タグ:雑感

了解 いつもありがとうの生徒たち

2月5日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.158 明るい笑顔で一生懸命

 写真に写っているのは2年生の生徒たち。校長室の清掃当番で、代わる代わるやってきてくれる。まだ少し生徒たちにも遠慮があるのか、私にも遠慮があるのか、『何を話せばいいだろう?』と構えてしまうところがある。もう一つ、最近夕刻に不在になったり会議が入ったりで、校長室の掃除が応接室だけになってしまうことがあって、会えないことが多い。でも話しかけるとみんな笑顔で応じてくれる。いつもきてくれる一人の女子がいない。代わりにきてくれた生徒に「どうした?」と尋ね、話してくれた事情を聞いてから、その子のことを「まいこ」さんと呼んでいる。理由はこの子たちと私だけの秘密です。その話題に他の生徒と興じていると、当番が替わって本人が訪れたとき「あっ、君は・・・」と声をかけると「はい『まいこ』です」と応じてくれた。「素敵な名前があるのに・・・ごめんごめん」ちゃんと君の本名は覚えていますよ。
 校長室の会話、生徒間で話題にしている。ただそれだけのこと、ただそれだけの会話なのですが、生徒と校長がこんなたわいもない会話ができる市原中央高等学校って、いいと思いませんか。自慢、自慢。嬉しい、嬉しい。

花丸 素敵な週末、保護者の方との会話

2月3日(月) Vol.157  校長講話が話題ですか?嬉しいですね+こども歌舞伎

(左斜め上の写真とその他の画像に関連はありません)
 週末に素敵な保護者の方々とあった。3年生の常任委員を努めてくださっている方が会する機会、そこで出た会話。「先生、うちの下のが『今日の校長講話はね。・・・兄貴。話に出てたよ』って帰って来たんですどんな話だったのですか?」「そうそううちはまだ2年なんですが、放送の校長講話よかったって言っていました」と嬉しい話題が飛び出してきた。大抵校長の話なんて、右の耳から左の耳へと通り過ぎるものなのだが、ちゃんと聞いてくれていてくれて、ご家庭で話題にもなるなんてすごいと感動したのです。まぁ、話がよかったなんてのはお世辞なのでしょうが、いい環境でみんな育っているのだなぁ。嬉しい限りです。「こどもたちの持っている「もの」の高尚さや奥深さの話をしたのですよ。」と語り、録音していたピアノ・ショパン「革命」を聞いていただいたり、お城の好きな息子さんのお話をさせていただいた。するとある保護者のかたが「Yさんちの息子さん、ミュージカル舞台デビュー。観にいくんです」と紹介してくださった。隣に座っていたお母さんが「Yの母です」。Vol131の音楽コースの男子生徒の保護者の方でした。すごいなぁ。「そうそう、こども歌舞伎をやっている生徒がいましてね。無理やり招待をおねだりしたら・・・」2月2日に県文化会館で公演があることを話題にした。
 行ってきました。楽しみにしていたその期待以上の生徒の姿に驚きを感じてきました。持っている「もの」の高尚さや奥深さの再確認です。感動していると、お昼過ぎにその生徒のお母さんがわざわざお礼にきてくださった。日頃の生徒との触れ合いや、彼を取り巻く友人の素晴らしさをご報告し、ひょんなところから「写真」の世界に話題が飛び、ボルネオ島のオランウータンの話やマレーシアの夕陽、サバンナのシマウマの話で盛り上がった。この母あってあの息子ありなのですね。

 いい瞬間(とき)をありがとうございました。ほぼ毎日・校長は幸せ者です。

音楽 この瞳、この笑顔どこかで見た気がする

1月24日(金) ほぼ毎日・校長Vol.153 2週間ぶりの投稿

 3年生が自宅学習に入ってから部屋を訪れる生徒がめっきり減った。寂しい。と言うより部屋のドアを閉めていることが多くなり、繋がりを閉ざしていたのは私の方なのかもしれない。年度末になるとなんだか忙しい、慌ただしい。
 今日も部屋に籠もってPCと向き合っている。自分らしくないなと思いながらも、目の前にある山積みの仕事と格闘していた。ドアがノックされた気がした。風の悪戯かと思えるほどの微かなノック。「はい」と返事をしてドアを開けてみると、見知った3年生の女子が立っている。音楽コースの生徒である。みんなが進路を決める中、自分はまだこれから挑戦を・・・。少し不安の影を宿した面持ちで「頑張っているんです」を伝えにきてくれたのである。音楽の道へ進む彼女は、今が山場なのだろう。「それでね先生、試験で弾く楽曲を聞いていただきたくて」と嬉しいお願いをしてくれた。ぜひ一度聴いて欲しいと語ってくれた。「いつが空いていますか?」「そうだね」今から楽しみである。
 部屋を出ていくとき、「受験で卒業式に出られないかもしれない」と少し寂しそうに語った。「そう、そうなったら担任の先生と一緒に、この校長室で卒業式をやろう」
 そうだ、あの瞳、あの笑顔。かつての教子の吹奏楽の部長、かつての教子の書道部のパフォーマンス部長。彼女たちの輝く瞳、柔らかい優しい笑顔と同じだ。何かに夢中になって、真剣に取り組んでいる若者の輝きは美しい。うらやましくなった。市原中央高等学校、いいね。

お祝い 生徒がくれた贈り物 Part2

12月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.150 合格報告と学びの共有

 「先生、お時間よろしいですか?」ドアをノックする音と共に、丁寧な挨拶で2人の生徒が入ってきた。応接に座って話し込んでいた教員が「オヤ、生徒ですね。では私はこれで」と言って立ち上がった。心遣いが嬉しかった。
 一人はVol.120に登場した「源氏物語」を読んでいる彼女である。「久しぶりだね」と声をかけると「合格報告に友だちときました」と言ってもう一人の彼女を紹介してくれた。表彰式の壇上で「成績優秀者」として何度か顔を見たことのある彼女。部屋を訪ねてくれるのは初めてである。二人が報告してくれた「合格」は立派なものである。「ところでそこでなにを学びたいの?」背伸びをさせるような質問をしてみた。思いもよらぬ答えが返ってきた。「言語学なんです」専門に研究している友人たちでもうまく設定できない、多様な切り口のある分野である。その学びにむけた思いを称賛し、語ってくれた学問の世界に感心した。あまりに素晴らしいと感じたので、ソシュールの「ラング」と「パロール」の話の入り口を語ってみたところで、さらに驚いた。彼女は既にこの単語だけでなく、意味までも知っていたのである。
 「源氏」を片手に廊下を歩いている彼女といい、ソシュールの世界の扉を開いている彼女といい、うちの生徒の新たな一面を発見した気がした。市原中央高等学校、すごいです。いいね。

注意 こだわりが生んだ大切なもの

12月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.148 こちらこそありがとう

 覚えているだろうか、先日このブログ(Vol144)で紹介した彼女。笑顔で部屋に入ってきた。愛犬自慢、拘っているんです、「また来ていいですか?」「ええよぉ」、パラサイトの彼女である。あの時は心底思い詰めたような感じがあった、手元の手帳に大切に挟んだメモを見ながら、確かに涙を流していた。私との会話の中で、自分の思いにスラッシュ「/」を引くように区切りをつけて、しっかり結んだ唇に「決」の文字が浮き出てくるような、キッパリとした表情を見せる。笑顔で「やってみます」。竹を割ったような性格とはこのことを言うのだろうと思った。
 その彼女が、今日は最初から笑顔である。しかし私にはその笑顔が、重い我慢と自律によって裏打ちされていることが見て取れた。笑っているが心が笑っていない。案の定彼女の口からは「ダメでしたぁ」と言う一言。「こんなもんですよね」あらら、こんなに若い頃に「世間」を感じ取らせてしまった。こりゃぁいかんと思った戸惑いは、次の言葉で払拭された。「『なんとかなる』『無理にでもなんとかしてほしい』ではないんです。分かって欲しかっただけなんです、きっと」自分を見つめ直した時にそう見えたのだろう。「それを校長先生がしてくださったので」(←ここ太文字にしたい)そんな風にとってくれているなんて、嬉しい限りなのである。
 康成の「伊豆の踊り子」だっただろうか。「いいひとはいいね」踊り子とその連れの会話の中に、自分に対する「いい人」評価を聞いた主人公は、素直に自分をいい人と感じることができたと言う描写があったことを思い出した。彼女の一言で私は、自分を本当にいい人と、素直に、自分で、照れもなく思っていた。彼女の笑顔も、さっきの笑顔とは違う。心も笑顔になっている。こだわりが産んだ副産物?なのかな。将来彼女もきっとこんな思いをしたりさせたりする経験をしてくれるのだろうな。
 「パラサイト、拘ってね」「はーい」明るく部屋を出て行ってしまった。「また来ていいですか?」「ええよぉ」は、今回はなかった。少し寂しい。

  いい瞬間(とき)を過ごしています。市原中央高等学校生。いいね!

! こだわっています

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.144 先ずはワンコ自慢から


 予約の彼女がやってきた。今週の月曜日、日も暮れて寒さを感じ始めるころ。一人の女子生徒がやってきた。「あぁ、ごめんね。これから職員会議で・・・時間がないんだよ」うつむいて「少しの時間でもダメですか?」深刻な雰囲気である。「じゃぁ10分ね」本当に時間がなかったので、10分のお約束。見事に自分の辛い?悲しい?苦しい?痛い?思いをわかりやすく語ってくれた。なるほど、聞いていて深刻である。このまま置いていくのも?と思いながら、「会議が終わるのを待っているかい?」と尋ねると、いつか時間をとってほしいと素直な気持ちを言葉にした。それが今日のお昼休み。
 昼食も摂らずにやってきた。「ありがとうございます」という言葉がドアの内側に入ってきた。気持ちを和らげようと、うちの犬(ジュニアくん)の写真。「可愛いだろう。先生メロメロなんだよ」と語ると、彼女も9歳になるチワワとポメのミックス犬の写真を見せてくれた。マーブルのコートが美しいわんちゃんだった。「いいね、愛情たっぷりの子だね。飼い主さんの愛情がそのまま表情に出ている」
 お互いのワンコ自慢で雰囲気を和らげて、本題に入った。そうなんだよ、君たちぐらいの歳までは、さっきのワンコと同じように、愛情たっぷりの経験をしなければいけないんだよ。果実が太陽の光をいっぱい浴びて甘く美味しくなるように。その意味ではキミの経験は、ズキズキと疼(うず)く傷跡がついたかもしれないね。先生は、いま一生懸命その傷に軟膏を刷り込んで、少しでも痛みが和らぐようにしているんだけれど、利いていますか?「先生、ありがとうございます。このことがあってから、色々な先生が関わってくれて、いっぱい軟膏を塗ってくれたような気がします。痛み残っていません」と答えてくれた。「でも、こだわりがある。つまらないことなんですが、こだわりがあるんです。自分で納得のいく方法見つけてやってみます。ダメだったら、また来ていいですか?」「ええよぉ」
 なーんだ、いい環境でいい瞬間(とき)の学校生活を送っているんだ。よかった。彼女はドアを出ていく時に語った。「先生、私パラサイト(寄生虫)に興味があるんです。大学で勉強しようと思っているんです。」
 ほぉ、「パラサイトが地球の危機を救う」頭の中に奇妙なキャッチフレーズが浮かんだ。???なんだか、市原中央高等学校って面白い。

花丸 やはり日本はすごい国だ

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.143 おもてなし

https://www.youtube.com/watch?v=6hggygKWwhg
YouTube ANN・News「滝川クリステルさんのプレゼンテーション」から

