校長室から

重要 仕上がったんです、見ていただけますか?

11月20日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.134 幸せな気分です


 Vol123に登場した美術専攻の女子2人がやってきた。「先生、あの時話していた絵が出来上がったのです。明日梱包して展覧会に送るので、先生に見てもらおうと思って・・・」と来室の趣旨を話してくれた。以前にもこういうシチュエーションに幾度か出会っている。「先生、楽曲が仕上がったんです。聞いていただけますか?」ある高校の吹奏楽部。「先生、結婚するんです。親に会う前に彼に会ってもらえますか」2児の母になった教え子などなど、こんなことがあるんだが、日髙に見てもらいたい、会ってもらいたい。こんなに嬉しいことはないのである。
 拝見すると2人の絵の素晴らしいこと。自分の背丈ほどある大きなキャンパスに、老婆(彼女の曽祖母)をモデルに写実的に描いている。あの時はまだ線画だった。時間が足りないことを憂いながら懸命に描き続けたのだろう。すごい力である。「いいねぇ。絵の道に進まないなんてもったいないよ」とからかうと、やはり「サカナ」であった。自分が飼育している黒鯛の幼魚にドジョウを食べさせている写真。水族館で撮影したエイやイルカの写真。ご披露いただきました。本当に好きなんだね。
 もう一人の彼女の作品は、木炭で描いた「流動」。流動から連想される様々なものが、一つの大きなうねりのように塊りとして描かれ、一定方向への流れを見せている。よく見ると時計。時の「流れ」が思考言語に会ったのかしら?思いついたら不躾でも聞いてみる。「流動から連想された思考言語がこうしたビジュアルに変更する、思考の変容はどんなもの?」かなり難しい質問だったが、「ことば」が自然に「え」に移ろっていく。そんなイメージを語ってくれた。面白いね。
 二人にすっかりいい気分にしていただいた私から、ささやかなお返し。水爆実験が行われた「ビキニ環礁」。女性のセパレートの水着をビキニっていうだろう。あれは核実験に対する抗議からデザイナーが名付けたんだよ。そこの景色と野生のイルカの話しを聞いてもらった。

 豊かなお昼時間をいただきました。情緒豊かな市原中央高等学校生、いいなぁ。

 明日から修学旅行。彼女たちが今日きてくれなかったら、この瞬間(とき)はなかった。ありがとう、感謝します。

 

お祝い 千葉県1位:再び全国大会出場・放送委員会

11月19日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.133 AP部門「音で視る。」千葉県1位

 AP部門とは「オーディオピクチャー部門」のことであるらしい。
 一通のメールが届いた。「監督動きます。今、扉の前にいます。」放送委員会からの怪文書ならぬ快文書メールである。「先生!今いいですか?」は、よくある声がけ。ドアを閉めてあったからだろう。この訪問は初めてである。ドアを開けると、見覚えのある監督が頭を丸めて立っている。坊主頭なのである。「いいえ、気分転換で・・・」といいながら、メンバー紹介。新顔は真ん中の男子生徒である。今回は彼が新監督であるらしい。来年(2020年)に高知県で行われる総文祭に、千葉県1位(優秀賞)で、出場が決まったという。すごいことである。「ご当地もの」をテーマーに、AP部門作品の作成を行なった。本校の放送委員会が選んだのは「音訳」に取り組む地元のボランティア団体と、点字図書館の存在。高校生の目線で、障害のある人々を支える市民の熱意が見事に描き出されていた。監督にインタビューすると、謙遜がちに「思わぬきっかけでボランティアの方々の活動に出会い、それがテーマに結びつきました」と答えてくれた。
 視覚障害を支援する様々な取組を話し、知り合いの息子さんが伴走者としてパラリンピックに出場を果たしたエピソードを語って聞かせた。ついえたと感じていた走る夢をまた復活できた喜び。誰かのためになることを知った嬉しさ。交錯する心情のあざないは、感動という滴を絞り出す。今君たちは、このテーマに出会うjことによって、健常者である限り(正確には視覚の障害がない限り)なかなか取り去ることのできない、高いハードルとしてある透明なバリアをクリアしたのだと語って聞かせた。3人の中の一人が「透明なバリアフリーか」と呟いた。いい心のリレーションがあった「瞬間(とき)」であったと思う。おめでとう!これは全国大会(総文祭)出場だけでなく、君たちの心の透明なバリアフリー実現への賛辞である。

 接するごとに成長を感じる市原中央高等学校生、いいね。

暗くなった廊下を歩いていると、向こうから音楽コースの2人の女子生徒が駆けるようにしてやってきて、「先生、ありがとうございました」と謝意を表してくれた。これもまた嬉しかった。

お知らせ 空気が凛と澄んでいた

11月18日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.132 懸命にピッチを駆ける姿が眩しかった


