2019年4月の記事一覧

音楽 軽快なサックスの音色に惹かれて

4月15日(月) Vol.11 毎朝聞こえてくる、いいねぇ

朝8時前、学校に到着するのはだいたいこの頃である。おおよそ出勤パターンが同じになる先生が、「毎日聞こえてくるんです。あのクラリネットの音色。熱心なんですねぇ。うちの生徒には感心します。」教えられて耳を澄ますと、ほんとだ聞こえてくる。難しい箇所を練習しているのか、自分の満足が行かないのか。繰り返し繰り返し同じフレーズを練習している。『今度、音源を訪ねてみよう』そんな気持ちで今朝出勤したら、あららっ?音が違う。楽器に知識のない私でも、これはサックスだと分かる。スイングしたくなる軽快なリズム。訪ねてみた。3階の北側の端に彼の練習場所があった。メトロロームを前に置き、独りで練習に励んでいる。しばらく彼の奏でる音に心を踊らせ、邪魔にならないように写真を撮らせていただいた。曲の合間に短い会話。中学生の時から楽器を始め、今はサックスが主なパート。「本当はテナーサックスなんだけれど、演奏会ではアルト、バリトン色々その時に応じてやってます。」と笑顔で応じてくれた。「力があるんだね。能あるタカは、身を滅ぼす」などとふざけて見ると、白い歯を見せて笑いながら「そうですね。」周囲から頼られていることの喜びに裏打ちされた答えがあった。いい一日の始まりである。

第10回 定期演奏会 2019.5.19(日) 青葉の森公園芸術ホール 14時開場

ぜひお出かけください。もちろん私も伺います。楽しみにしています。

苦笑い この師ありて、この生徒あり

4月14日(日) Vol.10 一枚の印刷物が嬉しかった

朝の打ち合わせに行くと、机上に一枚の印刷物が配布されていた。私だけにではなく、全職員に配られているようだ。新入生向けに作った冊子の巻頭言をわざわざ抜き刷りにしたようである。打ち合わせの発言の中で、一人の先生が「先日のお話の中で、『新入生向けの冊子の巻頭言にも書かせていただいたことですが・・・』との内容がありましたので、全教職員が知っておく必要があると思い配布しました。ご一読ください」と説明してくださった。なかなかできる気配りではない。一部の生徒に接する中で『いいなぁ、うちの生徒。自慢だな』と思える生徒の人間的質の高さは、こうした先生方によって育まれているのだ。嬉しかった。一方で、いい加減なことは書けないぞ、言えないぞと身が引き締まる思いがした。

説明できることの先にある未来に挑戦せよ

少し面白い話をしよう。昔、そう君たちが生まれて過ごしてきた時間の倍ほども昔のこと。出会った一冊の本の中に載っていたエピソードである。日本の霊長類研究所で飼育されていた一匹の雌のチンパンジー(サラ)は、自分を担当している飼育員に「思いやり」という心の動きを見せるという。それを確認する実験が行われた。寒さで震える飼育員に対し、彼女はどんな行動を見せるかというものである。彼女は、いくつかの選択肢の中から見事に毛布を選び、飼育員に掛けてやったのである。人にしか持てないのではないかと思われていたこの「思いやり」という心の動きを、サラはやってのけたのである。同種の行動が彼女には、異なる状況下でも確認された。ただそれは、相手が飼育員である時だけという限られた条件のもとで有効なものであった。
 しかし人は違う。限りのない広がりで、眼前の事象を受け、起こった心の動きを他に及ぼすことができる。目の前で起こっていることを観察するだけでなく、原因や意図を考え、そこですべきことは何かを考える。全く見ず知らずの者であっても、相手は何を望んでいるかを察し行動することができるのである。もちろん個人差はあるが、そこで起こっていることを観察するだけでなく、他者の意図や困惑は何かを考え、推測できるのである。人間にはこうした複雑な概念を学習し、その概念を現実に及ぼす能力があるらしい。誰に指図されることもなく、いつの間にかこの能力を自然に発揮できるようになっている。君たちの担う将来を「不透明な未来」などと人は言うが、説明できることの先にある未来に対する取るべき行動や、掴む力もこうした能力と同じなのかもしれない。
 「いつの間にか」と書いたが、この能力が発揮できるようになるためには、多くの人との交わりという経験、そこで受けた感情、読書や鑑賞によって作り出された疑似体験や感動などと、それを得るための積極的で懸命な行動が必要である。日々の生活における涵養である。勉強も然り、部活動や学校行事、友人とのたわいもない会話など、日常生活のあらゆるものが涵養の糧になっている。周りにあるものが上質であればあるほど、それに比例して形づくられる能力も上質になる。より上質な力を得るための営みには、上質な周辺、環境が欠かせない。ここ市原中央高等学校の自慢は、そこにある。中でも一番の自慢は、生徒である。君たちの選択に間違いはない。ようこそ、市原中央高等学校へ。   2019年4月

体育・スポーツ 熱い夏の予感Part2 おめでとう!県大会出場

4月13日(土) Vol.9 コールド勝ちとはすごい!

