校長室から

お祝い まだ見ぬ君たちへ(新入生に寄せる)

4月15日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.163 入学式がなくて残念なのだが
コロナウイルスの猛威のおかげで、入学式ができなくなった。少し無理をしてでも・・・と考えたが、ほぼ全員がスクールバスを活用する本校では、クラスター感染が心配である。なんとも言えない残念な気持ちを持ちながら、同じぐらい強く「早く会いたい」とも思う。「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」

まだ見ぬ君たちへ(荷物に同封したメッセージ)
古来、日本人は「みる」を大切にした。「見えぬもの」を恐れ、敬う。神々と人の境にも「見るな」(タブー)を設けた。それほどに視覚は重要な意味を持っていたようだ。いま人類は「見えぬ敵」と戦っている。侮ってはいけない。厳しい戦いになるだろう。こうした戦いは今後も増えるだろう。その社会の担い手となる若者たちが本校に入学してきた。頼もしく、嬉しい。早くその姿が見たいと心から思う。お互い我慢の時だ。頑張ろう。   校長 日髙 学

お祝い 言い忘れがなかっただろうか

4月14日(火) ほぼ毎日・校長 卒業おめでとう

机上の電話が鳴り、受話器を取ると「ぜひ校長先生とお話がという保護者の方が・・・」副校長先生が少し困惑した声で事情を伝えてきた。長く電話でご説明し、納得いただけているのだが、最後にぜひ校長先生と話をしたい。替わると、開口一番「やっと出てくれた、校長先生。やってやくださいよ卒業式。規模縮小でもいい、みんなと会う機会をあげてくださいよ。教頭先生も、副校長先生も『やる方向で検討中』、そんなんじゃ終われない。先生から一言『安心してください。必ず』と聞きたい」心を絞るような声でお父さんが語りかけてきた。私の回答に「本当だね。絶対ですよ。でないと、子供が不憫で・・・。その友達も今みんな来ている。お父さん学校に電話して・・・って言っている。いいですね、校長先生が約束してくれたって伝えていいですね」
もう1月以上も前の話だが、お父さんの声も、話の内容も、感情もみんな覚えている。心からありがたいなぁと思った。3月18日、卒業証書授与式を挙行した。コロナ騒ぎで縮小した挙行だったが、よかった。

