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合格 そうか、ここに来ればよかった

6月11日(火) ほぼ毎日校長 Vol.44 生徒会室いつも満員御礼

 「令月の和楽」今年の文化祭のポスターが貼り出された。パープルの地に淡いピンク。令月(美しい月)に手をかざす少女。紫の高貴な品格のある色の中で、髪を風になびかせている。まさに「薫る(カヲ・ル)」なのである。つややかな美しさ、このポスターを手がけた生徒は誰だろう。13枚の候補の中から選出された一枚。もちろん「令和」の「風和らぐ」を視覚的に意識した作品なのだろう。見るものにその意図を感じさせる。かつて読んだ書物の中で、確か和歌の解説であったと思う。「きよし」と「さやけし」は違う。物その物がもつ「きよし」によって対する者の心が浄化される状態それが「さやけし」と書いてあった記憶が蘇る。このポスター「見る者の心を洗うほど」なのである。

 ぼんやりとポスターを眺めていると「こんにちは」と明るく挨拶をしてドアの向こうに隠れていく影。生徒会の生徒である。文化祭が近いのでコトコト忙しそうにしている。『お邪魔かな』と思いながら中を覗くと、案の定、みんなが何かに取り組んでいる。「何しているの?(あーそぼ!)」と声をかけると、PCの方を向いたまま、「はい、クラスの出し物の説明文の活字化です。」と答えてはくれるけれど、応えてくれない(あーとで)なのである。察してくれたのであろう、生徒会顧問の先生が「◯◯さん、校長先生のお相手」と一人、遊び相手をあてがってくれた。嫌な顔もせず「はーい」。ところがこうして改まると、何を話していいかわからない。「えっ、まぁ」などと柄にもなくドギマギしていると、「校長先生、私、生物で97点とったんです。もう、最高」と話題を提供してくれた。それを機会に、そこここに座っている生徒が代わる代わる相手をしてくれる。あっと言う間に時がすぎていった。出来上がった学校案内を見ながら、「素敵なパンフ。表紙はタマちゃん。友達なんです」「アレェ、校長挨拶なんて書いてるけど、これ校長先生ですか?」「えっ、違う」と写真と私をしきりに見比べている。写真が悪いかな?写真変えるかな?

生徒会室、ここに来ると市原中央高校が、グッと凝縮されているようだ。そうか「校長は寂しい( ;  ; )」時にはここにくればいいんだ。生徒会の諸君、忙しい中お付き合いありがとうございました。

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花丸 先生、なんだか嬉しそう!

6月6日(木) ほぼ毎日校長 Vol.42 確かに一番はしゃいでいるのは私

チャイムがなり終わった。しばらくするとガヤガヤ、キャァキャアと賑やかになってくる。机を運ぶ音が聞こえる。教員経験のある方なら、これだけでリアルに映像まで浮かんでくることだろう。それだけでなく今まで淀んでいた空気が、一気に爽やかに動き始めるのを感じているに違いない。考査が終わった。この音や生徒たちの会話を聞くだけで、心がウキウキしてくる。「先生、なんだか嬉しそう」清掃担当の生徒が笑顔で語りかけてきた。「嬉しいんだよぉ。先生はこの時を待ったいたんだ」と返事をすると「校長先生は寂しい(≧∇≦)ですね」(Vol38)とブログの記事を話題にしてくれる。「本当に嬉しそう」全身に嬉しさが現れていたのだろうか。話しかける生徒それぞれが、「あーとで」ではなく、ちゃんと相手をしてくれる。「あぁ、あの問題配点が10点だったらまだ救われる。15点だったら地獄」とテスト結果を嘆きながら廊下を歩いていた女子生徒に、「テストが終わった喜びを全身で表現してみよう」と声をかけると、瞬時に明るく応じてくれた。調子に乗って、「さぁみんなも」清掃担当の3人組も全身で喜び。玄関掃除の男子生徒、「僕らはいいですよ」と言いながら「5・4・3・2・1」とカウントダウンすると「ワォ」と付き合ってくれた。一番はしゃいでいたのは、やはり私なのである。みんな、お付き合いありがとうございました。「校長室の清掃担当の男子が来ないなぁ」と独り言を呟いていると「先生、あの二人は提出期限今日までのワークブック回収係になっていて、今日はこれないと思います」同じクラスの女子(彼女は確か吹奏楽部の部長さん)が事情を説明してくれた。気配り段取りができる生徒っていいな。自慢です。

梅雨が近く、曇り空が多くなるかもしれない。でもここ市原中央高等学校の校内は、ぴーかんの晴れなのである。

苦笑い 口から耳へこぼれゆくもの

6月2日(日) ほぼ毎日校長 Vol.41 不断の努力と学校力(市原中央新聞から)

