校長室から

了解 いつもありがとうの生徒たち

2月5日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.158 明るい笑顔で一生懸命

 写真に写っているのは2年生の生徒たち。校長室の清掃当番で、代わる代わるやってきてくれる。まだ少し生徒たちにも遠慮があるのか、私にも遠慮があるのか、『何を話せばいいだろう?』と構えてしまうところがある。もう一つ、最近夕刻に不在になったり会議が入ったりで、校長室の掃除が応接室だけになってしまうことがあって、会えないことが多い。でも話しかけるとみんな笑顔で応じてくれる。いつもきてくれる一人の女子がいない。代わりにきてくれた生徒に「どうした?」と尋ね、話してくれた事情を聞いてから、その子のことを「まいこ」さんと呼んでいる。理由はこの子たちと私だけの秘密です。その話題に他の生徒と興じていると、当番が替わって本人が訪れたとき「あっ、君は・・・」と声をかけると「はい『まいこ』です」と応じてくれた。「素敵な名前があるのに・・・ごめんごめん」ちゃんと君の本名は覚えていますよ。
 校長室の会話、生徒間で話題にしている。ただそれだけのこと、ただそれだけの会話なのですが、生徒と校長がこんなたわいもない会話ができる市原中央高等学校って、いいと思いませんか。自慢、自慢。嬉しい、嬉しい。

花丸 素敵な週末、保護者の方との会話

2月3日(月) Vol.157  校長講話が話題ですか?嬉しいですね+こども歌舞伎

(左斜め上の写真とその他の画像に関連はありません)
 週末に素敵な保護者の方々とあった。3年生の常任委員を努めてくださっている方が会する機会、そこで出た会話。「先生、うちの下のが『今日の校長講話はね。・・・兄貴。話に出てたよ』って帰って来たんですどんな話だったのですか?」「そうそううちはまだ2年なんですが、放送の校長講話よかったって言っていました」と嬉しい話題が飛び出してきた。大抵校長の話なんて、右の耳から左の耳へと通り過ぎるものなのだが、ちゃんと聞いてくれていてくれて、ご家庭で話題にもなるなんてすごいと感動したのです。まぁ、話がよかったなんてのはお世辞なのでしょうが、いい環境でみんな育っているのだなぁ。嬉しい限りです。「こどもたちの持っている「もの」の高尚さや奥深さの話をしたのですよ。」と語り、録音していたピアノ・ショパン「革命」を聞いていただいたり、お城の好きな息子さんのお話をさせていただいた。するとある保護者のかたが「Yさんちの息子さん、ミュージカル舞台デビュー。観にいくんです」と紹介してくださった。隣に座っていたお母さんが「Yの母です」。Vol131の音楽コースの男子生徒の保護者の方でした。すごいなぁ。「そうそう、こども歌舞伎をやっている生徒がいましてね。無理やり招待をおねだりしたら・・・」2月2日に県文化会館で公演があることを話題にした。
 行ってきました。楽しみにしていたその期待以上の生徒の姿に驚きを感じてきました。持っている「もの」の高尚さや奥深さの再確認です。感動していると、お昼過ぎにその生徒のお母さんがわざわざお礼にきてくださった。日頃の生徒との触れ合いや、彼を取り巻く友人の素晴らしさをご報告し、ひょんなところから「写真」の世界に話題が飛び、ボルネオ島のオランウータンの話やマレーシアの夕陽、サバンナのシマウマの話で盛り上がった。この母あってあの息子ありなのですね。

 いい瞬間(とき)をありがとうございました。ほぼ毎日・校長は幸せ者です。

重要 同窓会・頼もしい先輩たちと共に

2月1日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.156  頑張っている卒業生から頑張っている在校生へ


 一期生の会長から歴代の卒業生の方々がたくさん集まってくださった。挨拶をお願いされていたので、現在の市原中央高等学校の生徒諸君の頑張りをお話しした。学校がEducationをやってのけることはそれほど難しくないと思う、しかしLearningの場であり続けるることは難しい。できている学校、それが市原中央高等学校である。先輩たちに接していて、つくづくそ思った。
  Learningのためには、倫理やインスピレーションを学ぶためのメンターやロールモデルが必要である。本校の現役の生徒たちのメンター、ロールモデルがしっかりここにいた。ある同窓生の方がからご提案いただいた。「頑張っている卒業生がたくさんいます。頑張っている在校生のために」

市原中央高等学校 同窓会 素敵な会です


同窓会HP
https://dousoukai.site/ichihara-chuo/

 

お知らせ 放送による校長講話(地図とコンパス)