 この写真の切り取り。女性の手の配りを見て、誰しもが同じシーンを想像するだろう。そう2013年に、ブエノスアイレスで来年(2020年)のオリンピック開催地を決めるオリンピック委員会の総会が行われた。滝川クリステルさんの東京プレゼンテーションの「お・も・て・な・し」の瞬間である。彼女は語る。「東京は安全な、思いやりのある都市です。あなたが何かを失ったとしても、それはきっとあなたの手元に戻ってくるでしょう。」
 このプレゼンに、ある評論家は「うそ」を指摘する。今時の日本を・・・という寂しい見解である。しかし「寂しい」と感じながらも、「確かに」と首肯する自分がいることに気づく。ところがこの滝川さんの「お・も・て・な・し」を身をもって体験した生徒がいる。過日行われた修学旅行で、数万円の現金の入った財布を失った。どこで失ったかわからない。記憶を辿っても行き着かない。落胆しながらも、仲間の助けを借りて旅行を満喫して帰ってきた。しばらく経ったある日、旅行先の警察署から財布の拾得があったという連絡がこの生徒の元に届いた。全て失った時のまま。現金もカードも、全てが揃って手元に戻ってきた。安全な、思いやりのある国の「お・も・て・な・し」をいっぱい詰めたお財布が帰ってきた。
 「すごい」と感じたのは、財布が戻ってきたことだけではない。この経験をしたこの生徒の成長に目を向けてみよう。きっとよほどの大きな「裏切り」がない限り、この生徒は経験を行動規範として持つことだろう。同じようなシチュエーションに逆の立場で遭遇した時、この生徒はきっと内面にある「お・も・て・な・し」を発現するに違いない。潜在的な意識、善行としての「お・も・て・な・し」、それを何気なく身につけさせる文化や環境がこの国にはある。すごい。

 いい成長しています。市原中央高等学校生。いいね。

お祝い 訪れた彼の目的は・・・

11月29日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.142 行ったんですね名古屋城。いいなぁ


 このブログに何度も登場している(母とも一緒に登場している)歴史研究部の彼がやってきた。手にしているのは「合格証書」。難関の大学、尊敬する教授のいる希望の大学の合格証書である。あの時「受験報告ではなく合格報告にきて欲しいなぁ、そうあってくれるとなお嬉しいな」と語ったことを覚えていて、きてくれたのである。「おめでとう」の一声で迎えた。
 ところが彼の口から発せられたのは、「校長先生、行ったんですね名古屋城。G20の関係で無理かと思っていたのに、行けたんですね。」であった。本題であろう「合格」とそれに関わる話を・・・と思っても、「あの天守閣は、今度木造建築・・・」「戦火で焼失して以来・・・」「今は入れない天守閣の・・・」矢継ぎ早に出てくる。彼の「城」に関する興味関心はすごい。興味関心だけでなく並外れた知見を有している。「えぇ、ブログの写真、記事無くなったんですかぁ?残念」話が尽きないのである。
 しばらく彼のお話しに付き合いをさせていただいて、合格証書を手に一枚パシャリ。下宿はどうする。「大学から一駅離れたいいアパートが見つかったんです。決めてきました。」『きっと母は泣いたんだろうな』と思っていると、その思いを察するように、「在学中は何度も母にきてもらおうと思います。古都の観光を4年間でいやというほどしてもらいます」と言葉をかけて部屋を後にした。

 大学進学の頃に母に対してこんな気持ち持っていたかな?拙かった自分のそのことと比べて、人間的にもいい成長していると感じた。いい成長をしています生徒たち。市原中央高等学校、いいね。

王冠 ギョギョギョ!のギョ子生徒

11月1日(金) ほぼ毎日・校長 Vol,123 さかなクンの話で盛り上がった

 「おや?君は・・・」後ろ姿しかみたことがなかったが、すぐにわかった。何度か美術の部屋で、大きなキャンパスに向かっている後ろ姿をみたことがある。集中しているので声もかけづらい。立ち並んでいるイーゼルに置かれたキャンパスの隙間から背中が見える。時々小首を傾げて、しばらくするとまた手を動かしている。あまり緻密な描写は、誤解を招きそうなのでこれぐらいにしておくが、とても集中した素敵な後ろ姿なのである。初めて顔(笑顔)を拝見した。おおいにして後ろ姿で作られたイメージは裏切られるのだが、彼女の場合はそれはなかった。こんな話題から、今手掛けている大作の話に至った。制作途中の作品に関わるお願い。そればかりは、私にどうしようもなかった。「ごめんね」と心から謝って、帰ろうとする彼女に興味について聞いてみた。「絵」が返って来ると思っていた予想に反して、「生き物、特に魚が好きなんです」
 この言葉を皮切りに、さかなクンの話になった。彼がまだこんなにテレビにも出ない頃。知り合いの海辺の家の隣に海洋大学の実習所があって、そこにさかなクンは水槽を持っていた。陽気な青年で、私たちの顔を見ると、「海の中はどうですか?」撮ってきた写真を見て「ありゃ〜、ユウゼンの子供ですねぇ」などと話しかけて来る。「ギョ、ギョ」はまだ持ちネタになかったが、「さかなクン」の愛称はもうすでに持っていた。「魚」を語り始めると止まらない。ある時「砂イソギンチャク」の個体識別について問いかけると、「日高さん、苦手なんですボクぅ」と言って悩み始めた。
こんなエピソードを話して聞かせると「えぇ、さかなクンを知っているのですか?」と目を輝かせている。さっきまで少し残念そうに伏せ目がちだった彼女の目がキラキラ輝いていた。「先生!またきていいですか?この部屋に」「いいよ。いつでもおいで」
 見送るといつもとは違う背中、後ろ姿があった。ニコニコしている後ろ姿。いいね。「秋の日はつるべ落とし」すっかりと暗くなった駐車場の向こう側の校舎の窓に、洛陽の最後の光が映っていた。

3ツ星 懐かしい親友のことを思い出した

10月21日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.120 源氏物語を片手に・・・

 田舎育ちの私からみても「いなか」に住んでいた。農家の長男で、長距離走の得意な男だった。左の頬にニキビが多いことまで覚えている。心の広い男で、わがままな私と妙に気が合った。「しょうがない、長男だし。いいなぁ日髙は」彼は大学に進まず家を継いだ。「game」というニックネームでみんなから親しまれていた。大学に進学した私が、箱根の走者と偶然話をした時「そうですか、○○高校ですか。陸上競技部に●●君がいたでしょう。(大学は)どこへ行きました」とgameの名前に思わず出会った。『へぇ、あいつすごいやつだったんだ』
 彼のことを思い出させたのは、写真の向かって右側の書物で顔を隠している女子生徒。装丁から小学館の古典文学全集であることがわかる。「何を読んでいるの?」と尋ねると、黙って背表紙を見せてくれた。「源氏物語」である。「すごいね、高校時代に源氏を読破しようなんて、すごいね。僕の友人にねgameと言うのがいて、暇さえあれば源氏を読んでいた。」思い出話を勝手に聞かせてしまった。文学部に進んで「女流文学を学びたい」と目を輝かせて語ってくれた。「虚構」という問題について語った。高校生には難しいかもしれないと思ったが、彼女はちゃんとついてきた。「『今』に通じるところがあるんです」正伝はhistoryと言う通り男が作ってきたかもしれない。でも女性の持つあの力、創造力は男にはない。羨ましいほどの豊な力である。

 知性に輝く目が美しい生徒でした。大学に行ってもその輝き、失わないでくださいね。市原中央高校生は素敵だ。

お知らせ ラストシーンの「顔なし」になってごらん

10月17日(木) Vol.118 二人で哲学対話 人間関係って難しい

 自宅に帰ってDVDの山をごそごそ探した。TV録画をしていたものがあったはずである。整理整頓ができていないから、見つからない。でも探した。放課後の女子生徒との会話は、どうしても「それ」を確かめたい衝動にかられた。「千と千尋の物語」ラストシーンの「顔なし」である。
 彼女は少し悩んでいた。人間関係だという。詳細は秘密だから、もちろん語れないが、その問題にぶつかり、どうにかしたいと思っている。いつも本校の子供達は、結論を求めてやってこない。「聞いてくださいよ、私(僕)の話・・・」と言ったスタンスである。どんな流れでそうなったか、「顔なし」の話になった。きっと私の中では、個の内部で増幅する「魔物」のようなことを話したかったのだろう。人間関係の悩みはこの歳になってもあるし、尽きない。うまい処し方も知っている訳ではないが「相手を変えるのではなく自分が変わるは、結構有効だね」とか、「流行語対象の『そだねー』から関係づくりをするといいよ」などと語ることが多いので、それかなと思う。自分の中で育った「魔物」は、そのまま相手を「魔物」にしてしまう。消そう。自分が変わって、消そう。ラストシーンの「顔なし」、おとなしくなって千尋と一緒に銭婆の所へいくのだろう。
 女子生徒は予期せぬ答えを返してきた。「自分の存在が認められたから?」それを要にしながら、どうあればいいのか、考えた。二人で哲学対話。出た結論が、ラストシーンの顔なしになってみようだった。

 正解のない問いかけに、複雑な話の流れ、部屋にきた時より分からなくなったかも知れないが、「ありがとうございます」と言って部屋から暗くなった廊下に出て行った。『寒くなったな』と思いながら見送ると、すくっと伸びた背筋の後ろ姿があった。いいね、市原中央高等学校生。

まる ほぼ5日に一回・校長?ですか

10月11日(金)あたりの回想 ほぼ毎日・校長 Vol.116 話題がなかった訳ではないのです

 体育祭の応援にお見えになったある保護者の方が「先生!ほぼ5日に一回・校長ですか」と声をかけてくださった。ブログをまめにチェックいただいている。様々な案件に翻弄されて、自分が向くべき方向を見失っていたのかもしれない。こう書くと、きっとこのお母さんは、「ですねぇ」と共感してくださると思う。「申し訳ない」は生徒への言葉。筆が進まないのは、生徒の方を向けていない証拠だと思っている。で数日の回想。

 「先生、やろうよ哲学対話。台風で流れてしまって、あれっきりだ。結構楽しみにしているんだ」と嬉しい呼びかけをしてくれたのは、1年の男子生徒。ジェネレーションリングの交わりの中で、自分色が作られて来るんだ。例えば赤の文化を持った親と、白の文化を新たな世代(自分)の文化と捨子の世代。いい交わり方をすると、赤をしっかりと継承した鮮やかなピンクがね・・・。そんな話をしながら誘った生徒たちである。「今日の話でしっかり焼きついたのは『ピンク』」と言いながら部屋を出て行った生徒である。いいねぇ、やろう、やろう。放課後ね。

 「ルーチンなんです。青いかもしれないけれど、同じところぐるぐる回っている。なのも結論が出なくて、誰かとこうして語っていると、何か生まれるかと思って。付き合ってください」2年の男子生徒。いいじゃない。ぐるぐる回ろうよ。特権だよ。ただスパイラルのように、少しずつ上昇しようよ。しているはずだよ。この日は、ある結論を伝えにきた。部活の先生に背中を押されて、一歩前に踏み出すことにした。まずは校長に報告と思ってやってきたのだという。いいね、嬉しいね。ほらちゃんと上昇している。自分では自覚できないけれそ、ちゃんとプラスのスパイラルに乗っかっている。またおいで。とりとめもない話をしよう。

 うーん、どこかであったぞ。一度この部屋に来たよね。誰と一緒だったかも定かではない。部屋を訪ねてくれた女子2人を見ながらそう思った。記憶への繋がりの糸は細いが強く、そして意図や自覚を超えて、偶然的で刹那的に「もの」と結びついているものである。一人の女子の仕草で記憶は呼び覚まされた。それは右手を口元にやる仕草。彼女がその仕草をとった途端に蘇った。インターアクトの2年の先輩に連れられてやってきた1年生だ。この日は、本校からこの2人が、ロータリー主催の海外派遣に選ばれ、近々マレーシアに行くことになったという報告にきてくれた。「何が楽しみ?」と尋ねると、とっても真面目で模範的な答えが帰ってきた。それも大切だけど、美味しいものいっぱい食べておいで。その国の特徴をよく表した、美味しいもの食べておいで。だって君たちがいく国は、美しくそしてとっても美味しい国なんだよ。行ってらっしゃい。

重要 見事だ!中庭の温かい雰囲気が目に浮かぶ

10月10日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.115 インスタ映えしますね

 台風が近づいている。15号の被災も復旧しないのに、神も罪なことをなさる。鬱々とする中、担当してくれていた先生が、「できました」と報告してくれた。昨日のブログに書いた「蘇るクマさんたち」なのである。生命が吹き込まれた。廃材となってどこかで朽ち果てるのではなく、見事な「いのち」として蘇っている。生徒たちの喜ぶ声が聞こえてきそうだ。木一吉(きいちきち)さん、ありがとうございます。
 下校バスの放送が入っている。賑やかだった学校が静かになった。歌声が聞こえなくなった。淡墨をさっと刷毛で掃いたような曇り空が重い。「校長先生、ブログの写真できましたね。インスタ映え」と声が聞こえた。じっとこちらを見つめている木彫りのリスとクマ。彼らが語りかけてくれたのかと思った。本当にいのちあるものなのである。振り向くと「琴音様」とそのお友達が立っていた。

 今日も温かい気持ちで一日を終えることができそうである。いいね、市原中央高等学校。感謝。

インフォメーション 目は口ほどにものをいい

10月2日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.111 ニワトリの話をしようか?

