校長室から

重要 令月の和楽(文化祭)まで、後2日

6月26日(水) ほぼ毎日校長・Vol.55 クラスの企画で繋がろう

  文化祭が後二日で開催になる。新生徒会長が入ってきて「先生、文化祭当日の挨拶お願いします。といって式次第を持ってきてくれた。前生徒会長に勝るとも劣らない段取りのうまさである。「ちょっとからかってやれ」という悪戯心で「ものを頼んでいるのだから・・・」と声をかけると、どの言葉、どの表情、どの仕草から読み取ったのだろう。スススッと前にすり足をするように進み出て、「誠にお忙しい中恐縮ですが・・・」と慇懃に礼を尽くして見せる。こちらも芝居ががって「よかろう」と応じると、あげた顔は満面の笑顔だった。「新たな会長(君)の初仕事、前会長の有終。成功させたいね。いい祭典にしたいね。」と付け加えると「はい」と大きな声で返事をしていた。着任当初、生徒会室で見かけていた彼の姿から想像できないほと「頼もしさ」を感じた。

 役が身を育てる? いい生徒に生徒会を任せる判断が全校生徒でできたことに、この学校のすごさを感得した。感謝。

注意 グローバル化、着々と進んでます

6月25日(火) ほぼ毎日校長 Vol.54 アメリカから留学生がやってきた

 まぁとにかくお客さんの多い日だっった。朝の打ち合わせが終わってから、校長室への来客が後を断たない。新生徒会長が何度か顔をのぞかせたようだが、なかなか入ってくることは難しかったようである。申し訳ないなぁと思いながらも、出かける時間まで、彼の存在をすっかり失念していた。分掌の相談、生徒に係る報告etc、先生方の対応が終わると、教育実習生の研究授業視察に大学の先生がお見えになる。前日にお電話をいただいた。「まぁ、校長先生が日髙先生だなんて・・・」まだ若かりし頃、同じ学年、同じ分掌、隣同士の(コートの)部活動など、10年近く一緒に務めた同僚である。あった途端、久闊を叙するどころか、二人とも以前の若者に戻ってしまった。「そんなに仲良しだったんですか?」と実習生が驚いている。千葉県の英語を背負って立っていたと言っても過言ではない彼女の存在は、本校の先生たちも知っていた。実習生の研究授業を終えて、彼女(大学の先生)の評価があった。実習生の授業は素人目にも「優」である。それに加えて「この学校の英語教育は『上質』です」と最高の評価をいただいた。実習生(うちの大学生)の力をあそこまで引き出せる指導担当の先生の力量、何よりも生徒たちの素晴らしさを褒め称えてくださった。彼女をよく知る私は、この言葉がお世辞抜きの賞賛であることを一番よく知っている。それだけに嬉しかった。まだ英語の4技能なんて言葉のなかった時代、先進的な英語教育をやろうと言って「資料収集、分析」指導担当、プレゼンのための「論理的展開」指導、そして「英語スピーチ」指導担当の3者が作り上げていった「あの頃」を思い出していた。

 時を同じくして、アメリカから留学生がやってきた。3年の英語コースに所属し、2ケ月近くを本校で過ごしていく。いい交流をしてほしい。

 市原中央高等学校グローバル化、着々と進んでいます。いいね!

鉛筆 玄関を入るとその学校の全てがわかる

6月24日(月) ほぼ毎日校長 Vol.53 高校説明会にお伺いした中学校

 高校説明会に伺う機会があった。なんども伺ったことのある中学校である。いついってもこの学校は、玄関を入るだけで気持ちが洗われる。日頃生徒たちにどんな指導をなさっているのか、どういう教育が展開されているのか、そして先生たちの協働の体制がいかにしっかりしているかが分かる。「すごい学校だなぁ」といつも思ってしまう。見習いたい。兄弟校の木更津総合高等学校の説明を真板校長(理事長)がなさっている間に、パシャリと写真撮影。ご覧いただいて分かるだろうか、姿勢を正してじっと話者の方に目を向けている。「話は目で聞け!日髙!」中学校時代に話を上の空で聞いていた私を注意した先生に「聞いていましたよぉ」とふて腐れると、可愛がってくれていた担任が横から大きな声で指導してくれた。「話は目で聞く」もの、ここの生徒たちはちゃんと実践している。もちろん市原中央高等学校の生徒諸君も。いいね。

 本校の保護者の方が話してくださったお話を思い出した。中学校の教員をなさっている方で、「日髙先生、私の教え子に話してくださった『ドーナツの穴』のお話、よく覚えています」嬉しい限りである。その話を思い出し、この中学校でも「二匹目のドジョウ」を狙ってみた。

ドーナツの穴と動物園の話し(高校選びはこうあるべきだ)

自分って何?という問いかけは難しいが、わかりやすい。自分=ドーナツの穴と考えること。あるかないかを明確に説明できない「穴」は、ドーナツによって形づけられている。自分を「穴」と考えるなら、ドーナツは周辺(=仲間、教員、他者)である。他者が上質であればあるほど、「穴」は上質な自己確認をする。上質なドーナツのある学校をどうやって選べばいいか、その話をしよう。行ける学校選びは、「それなり」のドーナツしか得ることはできない。

