校長室から

花丸 蘇る

10月9日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.114 台風で倒れたヒマラヤ杉が・・・


 体育祭の予行が行われた今日、中庭では、台風で倒れたヒマラヤスギが蘇っていた。倒木を見たある教員が、「この学校が立って以来、ずっと一緒に育ってきたあの木をモニュメントにして残しませんか」と相談にきた。話によると、外房にチエンソーカービングの達人がいるという。お願いすれば、やっていただけるかもしれないというので、早速行動に移してもらった。帰ってきた教員は、満面の笑顔で、OKサインを出している。「一体何ができるか楽しみにしていてください」予行の開会式で生徒にも、「学校と歴史を共にしたヒマラヤスギが蘇るんだよ」と披露させてもらった。
 引き受けてくださったのは、木一吉(きいちきち)というペンネームを持つ、浜勇夫(ハマハヤオ)さん。存じ上げなかったが、その道では有名な方。お礼を述べると、ヒゲの口元が素敵な笑みを浮かべ、子供のようなキラキラした目が一層輝いた。どうやら作ってくださっているのは、ベンチのようである。「先生ね、ここにこうやって座ると、ほらこの子(子グマ)が座った人と目を合わせるように見上げている。いいでしょう」微笑ましい中庭の光景が目に浮かんできた。ヒマラヤスギの話を聞いて、今度はベンチとして蘇って、長く生徒と親しんでくれるようにという思いからだそうである。嬉しい、ありがたい。

 市原中央高校の生徒のみなさん、君たちは知らない人からも暖かい思いで包まれているんだ。いいね。

浜さんのブログ 

花丸 刺激になったようです

10月8日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.113 テンプル大学ジャパン・キャンパス


 昨日(10月7日)本校の英語コース(来年度からグローバル・リーダー・コース)の第三学年最後の校外研修が行われた。午前中の研修先は、テンプル大学・ジャパン・キャンパス。新しく三軒茶屋の昭和女子大学に隣接して建てられた校舎である。まだ建材の匂いがする新校舎に入ると、そこはアメリカ。ペンシルバニア州立大学を拠点とするこの大学に通う学生は、日本40%、アメリカ30%、他国30%の比率で、国際色豊かである。大学の概要をお聞きした後、生徒たちは大学の3組みに別れて、授業に参加。私は施設を見学させていただいた。まずはスタッフの多さに感激した。学生の学びのコンサルティングや指導だけでなく、日常や私生活に至るまでのケア体制がすごかった。最近日本の大学でもこうしたケア体制は充実してきているが、これほどのものを持っているところは少ないのではないかと思う。お相手をしてくださった加藤副学長は、アメリカの拠点である本学の方針で、スケールが小さくても、必要なスタッフは大きな大学と同じだけ必要なのだと語ってくださった。言葉に自信がある。
 授業体験から帰ってきた生徒たちは、興奮気味。コミュニケーション関係の授業に参加した生徒は、「テーマが難しいのだけれど、活発な意見が出されていてすごい。こんな授業素敵です」と語っていた。「で、どんなテーマだったの?」という問いに、「宗教観です。偶像崇拝についてどう考えるか。Yes・Noのディベート。少数の宗教が肩身の狭い思いをするのはだめ。というような話も出ていました。」と答えてくれた。そこまで聞きとれ、理解できているのはすごいことだと思った。やるね、うちの英語コース。

重要 チンパンジー「サラ」の話はしましたか?

10月4日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.112 終始業式が行われた

 全校集会の場、久しぶりな気がする。集会指導の先生が大きな声を出さなくても、ちゃんと整列できる。私にもっとも近いところは、3年生。すでに点呼も終わり、整然と並んでいる。『さすがだな』と思いながら、ブログ用に一枚写真。シャッターを切ろうとする瞬間に、申し合わせたように、一斉に笑顔とピースサイン。あらら、いけない。校長自ら彼らの「整然」に石を投じてしまったようである。みんな、ごめん。