 目の前に二人の生徒がいる、利発そうな話し方をする男子。女子の目は、どうやればそんなに大きな目になるの?と尋ねたくなるほど、大きな目をしている。『瞳に星を輝かせれば、少女漫画の主人公だな』と思わせるほどである。(実際、星か輝いていたかもしれない)男子が言葉を選びながら語りかけてくる。聴いて欲しいことは「わがまま」ではない。内容がそう理解されないように慎重に言葉を選んでいる。女子は時折頷きながら、私をじっと見つめているだけ。彼女の瞳に自分が写っているようにも見える。見透かされているような、不思議な魔力がある。男子の語りは、まるで呪文のように説得力を持って訴えかけてくる。本校の生徒のこの部屋でのおしゃべりは、ある共通点を持っているように思っている。目の前の二人もそうだ。それは俗な言葉で表現しては失礼かもしれない「わきまえ」である。『もっとわがままでいいぞ、君たちぐらいは』と思うが、反面、そうした「わきまえ」を大切にしてあげたいとも思う。如何ともしがたいことなんだけれど、まぁ聴いてくださいよ。言葉と目で語りかけてくる。
 ニワトリの話をしよう。昔、その昔、ニワトリたちは草原の中を自由に歩き回り、空を飛び、森の木々に羽を休めていた。たくさんの餌を得ることができ、とにかく幸せな日々を送っていた。悩みは、ヤマネコやキツネ、へびのような肉食の生き物に脅かされること。「昨日、誰々の家の○さんが、キツネに襲われたそうだ」ニワトリたちは安心を求めた。そこに人間がやってきて、「ねえき君たち・・・」

重要 決勝ブロックまでは進んだのですが・・・

9月30日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.110 全国枕投げ大会? 決勝?


 ICH放送委員会のTwitterに面白い記事がツイートされていた。

----全国枕投げ大会千葉県予選----------
決勝トーナメントまで駒を進めたものの、惜しくもベスト16止まりでした
次こそは全国目指して頑張ります!
円陣は「おー、真心!!!!!」
さすがです笑
女尊男卑。で山崎さんが男子達を操っていました!(男子より)
----------------------------------------------
MakuranageHPによると、リーダーとなる「大将」、掛け布団でガードする「リベロ」、相手を就寝に追いやる「アタッカー」、自陣に枕を運び入れる「サポーター」という4つのポジションがあり・・・とかなり本格的な「修学旅行の思い出」をスポーツ化したものらしい。これに全国準優勝を果たした我が放送委員会が参加をしたのだという。行きたかった。元校長(現理事長)の応援もあって、奮闘して予選を勝ち抜いたが、決勝トーナメントで敗退してしまい結果はベスト16。

 さすが市原中央高等学校生、色々なところで情熱を燃やし、楽しんでいる。頑張れ!

まる ICHをイメージさせた生徒の後ろ姿

9月29日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.109 あの印象のままだ

 ある学校行事に参加していて思い出したことがある。もう1年以上も前のこと。まだこの高等学校にこうした縁があるとは思っていなかった頃のことである。自宅近くに本校のバス停があって、毎朝そこからバスに乗って通学する女子生徒がいる。本校のあの青いバスに乗るので、ICHの生徒であることはすぐにわかった。私の関心を引いたのは、その生徒の後ろ姿である。すくっと背筋が伸びて、肩口まである髪が清潔感を感じさせる後ろ姿。そう、あの頃のこの生徒の髪はもっと長かった。そんなことまで今思い出した。
 よく結婚式の新郎新婦への祝辞の中で「今時珍しい・・・」を決まり文句に語る初老の上司がいるが、私はその時『へぇ、今時珍しい』を彼女に感じた。スクは「直く」「健く」、背筋がしっかりと伸びた心身の健康に結びつく言葉。健康な高校生然とした・・・。彼女のイメージは、そのままこの学校のイメージとして私の中に棲みついた。いい出会いであった。何の機会だったか、彼女は私との縁を覚えていて、「先生・・・」と語りかけてくれた。まだ幼い頃の出会いだったので、記憶の中で結びつくのに少し時間がかかった。さらに、後ろ姿の女子生徒と結びつくにはさらに時間を要した。
 この行事で、発言者の話を食い入るように聴いている後ろ姿をみて、遠い記憶の彼方に遠ざかろうとしていた、わずかな、そしてそれだけに大切な「印象」を思い出させてもらった。この学校は、あの時に、あの後ろ姿に感じたままの高校です。
 後ろ姿は正直で豊かな、深い「表情」を持っている。正面の喜怒哀楽を表現しうる姿と違って、後ろ姿は素直に語りかけてくる。例えば、弱り果てて泣きべそをかいている表情より、肩を落とした後ろ姿の方が、ずっと説得力がある。一目瞭然。表情で繕うことができないだけに、後ろ姿は無防備である。見られることに対する防御のないまま、見抜かれる危うさを持っている。後ろ姿は面白い。以前「正史」より「外史」の方が面白い、「正伝」より「外伝」が好きであると書いたことはあったが、同じくらい「後ろ姿」はいい。こんなことを考えさせてくれた、彼女に感謝しなければ。ありがとう。

 生徒がみんないい後ろ姿をしている市原中央高等学校、いいね。

! こんなにも嬉しいことは、久しぶりだ

9月27日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.108 外伝は、な・い・し・ょ

 今朝、嬉しいことがあった。一人の生徒が、絞り出すように「自分」を語ってくれた。あれはできることではない。いいなぁ。目の前にいるこの生徒は、偶然に今日、その機会を得たが、うちの子たちはみんなそうなんだよなぁ。生徒との会話が終わったあと、しばらく余韻に・・・。内容はもちろん内緒。しかし、こんな思いをすることは、こんなに嬉しいことはしばらくなかった。ありがとう。
 定期考査が終わって、歌声が聞こえる、友人とはしゃぐ声が学校中に満ちている。考査からの開放感は、彼らの情熱を表に出してくる。この日の午後、英語のスピーチコンテストが行われると聞いて、のぞいてみることにした。自慢ではないが、本校の「えいご」はちょっとしたものなのだ。途中廊下の学習コーナー(?・勝手に私が名付けている)で、3年の男子生徒が数名、集まって何やら・・・。原稿用紙を持っていたので、「おぉ、反省文か?」とからかうと、さすがもう3年生ともなると、校長のあしらい方もわかっている。「いやいや、いつもそうとは限りませんよ。直面している未来に向けての試行錯誤です」進路に関わる文章を書いていたようである。つまづいたら校長室においで、遠慮なく。

 いいひと時をもらった。ありがとう生徒たち。いい学校です、市原中央高等学校。

 英語スピーチコンテストに寄せて(校長)

 こんなに多くの諸君が、チャレンジしてみようという気持ちを持ってくれるだけで、校長としては、何もいうことなく嬉しいのある。私の高校時代から「スピーチ・コンテスト」と名付けられているが、本当は「コミュニケーションコンテスト」なんていう名前にした方がいいのではないかと思っている。
ただ暗唱した英語の上手さを披露したり、競ったりするだけでなく、もちろんそれも大切なのだが、どう動かせたか、聴衆の心をどう掴んだか。そのあたりもしっかりとできてほしいと考えている。
 右脳に働きかけ感じさせ、左脳で考えさせる。難しそうだが、テーマとして選んだ、与えられたものの中にどこまで入り込めているか。どこまでpassionを持って表現できるか、にかかっていると思う。
表情もそうだ。ボディランゲージもそうだ。楽しみである。この時が、喜びである。もうワンランク上のICH・Englishを目指してほしい。
 開催にあたり、尽力くださった先生をはじめとするみなさんに感謝の気持ちを持ちながら、全力で臨んでほしい。豊かな時を過ごしてください。期待しています

動物 クマとカッパに出会った

9月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.107 試験期間中の学校はつまらない

 ふいに世界から取り残されたような気分になってしまう、そんな経験は誰にでもあるだろう。台風の被害で学校のリズムが狂った。この時期の1週間、10日の季節の移ろいは早い。何よりも「秋の日はつるべ落とし」。あっという間に陽が西の端に隠れてしまう。季節と定期考査があることが、マッチしない。体内時計と合わないのである。それもあってか、部屋に一人でいると、何か寂しい。寒いぐらいの秋の風を感じながら、夏を懐かしむ。今の子は「釣瓶(つるべ)」なんてわからないだろうなと思い、清掃に来た男子生徒に聞いてみた。「つるべ」ってわかる?「えぇ、でも本物は見たことありません。おばあちゃんちに井戸があったけれど、あれ、なんて言うんですか?手で上下させる・・・そうそうポンプだったから」へぇ、ちゃんと分かってるんだ「つるべ」。他愛のない会話だが、こんな会話も楽しい。人恋しいのである。
 廊下に出ると忙しそうに、小走りに放送室に入っていく後ろ姿。放送室の前まで行くと「ふっ」と影が暗い凹みに吸い込まれていった。チョロっと頭を覗かせ、こちらを見るようにしてまたいなくなった。不思議の国のアリスに出てくるウサギのようである。こちらから壁の凹みに首を入れると、いた。思わず「君はクマ」と声をかけると、「はいクマです」と笑顔を作ってくれた。Vol95に登場したクマの撮影主である。400ミリの望遠で・・・しばらく写真談義に花を咲かせていた。
 週末から姿を見なかった教員が、「先生、うちの生徒すごかったです」と報告に来てくれた。話によると水泳の新人戦で、200メートル、400メートルメドレーに出場した女子生徒が、県でいずれも4位の成績をあげたのだそうである。200メートルは3位と僅差、「本当に惜しかったです」と我が事のように悔しがっていた。

 夢中になれるものを持っているって素晴らしいなぁ。クマもカッパも。いいね、市原中央高生!

花丸 高い評価・嬉しい視線

9月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.106 学習塾の学校説明会
 「難関高等学校フェア2019(高校受験の部)」と言う名の説明会(学習塾主催)のお招きがあった。「高校受験の部」であるから『偏差値や得点の話を詳しくしなければならないのか?』と思いながらも、用意したスライドは、本校の教育理念と概要。特に力を入れている2020年大学入試への取り組みや、新しくスタートするGLC(グローバル・リーダー・コース)の説明が中心になっている。ピントがずれていないかなぁ?プレゼンにはそこそこ自信のある私が、少し不安になった。そこに追い討ちをかけるように「先生、お久しぶりです」と数年前に校長として勤めていた学校の教え子が声をかけてくれた。この塾で働いていると言う。「先生のお話、楽しみにしています」と言われた途端、柄にもなく緊張した。
 全体説明の後には長蛇の列の個別相談会。私と担当職員の二人で、25・6名の説明に当たっただろうか。じっくり時間が取れずに申し訳ないと言う思いと同時に、ありがたいなと心から思った。質問も、生々しい点数化されたものではなく、「今日の話の中の5つのP、とてもよくわかりました。Peersって具体的にどんなところに見られるのですか?」「GLC魅力的なんです。学上で何が一番大切ですか?将来は・・・」といったものが多かった。すでに点数が何点取れると入れるかではなく、入って何が得られるかといったところに目が向けられていた。

 今、自分の行きたいという希望を持っている高校、うちでなくてもいい(できればうちであってほしいが)、行ければいいなではなく、「絶対に行くんだ」と言う気持ち、忘れないでください。素晴らしい中学生との出会いがあった。「うちの子」になってほしい生徒ばかりだった。

