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重要 今日から3日間・書道同好会書作展

2月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.161 みんな頑張っている

 木更津のイオンモールで開かれている書道同好会の書作展に早速伺ってきた。一年生も二年生も。
何日か前のこと、見知った2年生の男子が部屋を訪ねてくれた。2年には珍しく、よく部屋に来てくれるKくん。木更津総合高等学校との書作展の招待状を持って。「何を書いたの?」「漢詩、春を詠んだ漢詩の一説を半切に書きました」漢詩の内容をイメージできただろか。昔少しばかり書道をかじったことのある私は、K君と同じ歳くらいの時のことを思い出していた。井の中の蛙で、地域の書作展でもてはやされ天狗になっていた頃の自分を思い出していた。やがて大学に行って、見事に鼻をへしおられ、挫折した時のことも思い出していた。「楽しみ(play)」がなかったのだと思う。書いている時の充実や、喜び、そんなものをK君には感じて欲しいと思っていた。
 一年も頑張っているので来て欲しいという彼の誘いに、「行く、行く」と約束したものの、週末がなかなか難しい。通院の時間を少し早めて、思い切っってお休みをもらって行ってきた。ちょっと気取って、花を持って行ってきた。行ってよかった。同好会のみんなが喜んでくれた。始めてまもない者も、少し心えのある者も、一生懸命に「楽しんで」いた。

 また一つ、市原中央高等学校の生徒の魅力を発見した。いい「瞬間(とき)」を過ごしています。

音楽 私学吹奏楽大会の報告にきてくれた

2月7日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.160 インフルエンザで大変だったね

「先生、行ってきました!」と報告にきてくれたのは吹奏楽部の部長さん。モザイクをかけているのでよくわからないでしょうが、ちょっと丸みがかった黒い細い縁取りの大きめのメガネがとてもよく似合う。ややもすると知的な雰囲気が優先しそうなイメージを、温かく柔らかいものに変えて、とても素敵な感じなのである。(イメージからはドクタースランプの則巻アラレちゃん)予防のためにマスクをしていたので、最初は誰か?と思ったのだが、メガネとその奥のにっこり笑った目ですぐに分かった。手には大会の冊子と缶バッジを持って、報告にきてくれたのである。開催の直前にインフルエンザの流行で、1クラスが学級閉鎖になっっている。その中に部員が?気がかりで聞いてみた。「そうなんです。ホルンの子がいけなくなって・・・1年生を代わりに立てたのですが、結構間際だったので・・・」と苦労話をさらりと語ってくれた。さぞ大変だったろうに、「さらり」なのである。今ある現実をしっかり受け止めてやるべきことをやり遂げた爽やかさすら感じさせる。部長を務めているだけあって、キッパリとした決意がメガネの奥に光っていた。よくがんばりました。彼女が帰った後、インターネットで楽曲を探して聴いてみた「マードックからの最後の手紙」。驚いた。ホルンのソロパートが結構な長さである。これをやり遂げたのか?短時間で。「すごいなぁ」心からそう思った。素敵な報告をありがとう。

 また生徒の素晴らしさを実感した。市原中央高等学校の生徒の力の奥深さ。いいね!

右 大変なことだが その中で Part3

9月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.103 彼らから元気をもらえた


 TVのテロップに施設開放のニュースが流れる。ネット上では電力会社の記者会見動画。まだ完全復旧までには時間がかかる。復旧を待つ地域には、本校の生徒たちや教職員の居住地もある。不自由しているのだろうと思い、辛くなる。ある高校の校長が激励のメールを送ってきてくれた。この校長の学校では、やや無理をして学校を再開したが、出席は芳しくなかったと言う。しかし、登校して仲間と語らい合っている生徒たちの姿を見て、心から「いいな」と思ったと言う。通学手段さえ許せば、学校に来ている方がいい、できる限り努力をしたいとも語っていた。彼にも心配をかけた市原中央高等学校は、おかげさまで昨日(13日)の夕刻に、停電、断水が解消した。施設設備の安全点検を行なった上で、17日(火)の再開に向けて準備を整えたい。
 滅入った気持ちで部屋にいると、ドアをノックして「いま、よろしいですか」と声をかけ、2人の男子生徒が入ってきた。モザイクを入れた写真を見てもすぐにわかるように、野球部の生徒である。新しく主将、副主将務めている二人。もっと早く来ようと思っていたが、県大会出場を決めるまで顔を出しづらかったようだ。会話の行間にそんな思いを読み取った。荷物を取りに、野球場を確認にきた。覗くと校長室の奥に姿があったので挨拶にきたのだと言う。
 Vol.100に書いた「軸」の話を少し噛み砕いて話をしてみた。真剣に体を動かさず、目は私を凝視し、聞き入っている。人の上に立つことは難しいことだ。いや上に立ったと思った瞬間にその動きは終わったいるのかもしれない。何かの支えにあって力を発揮することは、人はできる。しかし、支えになって人を動かすことは、これは難しい。「あいつがいるから自分は120%の力を発揮できた」「あいつの心が失敗をエネルギーに変えてくれた」そんな存在に君たちがなってくれると、もっともっといいチームになる。3年生の先輩が、君たちの力を十二分に発揮させてくれたあの力以上のものを持てる二人であってほしい。素晴らしい同僚や、後輩たちのために。聴き終えた二人は声を揃えるように「ハイ」と大きな声で返事をしてくれた。彼らに語りながら、自分に言い聞かせているようでもあった。語り終えた後、滅入った鬱々とした気持ちが晴れた気がした。ありがとう、生徒たち。

