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了解 いつもありがとうの生徒たち

2月5日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.158 明るい笑顔で一生懸命

 写真に写っているのは2年生の生徒たち。校長室の清掃当番で、代わる代わるやってきてくれる。まだ少し生徒たちにも遠慮があるのか、私にも遠慮があるのか、『何を話せばいいだろう?』と構えてしまうところがある。もう一つ、最近夕刻に不在になったり会議が入ったりで、校長室の掃除が応接室だけになってしまうことがあって、会えないことが多い。でも話しかけるとみんな笑顔で応じてくれる。いつもきてくれる一人の女子がいない。代わりにきてくれた生徒に「どうした?」と尋ね、話してくれた事情を聞いてから、その子のことを「まいこ」さんと呼んでいる。理由はこの子たちと私だけの秘密です。その話題に他の生徒と興じていると、当番が替わって本人が訪れたとき「あっ、君は・・・」と声をかけると「はい『まいこ』です」と応じてくれた。「素敵な名前があるのに・・・ごめんごめん」ちゃんと君の本名は覚えていますよ。
 校長室の会話、生徒間で話題にしている。ただそれだけのこと、ただそれだけの会話なのですが、生徒と校長がこんなたわいもない会話ができる市原中央高等学校って、いいと思いませんか。自慢、自慢。嬉しい、嬉しい。

花丸 素敵な週末、保護者の方との会話

2月3日(月) Vol.157  校長講話が話題ですか?嬉しいですね+こども歌舞伎

(左斜め上の写真とその他の画像に関連はありません)
 週末に素敵な保護者の方々とあった。3年生の常任委員を努めてくださっている方が会する機会、そこで出た会話。「先生、うちの下のが『今日の校長講話はね。・・・兄貴。話に出てたよ』って帰って来たんですどんな話だったのですか?」「そうそううちはまだ2年なんですが、放送の校長講話よかったって言っていました」と嬉しい話題が飛び出してきた。大抵校長の話なんて、右の耳から左の耳へと通り過ぎるものなのだが、ちゃんと聞いてくれていてくれて、ご家庭で話題にもなるなんてすごいと感動したのです。まぁ、話がよかったなんてのはお世辞なのでしょうが、いい環境でみんな育っているのだなぁ。嬉しい限りです。「こどもたちの持っている「もの」の高尚さや奥深さの話をしたのですよ。」と語り、録音していたピアノ・ショパン「革命」を聞いていただいたり、お城の好きな息子さんのお話をさせていただいた。するとある保護者のかたが「Yさんちの息子さん、ミュージカル舞台デビュー。観にいくんです」と紹介してくださった。隣に座っていたお母さんが「Yの母です」。Vol131の音楽コースの男子生徒の保護者の方でした。すごいなぁ。「そうそう、こども歌舞伎をやっている生徒がいましてね。無理やり招待をおねだりしたら・・・」2月2日に県文化会館で公演があることを話題にした。
 行ってきました。楽しみにしていたその期待以上の生徒の姿に驚きを感じてきました。持っている「もの」の高尚さや奥深さの再確認です。感動していると、お昼過ぎにその生徒のお母さんがわざわざお礼にきてくださった。日頃の生徒との触れ合いや、彼を取り巻く友人の素晴らしさをご報告し、ひょんなところから「写真」の世界に話題が飛び、ボルネオ島のオランウータンの話やマレーシアの夕陽、サバンナのシマウマの話で盛り上がった。この母あってあの息子ありなのですね。

 いい瞬間(とき)をありがとうございました。ほぼ毎日・校長は幸せ者です。

音楽 この瞳、この笑顔どこかで見た気がする

1月24日(金) ほぼ毎日・校長Vol.153 2週間ぶりの投稿

 3年生が自宅学習に入ってから部屋を訪れる生徒がめっきり減った。寂しい。と言うより部屋のドアを閉めていることが多くなり、繋がりを閉ざしていたのは私の方なのかもしれない。年度末になるとなんだか忙しい、慌ただしい。
 今日も部屋に籠もってPCと向き合っている。自分らしくないなと思いながらも、目の前にある山積みの仕事と格闘していた。ドアがノックされた気がした。風の悪戯かと思えるほどの微かなノック。「はい」と返事をしてドアを開けてみると、見知った3年生の女子が立っている。音楽コースの生徒である。みんなが進路を決める中、自分はまだこれから挑戦を・・・。少し不安の影を宿した面持ちで「頑張っているんです」を伝えにきてくれたのである。音楽の道へ進む彼女は、今が山場なのだろう。「それでね先生、試験で弾く楽曲を聞いていただきたくて」と嬉しいお願いをしてくれた。ぜひ一度聴いて欲しいと語ってくれた。「いつが空いていますか?」「そうだね」今から楽しみである。
 部屋を出ていくとき、「受験で卒業式に出られないかもしれない」と少し寂しそうに語った。「そう、そうなったら担任の先生と一緒に、この校長室で卒業式をやろう」
 そうだ、あの瞳、あの笑顔。かつての教子の吹奏楽の部長、かつての教子の書道部のパフォーマンス部長。彼女たちの輝く瞳、柔らかい優しい笑顔と同じだ。何かに夢中になって、真剣に取り組んでいる若者の輝きは美しい。うらやましくなった。市原中央高等学校、いいね。