1月31日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.155 3年生の先輩から窺える本校


 インフルエンザの流行が真っ先に影響するのは集団行動。この日予定されていた体育館での校長講話も放送によるものに変更した。相手の顔をみながら話をするのでなく、マイクに向かって・・・は難しい。ラジオのパーソナリティや録音は、やはり慣れなんだろうなと思う。講和の内容は、出会ってから大切にしている評論家の「今必要なのは『地図』ではなく『コンパス』である」という話。
 もちろん教え育むことも大切である。しかし、本当にその生徒が「学ぶ」ためには、興味を抱かせることが大切になってくる。そこがなかなか難しい。興味を抱くこと、自然に湧き出てくるそのチャンスを与える工夫。実は難しいようだが、それほど「困難」ではない。「協働」の中にヒントがあって、何かの共通の目的に向かって、協働で動き始めた時、人は「仲間」の中にメンターやロールモデルを見つけ出して、自己変容を始めるのである。そういうメンターやロールモデルはある程度豊かで深い「もの」を持っていないと、スパイラル的に展開する自己変容は進まない。こうした学びに「地図」は必要ない。自分で進むための「コンパス」が必要である。どうやって学ぶか。メンターやロールモデルをどう与え、活用する機会を作るか。それが大切になってくる。これからの学校はそうなるだろう。しかし、そんな上質なメンターやロールモデルの要素を持った者が集う学校はそうはない。市原中央高等学校にはそれがある。
 この春に卒業する3年生の紹介をしよう。
 「城」が大好きで、語り始めると止まらない。旅先で城や城跡に触れる機会があると彼の顔が浮かぶほど興味を持って夢中になっている。・・・Vol.128の生徒
 絵を描いている時間が一番自分らしい。だから絵が好きだ。好きなことは一生大切に取っておきたい。続けていきたい。でも仕事にする好きとは違うと語る生徒。・・・Vol.146の生徒
 声楽の姿をみてもらったけれど、本当の自分はこれ。これしかないから夢中でまっしぐらに進んでいる。「革命」をピアノで聞かせてくれた生徒・・・Vol.153の生徒
 市原中央高等学校は、単なるEducationの場ではない、Studyingだけの場ではない。Learningの扉をいくつも提供する学校だ。

 そんな話をした。いい学校です、市原中央高等学校。

 *放送の校長講話に協力をしてくれた放送委員会の諸君、ありがとうございました。 

音楽 こんな瞬間(とき)を独り占め

1月29日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.154 意思を離れ生き物と化した指の奏でる音

お昼少し前、「先生、お時間大丈夫ですか?」と言って、女子生徒(Vol,153)が部屋を訪ねてくれた。今日は肩まである髪を、ポニーテールに結んでいる。いつも練習している第二音楽室のグラウンドピアノの前に立った姿は、女子の姿を形容するにはそぐわない言葉かもしれないが、「荘厳さ」が感じられた。それだけ、鍵盤に向かう姿勢が凛とした真剣なものであった。生徒は椅子に浅く腰掛け、少し斜め上を見上げるようにして、大きく息を吸った。鍵盤に指を当てがい、最初の音が出るまでのほんの少しの間、時が止まった。私の、緊張に耐えきれず、口が乾くような気がして、つばを飲み込んだ音が聞こえるほどの静寂。次の瞬間、最初の音が出たあとは、生徒の指が、まるで本人の意思を離れた、一個の生き物のように鍵盤の上を目まぐるしく動いていく。ショパンの「革命エチュード」。難曲として有名な曲。その世界に疎い私ですら、それとすぐわかった。
 見事だった。時にはシーケンスに、時にはランダムに動く生き物と化した指は鍵盤を通じ、ハンマーを動かし、弦を叩く。奏でられる音は、こうした構造を説明する言葉で表現するには失礼なぐらい「いのち」を持って伝わってきた。大きく上半身を動かしながら、波打つように揺れる彼女の身体はピアノと一体化していく。華奢な小さな体が、何倍にも大きく、偉大に見えた。彼女そのものが部屋全体に満たされた「おと」になっていく。琴線が震えた、涙腺が刺激された。「すごい」かつて勤務した高校で、吹奏楽部の生徒が全国大会に臨む楽曲を、私に聞いてもらいたいと言って聞かせてくれた時と同じだ。
 辛い時もあったろう、もう投げ出したいと思う時もあったろう。喜びも苦しみも、共に感じてきた白と黒の配列。生徒がそれに向かう時、裏切ることなく「自身」を表現してくれた。この時のこの生徒の心情を確認することはもちろんなかったが、素晴らしい感動の「共鳴」を私に与えてくれたことは間違いなかった。