動物園(や水族館)に行ったことはあるだろうか?・・・

ほくそ笑む・ニヤリ 「お弁当なしね」が生んだ出会い

6月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.52 唐揚げ弁当350円

 私ごとですが、奥さんが出かけるときはお弁当がありません。そんな時は、生徒の昼休みが始まる前に食堂でお弁当を購入することにしている。ボリュームのある弁当が350円と、かなりリーズナブルである。写真は唐揚げ弁当。今日もこれにする予定でしたが、来客があり昼休みが始まって少し時間が経ってからになってしまった。案の定、食堂には行列ができている。「食券の最後尾は?」独り言のように言うと「先生、ここです」と招いてくれた。私の後に2人の女子生徒。どうやらここが終わりのようで、その後は誰も並ばなかった。後ろの二人と色々とお話をさせてもらった。「食券はあらかじめ販売数が決まっているの?」とか「私で売り切れるといけないから、先に買えばどう」といった類の、たわいもない話なのだが、こう言う時間が一番好きである。この17日から販売を開始した売店。ちょっとしたスナックやアイスクリームが売っている。「もう利用した?」「はい便利に使っています」「一番のお気に入りはアイスクリーム」だそうである。列の途中にノートを見ながら並んでいる生徒がいた。「すごいなぁ、行列の中で勉強か?」と問いかけると、下を向いてしまった。そばにいた友人が「追試験があるそうです」と、小声でこっそり教えてくれた。よく考えもせず「そうか、追試か、頑張れ!」と大きな声で励ましたものだから、耳まで真っ赤にしてさらにうつむいている。申し訳ないことをしました。ごめんなさい。

「お弁当なしね」が生んだ素敵な出会いである。感謝。

部屋に帰ると、いつもの野球部の二人が待っていた。抽選の報告に来てくれたのである。「高校球児としての最後の夏を飾るのに、いいくじを引いたね」と迎えると、二人で声を合わせるように「はい!」と大きな声で返事をしてくれる。清々しい空気で部屋が満たされるのを感じた。ありがとう。

王冠 なぜ走るのだろう? カウントダウン

6月20日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.51 あと1週間

 「令月の和楽」をテーマとした文化祭の開催が迫っている。それぞれに忙しそうに準備に追われている。以前(もう30年以上前)から気になっていたのだが、生徒たちはなぜ走るのだろう?テンションが高くなっているのか、やたらとこの時期走りたがる。とある高校に勤務していた時のこと、クラスの生徒で、外からの強い衝撃が加わることに気をつけなければならない生徒がいた。普通に生活している分には、廊下を走る生徒なんて一人もいない学校だった。ところが文化祭の前は、走るのである。あちこちで「あっ、ごめん」「すみません」。ちょっとした衝突事故が起き始める。それも頻繁に。当該の生徒と真剣に考えた。サンドイッチマンのように、前後に看板ぶら下げてみるか?スーパーのお子様買い物カートのように、のぼり旗の立った竿でも持って歩くか?笑いながら話しているが、どちらも真剣に考えなければならない対策であることが分かっていた。「先生、僕は全校生徒の前で事情を話します。僕であることがわかるように、赤い帽子を被って生活します。文化祭終了まで」彼は身長のある人だったので、意外と目立って効果があった。集会を開いてもらい、壇上で彼が赤い帽子を被って事情を話した時、傾聴の姿勢を示していた生徒たちから、拍手がおこった。彼の「勇気」に対するものだったのか。文化祭実行委員長が「ぜひみなさん気をつけてください。この文化祭準備は、疾走禁止です」と語っていたことを思い出した。

 本校の生徒は、見るかぎりまだ走っていない。文化祭に向かって気持ちが高まっていない訳ではないが、まだ走っていない。本校生徒のもつ品格なのかなぁ。印刷室で資料を印刷していると、生徒会役員が新入生の後輩を連れてきて、機器の使い方や手順を丁寧に教えていた。新生徒会役員に期待したことを、ちゃんと実践してくれている。市原中央高等学校、いいね!

校長室の3人は、本文とは無関係です。清掃担当の女子たち。いつも笑顔で、校長を元気にしてくれる生徒たちです。

合格 学校経営の方針は君たちから生まれているようだ

6月19日(水) ほぼ毎日校長 Vol.50 市原市内の中学校長が大勢お見えになった

「僕ってなに?」「私ってどうなの?」という問いかけは、ドーナツの穴ってあるの?という問いに似ている。穴は確かにあります、でも食べてしまったらどうなるだろう?「ない?」確かにあったはずの穴は?穴はドーナツによって形づくられている。人生の中で、高校3年間はそんな自己確認をしたり、人間形成をしていく大切な時期にある。どんなドーナツが周りにあるかで、人生が変わると言っても過言ではない。水中を飛ぶように泳ぐペンギン、やはり鳥だった。プールの中でダンスを踊るシロクマ、王者の風格がある。ガラスの向こうからにらめっこするアザラシ、好奇心の強さが本領。みんならしさを引き出されている。それぞれの動物のプロが、他には真似できない特徴を引き出している。飼育のPROなのである。本校には、自慢できる教育のPROがたくさんいる。だから生徒は生き生きし、らしさを引き出され、光り輝いているのである。市原中央高等学校の自慢はそこにある。