 終始業式・校長講話
台風15号で被災された家庭も多いことと思う。まだ完全に復旧せず、困惑の中にいる人もいるだろう。本当に大変なことだ。心からお見舞いを申し上げたい。学校も施設設備には大きな被害を受けなかったが、閉鎖を余儀なくされた。閉鎖期間中、校長室にいると、時間解放を知った多くの生徒が訪れてくれた。日頃の君たちとは違う君たちを見た。日頃触れることはない保護者の方ともお話しさせていただいた。そこで触れたのは、思いやりと助け合う気持ちである。

チンパンジー「サラ」の話をしただろうか?
京都の霊長類研究所にいたメスのチンパンジー「サラ」は、いくつかの言語を理解、指差し表現するだけでなく、「思いやり」を見せる。その頃の研究では、サラの行動は稀有なもので、世界中から注目を浴びていた。モニターの飼育員が寒さに震えていると、いくつかの選択肢の中から毛布を紛(まが)うことなく選んで掛けてやる。
しかし、彼女の「思いやり」は、限られた条件の中だけでしか機能しなかった。相手が自分の面倒を見てくれている飼育員の時にだけ、別の環境下でも同様の行動をとったという。しかし人はちがう。全く知らない他者にも、その思いを巡らせることができる。そこがサラと人間の違いだ。
最近は薄れてきたかもしれないこの心の動き。しかし市原中央高等学校の風土は違った。
「先生、お困りでしょう。水でしたら復旧していますので・・・」
「○○さん、友人がわざわざきてくれて、今その友人宅でお世話になっているのです」
 みんなが置かれている苦境の中で、自分も苦しいはずなのに、他者へ心を及ぼす者のなんと多いことか、被災による一連の時の流れの中で、温かく「思いやり」を感じた。
 先に話をした「サラ」の場合も、飼育員に限定される行動を持って人間より劣るとは言い難い。サラの持つ「限定」は、「絆」に結びつくものなのかもしれない。そう考えると、今回君たちや君たちの保護者の方から感じたものは・・・。とにかく温かい。

後期が始まる。3年生は決戦の時である。今ある自分をしっかり見つめ。チャレンジの精神を忘れないで欲しい。

前期の終業式、後期の始業式の式辞とします

インフォメーション 目は口ほどにものをいい

10月2日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.111 ニワトリの話をしようか?

 目の前に二人の生徒がいる、利発そうな話し方をする男子。女子の目は、どうやればそんなに大きな目になるの?と尋ねたくなるほど、大きな目をしている。『瞳に星を輝かせれば、少女漫画の主人公だな』と思わせるほどである。(実際、星か輝いていたかもしれない)男子が言葉を選びながら語りかけてくる。聴いて欲しいことは「わがまま」ではない。内容がそう理解されないように慎重に言葉を選んでいる。女子は時折頷きながら、私をじっと見つめているだけ。彼女の瞳に自分が写っているようにも見える。見透かされているような、不思議な魔力がある。男子の語りは、まるで呪文のように説得力を持って訴えかけてくる。本校の生徒のこの部屋でのおしゃべりは、ある共通点を持っているように思っている。目の前の二人もそうだ。それは俗な言葉で表現しては失礼かもしれない「わきまえ」である。『もっとわがままでいいぞ、君たちぐらいは』と思うが、反面、そうした「わきまえ」を大切にしてあげたいとも思う。如何ともしがたいことなんだけれど、まぁ聴いてくださいよ。言葉と目で語りかけてくる。
 ニワトリの話をしよう。昔、その昔、ニワトリたちは草原の中を自由に歩き回り、空を飛び、森の木々に羽を休めていた。たくさんの餌を得ることができ、とにかく幸せな日々を送っていた。悩みは、ヤマネコやキツネ、へびのような肉食の生き物に脅かされること。「昨日、誰々の家の○さんが、キツネに襲われたそうだ」ニワトリたちは安心を求めた。そこに人間がやってきて、「ねえき君たち・・・」

重要 決勝ブロックまでは進んだのですが・・・

9月30日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.110 全国枕投げ大会? 決勝?