 先週のある日の午後、一人の男子生徒が訪ねてきた。目の輝きの澄んだ生徒である。応接の椅子に座って部活のことを語る。矢継ぎ早ではなく、じっくりと噛み締めるように。こちらの発する言葉に一つひとつ理解をし。応じながら語っていく。良識を踏まえ、その上であってほしいことを丁寧に説明していた。聡明な生徒である。最終に私が告げた結論に「嬉しいです。ありがとうございます」と慇懃に礼を述べた後、「先生、遠いんですが、来ませんか?11月17日(日)、東京学館浦安で翔凛高校と対戦です。みんな頑張っています。ぜひ」と誘ってくれた。別件があったので困った表情をしたのだろうが、黙って私を見る澄んだ目が「否」とは言わせない素直な強さを持っていた。「できるだけ」曖昧な返事に「お見えになったら、挨拶に伺います。ありがとうございます」と言ってドアを開け、丁寧にお辞儀をして出て行った。ぜひ応援に行こうと思った。

  台風や豪雨で流れた第12節の試合がこの日(11月17日)に行われた。快晴の空は初冬を思わせ、合わせるように空気が冷たく凛と澄んでいた。海岸線のためか、風がやや強く、前半、風下のゴールを守る本校にとっては、相手のボールが思いの外、足が早く伸びを見せてくる。開始から25分過ぎ、コーナーキックから上がったボールに双方合わせることができず、こぼれ球を本校の10番が身を呈してクリアした。そのボールがどういう過程でか見えなかったが、ゆるゆるとゴール右サイドのネットにもつれるように入って行った。悪夢を見ているような失点であった。
 2点ビハインドで迎えた後半。動きは本校の選手の方がよかったように見えた。攻めに集中していた本校の隙を突かれた。終了5分前、センター付近でボールをキープした相手88番がドリブルでディフェンスをかわし、ゴール前の空きスペースに送ったパスに合わせ、29番が左で蹴ったシュートは、キーパーの逆をついてゴールネットを揺らした。
 翔凛高校の選手は3年生が中心だったのだろうか、素人目に試合慣れしているように見えた。ただ最後まで諦めることなく、相手のゴールを目指して突き進んでいた本校生徒の姿に感動した。結果は0対3というスコアであったが、決して負けていない闘志を伺うことができた試合だった。頑張れ、市原中央高等学校サッカー部。

音楽 汗と涙と喜びのシンフォニー

11月17日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.131 感動の3時間ステージ

  鍵盤に向かい伏せ目がちにしばらくあって、彼女の手は動き始めた。後悔した。「演奏する生徒たちの踊るような手の動き、ご覧になりたければあちらの席がよろしいかと」案内してくださった講師の先生がお勧めくださったのに、真正面の席に陣取ったことを後悔した。経験の少ない私には、演奏は歌声は聴くものという先入観があったのかも知れない。一人二人と演奏がなされ、美しい声を披露するごとに、観るものであり参加するものであることがわかってくる。
 腕からも手の動きは感じ取ること、見てとることもできた。さざ波のように指に連動して動く腕の筋肉。柔らかく優しい動きの中に、ピンと張り詰めた鋭さを宿している。鋭く突き進もうとする指の動きをセーブするように肩から二の腕が緩やかに動く。いや上半身全体を使って指の激しく強くなりすぎる動きに調和を与えようとしているかのようだ。鍵盤に直接つながる身体の一部は指、手であるが、奏でているのは全身であり、生徒たちの心、魂そのものだ。
 彼がオペラ座の怪人の一節を歌う時、掌を上に向けた腕を胸元から喉元に幾度も持ち上げる。心の高揚をさらに高めようとするかの如く。感動のピークは差し出した腕と手に見られた。一瞬彼の差し伸べた手と聴衆の手が結ばれたような錯覚があった。単なる錯覚ではなく、心のリレーションが創り上げた幻想だったのだろう。彼の心の高鳴りは私たちと共にあった。会場全体が包まれていた。
 挨拶で今日の演奏会は、彼らの汗と涙と喜びのシンフォニーだと紹介したが、偽りではない。日々部屋で聴くピアノの音色。同じところを何度も何度も繰り返す。苦悩の中で勝ち取った表現。そしてその集大成。それを「汗と涙と喜び」と表現して見た。美しかった。

 おめでとう、演奏会の成功。そして感動をありがとう。素晴らしい学校です、市原中央高等学校。

興奮・ヤッター! エンパシーということ

11月16日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.130 共感や同情ではない


 写真は「市原中央高等学校に新しい風を、校長先生、どうすればいい?」と相談に来てくれた男子生徒。エンパシーの話を考えていたので、思いを想像し、共有しようと努めた。お付き合いありがとう。君が考えている構想、うまくいくよ。