校長先生たちに教育方針と本校の素晴らしさを語り、部屋に帰ると、しばらくして「アレェ、いるぅ」という言葉とともに女子生徒が二人入ってきた。部屋の清掃をしながら、「先生、吹奏楽のコンクール、私たちの前は市立船橋、次の次には市立柏・・・。やりがいあります」と言って笑顔で報告してくれた。ぜひ行くよ。頑張ってください。

会話を交わしながら「本校の教育方針」などと立派なことを言いながら、気づいてみれば、目の前の生徒像を語っているだけである。どうやら校長は、君たちから何をすればいいかを学んでいるようである。いい生徒たちに恵まれた。

野球 12日 Vs 木更津高校 マリンスタジアム 応援お願いします

花丸 正解のない答え合わせと100点ダルマ

6月18日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.49 少年の話・・・答えは?

 ほぼ毎日校長Vol.36「ニライカナイから神が来る」の中で登場した案内役の少年、どうして祭りの話を聞かせてくれるごとに、「おじさんはいい人だから・・・」を枕詞のように使うのだろう?先日の校長講話で私の考えた解答を述べたので紹介しよう。

幼い子が「おじさんはいい人だから」と必ず言ったのは、日髙を「いい人」にしていないと自分が罪人になるから。

神々の話(祭り)にはタブー(=禁忌:してはいけない)がつきものである。異類(神)との婚姻を語るものには必ずと言っていいほどある。鶴の恩返し「機織りを見ないでください」浦島太郎「開けてはいけません」雀のお宿「覗いてはならない」三輪山の杉「触ってはいけない」などなど。この島の秘儀の祭りは「語ってはいけない」(島民だけの共同幻想)である。島民たちは子々孫々にいい伝える「語ってはいけない」純粋な子供は、純粋な疑問を持つ。「なぜ?」そうすると母と子の間に、こんな会話が成立しはしないだろうか。
子「なぜ話しちゃいけないの?」
母「・・・」(答えられない)
子「ねぇ、お母さん、なぜ話しちゃいけないの?」
母「島の人たちの大切な祭りだから、悪い人に聞かれるといけないからよ」
(「いい」←→「悪い」という、本当は難しいが、子供には理解しやすい概念で説明する)
子「ふーん」(じゃあいい人なら語ってもいいんだ)

「おじさんはいい人だからね」という少年の言葉は説明できているだろうか?これは「正解」ではない。◯や✖️で判断されるものではない。私の説明であり解釈である。あの宿題を出した時、生徒諸君はどんな答えを導いたろうか。右から左へ「口から耳へこぼれゆくもの」として聞き流す者も多かったに違いない。(HRで話題として取り上げてくれた教員もいると聞いている。ありがたい)世の中には、こうした問いはあまりにも多い。 いや、こうした問いばかりである。そして時には誰も答えを示してくれない。協働のスパイラルの中で自分を変容させ、強い頭を鍛えるそんな学びが必要な時代なのだ。

これは◯✖️の世界。でも先に書いた学びの根底に、これは絶対に必要だ。この層が薄い者が強い頭を鍛えられるはずがない。スタートはここから。

100点ダルマ、今回は何人いるのだろう。「卒業までに◯個目標」いいね!

体育・スポーツ 心から賞賛の拍手を贈ろう、頑張れ!中央球児たち

6月17日(月) ほぼ毎日校長 Vol.48 壮行会にお招きいただいた

 一人の教え子のことを思い出していた。大会に出場している全員が、守りからベンチに帰る時、彼の手を通って帰ってくる。ランナーを出し追加点を入れられた後も、ナイスプレーでゲッツーをとりピンチを切り抜けた後も、ナインは必ず彼の手を通過していく。3アウトのコールがあると、真っ先にベンチから飛び出し、大きな声で何かを叫びながら、両手をいっぱいに広げる。その手にナインは、タッチしてからベンチに戻る。バッターボックスに入る仲間を応援するのも彼が一番大きな声を出している。よく聞くと全てポジティブな言葉ばかりである。2年間しか見ていないが、ムードメーカーの彼が守備につくのを見たことがない。いつもベンチで大きな声を出している。チームの「信」は彼によってつながり、彼によって拡張され、強度を増していた。最後の夏の大会、ラストバッターとして打席に立った。私がフィールドの中で彼を見たのは、それが最初で最後だった。熱い一つの夏が終わった。試合後、ゲートの傍らで母親と抱き合って涙していた。「こんなのあり?・・・」応援のチアの女子生徒が呟いて、もらい泣きをしている。彼の球児人生には「外伝」があったのだろう。母と二人でしか感じあえることのできない、素晴らしい「外伝」があったに違いない。