 ありがとう。こんな素晴らしい瞬間(とき)を。独り占めさせていただきました。すごい学校です、市原中央高等学校。

音楽 この瞳、この笑顔どこかで見た気がする

1月24日(金) ほぼ毎日・校長Vol.153 2週間ぶりの投稿

 3年生が自宅学習に入ってから部屋を訪れる生徒がめっきり減った。寂しい。と言うより部屋のドアを閉めていることが多くなり、繋がりを閉ざしていたのは私の方なのかもしれない。年度末になるとなんだか忙しい、慌ただしい。
 今日も部屋に籠もってPCと向き合っている。自分らしくないなと思いながらも、目の前にある山積みの仕事と格闘していた。ドアがノックされた気がした。風の悪戯かと思えるほどの微かなノック。「はい」と返事をしてドアを開けてみると、見知った3年生の女子が立っている。音楽コースの生徒である。みんなが進路を決める中、自分はまだこれから挑戦を・・・。少し不安の影を宿した面持ちで「頑張っているんです」を伝えにきてくれたのである。音楽の道へ進む彼女は、今が山場なのだろう。「それでね先生、試験で弾く楽曲を聞いていただきたくて」と嬉しいお願いをしてくれた。ぜひ一度聴いて欲しいと語ってくれた。「いつが空いていますか?」「そうだね」今から楽しみである。
 部屋を出ていくとき、「受験で卒業式に出られないかもしれない」と少し寂しそうに語った。「そう、そうなったら担任の先生と一緒に、この校長室で卒業式をやろう」
 そうだ、あの瞳、あの笑顔。かつての教子の吹奏楽の部長、かつての教子の書道部のパフォーマンス部長。彼女たちの輝く瞳、柔らかい優しい笑顔と同じだ。何かに夢中になって、真剣に取り組んでいる若者の輝きは美しい。うらやましくなった。市原中央高等学校、いいね。

3ツ星 芸術は、哲学だ、人生だ!

1月10日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.152 芸術コースの展示会

 市原地区の高校の芸術作品展示会が行われていた。ぜひ顔を出しておきたかった。そんな思いにさせたのは、3年生のサカナさんVOL146で紹介した彼女の存在である。あそこまで自分自身を引き込んでいる絵画。そんな彼女の後輩たちが集っている。3年生がいなくなった中で、1・2年生の活躍はどうだろう。関心があった。
 平日の午前中、訪れるお客さんは少ない。開場してまもない催し物フロアに椅子を並べて、本校の芸術コースの生徒が先生方からレクチャーを受けている。「冬休みの宿題、みんなで批評し高め合っているんです。」と一人の先生が説明してくれた。講師役の二人の先生が批評、感想を1枚、1枚のデッサンに述べていく。どれもすごい。「いいな、うちの子たち」と思いながら、一緒に聞いていた。
 これはね、製作途中に陥ること。必ずと言っていいほど。見事に陥ったね。
 そんな時は、距離を置いて観ること。
 近づいたり遠のいたりしてみつめてみること。
 技術、テクニックだけでなく人生を語っている。こうした視点、視野を持つチャンスを自分でつかんでいる。すごいことだと思う。絵ができてからテーマやキャプションを考える。テーマやキャプションがあってから絵をものす。どちらでもそれはいい。写真を撮影するのだが、撮影に入る前にテーマを考える。シャッターを切る瞬間には、キャプションが出来上がっている。そんな撮影の仕方をすることもあれば、とりあえず感動や流れに従ってバシャパシャとシャッターを切る。出来上がった作品をみながら、キャプションを考える。
 何を語りたかったのか自問してみること。やはり人生なのだ。

 芸術は面白い。作品と、講評と、生徒たちの表情をみながら、心からいいなと思った。

お祝い 本校生徒の中に息づく日本

1月8日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.151 嬉しかったなぁ

新年・校長講話
「あけましておめでとうございます。良い年を迎えましたか?」
「はい、ありがとうございます。先生はいかがですか」
「はい、良い年を迎えました。ありがとう」