 いや、君ならうまく達成できるよ。会話に力があった。

校長講話

 前期の終業式、後期の始業式を兼ねた式辞で「チンパンジー・サラ」の話をしたことを覚えているだろうか。「思いやりなら猿でもできる」でも他に及ぼすことは「猿にはできない」といった話だった。そこに「ヒト」の力がある。この「思いやり」に似た言葉とつい最近出会った。
 君たちは知っているだろうか。本屋大賞を受賞したノンフィクション本。ブレイディみかこさんがイギリスに住む息子の日常を母親目線でつづったノンフィクション本『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』本校の図書館にも間も無く並ぶのでぜひ読んでみてほしい。
 中学校に通う息子が、人種差別や、貧富のいじめなどに巻き込まれながら、成長していく。貧しい家庭環境の友人に、制服をあげようと考える場面。どう渡せば彼を傷つけないか、悩んだ末に言葉を掛かる。「友だちだから」。共感や同情など(シンパシー)ではなく、他人の感情を想像し、分かち合う力。エンパシー。
 「エンパシーとは何か?」と尋ねられた時に息子が出した答え「誰かの靴を履いてみる」に筆者は気付かされたという。「誰かの靴を履いてみる」ということ、つまり違う立場や考え方の人の考えを想像することと語っている。
 「なるほど」と納得させられるが、ちょっと残念にも思った。インタビューに筆者はこう語る。「履きたくない臭い靴とかもあるじゃないですか。絶対嫌な靴とかもあるから。でもそれでも、履いて歩くことまでは、しなくていいけど、とりあえず履いて、どうなんだろうなと想像してみる。それって勇気のあること。力が必要。」
 この息子が語った「エンパシー」=「誰かの靴を履いてみる」とは、そんな意味だったのだろうか?筆者が語るから間違いないのだろうが、私にはもうワンステップあっていいのかなと思われた。誰しも他人の靴を間違えて履いたことがあるだろう。なんとも言えない違和感。足裏に感じる微妙な傾きやずれ。あの感覚にエンパシーの入口があるのではないか。違いを知ること、馴染まないことを自覚すること、違和感を感じている自分の存在に気づくこと。
 直ちにわかる「ちがい」 + リスペクト =エンパシー
エンパシーの始まりを息子は語ったのではないか。そんな思いがしている。
「エンパシー」難しいことだが、モテる人間でありたい。君たちにもそうあってほしいと願う。

 

音楽 芸術コース(音楽専攻)定期演奏会 明日開催

 11月15日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.129  楽しみにしています

*お車でご来場の方は、市民会館の駐車場をご利用いただけます。

演目はこちら      プログラム.pdf

会場までのバスはこちら バス時刻.pdf

 生徒たちは、今年もこの市原市文化会館でみなさまにお会いできますことを、心より楽しみに練習に励んでまいりました。
 初めての演奏会を開いてから、早いもので三十余年の歳月が流れます。刻まれた歩(あゆみ)は、その時々に悩みや課題はあったと思いますが、優秀な講師陣の生徒一人ひとりに応じたご指導により、生徒たちは熱意を結集して乗り越えた歴史です。これも保護者の皆様の深いご理解とご協力を始め、卒業生や毎年の演奏会を楽しみにしてくださる地域の皆様のご支援の賜物と衷心より感謝申し上げます。
 これほど「琴線」というものの存在を感じさせる催し物はないと思っています。今日、この会場で演奏を披露する生徒諸君の音が上質なだけではありません。奏でる音は、毎日の生徒たちの営み、努力、そしてそれを支える周囲の情熱そのものと結びついて心に響くからです。
 生徒の皆さん、今日のこの時空が設けられることに感謝し、聴く者の琴線を大いに刺激してください。ご来場の皆様、生徒たちの奏でる音にきっと感動していただけけることでしょう。ぜひ彼らの熱く輝く「瞬間」(とき)に、喝采をお願いします。

お祝い 生徒と奈良盆地と関東平野と

11月13日(水) ほぼ毎日・校長 V0l.128 お土産ありがとう

 「大和盆地でなぜ日本文明が生まれたか?」「家康はいかに関東を制覇したか?」「水」をキーワードに紐解く面白い話を聞いた。日本水フォーラム・代表理事の竹村氏のお話しである。奈良盆地が元は湖で豊かな水運インフラが存在したこと、利根川の流れが銚子に向かうのは家康の関東制覇のための策であったこと。ワクワクドキドキの話だった。真面目に学習していれば、当然のことだったのかもしれないが、不勉強な私にとって、新鮮で驚きに満ちた内容だった。知れば知ったかぶりで他人に話したくなる。「知ってた?家康はね・・・」
 カモがネギを背負ってではないが、生徒が土産を手にやってきた。「先生、関西に行くことに決まりそうです」と言って京都のお土産をくれた。このブログのVol.94にお母さんと一緒に登場してくれた歴史研究部の彼である。進学をい考えているその大学に、『城』を研究している先生がいて、その先生に学びたいと思うようになったというのである。すごいなぁ、大学進学でしっかりと焦点が絞れている。さすがである。「お母さんは少し寂しいかも知れないね」と語ると「そうなんです。もう寂しがっています。まだはっきりと決まったわけではないのですが。観光がてらに息子の下宿においでよと慰めておきました」なんだか暖かい母子の関係が感じられて、心がほっこりした。
 ところで「奈良盆地」って湖だったこと知ってるかい?家康が利根川の流れを変えたって知っているかい?さも自分が唱えている説であるかのごとく、講釈師よろしく感動のお裾分け。退屈もせずに付き合ってくれた。かえって「先生それ面白いです。僕の勉強に役立ちそうです」と喜んでくれた。お付き合いありがとうございました。

 そうだね。「水」をキーワードに「城」を考えてみるなんて、面白いかも知れないね。市原中央高生いいね!