一つ事に夢中になる者の姿は美しい。この日(6月15日・土)お招きいただいた本校の野球部の壮行会でも、子と親御さんの「絆」(信)を熱く感じた。いい壮行会でした。

2019年 熱い夏が始まる。「信は力なり」この夏を熱く駆け抜けろ!市原中央球児たち

お祝い 「共時」の充実を図ると同時に「通時」の意味を深く受け止めよ

6月14日(金) Vol.47  生徒会新役員に期待すること

朝の打ち合わせ前に、生徒会役員の女子がきた。大きな黒い縁のメガネの奥の瞳が綺麗に輝いている。文化祭が近いので、文化祭パンフレットの巻頭言の原稿を依頼したいという。「いいですよぉ。で、いつまで?」「月曜日にはいただきたいのですが・・・」無茶振りを承知で笑顔でお願い。最短の依頼ではないだろうか。昨年度の巻頭言を見せていただく約束をしたが、?おやぁ?、7限が始まろうとするのにまだ来ない。替わりに昼休みに現生徒会長(琴音さま)が新会長を連れてやってきた。「本日の認証式のご挨拶、お願いします」彼女は本当に律儀である。必ず前もって依頼して、当日にもやってくる。見習うことが多い生徒である。さて、何の話をしようと思案して考え出したのが、伝播と伝承の話である。ちょっと難しい話だが、『うちの子なら大丈夫』と思った。

校長講話 生徒会新役員に期待すること

我々の文化には、通時的な流れ伝承と共時的な伝播がある。同じ時を過ごしながら、共に何かを協働で創造していく。人はおおいにしてその刹那に目を奪われ、目を向けがちである。しかし、その刹那の伝播のリングは、気づかない速度で動いている。ジワリ、ジワリと揺れながら動いている。それは「時の流れ」(通時)として認識することができる。通時にのみ目を向けると、年表のような味気ない年号の羅列になってしまうが、先の共時と組み合わせて、その瞬間(とき)を捉えるとき、先人の偉業や偉大さとその瞬間(とき)を生きた労苦を知り、喜びを知ることができる。さらには次に来たる者たちへの期待や活力に思いを馳せることができるのである。

生徒会の新会長は、入学授時に「今やりたいことをしっかりやりなさい」という当時の校長の言葉に背中を押されるように、会長に立候補したと聞いている。先に話をした、君たち新役員が担う「共時」の充実を果たすとともに、「通時」の意味を深く受け止め、市原中央高等学校の「伝統」を築いていただきたいと思う。平野さんをはじめとする旧役員の皆さま、本当にありがとうございます。新役員の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

学校 中央見聞録ってご存知ですか?

6月13日(木) ほぼ毎日校長 Vol.46 本校の新聞委員会が出している新聞です

「中央見聞録」なるものが配られた。掲載されている写真をみて、遠い記憶を思い出した。新聞委員会の男子が来て、原稿を依頼された、写真を撮影された。新任の教員紹介の記事が載っている。保護者の皆様、お手元に届いていますか?耳鼻科検診に来ていた学校医の看護師さんが、新聞と学校案内を見ながら「校長先生は髪型で随分と印象が違うのですね」と。『確かに、自分でもそう思う』気分がストレートに表情に出るようで、廊下を歩いていて「今日の先生は怖いですね」と教え子に言われたことがある。きっと難しい顔をして、全身から「寄るな!」オーラを出していたのだろうと思う。授業の様子を覗きに行こうと校内を歩いていると「今日の校長先生は怖いです」と後ろから声をかけられた気がした。振り向くと壁のフックに掛けられたリュックサックに付いた面白いぬいぐるみが、ニッと笑っていた。

新聞記事から

①自己紹介をお願いします ②本校の生徒の印象は?  ③高校生の時はどんな生徒でしたか? ④大切にしている考え方や言葉を教えてください。

  ① 自己紹介:瀬戸内の小さな町で生まれました。18歳の時に上京し、それ以来、関東に住んでいます。今では関西弁もあまり出なくなりました。趣味は南国(の海)に行くこと。若い頃は、波音を聞きながら満天の星空を眺めるために、年間30日くらいは、インド洋や南太平洋の島々に行っていました。
② 本校生徒の印象:「いいね!」「こういう高校生、好きだな」が、印象です。他人の話に傾聴の姿勢を持っている。これって素晴らしい力だと思う。まだそれほど多くの生徒と接していないのですが、接した限りではとても好意印象を持っています。
③ 高校生の時はどんな:同窓会で同級生に会うと、「日髙は変わらないなぁ」とよく言われます。『高校の頃からこんな老け顔だったのか』『人間的成長がないのか』と複雑な気持ちです。「できる」が嬉しくて、できるものが見つかると、とことんのめり込んでいました。わがままを許してくれる寛大な心を持った友人が多かった。感謝しています。
④ 大切にしている言葉:人は、何か一つことをやり通さなくちゃいけないのさ」別役実の言葉だったと思う。若かりし頃に出会って、大切にしている。本当は違う表現だったかもしれない。一生懸命な姿や何事かに投じている様子は美しく、心打つものだという解説とともに、私の中に染み込んでいる。

まる 親睦と友情、つながり、そして奉仕へ

6月12日(水) ほぼ毎日校長 Vol.45 市原ロータリークラブの方々と

左から   平野 様 ・ 野口 様 ・ 日髙 ・ 篠田 様(新会長)