 校長を元気にする生徒がいる学校、市原中央高等学校。

体育・スポーツ 「あらた」の意と「信」の重みを感じて欲しい

8月22日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.92 結果としての惜敗

  市原中央 000 000 000  0

  志學館  000 000 10✖️ 1

 立秋を過ぎた。正確には「立秋が始まり間も無く終わる」になるのだろうが、夏とはいえどことなく秋の気配漂うこの頃である。野球の秋季大会の始まり。こんな行事の始まりに秋の気配を感じる者もいるかもしれない。試合開始には少し遅れたが、応援に行くことができた。両校ともがっぷり四つに組んだいい試合展開だったと私は思っている。野球通の御仁は、「あの時のあのプレーが」とか「あの時の交代が」といった深い知識や洞察力で評価をなさるが、私にはよくわからない。ただこの夏の大会でベスト4に入ったそのメンバーを残してのチームスタート。その中に、今まで自分たちを支えていた糸が、今回の大会から変わったことを選手たちに気づかせくれる試合だったのではないかと、私は思っている。
 上手い下手、試合慣れ、術数に長けた試合運び。色々と言い方はあるかもしれないが、守備のうまさやバッティングの強さを本領発揮させてくれる「何か」の存在に気づいたはずである。『あれぇ?なんだ?この前までは繋がっていたのに』『えぇ?あのタイミングではアウトが取れたはずなのに』といった微妙なズレを生じさせている「何か」である。それが「信」だと私は思っている。これまで培ってきた本校野球部のチームにあった「信」とは、似て非なるものである「信」である。それが太くなれば「勝利」に繋がる。気づかずそのまま過ぎると「勝利」は遠のく。
 「新チーム」の「新」は、「あらたまる」(新しくなる)=「改まる」(変わる)ことである。自分たちの「信」、改まった「信」、ぜひ築いて欲しい。

 いい試合を見せていただきました。感謝。応援に来ていた3年生諸君、ありがとう。わざわざ駆け寄ってくれてみんなで挨拶をしてくれた。嬉しかった。やはり市原中央高等学校は、生徒が誇りなのである。

学校 生徒がいる学校が一番!

8月21日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.91 もう平常授業のように

 チャイムが鳴った。『チャイムの音色を替えたのか?』と思っていたら、夏季セミナー用の特別なチャイム。聞きなれない新鮮な気持ちで聞くと同時に、様子が見たくなったので、ぐるーりと学校を一回り。通常の授業なら、遠慮なく中に入っていくのだが、写真のような真剣な取り組みの様子に圧倒されて、外から覗かさせていただいた。「エェーっ、なんで。なんでなん?」数学科の若い先生(本校の卒業生)である。よく声が通るので、廊下の端にいてもすぐにわかる。声に誘われるように、教室の後ろから拝見。「ちゃうよぉ、それをこんな風に捉えるさかい、まちごうてしまうねん。」彼の生い立ち、経歴を知りたくなった。綺麗な嫌味のない、上質な(上品な?)関西弁を使う。関西人の私が言うのだから間違いない。それよりも何よりも、この先生の授業は「会話」が成立していることに驚きを感じている。数学の授業でここまでできる教員は珍しい。生徒もすごい。時を選ばず手をあげて、「先生・・・」と質問を投げかけ、納得するまで食い下がっている。「わからない」「理解できていない」ことを解決して「分かる」「理解できた」に変えるプロセスが、コミュニケーションで展開できている授業。これ、いいわぁ!きっとこの先生の授業では「わからない」を表明することにためらいはないのだろう。それと、「何がわからないのか」が分かる時空になっているのだろうと思う。夏休み明けにじっくり1時間拝見しようと思う。
 渡り廊下を歩いていると、硬式テニス部の部員たちが私に気づき、一斉に練習をやめて挨拶をしてくれる。この部活はここが大好きだ。礼儀正しくけじめがちゃんとついている。みんなの目がこちらを向いているので、ちょっと緊張しながら「暑いのによく頑張っています。雷鳴が聞こえたら、すぐに練習止めるんだよ」(う〜ん、もう少し気の利いた言葉があったろうに)
 廊下に貼られているインターアクトのポスターを発見した。通常の学校ではマイナーな活動体である場合が多いのだか、本校では結構メジャーな集団である。(意外と在校生はその活動の実態を知らないのかもしれない。ふとそう思った)「キャップ回収協力ありがとう!」ポスター。簡潔明瞭に書かれているのだが、必要事項が明確に示されている。「私たち(本校生徒たち)の活動結果」が数値で示されている。小さな一つの所作が、協力が、こんなに多くのこんなに大量の成果につながっている。それがちゃんと示されているのである。