 春風駘蕩、梅花馥郁と薫るこのよき日に・・・通常卒業式の式辞の冒頭はこれで始めることにしている。今年は違う。猛威を振るうウィルスのおかげで、季節がひとつずれたような時期に、君たちとの別れをする。「ふつうでない」と感じる者も多いだろう。「異常」「想定外」などという言葉を当てはめてみたら、ぴったりする感覚を感じるものも多いだろう。しかし、我々が、いや君たちがいきるこの時代に、「異常でない」「想定内である」はどこにあるだろう。触れるものすべてが「思いもよらなかった」というものばかりが蔓延、氾濫する時代である。式辞では普通、グローバル化、情報化が進み、狭くなった地球の、激流のように流れる時の流れの中で・・・と続けるのだが、そういう時代であるからこそ、大切になることを語っておきたいとおもう。今日はひとつ予想だにしない式辞で君たちのはなむけの言葉としたいと思う。
私におおきな影響を与えた青年の話である。もう10年も以上も前の話。病院に隣接する学校に勤務していた。着任して日も浅い4月初め。今日のような春の日である。陽が当たる病院から学校に続く渡り廊下を、電動車いすでゆっくりと渡ってくる青年がいる。あの時の彼は、今の君たちと同じくらいの17・8歳。傍まで来て「新しくお見えになった校長先生ですか?」と語りかけてくれた。名前を「KAI」(たしか「海」とかいて「かい」)君という。笑顔のすがすがしい青年である。久しぶりにみたような気がした、澄んだ目の持ち主である。生徒会長である。しばらく話をして病棟に帰っていった。
はじめて会話を交わした生徒だったので、印象深かった。毎日病棟からやってきて、お昼は病棟に帰って昼食。午後やってきて授業が終わるとまた病棟に帰っていく。昼休み彼が帰っていく姿を何度となく見ているうちに、あることに気づいた。彼は必ずわたり廊下の、同じ個所で車いすを止めて、中庭の一角を眺めて帰っていく。ほんの数秒のことだったに違いない。私には10秒にも20秒にも、それ以上に長く感じた。彼の視線の先には、今を盛りと咲いている菜の花があった。
彼の中にそんな思いがあったのかどうか確かめたことはない。この話をするたびに、自分のなかで増幅されたストーリーであるだけのような気になってくる。「花を見つめることの意味」を私は感じ取った。彼は、筋線維の破壊・変性(筋壊死)と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく遺伝性筋疾患筋ジストロフィーという病に支配されている。そのことを知った時に「菜の花を見つめることの意味」を私は付加したのだろう。彼にとって毎年訪れる「春」、菜の花をめでることは、「筋萎縮と筋力低下の進行」を確認すること。「昨年まで腕は動いていたのに、今年は指先しか動かない」を知ること。病棟に「ただいま!」と言って帰り、同室の仲間と話をする。それは、数年後の自分の姿を見ること。
私は「ちがう」と思った。私のような年老いたものが、春の桜花を見るたびに、「あと何回この桜をみられるのだろう」と考えたり「あの頃のわたしは」とよみがえる思い出に浸るのは世の常である。それはいい。しかし、17・8の青年がそれを感じてはいけない。それが「ちがう」なのである。それまでここに集っている君たちと同じように、今を懸命に生きている元気溌剌生徒と接していた自分が、気づかなかったことを彼は教えてくれた。どんな者も自らの「生」と向き合いながら生きているんだという、大切なことを彼は教えてくれた。吉野弘の詩「I was born」。確かに誕生は生まれる者の意志は介在しないが、自らの「生」として強く生きること。君たちの「生」に託されるさまざまな思いを受け止めながら・・・
「命」を大切にしてほしい。他者のも己のも。「ふつうでない」が蔓延する時代だからこそ。それをつたえて、私の式辞、君たちの門出のはなむけとしたい。
さあ、35期生の諸君、いよいよお別れの時です。この学校での3年間を糧に、いい人生を歩んでください。君たちの将来が幸多からんことを心より祈ります。
卒業、おめでとう
令和二年三月一八日
   君津学園 市原中央高等学校長 日高 学

重要 今日から3日間・書道同好会書作展

2月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.161 みんな頑張っている

 木更津のイオンモールで開かれている書道同好会の書作展に早速伺ってきた。一年生も二年生も。
何日か前のこと、見知った2年生の男子が部屋を訪ねてくれた。2年には珍しく、よく部屋に来てくれるKくん。木更津総合高等学校との書作展の招待状を持って。「何を書いたの?」「漢詩、春を詠んだ漢詩の一説を半切に書きました」漢詩の内容をイメージできただろか。昔少しばかり書道をかじったことのある私は、K君と同じ歳くらいの時のことを思い出していた。井の中の蛙で、地域の書作展でもてはやされ天狗になっていた頃の自分を思い出していた。やがて大学に行って、見事に鼻をへしおられ、挫折した時のことも思い出していた。「楽しみ(play)」がなかったのだと思う。書いている時の充実や、喜び、そんなものをK君には感じて欲しいと思っていた。
 一年も頑張っているので来て欲しいという彼の誘いに、「行く、行く」と約束したものの、週末がなかなか難しい。通院の時間を少し早めて、思い切っってお休みをもらって行ってきた。ちょっと気取って、花を持って行ってきた。行ってよかった。同好会のみんなが喜んでくれた。始めてまもない者も、少し心えのある者も、一生懸命に「楽しんで」いた。