市原中央高校        003 300 06   12

志學館高等部        003 000 02×  5

避けられない用事があって応援に行けなかったのだが、今日第2戦vs志學館高等部がゼットエーボールパークで行われていた。野球好きの友人が連絡をくれた。「県大会出場だよ。よかったなぁ。いいチムづくりができているんじゃないか」という評価をいただいた。本当によく頑張ったと思う。一歩一歩踏みしめるように前進してほしい。スコアから見ると、内省的に見つめ直す点もあるのかもしれない。しかし、現実をしっかりと受け止め、今できることから前に進んでほしい。よかった、よく頑張った。おめでとう。

写真は11日に行われた京葉高校戦のものです

喜ぶ・デレ 生徒の声で救われた

4月12日(金) Vol.8 私たちが一番乗りですか?

残念ながら、君たちより前に生徒会長が来てくれた。「あぁ、琴◯さまかぁ」言葉に揶揄の影はない。何がというわけではなく、一目置いている、彼女たちなりの敬意が、表現にエスプリが感じられて面白かった。そうそうダンスの発表会、招待してくれると言っていたけれど・・・と、かつての愉快な、そしてひやりとした思い出話をした。ブログの材料集めに出かけると、大抵写真を撮る。こうしたスナップならなんでもないが、スポーツの大会などは一眼レフ+大きなレンズで撮影することが多い。女子バレー部の活躍を撮っていた時、周囲の保護者から寄せられる冷ややかな視線を感じた。それはそうだろう、ラフな格好でカメラを構え、女子高生を撮影するおじさんは・・・。しかしまさか「私は校長です!」と大声で叫ぶわけにもいかず。一人の保護者と目があって、気まずく会釈をして困惑しているときに、私に気づいた部員が「校長先生!応援ありがとうございます」と大きな声でお礼を言ってくれた。救われたんだよ、その場の空気から。聞いていた3人の生徒たちは、お腹を抱えるようにして大笑いをしている。中の軽音楽をやっているという一人が、「先生、大丈夫です。私たちもちゃんと大きな声で・・・」まぁ、それはそれで気恥ずかしいような。豊かな時を過ごせました。ありがとうございました。PS「あいみょん」先生わかります。

にっこり コロコロとよく笑う

4月11日(木) Vol.7 校長室に来た3人の生徒たち

机に向かっていると入口あたりに人の気配がした。影が、少し遠慮がちに覗いては消え、また現れて私の視線を感じては、また消えて、気配はするが姿がなかなかはっきりしない。影=人(人格、存在)そのものとはよく言ったものだ。見えない「影」に向かって「どうぞ、入っておいで」と呼びかけると、3人の女子生徒が笑顔を見せてくれた。「いいんですか?」「初めて、校長室」「へぇ」などと口にしながら、部屋全体を見渡している。しばらくの間3人を相手に(ではなくて、3人が私の相手をしてくれて)時を過ごした。コロコロと明るくよく笑う生徒たち、部屋の中がパッと明るくなった。中の一人がダンスをやっているという。今度発表会がある時には、招待していただけるそうだ。今から楽しみにしている。

体育・スポーツ 熱い夏の予感

4月11日(木) Vol.6 野球地区予選 VS京葉高等学校

京 葉 高校 000 000 200   

市原中央高校 000 111 40 X 

雨天で1日延びた11日、ゼットエーボールパークで地区大会第一回戦が行われた。「公式戦がはじまります。応援お願いします」校長室を訪れたキャプテン、副キャプテンの言葉が心に残っていた。京葉高校戦、初戦なので緊張しなければいいがと思いながら、一塁側に陣取って熱い戦いを見せていただいた。反対側にいるのに、ベンチからの大きな声援がはっきりと聞こえてくる。互いに支え合いながら、持てる力を精一杯出して熱く駆け抜ける時を共有していた。7回に2点の失点はあったものの、最後まで力を出し切っていたと思う。一つ事に夢中になっている姿はやはりいい。本校の自慢の一つがまた増えた気がする。次は4月13日の志學館戦、ぜひ勝ち進んで県大会出場を果たして欲しいと思う。スタンドで懸命な応援をしてくださっていた保護者の皆様、ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

