校長室から

重要 令月の和楽(文化祭)まで、後2日

6月26日(水) ほぼ毎日校長・Vol.55 クラスの企画で繋がろう

  文化祭が後二日で開催になる。新生徒会長が入ってきて「先生、文化祭当日の挨拶お願いします。といって式次第を持ってきてくれた。前生徒会長に勝るとも劣らない段取りのうまさである。「ちょっとからかってやれ」という悪戯心で「ものを頼んでいるのだから・・・」と声をかけると、どの言葉、どの表情、どの仕草から読み取ったのだろう。スススッと前にすり足をするように進み出て、「誠にお忙しい中恐縮ですが・・・」と慇懃に礼を尽くして見せる。こちらも芝居ががって「よかろう」と応じると、あげた顔は満面の笑顔だった。「新たな会長(君)の初仕事、前会長の有終。成功させたいね。いい祭典にしたいね。」と付け加えると「はい」と大きな声で返事をしていた。着任当初、生徒会室で見かけていた彼の姿から想像できないほと「頼もしさ」を感じた。

 役が身を育てる? いい生徒に生徒会を任せる判断が全校生徒でできたことに、この学校のすごさを感得した。感謝。

注意 グローバル化、着々と進んでます

6月25日(火) ほぼ毎日校長 Vol.54 アメリカから留学生がやってきた

 まぁとにかくお客さんの多い日だっった。朝の打ち合わせが終わってから、校長室への来客が後を断たない。新生徒会長が何度か顔をのぞかせたようだが、なかなか入ってくることは難しかったようである。申し訳ないなぁと思いながらも、出かける時間まで、彼の存在をすっかり失念していた。分掌の相談、生徒に係る報告etc、先生方の対応が終わると、教育実習生の研究授業視察に大学の先生がお見えになる。前日にお電話をいただいた。「まぁ、校長先生が日髙先生だなんて・・・」まだ若かりし頃、同じ学年、同じ分掌、隣同士の(コートの)部活動など、10年近く一緒に務めた同僚である。あった途端、久闊を叙するどころか、二人とも以前の若者に戻ってしまった。「そんなに仲良しだったんですか?」と実習生が驚いている。千葉県の英語を背負って立っていたと言っても過言ではない彼女の存在は、本校の先生たちも知っていた。実習生の研究授業を終えて、彼女(大学の先生)の評価があった。実習生の授業は素人目にも「優」である。それに加えて「この学校の英語教育は『上質』です」と最高の評価をいただいた。実習生(うちの大学生)の力をあそこまで引き出せる指導担当の先生の力量、何よりも生徒たちの素晴らしさを褒め称えてくださった。彼女をよく知る私は、この言葉がお世辞抜きの賞賛であることを一番よく知っている。それだけに嬉しかった。まだ英語の4技能なんて言葉のなかった時代、先進的な英語教育をやろうと言って「資料収集、分析」指導担当、プレゼンのための「論理的展開」指導、そして「英語スピーチ」指導担当の3者が作り上げていった「あの頃」を思い出していた。

 時を同じくして、アメリカから留学生がやってきた。3年の英語コースに所属し、2ケ月近くを本校で過ごしていく。いい交流をしてほしい。

 市原中央高等学校グローバル化、着々と進んでいます。いいね!

鉛筆 玄関を入るとその学校の全てがわかる

6月24日(月) ほぼ毎日校長 Vol.53 高校説明会にお伺いした中学校

 高校説明会に伺う機会があった。なんども伺ったことのある中学校である。いついってもこの学校は、玄関を入るだけで気持ちが洗われる。日頃生徒たちにどんな指導をなさっているのか、どういう教育が展開されているのか、そして先生たちの協働の体制がいかにしっかりしているかが分かる。「すごい学校だなぁ」といつも思ってしまう。見習いたい。兄弟校の木更津総合高等学校の説明を真板校長(理事長)がなさっている間に、パシャリと写真撮影。ご覧いただいて分かるだろうか、姿勢を正してじっと話者の方に目を向けている。「話は目で聞け!日髙!」中学校時代に話を上の空で聞いていた私を注意した先生に「聞いていましたよぉ」とふて腐れると、可愛がってくれていた担任が横から大きな声で指導してくれた。「話は目で聞く」もの、ここの生徒たちはちゃんと実践している。もちろん市原中央高等学校の生徒諸君も。いいね。