市原ロータリークラブの方々が、わざわざご挨拶に来てくださった。本校のインターアクトの生徒諸君が深い繋がりを持せていただいており、様々な活動への参加や支援を頂戴している。「ロータリークラブ」名前はよく存じ上げているが、私にとって決して身近な存在ではなかっった。「奉仕活動」「地域貢献」という用語がすぐに連想はされるが、恥ずかしながら実感として感じることは少なかった。新会長の篠田さんは、「会長を仰せつかるにあたり、『市原ロータリークラブかくあるべし』をまとめて見ました」といってA4版4枚にも及ぶレポートをご持参くださった。長年継続してきたマレーシアの交換留学生の話、9月に予定されている音楽鑑賞会の話などなど、ぜひ本校のインターアクトの皆さんにお手伝いいただきたいというお話をいただいた。ロータリーが「親睦と友情」を起首とし、やがて「つながりを築く」活動に、そして「奉仕」へと進んだ流れを実際に語っていただいているようなお話をいただいた。

本校のインターアクト、30名を超える生徒が熱心に活動していると聞いている。県下一位ではないのかな。数といい、質といい。市原中央高等学校、いいね!

合格 そうか、ここに来ればよかった

6月11日(火) ほぼ毎日校長 Vol.44 生徒会室いつも満員御礼

 「令月の和楽」今年の文化祭のポスターが貼り出された。パープルの地に淡いピンク。令月(美しい月)に手をかざす少女。紫の高貴な品格のある色の中で、髪を風になびかせている。まさに「薫る(カヲ・ル)」なのである。つややかな美しさ、このポスターを手がけた生徒は誰だろう。13枚の候補の中から選出された一枚。もちろん「令和」の「風和らぐ」を視覚的に意識した作品なのだろう。見るものにその意図を感じさせる。かつて読んだ書物の中で、確か和歌の解説であったと思う。「きよし」と「さやけし」は違う。物その物がもつ「きよし」によって対する者の心が浄化される状態それが「さやけし」と書いてあった記憶が蘇る。このポスター「見る者の心を洗うほど」なのである。

 ぼんやりとポスターを眺めていると「こんにちは」と明るく挨拶をしてドアの向こうに隠れていく影。生徒会の生徒である。文化祭が近いのでコトコト忙しそうにしている。『お邪魔かな』と思いながら中を覗くと、案の定、みんなが何かに取り組んでいる。「何しているの?(あーそぼ!)」と声をかけると、PCの方を向いたまま、「はい、クラスの出し物の説明文の活字化です。」と答えてはくれるけれど、応えてくれない(あーとで)なのである。察してくれたのであろう、生徒会顧問の先生が「◯◯さん、校長先生のお相手」と一人、遊び相手をあてがってくれた。嫌な顔もせず「はーい」。ところがこうして改まると、何を話していいかわからない。「えっ、まぁ」などと柄にもなくドギマギしていると、「校長先生、私、生物で97点とったんです。もう、最高」と話題を提供してくれた。それを機会に、そこここに座っている生徒が代わる代わる相手をしてくれる。あっと言う間に時がすぎていった。出来上がった学校案内を見ながら、「素敵なパンフ。表紙はタマちゃん。友達なんです」「アレェ、校長挨拶なんて書いてるけど、これ校長先生ですか?」「えっ、違う」と写真と私をしきりに見比べている。写真が悪いかな?写真変えるかな?

生徒会室、ここに来ると市原中央高校が、グッと凝縮されているようだ。そうか「校長は寂しい( ;  ; )」時にはここにくればいいんだ。生徒会の諸君、忙しい中お付き合いありがとうございました。

話題の写真→ 

鉛筆 アクティブなチョーク&トーク

6月10日(月) ほぼ毎日校長 Vol.43 ちょっと授業を拝見に行ってみた

授業の観察は改めてさせていただくことにした。授業の開始から少なくとも2/3くらいの時間は拝見しないと、生徒の取り組みは見えないだろうから。考査の終わった次の週の月曜日『多くの授業はテスト返却から始まっているだろう』返却がどんな風に指導がされ、生徒たちの取り組みはどうなんだろうと興味はあるが、また次の機会にしようと思ったのである。だから今日は、授業の覗き見。

音楽(声楽):いつも校長室で聞いている綺麗な発声と歌声。アリアナ・グランデという歌手をご存知だろうか。少しハスキーな歌声なのに、とんでもない高音を発声することができる。もちろん彼女ほどでは無いが、うちの生徒たちの歌声は美しい。どれぐらいの音域が出ているのかわからないが、とても域が広い。発声の練習をしながら、音取りがうまくできなくなりそうな一歩手前で、ピアノの鍵盤がポンと鳴る。導かれるように声がその音と一緒になる。『プロの指導だなぁ』このタイミングで指導ができると、他の教科でもきっと「わかる」授業ができるのだろうな。

数学:テスト返しの真っ最中であった。「え〜、追試は・・・」先生が日程を知らせると、クラス中がざわついた、ため息が漏れた。中には、頭を抱え込む者もいる。すかさず「でもな、君たちはすごいぞ。この時期の私の授業では普通、◯◯人ぐらいいていいのだが、◯人しかいない。これは見上げたものだ。見込みがある」と褒める。ダメ出しではなく、いいところを褒めて伸ばそうとする。基本中の基本なのだが、なかなかできることではない。