141,298個(3,826kg)

 =ポリオワクチン9,823人分

 =61,887kgのCO2削減

説得力あるなぁ。海洋汚染のプラゴミ問題で言うと、そのまま3,826Kg/800万tの削減になっているのだよなぁ。

すごい。ちゃんとここまでできる生徒たちの活動(インターアクト)が、メジャーである市原中央高等学校って、すごい。みんなで考えてみませんかSDGs

重要 ついに待望のあの動画が公開された 要視聴

8月14日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.88 Nコン 創作テレビドラマ部門 準優勝作品

制作意図 一昔前では男性が上、女性が下という差別的な風潮、男尊女卑がありました。今では男女平等が当たり前の世の中になり、男尊女卑という言葉自体もあまり聞かなくなりました。しかし、僕たちの高校生活の中ではその男女平等を逆手にとった女子から男子への差別、女尊男卑を度々受ける時があります。男尊女卑ではなく、女尊男卑について知って欲しいという思いから創作しました。(「NコンWEB」より)

 ツイッターに放送委員会のつぶやきがあった。「今日Eテレで放映されます。見てくださいね。」ちょうど移動中で見ることができそうにない時間帯である。拝見したかった作品であるだけに、残念に思っていた。録画予約もしていない。心から申し訳なく思っていると、次のツイートには「NコンWEBで見て頂けます」とあった。早速拝見した。面白かった。本校の生徒の特徴がよく表現されている。もちろんこの動画の内容の「女尊男卑」=本校の特徴ではない。何気ない日常に自然に見られる光景や言動。それをちょっと皮肉って描いてみるとこうなるのかな。ちょっと面白スパイスを利かせるとこうなるのかな。その「皮肉って」や「面白スパイスを利かす」のさじ加減が難しい。下手をすると「お決まりのね」「なんだかベタつく展開」になってしまいがちなところを、それをさらりとやってのける力がある。そんなところが本校生徒の特徴なのである。見終わって「ある、ある」ちょっとした皮肉や中傷にも「ははは」と笑って済ませるかと思わせる。そうした展開が面白い。上の画像にリンクを貼っておいたので、百聞は一見にしかず、ぜひご覧いただきたい。下手なテレビのコント作家やお笑いライターよりずっとうまい。8分間という決められた時間に、よくこれだけまとめられたものだと感心している。いい瞬間(とき)を過ごしている。

 うちの生徒、力ある。またひとつ自慢が増えた。いいね、市原中央高等学校!

PS
人生の先輩から一言(男子=私)
  一昔前もふた昔前も、私が高校時代もこういう世界はありました。
  ある意味男女の機微の「核」を描いているのかも・・・。
人生の先輩から一言(女子=私の奥さん)
  よく見てるわねぇ。すごいわぁ!

晴れ 終わったのではない はじめの一歩を踏み出してくれたのだ

7月25日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.80 うなだれるな、上を向け
 ここ市原中央高等学校の幕開け宣言をしてくれたような日だった。
 誇りを持って欲しい。