お祝い 入学式 厳粛な いい式典です

4月10日(水) Vol.5 初めての経験に感動

今を盛りに爛漫と咲いている桜花も散る時を知ってか、君たちの入学のこの日を待つように、激しい雨に耐えている。刹那的な花、桜花のこんなにも強い姿を意識することはあまりない。記念の日、満開の桜花、それに降る雨という条件が揃わないと、そんな見方はしない。

雨の中の式典だったので、式辞の中に上のような言葉を添えた。入学宣言を終えた後、壇上で一人ずつ握手をした。304の手、温かいてもあれば、冷たい手もある。大きなて、肉厚な手。一言一言声をかけた。入学してきた生徒たちより、私の方が浄化されて「ハレ」の日を味わっているように思えた。

対面式の時、歓迎の言葉を述べたのは、先日校長室を訪ねてくれた生徒会長。終えた後で、奉書を収めながら涼やかな笑顔で私の方を見た。「どうでしたか」と自信ありげな眼差しだったので、「よくできました」と軽くうなずくと、顔をほころばせて呼応するようにうなずいたような気がした。どうやら日頃から、リレーションを大切にした生活環境が、彼女の周りにはあるようだ。

訪問者たち、嬉しかった!

4月9日(火) Vol.4 野球部、清掃担当、生徒会長

眼力(めぢから)がある。みんな笑顔で会話してくれるのだが、目に力がある。最近、のほほーんとしてきた私より、ずっと。

一番最初に校長室を訪ねてくれたのは、野球部の2人である。「公式戦がはじまります。ぜひ応援をお願いします」おそらく以前勤めた学校でも、野球部の応援に足繁く通っていたことをどこからか聞いたのだろう。日程は?明日(10日)、また急な話だねぇ。併せて、明日は入学式です。とても・・・。申し訳ない。

真ん中の写真は、清掃担当の諸君。これからよろしくお願いします。ちゃんと机の上は片付けておきます。

最後にきてくれたのは生徒会長。名前に「琴」がつくので、「『琴線』って知ってる?」と聞くと見事に答えてくれた。なかなか高校生が触れることの少ない語彙である。いい教養の環境で育ってきているんだろうなと思った。とりとめもない話をしばらくして、「そうそう、先生。私お礼にきたのです」と、Vol2で書いた冊子の原稿のお礼をいただいた。美術コースの生徒に書いてもらうところ、連絡が取れないので、生徒会の一年(現二年)の女子が書いてくれたのだという。「でも、でも、表紙は校長先生!」と言ってくれた。描いてくれた生徒の気持ちと、生徒会長の双方に対する心配りが感じられ、嬉しかった。「あら、随分本人より本人らしい似顔絵」とは、40数年連れ添った奥様の評価である。

 

始業式

4月8日(月) Vol.3 校長の意気込み

始業式があった。初めての式辞(講話)、もう少し気の利いたことを言えればよかったのだが、月並みな話に終わってしまった。冒頭の校長挨拶の生徒版焼き直しのようなもの。

元号が変わるがそれで何が変わることでもない。高浜虚子の句に「去年今年 貫く棒の ごときもの」というのがある。人は区切りをつけたがるが、年が変わったからといって、自分に何か変化が起きるものでもなし、貫いってきたもの(信念)に変化はない。しかし、一般の考え方、「節目」「区切り」というのも大切だと思う。市原中央高等学校元年。君たちはどんな節目としてこの瞬間(とき)を捉え返すのか?そして(信念を)貫き通すことができるのか?真価が問われる「節目」であることは確かなようである。

説明できることの先にある未来への挑戦、「信」のある若者の育成、リーダーとなれる学びの展開、楽しくなければ学校じゃない。

「らしさ」って面白い

4月5日(金) Vol.2 素晴らしいプレゼントをいただいた

着任する前に、事前の打ち合わせに来校した私に、生徒会担当の先生から宿題が出た。新入生のオリエンテーションで使用する冊子の巻頭言を書いて欲しいというものであった。喜んで書かせていただいた。その冊子ができたのでわざわざ届けてくださったのである。もちろんその気持ちも嬉しいのだが、表紙が私になっている。年度末に前校長先生から「新しく・・・」と聞いていた生徒の手によるものなのだろう。写真一枚を手がかりに描いたもの。きっとこの生徒の(今度の校長の)イメージが強く影響しているに違いない。肖像画や似顔絵は多くそうである。嬉しかったのは、日頃『こうあれればいな』と思っている自分が、校訓「真心」を手に、微笑んでいるのである。現実の私は、とてもこんな眼差しはできない。こんな微笑みは持てない。描いてくれた生徒の「こんな校長ならいいな」が、絵の中の私をこんなにも高めているのである。少し面映ゆいが、嬉しい。近づけるように努力しなければ。ありがとう、素晴らしいプレゼントです。