校長室から

右 大変なことだが その中で Part4

9月15日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.104 賑やかな生徒たちと過ごした


 Vol.102で紹介した生徒が帰って間もなく、「先生、いますか?」と声をかけてくれた女子生徒がいる。「いますよ。どうぞ」入ってきたのは2人。一人の生徒の後ろに、まるではにかんで隠れている妹のようにもう一人、(姉の)肩越しにこちらを見ている。最近は歳のせいか、生徒がみんな同じに見えてしまう。先ほどの生徒と違って「悩み」ではなさそうである。予想が的中した。「なんでもないです。ただ姿が見えたのできました」大歓迎である。台風被害の話、災害時にわかる平穏のありがたさなどをとりとめもなく語りあった。1年生と2年生という組み合わせの二人の共通点は、インターアクトクラブだそうである。ブログVol64の記事を読んでいてくれたらしい。インターアクトの活動が市民権を得ていてメジャーである市原中央が誇りだというようなことを語ると、二人は満面の笑顔で「嬉しい」と答えてくれた。
  自分の高校時代は、もっと利己的て自己中心的な考えをしていたように思う。確かに社会全体が奉仕や貢献という村社会の持つ慈愛に満ちていた時代だったかもしれない。敢えて「○○活動」などと名付けなくてもよかった時代であったかもしれない。ただそうした自然の流れと環境の中で、我々の世代が伝承し忘れた「美しさ」を彼女たちは伝播として持ってくれている。すごいことである。多くの高校からこうした取り組みがなくなる中、彼女たちの活動は、やはり誇りである。活動を支え、意義深くしてくれている顧問の教員の努力にも感謝したい。
 「あれぇ。きたみたい。いいですか?」スマホを私の前で見ることにもちゃんと礼儀を正してくれる。これもすごい。「友達がきているみたいなんです。呼んででいいですか」「どうぞどうぞ」と招き入れ、入りづらそうに入ってきたのは同じクラスの男子生徒。「私服で・・・」とためらいながら入ってきた彼らを「校長室に私服で初めて入った生徒たち」とキャプションをつけて、記念撮影。

 しばらくの間、とりとめもない会話で盛り上がった。この学校の、こんな時間が大好きだ。

右 大変なことだが その中で Part3

9月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.103 彼らから元気をもらえた


 TVのテロップに施設開放のニュースが流れる。ネット上では電力会社の記者会見動画。まだ完全復旧までには時間がかかる。復旧を待つ地域には、本校の生徒たちや教職員の居住地もある。不自由しているのだろうと思い、辛くなる。ある高校の校長が激励のメールを送ってきてくれた。この校長の学校では、やや無理をして学校を再開したが、出席は芳しくなかったと言う。しかし、登校して仲間と語らい合っている生徒たちの姿を見て、心から「いいな」と思ったと言う。通学手段さえ許せば、学校に来ている方がいい、できる限り努力をしたいとも語っていた。彼にも心配をかけた市原中央高等学校は、おかげさまで昨日(13日)の夕刻に、停電、断水が解消した。施設設備の安全点検を行なった上で、17日(火)の再開に向けて準備を整えたい。
 滅入った気持ちで部屋にいると、ドアをノックして「いま、よろしいですか」と声をかけ、2人の男子生徒が入ってきた。モザイクを入れた写真を見てもすぐにわかるように、野球部の生徒である。新しく主将、副主将務めている二人。もっと早く来ようと思っていたが、県大会出場を決めるまで顔を出しづらかったようだ。会話の行間にそんな思いを読み取った。荷物を取りに、野球場を確認にきた。覗くと校長室の奥に姿があったので挨拶にきたのだと言う。
 Vol.100に書いた「軸」の話を少し噛み砕いて話をしてみた。真剣に体を動かさず、目は私を凝視し、聞き入っている。人の上に立つことは難しいことだ。いや上に立ったと思った瞬間にその動きは終わったいるのかもしれない。何かの支えにあって力を発揮することは、人はできる。しかし、支えになって人を動かすことは、これは難しい。「あいつがいるから自分は120%の力を発揮できた」「あいつの心が失敗をエネルギーに変えてくれた」そんな存在に君たちがなってくれると、もっともっといいチームになる。3年生の先輩が、君たちの力を十二分に発揮させてくれたあの力以上のものを持てる二人であってほしい。素晴らしい同僚や、後輩たちのために。聴き終えた二人は声を揃えるように「ハイ」と大きな声で返事をしてくれた。彼らに語りながら、自分に言い聞かせているようでもあった。語り終えた後、滅入った鬱々とした気持ちが晴れた気がした。ありがとう、生徒たち。

