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お祝い 生徒と奈良盆地と関東平野と

11月13日(水) ほぼ毎日・校長 V0l.128 お土産ありがとう

 「大和盆地でなぜ日本文明が生まれたか?」「家康はいかに関東を制覇したか?」「水」をキーワードに紐解く面白い話を聞いた。日本水フォーラム・代表理事の竹村氏のお話しである。奈良盆地が元は湖で豊かな水運インフラが存在したこと、利根川の流れが銚子に向かうのは家康の関東制覇のための策であったこと。ワクワクドキドキの話だった。真面目に学習していれば、当然のことだったのかもしれないが、不勉強な私にとって、新鮮で驚きに満ちた内容だった。知れば知ったかぶりで他人に話したくなる。「知ってた?家康はね・・・」
 カモがネギを背負ってではないが、生徒が土産を手にやってきた。「先生、関西に行くことに決まりそうです」と言って京都のお土産をくれた。このブログのVol.94にお母さんと一緒に登場してくれた歴史研究部の彼である。進学をい考えているその大学に、『城』を研究している先生がいて、その先生に学びたいと思うようになったというのである。すごいなぁ、大学進学でしっかりと焦点が絞れている。さすがである。「お母さんは少し寂しいかも知れないね」と語ると「そうなんです。もう寂しがっています。まだはっきりと決まったわけではないのですが。観光がてらに息子の下宿においでよと慰めておきました」なんだか暖かい母子の関係が感じられて、心がほっこりした。
 ところで「奈良盆地」って湖だったこと知ってるかい?家康が利根川の流れを変えたって知っているかい?さも自分が唱えている説であるかのごとく、講釈師よろしく感動のお裾分け。退屈もせずに付き合ってくれた。かえって「先生それ面白いです。僕の勉強に役立ちそうです」と喜んでくれた。お付き合いありがとうございました。

 そうだね。「水」をキーワードに「城」を考えてみるなんて、面白いかも知れないね。市原中央高生いいね!

関東の地図(東歌とゆかりの地から)
http://kiyotan.net/many_11kantou.html   

奈良盆地の図(奈良盆地の原風景から)https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7 

会議・研修 アー、もうダメ。助けてください。

11月7日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.125 えっ「友達は彼女を見放しました」?

両側の紅葉は、本文とは無関係です。感動のお裾分け。
 いつも掃除に来てくれる賑やかな二人。二人が入ってきただけで部屋の中がパッと明るくなる。またこの二人は中がいい。勉強のことについてもいいライバルのようで、「えぇ、なんでそんな点数が取れるのぉ」「教えて、教えて。解き方教えて」と賑やかに会話を交わす場面を何度も見ている。羨ましいぐらい中がいいんだ。一方の子が悩んでいる。もう一方の子が「もう親友は見放しました。話を聞いているうちに『イラっ』ってするんです。助けてください。」
 志望動機、面接練習で悩んでいるという。「貴学では・・・」「5分でお悩み解決。校長マジック。付き合ってみるかい?」とまるで詐欺師のように甘い言葉をかけてみた。藁をも掴む気持ちなのだろう。「ぜ、ぜひ」と食いついてきた。
 「面接は考えてきたことを語ってもダメ。自分の内面に宿るPassionを語らないとダメ。やってみよう。本当に君がその大学、その学問に憧れているのなら、5分で大丈夫」
 いつもの会話からは想像できない「将来」を語ってくれた。意外性を感じながらも、それにしっかり焦点が絞られているなら大丈夫だと思った。いつものトライアングル。What?とWhy?で組み立てて行く。見る見るうちに完成した。「裾野に広がる9つの要素、目指している大学にありますか?」「せんせい、あります」「貴学では・・・」もう自分の言葉で、学びに対するPassionが見事に語れるようになっていた。「ありがとうございました!」お礼もそこそこに、元気に満ちた背中が部屋を飛び出していった。担任の先生との面接練習の時間が迫っていたようである。