 本校の保護者の方が話してくださったお話を思い出した。中学校の教員をなさっている方で、「日髙先生、私の教え子に話してくださった『ドーナツの穴』のお話、よく覚えています」嬉しい限りである。その話を思い出し、この中学校でも「二匹目のドジョウ」を狙ってみた。

ドーナツの穴と動物園の話し(高校選びはこうあるべきだ)

自分って何?という問いかけは難しいが、わかりやすい。自分=ドーナツの穴と考えること。あるかないかを明確に説明できない「穴」は、ドーナツによって形づけられている。自分を「穴」と考えるなら、ドーナツは周辺(=仲間、教員、他者)である。他者が上質であればあるほど、「穴」は上質な自己確認をする。上質なドーナツのある学校をどうやって選べばいいか、その話をしよう。行ける学校選びは、「それなり」のドーナツしか得ることはできない。

動物園(や水族館)に行ったことはあるだろうか?・・・

ほくそ笑む・ニヤリ 「お弁当なしね」が生んだ出会い

6月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.52 唐揚げ弁当350円

 私ごとですが、奥さんが出かけるときはお弁当がありません。そんな時は、生徒の昼休みが始まる前に食堂でお弁当を購入することにしている。ボリュームのある弁当が350円と、かなりリーズナブルである。写真は唐揚げ弁当。今日もこれにする予定でしたが、来客があり昼休みが始まって少し時間が経ってからになってしまった。案の定、食堂には行列ができている。「食券の最後尾は?」独り言のように言うと「先生、ここです」と招いてくれた。私の後に2人の女子生徒。どうやらここが終わりのようで、その後は誰も並ばなかった。後ろの二人と色々とお話をさせてもらった。「食券はあらかじめ販売数が決まっているの?」とか「私で売り切れるといけないから、先に買えばどう」といった類の、たわいもない話なのだが、こう言う時間が一番好きである。この17日から販売を開始した売店。ちょっとしたスナックやアイスクリームが売っている。「もう利用した?」「はい便利に使っています」「一番のお気に入りはアイスクリーム」だそうである。列の途中にノートを見ながら並んでいる生徒がいた。「すごいなぁ、行列の中で勉強か?」と問いかけると、下を向いてしまった。そばにいた友人が「追試験があるそうです」と、小声でこっそり教えてくれた。よく考えもせず「そうか、追試か、頑張れ!」と大きな声で励ましたものだから、耳まで真っ赤にしてさらにうつむいている。申し訳ないことをしました。ごめんなさい。

「お弁当なしね」が生んだ素敵な出会いである。感謝。

部屋に帰ると、いつもの野球部の二人が待っていた。抽選の報告に来てくれたのである。「高校球児としての最後の夏を飾るのに、いいくじを引いたね」と迎えると、二人で声を合わせるように「はい!」と大きな声で返事をしてくれる。清々しい空気で部屋が満たされるのを感じた。ありがとう。

王冠 なぜ走るのだろう? カウントダウン

6月20日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.51 あと1週間

 「令月の和楽」をテーマとした文化祭の開催が迫っている。それぞれに忙しそうに準備に追われている。以前(もう30年以上前)から気になっていたのだが、生徒たちはなぜ走るのだろう?テンションが高くなっているのか、やたらとこの時期走りたがる。とある高校に勤務していた時のこと、クラスの生徒で、外からの強い衝撃が加わることに気をつけなければならない生徒がいた。普通に生活している分には、廊下を走る生徒なんて一人もいない学校だった。ところが文化祭の前は、走るのである。あちこちで「あっ、ごめん」「すみません」。ちょっとした衝突事故が起き始める。それも頻繁に。当該の生徒と真剣に考えた。サンドイッチマンのように、前後に看板ぶら下げてみるか?スーパーのお子様買い物カートのように、のぼり旗の立った竿でも持って歩くか?笑いながら話しているが、どちらも真剣に考えなければならない対策であることが分かっていた。「先生、僕は全校生徒の前で事情を話します。僕であることがわかるように、赤い帽子を被って生活します。文化祭終了まで」彼は身長のある人だったので、意外と目立って効果があった。集会を開いてもらい、壇上で彼が赤い帽子を被って事情を話した時、傾聴の姿勢を示していた生徒たちから、拍手がおこった。彼の「勇気」に対するものだったのか。文化祭実行委員長が「ぜひみなさん気をつけてください。この文化祭準備は、疾走禁止です」と語っていたことを思い出した。