関東の地図(東歌とゆかりの地から)
http://kiyotan.net/many_11kantou.html   

奈良盆地の図(奈良盆地の原風景から)https://blog.goo.ne.jp/nambashout/e/1858903decf3df8427ce6f66be8b8ae7 

鉛筆 授業にお邪魔 生徒観察

11月11日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.127 主体的、能動的な学びに向けて


 ルーズリーフのはし切れに、うし・ぶた・ニワトリの絵が描かれて、教室の後ろに飾ってあった。写メに撮って使用したが、持ち主不明で本人の承諾がない(=著作権違反)のである。あまりに可愛いから使ってはみたけれど、後ろめたい。「センセェ!だめ!」だったら申し出てください、すぐに削除します。
 ぜひぜひと思いながらなかなか実行できなかった。11月に入ってから、ちょこちょこ授業にお邪魔して、生徒の様子を拝見している。電子黒板を使って、ICTを駆使したアクティブラーニング。何よりも「すごいな」は、生徒の能動的な取り組みである。これが市原中央の原動力だ。
 数学の女先生が「電子黒板入ったんだけれど、どう使えばいいのか迷っています」この先生、自分の授業のものすごい価値に気づいていないらしい。私は初めて拝見して「これは分かるは」とすぐに感心した。一見、単なるチョーク&トークのように見えるのだが、ちゃんと右脳に語りかけ、左脳で考えさせているのである。私がメモした手帳を見せながら「ほらね。こんなところでビジュアル。それが同じ黒板の上で、論理的に語られている。右脳と左脳を上手く使わせて説明できているんだ」と解説すると、「ほんとだ。こんな見方しなかったです」と自分が発見できたようである。すぐにでも電子黒板使ってみたくなったのではないですか?

 分かる授業が展開できる教員に、わかろうとする能動的な姿勢をもつ生徒。師弟同行です。授業中にもいい瞬間(とき)が流れているこの学校、いいね。

インフォメーション 感動をあらかじめいただきました

11月8日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.126 笑顔の音楽コースの2人

 二階の第二音楽室で鳴っていたグランドピアノの音が止んだ。しばらくあって、ドアをノックする。「どうぞ」という誘いに、明るく笑顔で女子生徒2人が入ってきた。音楽コースの2人である。プログラムが出来上がったので、お礼方々きてくれたのだという。「今、ピアノを弾いていたのは?」と尋ねると、出演するみんなで通し練習をしていたのだという。「やりきった」が言える演奏会にしたいという。
 過日きてくれた後に、音楽の先生が訪ねてくださったことや、その先生の表情がなんとも言えず暖かかった印象を話すと、二人とも「私たちは幸せ者だ」と話してくれた。音楽の先生方が学校の「家族」のような存在なのだという。いいなぁ、生徒にそれを感じてもらえるだけでも、本校の誇りです。
 最近読んだ雑誌に載っていた神経細胞の話。神経細胞は「発火」で繋がりを持つ。その発火はどういう伝達になっているのか。光る時間の長短?光る強さ?長短であるなら、基準が必要だ。そんなものがあるのか?甲論乙駁している脳科学の世界に新しい光がさしてきた。その基準となるような、メトロロームのような細胞が見つかったという。発火のながさの基準となる細胞の発見。しかしそれは個人差がある。その個人差はリレーションで同調してくるのだというのである。
 音楽を聴く感動って似ていないだろうか。奏でる者の情熱や感動、これが伝播するには、発火の長さの基準の同調が必要なのでは?などと考えた。つまらない話しに付き合わせてしまった。『よくわからないけど・・・』という思い顔をしながらも「私たち音楽をやっていることは凄いこと?」
 そうなんだよ。音楽という繋がりの手段、同調の流れ、共鳴の方法をそこまで極めて、聴く者の感動を呼び覚ます。17才、18才でそれが持てていることは、自慢に値するよ。胸をはっていいです。

 16日(土) 定期演奏会。楽しみにしています。いい演奏会になってほしいですね。きっとできます。

会議・研修 アー、もうダメ。助けてください。

11月7日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.125 えっ「友達は彼女を見放しました」?

両側の紅葉は、本文とは無関係です。感動のお裾分け。
 いつも掃除に来てくれる賑やかな二人。二人が入ってきただけで部屋の中がパッと明るくなる。またこの二人は中がいい。勉強のことについてもいいライバルのようで、「えぇ、なんでそんな点数が取れるのぉ」「教えて、教えて。解き方教えて」と賑やかに会話を交わす場面を何度も見ている。羨ましいぐらい中がいいんだ。一方の子が悩んでいる。もう一方の子が「もう親友は見放しました。話を聞いているうちに『イラっ』ってするんです。助けてください。」
 志望動機、面接練習で悩んでいるという。「貴学では・・・」「5分でお悩み解決。校長マジック。付き合ってみるかい?」とまるで詐欺師のように甘い言葉をかけてみた。藁をも掴む気持ちなのだろう。「ぜ、ぜひ」と食いついてきた。
 「面接は考えてきたことを語ってもダメ。自分の内面に宿るPassionを語らないとダメ。やってみよう。本当に君がその大学、その学問に憧れているのなら、5分で大丈夫」
 いつもの会話からは想像できない「将来」を語ってくれた。意外性を感じながらも、それにしっかり焦点が絞られているなら大丈夫だと思った。いつものトライアングル。What?とWhy?で組み立てて行く。見る見るうちに完成した。「裾野に広がる9つの要素、目指している大学にありますか?」「せんせい、あります」「貴学では・・・」もう自分の言葉で、学びに対するPassionが見事に語れるようになっていた。「ありがとうございました!」お礼もそこそこに、元気に満ちた背中が部屋を飛び出していった。担任の先生との面接練習の時間が迫っていたようである。