 5分は嘘だったね。15分はかかったかしら?でもそんな短時間で自己確認のトライアングルを完成できるなんて、やはりうちの子はすごい。いい「瞬間(とき)」を過ごさせていただきました。

お祝い 「共時」の充実を図ると同時に「通時」の意味を深く受け止めよ

6月14日(金) Vol.47  生徒会新役員に期待すること

朝の打ち合わせ前に、生徒会役員の女子がきた。大きな黒い縁のメガネの奥の瞳が綺麗に輝いている。文化祭が近いので、文化祭パンフレットの巻頭言の原稿を依頼したいという。「いいですよぉ。で、いつまで?」「月曜日にはいただきたいのですが・・・」無茶振りを承知で笑顔でお願い。最短の依頼ではないだろうか。昨年度の巻頭言を見せていただく約束をしたが、?おやぁ?、7限が始まろうとするのにまだ来ない。替わりに昼休みに現生徒会長(琴音さま)が新会長を連れてやってきた。「本日の認証式のご挨拶、お願いします」彼女は本当に律儀である。必ず前もって依頼して、当日にもやってくる。見習うことが多い生徒である。さて、何の話をしようと思案して考え出したのが、伝播と伝承の話である。ちょっと難しい話だが、『うちの子なら大丈夫』と思った。

校長講話 生徒会新役員に期待すること

我々の文化には、通時的な流れ伝承と共時的な伝播がある。同じ時を過ごしながら、共に何かを協働で創造していく。人はおおいにしてその刹那に目を奪われ、目を向けがちである。しかし、その刹那の伝播のリングは、気づかない速度で動いている。ジワリ、ジワリと揺れながら動いている。それは「時の流れ」(通時)として認識することができる。通時にのみ目を向けると、年表のような味気ない年号の羅列になってしまうが、先の共時と組み合わせて、その瞬間(とき)を捉えるとき、先人の偉業や偉大さとその瞬間(とき)を生きた労苦を知り、喜びを知ることができる。さらには次に来たる者たちへの期待や活力に思いを馳せることができるのである。

生徒会の新会長は、入学授時に「今やりたいことをしっかりやりなさい」という当時の校長の言葉に背中を押されるように、会長に立候補したと聞いている。先に話をした、君たち新役員が担う「共時」の充実を果たすとともに、「通時」の意味を深く受け止め、市原中央高等学校の「伝統」を築いていただきたいと思う。平野さんをはじめとする旧役員の皆さま、本当にありがとうございます。新役員の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

グループ 打ち上げパーティではありません

5月9日(木) Vol.24 こんなに美しい気持ちを持っていただろうか

昼休みに男子生徒の一団が来た。「おや?珍しい」と思っていると、手にお弁当を持って遠慮がちに入ってきた。「いいよ、昼休みぐらいしか先生が捕まらないいんだね。ここで昼食摂ればいい」と声をかけると、持参した弁当を広げ、むしゃむしゃ食べ始めた。せっかくだから写真撮影。「あぁ、今日は母が手抜きだと言っていました」(それにしては豪勢なお弁当です)ふと高校時代のことを思い出した。隣の友人の弁当がやたらに豪勢で、卵焼きがふんわりしている。看護師をしていて、朝時間のない母が作る弁当は、のり弁か日の丸弁当。それでも美味しかった。ポツンとその事情を呟くと、一緒に昼食を摂っていた友人が、「これお前の分だって、お袋が」と言って、翌日ふんわり卵焼きを持ってきてくれた。嬉しかった。何日かに一回、自分と同じおかずを持ってきてくれる。遊びに行ってお礼を述べると「喜んでもらえたら・・・」という、おばさんの言葉を遮るように「俺が作れって言っているんだ」と友人が言葉を挟んだ。今でも付き合いがある。お母さんはなくなったそうだが。彼らの弁当で、いい思い出を思い出させてもらった。