 本校の生徒は、見るかぎりまだ走っていない。文化祭に向かって気持ちが高まっていない訳ではないが、まだ走っていない。本校生徒のもつ品格なのかなぁ。印刷室で資料を印刷していると、生徒会役員が新入生の後輩を連れてきて、機器の使い方や手順を丁寧に教えていた。新生徒会役員に期待したことを、ちゃんと実践してくれている。市原中央高等学校、いいね!

校長室の3人は、本文とは無関係です。清掃担当の女子たち。いつも笑顔で、校長を元気にしてくれる生徒たちです。

合格 学校経営の方針は君たちから生まれているようだ

6月19日(水) ほぼ毎日校長 Vol.50 市原市内の中学校長が大勢お見えになった

「僕ってなに?」「私ってどうなの?」という問いかけは、ドーナツの穴ってあるの?という問いに似ている。穴は確かにあります、でも食べてしまったらどうなるだろう?「ない?」確かにあったはずの穴は?穴はドーナツによって形づくられている。人生の中で、高校3年間はそんな自己確認をしたり、人間形成をしていく大切な時期にある。どんなドーナツが周りにあるかで、人生が変わると言っても過言ではない。水中を飛ぶように泳ぐペンギン、やはり鳥だった。プールの中でダンスを踊るシロクマ、王者の風格がある。ガラスの向こうからにらめっこするアザラシ、好奇心の強さが本領。みんならしさを引き出されている。それぞれの動物のプロが、他には真似できない特徴を引き出している。飼育のPROなのである。本校には、自慢できる教育のPROがたくさんいる。だから生徒は生き生きし、らしさを引き出され、光り輝いているのである。市原中央高等学校の自慢はそこにある。

校長先生たちに教育方針と本校の素晴らしさを語り、部屋に帰ると、しばらくして「アレェ、いるぅ」という言葉とともに女子生徒が二人入ってきた。部屋の清掃をしながら、「先生、吹奏楽のコンクール、私たちの前は市立船橋、次の次には市立柏・・・。やりがいあります」と言って笑顔で報告してくれた。ぜひ行くよ。頑張ってください。

会話を交わしながら「本校の教育方針」などと立派なことを言いながら、気づいてみれば、目の前の生徒像を語っているだけである。どうやら校長は、君たちから何をすればいいかを学んでいるようである。いい生徒たちに恵まれた。

野球 12日 Vs 木更津高校 マリンスタジアム 応援お願いします

花丸 正解のない答え合わせと100点ダルマ

6月18日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.49 少年の話・・・答えは?

 ほぼ毎日校長Vol.36「ニライカナイから神が来る」の中で登場した案内役の少年、どうして祭りの話を聞かせてくれるごとに、「おじさんはいい人だから・・・」を枕詞のように使うのだろう?先日の校長講話で私の考えた解答を述べたので紹介しよう。