晴れ 久しぶりにはしゃぐ声を聞いた

9月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.105 生徒のいる学校が一番
 「人間贅沢をすると、後戻りができない」祖母がよく語っていた。心が満たされると、その満たされたもの以上が欲しくなる。満たしていたものがなくなると、ぽっかり穴が空いたようになる。台風15号の被害で臨時休業を続けていた本校は、そんな感じだったのだろう。当然あるべき、あって普通のものが目の前からなくなってみると、本当に辛いもので、あって普通のものがどれほど大切だったか気づく。授業の合間の休憩時間、昼休み、放課後、生徒たちの喧騒は、何重奏もの音楽のようなもの。映画「奇跡のシンフォニー」の主人公の少年が街に出て聞いた「音」はこんなものだったのかもしれない。ただうるさい雑音が、重なって重厚な心に響く音楽となる。11年間離れ離れになっていた絆を結びつける音楽の才能を持った彼の耳ほどではないが、天賦のものとまでも言わないが、長年の教員生活があそう感じさせるのだろう。生徒たちの喧騒は、我が力なり。

 生徒がいる学校って、やはりいい。生徒がうるさい学校って、とてもいい。

 写真は、試合の抽選結果を知らせに来てくれた野球部の二人。「21日は敬愛学園戦です。それに勝つと23日に・・・楽しみです」と笑顔で報告してくれた。「残念ながらどちらも仕事だ」と残念がると「予報では、どちらも雨です」「お前ねぇ」と掛け合い漫才をやっていた。初めて来た時より緊張がない。いいぞ、いいぞ。
 「先生、進路のトライアングル、やっているうちに変わったの、どうしよう。何かになるために学ぶのではなく、大学で学びたいものが見つかりそうなの」と、臨時休業前に書いたメモ書きを大切そうに持ってきた女子生徒。どうやら一歩あゆみを進めたようである。「そう、じゃぁも少し考えてみよう。今君が陥った陥穽(落とし穴)は、三つのリングで説明できる。ほらね、大学生活のトライアングル。円の交わりが学生生活なんだ。」といって説明を始めると、「そんな考え方初めてだ。面白い」といって、今日のメモも大切そうに持って帰った。また一歩進むのだろうか?楽しみである。

 ただ与えられるだけでなく、与えられたものを糧に成長してくれる本校生徒は、やはりすごいと思う。

右 大変なことだが その中で Part4

9月15日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.104 賑やかな生徒たちと過ごした


 Vol.102で紹介した生徒が帰って間もなく、「先生、いますか?」と声をかけてくれた女子生徒がいる。「いますよ。どうぞ」入ってきたのは2人。一人の生徒の後ろに、まるではにかんで隠れている妹のようにもう一人、(姉の)肩越しにこちらを見ている。最近は歳のせいか、生徒がみんな同じに見えてしまう。先ほどの生徒と違って「悩み」ではなさそうである。予想が的中した。「なんでもないです。ただ姿が見えたのできました」大歓迎である。台風被害の話、災害時にわかる平穏のありがたさなどをとりとめもなく語りあった。1年生と2年生という組み合わせの二人の共通点は、インターアクトクラブだそうである。ブログVol64の記事を読んでいてくれたらしい。インターアクトの活動が市民権を得ていてメジャーである市原中央が誇りだというようなことを語ると、二人は満面の笑顔で「嬉しい」と答えてくれた。
  自分の高校時代は、もっと利己的て自己中心的な考えをしていたように思う。確かに社会全体が奉仕や貢献という村社会の持つ慈愛に満ちていた時代だったかもしれない。敢えて「○○活動」などと名付けなくてもよかった時代であったかもしれない。ただそうした自然の流れと環境の中で、我々の世代が伝承し忘れた「美しさ」を彼女たちは伝播として持ってくれている。すごいことである。多くの高校からこうした取り組みがなくなる中、彼女たちの活動は、やはり誇りである。活動を支え、意義深くしてくれている顧問の教員の努力にも感謝したい。
 「あれぇ。きたみたい。いいですか?」スマホを私の前で見ることにもちゃんと礼儀を正してくれる。これもすごい。「友達がきているみたいなんです。呼んででいいですか」「どうぞどうぞ」と招き入れ、入りづらそうに入ってきたのは同じクラスの男子生徒。「私服で・・・」とためらいながら入ってきた彼らを「校長室に私服で初めて入った生徒たち」とキャプションをつけて、記念撮影。

 しばらくの間、とりとめもない会話で盛り上がった。この学校の、こんな時間が大好きだ。

右 大変なことだが その中で Part3

9月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.103 彼らから元気をもらえた


 TVのテロップに施設開放のニュースが流れる。ネット上では電力会社の記者会見動画。まだ完全復旧までには時間がかかる。復旧を待つ地域には、本校の生徒たちや教職員の居住地もある。不自由しているのだろうと思い、辛くなる。ある高校の校長が激励のメールを送ってきてくれた。この校長の学校では、やや無理をして学校を再開したが、出席は芳しくなかったと言う。しかし、登校して仲間と語らい合っている生徒たちの姿を見て、心から「いいな」と思ったと言う。通学手段さえ許せば、学校に来ている方がいい、できる限り努力をしたいとも語っていた。彼にも心配をかけた市原中央高等学校は、おかげさまで昨日(13日)の夕刻に、停電、断水が解消した。施設設備の安全点検を行なった上で、17日(火)の再開に向けて準備を整えたい。
 滅入った気持ちで部屋にいると、ドアをノックして「いま、よろしいですか」と声をかけ、2人の男子生徒が入ってきた。モザイクを入れた写真を見てもすぐにわかるように、野球部の生徒である。新しく主将、副主将務めている二人。もっと早く来ようと思っていたが、県大会出場を決めるまで顔を出しづらかったようだ。会話の行間にそんな思いを読み取った。荷物を取りに、野球場を確認にきた。覗くと校長室の奥に姿があったので挨拶にきたのだと言う。
 Vol.100に書いた「軸」の話を少し噛み砕いて話をしてみた。真剣に体を動かさず、目は私を凝視し、聞き入っている。人の上に立つことは難しいことだ。いや上に立ったと思った瞬間にその動きは終わったいるのかもしれない。何かの支えにあって力を発揮することは、人はできる。しかし、支えになって人を動かすことは、これは難しい。「あいつがいるから自分は120%の力を発揮できた」「あいつの心が失敗をエネルギーに変えてくれた」そんな存在に君たちがなってくれると、もっともっといいチームになる。3年生の先輩が、君たちの力を十二分に発揮させてくれたあの力以上のものを持てる二人であってほしい。素晴らしい同僚や、後輩たちのために。聴き終えた二人は声を揃えるように「ハイ」と大きな声で返事をしてくれた。彼らに語りながら、自分に言い聞かせているようでもあった。語り終えた後、滅入った鬱々とした気持ちが晴れた気がした。ありがとう、生徒たち。

 校長を元気にする生徒がいる学校、市原中央高等学校。

?! 名優たちが監督とクマを連れてやってきた

8月28日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.95 クマの正体は・・・

 夏休みもあとわずかとなって、生徒の影も少ない校舎をぐるっと回って部屋に戻ると、3人の生徒が待っていたかのように来てくれた。「女尊男卑」を演じた名優二人と、監督を務めた放送委員会の委員たちである。準優勝の報告に来てくれたようである。「山崎さん」を演じた彼女。映像の中のイメージと全く違うのである。はにかみながら、ふふっと笑う癖のある笑顔の素敵な彼女。「演じていて楽しかった」と感想を述べてくれた。彼女のイメージのギャップは、プロの役者さんやアスリートがみせる平常と舞台、生活時間とフィールドの違いのそれである。冗談で「日頃の放送室内のドキュメントだったりして・・・」とからかってみると、男子二人が顔を見合わせて、ニヤニヤしている。「えっ、ズバリそうなのか?」とさらに突っ込んでみる。「いえいえ、受賞のインタビューで、監督である僕が、先生と同じような発想で『映像中の「山崎さん」は、本校放送委員会のドキュメントです』とジョークを言って笑いをとったんです」と語ってくれた。ふとした機転で「笑い」「ユーモア」をその場に加えられるってすごい力だと思う。あの映像がこの監督、この名優たちのもとに出来上がったことがよくわかった瞬間(とき)だった。
 「もう一人は?」と思っていると「山崎さん」が気づいたのだろう、「男優の一人は、・・・クマ・・・」と教えてくれた。いま「山崎さん」に「ガツン!と一言、言ってやる」と勇気を振り絞っていた彼は、クマの写真撮影中なのだそうである。LINEで監督に送られてきた写真を見せてもらっった。スゴイ!掲載させていただいたのはスマホからの写しなので画像が荒くなっているが、プロ顔負けのいい瞬間を撮影している。『くそー!いい写真撮ってやがる』立場も年齢もかなぐり捨てて、写真大好きな私は、心から羨ましく思った。

こうした感性の協働(交わり)があの素晴らしい作品を誕生させているのだ。市原中央高等学校生、いいね。

 全国準優勝(2位)おめでとう!
 君たちの豊かな感性応援しています。

合格 「松山」ですね V0l.89の解答

8月26日(月) V0l.94 すごいなぁ、さすが歴史研究会

 一昨日(8月24日土)、中学生の保護者向け説明会のサポートに来てくださった本校保護者の方が、朝一番で校長室を訪ねてくださった。「先生!今日は長男が一緒なんです。と言うより、彼がメインなのです」母の後ろにいた3年生の男子生徒が、「おはようございます」と元気よく入ってきた。兄弟揃って本校生徒。下の息子さんは吹奏楽で頑張っている。背が高くギターを弾く姿が、「いいね」と感じさせる好青年である。お兄ちゃんは歴史研究会に所属していて、ぜひ校長に自分たちの活動を見にきて欲しいと希望している・・・までは母から伝え聞いていたが、まだ面識がなかった。文化祭の折にブースを訪ねたことは承知していて、まずはそのお礼をいただいた。「後輩が担当していたので、彼のいい勉強になると思って」声がけを控えたのだと言う。今日も後輩たちの研究の進捗を見にやってきたそうである。こう言う先輩の背中を見て、後輩は育っているのだと感じた。実際、学校見学会の時にそうした姿に触れた中学生が、「この学校で歴史研究部に入って・・・」と言う具体的な動機で入学してきている。学校の宝は生徒ですね。その生徒を育てている教員ですね。
 「先生、松山です」ほぼ毎日校長Vol.89の解答である。「夏季休業中だから、まだ誰も来ていないのではないですか?1番ですか?」と正解か不正解かを問う前に聞いてきた。日頃の「歴史研究」に熱く燃えている血が騒いだのであろう。「一番だよ。そして正解だよ」と応えると、最初はイメージと維新だけで「福島」と言う答えが直感で出てきたのだが、秋山兄弟、正岡子規と続いたので、すぐに松山とわかったと言う。すごいことだと褒めると、顧問の教員との会話で、維新のころの話が印象的に残っていたのだそうだ。「『坂の上の雲』ですよね。いいですね。よかったですか」とイメージする「松山」をなぞるように会話を進めていた。

 うちの生徒、触れれば触れるほど味わいがある。市原中央高等学校、いいね。

まる 笑顔の明るい二人が訪ねてくれた

8月24日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.94 毎日来ているんですよ

 「へぇ、広いんだね」という会話と共に、野球応援で活躍してくれていた二人の女子が部屋を訪ねてくれた。(実はこの時まで名前を知らなかった。ごめんなさい)「久しぶりだね」と語りかけると、「私たち、毎日学校に来ているのです」「ねぇ、緊張が途切れるといけないから」自宅ではついつい自分に甘くなってしまうので、学校で受験勉強に励んでいるのだと言う。「これまでの教師経験から・・・」と前置きして、秋風が吹き始めるこれからが勝負になる。どこまで歯をくいしばれるか。ゴールまで一気に駆け抜ける加速をつけられるか。本当に忍耐の時が待っている。学年主任をしたその昔、「この学年からは、おいそれと『推薦』は出しません。なぜなら、ここの生徒はその大学に一般入試(実力)で入ることができるから。本人も、親も、教師も歯を食いしばりましょう」と語り、例年1桁しか合格の出ない国公立に50数人を合格させたことがある。市原中央高等学校のみんなもそうなんだ。ちょうどそんな力を持っているんだ。そんな話をしていた。その中で、母親と言うのは一番辛かったかもしれないね。特に息子を持った母は。と何気なく話すと、「先生わかります。うちの母、兄の時を見ていると・・・」と一人の生徒が語った。

 もうすっかり大人の会話ができている。いいなぁ、うちの生徒。

 その話から、彼女のプライベートな話になっていった。もちろんここでご披露するわけにはいかないのだが、当時持っていた人からは羨まれるような環境(名声?)に背を向けて、彼女がなぜ本校へ来たのかそのルーツを語ってくれた。実にポジティブな思考なのである。そして入学の時点で、そのポジティブな思考に導かれた結論を持ち、それを今貫いている。もう一人の生徒が語った。「ねっ、●●ちゃんは無理でしょ(私の指導めいた話が通用しないでしょと言うほどの意)。でも私には響いてます」(ちゃんとフォローしてくれている)彼女の本校へ来た思いと、貫いている姿勢を聞いて、心から「すごいな」と思った。頑張れ!

