校長室から

曇り 嬉しい知らせ

ほぼ毎日・校長 No.189 「何を語ったのか?」

本文の内容と写真は無関係です。

 自宅に着いた私に「何お話をしたの?」と奥さんが聴く。(最初から私ごとで恐縮だが、この嬉しいことの発端はそこからだから仕方ない)友人からLINEが来て、その友人の友人の娘さんが帰ってくるなり、「校長先生の話、よかったぁ」とお母さんに話したそうである。「奥さんだったらどんな話かご存知かと思って」彼女の友人のLINEはそこで終わっている。嬉しかった。素直に嬉しかった。
 この嬉しさは幾つかの層でできている。嬉しさのミルフィーユのようなものである。
1層:話を感動した、よかったと言ってもらった喜び。嬉しい。
2層:話をちゃんと聞いてくれていた喜び。(放送での講話だったのに)
3層:家に帰って家族との会話がある喜び。
4層:娘の感動を、友人に伝えたいと思った母の気持ちの嬉しさ。
5層:きっと嬉しく思うだろうとLINEを送ってくれた妻の友人の気持ち。
6層:ぐるーりめぐって人が繋がっている喜び。
 コロナはソーシャルディズタンスを強要し、人と人を引き離そうとするが、そうあればそうあるほど、人どおしの繋がりがねければ、人間って弱い。絶対不可欠なもの人間の交わり。それを教えてくれた気がする。
 「嬉しいね」なんて思いながら、スーパーに買い物に言ったら、「先生ー」と明るい声で、今年大学を卒業する教え子に出会った。「嬉しいね」が「嬉しいね」を呼んできたみたいだ。
 最初のきっかけをくれた、在校生の君。ありがとう。

 

曇り 修学旅行 最終日 その3(最終回)

ほぼ毎日・校長 Vol.188 令和2年11月25日(水)

 京都駅近くのホテルで昼食を済ませ、新幹線のホームを目指します。いよいよ修学旅行も終わりです。「あと2〜3日欲しいなぁ」と後ろ髪を惹かれる思いで集合場所に向かいます。人は旅に出ると良きもあしきも「本性」を表すと言いますが、この旅では、本校生徒の「良さ」「素晴らしさ」をしっかりと見せてもらえた気がします。

晴れのち曇り 修学旅行 最終日 その2

ほぼ毎日・校長 Vol.187 令和2年11月25日(水)

 今日はどんより曇り空。退館式で生徒会長の挨拶があった。いい挨拶だった。こんな楽しい思い出づくりを支えてくださった聖護院御殿荘の皆さんに感謝しています。宿の前で記念撮影をしてバスで、最後の観光地、清水寺へ。ほんの1時間30分ほどの滞在であるが、それぞれに楽しんでいる。清水から産寧坂、円山公園、知恩院、八坂神社このあたりは思い出深いところ。高校生時代に唯一朝まで外出を許された日(大晦日)、除夜の鐘を聴きながら、ふらりとした場所。生徒たちがお参りを終え、土産物あさりに入った頃、独りでふらりと歩いてみると、高校時代の思いがリアルに蘇る。遠に忘れた感慨が鮮明に・・・。音楽を聞いてそのころの雰囲気をふと懐かしむのと同じように、古都にはそんな力があるのかもしれない。視覚に訴える寺社、嗅覚に訴えるお香、床板の軋む音は聴覚に。「そうだ、京都行こう」のコピーが人の心を掴んで止まないのは、こうした古都の力があるのかもしれない。修学旅行で感じ取るのは難しいかもしれない。でもうちの生徒たちなら「ならでは」をしっかり掴んでくれているはずである。まもなく京都を離れる。無事であってくれてありがとう。生徒たちに感謝したい。

晴れ 修学旅行 最終日

ほぼ毎日・校長 V0l.186  令和2年11月25日(水)


 楽しい時間は早く過ぎる。廊下ですれ違った生徒が明るく元気な挨拶をしてくれた。「どう?楽しかった?」と語りかけると、「本当に楽しかったです。ありがとうございます」本校の生徒の素晴らしいところは、「・・・ありがとうございます」という感謝の念を持ってくるところである。「えぇ、楽しかったです」だけでも、こちらは嬉しいのだが「ありがとうございます(お陰様で)(先生たちが面倒を見てくださった)」という気持ちが伝わってくると、なお嬉しいしやりがいがある。いい生徒たちに恵まれている。こうしたお子様を育てていらっしゃる庭訓に敬意と感謝。
 今、館内放送が入りました。「発送する荷物をトラックのところまで・・・」その後がまた素晴らしかった。「全てが、皆さんのおかげで順調に進んでいます。時間を20分切り上げます。(最終日の見学、土産物購入時間を少しでもたくさんとりましょう任)」By学年主
 いい瞬間(とき)過ごしています、市原中央高等学校。