「で、来たからには、何か目的があるのだろ」と問いかけると、如何ともしがたい、やるせない思いを語り合っているうちに「そうだ校長に聞いてもらおう」という気になったのだという。(内容は彼らと私だけの秘密)一緒に高校生活を送って来た仲間に有終の美を飾らせたい。大きな壁があるし、それはどうすることもできないものであることも自覚している。『しかしなぁ・・・』何がどうなるわけではないが、聞いてくださいよ。堂々巡りの思い。同じ場所をくるくる回るメリーゴーランドのようなもの。話を聞いていて、そんな彼らが羨ましかった。「いい経験しているよ。だでれもできるものではない。私が何をしてあげられるわけではないが、『だめ』という結論を出してしまっているものにチャレンジしてみればどうだろう。互いのつながりや思いを確認するためにも。結果として『だめ』であっても、この『なかま』『ともに』はより強い『絆』となるのではないか」というほどのことを語った。いいアドバイスになったかどうかわからないが、リーダー格の生徒が、「やってみるか。ダメだったらごめんな。」と渦中の友人に語りかけていた。語りかけられた生徒は「ありがとう」とつぶやいている。高校時代に、こんな美しい気持ちを持っていただろうか?

市原中央高等学校生徒の保護者の皆様、お子様はいい成長していますよ。いい学校です。

にっこり 最高の褒め言葉をいただいた気がする

4月21日(日) Vol.17 締めは彼女たち

先週の金曜日にはたくさんの訪問者とたくさんの交流があった。昼休みに美しい歌声を聞かせてくれた合唱部の二人連れ。校長室を訪ねてくれた人を、いつも同じところで写真を撮影するので、今日は場所変え。「君、この椅子に座って、君はその横に立って」と指示をすると、ためらいがあった。小さな心の動きなのだが、「わきまえ」が感じられた。「いい歌声だったね。ありがとう。もう少し人数がいるともっと楽しいかも」と語りかけると、3年生の男子が目を輝かせて「今年の1年生は多いんんです。10名ほど入ってくれるそうです」と語ってくれた。嬉しいね。ぜひ可愛がってあげてください。

校長室のすぐ近くに生徒会室がある。いつも誰かしらコトコトと仕事(?)をしている。綺麗に片付けられた机の上が、役員たちの仕事力を物語っている。「先生、机の上を片付けなくても、四角くすればいいんですよ。ほら」といって教えてくれたかつての教え子のことが頭に浮かんだ。6月にある文化祭のテーマ決めに忙しいのだそうだ。6つほどの候補が黒板に綺麗な字で書かれている。「チョークでこれだけの字をかけるのはすごいよ」お世辞抜きで褒めて、候補を写真に撮ろうとすると、「ダメダメ、まだトップ・シークレットなんです。ブログに載っちゃうでしょう」と撮影許可が降りなかった。元号発表と同じ厳重な体制が敷かれているようだ。いいテーマになるといいですね。楽しみにしています。

「先生、来ましたぁ。大きなこえで明るくやってくるのは、清掃当番の女子2人。これ捨てていいですか?と開けたこともない引き戸の中から「ゴキブリ◯◯」を取り出した。「ワォ、捨てて、捨てて」机に向かっている私と、常に会話しながら一生懸命清掃に取り組んでいる。私が何をやっていても邪魔にならないBGMのような会話である。先日模試があったとかで来なかった日は、何か物足りなかったので、どこかで私も楽しみにしていたのであろう。一週間ご苦労様でした。ありがとうございました。ドアをでるときに、「先生、ブログ読んでいます。結構みんな知っていて読んでいるみたいです。」「嬉しいけど、評価が聞きたいなぁ。校長なんだからもっと気の利いた・・・なんて言ってなかった?」「いいえ、『結構文才あるんじゃない』と褒めてましたよ」なんだかちょっと複雑な気持ちだが、最高の評価をいただいた気がする。 