 いいでしょう、うちの生徒。自慢、自慢。

花丸 ちょっとしたリレーション 大切です

8月23日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.93 明日のために


 部屋からほとんど出ないでこもっていた。夕刻昇降口が賑やかなので、ドアから首を出してみると、いかにもいい汗を流してきましたと言わんばかりの女子生徒が5人ほどいた。私の姿を見つけると一人が「こんにちは」と大きな声で挨拶をし、しっかりと清掃に取り組んでいたみんなが手を止めて、みんなで挨拶をしてくれる。明日の説明会の準備の仕上げとして清掃活動に取り組んで切れているのである。卓球部の女子だそうである。「いいなぁ、なんだか嬉しいなぁ、ブログのネタ作りに写真撮れせてください」「はーい」といってピースサイン。「そうではなくて、君たちの奉仕の精神が写り込むような。自然な・・・」と注文をつけると。また「はーい」といって上の写真が撮影できた。

 これだけのことなのだが、この記事を読んでいる皆さんに、彼女たちとのリレーションは感じていただけると思う。『うちの生徒って、接したときに嫌な思いをすることがないなぁ』と素直にそう思った。

部活で疲れていたろうに、本当にありがとう。

学校 生徒がいる学校が一番!

8月21日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.91 もう平常授業のように

 チャイムが鳴った。『チャイムの音色を替えたのか?』と思っていたら、夏季セミナー用の特別なチャイム。聞きなれない新鮮な気持ちで聞くと同時に、様子が見たくなったので、ぐるーりと学校を一回り。通常の授業なら、遠慮なく中に入っていくのだが、写真のような真剣な取り組みの様子に圧倒されて、外から覗かさせていただいた。「エェーっ、なんで。なんでなん?」数学科の若い先生(本校の卒業生)である。よく声が通るので、廊下の端にいてもすぐにわかる。声に誘われるように、教室の後ろから拝見。「ちゃうよぉ、それをこんな風に捉えるさかい、まちごうてしまうねん。」彼の生い立ち、経歴を知りたくなった。綺麗な嫌味のない、上質な(上品な?)関西弁を使う。関西人の私が言うのだから間違いない。それよりも何よりも、この先生の授業は「会話」が成立していることに驚きを感じている。数学の授業でここまでできる教員は珍しい。生徒もすごい。時を選ばず手をあげて、「先生・・・」と質問を投げかけ、納得するまで食い下がっている。「わからない」「理解できていない」ことを解決して「分かる」「理解できた」に変えるプロセスが、コミュニケーションで展開できている授業。これ、いいわぁ!きっとこの先生の授業では「わからない」を表明することにためらいはないのだろう。それと、「何がわからないのか」が分かる時空になっているのだろうと思う。夏休み明けにじっくり1時間拝見しようと思う。
 渡り廊下を歩いていると、硬式テニス部の部員たちが私に気づき、一斉に練習をやめて挨拶をしてくれる。この部活はここが大好きだ。礼儀正しくけじめがちゃんとついている。みんなの目がこちらを向いているので、ちょっと緊張しながら「暑いのによく頑張っています。雷鳴が聞こえたら、すぐに練習止めるんだよ」(う〜ん、もう少し気の利いた言葉があったろうに)
 廊下に貼られているインターアクトのポスターを発見した。通常の学校ではマイナーな活動体である場合が多いのだか、本校では結構メジャーな集団である。(意外と在校生はその活動の実態を知らないのかもしれない。ふとそう思った)「キャップ回収協力ありがとう!」ポスター。簡潔明瞭に書かれているのだが、必要事項が明確に示されている。「私たち(本校生徒たち)の活動結果」が数値で示されている。小さな一つの所作が、協力が、こんなに多くのこんなに大量の成果につながっている。それがちゃんと示されているのである。

141,298個(3,826kg)

 =ポリオワクチン9,823人分

 =61,887kgのCO2削減

説得力あるなぁ。海洋汚染のプラゴミ問題で言うと、そのまま3,826Kg/800万tの削減になっているのだよなぁ。

すごい。ちゃんとここまでできる生徒たちの活動(インターアクト)が、メジャーである市原中央高等学校って、すごい。みんなで考えてみませんかSDGs

重要 ついに待望のあの動画が公開された 要視聴

8月14日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.88 Nコン 創作テレビドラマ部門 準優勝作品

制作意図 一昔前では男性が上、女性が下という差別的な風潮、男尊女卑がありました。今では男女平等が当たり前の世の中になり、男尊女卑という言葉自体もあまり聞かなくなりました。しかし、僕たちの高校生活の中ではその男女平等を逆手にとった女子から男子への差別、女尊男卑を度々受ける時があります。男尊女卑ではなく、女尊男卑について知って欲しいという思いから創作しました。(「NコンWEB」より)

 ツイッターに放送委員会のつぶやきがあった。「今日Eテレで放映されます。見てくださいね。」ちょうど移動中で見ることができそうにない時間帯である。拝見したかった作品であるだけに、残念に思っていた。録画予約もしていない。心から申し訳なく思っていると、次のツイートには「NコンWEBで見て頂けます」とあった。早速拝見した。面白かった。本校の生徒の特徴がよく表現されている。もちろんこの動画の内容の「女尊男卑」=本校の特徴ではない。何気ない日常に自然に見られる光景や言動。それをちょっと皮肉って描いてみるとこうなるのかな。ちょっと面白スパイスを利かせるとこうなるのかな。その「皮肉って」や「面白スパイスを利かす」のさじ加減が難しい。下手をすると「お決まりのね」「なんだかベタつく展開」になってしまいがちなところを、それをさらりとやってのける力がある。そんなところが本校生徒の特徴なのである。見終わって「ある、ある」ちょっとした皮肉や中傷にも「ははは」と笑って済ませるかと思わせる。そうした展開が面白い。上の画像にリンクを貼っておいたので、百聞は一見にしかず、ぜひご覧いただきたい。下手なテレビのコント作家やお笑いライターよりずっとうまい。8分間という決められた時間に、よくこれだけまとめられたものだと感心している。いい瞬間(とき)を過ごしている。

 うちの生徒、力ある。またひとつ自慢が増えた。いいね、市原中央高等学校!

PS
人生の先輩から一言(男子=私)
  一昔前もふた昔前も、私が高校時代もこういう世界はありました。
  ある意味男女の機微の「核」を描いているのかも・・・。
人生の先輩から一言(女子=私の奥さん)
  よく見てるわねぇ。すごいわぁ!

お知らせ こういう風に応援してくださっている方もいる

8月13日(火) ほぼ毎日校長 Vol.87  一般生徒の応援が・・・
 この夏の野球。千葉学芸戦の応援の様子がYoutubeに載っていた。「ファンが選ぶ高校野球応援曲ベスト10」(チャンネル高校スポーツ応援団)QueenのWeWillRockYou本校の応援団の応援動画を用いて紹介してくれている。このちゃんねんる運営者が、本校を取り上げてくれていた。

重要応援曲ベスト10
また同じチャンネルで、
市原中央の応援席はとにかく楽しそうで参加したくなりました(笑)
特に多数来ていた一般生徒がノリノリで、おそらく自主的に来たのでしょう。
画一的なできあがった応援もいいけど、こうした応援が高校生らしいのかなあなんて、微笑みながら考えていましたw
というコメントをつけて、本校の満ち溢れるエネルギーに「高校生らしさ」を賞賛してくださっていた。なんだか誇りに思えて嬉しかった。
重要市原中央メドレー とにかく一般生徒が楽しそうな応援

 さらに嬉しかったのは、校歌を全員で歌う時の姿勢が、選手だけでなくスタンド全体が、応援にきた生徒全員が大きな声で歌っている。こんな学校の姿が、ベスト4を後押ししたのだろうと語ってくださっていた。

重要全力校歌

重要市原中央高校 真心⚾

重要市原中央 野球応援

帰省で帰った郷里で、スイカを食べながら、いいものみーつけた
市原中央高等学校、いい学校です。

 

夜 四つのPに大切な「スパイスP」の発見

8月11日(日) ほぼ毎日校長 Vol86 愛知教育大学の学生たちと触れ合う機会があった

 愛知教育大学の天文愛好会です。まだ1年生だろうか、君たちとあまり変わらなく見える若者が目の前にいる。毎月ここ(ハイウェイオアシス・刈谷)で天文観察のイベントを子供達向けにやっているという。暗くなってから10時ごろまで。今日は、お盆で帰省する家族づれの小さな子供達から、その親御さんまで、大変な賑わいである。子供達が「見えた見えた、ほらお父さん」・「おぉ、すごいねぇ。お父さんにも見えるよ」、「綺麗だよ、お母さん」・「本当ね。切り取ってペンダントにしたいわね」などと、親子の会話が弾んでいる。楽しそうでしょう、こういう時間を作っていただきたくてやっているんです。1年生から4年生まで、いろいろです。みんな将来は、教育職か教育関係の仕事に就きたいと思っているんです。「いい先生になれそうだね」親子の会話に喜んでいる彼の表情をみて心からそう思った。「えっ、本当ですか。嬉しいです」と自分の将来を肯定された彼は、顔中を笑顔にして嬉しそうに喜んでくれた。「どうしたの?●●くん」と先輩らしき女性が声をかけてきた。「この方がね、僕たちはいい先生になれるだろうって・・・」「まぁ、嬉しい」それを聞いた彼女も一緒になって喜んでいる。一つの「企画」(project)に「情熱」(passion)を燃やし、みんな「協働」(peers)で、「楽しむ」(play)。日頃君たちに行っている、学校の教育の大切な要素を体現している若者たちと触れ合うことができた。そして彼らから教わった。そこにスパイスとして(周りの者のほんの少しの)「肯定」(positive)があると、なおいい。

 市原中央高等学校の生徒諸君、君たちの学校にはこの四つのPがある。大切にしてほしい。そんないい学校なんだよ、ここは。君たちの営みを積極的に「肯定」できる大人である必要がありそうである。

音楽 どう声をかければいいのだろう 頑張ったね ありがとう

8月9日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.85 吹奏楽部2年連続金賞ならず

 訪ねてきた業者の方との話の中で、「私は『外伝』が好きなんです」という話をした。なんの話からそうなったのか?確か「授業」の話だったと思う。授業で本能寺の変を学んだ時、それが何年の出来事か、伝えられる史実はどうかというより、教師が語った「人間・明智光秀」の方がずっと心を打った。その行為に及んだ光秀のことを語った「祖父物語」の方が面白かった。伝聞形式の軍記物だから信ぴょう性に欠ける。もっともなのだが、概して正史は面白くない。外史、外伝の方が面白い。人が語られている。日本書紀より古事記である。まあ、そんな話をしたのだろうと思う。そんな授業が成立するお手伝い、進学校だから大学に受かるための知識や力はもちろん大事である。その一方で人の心や仲間のためをしっかりと捉えることができる生徒たちなのだから、それこそ「外伝」に導いてやるというような瞬間(とき)がたくさんあって欲しい。そんな話だったと思う。
 それを語った時に、私の語る「生徒」は、吹奏楽部の諸君であった。確かなものとして、彼らを思い描きながら「そんな生徒だから・・・」と語っていた。8月6日に吹奏楽コンクールの予選が千葉文化会館であった。残念なことに仕事の都合で行けなかった。結果は。本選の出場がならず、三年生の最後の夏は終わった。野球部が快進撃を続け、その応援に駆けつけた吹奏楽部は、自らのための時間を削って「仲間のため」を貫いた。コンクールの前に行われた合宿では、忘れていた夏を取り戻すような暑さの中で、何人もの体調不良者が出たという。演奏の順番もくじ引きで、強豪校、本線常連校の間での演奏となったそうだ。それだけでなく、課題曲が同じであるのは当然だが、自由曲までもが同じであったと聞く。身を尽くした彼らに、運命の神様はなぜそんな試練を与えたのか。かけてあげられる言葉がない。ただ君たちの日ごろの努力と、「身を尽くし」の汗に「よく頑張った。ありがとう」とだけは言っておきたい。あのとき、私は市原中央高等学校吹奏楽部の「外伝」を読んでいたのかもしれない。目の前にある事実や事象だけでなく、その影にある「人間・吹奏楽部(の生徒たち)」の営みを感じ取っていたのかもしれない。