 この試合の始まりを待つかのように梅雨が明けた。もくもくと湧く雲が、遅い夏の到来を急がせるように沸き立っている。やがて迎えた9回裏、最後のバッターは渾身の力を込めてバットを振り抜いた。観客席の誰もがその一振りに祈りを込めていたであろう。カメラの背後についたモニターの中に、私の後ろにいる生徒たちが、鏡に映るようにいる。両手を組み、胸の前で合わせ祈るように一瞬を見つめる生徒が映っている。まるで神の前で祈りを捧げるように。相手の内野手の投げたボールが、一塁手のミットに収まる。一塁ベースにスライディングした彼は、勢い余って回転して転がった。全てがスローモーションをみているように見えた。一瞬の静寂の後、応援席にいた生徒から拍手が起こった。健闘を讃える拍手である。
 ファインダーの中の彼は、まるで神前で懺悔をする男のように、片膝を立て下を向いている。右手は彼自身の胸にあてがっているようにも見えた。ハイスピードシャッターの数コマの中で、景色は確かに動き、時の流れを示しているのに、彼だけはそのまま止まっている。彼の姿、ファインダーに映った生徒の姿、まさにここは祈りの場であり、祈りの時である。若い情熱が、自然に一つになり大きなこの空間と、この一瞬を「聖なる地、聖なる時」にしている。球児たちだけではなく、それを支えた保護者をはじめ、様々な人々、共鳴した仲間、師、この瞬間(とき)を迎えるために関わった者たちの聖地となっている。
 彼の胸に去来したものは一体何だったのか。友と過ごした野球人生が走馬灯のように、脳裏を掠めたか。心を満たしていたのは哀愁か、充足か、達成か、誰にもわからない。彼本人にもわからなかったに違いない。きっと「空虚」だったろう。空っぽな状態だったのだろう。いま暑く照り輝く夏の太陽の下に、自分がいることの理由すらわからないほどの燃え尽きた心だったのだろうと思う。
 人はこんな心の状態を一生のうち何度も経験できるものではない。そして経験した者にしかわからない。「やりとおしました」「やり抜きました」と胸を張って言える瞬間(とき)の積み重ねを、「信」で繋がった友と一緒に繋いできた者だけに許された空虚だと思う。

     燃えたよ…
     まっ白に…燃えつきた…
     まっ白な灰に…
  「あしたのジョー」ラストシーンから

 この生徒たちと瞬間(とき)を同じくできることが嬉しい
 感動がある学校、市原中央高等学校 素敵です

晴れ ひと夏 燃焼した情熱

7月24日(水) ほぼ毎日校長 Vol.79 どのようにお礼を言えばいいだろう

人を感動させ、動かすのは容易なことではない。今君たちはそれをなした。
その者自身が情熱を燃やし、楽しみ、懸命になっていないと人の心は動かない。感動させることはあっても、共有する動きをさせること、共鳴させることはできない。
 夜の帳(とばり)が下りた校長室にやってきた、いつもの2人は、私の「ありがとう」という一言に、「はい、やりきりました」と答えてくれた。その言葉が言えるほどに燃焼したのだろう。情熱を燃やしたのだろう。それは、一塁側の応援席に集まった600名を越す生徒たちの感動と喜びの共有を生んでいた。
 背番号のないユニホームに身を包んだ者たちの叫ぶような応援。我がことのように歓喜し、感涙に頬を濡らす女子生徒たち。通路の中に出て、率先して体を動かす男子生徒の躍動。あの力は確かなものとしてグラウンドに届いていた。私は身短かに見せてもらった。そして一体化するエネルギーの帯をみた気がした。決して幻ではなかったろう。あの力を見せてくれた生徒たちに、心から感謝したい。
 ありがとう。市原中央高等学校。
 やはり、自慢は生徒たちである。いい学校です。

お知らせ やり切るだけ 創部初のベスト4   Vs市川高校 0-3

7月22日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.77 力が一つになる時

(昨日)試合が終わり、バックヤードで応援団の労をねぎらったり、保護者の方にお礼を行っていると、一人のお母さんが近づいてきて、「気にかけてくださってありがとうございます」と丁寧にお礼の言葉をいただいた。過日このブログに記した「気になる選手」のお母さんである。お世辞でもなんでもなく素直に「いい息子さんです」と心が言葉になった。「一緒に写真撮りましょう」誘われるままに一緒に集合写真「パチリ」スマホに残った写真を見て、心が一つになっているのを感じた。「明日もお見えになりますか?」問われ、申し訳ないと思いながら、球場での応援が無理なことを伝えると、「大丈夫、先生の分私たちが・・・」と応じてくださった。
 スタンドの大きな力は、確かにグラウンドの選手たちの背中を押している。親も兄弟も、OBもOGも、おじいちゃんやおばあちゃんの姿も見える。懸命の白球を追う選手の姿は、それぞれの心の投影なのである。彼らの悔しさは、我が悔しさ。壁を穿つ力を貸そう。一歩を踏み出す勇気を授けよう。友を思う絆を太くしよう。実際に手を貸すことはできないが、この声は、この一喜一憂する心の動きは、大きな「念」となって君たちの「信」を確かなものにしている。
 ここまできたら「やり切るだけ」頑張れ市原中央高等学校野球部!