花丸 昼休みは学校力のバロメーター

4月19日(金) Vol.15 明るい、格調高い昼休み

今日は昼休みの様子を見に行こう。朝から決めていた。これまでの経験から、玄関の空気と昼休みの様子を見るとその学校が、どれほどの学校力を有しているかがわかる(と思い込んでいる)。品格をもつ者たちの学び舎の玄関は、空気が凛としている。どんなに古くても、どんなに狭くても、玄関はそんな顔つきがある。そして昼休みは、そこに集う生徒たちのエネルギーとその質がよくわかる。「よし出かけるぞ」と立ち上がった途端、先手を取るように、「失礼しますっ!」と声を揃えて大きな挨拶をして野球部のいつもの二人が入ってきた。県大会抽選の報告である。

4月27日(土) 11:20開始 長生の森球場 VS県立安房高等学校 よろしくお願いします!

昇降口付近にいくと、長蛇の列が整然とできている。中の女子二人が、笑顔で大きな声で「先生、こんにちは」と声をかけてくれた。「はい、はい、こんにちは」(生徒諸君、校長がこの挨拶をする時は、『えーっと、この子達は、校長室にきた子だっけ?』と考えています。ちょっと繕っています)「なんの列なの?、あっ、パン。美味しいの?」と尋ねると、「はい、とても美味しいんです」と写真用のポーズまで決めてくれた。ご協力ありがとうございました。何気ないふれあいなのですが、彼女たちの知性が伺える素敵な時間でした。いいなぁ、うちの子。

 混声合唱の声が聞こえる。生徒会のみんなが「3階フロアですよ」と教えてくれた合唱部の活動のようである。ミーティングを終えた野球部の面々が壁を作っている向こう側から、美しい歌声が聞こえる。1年生の歓迎合唱。一見縁遠そうに見える(失礼)色の浅黒い球児たちが足を止めて曲に聞き入っている。この光景はすごいと思った。その魅力が歌声にもあった。しかし、それ以上に、このイベントに足を止めて、しばらくたたずんでいる生徒たち。誰に言われるでもなく表出された興味・関心、彼らの持つ格調。そしてこの学校の豊かな学校力を見た気がした。新たな発見。外部のみなさん、市原中央高等学校の本当の魅力は、昼休みですよ。

それにしてもあの長蛇。私があの「とても美味しいんです」パンを口にするのは、なかなか難しそうである。

眼鏡 コミュニケーションのレスポンスがいい

4月18日(木) Vol.14 遊びに来ましたー!

おや?今日はカップルだ。男子は「先生、初めまして」女子は「2回目です」。『二人はどういう仲だろう』と表情に出たのだろうか、(女子)「廊下であったので連れてきました」ということであるそうだ。Vol.8に登場した茶道部の女の子である。今日はメガネをかけていたのでわからなかった。先日の宿題の答え考えてきたという。『宿題って、なんだっけ』「窓です。丸い窓(和風)と四角い窓(洋風)どう違うという宿題」忘れてしまっていることを、また気取られてしまったようである。しばらくの間、窓を巡って雑談をした。二人ともかなりレスポンスが良い。教師(教える人)、生徒(教えられる人)という関係だけで成り立っている授業では、到底広がらないような領域にまで話が及んでいる。外と中をつなぐは共通だけれど、固定と可変、繋ぎ方が違う、「違う」だけに終わらず、「なぜ違う」「違うことが意味するものは?」と会話が深化していくのである。内容が山場に差し掛かった時、チャイムが鳴った。あらぁ、今日合唱部の一年生歓迎の会があったのだ。見に行けずに申し訳ないです。ドアを出たところで男子が振り返り、「先生、定期演奏会のこと取り上げてくださってありがとうございます」そうか、君は吹奏楽部なんですね。

喜ぶ・デレ 生徒の声で救われた

4月12日(金) Vol.8 私たちが一番乗りですか?