 君たちの姿は、本校の誇りです。市原中央高等学校、充実の瞬間(とき)で満たされています。いいね。

文中の受賞「銀賞」受賞でした。ごめんなさい。訂正しておきました(By kotyo R01.08.10)

鉛筆 豊かな会話だった

7月18日(木) ほぼ毎日校長 Vol.73 いろんな生徒と濃い話ができた


 野球応援からとんぼ帰りのようにして学校に帰ってきた。しばらくすると外で声がする。『訪ねてきてくれたのか』と思い少し待っていたが入ってくる気配がないので、お迎えに行った。3人の女子生徒が遠慮がちに入ってきた。野球の応援に行かせてもらっていることへの感謝の言葉から、あの感動をぜひ全校で共有したいという思いを語っている。わがまま、自己中心的な空気は全くない。ただ自分たちの思いを聞いてほしいという体である。どこかわきまえのある「いい子」を伺わせる物言いである。3人とも。そんな姿勢を見ると、受け取る側は逆になんとかしてあげたいという気になってしまう。(「全く女の子に弱いんだから」我が女房殿の日頃の評価)素直な気持ちに素直な気持ちで応え、立場上の判断の難しさや葛藤について伝えた。伝えてよかった。本当に素直に受け入れてくれた。「ありがとうございます。お話ししてよかったです」とドアを出て行く背中に「生徒ファーストですよ、校長は」と声をかけた。振り向き笑みを浮かべて「はい」。その笑顔を見て、ものすごく大切な約束をしたような気がし、おまけにその心を読まれているように思えた。

晴れ 元気もらえました

7月8日(月) ほぼ毎日校長 Vol.63 いいねぇ

 チャイムが鳴り終わってしばらくすると、事務室側のドアに人影が見えた。待ち望んでいたものが手に入った子供のように、ウキウキしながら手招きすると、コロコロ笑いながら二人の女子が入ってきた。「寂しかったぁ」と声をかけると、「先生、今日はいらっしゃるんですね」「◯◯ちゃんやバスケ部の〇〇さん、友達が何度か覗くんだけれど、ここのところいない日が多いって残念がってました」「私たちが来ると笑顔になる?」と、たわいもない会話をかわしてくれる。「あぁ、げんきになる、元気になる」と素直に喜びを伝えると、「ほら、先生!」と言って一人が肢体を軽やかに動かしながらダンスを踊り始めた。「?」という表情でもしたのだろう、もう一人がアカペラで、野球応援のリズムを歌う。「あぁ、野球応援の、チアの・・・」「覚えちゃいました。応援団でもチアでもないけれど、踊っちゃいます」と言ってまたコロコロと笑っている。「でも、12日だけが狙ったように雨マークなんです」と顔を曇らせていた。茶道部のUGAさん(彼女たちの間でそう呼ばれているらしい)が入ってきた。先日の文化祭の写真を見せるととても喜んでくれた。AirDropでDATA交換ね。うっとおしい梅雨空が一気に晴れた。

うちの生徒は、接するものを元気にするパワーを持っているらしい。市原中央いいね!

? 心が風邪を引くことってある

7月5日(金) ほぼ毎日校長 Vol.61 特効薬はないのだけれど・・・

 午後の時間帯に出かけることが多くなった。生徒と触れ合う時間が少ない。「ほぼ毎日」の執筆?が滞るのは、原因はこれしかない。何もないはずはないと思いながらキーボードに向かっても、思い浮かばない。一つのストーリー性を持って内容が泉のように湧いてくることもある。決まって生徒との会話や共に笑った「時」の共有がある時はそうである。文章を書くのは得意ではないが、嫌いでない。筆が進まない状態、原因はわかっているのに解決できないのである。部屋を訪ねてくれた先生とそんな話をすると、「心が風邪を引いているんですよ」と話してくれた。なるほど、上手く言ったものである。風邪の菌(原因)は・・・。思い当たる節がある。じっとしていても(生徒から近づいてくるのを待っていても)仕方がないと思って昼休みに中庭に出てみた。ガラスで囲まれたテラスのテーブルにお弁当を広げて、歓談しながら昼食タイムの女子生徒たち。スマホを見ながら何かに興じている男子生徒たち。生徒たちは楽しそうに「お昼」を楽しんでいた。風邪引きの心を持った校長の会話はどうやら、たどたどしいようで、いつものように弾まない。中庭に面したガラスを一匹のアマガエルが、私に気づかれないように少しずつ歩を進めている。抜き足差し足、ゆっくりゆっくり。写真を撮影すると一瞬戸惑ったように静止したが、またゆっくり動き始めた。触りたい衝動にかられた時、志賀直哉の「城の崎にて」をふと思い出した。いかんいかん、こんな風邪引き心の状態で触れると、我にもあらず彼の身の上に不幸を招いてしまうかもしれない。こんな時は、あったかいお風呂に入って、何か美味いものでも食べるに限る。

! 次回はご遠慮なくお訪ねください

7月2日(火) ほぼ毎日校長 Vol.59 幸せな気分です

見事なものである。あれだけの装飾、あれだけの準備をしながら、盛り上がりを見せた「祭り」のあとは、ものの見事に片付けられていた。本日から平常授業。祭りのあとの寂しさが心にへばりついているのかと思っていたが、表に出すことなく「平常」が営まれている。本校の生徒はやはりすごい。

 土曜日の午後、文化祭も終わりに差し掛かったころ、部屋に帰ると一冊の書籍に手紙が添えられて届けられた。持ってきてくれた事務の職員に「寄っていただければいいのに、もうお帰りになった?」と問いかけると、そのようにお声がけしたのですが、「お渡しいただければそれでいい」とおっしゃってすぐに帰られたとのことであった。書籍はご自身が取り組んでおられる活動に係るもの。早速添えられた手紙の封を切ってお手紙を拝見した。書籍に手紙でなく、お手紙に書籍が正しい表現のようであることがすぐにわかった。かつて担任だった先生に「日髙くん、手紙というのはな、封の切り方で期待度が分かるんだよ」と教えていただいたことを妙に納得したことをふと思い出した。中には便箋3枚に渡り、お子様を本学に通わせた(通わせる)思いが丁寧な字で綴られていた。不安を抱いての入学と、保護者会や入学式で挨拶をかわしてくれる生徒や教員の姿にその思いが払拭され「いい学校に・・・」という安心に変わりつつある。安心感が増してきた。と書いてくださっていた。なんとも幸せな気分なのです。ありがとうございます。今度は遠慮なくお立ち寄りください。

お手紙の中に、この「ほぼ毎日」のことが記されていた。楽しみに読んでくださっているとのこと、これも嬉しい。展示や発表を見て歩く途中でも、「こんにちは、読んでますよ、ほぼ毎日」と声をかけてくださる保護者の方も多くいらっしゃった。日頃伝わりづらい学校生活のこと、少しでも知っていただくことができれば幸いです。

 

鉛筆 玄関を入るとその学校の全てがわかる

6月24日(月) ほぼ毎日校長 Vol.53 高校説明会にお伺いした中学校

 高校説明会に伺う機会があった。なんども伺ったことのある中学校である。いついってもこの学校は、玄関を入るだけで気持ちが洗われる。日頃生徒たちにどんな指導をなさっているのか、どういう教育が展開されているのか、そして先生たちの協働の体制がいかにしっかりしているかが分かる。「すごい学校だなぁ」といつも思ってしまう。見習いたい。兄弟校の木更津総合高等学校の説明を真板校長(理事長)がなさっている間に、パシャリと写真撮影。ご覧いただいて分かるだろうか、姿勢を正してじっと話者の方に目を向けている。「話は目で聞け!日髙!」中学校時代に話を上の空で聞いていた私を注意した先生に「聞いていましたよぉ」とふて腐れると、可愛がってくれていた担任が横から大きな声で指導してくれた。「話は目で聞く」もの、ここの生徒たちはちゃんと実践している。もちろん市原中央高等学校の生徒諸君も。いいね。

 本校の保護者の方が話してくださったお話を思い出した。中学校の教員をなさっている方で、「日髙先生、私の教え子に話してくださった『ドーナツの穴』のお話、よく覚えています」嬉しい限りである。その話を思い出し、この中学校でも「二匹目のドジョウ」を狙ってみた。

ドーナツの穴と動物園の話し(高校選びはこうあるべきだ)

自分って何?という問いかけは難しいが、わかりやすい。自分=ドーナツの穴と考えること。あるかないかを明確に説明できない「穴」は、ドーナツによって形づけられている。自分を「穴」と考えるなら、ドーナツは周辺(=仲間、教員、他者)である。他者が上質であればあるほど、「穴」は上質な自己確認をする。上質なドーナツのある学校をどうやって選べばいいか、その話をしよう。行ける学校選びは、「それなり」のドーナツしか得ることはできない。

動物園(や水族館)に行ったことはあるだろうか?・・・

ほくそ笑む・ニヤリ 「お弁当なしね」が生んだ出会い

6月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.52 唐揚げ弁当350円

 私ごとですが、奥さんが出かけるときはお弁当がありません。そんな時は、生徒の昼休みが始まる前に食堂でお弁当を購入することにしている。ボリュームのある弁当が350円と、かなりリーズナブルである。写真は唐揚げ弁当。今日もこれにする予定でしたが、来客があり昼休みが始まって少し時間が経ってからになってしまった。案の定、食堂には行列ができている。「食券の最後尾は?」独り言のように言うと「先生、ここです」と招いてくれた。私の後に2人の女子生徒。どうやらここが終わりのようで、その後は誰も並ばなかった。後ろの二人と色々とお話をさせてもらった。「食券はあらかじめ販売数が決まっているの?」とか「私で売り切れるといけないから、先に買えばどう」といった類の、たわいもない話なのだが、こう言う時間が一番好きである。この17日から販売を開始した売店。ちょっとしたスナックやアイスクリームが売っている。「もう利用した?」「はい便利に使っています」「一番のお気に入りはアイスクリーム」だそうである。列の途中にノートを見ながら並んでいる生徒がいた。「すごいなぁ、行列の中で勉強か?」と問いかけると、下を向いてしまった。そばにいた友人が「追試験があるそうです」と、小声でこっそり教えてくれた。よく考えもせず「そうか、追試か、頑張れ!」と大きな声で励ましたものだから、耳まで真っ赤にしてさらにうつむいている。申し訳ないことをしました。ごめんなさい。

「お弁当なしね」が生んだ素敵な出会いである。感謝。

部屋に帰ると、いつもの野球部の二人が待っていた。抽選の報告に来てくれたのである。「高校球児としての最後の夏を飾るのに、いいくじを引いたね」と迎えると、二人で声を合わせるように「はい!」と大きな声で返事をしてくれる。清々しい空気で部屋が満たされるのを感じた。ありがとう。

合格 学校経営の方針は君たちから生まれているようだ

6月19日(水) ほぼ毎日校長 Vol.50 市原市内の中学校長が大勢お見えになった

「僕ってなに?」「私ってどうなの?」という問いかけは、ドーナツの穴ってあるの?という問いに似ている。穴は確かにあります、でも食べてしまったらどうなるだろう?「ない?」確かにあったはずの穴は?穴はドーナツによって形づくられている。人生の中で、高校3年間はそんな自己確認をしたり、人間形成をしていく大切な時期にある。どんなドーナツが周りにあるかで、人生が変わると言っても過言ではない。水中を飛ぶように泳ぐペンギン、やはり鳥だった。プールの中でダンスを踊るシロクマ、王者の風格がある。ガラスの向こうからにらめっこするアザラシ、好奇心の強さが本領。みんならしさを引き出されている。それぞれの動物のプロが、他には真似できない特徴を引き出している。飼育のPROなのである。本校には、自慢できる教育のPROがたくさんいる。だから生徒は生き生きし、らしさを引き出され、光り輝いているのである。市原中央高等学校の自慢はそこにある。

校長先生たちに教育方針と本校の素晴らしさを語り、部屋に帰ると、しばらくして「アレェ、いるぅ」という言葉とともに女子生徒が二人入ってきた。部屋の清掃をしながら、「先生、吹奏楽のコンクール、私たちの前は市立船橋、次の次には市立柏・・・。やりがいあります」と言って笑顔で報告してくれた。ぜひ行くよ。頑張ってください。

会話を交わしながら「本校の教育方針」などと立派なことを言いながら、気づいてみれば、目の前の生徒像を語っているだけである。どうやら校長は、君たちから何をすればいいかを学んでいるようである。いい生徒たちに恵まれた。

野球 12日 Vs 木更津高校 マリンスタジアム 応援お願いします

花丸 正解のない答え合わせと100点ダルマ

6月18日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.49 少年の話・・・答えは?

