曇り 嬉しい知らせ

ほぼ毎日・校長 No.189 「何を語ったのか?」

本文の内容と写真は無関係です。

 自宅に着いた私に「何お話をしたの?」と奥さんが聴く。(最初から私ごとで恐縮だが、この嬉しいことの発端はそこからだから仕方ない)友人からLINEが来て、その友人の友人の娘さんが帰ってくるなり、「校長先生の話、よかったぁ」とお母さんに話したそうである。「奥さんだったらどんな話かご存知かと思って」彼女の友人のLINEはそこで終わっている。嬉しかった。素直に嬉しかった。
 この嬉しさは幾つかの層でできている。嬉しさのミルフィーユのようなものである。
1層:話を感動した、よかったと言ってもらった喜び。嬉しい。
2層:話をちゃんと聞いてくれていた喜び。(放送での講話だったのに)
3層:家に帰って家族との会話がある喜び。
4層:娘の感動を、友人に伝えたいと思った母の気持ちの嬉しさ。
5層:きっと嬉しく思うだろうとLINEを送ってくれた妻の友人の気持ち。
6層:ぐるーりめぐって人が繋がっている喜び。
 コロナはソーシャルディズタンスを強要し、人と人を引き離そうとするが、そうあればそうあるほど、人どおしの繋がりがねければ、人間って弱い。絶対不可欠なもの人間の交わり。それを教えてくれた気がする。
 「嬉しいね」なんて思いながら、スーパーに買い物に言ったら、「先生ー」と明るい声で、今年大学を卒業する教え子に出会った。「嬉しいね」が「嬉しいね」を呼んできたみたいだ。
 最初のきっかけをくれた、在校生の君。ありがとう。