お祝い 言い忘れがなかっただろうか

4月14日(火) ほぼ毎日・校長 卒業おめでとう

机上の電話が鳴り、受話器を取ると「ぜひ校長先生とお話がという保護者の方が・・・」副校長先生が少し困惑した声で事情を伝えてきた。長く電話でご説明し、納得いただけているのだが、最後にぜひ校長先生と話をしたい。替わると、開口一番「やっと出てくれた、校長先生。やってやくださいよ卒業式。規模縮小でもいい、みんなと会う機会をあげてくださいよ。教頭先生も、副校長先生も『やる方向で検討中』、そんなんじゃ終われない。先生から一言『安心してください。必ず』と聞きたい」心を絞るような声でお父さんが語りかけてきた。私の回答に「本当だね。絶対ですよ。でないと、子供が不憫で・・・。その友達も今みんな来ている。お父さん学校に電話して・・・って言っている。いいですね、校長先生が約束してくれたって伝えていいですね」
もう1月以上も前の話だが、お父さんの声も、話の内容も、感情もみんな覚えている。心からありがたいなぁと思った。3月18日、卒業証書授与式を挙行した。コロナ騒ぎで縮小した挙行だったが、よかった。

 春風駘蕩、梅花馥郁と薫るこのよき日に・・・通常卒業式の式辞の冒頭はこれで始めることにしている。今年は違う。猛威を振るうウィルスのおかげで、季節がひとつずれたような時期に、君たちとの別れをする。「ふつうでない」と感じる者も多いだろう。「異常」「想定外」などという言葉を当てはめてみたら、ぴったりする感覚を感じるものも多いだろう。しかし、我々が、いや君たちがいきるこの時代に、「異常でない」「想定内である」はどこにあるだろう。触れるものすべてが「思いもよらなかった」というものばかりが蔓延、氾濫する時代である。式辞では普通、グローバル化、情報化が進み、狭くなった地球の、激流のように流れる時の流れの中で・・・と続けるのだが、そういう時代であるからこそ、大切になることを語っておきたいとおもう。今日はひとつ予想だにしない式辞で君たちのはなむけの言葉としたいと思う。
私におおきな影響を与えた青年の話である。もう10年も以上も前の話。病院に隣接する学校に勤務していた。着任して日も浅い4月初め。今日のような春の日である。陽が当たる病院から学校に続く渡り廊下を、電動車いすでゆっくりと渡ってくる青年がいる。あの時の彼は、今の君たちと同じくらいの17・8歳。傍まで来て「新しくお見えになった校長先生ですか?」と語りかけてくれた。名前を「KAI」(たしか「海」とかいて「かい」)君という。笑顔のすがすがしい青年である。久しぶりにみたような気がした、澄んだ目の持ち主である。生徒会長である。しばらく話をして病棟に帰っていった。
はじめて会話を交わした生徒だったので、印象深かった。毎日病棟からやってきて、お昼は病棟に帰って昼食。午後やってきて授業が終わるとまた病棟に帰っていく。昼休み彼が帰っていく姿を何度となく見ているうちに、あることに気づいた。彼は必ずわたり廊下の、同じ個所で車いすを止めて、中庭の一角を眺めて帰っていく。ほんの数秒のことだったに違いない。私には10秒にも20秒にも、それ以上に長く感じた。彼の視線の先には、今を盛りと咲いている菜の花があった。
彼の中にそんな思いがあったのかどうか確かめたことはない。この話をするたびに、自分のなかで増幅されたストーリーであるだけのような気になってくる。「花を見つめることの意味」を私は感じ取った。彼は、筋線維の破壊・変性(筋壊死)と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患筋ジストロフィーという病に支配されている。そのことを知った時に「菜の花を見つめることの意味」を私は付加したのだろう。彼にとって毎年訪れる「春」、菜の花をめでることは、「筋萎縮と筋力低下の進行」を確認すること。「昨年まで腕は動いていたのに、今年は指先しか動かない」を知ること。病棟に「ただいま!」と言って帰り、同室の仲間と話をする。それは、数年後の自分の姿を見ること。
私は「ちがう」と思った。私のような年老いたものが、春の桜花を見るたびに、「あと何回この桜をみられるのだろう」と考えたり「あの頃のわたしは」とよみがえる思い出に浸るのは世の常である。それはいい。しかし、17・8の青年がそれを感じてはいけない。それが「ちがう」なのである。それまでここに集っている君たちと同じように、今を懸命に生きている元気溌剌生徒と接していた自分が、気づかなかったことを彼は教えてくれた。どんな者も自らの「生」と向き合いながら生きているんだという、大切なことを彼は教えてくれた。吉野弘の詩「I was born」。確かに誕生は生まれる者の意志は介在しないが、自らの「生」として強く生きること。君たちの「生」に託されるさまざまな思いを受け止めながら・・・
「命」を大切にしてほしい。他者のも己のも。「ふつうでない」が蔓延する時代だからこそ。それをつたえて、私の式辞、君たちの門出のはなむけとしたい。
さあ、35期生の諸君、いよいよお別れの時です。この学校での3年間を糧に、いい人生を歩んでください。君たちの将来が幸多からんことを心より祈ります。
卒業、おめでとう
令和二年三月一八日
   君津学園 市原中央高等学校長 日高 学
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