 今年になって初めてあった本校生徒との新年の挨拶である。何気ない挨拶なのだが、私はこの生徒の生活環境や、大きく言えば「育ち」に感心した。それは、このオリンピックイヤーと呼ばれる2020年にあたって、ちょっと考えてみたいことにつながっている。
 私は2度目の東京オリンピックを迎える。小学生の頃、ワクワクドキドキしながら、白黒のテレビの前に家族で集った。祖母も父母も兄弟も、テレビのない親戚も。近所の家はカラーテレビだった記憶がある。ちょっと悔しかった。粒子の荒い映像でブラウン管に映る選手たちの勝敗や記録に一喜一憂した。会場の臨場感をそのまま茶の間に持ち込んで楽しんだ。時は流れ、そこに集った者たちの多くは、鬼籍に名を連ねるものとなってしまった。記憶の片隅に「あの日ローマで眺めた月が、今日は・・オリンピックの顔と顔」三波春夫の東京五輪音頭のリズムと朧げな歌詞が残っている。
 今回の「オリンピック2020」は、ガンダムが衛星で打ち上げられ、地球・東京に向かって、開催期間中にずっと応援メッセージを送るそうだ。時代が違う。ソサエティ5.0(5G)の時代が、いよいよ本格的に始まる。そんな急速な時代の流れの中で、狂言師・野村萬斎氏は開会式で日本の伝統を踏まえた催しを企画しているらしい。日本の伝統と新しい技術革新のコラボレーションである。楽しみである。
 「らしさ」の追求である。忙しく移り変わる時代。そんな中にあってこそ「らしさ」が求め、問われるのである。どうすれば我々日本人が持っている「らしさ」(オリジナリティ)が伝えられるか、腐心しているのである。
 みんなと一緒がいい。違うことは勇気のいること。大勢の中の一人であることが安心な時代ではないのである。自分「らしさ」を考え、「自分って何」「違っていいんだ」その中で、率先垂範や、同僚支援、方向性指示の力を求めつづけるスタートの年にしていただきたいと思う。
 先ほど紹介した本校生徒との新年の挨拶。この中には、大切な日本の心がある。そんな風に思う。まだ始まって間もいない1年に対し、「良いお年をお迎えになりましたか?」いかにもおかしな問いかけであるけれども、「ありがとうございます。そちら様は?」と返す。言葉による呪言(寿ぎ・ことほぎ)、相手に「幸」を贈る。贈られた者は、感謝の気持ちを込めて相手に「幸」を贈る。互いを尊重する「日本の文化(らしさ)」なのである。前回のオリンピックを一緒に楽しんだ、鬼籍に名を連ねるものたちの時代には、自然に存在した「日本文化・らしさ」である。
 これを意図せず本校の生徒から感じ取ることができた。生徒の中に息づいていることに喜びを感じた。こんな嬉しいことはない。こんな頼もしいことはない。生徒のおかげで、私の一年は「いい一年」になる。
 いま私は、全校生徒と本校の全職員、この文章を読んでくださっている関係諸氏に同じ「幸」を与えたい。寿ぎを
  あなたたちにとってこの一年は最良の年です。いい年を迎えました。
  あけましておめでとうございます。
  今年も、市原中央高等学校をよろしくお願いいたします。

お祝い 生徒がくれた贈り物 Part2

12月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.150 合格報告と学びの共有

 「先生、お時間よろしいですか?」ドアをノックする音と共に、丁寧な挨拶で2人の生徒が入ってきた。応接に座って話し込んでいた教員が「オヤ、生徒ですね。では私はこれで」と言って立ち上がった。心遣いが嬉しかった。
 一人はVol.120に登場した「源氏物語」を読んでいる彼女である。「久しぶりだね」と声をかけると「合格報告に友だちときました」と言ってもう一人の彼女を紹介してくれた。表彰式の壇上で「成績優秀者」として何度か顔を見たことのある彼女。部屋を訪ねてくれるのは初めてである。二人が報告してくれた「合格」は立派なものである。「ところでそこでなにを学びたいの?」背伸びをさせるような質問をしてみた。思いもよらぬ答えが返ってきた。「言語学なんです」専門に研究している友人たちでもうまく設定できない、多様な切り口のある分野である。その学びにむけた思いを称賛し、語ってくれた学問の世界に感心した。あまりに素晴らしいと感じたので、ソシュールの「ラング」と「パロール」の話の入り口を語ってみたところで、さらに驚いた。彼女は既にこの単語だけでなく、意味までも知っていたのである。
 「源氏」を片手に廊下を歩いている彼女といい、ソシュールの世界の扉を開いている彼女といい、うちの生徒の新たな一面を発見した気がした。市原中央高等学校、すごいです。いいね。