着任早々挨拶文を求められるのは校長の常である。生徒会の挨拶文、新聞委員会が出しているのだろう「市原中央新聞」の巻頭言。この号は、卒業生の進路に係るコメント、後輩たちへのエール特集である。その新聞に「校長あいさつ」として書いた文章がこれ。教員との個人面談の中で、この文章を話題にしてくださった先生がいた。自分でも存在を忘れていたが、前期の第一回考査が終わり、夏を迎えるこの時期に、在校生諸君へのエールとして記しておこうと思った。

  誰の言葉だっただろうか、「[『ことば』は口から耳へこぼれゆく」もの。刹那的で命短いものだが、人の心や万物を動かす大きな力を持っている。古人はその力を言霊(ことだま)と呼んだ。ここに記された卒業生たちの「ことば」は尊く、力強い。不断の努力に裏打ちされた大きな力を持っている。魂(霊)を持っている。「筆舌に尽くしがたい」というが、彼らとてもそうであろう。「こんなに努力しました」と自慢げに成果をひけらかしてはいないが、その筆に滲むような努力の軌跡を追うことができる。伸び悩み、苦しむことの連続であったろう。やや先に光が見えたかと思うと、その光はたちまちに霧の中に消えてしまう。目指す方向性も見失い、「もうだめだ」という絶望感だけが支配する時期もあったに違いない。言葉でなんか語ることはできない心境、それが行間から滲み出てくる。その苦しみという大きな壁を穿った力、打ち勝った力の存在を共有させる、姿なき表現を聴くことができる。一つ事を貫き、成し遂げた者たちの、尊厳に支えられた発語である。いま私が語っている感覚が実感できない、享受できない者がいるとすると、やや危うい。目標に向かって真摯に臨む姿勢に、いまある自分の姿に内省の目を向けてみる必要があるかもしれない。
 彼らの目標達成に向かう努力を継続させ、栄冠を勝ち取らせたものは何だろう。もちろん本人の強い意志が一番であることは間違いない。ここで問う「何」は、その意志を、そのモチベーションを保ち続けさせたものは?という問いかけである。多くの要因が考えられるだろうが、もう一度彼らの筆を辿ってみると見えてくる。それは「学校力」である。受験は団体戦ということをよく耳にするが、その団体戦を勝ち抜く力を高めることができるかどうかは、この「学校力」にかかっていると思っている。その学校の空気が、水が、そこに集う者たちの心を刺激し、より高みに向かわせる。一人ひとりの姿勢、奥歯を噛みしめる力、紙面に鉛筆を走らせる音までもが伝播し、刺激する。和紙に落としたインクが滲むように、静かにそして確かに。やがてそれは総和として、学校全体の雰囲気として成立する。学校力の発動である。
 ここには、他にはない素晴らしい学校力がある。寄稿された卒業生の一言一言と、輝かしい実績はその証である。在校生、新入生の諸君にとっては、何物にも代え難い応援メッセージ、熱いエールになっている。険しく辛い道程ではあるが、歩を進めることを止めないで欲しい。君たちの頭上にも栄冠が輝くことを祈念している。

本 1册のノートから

5月16日(木) Vol.29 大切にしているんだ、大切にしてもらっているんだ

放送委員の1年生が教員に連れられてやって来た。何度か訪れてくれたようなのだが、タイミングが悪かったという。事務にいた教員が対応し、今日の日なら大丈夫という約束をしてくれていたのである。顔を見ると、昨日、東京大学・早稲田大学に一緒に行った生徒である。放送委員会に所属していて、NHKのコンクールにエントリーする取材をしているという。手に持った手帳、机の上にはボイスレコーダーがわりのiPhone。『すごいな、本格的だな』と思いながら、取材に応じていた。質問と回答。その中に彼が雑談風に入れる合いの手。ちょっと気になる話題は、自分なりに換言した言い回しで理解を確認する。物静かだけれども、口調に彼の強い頭を感じた。取材の間気になっていたアイテム(大切そうに使っているハードカバーのノート)について尋ねると「お気に入りなんです。父が買ってくれました」と答えてくれた。大切にしているんだ、そして大切にされているんだね君は。ふと自宅の机の引き出しに眠っている、何かの折にApple社から頂いたノートのことを思い出した。長い間使われることなく放置されている。彼の親子の「大切」が羨ましく、ちょっと介入したくなった。私の気まぐれで放置されているノートにも「大切にされる」時を過ごしてもらおうと思った。