お祝い 生徒がくれた贈り物 Part2

12月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.150 合格報告と学びの共有

 「先生、お時間よろしいですか?」ドアをノックする音と共に、丁寧な挨拶で2人の生徒が入ってきた。応接に座って話し込んでいた教員が「オヤ、生徒ですね。では私はこれで」と言って立ち上がった。心遣いが嬉しかった。
 一人はVol.120に登場した「源氏物語」を読んでいる彼女である。「久しぶりだね」と声をかけると「合格報告に友だちときました」と言ってもう一人の彼女を紹介してくれた。表彰式の壇上で「成績優秀者」として何度か顔を見たことのある彼女。部屋を訪ねてくれるのは初めてである。二人が報告してくれた「合格」は立派なものである。「ところでそこでなにを学びたいの?」背伸びをさせるような質問をしてみた。思いもよらぬ答えが返ってきた。「言語学なんです」専門に研究している友人たちでもうまく設定できない、多様な切り口のある分野である。その学びにむけた思いを称賛し、語ってくれた学問の世界に感心した。あまりに素晴らしいと感じたので、ソシュールの「ラング」と「パロール」の話の入り口を語ってみたところで、さらに驚いた。彼女は既にこの単語だけでなく、意味までも知っていたのである。
 「源氏」を片手に廊下を歩いている彼女といい、ソシュールの世界の扉を開いている彼女といい、うちの生徒の新たな一面を発見した気がした。市原中央高等学校、すごいです。いいね。

注意 こだわりが生んだ大切なもの

12月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.148 こちらこそありがとう

 覚えているだろうか、先日このブログ(Vol144)で紹介した彼女。笑顔で部屋に入ってきた。愛犬自慢、拘っているんです、「また来ていいですか?」「ええよぉ」、パラサイトの彼女である。あの時は心底思い詰めたような感じがあった、手元の手帳に大切に挟んだメモを見ながら、確かに涙を流していた。私との会話の中で、自分の思いにスラッシュ「/」を引くように区切りをつけて、しっかり結んだ唇に「決」の文字が浮き出てくるような、キッパリとした表情を見せる。笑顔で「やってみます」。竹を割ったような性格とはこのことを言うのだろうと思った。
 その彼女が、今日は最初から笑顔である。しかし私にはその笑顔が、重い我慢と自律によって裏打ちされていることが見て取れた。笑っているが心が笑っていない。案の定彼女の口からは「ダメでしたぁ」と言う一言。「こんなもんですよね」あらら、こんなに若い頃に「世間」を感じ取らせてしまった。こりゃぁいかんと思った戸惑いは、次の言葉で払拭された。「『なんとかなる』『無理にでもなんとかしてほしい』ではないんです。分かって欲しかっただけなんです、きっと」自分を見つめ直した時にそう見えたのだろう。「それを校長先生がしてくださったので」(←ここ太文字にしたい)そんな風にとってくれているなんて、嬉しい限りなのである。
 康成の「伊豆の踊り子」だっただろうか。「いいひとはいいね」踊り子とその連れの会話の中に、自分に対する「いい人」評価を聞いた主人公は、素直に自分をいい人と感じることができたと言う描写があったことを思い出した。彼女の一言で私は、自分を本当にいい人と、素直に、自分で、照れもなく思っていた。彼女の笑顔も、さっきの笑顔とは違う。心も笑顔になっている。こだわりが産んだ副産物?なのかな。将来彼女もきっとこんな思いをしたりさせたりする経験をしてくれるのだろうな。
 「パラサイト、拘ってね」「はーい」明るく部屋を出て行ってしまった。「また来ていいですか?」「ええよぉ」は、今回はなかった。少し寂しい。

  いい瞬間(とき)を過ごしています。市原中央高等学校生。いいね!