 校長を元気にする生徒がいる学校、市原中央高等学校。

右 大変なことだが その中で Part2

9月13日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.102 ひとつ生徒との出会いがあった


 一人の生徒が部屋の応接の椅子に少し浮かぬ顔をして座っている。やはり校長室のドアが開いていたので訪ねてみたという。今回の台風で大変なことになったのかしらと思いながら、「どうしたの?」と尋ねる問いに、生徒の抱えている悩みを語ってくれた。(内容はその生徒と私だけの秘密)確かな結論が出たわけではないが、最初に見た顔とは違いまっすぐに顔を上げ、私をしっかり見つめることができている。よかった。その表情だけで話をした甲斐がある。
 少し曇りの晴れた生徒の心は、私との「雑談」に応じるだけのエネルギーを回復したのだろう。面白い話を聞かせてくれた。英語圏での生活が長かったためか、思考言語が英語なのだそうである。いや、それを失わないように努めているというのである。会話は流暢な日本語、そういえば気づかなかったが時折、意識しなければ感じないほどのタイムラグがコミュニケーションにある。頭の中で翻訳機が働いていたのだろう。
 勤務した高校の中で、こうした経験をもつ多くの生徒と関わる機会があった。「頭の中フランス語なんです」「まだドイツ語の方が表現できる」なんて生徒たちである。授業の中で「春霞(はるがすみ)という語が出てきて、どうしても理解できないという生徒と長い時間をかけて話をした。この生徒の場合はスペイン語。生活の中で「春霞」との出会いがない。とても説明に苦労したが、やっと「先生、ありがとうございました。薄いFogですね」。「う〜ん、確かに。いいのかなぁ」こちらが持っているイメージがこの生徒に伝わったか、自信がない。かすみがかった少し春愁のような侘しさまで含んだ情景まで・・・。生徒が去った後、聞くともなしに聞いていた会話に、周辺の同僚が大笑いしていた。「日高さん、大変だね」
 本校の生徒にこのエピソードを話して、でも今君が持っている力、僕の教え子たちが持っていた力、これはそんなに簡単に身につけられるものではない、大切にした方がいい。大切にしている君の姿勢は立派だと「肯定」を話しておいた。

 思考言語が異言語であるがゆえに、日本語を母語とする世界では、他の仲間が想像できない苦労もあるに違いない。それをポジティブに捉え返し、大切な力としようとする生徒。市原中央の生徒っていいでしょう。自慢、自慢。

右 大変なことだが その中で

9月12日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.101 心温まる瞬間(とき)をいただいた

 台風が千葉を直撃してから4日が経つ。東日本大震災の時に「想定外」という言葉が使われた。今回の台風15号の被害もそう表現されるのだろう。「想定」が甘いのかもしれない。もう20年以上も前のこと、毎年夏と冬に通っていた白い砂浜の綺麗な孤島の自慢の砂浜が、年ごと、いや半年ごとに狭くなっていくことに、地球温暖化を切に感じていた。我々の世代が、今の若者たちに残した大きな負の遺産の一つ。受け止めてもらうものがあまりに重い。しかし、それをしっかりと受け止め、手を取り合って解決する力だけはつけてあげたいと思った。
 留守番のために学校に朝から行っていると、多くの生徒が保護者の方の車で荷物を取りに来る。中には校長室をのぞいて、「校長先生!お宅は大丈夫でしたか?」と声をかけてくれる生徒もいる。嬉しかった。我がことでも精一杯だろうに、ふとみた校長室のドアが開いていて、姿が見えたので声をかけてみる。その心の動きだけでも嬉しかった。
 お子様を送ってきた保護者の方と話をする機会もあった。お母さんの第一声が心を和ませた。「先生、大変でしょう。お陰様で自宅は今朝断水が解消しました。何かお手伝いできることがあれば」立ち話も失礼なので、どうぞお部屋へ。やはり台風の被害の話。本校生徒のお子様がまだ小さい頃、茨城の地で東日本大震災を経験したという。今回は断水。水の手に入るところまで子供と一緒に何度も足を運んで、家族の生活の水を確保した。途中、もう覚えてもいないだろうと思っていた3.11のことを子供が語り、一緒に支え合った記憶を蘇らせていたという。その「子」は、この夏休みは「戦争」をテーマに調べ物をして過ごしていた。調べれば調べるほど知る悲惨さ。(母)「多感な年頃でしょ、『辛く』て胸を絞られるような思いをしたこともあったようです」でもそれを超えた時「戦争って絶対だめ」という子がいたと語ってくださった。「ひとつひとつ、いい経験になって、成長しているんです。ありがといことです」