写真は7月21日に行われたマリンスタジアムのものです

市川高校 000 000 000 
市原中央高校 002 100 00✖️  

 

お知らせ 始まったばかりだ Vs千葉学芸 4−6

7月21日(日) ほぼ毎日校長 Vol.76 マリンスタジアムが一体になった

千葉学芸高校 000 101 020 4
市原中央高校 010 110 30× 

準々決勝 Vs市川高校 ゼットエー12:30 


お知らせ 熱い夏がやってきた Vs柏陵高校 1−6

7月19日(金) Vol.75 よく頑張っている いいなぁ 市原中央

県立柏陵高等学校 000 010 000  1
市原中央高等学校 111 002 01✖️ 

 行けなかった。残念であるが、仕方ない。朝バスの中で挨拶した応援団・チアの生徒たち、吹奏楽部の生徒たち、本当にありがとう。今日は湿気が多くて大変だったろう。こんな曇天の高温多湿の状態は熱中症になりやすい。動いている選手たちより、スタンドの応援団の方が、その苦しみは多いのかもしれない。友のために、中央高校のために、本当にありがとう。
 私はどうやら「野球好きの校長」になっているようである。語学研修団の見送りに行くと、保護者の方が「野球、おめでとうございます」と口々に声をかけてくださる。「野球」=よく分からないけれど、みんなが一つになる瞬間を節のように持っているスポーツ?というところだろうか。何しろ若いエネルギーの爆発があるところ。そんなところに惹かれているのだと思う。プレーの経験はないが、一度部長を引き受けた経験がある。もう教頭職に就いていた頃のこと、事情あって選手の願いに首を縦に振った。朝早くから夜遅くまで練習をする熱心なチームだった。私は仕事柄早く出勤し、遅くまで電気をつけていた。何を勘違いしたか、主将と副主将がやってきて、「先生いつもありがとうございます。僕たちの練習に付き合ってくれて。感謝しています。お願いしてよかった」と慇懃にお礼の口上を述べ、栄養ドリンクを差し入れてくれたことがあった。後ろめたいような、嬉しいような。
 夢中になっている物を持っている若者の姿は、やはりいい。
 試合が終わって、自主練習をしている本校の野球部の近くを通った。後片付けを一生懸命している部員たちのそばを通った。手を休め、私の方をしっかり見つめて「こんにちは」と挨拶する。当たり前といえば当たり前なのだが、素晴らしい姿だと思う。
 「見えてきたな、自分たちのリズム。登りきれるまで登りきれ。一歩ずつ」
 大きな声で檄を飛ばしていた。彼らの情熱が心を高ぶらせているようである。

 頑張れ!市原中央高等学校球児たち、頑張れ!アルプススタンドで声を枯らしている仲間たち。
 心からエールを送る。

体育・スポーツ 1−8× Vs 磯辺高等学校

7月18日(木) ほぼ毎日校長 Vol.72 流れの掴み方がいい(らしい)


 「アレェ、校長先生、行かないんですか?」声をかけてくれたのはチアの生徒たち。「今日はね、お客さんがあって残念だけれどね。先生の分まで応援してきてください」朝のバスの中での会話である。来客対応が終わってスマホを見ると、1−0で負けていた。5回の表の守備。今から駆けつければ、間に合うかもしれない。いそいそと出かけていった。球場に着くと駐車場がない。うろうろしながらやっとの思いで駐車し、球場内に入っていく。間違えて一塁側に・・・。「あっ、市原中央は3塁側ですよ」入場券もぎをしていた野球少年が教えてくれた。『なぜ知っているんだろう?』と一瞬戸惑ったが、頭の上の帽子であることがすぐわかった。すでに回が進み、1対6のリードに変わっている。「逆転してくれました」保護者会のお父さんが駆け寄って歓迎してくれる。お母さんは冷たい飲み物で・・・。遅れてきたのに、本当にありがとうございます。試合の全体像は分からないが、とにかく勝っている。勝った。
 放課後清掃に来た吹奏楽の生徒が、「流れを『グッ』とと掴んで、一気なんです。ピッチャーもよかったんです」と投球の真似をして見せてくれた。「女子なのに野球のことよくわかるんだね」と褒めると「だって吹奏楽部ですから」(会話として成立していますよね)
  すこーし焦点がずれたところで成立する彼女との会話。ちょっとお気に入りです。