 5分は嘘だったね。15分はかかったかしら?でもそんな短時間で自己確認のトライアングルを完成できるなんて、やはりうちの子はすごい。いい「瞬間(とき)」を過ごさせていただきました。

キラキラ オルゴールの上の人形のように

11月2日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.124 暖かい日差しのもとでランチタイム


 学校見学会が行われた日の昼下がり。職員の昇降口から外を見ると、中学生とその保護者の方々がお帰りになったバスターミナルで、女子生徒がくるくると回っている。しっかりと軸を作って、見事に回転している。きっとバレーの心得があるのだろう。『まるでオルゴールの上のバレリーナ人形だなぁ』。そのすぐそばの掲揚ポールの下には、暖かい日差しを求めて生徒たちが集っている。ランチタイムである。よく見かけるこの生徒たち。あまりに楽しそうなので、お邪魔して、写真を一枚。二枚。被写体の生徒たちが一斉に「こんにちは」と挨拶をした。振り返ると、一人の先生がこちらに近づいてきて、「校長先生もご一緒に」と、生徒と一緒にパシャリと集合写真。先生エアドロでDATAください。ワイワイと写真交換会が始まった。
 何気ない「瞬間(とき)」なのだが、温かい。市原中央高等学校の素晴らしさってこんな些細なところに現れてくる。

 ありがとう、生徒たち。ありがとう先生。いい学校です。

王冠 ギョギョギョ!のギョ子生徒

11月1日(金) ほぼ毎日・校長 Vol,123 さかなクンの話で盛り上がった

 「おや?君は・・・」後ろ姿しかみたことがなかったが、すぐにわかった。何度か美術の部屋で、大きなキャンパスに向かっている後ろ姿をみたことがある。集中しているので声もかけづらい。立ち並んでいるイーゼルに置かれたキャンパスの隙間から背中が見える。時々小首を傾げて、しばらくするとまた手を動かしている。あまり緻密な描写は、誤解を招きそうなのでこれぐらいにしておくが、とても集中した素敵な後ろ姿なのである。初めて顔(笑顔)を拝見した。おおいにして後ろ姿で作られたイメージは裏切られるのだが、彼女の場合はそれはなかった。こんな話題から、今手掛けている大作の話に至った。制作途中の作品に関わるお願い。そればかりは、私にどうしようもなかった。「ごめんね」と心から謝って、帰ろうとする彼女に興味について聞いてみた。「絵」が返って来ると思っていた予想に反して、「生き物、特に魚が好きなんです」
 この言葉を皮切りに、さかなクンの話になった。彼がまだこんなにテレビにも出ない頃。知り合いの海辺の家の隣に海洋大学の実習所があって、そこにさかなクンは水槽を持っていた。陽気な青年で、私たちの顔を見ると、「海の中はどうですか?」撮ってきた写真を見て「ありゃ〜、ユウゼンの子供ですねぇ」などと話しかけて来る。「ギョ、ギョ」はまだ持ちネタになかったが、「さかなクン」の愛称はもうすでに持っていた。「魚」を語り始めると止まらない。ある時「砂イソギンチャク」の個体識別について問いかけると、「日高さん、苦手なんですボクぅ」と言って悩み始めた。
こんなエピソードを話して聞かせると「えぇ、さかなクンを知っているのですか?」と目を輝かせている。さっきまで少し残念そうに伏せ目がちだった彼女の目がキラキラ輝いていた。「先生!またきていいですか?この部屋に」「いいよ。いつでもおいで」
 見送るといつもとは違う背中、後ろ姿があった。ニコニコしている後ろ姿。いいね。「秋の日はつるべ落とし」すっかりと暗くなった駐車場の向こう側の校舎の窓に、洛陽の最後の光が映っていた。

