お祝い 本校生徒の中に息づく日本

1月8日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.151 嬉しかったなぁ

新年・校長講話
「あけましておめでとうございます。良い年を迎えましたか?」
「はい、ありがとうございます。先生はいかがですか」
「はい、良い年を迎えました。ありがとう」

 今年になって初めてあった本校生徒との新年の挨拶である。何気ない挨拶なのだが、私はこの生徒の生活環境や、大きく言えば「育ち」に感心した。それは、このオリンピックイヤーと呼ばれる2020年にあたって、ちょっと考えてみたいことにつながっている。
 私は2度目の東京オリンピックを迎える。小学生の頃、ワクワクドキドキしながら、白黒のテレビの前に家族で集った。祖母も父母も兄弟も、テレビのない親戚も。近所の家はカラーテレビだった記憶がある。ちょっと悔しかった。粒子の荒い映像でブラウン管に映る選手たちの勝敗や記録に一喜一憂した。会場の臨場感をそのまま茶の間に持ち込んで楽しんだ。時は流れ、そこに集った者たちの多くは、鬼籍に名を連ねるものとなってしまった。記憶の片隅に「あの日ローマで眺めた月が、今日は・・オリンピックの顔と顔」三波春夫の東京五輪音頭のリズムと朧げな歌詞が残っている。
 今回の「オリンピック2020」は、ガンダムが衛星で打ち上げられ、地球・東京に向かって、開催期間中にずっと応援メッセージを送るそうだ。時代が違う。ソサエティ5.0(5G)の時代が、いよいよ本格的に始まる。そんな急速な時代の流れの中で、狂言師・野村萬斎氏は開会式で日本の伝統を踏まえた催しを企画しているらしい。日本の伝統と新しい技術革新のコラボレーションである。楽しみである。
 「らしさ」の追求である。忙しく移り変わる時代。そんな中にあってこそ「らしさ」が求め、問われるのである。どうすれば我々日本人が持っている「らしさ」(オリジナリティ)が伝えられるか、腐心しているのである。
 みんなと一緒がいい。違うことは勇気のいること。大勢の中の一人であることが安心な時代ではないのである。自分「らしさ」を考え、「自分って何」「違っていいんだ」その中で、率先垂範や、同僚支援、方向性指示の力を求めつづけるスタートの年にしていただきたいと思う。
 先ほど紹介した本校生徒との新年の挨拶。この中には、大切な日本の心がある。そんな風に思う。まだ始まって間もいない1年に対し、「良いお年をお迎えになりましたか?」いかにもおかしな問いかけであるけれども、「ありがとうございます。そちら様は?」と返す。言葉による呪言(寿ぎ・ことほぎ)、相手に「幸」を贈る。贈られた者は、感謝の気持ちを込めて相手に「幸」を贈る。互いを尊重する「日本の文化(らしさ)」なのである。前回のオリンピックを一緒に楽しんだ、鬼籍に名を連ねるものたちの時代には、自然に存在した「日本文化・らしさ」である。
 これを意図せず本校の生徒から感じ取ることができた。生徒の中に息づいていることに喜びを感じた。こんな嬉しいことはない。こんな頼もしいことはない。生徒のおかげで、私の一年は「いい一年」になる。
 いま私は、全校生徒と本校の全職員、この文章を読んでくださっている関係諸氏に同じ「幸」を与えたい。寿ぎを
  あなたたちにとってこの一年は最良の年です。いい年を迎えました。
  あけましておめでとうございます。
  今年も、市原中央高等学校をよろしくお願いいたします。