 問わず語りに語ってくださった話に、先述の「力」をつけてあげなければという思いを確認した。

 もう少しお話をさせていただきたかったが、荷物を揃え終わった生徒の「終わったよ」という声がけで幕引きとなった。「母と子の心のつながり」いいものを見せていただきました。

体育・スポーツ 惜敗から学んだものは何だったんだろう

9月7日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.100 期待できるチームづくり

成田北高校  000 100 0   1

市原中央高校 210 024 ×   7回コールド

 いいメンバーがいることがいいチームではない。「夏の決勝戦経験メンバーが多く残っているので今年は強いでしょう」野球のことがよくわからない私の評論家のような言葉に「いやぁ、そういう時ほどチームづくりは難しいです」かつて身をおいたことがある学校の監督が語ってくれた。よく分からなかった。時が経ち、10数年学校経営に携わって「歯車の噛み合わせ」のようなものを「チーム(学校)」に考えるようになってきたいま、何となくあの監督の言ったことが理解できてくるようになったと思い始めている。「軸」なのではないかと考え始めた。
 袖ヶ浦球場で行われた敗者復活戦の初戦。成田北高等学校との戦いをみてもそう思った。結果は1−9の7回コールド勝ちなのだが、プレーもいい、勢いもいい、気合いも入っている。でもどこかこのチームの100%を見ているような気がしなかった。別の言い方をすると「もっと強いチームであっていいはずなのに・・・」なのである。今回はバックネット裏でベンチの様子も拝見しながらの応援にした。カジュアルな私服でサングラスを掛けて、自分では十分な変装をしているつもりが、見つかった。「やはり気になって」と駆けつけてくださっていた3年の保護者の方に見つかった。立ち話で私の素人談義に付き合ってくださったお父さんに同じような思いを話すと「そうなのかもしれません。プレーや素材は、県ベスト4のチームに比べてもずっといいのです」と語ってくださった。
 いくら歯車が良くて、原動力もパワーアップしても、噛み合うためには歯車を回す軸がしっかりしていないとダメなのだろう。君たちならそれができるはずである。前回の試合に比べたら、徐々にではあるができ始めているように見えた。楽しみである。

 校長が生徒の活動や成長を楽しみに思える市原中央高校。いいでしょ!

?! ゾクゾクとやってきた 楽しみだ

9月6日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.99 SLPメンバー増殖中です

 遅い時間に生徒が訪ねてきた。男子5人、女子1人。一昨日校外学習で一緒した1年生のグループである。とあることで悩んでいるという。「なぜですか?校長先生」と質問があった。「その答え、私が答えていいのだろうか?」ただ○か×かと答えを求めるだけでいいのだろうか?自分なりに答えを追求することは必要ないか?」と投げかけてみた。ジェネレーションリングの話をし、交わりの部分では常に摩擦や衝突がある。混ざり合った文化の中で新たなものが誕生してくる。それが文化の継承と創造の普通の姿なのである。真っ赤な文化の元で育った真っ白な文化は、摩擦や衝突、混ぜ合わせの中から鮮やかなピンクの文化担っっていく。「やってごらんよ、摩擦と衝突。満足するまで。」「ただし、大切なのは、相手をリスペクトすること」と付け加えておいた。答えのない問いかけ。単にわがままや自己中心的な考え方で思いついていることではない。そこが本校生徒のすごいところだ。「なぜ、君たちの先の世代は、君たちに押し付け、強制、束縛をするのだろうか?言ってごらん」。ちゃんと説明できている。高校1年生でここまでできているのはすごいと思う。下手な大学生よりずっといいものを持っている。高校時代にこうした問いかけや変容を多く経験していると、自分の道を見つけ始めた時のいいエネルギーになる。論理に長けたMonsterの誕生である。

答えのない問いかけ、世の中そんなものばかりだ。よかったら「哲学対話」しませんか?何も結論は出ません。校長室を出る時、余計に複雑になった、わからなくなった状態でドアを出ます。どうですか?

「きます、きます」「します、します」「おれ。今日の話の中で『ピンク』しか残っていない」

SLPメンバー6名さま、ご案内。いいね! 