磯辺高校 100 000 00   1
市原中央高校 000 013 22×   

お知らせ 支え、支えられている喜び

7月15日(月・祝) ほぼ毎日校長 Vol.69 中庭で、昇降口で

  野球大会の初戦を2日後に控えた10日、昼休みに野球部と応援団の生徒が中庭に集まって、応援の披露をし、日頃の支援へのお礼と今回の応援のお願いをしていた。もうすでに応援の中心になっている野球部員の声は枯れ始めている。数日前から体育館ステージで放課後振り付けを練習していたチアの諸君の動きも徐々に揃ってきた。昼食を終えた生徒たちがベランダから顔を出し、挨拶の言葉に拍手を送っていた。ガラス張りのテラスでの円卓で昼食を摂っていた女子生徒たちは、箸を持ったままその光景を眺めている。「大きな音で、落ち着いて昼食摂れなかったね」と声をかけると、「魅入ってしまいました」「夢中なんですね」と仲間たちの熱い想いを感じ取っているようだった。

次の試合は

対 県立磯辺高等学校

7月16日(火)  ゼットエー球場  第一試合 9:00から

重要 11−5 Vs 木更津高等学校 part3

7月13日(土) ほぼ毎日校長 Vol.67 外伝(気になっていた生徒)

 一人の選手のことが気がかりだった。誠実な目をした彼は、しっかりと相手を見つめて話を聞くことができる。その視線と目の輝きをみているだけで彼自身の野球への取り組みの真摯さ、いや大きくは「生きる」ことへのまっすぐな姿勢を感得できる。好青年である。最後の試合『彼が報われる結果がでてほしい』と思っていた。彼のことである。たとえ自身にその結果が訪れなくても、チームのため仲間のために全力を尽くせるだろうとは信じていた。大会の少し前に練習試合で指を骨折した。痛い怪我である。肉体的にも精神的にも。察するに辛かった。
 対戦相手も決まった大会直前、挨拶に部屋を訪れた。先に書いたことを聞きづらかった。「とにかく全員野球で頑張ろう。一試合でも多く。決勝で兄弟校と対戦しよう」と声をかけておいた。「ハイ、ありがとうございます。応援お願いします」と応えたのち、しばらくして彼の方から「先生、僕はスコアラーとしてベンチに入れていただけます」と報告してくれた。「よかった」と心から思い、忘れられない教え子のことを語った。「私はその子のことが大好きた。誇りに思う。同じような教え子がまた一人増えたな」と締めくくった。彼と一緒に来ていた生徒の目に涙が浮かんでいた。頑張っても頑張っても結果として報われない者もいる。腐らず、焦らず、諦めず。現実をしっかりと受け止め前に進もうとする。そんな努力の人の存在がわかっているから、その辛さも背負いながら試合に臨める生徒たちである。
 人の痛みをわかる青年たち、その存在をリスペクトできる彼らは強い。力の限りを尽くしてほしい。それが自分自身への正直な姿である。
 今大会初戦の応援をしていて、ベンチを乗り出すようにしている彼の背中を見た。アルプススタンドで背番号のないユニフォームに身を包み、声の限りに応援する者たちの姿に間近で触れた。強くたくましく育っている。市原中央高校生、誇りです。

お知らせ 11−5 Vs木更津高等学校 part2

7月13日(土) ほぼ毎日校長 Vol.66 いかん、ここは敵応援団の真ん中だ

 試合全般は、安定しているとは言い難かったが、安心してみていることができた。彼らの壮行会で例のごとく「信」の話をした。野球ほど「信」を感じさせてくれるスポーツはない。チームプレーのスポーツの多くは同じことが言えるのだが、とにかくプレーの一つ一つに「信」を見ることができた。マウンドにいるピッチャーは殊の外そうだったと思う。全員野球ができている。いいチームだ。途中危惧していたことが起こった。木更津高校の底力が少し見えてきた。「くるぞ!」と思っていたダブルスチール。上手かった。わかっていても塞ぎようのないほどのうまさを見せつけられた。一回表の3点があったものの、このまま・・・とも思ったのだが、このチームの凄さはその流れを断ち切ったところにある。流れを引き寄せる、流れを掴む、流れに乗る、流れを断ち切る。簡単にいうが、どれも難しい。それをきっちりとできていたように思う。本当にいい試合を見せていただいた。
 背番号3の守備が光っていた(いるように見えた)。時折送球が乱れる仲間のボールを、懸命に体を伸ばしてキャッチする。一塁側のアルプススタンドからはネットが邪魔になって撮影が難しい。思い切って3塁側に行くことにした。雨を避けることができそなところは、もうみんな埋まっている。試合も大詰め、相手チームも気力に満ちたプレーをしている。7回以降の0−0の均衡がどちらも破れない。ファインダーを覗きながら、選手たちの検討に思わず声を出していた。ファインダーから目を離し、カメラを降ろした時に、視線を感じた。「いかん、ここは敵陣だ」と目深に帽子を下げようとして、気づいた。今日被っている帽子は、応援用に保護者の方らいただいた「C」マークの野球帽だった。