日本史:「最後の遣隋使は?」かん高く良く響く声で質問が出る。何人かの生徒が声を揃えるように「犬神御田鍬!」「すごいね珍しい名前だから覚えていたかな?初めての遣唐使でもあるんだね。じゃあ、その遣唐使が終わったのは?関わっている重要人物」また「菅原道真!」何人もの生徒が答えている。質問と答えというより会話なのである。生徒も教員も楽しんでいる。アクティブなのである。「じゃぁ・・・」連想ゲームのように続いていく。「白紙(はくし・894年)に戻そう遣唐使」

中学3年生「6」、高校1年生「25.4」。単位は%である。何の?「学校の授業以外に、塾や家庭で全く勉強しない生徒の%である。どうすればいい?「環境を作ってあげることですよ」元都立三田高等学校の校長先生は、さらりと答えた。

花丸 先生、なんだか嬉しそう!

6月6日(木) ほぼ毎日校長 Vol.42 確かに一番はしゃいでいるのは私

チャイムがなり終わった。しばらくするとガヤガヤ、キャァキャアと賑やかになってくる。机を運ぶ音が聞こえる。教員経験のある方なら、これだけでリアルに映像まで浮かんでくることだろう。それだけでなく今まで淀んでいた空気が、一気に爽やかに動き始めるのを感じているに違いない。考査が終わった。この音や生徒たちの会話を聞くだけで、心がウキウキしてくる。「先生、なんだか嬉しそう」清掃担当の生徒が笑顔で語りかけてきた。「嬉しいんだよぉ。先生はこの時を待ったいたんだ」と返事をすると「校長先生は寂しい(≧∇≦)ですね」(Vol38)とブログの記事を話題にしてくれる。「本当に嬉しそう」全身に嬉しさが現れていたのだろうか。話しかける生徒それぞれが、「あーとで」ではなく、ちゃんと相手をしてくれる。「あぁ、あの問題配点が10点だったらまだ救われる。15点だったら地獄」とテスト結果を嘆きながら廊下を歩いていた女子生徒に、「テストが終わった喜びを全身で表現してみよう」と声をかけると、瞬時に明るく応じてくれた。調子に乗って、「さぁみんなも」清掃担当の3人組も全身で喜び。玄関掃除の男子生徒、「僕らはいいですよ」と言いながら「5・4・3・2・1」とカウントダウンすると「ワォ」と付き合ってくれた。一番はしゃいでいたのは、やはり私なのである。みんな、お付き合いありがとうございました。「校長室の清掃担当の男子が来ないなぁ」と独り言を呟いていると「先生、あの二人は提出期限今日までのワークブック回収係になっていて、今日はこれないと思います」同じクラスの女子(彼女は確か吹奏楽部の部長さん)が事情を説明してくれた。気配り段取りができる生徒っていいな。自慢です。

梅雨が近く、曇り空が多くなるかもしれない。でもここ市原中央高等学校の校内は、ぴーかんの晴れなのである。

苦笑い 口から耳へこぼれゆくもの

6月2日(日) ほぼ毎日校長 Vol.41 不断の努力と学校力(市原中央新聞から)

着任早々挨拶文を求められるのは校長の常である。生徒会の挨拶文、新聞委員会が出しているのだろう「市原中央新聞」の巻頭言。この号は、卒業生の進路に係るコメント、後輩たちへのエール特集である。その新聞に「校長あいさつ」として書いた文章がこれ。教員との個人面談の中で、この文章を話題にしてくださった先生がいた。自分でも存在を忘れていたが、前期の第一回考査が終わり、夏を迎えるこの時期に、在校生諸君へのエールとして記しておこうと思った。