! こだわっています

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.144 先ずはワンコ自慢から


 予約の彼女がやってきた。今週の月曜日、日も暮れて寒さを感じ始めるころ。一人の女子生徒がやってきた。「あぁ、ごめんね。これから職員会議で・・・時間がないんだよ」うつむいて「少しの時間でもダメですか?」深刻な雰囲気である。「じゃぁ10分ね」本当に時間がなかったので、10分のお約束。見事に自分の辛い?悲しい?苦しい?痛い?思いをわかりやすく語ってくれた。なるほど、聞いていて深刻である。このまま置いていくのも?と思いながら、「会議が終わるのを待っているかい?」と尋ねると、いつか時間をとってほしいと素直な気持ちを言葉にした。それが今日のお昼休み。
 昼食も摂らずにやってきた。「ありがとうございます」という言葉がドアの内側に入ってきた。気持ちを和らげようと、うちの犬(ジュニアくん)の写真。「可愛いだろう。先生メロメロなんだよ」と語ると、彼女も9歳になるチワワとポメのミックス犬の写真を見せてくれた。マーブルのコートが美しいわんちゃんだった。「いいね、愛情たっぷりの子だね。飼い主さんの愛情がそのまま表情に出ている」
 お互いのワンコ自慢で雰囲気を和らげて、本題に入った。そうなんだよ、君たちぐらいの歳までは、さっきのワンコと同じように、愛情たっぷりの経験をしなければいけないんだよ。果実が太陽の光をいっぱい浴びて甘く美味しくなるように。その意味ではキミの経験は、ズキズキと疼(うず)く傷跡がついたかもしれないね。先生は、いま一生懸命その傷に軟膏を刷り込んで、少しでも痛みが和らぐようにしているんだけれど、利いていますか?「先生、ありがとうございます。このことがあってから、色々な先生が関わってくれて、いっぱい軟膏を塗ってくれたような気がします。痛み残っていません」と答えてくれた。「でも、こだわりがある。つまらないことなんですが、こだわりがあるんです。自分で納得のいく方法見つけてやってみます。ダメだったら、また来ていいですか?」「ええよぉ」
 なーんだ、いい環境でいい瞬間(とき)の学校生活を送っているんだ。よかった。彼女はドアを出ていく時に語った。「先生、私パラサイト(寄生虫)に興味があるんです。大学で勉強しようと思っているんです。」
 ほぉ、「パラサイトが地球の危機を救う」頭の中に奇妙なキャッチフレーズが浮かんだ。???なんだか、市原中央高等学校って面白い。

花丸 やはり日本はすごい国だ

12月05日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.143 おもてなし

https://www.youtube.com/watch?v=6hggygKWwhg
YouTube ANN・News「滝川クリステルさんのプレゼンテーション」から

 この写真の切り取り。女性の手の配りを見て、誰しもが同じシーンを想像するだろう。そう2013年に、ブエノスアイレスで来年(2020年)のオリンピック開催地を決めるオリンピック委員会の総会が行われた。滝川クリステルさんの東京プレゼンテーションの「お・も・て・な・し」の瞬間である。彼女は語る。「東京は安全な、思いやりのある都市です。あなたが何かを失ったとしても、それはきっとあなたの手元に戻ってくるでしょう。」
 このプレゼンに、ある評論家は「うそ」を指摘する。今時の日本を・・・という寂しい見解である。しかし「寂しい」と感じながらも、「確かに」と首肯する自分がいることに気づく。ところがこの滝川さんの「お・も・て・な・し」を身をもって体験した生徒がいる。過日行われた修学旅行で、数万円の現金の入った財布を失った。どこで失ったかわからない。記憶を辿っても行き着かない。落胆しながらも、仲間の助けを借りて旅行を満喫して帰ってきた。しばらく経ったある日、旅行先の警察署から財布の拾得があったという連絡がこの生徒の元に届いた。全て失った時のまま。現金もカードも、全てが揃って手元に戻ってきた。安全な、思いやりのある国の「お・も・て・な・し」をいっぱい詰めたお財布が帰ってきた。
 「すごい」と感じたのは、財布が戻ってきたことだけではない。この経験をしたこの生徒の成長に目を向けてみよう。きっとよほどの大きな「裏切り」がない限り、この生徒は経験を行動規範として持つことだろう。同じようなシチュエーションに逆の立場で遭遇した時、この生徒はきっと内面にある「お・も・て・な・し」を発現するに違いない。潜在的な意識、善行としての「お・も・て・な・し」、それを何気なく身につけさせる文化や環境がこの国にはある。すごい。

 いい成長しています。市原中央高等学校生。いいね。

お祝い 訪れた彼の目的は・・・

11月29日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.142 行ったんですね名古屋城。いいなぁ


 このブログに何度も登場している(母とも一緒に登場している)歴史研究部の彼がやってきた。手にしているのは「合格証書」。難関の大学、尊敬する教授のいる希望の大学の合格証書である。あの時「受験報告ではなく合格報告にきて欲しいなぁ、そうあってくれるとなお嬉しいな」と語ったことを覚えていて、きてくれたのである。「おめでとう」の一声で迎えた。
 ところが彼の口から発せられたのは、「校長先生、行ったんですね名古屋城。G20の関係で無理かと思っていたのに、行けたんですね。」であった。本題であろう「合格」とそれに関わる話を・・・と思っても、「あの天守閣は、今度木造建築・・・」「戦火で焼失して以来・・・」「今は入れない天守閣の・・・」矢継ぎ早に出てくる。彼の「城」に関する興味関心はすごい。興味関心だけでなく並外れた知見を有している。「えぇ、ブログの写真、記事無くなったんですかぁ?残念」話が尽きないのである。
 しばらく彼のお話しに付き合いをさせていただいて、合格証書を手に一枚パシャリ。下宿はどうする。「大学から一駅離れたいいアパートが見つかったんです。決めてきました。」『きっと母は泣いたんだろうな』と思っていると、その思いを察するように、「在学中は何度も母にきてもらおうと思います。古都の観光を4年間でいやというほどしてもらいます」と言葉をかけて部屋を後にした。