お祝い 11−5 Vs 木更津高等学校 

7月13日(土) ほぼ毎日校長 Vol.65

市原中央 311 600 000 11
木更津 020 030 000  5

 まずは、全校生徒の諸君、ごめんなさい。この「ごめんなさい」は期待に応えられなくてという意味です。おそらく状況をしっかり捉えてもらえれば、私が「中止」の決断を下したことは納得してくれるだろうと信じています。
 当日ZOZOマリンスタジアムは、弱雨。試合を中断するほどではないが、時折激しくなり、懸命にプレーする選手も、応援団の諸君もずぶ濡れになっていた。保護者の方が、レインコートを勧めてくださったが、お断りした。一つは、応援しているチアや吹部の諸君、スタンドで声を枯らしている野球部の諸君も雨に濡れているのに、という気持ちと、いま一つは、全校応援を中止した自分の判断の是を証明するような気持ちがあったのだろうと思う。持参したSASのベンチコートも持っていたのだが、『雨に打たれたい』とトータルな気持ちがそうさせたのだと思う。
 大勢の保護者の方、OB、一般の方々に応援されながら、両チームはいい試合をしていたと思う。かつて身を置いたことのある木更津高校。強いチームに向かう時、彼らは強くなる。不思議とそういう力を有している。同じくらいの実力のチームに、ポロリと負けるのに、なぜ、こんな力がどこにあったのかと思うチーム力を発揮するのである。それが出ないことを祈った。出させないためには、圧倒的な押さえ込むような勢いが必要である。権謀術数に長けた試合巧者である必要がある。内心ハラハラしながら応援していた。

晴れのち曇り インターアクトの生徒たちだったんだ

7月9日(火) ほぼ毎日校長 Vol.64 一生懸命

  放課後の時間帯に校内をぐるぐる回ってみた。本当に久しぶりに生徒の活気ある姿に触れることができた。ひと通り巡って、中庭を見ると2人の生徒が草木に水やりをしている。対角線上にいたので大きな声で声がけするのも申し訳ないと思い、廊下をぐるりと回って、教室の窓から・・・、あれぇいない。四角の一辺の反対側に姿を見つけたので、そちらへ向かった。生徒棟から職員室に向かう渡り廊下になっているところである。一歩踏み出して、また姿を見失っている自分に気づいた。あらら、今度はまた対角線にいる。水中に浮かぶ小さな紙片を両手ですくおうとして、するりとすり抜けてしまい、なかなかすくえなかった経験があるだろう。あんな感じだ。すり抜けて行けば行くほど、生徒たちが何をしているのか知りたくなる。『まるで鬼ごっこだな』と思いながら、待ち伏せ作戦を決め込むことにした。そんな私を見つけて大きな声で「こんにちは!」と声をかけてくれた女子生徒がいる。しっかりと足を止めて、相手を見つめ挨拶ができる。テニス部の女子である。「こんにちは」と返事をして、その時私の頭を支配していた興味と疑問の解決を、彼女に求めることにした。「インターアクトの生徒たちです。いつも水やりや雑草取りをして、ハーブを育てています」と爽やかな笑顔で紹介してくれた。彼女の爽やかさと、インターアクトの生徒たちの「いつも一生懸命」が相俟って、清々しい気持ちになった。部活を見にいく前に覗いた教室では、担任の先生の丁寧な面談がまだ続いていた。ありがたいな。

仲間たちが何をしているのか、ちょっと気にかけているのだろうか。あるいはその行為への感謝があったのだろうか。「インターアクトの生徒たちです。・・・」と即答してくれたテニス部のキミのすごさにも、後になって気づいた。いいね、市原中央生!自慢です。