君の高校生活は始まったばかり、いい瞬間(とき)を重ねて豊かに過ごしてください

雪 ここには100点達磨がいた

5月8日(水) Vol.23 創立来生徒を応援してきた

朝の打ち合わせが終わって、担任の先生がHRに向かう。外を眺めると、快晴の空に山々の新緑が眩しかった。爽やかないい朝である。一人の先生が、眺めている私の様子をみて「いい天気ですね」と声をかけてくれた。ささやかな一言だが、こういう会話って大切だと思う。校長室にきたある先生が、私の文章を読んで「言霊」の話をしてくれたことがある。『読んでいてくれたんだ』という嬉しさと、コトダマというもう古語になった語句を共有できる喜びを感じたのだが、今朝のこの先生の言葉にも「コトダマ」が宿っていたようである。いい朝、いい一日の始まり。校長が難しい顔をしていては、学校が暗くなる。いい1日になりそうである。声がけをくださった先生が思い出したように、「校長先生、ご存知ないかも知れませんが、本校には100点達磨がいるんです」といって、足元の引き出しから、手のひらサイズの達磨を出して見せてくれた。各考査のテストで、100点満点を取った生徒に贈られるものだという。創設者の故・真板益夫先生が考え出したものらしい。「頑張っている姿は美しい」少しの励みになればというお考えであったに違いない。毎年ダルマ獲得に意欲を燃やす生徒もいるという。1年生諸君、初めて聞く話かも知れないが、ぜひ狙ってみてはいかがですか。つまらないことでも夢中になるpassionって大切ですよ。

了解 シナントロープを見つけた

4月20日(土) Vol.16 朝の光景も清々しい

 昨日の朝、昇降口から大きな挨拶の声が聞こえるので部屋を出てみた。登校する生徒たちと教員が挨拶を交わしている。快晴の朝だっただけに、その声がまた清々しく感じた。一人の生徒が私に気づき、笑顔で挨拶をしてくれた。その朝の空気と「さやけさ」を切り取りたかった。なぜか下駄箱から上履きを取り出している後ろ姿の切り取りが、朝のスタートとしてそれを叶えてくれるように感じ、挨拶をしてくれた生徒に被写体になってもらった。「あっ、はい、いいですよ」とポーズを取ってくれた。ありがとうございました。いい朝の始まりを感じながら2階に行き、ちょっとお気に入りの「天空の廊下」(生徒棟から体育館への渡り廊下)に向かった。よく晴れていて、見上げると青い空に雲が美しく浮かんでいる。水底から水面をみているような錯覚すらある。先ほどの生徒からもらった清々しい空気の余韻に浸りながら、ぼんやり眺めていた。すーっと小さな黒い影が横切る。「ツバメだ」目で追うと、バスの停まる昇降口前の地面をすれすれに飛んで、職員昇降口の方に飛んでいった。昇降口の屋根に巣を作っている。ツバメのように人の生活環境に依存して生きる生き物を、シナントロープというそうだ。昔からこうした動物に対し、人は「共に暮らす」意をしっかりと受け止め、一歩譲って「どうぞ」という敬意を払ってきたように思う。ある場所で、糞の害を理由に、作る巣を壊しているのを見て残念に感じたことがあった。本校は?ちゃんと「どうぞ」を大切にしてくれていた。ここでもいい朝を感じる瞬間(とき)があった。感謝。

苦笑い この師ありて、この生徒あり

4月14日(日) Vol.10 一枚の印刷物が嬉しかった

朝の打ち合わせに行くと、机上に一枚の印刷物が配布されていた。私だけにではなく、全職員に配られているようだ。新入生向けに作った冊子の巻頭言をわざわざ抜き刷りにしたようである。打ち合わせの発言の中で、一人の先生が「先日のお話の中で、『新入生向けの冊子の巻頭言にも書かせていただいたことですが・・・』との内容がありましたので、全教職員が知っておく必要があると思い配布しました。ご一読ください」と説明してくださった。なかなかできる気配りではない。一部の生徒に接する中で『いいなぁ、うちの生徒。自慢だな』と思える生徒の人間的質の高さは、こうした先生方によって育まれているのだ。嬉しかった。一方で、いい加減なことは書けないぞ、言えないぞと身が引き締まる思いがした。