幼い子が「おじさんはいい人だから」と必ず言ったのは、日髙を「いい人」にしていないと自分が罪人になるから。

神々の話(祭り)にはタブー(=禁忌:してはいけない)がつきものである。異類(神)との婚姻を語るものには必ずと言っていいほどある。鶴の恩返し「機織りを見ないでください」浦島太郎「開けてはいけません」雀のお宿「覗いてはならない」三輪山の杉「触ってはいけない」などなど。この島の秘儀の祭りは「語ってはいけない」(島民だけの共同幻想)である。島民たちは子々孫々にいい伝える「語ってはいけない」純粋な子供は、純粋な疑問を持つ。「なぜ?」そうすると母と子の間に、こんな会話が成立しはしないだろうか。
子「なぜ話しちゃいけないの?」
母「・・・」(答えられない)
子「ねぇ、お母さん、なぜ話しちゃいけないの?」
母「島の人たちの大切な祭りだから、悪い人に聞かれるといけないからよ」
(「いい」←→「悪い」という、本当は難しいが、子供には理解しやすい概念で説明する)
子「ふーん」(じゃあいい人なら語ってもいいんだ)

「おじさんはいい人だからね」という少年の言葉は説明できているだろうか?これは「正解」ではない。◯や✖️で判断されるものではない。私の説明であり解釈である。あの宿題を出した時、生徒諸君はどんな答えを導いたろうか。右から左へ「口から耳へこぼれゆくもの」として聞き流す者も多かったに違いない。(HRで話題として取り上げてくれた教員もいると聞いている。ありがたい)世の中には、こうした問いはあまりにも多い。 いや、こうした問いばかりである。そして時には誰も答えを示してくれない。協働のスパイラルの中で自分を変容させ、強い頭を鍛えるそんな学びが必要な時代なのだ。

これは◯✖️の世界。でも先に書いた学びの根底に、これは絶対に必要だ。この層が薄い者が強い頭を鍛えられるはずがない。スタートはここから。

100点ダルマ、今回は何人いるのだろう。「卒業までに◯個目標」いいね!

体育・スポーツ 心から賞賛の拍手を贈ろう、頑張れ!中央球児たち

6月17日(月) ほぼ毎日校長 Vol.48 壮行会にお招きいただいた

 一人の教え子のことを思い出していた。大会に出場している全員が、守りからベンチに帰る時、彼の手を通って帰ってくる。ランナーを出し追加点を入れられた後も、ナイスプレーでゲッツーをとりピンチを切り抜けた後も、ナインは必ず彼の手を通過していく。3アウトのコールがあると、真っ先にベンチから飛び出し、大きな声で何かを叫びながら、両手をいっぱいに広げる。その手にナインは、タッチしてからベンチに戻る。バッターボックスに入る仲間を応援するのも彼が一番大きな声を出している。よく聞くと全てポジティブな言葉ばかりである。2年間しか見ていないが、ムードメーカーの彼が守備につくのを見たことがない。いつもベンチで大きな声を出している。チームの「信」は彼によってつながり、彼によって拡張され、強度を増していた。最後の夏の大会、ラストバッターとして打席に立った。私がフィールドの中で彼を見たのは、それが最初で最後だった。熱い一つの夏が終わった。試合後、ゲートの傍らで母親と抱き合って涙していた。「こんなのあり?・・・」応援のチアの女子生徒が呟いて、もらい泣きをしている。彼の球児人生には「外伝」があったのだろう。母と二人でしか感じあえることのできない、素晴らしい「外伝」があったに違いない。

一つ事に夢中になる者の姿は美しい。この日(6月15日・土)お招きいただいた本校の野球部の壮行会でも、子と親御さんの「絆」(信)を熱く感じた。いい壮行会でした。

2019年 熱い夏が始まる。「信は力なり」この夏を熱く駆け抜けろ!市原中央球児たち

お祝い 「共時」の充実を図ると同時に「通時」の意味を深く受け止めよ

6月14日(金) Vol.47  生徒会新役員に期待すること

朝の打ち合わせ前に、生徒会役員の女子がきた。大きな黒い縁のメガネの奥の瞳が綺麗に輝いている。文化祭が近いので、文化祭パンフレットの巻頭言の原稿を依頼したいという。「いいですよぉ。で、いつまで?」「月曜日にはいただきたいのですが・・・」無茶振りを承知で笑顔でお願い。最短の依頼ではないだろうか。昨年度の巻頭言を見せていただく約束をしたが、?おやぁ?、7限が始まろうとするのにまだ来ない。替わりに昼休みに現生徒会長(琴音さま)が新会長を連れてやってきた。「本日の認証式のご挨拶、お願いします」彼女は本当に律儀である。必ず前もって依頼して、当日にもやってくる。見習うことが多い生徒である。さて、何の話をしようと思案して考え出したのが、伝播と伝承の話である。ちょっと難しい話だが、『うちの子なら大丈夫』と思った。