体育・スポーツ 心から賞賛の拍手を贈ろう、頑張れ!中央球児たち

6月17日(月) ほぼ毎日校長 Vol.48 壮行会にお招きいただいた

 一人の教え子のことを思い出していた。大会に出場している全員が、守りからベンチに帰る時、彼の手を通って帰ってくる。ランナーを出し追加点を入れられた後も、ナイスプレーでゲッツーをとりピンチを切り抜けた後も、ナインは必ず彼の手を通過していく。3アウトのコールがあると、真っ先にベンチから飛び出し、大きな声で何かを叫びながら、両手をいっぱいに広げる。その手にナインは、タッチしてからベンチに戻る。バッターボックスに入る仲間を応援するのも彼が一番大きな声を出している。よく聞くと全てポジティブな言葉ばかりである。2年間しか見ていないが、ムードメーカーの彼が守備につくのを見たことがない。いつもベンチで大きな声を出している。チームの「信」は彼によってつながり、彼によって拡張され、強度を増していた。最後の夏の大会、ラストバッターとして打席に立った。私がフィールドの中で彼を見たのは、それが最初で最後だった。熱い一つの夏が終わった。試合後、ゲートの傍らで母親と抱き合って涙していた。「こんなのあり?・・・」応援のチアの女子生徒が呟いて、もらい泣きをしている。彼の球児人生には「外伝」があったのだろう。母と二人でしか感じあえることのできない、素晴らしい「外伝」があったに違いない。

一つ事に夢中になる者の姿は美しい。この日(6月15日・土)お招きいただいた本校の野球部の壮行会でも、子と親御さんの「絆」(信)を熱く感じた。いい壮行会でした。

2019年 熱い夏が始まる。「信は力なり」この夏を熱く駆け抜けろ!市原中央球児たち

まる 親睦と友情、つながり、そして奉仕へ

6月12日(水) ほぼ毎日校長 Vol.45 市原ロータリークラブの方々と

左から   平野 様 ・ 野口 様 ・ 日髙 ・ 篠田 様(新会長)

市原ロータリークラブの方々が、わざわざご挨拶に来てくださった。本校のインターアクトの生徒諸君が深い繋がりを持せていただいており、様々な活動への参加や支援を頂戴している。「ロータリークラブ」名前はよく存じ上げているが、私にとって決して身近な存在ではなかっった。「奉仕活動」「地域貢献」という用語がすぐに連想はされるが、恥ずかしながら実感として感じることは少なかった。新会長の篠田さんは、「会長を仰せつかるにあたり、『市原ロータリークラブかくあるべし』をまとめて見ました」といってA4版4枚にも及ぶレポートをご持参くださった。長年継続してきたマレーシアの交換留学生の話、9月に予定されている音楽鑑賞会の話などなど、ぜひ本校のインターアクトの皆さんにお手伝いいただきたいというお話をいただいた。ロータリーが「親睦と友情」を起首とし、やがて「つながりを築く」活動に、そして「奉仕」へと進んだ流れを実際に語っていただいているようなお話をいただいた。

本校のインターアクト、30名を超える生徒が熱心に活動していると聞いている。県下一位ではないのかな。数といい、質といい。市原中央高等学校、いいね!

驚く・ビックリ 悔しかったに違いない

6月1日(土) ほぼ毎日校長 Vol.40 よく頑張りました

午前中に保護者会の集まりがあった。ありがたいことに「ほぼ毎日校長」を読んでくださっている方が大勢いらっしゃる。「先生、真紅の優勝旗から・・・」「体調でも・・・」前任校でも3日休むと、副会長から電話があった。「はい、今校長は一番さびしい時を過ごしています(Vol38)」自宅の近所から本校に通っている生徒のおじいちゃんが、楽しみにしていると声をかけてくださることもある。とにかくありがたいと思う。頑張ります「ほぼ毎日・・・」

というわけで、「今週の土曜日試合があります」と誘ってくれたバスケットボール部の午前中の試合の応援には伺えなかった。午後一番に駆けつけると、午前中に試合のあった女子が私を見つけ「先生!ありがとうございます。1試合目勝ちました。これから男子、そして女子・・・」歓迎の言葉をかけてくれた。試験前で忙しいだろうに、若い先生が数名応援に来てくれている。自分のクラスの生徒が出ているのだという。生徒の思いに応えてくださっている姿に感謝である。結果は男子も女子も残念な結果に終わってしまったが、いい瞬間(とき)を共有させてもらった。自分たちの力が存分に発揮できなかったもどかしさが残ったかも知れない。でも流した汗は正直である。ともに過ごした日々に培われた絆は何にも換えがたいものである。しっかり見せていただきました。涙する君たち(女子)の丸めた背中を見て、私は、だらしなくも声がかけられなかった。悔しかったろう。でもこの時を悔しいと思えるだけ、君たちの日々は懸命だったのだ。そんな風に歩みを確認してみるのもいい。よく頑張りました。

終了間際に、足を捻ってしまったセンターさん、大事ないですか?