだったんだ』
 彼のことを思い出させたのは、写真の向かって右側の書物で顔を隠している女子生徒。装丁から小学館の古典文学全集であることがわかる。「何を読んでいるの?」と尋ねると、黙って背表紙を見せてくれた。「源氏物語」である。「すごいね、高校時代に源氏を読破しようなんて、すごいね。僕の友人にねgameと言うのがいて、暇さえあれば源氏を読んでいた。」思い出話を勝手に聞かせてしまった。文学部に進んで「女流文学を学びたい」と目を輝かせて語ってくれた。「虚構」という問題について語った。高校生には難しいかもしれないと思ったが、彼女はちゃんとついてきた。「『今』に通じるところがあるんです」正伝はhistoryと言う通り男が作ってきたかもしれない。でも女性の持つあの力、創造力は男にはない。羨ましいほどの豊な力である。

 知性に輝く目が美しい生徒でした。大学に行ってもその輝き、失わないでくださいね。市原中央高校生は素敵だ。

合格 進学指導講話ー不易なものー

10月18日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.119 秋風の吹く頃、木枯らしの吹く頃が一つの山


 7時間目のLHRの時間を活用して、進学指導講和が行われた。写真は3年生の集会の様子。よく知る男子生徒が体育館に入ってきたので、「進路、どうするんだ?」と尋ねてみた。かねてからいい目をしている彼だが「やっています」が烱々とした眼に伺えた。案の定「センター、一般一本です」と朴訥としているが、説得のある響の返事が返ってきた。こういう頃の青年の目は大好きだ。
 講話が始まった。私立(都内)の大学の定数厳格化により、二極化していた大学の枠が重なって、ファジーな位置関係になった。2020年の入試改革を目の前に、安全志向が働く。難関大と呼ばれていた大学の受験者が減少してくる。この踏ん張りって大切じゃないか。受験生にとってピンチをチャンスと考えてチャレンジする。いい機会が、いま君たちの前にやってきている。
 「そんなこと言って、受験に失敗したら、どうするんですか?誰が責任をとってくれるんですか」よく耳にした言葉である。「心が折れる」のである。本人はスランプに陥って、悩んでいる。頑張っても、頑張っても模試の結果が伸びない。その姿を見ていた「心折れ」part1。3教科に変更!AO入試!推薦入試!みんな決まっているし、焦る。ちょうど今頃、夏の終わりから、秋風が立つ頃。乗り切った受験生に対し、part2は木枯らし第一号とともにやってくる。「どこでもいいんじゃないか?ある程度のところで安全策をとっておこう」=志望校DOWN。今も昔も語ることは同じだ。
 現役の頃に辛い思いをしながら指導にあたった覚えがある。「先生、推薦」「文転するかなぁ」「出ないんだ結果が、無理かも」親御さんも、教員も辛い。もちろん生徒本人も辛い。だからこそ頑張り時だ。「心が折れそうになる」のをどこまで頑張れるか。いよいよ今年もそんな季節がやってきた。

頑張れ、市原中央高等学校生! 

 駿台予備校の講師の先生配布資料から。カラーのマークは日高が付けました。

お知らせ ラストシーンの「顔なし」になってごらん

10月17日(木) Vol.118 二人で哲学対話 人間関係って難しい

 自宅に帰ってDVDの山をごそごそ探した。TV録画をしていたものがあったはずである。整理整頓ができていないから、見つからない。でも探した。放課後の女子生徒との会話は、どうしても「それ」を確かめたい衝動にかられた。「千と千尋の物語」ラストシーンの「顔なし」である。
 彼女は少し悩んでいた。人間関係だという。詳細は秘密だから、もちろん語れないが、その問題にぶつかり、どうにかしたいと思っている。いつも本校の子供達は、結論を求めてやってこない。「聞いてくださいよ、私(僕)の話・・・」と言ったスタンスである。どんな流れでそうなったか、「顔なし」の話になった。きっと私の中では、個の内部で増幅する「魔物」のようなことを話したかったのだろう。人間関係の悩みはこの歳になってもあるし、尽きない。うまい処し方も知っている訳ではないが「相手を変えるのではなく自分が変わるは、結構有効だね」とか、「流行語対象の『そだねー』から関係づくりをするといいよ」などと語ることが多いので、それかなと思う。自分の中で育った「魔物」は、そのまま相手を「魔物」にしてしまう。消そう。自分が変わって、消そう。ラストシーンの「顔なし」、おとなしくなって千尋と一緒に銭婆の所へいくのだろう。
 女子生徒は予期せぬ答えを返してきた。「自分の存在が認められたから?」それを要にしながら、どうあればいいのか、考えた。二人で哲学対話。出た結論が、ラストシーンの顔なしになってみようだった。

 正解のない問いかけに、複雑な話の流れ、部屋にきた時より分からなくなったかも知れないが、「ありがとうございます」と言って部屋から暗くなった廊下に出て行った。『寒くなったな』と思いながら見送ると、すくっと伸びた背筋の後ろ姿があった。いいね、市原中央高等学校生。

お知らせ できた!体育祭!