花丸 これは凄いことなのだと自分に語り、得心した

10月30日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.122 アウン=サン=スーチー直筆サイン

アウン=サン=スーチーさんの名前を知らない者はいないだろう。ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。彼女の直筆サインが本校の職員昇降口に掲示されている。8月にミャンマーでおきた豪雨被害への支援を、本校のインターアクトクラブの諸君がおこなったところ、アウン=サン=スーチーさんの直筆のサインの入った感謝状が届けられた。
インターアクトの生徒たちの活動は一見地味だが、人の心を動かす。温かくて重みがある。誰も気づかないようなささやかな善意、思いやり。その小さな一歩のあゆみ、動きに、あの「女史」が答えてくれたのだそうである。本校の生徒の善意を受け取ったミャンマーの財団の代表が、彼女を知っていて「日本の若者の気持ちに応えて上げて欲しい」とお願いしてくれたのだそうである。ありがたいことである。顧問の教員がわざわざ見せに来てくれて、「どこに飾りますか」といって、机の背後の棚をみている。「ダメダメ、一番目立つ、一番輝いて見える場所にしよう」として、この場所に落ち着くことになった。日本との関係では、第二次世界大戦の悲しい過去もある。「水島は、『やはり自分は帰るわけには行かないんだ』と思った」懐かしい故郷・日本と戦友たちとの惜別の思い。その中にある揺るぎない決意。独りこの地に残って、共に戦い死んでいった仲間たちの供養をしよう。『ビルマの竪琴』のあのくだりが好きだ。あの本を読んでから、少し近しい気持ちでいるミャンマー。その国の「事実上の首相」と呼ばれることもある女史の直筆サイン。目の前にして心がいっぱいになった。

 ありがとう、市原中央高等学校インターアクトクラブの諸君。感謝です。

 こんにちは。インターアクトクラブです。日頃よりインターアクトの活動にご理解、ご協力頂きありがとうございます。
 インターアクトクラブでは、今年の8月頃ミャンマーでおきた大雨による災害とその被害に対して、募金活動を校内で行い、ドーチンキー財団を通じて義援金として寄付をしました。お陰様で、今回は7,359円集めることができました。先日、財団からアウンサースーチーさん直筆のサイン入り感謝状が届きました。(感謝状は来客・職員用玄関に掲示します。機会がありましたらご覧ください。)
ご協力頂きまして、ありがとうございました。
 今後ともインターアクトクラブの活動にご協力、よろしくお願い致します。
 市原中央高等学校インターアクトクラブ
                          市原中央高等学校Web通信から

 

晴れのち曇り 今日はすべてが内緒なんだねぇ

10月24日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.121 サプライズ


 仲の良さそうな4人の生徒がやってきた。チャイムがなったばかりのお昼休み「いろいろお話があって来たんです」「なんだろう。入って入って」生徒の笑顔に心が暖かくなったのか、嬉しくなってウキウキしている自分がちょっと照れ臭いぐらいだ。『男子1人に、女子3人?』本校の生徒の組み合わせでは、それほど珍しくないのだが、ちょっと「?」。顔に感情が出やすいたちなのだろう、とてもポーカーフェイスは私には無理だ。もう高校生に心を読まれて、「あぁ、音楽コースの3年生です」と自己紹介された。「考えていることがあって、相談して、行こうってことになって、来ちゃいました」口を開いた一人の女子。途切れ途切れに語る経緯。『こんなこと話していいのかなぁ』という遠慮とためらいが感じられて、上品さすら感じさせた。「あのね、・・・」自分たちの企画?企て?もくろみ?挑戦?楽しいサプライズを語ってくれた。「先生だったら、賛成してくれます?」「後輩たちがね。『いいな、私たちも・・・』と思ってくれるものを作りたいんです」いいぞ、いいぞ。単なる思いつきやわがままではなく、きっとこうなるだろうという未来予想図を描いている。企画について、大人ながらの心配事をいくつか投げかけたが、ちゃんと答えも用意している。『すごいなこの子たち』と素直に思いながら、大いに賛成を伝えた。
 ご披露できないが、サプライズ。11月16日(土)の発表会でお披露目です。些細なことだけでど、自分たちや周辺を豊にする術を知っている。市原中央高等学校ってすごい。

部屋の上に第二音楽室があって、グランドピアノが置いてある。休み時間ごとに、ピアノの素晴らしい音色に囲まれて過ごしています。ありがとう。

3ツ星 懐かしい親友のことを思い出した

10月21日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.120 源氏物語を片手に・・・

 田舎育ちの私からみても「いなか」に住んでいた。農家の長男で、長距離走の得意な男だった。左の頬にニキビが多いことまで覚えている。心の広い男で、わがままな私と妙に気が合った。「しょうがない、長男だし。いいなぁ日髙は」彼は大学に進まず家を継いだ。「game」というニックネームでみんなから親しまれていた。大学に進学した私が、箱根の走者と偶然話をした時「そうですか、○○高校ですか。陸上競技部に●●君がいたでしょう。(大学は)どこへ行きました」とgameの名前に思わず出会った。『へぇ、あいつすごいやつだったんだ』
 彼のことを思い出させたのは、写真の向かって右側の書物で顔を隠している女子生徒。装丁から小学館の古典文学全集であることがわかる。「何を読んでいるの?」と尋ねると、黙って背表紙を見せてくれた。「源氏物語」である。「すごいね、高校時代に源氏を読破しようなんて、すごいね。僕の友人にねgameと言うのがいて、暇さえあれば源氏を読んでいた。」思い出話を勝手に聞かせてしまった。文学部に進んで「女流文学を学びたい」と目を輝かせて語ってくれた。「虚構」という問題について語った。高校生には難しいかもしれないと思ったが、彼女はちゃんとついてきた。「『今』に通じるところがあるんです」正伝はhistoryと言う通り男が作ってきたかもしれない。でも女性の持つあの力、創造力は男にはない。羨ましいほどの豊な力である。