 

花丸 始動!哲学対話(市原中央SLP)

8月5日(金) Vol.98 男子生徒からの申し出が嬉しかった

 書類の整理と訪問者対応に追われた1日だった。秋の陽はつるべ落とし。もう暗くなった廊下に男子生徒が2人立っている。ソファで語っていた教員に無礼を詫びて部屋の入り口まで出て行った。一人は、先日進路の関係で面談した男子であることがすぐわかった。海洋関係の学びに興味があって、某大学を受験しようと考えている。
 その時、南の島で出会った学生の話をした記憶がある。人類が近い将来迎えるであろう食糧難のために海藻を研究しているグループの話。インド洋で出会った若者と同じ志を持った若者に西表島で、伊豆半島で出会った。一夏に偶然3人と出会った。不思議な出会い。みんな熱く同じ話をする。西表で出会った若者にインド洋の彼の話をすると、「あぁ、誰々さんです。同じ大学同じ学部の○○ゼミの・・・」と話してくれた。同じ興味、同じ志の者たちが、世界中の海で異なる環境で調査研究をしている。そんな出会いの話をした。
 話を聞いていた彼(本校生徒)は、目を輝かせ「そんな世界に身を置きたいんです」と語っていた。あれから数ヶ月。ますますその思いを強くしているらしい。面談の中で語った「哲学対話」が魅力的で、夏を過ぎたこの時期からやってみようかと思ったという。

 少人数でよければやろうよ。面白くなりそうだ。

来週月曜日(9月9日)16:10開始

校長室 冷やかし、見学、無言の参加 OK

興味があったら、君ものぞいてみないか?

テーマは当日でないとわからない

お知らせ 学ぶことは見つけること

 9月4日 ほぼ毎日・校長 Vol.97 1類の校外学習に同行してきました

 「好きなことを見つけよう」これほど難しい質問はなかった。小学生の頃だったか、もう中学生になっていたのか、記憶が定かでない。学校の先生に言われて、「僕は何が好きなのだろう?」と考え込んでしまった。あれはよく覚えている。友人からも一目置かれる優秀な奴が「獣医。僕は獣医になる」と何かのきっかけに語った。「動物が好きだから」=なりたいもの。『こいつ、やはりすごいなぁ』と心から思った。何も持てていない自分が小さく思えた。
 進路指導の一環として行なっている校外学習。午前中は証券取引場、午後は最先端技術館。さすがうちの生徒たちである。何に触れても興味関心が強い。発展的に色々な世界を広げていく。彼ら彼女たちに教わることはとにかく多い。半年ほど前に彼らと一緒したことがあったが、比べ物にならないほど成長している。一緒しながら、「将来のこと」を考える機会を与えている指導の立場として問いかけた。実際は言葉に出すことはなかったが、この機会を与えることは、問いかけること。

 何か(好きなこと、興味あるもの)見つけたかい?

 自分が何が好きなのかに注目すると、意外と見えないことがある。そんな時は、「ここにいるの退屈」を探してみるのも面白い。これには自分は全く興味を示さないんだという自分発見。それも「学び」の大切な要素だと思うのだが・・・。あまり説得力ないかしら?

 1年生、1類の諸君。校長先生は君たちと1日を過ごせてとても楽しかったんだ。

 生徒とわいわい。生徒とガヤガヤ。やはり根っからの教員のようである。
 こんな喜びを感じさせてくれる市原中央高校生、いいね!

! 君は陸上競技部だったの?

8月30日(金) ほぼ毎日校長 Vol.96 すごい成績なのです

 ここのところこのブログに登場してくれる彼女。選手表彰の時「陸上競技部◯◯さん」と呼名があって目の前に立っている。『おっ、君は陸上競技部なんだ』と思った表情を読み取ってか、賞状を読み上げている間、ニコニコ笑顔を振りまいていた。集会が終わってからかうと、「壇上に上がった途端、友人が後ろで話しているのが聞こえたんです。でも先生、すごいでしょ。自己ベストなんですよ」と表彰状を誇らしげに掲げてくれたので、パシャリ。「綺麗に?可愛く?写っていたら、そのまま載っけてOKですよ」と許可をいただいた。機転が利いて、言葉のキャッチボールができる、話をしていて楽しい生徒である。

夏休み明けの校長講話

今日の話は2つ
一つは、「夏をありがとう」、もう一つは「今までのことは・・・」という話。

先ずは、本校の全生徒に、「いい夏をありがとう」と言っておきたい。
「野球」夏の大会、県ベスト4。101回目の新しいスタートの大会でのすごい結果を叩き出した。よく頑張りました。あの頑張りは、それだけでなく、本校の生徒の素晴らしい力を見せてくれた。魅力的な姿をたくさん見せてくれた。
その意味で、さらに感謝なのである。仲間のそんな力を引き出す野球部の諸君の活躍は、私の自慢です。
「女尊男卑」、放送委員会、全国準優勝、おめでとう。クスッと笑える仕掛け、「あるある」と納得させるワナ、シリアスに考えさせる深み、なんとも「持てる総和」としての味のある映像をありがとう。表面的に現れてこない、本校生徒の「味わい」をじっくり。仕込みのいい目にも美しい日本料理を食べているような、そんな贅沢で味わわせてもらった。
すごかった。
いいね。本校生徒。素晴らしいね、市原中央高等学校。