残念ながら、君たちより前に生徒会長が来てくれた。「あぁ、琴◯さまかぁ」言葉に揶揄の影はない。何がというわけではなく、一目置いている、彼女たちなりの敬意が、表現にエスプリが感じられて面白かった。そうそうダンスの発表会、招待してくれると言っていたけれど・・・と、かつての愉快な、そしてひやりとした思い出話をした。ブログの材料集めに出かけると、大抵写真を撮る。こうしたスナップならなんでもないが、スポーツの大会などは一眼レフ+大きなレンズで撮影することが多い。女子バレー部の活躍を撮っていた時、周囲の保護者から寄せられる冷ややかな視線を感じた。それはそうだろう、ラフな格好でカメラを構え、女子高生を撮影するおじさんは・・・。しかしまさか「私は校長です!」と大声で叫ぶわけにもいかず。一人の保護者と目があって、気まずく会釈をして困惑しているときに、私に気づいた部員が「校長先生!応援ありがとうございます」と大きな声でお礼を言ってくれた。救われたんだよ、その場の空気から。聞いていた3人の生徒たちは、お腹を抱えるようにして大笑いをしている。中の軽音楽をやっているという一人が、「先生、大丈夫です。私たちもちゃんと大きな声で・・・」まぁ、それはそれで気恥ずかしいような。豊かな時を過ごせました。ありがとうございました。PS「あいみょん」先生わかります。

にっこり コロコロとよく笑う

4月11日(木) Vol.7 校長室に来た3人の生徒たち

机に向かっていると入口あたりに人の気配がした。影が、少し遠慮がちに覗いては消え、また現れて私の視線を感じては、また消えて、気配はするが姿がなかなかはっきりしない。影=人(人格、存在)そのものとはよく言ったものだ。見えない「影」に向かって「どうぞ、入っておいで」と呼びかけると、3人の女子生徒が笑顔を見せてくれた。「いいんですか?」「初めて、校長室」「へぇ」などと口にしながら、部屋全体を見渡している。しばらくの間3人を相手に(ではなくて、3人が私の相手をしてくれて)時を過ごした。コロコロと明るくよく笑う生徒たち、部屋の中がパッと明るくなった。中の一人がダンスをやっているという。今度発表会がある時には、招待していただけるそうだ。今から楽しみにしている。

訪問者たち、嬉しかった!

4月9日(火) Vol.4 野球部、清掃担当、生徒会長

眼力(めぢから)がある。みんな笑顔で会話してくれるのだが、目に力がある。最近、のほほーんとしてきた私より、ずっと。

一番最初に校長室を訪ねてくれたのは、野球部の2人である。「公式戦がはじまります。ぜひ応援をお願いします」おそらく以前勤めた学校でも、野球部の応援に足繁く通っていたことをどこからか聞いたのだろう。日程は?明日(10日)、また急な話だねぇ。併せて、明日は入学式です。とても・・・。申し訳ない。

真ん中の写真は、清掃担当の諸君。これからよろしくお願いします。ちゃんと机の上は片付けておきます。

最後にきてくれたのは生徒会長。名前に「琴」がつくので、「『琴線』って知ってる?」と聞くと見事に答えてくれた。なかなか高校生が触れることの少ない語彙である。いい教養の環境で育ってきているんだろうなと思った。とりとめもない話をしばらくして、「そうそう、先生。私お礼にきたのです」と、Vol2で書いた冊子の原稿のお礼をいただいた。美術コースの生徒に書いてもらうところ、連絡が取れないので、生徒会の一年(現二年)の女子が書いてくれたのだという。「でも、でも、表紙は校長先生!」と言ってくれた。描いてくれた生徒の気持ちと、生徒会長の双方に対する心配りが感じられ、嬉しかった。「あら、随分本人より本人らしい似顔絵」とは、40数年連れ添った奥様の評価である。