10月15日(火) Vol.117 台風で順延になった祭典

第35回体育祭に寄せて
 まずは台風15号で被災された皆様に、お見舞い申し上げますとともに、1日も早い復旧復興をお祈りいたします。
 清々しい季節の中で、保護者会会長をはじめ多くのご来賓の方々のご臨席を賜り、第35回体育祭を実行できますことは、この上ない喜びであります。
 その喜びと同時に、この体育祭を迎えるにあたっての、校長としてのもう一つの喜びをお伝えしておこうと思います。自然災害に大きな打撃と影響を受け、準備期間も十分に取れない中でこの日を迎えました。中には「中止」の考えもあったと聞きます。あの状況下では当然のことだと思います。しかしその中で、前に進むことを決意し、「今何ができるか」「この苦境の中で何をすべきか」を考えながら、実施にまで漕ぎつけた力は素晴らしい。それを選択し一歩一歩確かに踏みしめて来た、その力を生徒諸君が持ってくれた喜びであります。東日本大震災の時に、釜石の小学生が「奇跡」と呼ばれる避難を見事にやってのけた。あの時も子供達の支えになったのは、「諦めない」「前に進む」という気持ちだったと聞いています。人が協働で何かを成しとげようとする時、方向性を定め団結を生むのは、この力なのだろうと思っています。ぜひ大切にしてください。いいものを持っています。
 最後になりましたが、保護者の皆様には、日頃から多岐にわたるご支援を賜り、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。この「瞬間(とき)」をお子様と一緒に楽しんでいただければ幸いです。言葉整いませんが、挨拶といたします。(プログラム挨拶文から)

まる ほぼ5日に一回・校長?ですか

10月11日(金)あたりの回想 ほぼ毎日・校長 Vol.116 話題がなかった訳ではないのです

 体育祭の応援にお見えになったある保護者の方が「先生!ほぼ5日に一回・校長ですか」と声をかけてくださった。ブログをまめにチェックいただいている。様々な案件に翻弄されて、自分が向くべき方向を見失っていたのかもしれない。こう書くと、きっとこのお母さんは、「ですねぇ」と共感してくださると思う。「申し訳ない」は生徒への言葉。筆が進まないのは、生徒の方を向けていない証拠だと思っている。で数日の回想。

 「先生、やろうよ哲学対話。台風で流れてしまって、あれっきりだ。結構楽しみにしているんだ」と嬉しい呼びかけをしてくれたのは、1年の男子生徒。ジェネレーションリングの交わりの中で、自分色が作られて来るんだ。例えば赤の文化を持った親と、白の文化を新たな世代(自分)の文化と捨子の世代。いい交わり方をすると、赤をしっかりと継承した鮮やかなピンクがね・・・。そんな話をしながら誘った生徒たちである。「今日の話でしっかり焼きついたのは『ピンク』」と言いながら部屋を出て行った生徒である。いいねぇ、やろう、やろう。放課後ね。

 「ルーチンなんです。青いかもしれないけれど、同じところぐるぐる回っている。なのも結論が出なくて、誰かとこうして語っていると、何か生まれるかと思って。付き合ってください」2年の男子生徒。いいじゃない。ぐるぐる回ろうよ。特権だよ。ただスパイラルのように、少しずつ上昇しようよ。しているはずだよ。この日は、ある結論を伝えにきた。部活の先生に背中を押されて、一歩前に踏み出すことにした。まずは校長に報告と思ってやってきたのだという。いいね、嬉しいね。ほらちゃんと上昇している。自分では自覚できないけれそ、ちゃんとプラスのスパイラルに乗っかっている。またおいで。とりとめもない話をしよう。

 うーん、どこかであったぞ。一度この部屋に来たよね。誰と一緒だったかも定かではない。部屋を訪ねてくれた女子2人を見ながらそう思った。記憶への繋がりの糸は細いが強く、そして意図や自覚を超えて、偶然的で刹那的に「もの」と結びついているものである。一人の女子の仕草で記憶は呼び覚まされた。それは右手を口元にやる仕草。彼女がその仕草をとった途端に蘇った。インターアクトの2年の先輩に連れられてやってきた1年生だ。この日は、本校からこの2人が、ロータリー主催の海外派遣に選ばれ、近々マレーシアに行くことになったという報告にきてくれた。「何が楽しみ?」と尋ねると、とっても真面目で模範的な答えが帰ってきた。それも大切だけど、美味しいものいっぱい食べておいで。その国の特徴をよく表した、美味しいもの食べておいで。だって君たちがいく国は、美しくそしてとっても美味しい国なんだよ。行ってらっしゃい。

重要 見事だ!中庭の温かい雰囲気が目に浮かぶ

10月10日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.115 インスタ映えしますね

 台風が近づいている。15号の被災も復旧しないのに、神も罪なことをなさる。鬱々とする中、担当してくれていた先生が、「できました」と報告してくれた。昨日のブログに書いた「蘇るクマさんたち」なのである。生命が吹き込まれた。廃材となってどこかで朽ち果てるのではなく、見事な「いのち」として蘇っている。生徒たちの喜ぶ声が聞こえてきそうだ。木一吉(きいちきち)さん、ありがとうございます。
 下校バスの放送が入っている。賑やかだった学校が静かになった。歌声が聞こえなくなった。淡墨をさっと刷毛で掃いたような曇り空が重い。「校長先生、ブログの写真できましたね。インスタ映え」と声が聞こえた。じっとこちらを見つめている木彫りのリスとクマ。彼らが語りかけてくれたのかと思った。本当にいのちあるものなのである。振り向くと「琴音様」とそのお友達が立っていた。

 今日も温かい気持ちで一日を終えることができそうである。いいね、市原中央高等学校。感謝。