 大学進学の頃に母に対してこんな気持ち持っていたかな?拙かった自分のそのことと比べて、人間的にもいい成長していると感じた。いい成長をしています生徒たち。市原中央高等学校、いいね。

王冠 ギョギョギョ!のギョ子生徒

11月1日(金) ほぼ毎日・校長 Vol,123 さかなクンの話で盛り上がった

 「おや?君は・・・」後ろ姿しかみたことがなかったが、すぐにわかった。何度か美術の部屋で、大きなキャンパスに向かっている後ろ姿をみたことがある。集中しているので声もかけづらい。立ち並んでいるイーゼルに置かれたキャンパスの隙間から背中が見える。時々小首を傾げて、しばらくするとまた手を動かしている。あまり緻密な描写は、誤解を招きそうなのでこれぐらいにしておくが、とても集中した素敵な後ろ姿なのである。初めて顔(笑顔)を拝見した。おおいにして後ろ姿で作られたイメージは裏切られるのだが、彼女の場合はそれはなかった。こんな話題から、今手掛けている大作の話に至った。制作途中の作品に関わるお願い。そればかりは、私にどうしようもなかった。「ごめんね」と心から謝って、帰ろうとする彼女に興味について聞いてみた。「絵」が返って来ると思っていた予想に反して、「生き物、特に魚が好きなんです」
 この言葉を皮切りに、さかなクンの話になった。彼がまだこんなにテレビにも出ない頃。知り合いの海辺の家の隣に海洋大学の実習所があって、そこにさかなクンは水槽を持っていた。陽気な青年で、私たちの顔を見ると、「海の中はどうですか?」撮ってきた写真を見て「ありゃ〜、ユウゼンの子供ですねぇ」などと話しかけて来る。「ギョ、ギョ」はまだ持ちネタになかったが、「さかなクン」の愛称はもうすでに持っていた。「魚」を語り始めると止まらない。ある時「砂イソギンチャク」の個体識別について問いかけると、「日高さん、苦手なんですボクぅ」と言って悩み始めた。
こんなエピソードを話して聞かせると「えぇ、さかなクンを知っているのですか?」と目を輝かせている。さっきまで少し残念そうに伏せ目がちだった彼女の目がキラキラ輝いていた。「先生!またきていいですか?この部屋に」「いいよ。いつでもおいで」
 見送るといつもとは違う背中、後ろ姿があった。ニコニコしている後ろ姿。いいね。「秋の日はつるべ落とし」すっかりと暗くなった駐車場の向こう側の校舎の窓に、洛陽の最後の光が映っていた。

3ツ星 懐かしい親友のことを思い出した

10月21日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.120 源氏物語を片手に・・・

 田舎育ちの私からみても「いなか」に住んでいた。農家の長男で、長距離走の得意な男だった。左の頬にニキビが多いことまで覚えている。心の広い男で、わがままな私と妙に気が合った。「しょうがない、長男だし。いいなぁ日髙は」彼は大学に進まず家を継いだ。「game」というニックネームでみんなから親しまれていた。大学に進学した私が、箱根の走者と偶然話をした時「そうですか、○○高校ですか。陸上競技部に●●君がいたでしょう。(大学は)どこへ行きました」とgameの名前に思わず出会った。『へぇ、あいつすごいやつだったんだ』
 彼のことを思い出させたのは、写真の向かって右側の書物で顔を隠している女子生徒。装丁から小学館の古典文学全集であることがわかる。「何を読んでいるの?」と尋ねると、黙って背表紙を見せてくれた。「源氏物語」である。「すごいね、高校時代に源氏を読破しようなんて、すごいね。僕の友人にねgameと言うのがいて、暇さえあれば源氏を読んでいた。」思い出話を勝手に聞かせてしまった。文学部に進んで「女流文学を学びたい」と目を輝かせて語ってくれた。「虚構」という問題について語った。高校生には難しいかもしれないと思ったが、彼女はちゃんとついてきた。「『今』に通じるところがあるんです」正伝はhistoryと言う通り男が作ってきたかもしれない。でも女性の持つあの力、創造力は男にはない。羨ましいほどの豊な力である。