 ICH放送委員会のTwitterに面白い記事がツイートされていた。

----全国枕投げ大会千葉県予選----------
決勝トーナメントまで駒を進めたものの、惜しくもベスト16止まりでした
次こそは全国目指して頑張ります!
円陣は「おー、真心!!!!!」
さすがです笑
女尊男卑。で山崎さんが男子達を操っていました!(男子より)
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MakuranageHPによると、リーダーとなる「大将」、掛け布団でガードする「リベロ」、相手を就寝に追いやる「アタッカー」、自陣に枕を運び入れる「サポーター」という4つのポジションがあり・・・とかなり本格的な「修学旅行の思い出」をスポーツ化したものらしい。これに全国準優勝を果たした我が放送委員会が参加をしたのだという。行きたかった。元校長(現理事長)の応援もあって、奮闘して予選を勝ち抜いたが、決勝トーナメントで敗退してしまい結果はベスト16。

 さすが市原中央高等学校生、色々なところで情熱を燃やし、楽しんでいる。頑張れ!

まる ICHをイメージさせた生徒の後ろ姿

9月29日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.109 あの印象のままだ

 ある学校行事に参加していて思い出したことがある。もう1年以上も前のこと。まだこの高等学校にこうした縁があるとは思っていなかった頃のことである。自宅近くに本校のバス停があって、毎朝そこからバスに乗って通学する女子生徒がいる。本校のあの青いバスに乗るので、ICHの生徒であることはすぐにわかった。私の関心を引いたのは、その生徒の後ろ姿である。すくっと背筋が伸びて、肩口まである髪が清潔感を感じさせる後ろ姿。そう、あの頃のこの生徒の髪はもっと長かった。そんなことまで今思い出した。
 よく結婚式の新郎新婦への祝辞の中で「今時珍しい・・・」を決まり文句に語る初老の上司がいるが、私はその時『へぇ、今時珍しい』を彼女に感じた。スクは「直く」「健く」、背筋がしっかりと伸びた心身の健康に結びつく言葉。健康な高校生然とした・・・。彼女のイメージは、そのままこの学校のイメージとして私の中に棲みついた。いい出会いであった。何の機会だったか、彼女は私との縁を覚えていて、「先生・・・」と語りかけてくれた。まだ幼い頃の出会いだったので、記憶の中で結びつくのに少し時間がかかった。さらに、後ろ姿の女子生徒と結びつくにはさらに時間を要した。
 この行事で、発言者の話を食い入るように聴いている後ろ姿をみて、遠い記憶の彼方に遠ざかろうとしていた、わずかな、そしてそれだけに大切な「印象」を思い出させてもらった。この学校は、あの時に、あの後ろ姿に感じたままの高校です。
 後ろ姿は正直で豊かな、深い「表情」を持っている。正面の喜怒哀楽を表現しうる姿と違って、後ろ姿は素直に語りかけてくる。例えば、弱り果てて泣きべそをかいている表情より、肩を落とした後ろ姿の方が、ずっと説得力がある。一目瞭然。表情で繕うことができないだけに、後ろ姿は無防備である。見られることに対する防御のないまま、見抜かれる危うさを持っている。後ろ姿は面白い。以前「正史」より「外史」の方が面白い、「正伝」より「外伝」が好きであると書いたことはあったが、同じくらい「後ろ姿」はいい。こんなことを考えさせてくれた、彼女に感謝しなければ。ありがとう。