 ほぼ毎日校長Vol.36「ニライカナイから神が来る」の中で登場した案内役の少年、どうして祭りの話を聞かせてくれるごとに、「おじさんはいい人だから・・・」を枕詞のように使うのだろう?先日の校長講話で私の考えた解答を述べたので紹介しよう。

幼い子が「おじさんはいい人だから」と必ず言ったのは、日髙を「いい人」にしていないと自分が罪人になるから。

神々の話(祭り)にはタブー(=禁忌:してはいけない)がつきものである。異類(神)との婚姻を語るものには必ずと言っていいほどある。鶴の恩返し「機織りを見ないでください」浦島太郎「開けてはいけません」雀のお宿「覗いてはならない」三輪山の杉「触ってはいけない」などなど。この島の秘儀の祭りは「語ってはいけない」(島民だけの共同幻想)である。島民たちは子々孫々にいい伝える「語ってはいけない」純粋な子供は、純粋な疑問を持つ。「なぜ?」そうすると母と子の間に、こんな会話が成立しはしないだろうか。
子「なぜ話しちゃいけないの?」
母「・・・」(答えられない)
子「ねぇ、お母さん、なぜ話しちゃいけないの?」
母「島の人たちの大切な祭りだから、悪い人に聞かれるといけないからよ」
(「いい」←→「悪い」という、本当は難しいが、子供には理解しやすい概念で説明する)
子「ふーん」(じゃあいい人なら語ってもいいんだ)

「おじさんはいい人だからね」という少年の言葉は説明できているだろうか?これは「正解」ではない。◯や✖️で判断されるものではない。私の説明であり解釈である。あの宿題を出した時、生徒諸君はどんな答えを導いたろうか。右から左へ「口から耳へこぼれゆくもの」として聞き流す者も多かったに違いない。(HRで話題として取り上げてくれた教員もいると聞いている。ありがたい)世の中には、こうした問いはあまりにも多い。 いや、こうした問いばかりである。そして時には誰も答えを示してくれない。協働のスパイラルの中で自分を変容させ、強い頭を鍛えるそんな学びが必要な時代なのだ。

これは◯✖️の世界。でも先に書いた学びの根底に、これは絶対に必要だ。この層が薄い者が強い頭を鍛えられるはずがない。スタートはここから。

100点ダルマ、今回は何人いるのだろう。「卒業までに◯個目標」いいね!

学校 中央見聞録ってご存知ですか?

6月13日(木) ほぼ毎日校長 Vol.46 本校の新聞委員会が出している新聞です

「中央見聞録」なるものが配られた。掲載されている写真をみて、遠い記憶を思い出した。新聞委員会の男子が来て、原稿を依頼された、写真を撮影された。新任の教員紹介の記事が載っている。保護者の皆様、お手元に届いていますか?耳鼻科検診に来ていた学校医の看護師さんが、新聞と学校案内を見ながら「校長先生は髪型で随分と印象が違うのですね」と。『確かに、自分でもそう思う』気分がストレートに表情に出るようで、廊下を歩いていて「今日の先生は怖いですね」と教え子に言われたことがある。きっと難しい顔をして、全身から「寄るな!」オーラを出していたのだろうと思う。授業の様子を覗きに行こうと校内を歩いていると「今日の校長先生は怖いです」と後ろから声をかけられた気がした。振り向くと壁のフックに掛けられたリュックサックに付いた面白いぬいぐるみが、ニッと笑っていた。

新聞記事から

①自己紹介をお願いします ②本校の生徒の印象は?  ③高校生の時はどんな生徒でしたか? ④大切にしている考え方や言葉を教えてください。

  ① 自己紹介:瀬戸内の小さな町で生まれました。18歳の時に上京し、それ以来、関東に住んでいます。今では関西弁もあまり出なくなりました。趣味は南国(の海)に行くこと。若い頃は、波音を聞きながら満天の星空を眺めるために、年間30日くらいは、インド洋や南太平洋の島々に行っていました。
② 本校生徒の印象:「いいね!」「こういう高校生、好きだな」が、印象です。他人の話に傾聴の姿勢を持っている。これって素晴らしい力だと思う。まだそれほど多くの生徒と接していないのですが、接した限りではとても好意印象を持っています。
③ 高校生の時はどんな:同窓会で同級生に会うと、「日髙は変わらないなぁ」とよく言われます。『高校の頃からこんな老け顔だったのか』『人間的成長がないのか』と複雑な気持ちです。「できる」が嬉しくて、できるものが見つかると、とことんのめり込んでいました。わがままを許してくれる寛大な心を持った友人が多かった。感謝しています。
④ 大切にしている言葉:人は、何か一つことをやり通さなくちゃいけないのさ」別役実の言葉だったと思う。若かりし頃に出会って、大切にしている。本当は違う表現だったかもしれない。一生懸命な姿や何事かに投じている様子は美しく、心打つものだという解説とともに、私の中に染み込んでいる。

合格 そうか、ここに来ればよかった

6月11日(火) ほぼ毎日校長 Vol.44 生徒会室いつも満員御礼

 「令月の和楽」今年の文化祭のポスターが貼り出された。パープルの地に淡いピンク。令月(美しい月)に手をかざす少女。紫の高貴な品格のある色の中で、髪を風になびかせている。まさに「薫る(カヲ・ル)」なのである。つややかな美しさ、このポスターを手がけた生徒は誰だろう。13枚の候補の中から選出された一枚。もちろん「令和」の「風和らぐ」を視覚的に意識した作品なのだろう。見るものにその意図を感じさせる。かつて読んだ書物の中で、確か和歌の解説であったと思う。「きよし」と「さやけし」は違う。物その物がもつ「きよし」によって対する者の心が浄化される状態それが「さやけし」と書いてあった記憶が蘇る。このポスター「見る者の心を洗うほど」なのである。

 ぼんやりとポスターを眺めていると「こんにちは」と明るく挨拶をしてドアの向こうに隠れていく影。生徒会の生徒である。文化祭が近いのでコトコト忙しそうにしている。『お邪魔かな』と思いながら中を覗くと、案の定、みんなが何かに取り組んでいる。「何しているの?(あーそぼ!)」と声をかけると、PCの方を向いたまま、「はい、クラスの出し物の説明文の活字化です。」と答えてはくれるけれど、応えてくれない(あーとで)なのである。察してくれたのであろう、生徒会顧問の先生が「◯◯さん、校長先生のお相手」と一人、遊び相手をあてがってくれた。嫌な顔もせず「はーい」。ところがこうして改まると、何を話していいかわからない。「えっ、まぁ」などと柄にもなくドギマギしていると、「校長先生、私、生物で97点とったんです。もう、最高」と話題を提供してくれた。それを機会に、そこここに座っている生徒が代わる代わる相手をしてくれる。あっと言う間に時がすぎていった。出来上がった学校案内を見ながら、「素敵なパンフ。表紙はタマちゃん。友達なんです」「アレェ、校長挨拶なんて書いてるけど、これ校長先生ですか?」「えっ、違う」と写真と私をしきりに見比べている。写真が悪いかな?写真変えるかな?

生徒会室、ここに来ると市原中央高校が、グッと凝縮されているようだ。そうか「校長は寂しい( ;  ; )」時にはここにくればいいんだ。生徒会の諸君、忙しい中お付き合いありがとうございました。

話題の写真→ 

花丸 先生、なんだか嬉しそう!

6月6日(木) ほぼ毎日校長 Vol.42 確かに一番はしゃいでいるのは私

チャイムがなり終わった。しばらくするとガヤガヤ、キャァキャアと賑やかになってくる。机を運ぶ音が聞こえる。教員経験のある方なら、これだけでリアルに映像まで浮かんでくることだろう。それだけでなく今まで淀んでいた空気が、一気に爽やかに動き始めるのを感じているに違いない。考査が終わった。この音や生徒たちの会話を聞くだけで、心がウキウキしてくる。「先生、なんだか嬉しそう」清掃担当の生徒が笑顔で語りかけてきた。「嬉しいんだよぉ。先生はこの時を待ったいたんだ」と返事をすると「校長先生は寂しい(≧∇≦)ですね」(Vol38)とブログの記事を話題にしてくれる。「本当に嬉しそう」全身に嬉しさが現れていたのだろうか。話しかける生徒それぞれが、「あーとで」ではなく、ちゃんと相手をしてくれる。「あぁ、あの問題配点が10点だったらまだ救われる。15点だったら地獄」とテスト結果を嘆きながら廊下を歩いていた女子生徒に、「テストが終わった喜びを全身で表現してみよう」と声をかけると、瞬時に明るく応じてくれた。調子に乗って、「さぁみんなも」清掃担当の3人組も全身で喜び。玄関掃除の男子生徒、「僕らはいいですよ」と言いながら「5・4・3・2・1」とカウントダウンすると「ワォ」と付き合ってくれた。一番はしゃいでいたのは、やはり私なのである。みんな、お付き合いありがとうございました。「校長室の清掃担当の男子が来ないなぁ」と独り言を呟いていると「先生、あの二人は提出期限今日までのワークブック回収係になっていて、今日はこれないと思います」同じクラスの女子(彼女は確か吹奏楽部の部長さん)が事情を説明してくれた。気配り段取りができる生徒っていいな。自慢です。

梅雨が近く、曇り空が多くなるかもしれない。でもここ市原中央高等学校の校内は、ぴーかんの晴れなのである。

苦笑い 口から耳へこぼれゆくもの

6月2日(日) ほぼ毎日校長 Vol.41 不断の努力と学校力(市原中央新聞から)

着任早々挨拶文を求められるのは校長の常である。生徒会の挨拶文、新聞委員会が出しているのだろう「市原中央新聞」の巻頭言。この号は、卒業生の進路に係るコメント、後輩たちへのエール特集である。その新聞に「校長あいさつ」として書いた文章がこれ。教員との個人面談の中で、この文章を話題にしてくださった先生がいた。自分でも存在を忘れていたが、前期の第一回考査が終わり、夏を迎えるこの時期に、在校生諸君へのエールとして記しておこうと思った。