 知性に輝く目が美しい生徒でした。大学に行ってもその輝き、失わないでくださいね。市原中央高校生は素敵だ。

お知らせ ラストシーンの「顔なし」になってごらん

10月17日(木) Vol.118 二人で哲学対話 人間関係って難しい

 自宅に帰ってDVDの山をごそごそ探した。TV録画をしていたものがあったはずである。整理整頓ができていないから、見つからない。でも探した。放課後の女子生徒との会話は、どうしても「それ」を確かめたい衝動にかられた。「千と千尋の物語」ラストシーンの「顔なし」である。
 彼女は少し悩んでいた。人間関係だという。詳細は秘密だから、もちろん語れないが、その問題にぶつかり、どうにかしたいと思っている。いつも本校の子供達は、結論を求めてやってこない。「聞いてくださいよ、私(僕)の話・・・」と言ったスタンスである。どんな流れでそうなったか、「顔なし」の話になった。きっと私の中では、個の内部で増幅する「魔物」のようなことを話したかったのだろう。人間関係の悩みはこの歳になってもあるし、尽きない。うまい処し方も知っている訳ではないが「相手を変えるのではなく自分が変わるは、結構有効だね」とか、「流行語対象の『そだねー』から関係づくりをするといいよ」などと語ることが多いので、それかなと思う。自分の中で育った「魔物」は、そのまま相手を「魔物」にしてしまう。消そう。自分が変わって、消そう。ラストシーンの「顔なし」、おとなしくなって千尋と一緒に銭婆の所へいくのだろう。
 女子生徒は予期せぬ答えを返してきた。「自分の存在が認められたから?」それを要にしながら、どうあればいいのか、考えた。二人で哲学対話。出た結論が、ラストシーンの顔なしになってみようだった。

 正解のない問いかけに、複雑な話の流れ、部屋にきた時より分からなくなったかも知れないが、「ありがとうございます」と言って部屋から暗くなった廊下に出て行った。『寒くなったな』と思いながら見送ると、すくっと伸びた背筋の後ろ姿があった。いいね、市原中央高等学校生。

まる ほぼ5日に一回・校長?ですか

10月11日(金)あたりの回想 ほぼ毎日・校長 Vol.116 話題がなかった訳ではないのです

 体育祭の応援にお見えになったある保護者の方が「先生!ほぼ5日に一回・校長ですか」と声をかけてくださった。ブログをまめにチェックいただいている。様々な案件に翻弄されて、自分が向くべき方向を見失っていたのかもしれない。こう書くと、きっとこのお母さんは、「ですねぇ」と共感してくださると思う。「申し訳ない」は生徒への言葉。筆が進まないのは、生徒の方を向けていない証拠だと思っている。で数日の回想。

 「先生、やろうよ哲学対話。台風で流れてしまって、あれっきりだ。結構楽しみにしているんだ」と嬉しい呼びかけをしてくれたのは、1年の男子生徒。ジェネレーションリングの交わりの中で、自分色が作られて来るんだ。例えば赤の文化を持った親と、白の文化を新たな世代(自分)の文化と捨子の世代。いい交わり方をすると、赤をしっかりと継承した鮮やかなピンクがね・・・。そんな話をしながら誘った生徒たちである。「今日の話でしっかり焼きついたのは『ピンク』」と言いながら部屋を出て行った生徒である。いいねぇ、やろう、やろう。放課後ね。

 「ルーチンなんです。青いかもしれないけれど、同じところぐるぐる回っている。なのも結論が出なくて、誰かとこうして語っていると、何か生まれるかと思って。付き合ってください」2年の男子生徒。いいじゃない。ぐるぐる回ろうよ。特権だよ。ただスパイラルのように、少しずつ上昇しようよ。しているはずだよ。この日は、ある結論を伝えにきた。部活の先生に背中を押されて、一歩前に踏み出すことにした。まずは校長に報告と思ってやってきたのだという。いいね、嬉しいね。ほらちゃんと上昇している。自分では自覚できないけれそ、ちゃんとプラスのスパイラルに乗っかっている。またおいで。とりとめもない話をしよう。

 うーん、どこかであったぞ。一度この部屋に来たよね。誰と一緒だったかも定かではない。部屋を訪ねてくれた女子2人を見ながらそう思った。記憶への繋がりの糸は細いが強く、そして意図や自覚を超えて、偶然的で刹那的に「もの」と結びついているものである。一人の女子の仕草で記憶は呼び覚まされた。それは右手を口元にやる仕草。彼女がその仕草をとった途端に蘇った。インターアクトの2年の先輩に連れられてやってきた1年生だ。この日は、本校からこの2人が、ロータリー主催の海外派遣に選ばれ、近々マレーシアに行くことになったという報告にきてくれた。「何が楽しみ?」と尋ねると、とっても真面目で模範的な答えが帰ってきた。それも大切だけど、美味しいものいっぱい食べておいで。その国の特徴をよく表した、美味しいもの食べておいで。だって君たちがいく国は、美しくそしてとっても美味しい国なんだよ。行ってらっしゃい。