 生徒がみんないい後ろ姿をしている市原中央高等学校、いいね。

! こんなにも嬉しいことは、久しぶりだ

9月27日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.108 外伝は、な・い・し・ょ

 今朝、嬉しいことがあった。一人の生徒が、絞り出すように「自分」を語ってくれた。あれはできることではない。いいなぁ。目の前にいるこの生徒は、偶然に今日、その機会を得たが、うちの子たちはみんなそうなんだよなぁ。生徒との会話が終わったあと、しばらく余韻に・・・。内容はもちろん内緒。しかし、こんな思いをすることは、こんなに嬉しいことはしばらくなかった。ありがとう。
 定期考査が終わって、歌声が聞こえる、友人とはしゃぐ声が学校中に満ちている。考査からの開放感は、彼らの情熱を表に出してくる。この日の午後、英語のスピーチコンテストが行われると聞いて、のぞいてみることにした。自慢ではないが、本校の「えいご」はちょっとしたものなのだ。途中廊下の学習コーナー(?・勝手に私が名付けている)で、3年の男子生徒が数名、集まって何やら・・・。原稿用紙を持っていたので、「おぉ、反省文か?」とからかうと、さすがもう3年生ともなると、校長のあしらい方もわかっている。「いやいや、いつもそうとは限りませんよ。直面している未来に向けての試行錯誤です」進路に関わる文章を書いていたようである。つまづいたら校長室においで、遠慮なく。

 いいひと時をもらった。ありがとう生徒たち。いい学校です、市原中央高等学校。

 英語スピーチコンテストに寄せて(校長)

 こんなに多くの諸君が、チャレンジしてみようという気持ちを持ってくれるだけで、校長としては、何もいうことなく嬉しいのある。私の高校時代から「スピーチ・コンテスト」と名付けられているが、本当は「コミュニケーションコンテスト」なんていう名前にした方がいいのではないかと思っている。
ただ暗唱した英語の上手さを披露したり、競ったりするだけでなく、もちろんそれも大切なのだが、どう動かせたか、聴衆の心をどう掴んだか。そのあたりもしっかりとできてほしいと考えている。
 右脳に働きかけ感じさせ、左脳で考えさせる。難しそうだが、テーマとして選んだ、与えられたものの中にどこまで入り込めているか。どこまでpassionを持って表現できるか、にかかっていると思う。
表情もそうだ。ボディランゲージもそうだ。楽しみである。この時が、喜びである。もうワンランク上のICH・Englishを目指してほしい。
 開催にあたり、尽力くださった先生をはじめとするみなさんに感謝の気持ちを持ちながら、全力で臨んでほしい。豊かな時を過ごしてください。期待しています

動物 クマとカッパに出会った

9月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.107 試験期間中の学校はつまらない

 ふいに世界から取り残されたような気分になってしまう、そんな経験は誰にでもあるだろう。台風の被害で学校のリズムが狂った。この時期の1週間、10日の季節の移ろいは早い。何よりも「秋の日はつるべ落とし」。あっという間に陽が西の端に隠れてしまう。季節と定期考査があることが、マッチしない。体内時計と合わないのである。それもあってか、部屋に一人でいると、何か寂しい。寒いぐらいの秋の風を感じながら、夏を懐かしむ。今の子は「釣瓶(つるべ)」なんてわからないだろうなと思い、清掃に来た男子生徒に聞いてみた。「つるべ」ってわかる?「えぇ、でも本物は見たことありません。おばあちゃんちに井戸があったけれど、あれ、なんて言うんですか?手で上下させる・・・そうそうポンプだったから」へぇ、ちゃんと分かってるんだ「つるべ」。他愛のない会話だが、こんな会話も楽しい。人恋しいのである。
 廊下に出ると忙しそうに、小走りに放送室に入っていく後ろ姿。放送室の前まで行くと「ふっ」と影が暗い凹みに吸い込まれていった。チョロっと頭を覗かせ、こちらを見るようにしてまたいなくなった。不思議の国のアリスに出てくるウサギのようである。こちらから壁の凹みに首を入れると、いた。思わず「君はクマ」と声をかけると、「はいクマです」と笑顔を作ってくれた。Vol95に登場したクマの撮影主である。400ミリの望遠で・・・しばらく写真談義に花を咲かせていた。
 週末から姿を見なかった教員が、「先生、うちの生徒すごかったです」と報告に来てくれた。話によると水泳の新人戦で、200メートル、400メートルメドレーに出場した女子生徒が、県でいずれも4位の成績をあげたのだそうである。200メートルは3位と僅差、「本当に惜しかったです」と我が事のように悔しがっていた。

 夢中になれるものを持っているって素晴らしいなぁ。クマもカッパも。いいね、市原中央高生!

