校長室から

了解 いつもありがとうの生徒たち

2月5日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.158 明るい笑顔で一生懸命

 写真に写っているのは2年生の生徒たち。校長室の清掃当番で、代わる代わるやってきてくれる。まだ少し生徒たちにも遠慮があるのか、私にも遠慮があるのか、『何を話せばいいだろう?』と構えてしまうところがある。もう一つ、最近夕刻に不在になったり会議が入ったりで、校長室の掃除が応接室だけになってしまうことがあって、会えないことが多い。でも話しかけるとみんな笑顔で応じてくれる。いつもきてくれる一人の女子がいない。代わりにきてくれた生徒に「どうした?」と尋ね、話してくれた事情を聞いてから、その子のことを「まいこ」さんと呼んでいる。理由はこの子たちと私だけの秘密です。その話題に他の生徒と興じていると、当番が替わって本人が訪れたとき「あっ、君は・・・」と声をかけると「はい『まいこ』です」と応じてくれた。「素敵な名前があるのに・・・ごめんごめん」ちゃんと君の本名は覚えていますよ。
 校長室の会話、生徒間で話題にしている。ただそれだけのこと、ただそれだけの会話なのですが、生徒と校長がこんなたわいもない会話ができる市原中央高等学校って、いいと思いませんか。自慢、自慢。嬉しい、嬉しい。

花丸 素敵な週末、保護者の方との会話

2月3日(月) Vol.157  校長講話が話題ですか?嬉しいですね+こども歌舞伎

(左斜め上の写真とその他の画像に関連はありません)
 週末に素敵な保護者の方々とあった。3年生の常任委員を努めてくださっている方が会する機会、そこで出た会話。「先生、うちの下のが『今日の校長講話はね。・・・兄貴。話に出てたよ』って帰って来たんですどんな話だったのですか?」「そうそううちはまだ2年なんですが、放送の校長講話よかったって言っていました」と嬉しい話題が飛び出してきた。大抵校長の話なんて、右の耳から左の耳へと通り過ぎるものなのだが、ちゃんと聞いてくれていてくれて、ご家庭で話題にもなるなんてすごいと感動したのです。まぁ、話がよかったなんてのはお世辞なのでしょうが、いい環境でみんな育っているのだなぁ。嬉しい限りです。「こどもたちの持っている「もの」の高尚さや奥深さの話をしたのですよ。」と語り、録音していたピアノ・ショパン「革命」を聞いていただいたり、お城の好きな息子さんのお話をさせていただいた。するとある保護者のかたが「Yさんちの息子さん、ミュージカル舞台デビュー。観にいくんです」と紹介してくださった。隣に座っていたお母さんが「Yの母です」。Vol131の音楽コースの男子生徒の保護者の方でした。すごいなぁ。「そうそう、こども歌舞伎をやっている生徒がいましてね。無理やり招待をおねだりしたら・・・」2月2日に県文化会館で公演があることを話題にした。
 行ってきました。楽しみにしていたその期待以上の生徒の姿に驚きを感じてきました。持っている「もの」の高尚さや奥深さの再確認です。感動していると、お昼過ぎにその生徒のお母さんがわざわざお礼にきてくださった。日頃の生徒との触れ合いや、彼を取り巻く友人の素晴らしさをご報告し、ひょんなところから「写真」の世界に話題が飛び、ボルネオ島のオランウータンの話やマレーシアの夕陽、サバンナのシマウマの話で盛り上がった。この母あってあの息子ありなのですね。

 いい瞬間(とき)をありがとうございました。ほぼ毎日・校長は幸せ者です。

重要 同窓会・頼もしい先輩たちと共に

2月1日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.156  頑張っている卒業生から頑張っている在校生へ


 一期生の会長から歴代の卒業生の方々がたくさん集まってくださった。挨拶をお願いされていたので、現在の市原中央高等学校の生徒諸君の頑張りをお話しした。学校がEducationをやってのけることはそれほど難しくないと思う、しかしLearningの場であり続けるることは難しい。できている学校、それが市原中央高等学校である。先輩たちに接していて、つくづくそ思った。
  Learningのためには、倫理やインスピレーションを学ぶためのメンターやロールモデルが必要である。本校の現役の生徒たちのメンター、ロールモデルがしっかりここにいた。ある同窓生の方がからご提案いただいた。「頑張っている卒業生がたくさんいます。頑張っている在校生のために」

市原中央高等学校 同窓会 素敵な会です


同窓会HP
https://dousoukai.site/ichihara-chuo/

 

お知らせ 放送による校長講話(地図とコンパス)