 知性に輝く目が美しい生徒でした。大学に行ってもその輝き、失わないでくださいね。市原中央高校生は素敵だ。

合格 進学指導講話ー不易なものー

10月18日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.119 秋風の吹く頃、木枯らしの吹く頃が一つの山


 7時間目のLHRの時間を活用して、進学指導講和が行われた。写真は3年生の集会の様子。よく知る男子生徒が体育館に入ってきたので、「進路、どうするんだ?」と尋ねてみた。かねてからいい目をしている彼だが「やっています」が烱々とした眼に伺えた。案の定「センター、一般一本です」と朴訥としているが、説得のある響の返事が返ってきた。こういう頃の青年の目は大好きだ。
 講話が始まった。私立(都内)の大学の定数厳格化により、二極化していた大学の枠が重なって、ファジーな位置関係になった。2020年の入試改革を目の前に、安全志向が働く。難関大と呼ばれていた大学の受験者が減少してくる。この踏ん張りって大切じゃないか。受験生にとってピンチをチャンスと考えてチャレンジする。いい機会が、いま君たちの前にやってきている。
 「そんなこと言って、受験に失敗したら、どうするんですか?誰が責任をとってくれるんですか」よく耳にした言葉である。「心が折れる」のである。本人はスランプに陥って、悩んでいる。頑張っても、頑張っても模試の結果が伸びない。その姿を見ていた「心折れ」part1。3教科に変更!AO入試!推薦入試!みんな決まっているし、焦る。ちょうど今頃、夏の終わりから、秋風が立つ頃。乗り切った受験生に対し、part2は木枯らし第一号とともにやってくる。「どこでもいいんじゃないか?ある程度のところで安全策をとっておこう」=志望校DOWN。今も昔も語ることは同じだ。
 現役の頃に辛い思いをしながら指導にあたった覚えがある。「先生、推薦」「文転するかなぁ」「出ないんだ結果が、無理かも」親御さんも、教員も辛い。もちろん生徒本人も辛い。だからこそ頑張り時だ。「心が折れそうになる」のをどこまで頑張れるか。いよいよ今年もそんな季節がやってきた。

頑張れ、市原中央高等学校生! 

 駿台予備校の講師の先生配布資料から。カラーのマークは日高が付けました。

お知らせ ラストシーンの「顔なし」になってごらん

10月17日(木) Vol.118 二人で哲学対話 人間関係って難しい

 自宅に帰ってDVDの山をごそごそ探した。TV録画をしていたものがあったはずである。整理整頓ができていないから、見つからない。でも探した。放課後の女子生徒との会話は、どうしても「それ」を確かめたい衝動にかられた。「千と千尋の物語」ラストシーンの「顔なし」である。
 彼女は少し悩んでいた。人間関係だという。詳細は秘密だから、もちろん語れないが、その問題にぶつかり、どうにかしたいと思っている。いつも本校の子供達は、結論を求めてやってこない。「聞いてくださいよ、私(僕)の話・・・」と言ったスタンスである。どんな流れでそうなったか、「顔なし」の話になった。きっと私の中では、個の内部で増幅する「魔物」のようなことを話したかったのだろう。人間関係の悩みはこの歳になってもあるし、尽きない。うまい処し方も知っている訳ではないが「相手を変えるのではなく自分が変わるは、結構有効だね」とか、「流行語対象の『そだねー』から関係づくりをするといいよ」などと語ることが多いので、それかなと思う。自分の中で育った「魔物」は、そのまま相手を「魔物」にしてしまう。消そう。自分が変わって、消そう。ラストシーンの「顔なし」、おとなしくなって千尋と一緒に銭婆の所へいくのだろう。
 女子生徒は予期せぬ答えを返してきた。「自分の存在が認められたから?」それを要にしながら、どうあればいいのか、考えた。二人で哲学対話。出た結論が、ラストシーンの顔なしになってみようだった。

 正解のない問いかけに、複雑な話の流れ、部屋にきた時より分からなくなったかも知れないが、「ありがとうございます」と言って部屋から暗くなった廊下に出て行った。『寒くなったな』と思いながら見送ると、すくっと伸びた背筋の後ろ姿があった。いいね、市原中央高等学校生。

お知らせ できた!体育祭!