雪 生徒がくれた贈り物 Part1

12月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.149 3年生を送る会
 表彰式の後、校長講話、3年生を送る会が行われた。講話を終えて壇上からフロアに帰ってくると、生徒会の諸君が「それではこれから3年生を送る会の準備に入りますので、少しお待ちください」というアナウンスをする。全校の生徒がおかしな動きをしている。静かな水面に様々な絵具を浮かべ、静かに待っていると、わずかな空気の動きで緩やかに模様を作って線画ができていく、あんな動きである。一定の法則性を持っていて、それでいて明確な意思によって動いているのではない、緩やかで「ためらい」を感じさせるようなそんな動きである。よく見ると2年生の動きが1年生に伝播していることがわかる。そう、3年のためにステージ前のフロアに空間を作ろうとしているのである。2年生は昨年の経験があるからスムーズである。1年はなにが起こっているかわからなく、やがて納得して動き始めるから、タイムラグがある。初めての経験であったから、近くにいる教員に尋ねた。「このように動くことが予め指導されているのですか?」「いいえ、自然な流れのようです」
 誰が指示をしているわけではない。誰が促しているわけでもない。自然にこの行動がとれている。「3年生のために」が大きなうねりとなっているのである。「すごい」と思った。

3年生を送る会 校長挨拶
 さほど君たちとは遠くない先輩に、担任として先生が記した「贈る言葉」に接する機会があった。奇しくもこの場で語っておこうと思っていた内容と合致したので、紹介していこうと思う。
その先生は語る。Society5.0の社会が進み、情報化・グローバル化が進む中で、その大きなうねりは、個々人が希望する希望しないに関わらず押し寄せて、君たちを巻き込んでいく。今まで持っていた価値観や常識は、電車の車窓の景色のようにあっという間に遠のき、過去のもの、古きもの、異なるものに変わって行き、通用しないものになっていく。
 その中で必要とされる力は、仲間とのリレーションによって課題を解決する協働力・共生力と、今ある姿に疑問を感じる批判力である。よく語られる「生きる力」「真の学力」につながるものであるが、生徒諸君に直接関わってきた担任の先生が、卒業という節目で語る言葉であるが故により説得力がある。
 もう一つこの力に付け加えるなら、シンパシーに止まらず、エンパシーまでもができる「こころ」を持つことである。この学校での3年間を振り返る時、ここで語られた力の礎が築かれていることを切に願う。これからが本番の諸君が多い。体調を整えて、頑張って欲しい。やり抜いて欲しいと切に願う。

注意 こだわりが生んだ大切なもの

12月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.148 こちらこそありがとう

 覚えているだろうか、先日このブログ(Vol144)で紹介した彼女。笑顔で部屋に入ってきた。愛犬自慢、拘っているんです、「また来ていいですか?」「ええよぉ」、パラサイトの彼女である。あの時は心底思い詰めたような感じがあった、手元の手帳に大切に挟んだメモを見ながら、確かに涙を流していた。私との会話の中で、自分の思いにスラッシュ「/」を引くように区切りをつけて、しっかり結んだ唇に「決」の文字が浮き出てくるような、キッパリとした表情を見せる。笑顔で「やってみます」。竹を割ったような性格とはこのことを言うのだろうと思った。
 その彼女が、今日は最初から笑顔である。しかし私にはその笑顔が、重い我慢と自律によって裏打ちされていることが見て取れた。笑っているが心が笑っていない。案の定彼女の口からは「ダメでしたぁ」と言う一言。「こんなもんですよね」あらら、こんなに若い頃に「世間」を感じ取らせてしまった。こりゃぁいかんと思った戸惑いは、次の言葉で払拭された。「『なんとかなる』『無理にでもなんとかしてほしい』ではないんです。分かって欲しかっただけなんです、きっと」自分を見つめ直した時にそう見えたのだろう。「それを校長先生がしてくださったので」(←ここ太文字にしたい)そんな風にとってくれているなんて、嬉しい限りなのである。
 康成の「伊豆の踊り子」だっただろうか。「いいひとはいいね」踊り子とその連れの会話の中に、自分に対する「いい人」評価を聞いた主人公は、素直に自分をいい人と感じることができたと言う描写があったことを思い出した。彼女の一言で私は、自分を本当にいい人と、素直に、自分で、照れもなく思っていた。彼女の笑顔も、さっきの笑顔とは違う。心も笑顔になっている。こだわりが産んだ副産物?なのかな。将来彼女もきっとこんな思いをしたりさせたりする経験をしてくれるのだろうな。
 「パラサイト、拘ってね」「はーい」明るく部屋を出て行ってしまった。「また来ていいですか?」「ええよぉ」は、今回はなかった。少し寂しい。

  いい瞬間(とき)を過ごしています。市原中央高等学校生。いいね!