1月31日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.155 3年生の先輩から窺える本校


 インフルエンザの流行が真っ先に影響するのは集団行動。この日予定されていた体育館での校長講話も放送によるものに変更した。相手の顔をみながら話をするのでなく、マイクに向かって・・・は難しい。ラジオのパーソナリティや録音は、やはり慣れなんだろうなと思う。講和の内容は、出会ってから大切にしている評論家の「今必要なのは『地図』ではなく『コンパス』である」という話。
 もちろん教え育むことも大切である。しかし、本当にその生徒が「学ぶ」ためには、興味を抱かせることが大切になってくる。そこがなかなか難しい。興味を抱くこと、自然に湧き出てくるそのチャンスを与える工夫。実は難しいようだが、それほど「困難」ではない。「協働」の中にヒントがあって、何かの共通の目的に向かって、協働で動き始めた時、人は「仲間」の中にメンターやロールモデルを見つけ出して、自己変容を始めるのである。そういうメンターやロールモデルはある程度豊かで深い「もの」を持っていないと、スパイラル的に展開する自己変容は進まない。こうした学びに「地図」は必要ない。自分で進むための「コンパス」が必要である。どうやって学ぶか。メンターやロールモデルをどう与え、活用する機会を作るか。それが大切になってくる。これからの学校はそうなるだろう。しかし、そんな上質なメンターやロールモデルの要素を持った者が集う学校はそうはない。市原中央高等学校にはそれがある。
 この春に卒業する3年生の紹介をしよう。
 「城」が大好きで、語り始めると止まらない。旅先で城や城跡に触れる機会があると彼の顔が浮かぶほど興味を持って夢中になっている。・・・Vol.128の生徒
 絵を描いている時間が一番自分らしい。だから絵が好きだ。好きなことは一生大切に取っておきたい。続けていきたい。でも仕事にする好きとは違うと語る生徒。・・・Vol.146の生徒
 声楽の姿をみてもらったけれど、本当の自分はこれ。これしかないから夢中でまっしぐらに進んでいる。「革命」をピアノで聞かせてくれた生徒・・・Vol.153の生徒
 市原中央高等学校は、単なるEducationの場ではない、Studyingだけの場ではない。Learningの扉をいくつも提供する学校だ。

 そんな話をした。いい学校です、市原中央高等学校。

 *放送の校長講話に協力をしてくれた放送委員会の諸君、ありがとうございました。 

音楽 こんな瞬間(とき)を独り占め

1月29日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.154 意思を離れ生き物と化した指の奏でる音

お昼少し前、「先生、お時間大丈夫ですか?」と言って、女子生徒(Vol,153)が部屋を訪ねてくれた。今日は肩まである髪を、ポニーテールに結んでいる。いつも練習している第二音楽室のグラウンドピアノの前に立った姿は、女子の姿を形容するにはそぐわない言葉かもしれないが、「荘厳さ」が感じられた。それだけ、鍵盤に向かう姿勢が凛とした真剣なものであった。生徒は椅子に浅く腰掛け、少し斜め上を見上げるようにして、大きく息を吸った。鍵盤に指を当てがい、最初の音が出るまでのほんの少しの間、時が止まった。私の、緊張に耐えきれず、口が乾くような気がして、つばを飲み込んだ音が聞こえるほどの静寂。次の瞬間、最初の音が出たあとは、生徒の指が、まるで本人の意思を離れた、一個の生き物のように鍵盤の上を目まぐるしく動いていく。ショパンの「革命エチュード」。難曲として有名な曲。その世界に疎い私ですら、それとすぐわかった。
 見事だった。時にはシーケンスに、時にはランダムに動く生き物と化した指は鍵盤を通じ、ハンマーを動かし、弦を叩く。奏でられる音は、こうした構造を説明する言葉で表現するには失礼なぐらい「いのち」を持って伝わってきた。大きく上半身を動かしながら、波打つように揺れる彼女の身体はピアノと一体化していく。華奢な小さな体が、何倍にも大きく、偉大に見えた。彼女そのものが部屋全体に満たされた「おと」になっていく。琴線が震えた、涙腺が刺激された。「すごい」かつて勤務した高校で、吹奏楽部の生徒が全国大会に臨む楽曲を、私に聞いてもらいたいと言って聞かせてくれた時と同じだ。
 辛い時もあったろう、もう投げ出したいと思う時もあったろう。喜びも苦しみも、共に感じてきた白と黒の配列。生徒がそれに向かう時、裏切ることなく「自身」を表現してくれた。この時のこの生徒の心情を確認することはもちろんなかったが、素晴らしい感動の「共鳴」を私に与えてくれたことは間違いなかった。

 ありがとう。こんな素晴らしい瞬間(とき)を。独り占めさせていただきました。すごい学校です、市原中央高等学校。