ブログの86や89を読んでいただいてわかるように。私の故郷は関西、瀬戸内です。夏が白い。砂のせいか、真夏の昼下がりは、風景が揺らぐように真っ白になる。鍵っ子だった私は、広場でみんなと遊んでいて、家々から「〇〇ちゃん、ご飯よー」と呼ばれて、友達たちが一人、また一人と帰っていく。ご飯の後はお昼寝。今度みんなが集まるのは、夕暮れ時なのである。一人残った私が、大きな柿の木の下で座って、誰もいない広場を眺めていてその頃に感じた「夏の色は白」。
焼け付くような夏に郷里に帰り、そんな思い出を思い出し、黄金色に輝く瀬戸内の海を見て、受験生だった頃のことを思い出した。旺文社のラジオ講座というのがあって、同級生はみんなそれを聴いて勉強していた。世界史や日本史の代わりに数学で受験しようと考えた私が聴いていたのは「勝浦捨造の数学講座」。大丈夫かこの爺さんと思わせるような声。受験勉強講座なのに、どこか精神論中心の講義。確か東北大学の助教授だった。彼の口癖のようなトークは今も忘れない。「受験生の皆さん、今までのことは一切問いません。これからです。」クラスのひょうきんな仲間が、授業中に答えられなかった同級生の困る姿を見て、やおら立ち上がり、「〇〇くん心配するな『今までのことは一切問いません。これからです』」と大声でモノマネをして、笑いをとりその場をなごましていた。
あの言葉、どこか支えになっていた。最近、脳科学者が同じようなことをTVで言っていた。「今まで」にこだわったり「あの時こうすれば」と執着しても、力は伸びない。今ある現実をしっかり受け止め、何ができるかを考える時、人の脳は思わぬ力を発揮する。
特に3年生諸君、辛く苦しい時が続く。今日という日を、現実をしっかり受け止め、受け入れて、スタートを切るそんな節目にしてはどうか。

?! 名優たちが監督とクマを連れてやってきた

8月28日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.95 クマの正体は・・・

 夏休みもあとわずかとなって、生徒の影も少ない校舎をぐるっと回って部屋に戻ると、3人の生徒が待っていたかのように来てくれた。「女尊男卑」を演じた名優二人と、監督を務めた放送委員会の委員たちである。準優勝の報告に来てくれたようである。「山崎さん」を演じた彼女。映像の中のイメージと全く違うのである。はにかみながら、ふふっと笑う癖のある笑顔の素敵な彼女。「演じていて楽しかった」と感想を述べてくれた。彼女のイメージのギャップは、プロの役者さんやアスリートがみせる平常と舞台、生活時間とフィールドの違いのそれである。冗談で「日頃の放送室内のドキュメントだったりして・・・」とからかってみると、男子二人が顔を見合わせて、ニヤニヤしている。「えっ、ズバリそうなのか?」とさらに突っ込んでみる。「いえいえ、受賞のインタビューで、監督である僕が、先生と同じような発想で『映像中の「山崎さん」は、本校放送委員会のドキュメントです』とジョークを言って笑いをとったんです」と語ってくれた。ふとした機転で「笑い」「ユーモア」をその場に加えられるってすごい力だと思う。あの映像がこの監督、この名優たちのもとに出来上がったことがよくわかった瞬間(とき)だった。
 「もう一人は?」と思っていると「山崎さん」が気づいたのだろう、「男優の一人は、・・・クマ・・・」と教えてくれた。いま「山崎さん」に「ガツン!と一言、言ってやる」と勇気を振り絞っていた彼は、クマの写真撮影中なのだそうである。LINEで監督に送られてきた写真を見せてもらっった。スゴイ!掲載させていただいたのはスマホからの写しなので画像が荒くなっているが、プロ顔負けのいい瞬間を撮影している。『くそー!いい写真撮ってやがる』立場も年齢もかなぐり捨てて、写真大好きな私は、心から羨ましく思った。

こうした感性の協働(交わり)があの素晴らしい作品を誕生させているのだ。市原中央高等学校生、いいね。

 全国準優勝(2位)おめでとう!
 君たちの豊かな感性応援しています。