お祝い これもすごいことなのです 英語スピーチコンテスト

12月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.147 関東大会第3位


 第13回関東甲信越地区高等学校英語スピーチコンテスト(於:宇都宮共和大学)に生徒引率に行っている教員から吉報SNSが届いた。英語コース2年生のJade Alisa Teeさんが、第2部の第3位に入賞した。千葉県で準優勝、嬉しいけど少し悔しい。関東大会では全国に出られるように頑張りたいと語っていた彼女は素晴らしいスピーチを披露したという。全国大会への出場は優勝者のみ。残念ながら彼女は果たせなかったが、新しい目標の一つとしてスタートを切ったという。
 英語コースのグローバルリーダープログラムでの様々な体験が、彼女のスピーチの輝きに現れてきているのだと指導にあたっている教員は語ってくれた。小学生と共に英語で交流の場面でも、笑顔とボディランゲージでわかりやすく会話を楽しんでいる姿を拝見した。

 すごいな。市原中央高等学校。この英語コースの礎のプログラムが、次年度コースとしてスタートする。グローバルリーダーコース楽しみです。期待してください。

具体的な取組はCLCホームページへどうぞ →

お祝い おめでとう!佐藤太清大賞受賞!これ、すごいことなんです。

12月11日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.146 こんなにすごい賞だとは思わなかった

校長先生
おはようございます。美術科の●●です。ただいま3年生の▲▲のお母様からお電話頂きました。絵を出品しておりました佐藤大清賞展で見事に大賞受賞したそうです。校長先生にはブログにもあげて頂いたりしました事本人も大変喜んでおりましたので急ぎご報告申し上げます。
 一通の嬉しいメールが届いた。校内メールに美術を担当している先生から、いただいたメールである。修学旅行出発の前日に校長室を訪ねてくれた(Vol.134)彼女のことについてのメールである。あの時は「梱包してしまうので先生にみていただきたくて」という彼女の気持ちが嬉しかった。そのやり取りを知っていて、朗報をいち早く伝えようと考えてくださった先生のこのメールにある「心」がまた嬉しい。この先生、偶然に私と同郷なのである。この近辺の地域で例えるなら、五井と八幡宿ぐらいの近さである。しばらく話しているときっと「そやさかい、おもしろいやんか」と、郷里の小さな地域特有の関西弁が出るはずである。もちろんメールに訛りはない。メールをいただいたのが今週のはじめ。今日は師弟揃って報告に来てくれたのである。
 残念なことに教養に欠ける私に「佐藤太清(さとう・たいせい)」という日本画家がピンとこない。でもおめでとう。先生の高揚した頬の色に「すごい」が滲んでいて、無教養な私にもこれが尋常なことでないことだけは伝わってきた。二人が帰った後、早速ネットで調べてみた佐藤太清賞公募美術展。ワォ、文化庁後援、横浜赤レンガ(横浜市芸術文化振興財団)共催・・・etc。この美術展の一等賞をとったのだ。京都、名古屋、東京、横浜、有名な場所で巡回展示される。絶対に見に行こうと思った。そしてその絵の前で「これ、うちの生徒の作品なんです」とみんなに自慢したいと思った。梱包して、出展する直前の、誰にも公開されていないこの作品を、学校の3階にある美術室で、一番最初に見たのは私なんです。生徒は、わざわざ校長室に作品の仕上がりを報告にきてくれて、梱包の前に見ていただきたいなんてことが言える生徒なんです。この作品の作者。すごいでしょ、いいでしょ。外行く人を無理やり呼び止めて、作品の前に立たせ、思いっきり自慢したくなった。

 創造の君、今ごろ家の水槽にいる黒鯛の幼魚にドジョウを食べさせているのかなぁ?おもしろい生徒である。同郷の師も「ものすごく大きな何かを秘めた生徒です。楽しみにしています」と語っていた。今日も一日いい日になりそうである。いい瞬間(とき)過ごしています。市原中央高等学校。

お知らせ Eigo De Kouryu グローバル・リーダーを目指して

12月10日(火) ほぼ毎日・校長 V0l.145 英語コース2年 海上小学校の生徒と交流
 この日、昼休みから午後の1時間を使って、本校英語コースの2年生が海上小学校に行って、英語で異校種交流を行った。海上小学校は市原市が小規模特認校として特色ある教育を展開している学校で、造形教育、外国語教育推進校として、地域社会との連携を深めている。近年ではその先進的な取組と、研究実績を上げてきたことの功績が評価され、「教育功労賞 学校教育 団体の部」を受賞をしている学校である。
 地域で学ぶ高校生が、地域の子供(小学生)と触れ合う機会。それも生徒たちで企画して、「小学生が英語に興味関心を持って、楽しく過ごしてくれるにはどうすればいいだろう」を具体的なものにして実践する。日頃から行っている4つのP(project、peers、passion、play)の実践である。「みんな、今日はハリーポッターゲームをやるよ。ルールは簡単・・・」英語で語りかけ、説明する。三つのグループに分けた小学生は、体育館中を走り回り、passionとplayに満ちた時を過ごしていく。中にはノリの悪い仲間に声がけをしている小学生が出てくる。本校の生徒がそれを見ていてそっと寄り添い盛り上げている。ゲーム終了後は、1対1の英語会話。いい瞬間(とき)を過ごしていた。