校長講話 生徒会新役員に期待すること

我々の文化には、通時的な流れ伝承と共時的な伝播がある。同じ時を過ごしながら、共に何かを協働で創造していく。人はおおいにしてその刹那に目を奪われ、目を向けがちである。しかし、その刹那の伝播のリングは、気づかない速度で動いている。ジワリ、ジワリと揺れながら動いている。それは「時の流れ」(通時)として認識することができる。通時にのみ目を向けると、年表のような味気ない年号の羅列になってしまうが、先の共時と組み合わせて、その瞬間(とき)を捉えるとき、先人の偉業や偉大さとその瞬間(とき)を生きた労苦を知り、喜びを知ることができる。さらには次に来たる者たちへの期待や活力に思いを馳せることができるのである。

生徒会の新会長は、入学授時に「今やりたいことをしっかりやりなさい」という当時の校長の言葉に背中を押されるように、会長に立候補したと聞いている。先に話をした、君たち新役員が担う「共時」の充実を果たすとともに、「通時」の意味を深く受け止め、市原中央高等学校の「伝統」を築いていただきたいと思う。平野さんをはじめとする旧役員の皆さま、本当にありがとうございます。新役員の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

学校 中央見聞録ってご存知ですか?

6月13日(木) ほぼ毎日校長 Vol.46 本校の新聞委員会が出している新聞です

「中央見聞録」なるものが配られた。掲載されている写真をみて、遠い記憶を思い出した。新聞委員会の男子が来て、原稿を依頼された、写真を撮影された。新任の教員紹介の記事が載っている。保護者の皆様、お手元に届いていますか?耳鼻科検診に来ていた学校医の看護師さんが、新聞と学校案内を見ながら「校長先生は髪型で随分と印象が違うのですね」と。『確かに、自分でもそう思う』気分がストレートに表情に出るようで、廊下を歩いていて「今日の先生は怖いですね」と教え子に言われたことがある。きっと難しい顔をして、全身から「寄るな!」オーラを出していたのだろうと思う。授業の様子を覗きに行こうと校内を歩いていると「今日の校長先生は怖いです」と後ろから声をかけられた気がした。振り向くと壁のフックに掛けられたリュックサックに付いた面白いぬいぐるみが、ニッと笑っていた。

新聞記事から

①自己紹介をお願いします ②本校の生徒の印象は?  ③高校生の時はどんな生徒でしたか? ④大切にしている考え方や言葉を教えてください。

  ① 自己紹介:瀬戸内の小さな町で生まれました。18歳の時に上京し、それ以来、関東に住んでいます。今では関西弁もあまり出なくなりました。趣味は南国(の海)に行くこと。若い頃は、波音を聞きながら満天の星空を眺めるために、年間30日くらいは、インド洋や南太平洋の島々に行っていました。
② 本校生徒の印象:「いいね!」「こういう高校生、好きだな」が、印象です。他人の話に傾聴の姿勢を持っている。これって素晴らしい力だと思う。まだそれほど多くの生徒と接していないのですが、接した限りではとても好意印象を持っています。
③ 高校生の時はどんな:同窓会で同級生に会うと、「日髙は変わらないなぁ」とよく言われます。『高校の頃からこんな老け顔だったのか』『人間的成長がないのか』と複雑な気持ちです。「できる」が嬉しくて、できるものが見つかると、とことんのめり込んでいました。わがままを許してくれる寛大な心を持った友人が多かった。感謝しています。
④ 大切にしている言葉:人は、何か一つことをやり通さなくちゃいけないのさ」別役実の言葉だったと思う。若かりし頃に出会って、大切にしている。本当は違う表現だったかもしれない。一生懸命な姿や何事かに投じている様子は美しく、心打つものだという解説とともに、私の中に染み込んでいる。