説明できることの先にある未来に挑戦せよ

少し面白い話をしよう。昔、そう君たちが生まれて過ごしてきた時間の倍ほども昔のこと。出会った一冊の本の中に載っていたエピソードである。日本の霊長類研究所で飼育されていた一匹の雌のチンパンジー(サラ)は、自分を担当している飼育員に「思いやり」という心の動きを見せるという。それを確認する実験が行われた。寒さで震える飼育員に対し、彼女はどんな行動を見せるかというものである。彼女は、いくつかの選択肢の中から見事に毛布を選び、飼育員に掛けてやったのである。人にしか持てないのではないかと思われていたこの「思いやり」という心の動きを、サラはやってのけたのである。同種の行動が彼女には、異なる状況下でも確認された。ただそれは、相手が飼育員である時だけという限られた条件のもとで有効なものであった。
 しかし人は違う。限りのない広がりで、眼前の事象を受け、起こった心の動きを他に及ぼすことができる。目の前で起こっていることを観察するだけでなく、原因や意図を考え、そこですべきことは何かを考える。全く見ず知らずの者であっても、相手は何を望んでいるかを察し行動することができるのである。もちろん個人差はあるが、そこで起こっていることを観察するだけでなく、他者の意図や困惑は何かを考え、推測できるのである。人間にはこうした複雑な概念を学習し、その概念を現実に及ぼす能力があるらしい。誰に指図されることもなく、いつの間にかこの能力を自然に発揮できるようになっている。君たちの担う将来を「不透明な未来」などと人は言うが、説明できることの先にある未来に対する取るべき行動や、掴む力もこうした能力と同じなのかもしれない。
 「いつの間にか」と書いたが、この能力が発揮できるようになるためには、多くの人との交わりという経験、そこで受けた感情、読書や鑑賞によって作り出された疑似体験や感動などと、それを得るための積極的で懸命な行動が必要である。日々の生活における涵養である。勉強も然り、部活動や学校行事、友人とのたわいもない会話など、日常生活のあらゆるものが涵養の糧になっている。周りにあるものが上質であればあるほど、それに比例して形づくられる能力も上質になる。より上質な力を得るための営みには、上質な周辺、環境が欠かせない。ここ市原中央高等学校の自慢は、そこにある。中でも一番の自慢は、生徒である。君たちの選択に間違いはない。ようこそ、市原中央高等学校へ。   2019年4月

始業式

4月8日(月) Vol.3 校長の意気込み

始業式があった。初めての式辞(講話)、もう少し気の利いたことを言えればよかったのだが、月並みな話に終わってしまった。冒頭の校長挨拶の生徒版焼き直しのようなもの。

元号が変わるがそれで何が変わることでもない。高浜虚子の句に「去年今年 貫く棒の ごときもの」というのがある。人は区切りをつけたがるが、年が変わったからといって、自分に何か変化が起きるものでもなし、貫いってきたもの(信念)に変化はない。しかし、一般の考え方、「節目」「区切り」というのも大切だと思う。市原中央高等学校元年。君たちはどんな節目としてこの瞬間(とき)を捉え返すのか?そして(信念を)貫き通すことができるのか?真価が問われる「節目」であることは確かなようである。

説明できることの先にある未来への挑戦、「信」のある若者の育成、リーダーとなれる学びの展開、楽しくなければ学校じゃない。

「らしさ」って面白い

4月5日(金) Vol.2 素晴らしいプレゼントをいただいた

着任する前に、事前の打ち合わせに来校した私に、生徒会担当の先生から宿題が出た。新入生のオリエンテーションで使用する冊子の巻頭言を書いて欲しいというものであった。喜んで書かせていただいた。その冊子ができたのでわざわざ届けてくださったのである。もちろんその気持ちも嬉しいのだが、表紙が私になっている。年度末に前校長先生から「新しく・・・」と聞いていた生徒の手によるものなのだろう。写真一枚を手がかりに描いたもの。きっとこの生徒の(今度の校長の)イメージが強く影響しているに違いない。肖像画や似顔絵は多くそうである。嬉しかったのは、日頃『こうあれればいな』と思っている自分が、校訓「真心」を手に、微笑んでいるのである。現実の私は、とてもこんな眼差しはできない。こんな微笑みは持てない。描いてくれた生徒の「こんな校長ならいいな」が、絵の中の私をこんなにも高めているのである。少し面映ゆいが、嬉しい。近づけるように努力しなければ。ありがとう、素晴らしいプレゼントです。

はじまりの時

4月2日(火)Vol.1 爽やかな朝が気持ちを高ぶらせている

初めての出勤の朝、肌寒い空気に朝の太陽が眩しく輝いて、シルエットになっていた校舎が彩りを取り戻していく。いい朝だと心から思った。ふと、初めて会話を交わす生徒はどんな生徒だろうと考えた。ひとりの女子大生の顔が浮かんだ。この学校を卒業し、学園併設の大学に進んだ女子大生である。縁あって1年間SLP(student leadership program)という授業で一緒した彼女は、聡明で、爽やかな笑顔を持つ女子大生である。彼女のイメージは、この学校のイメージそのもの。この朝の空気のようなイメージである。生徒とのふれあいが楽しみである。

生徒一人ひとりが,生き生きと過ごしている「瞬間(とき)」を切り取って紹介する、ブログ「ほぼ毎日・・・校長」を作ろうと考えた。