 「同僚支援」「率先垂範」「方向性指示」、リーダーシップをちゃんと身につけ始めている。市原中央高等学校の生徒ってすごい。

 

! こだわっています

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.144 先ずはワンコ自慢から


 予約の彼女がやってきた。今週の月曜日、日も暮れて寒さを感じ始めるころ。一人の女子生徒がやってきた。「あぁ、ごめんね。これから職員会議で・・・時間がないんだよ」うつむいて「少しの時間でもダメですか?」深刻な雰囲気である。「じゃぁ10分ね」本当に時間がなかったので、10分のお約束。見事に自分の辛い?悲しい?苦しい?痛い?思いをわかりやすく語ってくれた。なるほど、聞いていて深刻である。このまま置いていくのも?と思いながら、「会議が終わるのを待っているかい?」と尋ねると、いつか時間をとってほしいと素直な気持ちを言葉にした。それが今日のお昼休み。
 昼食も摂らずにやってきた。「ありがとうございます」という言葉がドアの内側に入ってきた。気持ちを和らげようと、うちの犬(ジュニアくん)の写真。「可愛いだろう。先生メロメロなんだよ」と語ると、彼女も9歳になるチワワとポメのミックス犬の写真を見せてくれた。マーブルのコートが美しいわんちゃんだった。「いいね、愛情たっぷりの子だね。飼い主さんの愛情がそのまま表情に出ている」
 お互いのワンコ自慢で雰囲気を和らげて、本題に入った。そうなんだよ、君たちぐらいの歳までは、さっきのワンコと同じように、愛情たっぷりの経験をしなければいけないんだよ。果実が太陽の光をいっぱい浴びて甘く美味しくなるように。その意味ではキミの経験は、ズキズキと疼(うず)く傷跡がついたかもしれないね。先生は、いま一生懸命その傷に軟膏を刷り込んで、少しでも痛みが和らぐようにしているんだけれど、利いていますか?「先生、ありがとうございます。このことがあってから、色々な先生が関わってくれて、いっぱい軟膏を塗ってくれたような気がします。痛み残っていません」と答えてくれた。「でも、こだわりがある。つまらないことなんですが、こだわりがあるんです。自分で納得のいく方法見つけてやってみます。ダメだったら、また来ていいですか?」「ええよぉ」
 なーんだ、いい環境でいい瞬間(とき)の学校生活を送っているんだ。よかった。彼女はドアを出ていく時に語った。「先生、私パラサイト(寄生虫)に興味があるんです。大学で勉強しようと思っているんです。」
 ほぉ、「パラサイトが地球の危機を救う」頭の中に奇妙なキャッチフレーズが浮かんだ。???なんだか、市原中央高等学校って面白い。

花丸 やはり日本はすごい国だ

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.143 おもてなし

https://www.youtube.com/watch?v=6hggygKWwhg
YouTube ANN・News「滝川クリステルさんのプレゼンテーション」から

 この写真の切り取り。女性の手の配りを見て、誰しもが同じシーンを想像するだろう。そう2013年に、ブエノスアイレスで来年(2020年)のオリンピック開催地を決めるオリンピック委員会の総会が行われた。滝川クリステルさんの東京プレゼンテーションの「お・も・て・な・し」の瞬間である。彼女は語る。「東京は安全な、思いやりのある都市です。あなたが何かを失ったとしても、それはきっとあなたの手元に戻ってくるでしょう。」
 このプレゼンに、ある評論家は「うそ」を指摘する。今時の日本を・・・という寂しい見解である。しかし「寂しい」と感じながらも、「確かに」と首肯する自分がいることに気づく。ところがこの滝川さんの「お・も・て・な・し」を身をもって体験した生徒がいる。過日行われた修学旅行で、数万円の現金の入った財布を失った。どこで失ったかわからない。記憶を辿っても行き着かない。落胆しながらも、仲間の助けを借りて旅行を満喫して帰ってきた。しばらく経ったある日、旅行先の警察署から財布の拾得があったという連絡がこの生徒の元に届いた。全て失った時のまま。現金もカードも、全てが揃って手元に戻ってきた。安全な、思いやりのある国の「お・も・て・な・し」をいっぱい詰めたお財布が帰ってきた。
 「すごい」と感じたのは、財布が戻ってきたことだけではない。この経験をしたこの生徒の成長に目を向けてみよう。きっとよほどの大きな「裏切り」がない限り、この生徒は経験を行動規範として持つことだろう。同じようなシチュエーションに逆の立場で遭遇した時、この生徒はきっと内面にある「お・も・て・な・し」を発現するに違いない。潜在的な意識、善行としての「お・も・て・な・し」、それを何気なく身につけさせる文化や環境がこの国にはある。すごい。