  誰の言葉だっただろうか、「[『ことば』は口から耳へこぼれゆく」もの。刹那的で命短いものだが、人の心や万物を動かす大きな力を持っている。古人はその力を言霊(ことだま)と呼んだ。ここに記された卒業生たちの「ことば」は尊く、力強い。不断の努力に裏打ちされた大きな力を持っている。魂(霊)を持っている。「筆舌に尽くしがたい」というが、彼らとてもそうであろう。「こんなに努力しました」と自慢げに成果をひけらかしてはいないが、その筆に滲むような努力の軌跡を追うことができる。伸び悩み、苦しむことの連続であったろう。やや先に光が見えたかと思うと、その光はたちまちに霧の中に消えてしまう。目指す方向性も見失い、「もうだめだ」という絶望感だけが支配する時期もあったに違いない。言葉でなんか語ることはできない心境、それが行間から滲み出てくる。その苦しみという大きな壁を穿った力、打ち勝った力の存在を共有させる、姿なき表現を聴くことができる。一つ事を貫き、成し遂げた者たちの、尊厳に支えられた発語である。いま私が語っている感覚が実感できない、享受できない者がいるとすると、やや危うい。目標に向かって真摯に臨む姿勢に、いまある自分の姿に内省の目を向けてみる必要があるかもしれない。
 彼らの目標達成に向かう努力を継続させ、栄冠を勝ち取らせたものは何だろう。もちろん本人の強い意志が一番であることは間違いない。ここで問う「何」は、その意志を、そのモチベーションを保ち続けさせたものは?という問いかけである。多くの要因が考えられるだろうが、もう一度彼らの筆を辿ってみると見えてくる。それは「学校力」である。受験は団体戦ということをよく耳にするが、その団体戦を勝ち抜く力を高めることができるかどうかは、この「学校力」にかかっていると思っている。その学校の空気が、水が、そこに集う者たちの心を刺激し、より高みに向かわせる。一人ひとりの姿勢、奥歯を噛みしめる力、紙面に鉛筆を走らせる音までもが伝播し、刺激する。和紙に落としたインクが滲むように、静かにそして確かに。やがてそれは総和として、学校全体の雰囲気として成立する。学校力の発動である。
 ここには、他にはない素晴らしい学校力がある。寄稿された卒業生の一言一言と、輝かしい実績はその証である。在校生、新入生の諸君にとっては、何物にも代え難い応援メッセージ、熱いエールになっている。険しく辛い道程ではあるが、歩を進めることを止めないで欲しい。君たちの頭上にも栄冠が輝くことを祈念している。

本 1册のノートから

5月16日(木) Vol.29 大切にしているんだ、大切にしてもらっているんだ

放送委員の1年生が教員に連れられてやって来た。何度か訪れてくれたようなのだが、タイミングが悪かったという。事務にいた教員が対応し、今日の日なら大丈夫という約束をしてくれていたのである。顔を見ると、昨日、東京大学・早稲田大学に一緒に行った生徒である。放送委員会に所属していて、NHKのコンクールにエントリーする取材をしているという。手に持った手帳、机の上にはボイスレコーダーがわりのiPhone。『すごいな、本格的だな』と思いながら、取材に応じていた。質問と回答。その中に彼が雑談風に入れる合いの手。ちょっと気になる話題は、自分なりに換言した言い回しで理解を確認する。物静かだけれども、口調に彼の強い頭を感じた。取材の間気になっていたアイテム(大切そうに使っているハードカバーのノート)について尋ねると「お気に入りなんです。父が買ってくれました」と答えてくれた。大切にしているんだ、そして大切にされているんだね君は。ふと自宅の机の引き出しに眠っている、何かの折にApple社から頂いたノートのことを思い出した。長い間使われることなく放置されている。彼の親子の「大切」が羨ましく、ちょっと介入したくなった。私の気まぐれで放置されているノートにも「大切にされる」時を過ごしてもらおうと思った。

君の高校生活は始まったばかり、いい瞬間(とき)を重ねて豊かに過ごしてください

雪 ここには100点達磨がいた

5月8日(水) Vol.23 創立来生徒を応援してきた

朝の打ち合わせが終わって、担任の先生がHRに向かう。外を眺めると、快晴の空に山々の新緑が眩しかった。爽やかないい朝である。一人の先生が、眺めている私の様子をみて「いい天気ですね」と声をかけてくれた。ささやかな一言だが、こういう会話って大切だと思う。校長室にきたある先生が、私の文章を読んで「言霊」の話をしてくれたことがある。『読んでいてくれたんだ』という嬉しさと、コトダマというもう古語になった語句を共有できる喜びを感じたのだが、今朝のこの先生の言葉にも「コトダマ」が宿っていたようである。いい朝、いい一日の始まり。校長が難しい顔をしていては、学校が暗くなる。いい1日になりそうである。声がけをくださった先生が思い出したように、「校長先生、ご存知ないかも知れませんが、本校には100点達磨がいるんです」といって、足元の引き出しから、手のひらサイズの達磨を出して見せてくれた。各考査のテストで、100点満点を取った生徒に贈られるものだという。創設者の故・真板益夫先生が考え出したものらしい。「頑張っている姿は美しい」少しの励みになればというお考えであったに違いない。毎年ダルマ獲得に意欲を燃やす生徒もいるという。1年生諸君、初めて聞く話かも知れないが、ぜひ狙ってみてはいかがですか。つまらないことでも夢中になるpassionって大切ですよ。

了解 シナントロープを見つけた

4月20日(土) Vol.16 朝の光景も清々しい

 昨日の朝、昇降口から大きな挨拶の声が聞こえるので部屋を出てみた。登校する生徒たちと教員が挨拶を交わしている。快晴の朝だっただけに、その声がまた清々しく感じた。一人の生徒が私に気づき、笑顔で挨拶をしてくれた。その朝の空気と「さやけさ」を切り取りたかった。なぜか下駄箱から上履きを取り出している後ろ姿の切り取りが、朝のスタートとしてそれを叶えてくれるように感じ、挨拶をしてくれた生徒に被写体になってもらった。「あっ、はい、いいですよ」とポーズを取ってくれた。ありがとうございました。いい朝の始まりを感じながら2階に行き、ちょっとお気に入りの「天空の廊下」(生徒棟から体育館への渡り廊下)に向かった。よく晴れていて、見上げると青い空に雲が美しく浮かんでいる。水底から水面をみているような錯覚すらある。先ほどの生徒からもらった清々しい空気の余韻に浸りながら、ぼんやり眺めていた。すーっと小さな黒い影が横切る。「ツバメだ」目で追うと、バスの停まる昇降口前の地面をすれすれに飛んで、職員昇降口の方に飛んでいった。昇降口の屋根に巣を作っている。ツバメのように人の生活環境に依存して生きる生き物を、シナントロープというそうだ。昔からこうした動物に対し、人は「共に暮らす」意をしっかりと受け止め、一歩譲って「どうぞ」という敬意を払ってきたように思う。ある場所で、糞の害を理由に、作る巣を壊しているのを見て残念に感じたことがあった。本校は?ちゃんと「どうぞ」を大切にしてくれていた。ここでもいい朝を感じる瞬間(とき)があった。感謝。

苦笑い この師ありて、この生徒あり

4月14日(日) Vol.10 一枚の印刷物が嬉しかった

朝の打ち合わせに行くと、机上に一枚の印刷物が配布されていた。私だけにではなく、全職員に配られているようだ。新入生向けに作った冊子の巻頭言をわざわざ抜き刷りにしたようである。打ち合わせの発言の中で、一人の先生が「先日のお話の中で、『新入生向けの冊子の巻頭言にも書かせていただいたことですが・・・』との内容がありましたので、全教職員が知っておく必要があると思い配布しました。ご一読ください」と説明してくださった。なかなかできる気配りではない。一部の生徒に接する中で『いいなぁ、うちの生徒。自慢だな』と思える生徒の人間的質の高さは、こうした先生方によって育まれているのだ。嬉しかった。一方で、いい加減なことは書けないぞ、言えないぞと身が引き締まる思いがした。

説明できることの先にある未来に挑戦せよ

少し面白い話をしよう。昔、そう君たちが生まれて過ごしてきた時間の倍ほども昔のこと。出会った一冊の本の中に載っていたエピソードである。日本の霊長類研究所で飼育されていた一匹の雌のチンパンジー(サラ)は、自分を担当している飼育員に「思いやり」という心の動きを見せるという。それを確認する実験が行われた。寒さで震える飼育員に対し、彼女はどんな行動を見せるかというものである。彼女は、いくつかの選択肢の中から見事に毛布を選び、飼育員に掛けてやったのである。人にしか持てないのではないかと思われていたこの「思いやり」という心の動きを、サラはやってのけたのである。同種の行動が彼女には、異なる状況下でも確認された。ただそれは、相手が飼育員である時だけという限られた条件のもとで有効なものであった。
 しかし人は違う。限りのない広がりで、眼前の事象を受け、起こった心の動きを他に及ぼすことができる。目の前で起こっていることを観察するだけでなく、原因や意図を考え、そこですべきことは何かを考える。全く見ず知らずの者であっても、相手は何を望んでいるかを察し行動することができるのである。もちろん個人差はあるが、そこで起こっていることを観察するだけでなく、他者の意図や困惑は何かを考え、推測できるのである。人間にはこうした複雑な概念を学習し、その概念を現実に及ぼす能力があるらしい。誰に指図されることもなく、いつの間にかこの能力を自然に発揮できるようになっている。君たちの担う将来を「不透明な未来」などと人は言うが、説明できることの先にある未来に対する取るべき行動や、掴む力もこうした能力と同じなのかもしれない。
 「いつの間にか」と書いたが、この能力が発揮できるようになるためには、多くの人との交わりという経験、そこで受けた感情、読書や鑑賞によって作り出された疑似体験や感動などと、それを得るための積極的で懸命な行動が必要である。日々の生活における涵養である。勉強も然り、部活動や学校行事、友人とのたわいもない会話など、日常生活のあらゆるものが涵養の糧になっている。周りにあるものが上質であればあるほど、それに比例して形づくられる能力も上質になる。より上質な力を得るための営みには、上質な周辺、環境が欠かせない。ここ市原中央高等学校の自慢は、そこにある。中でも一番の自慢は、生徒である。君たちの選択に間違いはない。ようこそ、市原中央高等学校へ。   2019年4月

始業式

4月8日(月) Vol.3 校長の意気込み

始業式があった。初めての式辞(講話)、もう少し気の利いたことを言えればよかったのだが、月並みな話に終わってしまった。冒頭の校長挨拶の生徒版焼き直しのようなもの。

元号が変わるがそれで何が変わることでもない。高浜虚子の句に「去年今年 貫く棒の ごときもの」というのがある。人は区切りをつけたがるが、年が変わったからといって、自分に何か変化が起きるものでもなし、貫いってきたもの(信念)に変化はない。しかし、一般の考え方、「節目」「区切り」というのも大切だと思う。市原中央高等学校元年。君たちはどんな節目としてこの瞬間(とき)を捉え返すのか?そして(信念を)貫き通すことができるのか?真価が問われる「節目」であることは確かなようである。

説明できることの先にある未来への挑戦、「信」のある若者の育成、リーダーとなれる学びの展開、楽しくなければ学校じゃない。

「らしさ」って面白い

4月5日(金) Vol.2 素晴らしいプレゼントをいただいた

着任する前に、事前の打ち合わせに来校した私に、生徒会担当の先生から宿題が出た。新入生のオリエンテーションで使用する冊子の巻頭言を書いて欲しいというものであった。喜んで書かせていただいた。その冊子ができたのでわざわざ届けてくださったのである。もちろんその気持ちも嬉しいのだが、表紙が私になっている。年度末に前校長先生から「新しく・・・」と聞いていた生徒の手によるものなのだろう。写真一枚を手がかりに描いたもの。きっとこの生徒の(今度の校長の)イメージが強く影響しているに違いない。肖像画や似顔絵は多くそうである。嬉しかったのは、日頃『こうあれればいな』と思っている自分が、校訓「真心」を手に、微笑んでいるのである。現実の私は、とてもこんな眼差しはできない。こんな微笑みは持てない。描いてくれた生徒の「こんな校長ならいいな」が、絵の中の私をこんなにも高めているのである。少し面映ゆいが、嬉しい。近づけるように努力しなければ。ありがとう、素晴らしいプレゼントです。

はじまりの時

4月2日(火)Vol.1 爽やかな朝が気持ちを高ぶらせている

初めての出勤の朝、肌寒い空気に朝の太陽が眩しく輝いて、シルエットになっていた校舎が彩りを取り戻していく。いい朝だと心から思った。ふと、初めて会話を交わす生徒はどんな生徒だろうと考えた。ひとりの女子大生の顔が浮かんだ。この学校を卒業し、学園併設の大学に進んだ女子大生である。縁あって1年間SLP(student leadership program)という授業で一緒した彼女は、聡明で、爽やかな笑顔を持つ女子大生である。彼女のイメージは、この学校のイメージそのもの。この朝の空気のようなイメージである。生徒とのふれあいが楽しみである。

生徒一人ひとりが,生き生きと過ごしている「瞬間(とき)」を切り取って紹介する、ブログ「ほぼ毎日・・・校長」を作ろうと考えた。