重要 見事だ!中庭の温かい雰囲気が目に浮かぶ

10月10日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.115 インスタ映えしますね

 台風が近づいている。15号の被災も復旧しないのに、神も罪なことをなさる。鬱々とする中、担当してくれていた先生が、「できました」と報告してくれた。昨日のブログに書いた「蘇るクマさんたち」なのである。生命が吹き込まれた。廃材となってどこかで朽ち果てるのではなく、見事な「いのち」として蘇っている。生徒たちの喜ぶ声が聞こえてきそうだ。木一吉(きいちきち)さん、ありがとうございます。
 下校バスの放送が入っている。賑やかだった学校が静かになった。歌声が聞こえなくなった。淡墨をさっと刷毛で掃いたような曇り空が重い。「校長先生、ブログの写真できましたね。インスタ映え」と声が聞こえた。じっとこちらを見つめている木彫りのリスとクマ。彼らが語りかけてくれたのかと思った。本当にいのちあるものなのである。振り向くと「琴音様」とそのお友達が立っていた。

 今日も温かい気持ちで一日を終えることができそうである。いいね、市原中央高等学校。感謝。

インフォメーション 目は口ほどにものをいい

10月2日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.111 ニワトリの話をしようか?

 目の前に二人の生徒がいる、利発そうな話し方をする男子。女子の目は、どうやればそんなに大きな目になるの?と尋ねたくなるほど、大きな目をしている。『瞳に星を輝かせれば、少女漫画の主人公だな』と思わせるほどである。(実際、星か輝いていたかもしれない)男子が言葉を選びながら語りかけてくる。聴いて欲しいことは「わがまま」ではない。内容がそう理解されないように慎重に言葉を選んでいる。女子は時折頷きながら、私をじっと見つめているだけ。彼女の瞳に自分が写っているようにも見える。見透かされているような、不思議な魔力がある。男子の語りは、まるで呪文のように説得力を持って訴えかけてくる。本校の生徒のこの部屋でのおしゃべりは、ある共通点を持っているように思っている。目の前の二人もそうだ。それは俗な言葉で表現しては失礼かもしれない「わきまえ」である。『もっとわがままでいいぞ、君たちぐらいは』と思うが、反面、そうした「わきまえ」を大切にしてあげたいとも思う。如何ともしがたいことなんだけれど、まぁ聴いてくださいよ。言葉と目で語りかけてくる。
 ニワトリの話をしよう。昔、その昔、ニワトリたちは草原の中を自由に歩き回り、空を飛び、森の木々に羽を休めていた。たくさんの餌を得ることができ、とにかく幸せな日々を送っていた。悩みは、ヤマネコやキツネ、へびのような肉食の生き物に脅かされること。「昨日、誰々の家の○さんが、キツネに襲われたそうだ」ニワトリたちは安心を求めた。そこに人間がやってきて、「ねえき君たち・・・」

重要 決勝ブロックまでは進んだのですが・・・

9月30日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.110 全国枕投げ大会? 決勝?


 ICH放送委員会のTwitterに面白い記事がツイートされていた。

----全国枕投げ大会千葉県予選----------
決勝トーナメントまで駒を進めたものの、惜しくもベスト16止まりでした
次こそは全国目指して頑張ります!
円陣は「おー、真心!!!!!」
さすがです笑
女尊男卑。で山崎さんが男子達を操っていました!(男子より)
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MakuranageHPによると、リーダーとなる「大将」、掛け布団でガードする「リベロ」、相手を就寝に追いやる「アタッカー」、自陣に枕を運び入れる「サポーター」という4つのポジションがあり・・・とかなり本格的な「修学旅行の思い出」をスポーツ化したものらしい。これに全国準優勝を果たした我が放送委員会が参加をしたのだという。行きたかった。元校長(現理事長)の応援もあって、奮闘して予選を勝ち抜いたが、決勝トーナメントで敗退してしまい結果はベスト16。

 さすが市原中央高等学校生、色々なところで情熱を燃やし、楽しんでいる。頑張れ!

まる ICHをイメージさせた生徒の後ろ姿

9月29日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.109 あの印象のままだ

 ある学校行事に参加していて思い出したことがある。もう1年以上も前のこと。まだこの高等学校にこうした縁があるとは思っていなかった頃のことである。自宅近くに本校のバス停があって、毎朝そこからバスに乗って通学する女子生徒がいる。本校のあの青いバスに乗るので、ICHの生徒であることはすぐにわかった。私の関心を引いたのは、その生徒の後ろ姿である。すくっと背筋が伸びて、肩口まである髪が清潔感を感じさせる後ろ姿。そう、あの頃のこの生徒の髪はもっと長かった。そんなことまで今思い出した。
 よく結婚式の新郎新婦への祝辞の中で「今時珍しい・・・」を決まり文句に語る初老の上司がいるが、私はその時『へぇ、今時珍しい』を彼女に感じた。スクは「直く」「健く」、背筋がしっかりと伸びた心身の健康に結びつく言葉。健康な高校生然とした・・・。彼女のイメージは、そのままこの学校のイメージとして私の中に棲みついた。いい出会いであった。何の機会だったか、彼女は私との縁を覚えていて、「先生・・・」と語りかけてくれた。まだ幼い頃の出会いだったので、記憶の中で結びつくのに少し時間がかかった。さらに、後ろ姿の女子生徒と結びつくにはさらに時間を要した。
 この行事で、発言者の話を食い入るように聴いている後ろ姿をみて、遠い記憶の彼方に遠ざかろうとしていた、わずかな、そしてそれだけに大切な「印象」を思い出させてもらった。この学校は、あの時に、あの後ろ姿に感じたままの高校です。
 後ろ姿は正直で豊かな、深い「表情」を持っている。正面の喜怒哀楽を表現しうる姿と違って、後ろ姿は素直に語りかけてくる。例えば、弱り果てて泣きべそをかいている表情より、肩を落とした後ろ姿の方が、ずっと説得力がある。一目瞭然。表情で繕うことができないだけに、後ろ姿は無防備である。見られることに対する防御のないまま、見抜かれる危うさを持っている。後ろ姿は面白い。以前「正史」より「外史」の方が面白い、「正伝」より「外伝」が好きであると書いたことはあったが、同じくらい「後ろ姿」はいい。こんなことを考えさせてくれた、彼女に感謝しなければ。ありがとう。