 いい成長しています。市原中央高等学校生。いいね。

お祝い 訪れた彼の目的は・・・

11月29日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.142 行ったんですね名古屋城。いいなぁ


 このブログに何度も登場している(母とも一緒に登場している)歴史研究部の彼がやってきた。手にしているのは「合格証書」。難関の大学、尊敬する教授のいる希望の大学の合格証書である。あの時「受験報告ではなく合格報告にきて欲しいなぁ、そうあってくれるとなお嬉しいな」と語ったことを覚えていて、きてくれたのである。「おめでとう」の一声で迎えた。
 ところが彼の口から発せられたのは、「校長先生、行ったんですね名古屋城。G20の関係で無理かと思っていたのに、行けたんですね。」であった。本題であろう「合格」とそれに関わる話を・・・と思っても、「あの天守閣は、今度木造建築・・・」「戦火で焼失して以来・・・」「今は入れない天守閣の・・・」矢継ぎ早に出てくる。彼の「城」に関する興味関心はすごい。興味関心だけでなく並外れた知見を有している。「えぇ、ブログの写真、記事無くなったんですかぁ?残念」話が尽きないのである。
 しばらく彼のお話しに付き合いをさせていただいて、合格証書を手に一枚パシャリ。下宿はどうする。「大学から一駅離れたいいアパートが見つかったんです。決めてきました。」『きっと母は泣いたんだろうな』と思っていると、その思いを察するように、「在学中は何度も母にきてもらおうと思います。古都の観光を4年間でいやというほどしてもらいます」と言葉をかけて部屋を後にした。

 大学進学の頃に母に対してこんな気持ち持っていたかな?拙かった自分のそのことと比べて、人間的にもいい成長していると感じた。いい成長をしています生徒たち。市原中央高等学校、いいね。

花丸 この日の彼女は笑顔だった

11月28日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.141 よかったね いい思い出にできて

 一人の女子生徒が、担任の先生と一緒に校長室にやってきた。入ってくるなり笑顔である。「ありがとうございました。おかげさまで・・・よかった。・・・嬉しかった。」
 彼女と話をしたのは夜の帳の降りた琵琶湖畔。修学旅行のディナークルーズ船に乗り込む列の中。話しかけてくれた。「今度、校長室に伺っていいですか?」「ええよぉ」関西の空気を吸った途端、DNAに組み込まれた関西の血が蘇る。自然に関西のおじさんになっている。船の逆光でシルエットでしか見えなかった彼女の横顔だが、妙に印象に残っていた。
 翌日の宿のロビーのソファで、大粒の涙を流している女子生徒。見るなり昨夜の女子生徒だとわかった。「君かぁ。どうしたの?」絞るように泣きじゃくりながら事情を話してくれた。涙の質を本人もわからなかっただろう。「ごめんなさい」我にもあらず受難者となった彼女は、その心を「申し訳ない」という気持ちでいっぱいにして、何層もの感情が折り重なった重みに潰れそうになって、それがフローして涙になって、瞳からボロボロこぼれ落ちている。
 エンパシーとシンパシーの話。こんな時にそんな難しい話はいらない。「ごめんね」と相手の気持ちを察しているだけでなく、「ごめんね」が向けられる相手の心に感情移入をしてみよう。今君が受難者となったことを友人たちはどう思っているだろう。誰も悪くない、悪くないけど彼女の身の上に難が降りかかった。そんな状況の中で、受難者本人が「申し訳ない」と思って塞ぎ込んでいる。余計に辛いのでは?「さっきはごめんね。心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫。楽しう」と言ってくれた方がずっといい。顔をあげて、笑顔になってエンパしーを実行してみよう。そんな意味のことを語った。
 強い子だった。まだ涙の止まらない瞳をこちらに向けて、こくりと小さくうなずいた。よかった。彼女のバッグにBob'sBearTim(ティム)がぶら下がっていた。一つ年上の姉が土産に買ってきてくれたのだと教えてくれた。
 「校長、いい子だねぇ」Tim(ティム)が、小さなピンクの舌をぺろりと出して、語りかけているように思えた。いい生徒が集っています。市原中央高等学校。自慢です。

お辞儀

ほぼ毎日・校長 Vol.136〜140は欠番です