  誰の言葉だっただろうか、「[『ことば』は口から耳へこぼれゆく」もの。刹那的で命短いものだが、人の心や万物を動かす大きな力を持っている。古人はその力を言霊(ことだま)と呼んだ。ここに記された卒業生たちの「ことば」は尊く、力強い。不断の努力に裏打ちされた大きな力を持っている。魂(霊)を持っている。「筆舌に尽くしがたい」というが、彼らとてもそうであろう。「こんなに努力しました」と自慢げに成果をひけらかしてはいないが、その筆に滲むような努力の軌跡を追うことができる。伸び悩み、苦しむことの連続であったろう。やや先に光が見えたかと思うと、その光はたちまちに霧の中に消えてしまう。目指す方向性も見失い、「もうだめだ」という絶望感だけが支配する時期もあったに違いない。言葉でなんか語ることはできない心境、それが行間から滲み出てくる。その苦しみという大きな壁を穿った力、打ち勝った力の存在を共有させる、姿なき表現を聴くことができる。一つ事を貫き、成し遂げた者たちの、尊厳に支えられた発語である。いま私が語っている感覚が実感できない、享受できない者がいるとすると、やや危うい。目標に向かって真摯に臨む姿勢に、いまある自分の姿に内省の目を向けてみる必要があるかもしれない。
 彼らの目標達成に向かう努力を継続させ、栄冠を勝ち取らせたものは何だろう。もちろん本人の強い意志が一番であることは間違いない。ここで問う「何」は、その意志を、そのモチベーションを保ち続けさせたものは?という問いかけである。多くの要因が考えられるだろうが、もう一度彼らの筆を辿ってみると見えてくる。それは「学校力」である。受験は団体戦ということをよく耳にするが、その団体戦を勝ち抜く力を高めることができるかどうかは、この「学校力」にかかっていると思っている。その学校の空気が、水が、そこに集う者たちの心を刺激し、より高みに向かわせる。一人ひとりの姿勢、奥歯を噛みしめる力、紙面に鉛筆を走らせる音までもが伝播し、刺激する。和紙に落としたインクが滲むように、静かにそして確かに。やがてそれは総和として、学校全体の雰囲気として成立する。学校力の発動である。
 ここには、他にはない素晴らしい学校力がある。寄稿された卒業生の一言一言と、輝かしい実績はその証である。在校生、新入生の諸君にとっては、何物にも代え難い応援メッセージ、熱いエールになっている。険しく辛い道程ではあるが、歩を進めることを止めないで欲しい。君たちの頭上にも栄冠が輝くことを祈念している。

驚く・ビックリ 悔しかったに違いない

6月1日(土) ほぼ毎日校長 Vol.40 よく頑張りました

午前中に保護者会の集まりがあった。ありがたいことに「ほぼ毎日校長」を読んでくださっている方が大勢いらっしゃる。「先生、真紅の優勝旗から・・・」「体調でも・・・」前任校でも3日休むと、副会長から電話があった。「はい、今校長は一番さびしい時を過ごしています(Vol38)」自宅の近所から本校に通っている生徒のおじいちゃんが、楽しみにしていると声をかけてくださることもある。とにかくありがたいと思う。頑張ります「ほぼ毎日・・・」

というわけで、「今週の土曜日試合があります」と誘ってくれたバスケットボール部の午前中の試合の応援には伺えなかった。午後一番に駆けつけると、午前中に試合のあった女子が私を見つけ「先生!ありがとうございます。1試合目勝ちました。これから男子、そして女子・・・」歓迎の言葉をかけてくれた。試験前で忙しいだろうに、若い先生が数名応援に来てくれている。自分のクラスの生徒が出ているのだという。生徒の思いに応えてくださっている姿に感謝である。結果は男子も女子も残念な結果に終わってしまったが、いい瞬間(とき)を共有させてもらった。自分たちの力が存分に発揮できなかったもどかしさが残ったかも知れない。でも流した汗は正直である。ともに過ごした日々に培われた絆は何にも換えがたいものである。しっかり見せていただきました。涙する君たち(女子)の丸めた背中を見て、私は、だらしなくも声がかけられなかった。悔しかったろう。でもこの時を悔しいと思えるだけ、君たちの日々は懸命だったのだ。そんな風に歩みを確認してみるのもいい。よく頑張りました。

終了間際に、足を捻ってしまったセンターさん、大事ないですか?

視聴覚 ちょっと楽しみな活動

5月31日(金) ほぼ毎日校長 Vol.39 ドキュメント番組を作る

演劇を志す若者には独特の雰囲気がある。うまく表現できないが、どこか浮世離れしたような、俗人にはない個性が伺えたりする。私の中での日常の彼らは大抵、ぼんやりとしていることが多い。科学に思いふけるばかりに道を踏み外して、溝に落ちてしまったり、壁にぶつかってしまったり。日常に戻るために「叩き役」を連れて歩く天空の城ラピュータの住民(ガリヴァ旅行記)を思わせる。私の印象なので失礼があってはいけないが、多くの演劇に関わる教え子たちがそうであったように思う。彼らのすごいところは、舞台に立って「役」を演じると、豹変してものすごいエネルギーを発するところである。舞台で演ずる役者だけでなく、裏方の者たちもそうである。芸術家やアスリートたち、一つことを極めたものたちも同じような空気を持っている。全ての緊張から自分を解き放った時を過ごしながら、舞台やトラックに立つ、キャンパスに向かう「一瞬」に爆発的な力を発揮する。この日部屋を訪れてくれた3人の放送委員にも同じものを感じた。「僕は、私は、こういうものを音で表現したいのです」と熱く語る。その表情や仕草、目の輝きに、ハイレベルな芸術家の血を見たような気がした。大人の尺度では「それ、相当無理があるよ」「現実を見つめて、諦めるなら早いほうがいい」と言ってしまいそうなものであっても、彼らの語りに裏打ちされると、「いいねぇ、面白いかもしれない」と逆に価値観を改めさせられる。NHKの放送コンテストにチャレンジするそうだ。ぜひ頑張ってほしい。

本校の生徒たちは、想像していたよりワンランク上にいるのかも知れない。いいね了解

困る 校長先生は寂しい(>_<)