 また一つ、市原中央高等学校の生徒の魅力を発見した。いい「瞬間(とき)」を過ごしています。

音楽 私学吹奏楽大会の報告にきてくれた

2月7日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.160 インフルエンザで大変だったね

「先生、行ってきました!」と報告にきてくれたのは吹奏楽部の部長さん。モザイクをかけているのでよくわからないでしょうが、ちょっと丸みがかった黒い細い縁取りの大きめのメガネがとてもよく似合う。ややもすると知的な雰囲気が優先しそうなイメージを、温かく柔らかいものに変えて、とても素敵な感じなのである。(イメージからはドクタースランプの則巻アラレちゃん)予防のためにマスクをしていたので、最初は誰か?と思ったのだが、メガネとその奥のにっこり笑った目ですぐに分かった。手には大会の冊子と缶バッジを持って、報告にきてくれたのである。開催の直前にインフルエンザの流行で、1クラスが学級閉鎖になっっている。その中に部員が?気がかりで聞いてみた。「そうなんです。ホルンの子がいけなくなって・・・1年生を代わりに立てたのですが、結構間際だったので・・・」と苦労話をさらりと語ってくれた。さぞ大変だったろうに、「さらり」なのである。今ある現実をしっかり受け止めてやるべきことをやり遂げた爽やかさすら感じさせる。部長を務めているだけあって、キッパリとした決意がメガネの奥に光っていた。よくがんばりました。彼女が帰った後、インターネットで楽曲を探して聴いてみた「マードックからの最後の手紙」。驚いた。ホルンのソロパートが結構な長さである。これをやり遂げたのか?短時間で。「すごいなぁ」心からそう思った。素敵な報告をありがとう。

 また生徒の素晴らしさを実感した。市原中央高等学校の生徒の力の奥深さ。いいね!

NEW 育っていますGL(グローバル・リーダーシップ)

2月6日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.159 質問が凄かった

 まだ入学してまもない頃『大丈夫かなぁ?』の心配をよそに、見事にゴールドマンサックス社でグローバルプレゼンテーション(Vol.78)をやってのけた英語コースの1年生。今度はMetLife社でジョブシャドーにチャレンジである。中学校時代にインターンシップを経験しているこの子たちが、ジョブシャドーを理解し、感得するのは難しいかもしれない。サッカー選手になりたいのは何故だろう?という問いかけから始まる。ああなりたい、こうしたいには、必ず手本になるような大人、憧れる大人がいるはずである。それに気づくのにそんなに時間は掛からなかった。Educationするだけの学校に通っているだけでは生まれない。Learningするきっかけ、興味や関心を与えることに力を注ぐ学校でないと生まれない。「かつこいい大人」と会ってほしい。憧れて欲しい。そんな願いを込めて企画(Project)が誕生する。今日は、MetLifeのCSR(corporate social responsibility)担当部署からきていただいた方からの事前レクチャーである。「彼らなら大丈夫だろう」というゴールドマンサックスの経験からの期待があったが、遥かにそれを超えた成長ぶりを見せてくれた。担当の女性がプレゼンを終え、「何か質問は?」のその一言から私の驚愕は始まった。生徒たちの口から飛び出した質問を列挙しよう。おそらく高校1年生が・・・と、私と同じ驚きを感じてくれるに違いない。

Q 日本企業の典型とはおよそ違うという話があったが、貴社にしかないものは何ですか?
Q 入社してから長いと聞きましたが、その間に会社は変化しましたか?
Q 会社のマネジメントを支える「連携」のつぼ教えてください。
Q 在宅業務の話がありましたが、他の人々との関係で大切にしていることは?
Q サイエンスアプローチを具体的に教えてください。
Q MetLife社員として一番心がけていることは?
Q コミュニケーションで大切になってくること、1番はこれを教えて
Q 元々グローバルな会社だが、社内でグローバル化はどのように意識されている?
Q 障害者の雇用問題に興味があります。貴社の障害者雇用実態について教えてください。 
 などなど。


いつの間にこんなに成長したのだ?担任の先生に伺ってみると、「いやぁ、今日の生徒の姿には正直驚きました。きっと面談やちょっとした会話でも、必ず『質問して』と要求している、それが力になっているのかな」と語ってくれた。さらりと答えてくださったが、いい環境作ってくれていますね。

 すごいでしょう市原中央高等学校。GLCだけでなくⅠ・Ⅱ類でもSLP(Student Leadership Program)で展開して行こうと企んでいます。

こちらでも紹介しています