花丸 高い評価・嬉しい視線

9月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.106 学習塾の学校説明会
 「難関高等学校フェア2019(高校受験の部)」と言う名の説明会(学習塾主催)のお招きがあった。「高校受験の部」であるから『偏差値や得点の話を詳しくしなければならないのか?』と思いながらも、用意したスライドは、本校の教育理念と概要。特に力を入れている2020年大学入試への取り組みや、新しくスタートするGLC(グローバル・リーダー・コース)の説明が中心になっている。ピントがずれていないかなぁ?プレゼンにはそこそこ自信のある私が、少し不安になった。そこに追い討ちをかけるように「先生、お久しぶりです」と数年前に校長として勤めていた学校の教え子が声をかけてくれた。この塾で働いていると言う。「先生のお話、楽しみにしています」と言われた途端、柄にもなく緊張した。
 全体説明の後には長蛇の列の個別相談会。私と担当職員の二人で、25・6名の説明に当たっただろうか。じっくり時間が取れずに申し訳ないと言う思いと同時に、ありがたいなと心から思った。質問も、生々しい点数化されたものではなく、「今日の話の中の5つのP、とてもよくわかりました。Peersって具体的にどんなところに見られるのですか?」「GLC魅力的なんです。学上で何が一番大切ですか?将来は・・・」といったものが多かった。すでに点数が何点取れると入れるかではなく、入って何が得られるかといったところに目が向けられていた。

 今、自分の行きたいという希望を持っている高校、うちでなくてもいい(できればうちであってほしいが)、行ければいいなではなく、「絶対に行くんだ」と言う気持ち、忘れないでください。素晴らしい中学生との出会いがあった。「うちの子」になってほしい生徒ばかりだった。

晴れ 久しぶりにはしゃぐ声を聞いた

9月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.105 生徒のいる学校が一番
 「人間贅沢をすると、後戻りができない」祖母がよく語っていた。心が満たされると、その満たされたもの以上が欲しくなる。満たしていたものがなくなると、ぽっかり穴が空いたようになる。台風15号の被害で臨時休業を続けていた本校は、そんな感じだったのだろう。当然あるべき、あって普通のものが目の前からなくなってみると、本当に辛いもので、あって普通のものがどれほど大切だったか気づく。授業の合間の休憩時間、昼休み、放課後、生徒たちの喧騒は、何重奏もの音楽のようなもの。映画「奇跡のシンフォニー」の主人公の少年が街に出て聞いた「音」はこんなものだったのかもしれない。ただうるさい雑音が、重なって重厚な心に響く音楽となる。11年間離れ離れになっていた絆を結びつける音楽の才能を持った彼の耳ほどではないが、天賦のものとまでも言わないが、長年の教員生活があそう感じさせるのだろう。生徒たちの喧騒は、我が力なり。

 生徒がいる学校って、やはりいい。生徒がうるさい学校って、とてもいい。

 写真は、試合の抽選結果を知らせに来てくれた野球部の二人。「21日は敬愛学園戦です。それに勝つと23日に・・・楽しみです」と笑顔で報告してくれた。「残念ながらどちらも仕事だ」と残念がると「予報では、どちらも雨です」「お前ねぇ」と掛け合い漫才をやっていた。初めて来た時より緊張がない。いいぞ、いいぞ。
 「先生、進路のトライアングル、やっているうちに変わったの、どうしよう。何かになるために学ぶのではなく、大学で学びたいものが見つかりそうなの」と、臨時休業前に書いたメモ書きを大切そうに持ってきた女子生徒。どうやら一歩あゆみを進めたようである。「そう、じゃぁも少し考えてみよう。今君が陥った陥穽(落とし穴)は、三つのリングで説明できる。ほらね、大学生活のトライアングル。円の交わりが学生生活なんだ。」といって説明を始めると、「そんな考え方初めてだ。面白い」といって、今日のメモも大切そうに持って帰った。また一歩進むのだろうか?楽しみである。

 ただ与えられるだけでなく、与えられたものを糧に成長してくれる本校生徒は、やはりすごいと思う。