5月30日(木) ほぼ毎日校長 Vol.38 あーとで

写真は放課後の職員室前廊下。試験前に限らないが、大勢の生徒たちの学びの壁になっている。廊下の壁際にズラっと長机が並べられて、質問のある人は目的の先生を呼んで、指導を受ける。本校の日常的な光景である。試験前はいつも満員で、空気もピリピリしている。いつもも見慣れた顔がいる。「あっ、先生こんにちは」と言ってすぐに机に向かう。『おーい、それだけか?』いつもなら、ねぇ、ねぇ先生、と話しかけてくれるのに、ここのところ冷たい。一様に冷たい。「あーとで」なのである。幼い頃、友人の家を訪ねて「◯◯ちゃん、あーそーぼ」と声をかけると、「はーい、今行くヨォ」と声を返してくれるのに、その日に限って「あーとで」。なんとも言えない寂しさを感じた思い出が蘇ってくる。校長先生は、さびしいのである。早く考査が終わらないかな。

背中からも緊張を感じさせる本校生徒の勉強する姿勢、いいね。

体育・スポーツ 深紅の優勝旗が校長室に来た?

5月27日(月) ほぼ毎日校長 Vol.37 応援に行けなかった

  長い電話の対応をしていると、ドアをノックして野球部のいつもの2人が入ってきた。もちろん内側からの「どうぞ」に応えての入室であるが、まだ左手に受話器のある私の姿を見て、「失礼しました」と出て行こうとする。急ぎ受話器をおいて、入ることを促した。手には「優勝旗」が持たれている。「報告がてらきました。東海大望洋に勝ち、優勝しました。ここに置かせていただいていいですか」その報告を聴きながら、副キャプテンの右手に、私の視線は注がれていた。薬指に包帯が巻かれている。「どうした?」という問いに、試合中に打球が当たって骨折したと説明しながら、うつむいている。「夏の大会前に、最後の大山場の前に・・・」その言葉に、大きな大きな体が、小さくなったように見えた。言ってはならない言葉だったかもしれない。自責を受け入れるように「他のことではなく、野球でなら納得もある」とわけの分からぬ繕いをした。うつむいていた顔をあげて、「その時までに治します」と、笑顔ではっきりと応えてくれた。君が一番気にしていたであろうことを言ってしまってごめんなさい。空気を読むようにキャプテンが「先生、逆転なんです。接戦を制しました」と昨日の試合の報告に話題を転じてくれた。痛々しいほどの気遣いである。嬉しいね。聴くと下のような結果である。こうした接戦を制することができるのは、この夏に向けていい力をつけてきている証拠だと思う。

頑張れ!市原中央球児たち。

市原中央 210 040 100 

東海望洋 240 001 000 7

先日の吹奏楽部定期演奏会、大勢で駆けつけてくれたこと、感謝します。ありがとう。

グループ ニライカナイから神がくる夜

5月24日(金) ほぼ毎日Vol.36 信頼されることを教えてくれた少年

生徒会役員選挙の立会演説会があった。先駆けて生徒会長の「◯音さま」が部屋に来てくれた。今日校長講話よろしくお願いしますということと、立会演説会に触れるような内容であってほしいというお願いである。『難しいなぁ・・・』と思っていると、察したのか「そうですね、前回の終わりが、『次回は、信頼を教えてくれた少年の話をしよう』でしたものね」ちゃんと聞いていてくれたのですね。案の定、無理やりこじつけの講話になってしまった。

校長講話

南の小さな、小さな島の話である。その島では夏の初めに、ニライカナイから神々を迎える秘儀の祭りがある。島民以外は全て島外に出して行われる、写真撮影はもとより、筆録も許されず、見たことは語ってはならないタブーがある。まさに秘儀である。その祭りに招かれた。長老の家で紹介され許された私は、招いてくれたオジイが案内係に付けてくれた少年に導かれて祭りの場に向かった。真っ直ぐ続く細道の向こうに、こんもりと茂った森がある。神々の宿る杜(もり)であるらしい。太鼓と木を打ち鳴らす音が聞こえ、2柱の神が現れた。赤い顔の神と黒い顔の神。夫婦神である。「ねぇ、あの神様は夫婦なの?」少年に尋ねると、少し考えた少年は「おじさん、おじさんはいい人だからね、教えてあげる」と言って「夫婦神であると教えてくれた。赤い顔の神さまが女神で、黒い顔の神が男神。勝手に自分の中に出来上がった基準で少年に語りかけると、「違うよ、おじさんはいい人だから教えてあげる。一日中海で釣りをして、日焼けで真っ赤なのが男。かまどの灰を被って真っ黒なおが女の神。」興味津々で少年に尋ねるたびに、彼は枕詞のように「おじさんはいい人」を繰り返す。聞いているうちに私は心が浄化されて、どんどんいい人になっていく。人に信頼されることの喜びをこれほど純粋に感じたことはない。信じることも難しいが信じられていることを実感することはさらに難しいかもしれない。「信」という万有引力のような人の繋がり。大切にしてほしい。立会い演説で、自分たちの学校生活の心臓部を担う労を買って出た仲間との「信」をしっかり確認してほしい。

ところで、話に出た少年は、言葉の前になぜ「おじさんはいい人だから・・・」と必ず言ったのだろう。宿題です考えておいてください。