 生徒がみんないい後ろ姿をしている市原中央高等学校、いいね。

! こんなにも嬉しいことは、久しぶりだ

9月27日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.108 外伝は、な・い・し・ょ

 今朝、嬉しいことがあった。一人の生徒が、絞り出すように「自分」を語ってくれた。あれはできることではない。いいなぁ。目の前にいるこの生徒は、偶然に今日、その機会を得たが、うちの子たちはみんなそうなんだよなぁ。生徒との会話が終わったあと、しばらく余韻に・・・。内容はもちろん内緒。しかし、こんな思いをすることは、こんなに嬉しいことはしばらくなかった。ありがとう。
 定期考査が終わって、歌声が聞こえる、友人とはしゃぐ声が学校中に満ちている。考査からの開放感は、彼らの情熱を表に出してくる。この日の午後、英語のスピーチコンテストが行われると聞いて、のぞいてみることにした。自慢ではないが、本校の「えいご」はちょっとしたものなのだ。途中廊下の学習コーナー(?・勝手に私が名付けている)で、3年の男子生徒が数名、集まって何やら・・・。原稿用紙を持っていたので、「おぉ、反省文か?」とからかうと、さすがもう3年生ともなると、校長のあしらい方もわかっている。「いやいや、いつもそうとは限りませんよ。直面している未来に向けての試行錯誤です」進路に関わる文章を書いていたようである。つまづいたら校長室においで、遠慮なく。

 いいひと時をもらった。ありがとう生徒たち。いい学校です、市原中央高等学校。

 英語スピーチコンテストに寄せて(校長)

 こんなに多くの諸君が、チャレンジしてみようという気持ちを持ってくれるだけで、校長としては、何もいうことなく嬉しいのある。私の高校時代から「スピーチ・コンテスト」と名付けられているが、本当は「コミュニケーションコンテスト」なんていう名前にした方がいいのではないかと思っている。
ただ暗唱した英語の上手さを披露したり、競ったりするだけでなく、もちろんそれも大切なのだが、どう動かせたか、聴衆の心をどう掴んだか。そのあたりもしっかりとできてほしいと考えている。
 右脳に働きかけ感じさせ、左脳で考えさせる。難しそうだが、テーマとして選んだ、与えられたものの中にどこまで入り込めているか。どこまでpassionを持って表現できるか、にかかっていると思う。
表情もそうだ。ボディランゲージもそうだ。楽しみである。この時が、喜びである。もうワンランク上のICH・Englishを目指してほしい。
 開催にあたり、尽力くださった先生をはじめとするみなさんに感謝の気持ちを持ちながら、全力で臨んでほしい。豊かな時を過ごしてください。期待しています

動物 クマとカッパに出会った

9月25日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.107 試験期間中の学校はつまらない

 ふいに世界から取り残されたような気分になってしまう、そんな経験は誰にでもあるだろう。台風の被害で学校のリズムが狂った。この時期の1週間、10日の季節の移ろいは早い。何よりも「秋の日はつるべ落とし」。あっという間に陽が西の端に隠れてしまう。季節と定期考査があることが、マッチしない。体内時計と合わないのである。それもあってか、部屋に一人でいると、何か寂しい。寒いぐらいの秋の風を感じながら、夏を懐かしむ。今の子は「釣瓶(つるべ)」なんてわからないだろうなと思い、清掃に来た男子生徒に聞いてみた。「つるべ」ってわかる?「えぇ、でも本物は見たことありません。おばあちゃんちに井戸があったけれど、あれ、なんて言うんですか?手で上下させる・・・そうそうポンプだったから」へぇ、ちゃんと分かってるんだ「つるべ」。他愛のない会話だが、こんな会話も楽しい。人恋しいのである。
 廊下に出ると忙しそうに、小走りに放送室に入っていく後ろ姿。放送室の前まで行くと「ふっ」と影が暗い凹みに吸い込まれていった。チョロっと頭を覗かせ、こちらを見るようにしてまたいなくなった。不思議の国のアリスに出てくるウサギのようである。こちらから壁の凹みに首を入れると、いた。思わず「君はクマ」と声をかけると、「はいクマです」と笑顔を作ってくれた。Vol95に登場したクマの撮影主である。400ミリの望遠で・・・しばらく写真談義に花を咲かせていた。
 週末から姿を見なかった教員が、「先生、うちの生徒すごかったです」と報告に来てくれた。話によると水泳の新人戦で、200メートル、400メートルメドレーに出場した女子生徒が、県でいずれも4位の成績をあげたのだそうである。200メートルは3位と僅差、「本当に惜しかったです」と我が事のように悔しがっていた。