10月15日(火) Vol.117 台風で順延になった祭典

第35回体育祭に寄せて
 まずは台風15号で被災された皆様に、お見舞い申し上げますとともに、1日も早い復旧復興をお祈りいたします。
 清々しい季節の中で、保護者会会長をはじめ多くのご来賓の方々のご臨席を賜り、第35回体育祭を実行できますことは、この上ない喜びであります。
 その喜びと同時に、この体育祭を迎えるにあたっての、校長としてのもう一つの喜びをお伝えしておこうと思います。自然災害に大きな打撃と影響を受け、準備期間も十分に取れない中でこの日を迎えました。中には「中止」の考えもあったと聞きます。あの状況下では当然のことだと思います。しかしその中で、前に進むことを決意し、「今何ができるか」「この苦境の中で何をすべきか」を考えながら、実施にまで漕ぎつけた力は素晴らしい。それを選択し一歩一歩確かに踏みしめて来た、その力を生徒諸君が持ってくれた喜びであります。東日本大震災の時に、釜石の小学生が「奇跡」と呼ばれる避難を見事にやってのけた。あの時も子供達の支えになったのは、「諦めない」「前に進む」という気持ちだったと聞いています。人が協働で何かを成しとげようとする時、方向性を定め団結を生むのは、この力なのだろうと思っています。ぜひ大切にしてください。いいものを持っています。
 最後になりましたが、保護者の皆様には、日頃から多岐にわたるご支援を賜り、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。この「瞬間(とき)」をお子様と一緒に楽しんでいただければ幸いです。言葉整いませんが、挨拶といたします。(プログラム挨拶文から)

まる ほぼ5日に一回・校長?ですか

10月11日(金)あたりの回想 ほぼ毎日・校長 Vol.116 話題がなかった訳ではないのです

 体育祭の応援にお見えになったある保護者の方が「先生!ほぼ5日に一回・校長ですか」と声をかけてくださった。ブログをまめにチェックいただいている。様々な案件に翻弄されて、自分が向くべき方向を見失っていたのかもしれない。こう書くと、きっとこのお母さんは、「ですねぇ」と共感してくださると思う。「申し訳ない」は生徒への言葉。筆が進まないのは、生徒の方を向けていない証拠だと思っている。で数日の回想。

 「先生、やろうよ哲学対話。台風で流れてしまって、あれっきりだ。結構楽しみにしているんだ」と嬉しい呼びかけをしてくれたのは、1年の男子生徒。ジェネレーションリングの交わりの中で、自分色が作られて来るんだ。例えば赤の文化を持った親と、白の文化を新たな世代(自分)の文化と捨子の世代。いい交わり方をすると、赤をしっかりと継承した鮮やかなピンクがね・・・。そんな話をしながら誘った生徒たちである。「今日の話でしっかり焼きついたのは『ピンク』」と言いながら部屋を出て行った生徒である。いいねぇ、やろう、やろう。放課後ね。

 「ルーチンなんです。青いかもしれないけれど、同じところぐるぐる回っている。なのも結論が出なくて、誰かとこうして語っていると、何か生まれるかと思って。付き合ってください」2年の男子生徒。いいじゃない。ぐるぐる回ろうよ。特権だよ。ただスパイラルのように、少しずつ上昇しようよ。しているはずだよ。この日は、ある結論を伝えにきた。部活の先生に背中を押されて、一歩前に踏み出すことにした。まずは校長に報告と思ってやってきたのだという。いいね、嬉しいね。ほらちゃんと上昇している。自分では自覚できないけれそ、ちゃんとプラスのスパイラルに乗っかっている。またおいで。とりとめもない話をしよう。

 うーん、どこかであったぞ。一度この部屋に来たよね。誰と一緒だったかも定かではない。部屋を訪ねてくれた女子2人を見ながらそう思った。記憶への繋がりの糸は細いが強く、そして意図や自覚を超えて、偶然的で刹那的に「もの」と結びついているものである。一人の女子の仕草で記憶は呼び覚まされた。それは右手を口元にやる仕草。彼女がその仕草をとった途端に蘇った。インターアクトの2年の先輩に連れられてやってきた1年生だ。この日は、本校からこの2人が、ロータリー主催の海外派遣に選ばれ、近々マレーシアに行くことになったという報告にきてくれた。「何が楽しみ?」と尋ねると、とっても真面目で模範的な答えが帰ってきた。それも大切だけど、美味しいものいっぱい食べておいで。その国の特徴をよく表した、美味しいもの食べておいで。だって君たちがいく国は、美しくそしてとっても美味しい国なんだよ。行ってらっしゃい。

重要 見事だ!中庭の温かい雰囲気が目に浮かぶ

10月10日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.115 インスタ映えしますね

 台風が近づいている。15号の被災も復旧しないのに、神も罪なことをなさる。鬱々とする中、担当してくれていた先生が、「できました」と報告してくれた。昨日のブログに書いた「蘇るクマさんたち」なのである。生命が吹き込まれた。廃材となってどこかで朽ち果てるのではなく、見事な「いのち」として蘇っている。生徒たちの喜ぶ声が聞こえてきそうだ。木一吉(きいちきち)さん、ありがとうございます。
 下校バスの放送が入っている。賑やかだった学校が静かになった。歌声が聞こえなくなった。淡墨をさっと刷毛で掃いたような曇り空が重い。「校長先生、ブログの写真できましたね。インスタ映え」と声が聞こえた。じっとこちらを見つめている木彫りのリスとクマ。彼らが語りかけてくれたのかと思った。本当にいのちあるものなのである。振り向くと「琴音様」とそのお友達が立っていた。

 今日も温かい気持ちで一日を終えることができそうである。いいね、市原中央高等学校。感謝。