 夢中になれるものを持っているって素晴らしいなぁ。クマもカッパも。いいね、市原中央高生!

花丸 高い評価・嬉しい視線

9月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.106 学習塾の学校説明会
 「難関高等学校フェア2019(高校受験の部)」と言う名の説明会(学習塾主催)のお招きがあった。「高校受験の部」であるから『偏差値や得点の話を詳しくしなければならないのか?』と思いながらも、用意したスライドは、本校の教育理念と概要。特に力を入れている2020年大学入試への取り組みや、新しくスタートするGLC(グローバル・リーダー・コース)の説明が中心になっている。ピントがずれていないかなぁ?プレゼンにはそこそこ自信のある私が、少し不安になった。そこに追い討ちをかけるように「先生、お久しぶりです」と数年前に校長として勤めていた学校の教え子が声をかけてくれた。この塾で働いていると言う。「先生のお話、楽しみにしています」と言われた途端、柄にもなく緊張した。
 全体説明の後には長蛇の列の個別相談会。私と担当職員の二人で、25・6名の説明に当たっただろうか。じっくり時間が取れずに申し訳ないと言う思いと同時に、ありがたいなと心から思った。質問も、生々しい点数化されたものではなく、「今日の話の中の5つのP、とてもよくわかりました。Peersって具体的にどんなところに見られるのですか?」「GLC魅力的なんです。学上で何が一番大切ですか?将来は・・・」といったものが多かった。すでに点数が何点取れると入れるかではなく、入って何が得られるかといったところに目が向けられていた。

 今、自分の行きたいという希望を持っている高校、うちでなくてもいい(できればうちであってほしいが)、行ければいいなではなく、「絶対に行くんだ」と言う気持ち、忘れないでください。素晴らしい中学生との出会いがあった。「うちの子」になってほしい生徒ばかりだった。

晴れ 久しぶりにはしゃぐ声を聞いた

9月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.105 生徒のいる学校が一番
 「人間贅沢をすると、後戻りができない」祖母がよく語っていた。心が満たされると、その満たされたもの以上が欲しくなる。満たしていたものがなくなると、ぽっかり穴が空いたようになる。台風15号の被害で臨時休業を続けていた本校は、そんな感じだったのだろう。当然あるべき、あって普通のものが目の前からなくなってみると、本当に辛いもので、あって普通のものがどれほど大切だったか気づく。授業の合間の休憩時間、昼休み、放課後、生徒たちの喧騒は、何重奏もの音楽のようなもの。映画「奇跡のシンフォニー」の主人公の少年が街に出て聞いた「音」はこんなものだったのかもしれない。ただうるさい雑音が、重なって重厚な心に響く音楽となる。11年間離れ離れになっていた絆を結びつける音楽の才能を持った彼の耳ほどではないが、天賦のものとまでも言わないが、長年の教員生活があそう感じさせるのだろう。生徒たちの喧騒は、我が力なり。

 生徒がいる学校って、やはりいい。生徒がうるさい学校って、とてもいい。

 写真は、試合の抽選結果を知らせに来てくれた野球部の二人。「21日は敬愛学園戦です。それに勝つと23日に・・・楽しみです」と笑顔で報告してくれた。「残念ながらどちらも仕事だ」と残念がると「予報では、どちらも雨です」「お前ねぇ」と掛け合い漫才をやっていた。初めて来た時より緊張がない。いいぞ、いいぞ。
 「先生、進路のトライアングル、やっているうちに変わったの、どうしよう。何かになるために学ぶのではなく、大学で学びたいものが見つかりそうなの」と、臨時休業前に書いたメモ書きを大切そうに持ってきた女子生徒。どうやら一歩あゆみを進めたようである。「そう、じゃぁも少し考えてみよう。今君が陥った陥穽(落とし穴)は、三つのリングで説明できる。ほらね、大学生活のトライアングル。円の交わりが学生生活なんだ。」といって説明を始めると、「そんな考え方初めてだ。面白い」といって、今日のメモも大切そうに持って帰った。また一歩進むのだろうか?楽しみである。

 ただ与えられるだけでなく、与えられたものを糧に成長してくれる本校生徒は、やはりすごいと思う。