2019年5月の記事一覧

本 1册のノートから

5月16日(木) Vol.29 大切にしているんだ、大切にしてもらっているんだ

放送委員の1年生が教員に連れられてやって来た。何度か訪れてくれたようなのだが、タイミングが悪かったという。事務にいた教員が対応し、今日の日なら大丈夫という約束をしてくれていたのである。顔を見ると、昨日、東京大学・早稲田大学に一緒に行った生徒である。放送委員会に所属していて、NHKのコンクールにエントリーする取材をしているという。手に持った手帳、机の上にはボイスレコーダーがわりのiPhone。『すごいな、本格的だな』と思いながら、取材に応じていた。質問と回答。その中に彼が雑談風に入れる合いの手。ちょっと気になる話題は、自分なりに換言した言い回しで理解を確認する。物静かだけれども、口調に彼の強い頭を感じた。取材の間気になっていたアイテム(大切そうに使っているハードカバーのノート)について尋ねると「お気に入りなんです。父が買ってくれました」と答えてくれた。大切にしているんだ、そして大切にされているんだね君は。ふと自宅の机の引き出しに眠っている、何かの折にApple社から頂いたノートのことを思い出した。長い間使われることなく放置されている。彼の親子の「大切」が羨ましく、ちょっと介入したくなった。私の気まぐれで放置されているノートにも「大切にされる」時を過ごしてもらおうと思った。

君の高校生活は始まったばかり、いい瞬間(とき)を重ねて豊かに過ごしてください

? 5人のクマ子さんたち

5月15日(水) Vol.28 会話が楽しい

早稲田の見学を終えて、帰路につく地下鉄の中。一緒の車両に乗った5人の女子生徒が話しかけてきた。「校長先生、制服どう思います?」この婉曲的な言い回しの中に、肯定的な洞察を求めるかすかな意図が感じられる。(ねぇ君、何を話してるの、だからさ聞き取れないよ、もっと大きな声で、もっと大きな声で・・・[これが分かる世代には、それだけで状況を掴んでいただけるであろう])同じ場面には、教員生活の中でなんども出会っている。その度に「ただ可愛くしてほしい」「変えてほしい」という願望だけを聞かされるのだが、この子達は違った。願望とともに、理由と具体的解決案を持っていた。それに驚きながら、危惧されることを提示してみると、かなり包み込むようにストレートな表現を避けたつもりなのだが、ズバリこちらの真意を受け止め、「その辺りは、もうちゃんと自分たちで管理できると思う」という答えが帰って来た。「そうか、じゃあ変え方、変える手順はどうあればいいかという段階だね」「なるほど・・・」と会話しながら『すごいなぁ、真摯に受け止めてあげなきゃ』という気にさせる会話だった。

言葉のキャッチボールができる生徒っていいね

*念の為:彼女たちは早稲田大学で、クマの被り物を被ったわけではありません。ちょっとお遊びで画像処理をしただけです。念の為。

晴れ 輝いている目が眩しい 

5月15日(水) Vol.27 Ⅰ類・校外学習

心配された雨も去り、校外学習にとっては好天に恵まれた。訪問したのは東京大学と早稲田大学・慶應大学。午前中の東京大学では、大学内にある動物病院にお邪魔し、研究に当たっている皆さんの活躍の様子を拝見したり、魚類の研究をしている先生の興味に満ちた知的探求の実践に触れることができた。「東大はね、14トン/1月の海水を購入しているんです」淡水魚と海水魚の話、温泉トラフグ、第一線で情熱を燃やしている先生方の姿に直に触れた生徒たちの目は輝いていた。

笑う 支えていただいている実感

5月11日(土) V0l.26 保護者会総会

本当に大勢の保護者の皆様の参加があった。本校の教育活動へのご理解とご協力を強く感じた。お集まりいただいた保護者との協議からは「学校も、ソサエティ5.0社会の到来や、働き方改革関係法案の順次施行等、社会の大きなうねりの中で、教育活動推進がこれまでと同じでは済まされない難しい局面にある。今こそ学校、家庭が連携を密にして臨まなければならない時である。保護者会として協力を惜しまない」というありがたいメッセージをいただいた。本当に嬉しいことである。今後ともよろしくお願いいたします。ご挨拶の中で、たくさんの生徒が校長室に来てくれ、その数のべ80を超えることと、そこで交わされた会話、エピソードをお話しさせていただいた。全体の行事が終わり、部屋に帰っていると「こんな感じで覗いて行くんですね」と言って、ドアから顔を出してくださったお父さんがいた。「うちの息子にも来るように言っておきます」ぜひぜひどうぞ。その後正門近くに立っていると「◯◯中学校の教員です。先生のドーナツの穴のお話し伺ったことがあります」と声をかけてくださるお母さん。「覚えてないでしょうね。◯◯高校で教わった教え子です」という保護者の方。繋がりってあるんですね。懐かしくもあり、嬉しくもあり。一人ウキウキしていると、女子生徒が、「じゃあね」と言ってハイタッチをしていた。感じていた「つながり」を表しているように見えて、一枚撮影させてもらった。ほら、こんなにいい絵が撮れました。

イベント 望んでいた雰囲気なのです

5月10日(金) Vol.25 行きますよ〜、フードカルチャー同好会

校長室のドアを開いていると、時折甘いいい香りが漂ってくる。誰かが何かを作っている。それも「お菓子」。以前勤務していた高校で、服飾デザイン部と調理研究部がセットになった活動場所が、部屋の近くにあり、そこに集う生徒たちと随分仲良くさせてもらった。「先生、カレーパン!」「センセー、クリスマスケーキ。これはワンちゃん用」愛犬にまで差し入れをしてくれる生徒たち。お礼は、ファッションショーに言われるがままの格好をして出演すること。楽しかった思い出が蘇る。香りに誘われて、2階に上がると、いたいた、フードカルチャー同好会の生徒たち。すでに1年生も先輩と一緒に活動している。文化祭での出し物を制作実験中とか。みんなが笑顔で迎えてくれた。おまけに試作品の試食。美味しかった。お世辞抜きで美味しかった。「先生、お誘いしますから、また来てくださいね」嬉しい。餌付けされた野良猫のように、ゴロゴロ喉を鳴らしていたような心地よさである。

楽しくなければ学校じゃない。望んでいた雰囲気を実践している生徒たちがここにもいた。

グループ 打ち上げパーティではありません

5月9日(木) Vol.24 こんなに美しい気持ちを持っていただろうか

昼休みに男子生徒の一団が来た。「おや?珍しい」と思っていると、手にお弁当を持って遠慮がちに入ってきた。「いいよ、昼休みぐらいしか先生が捕まらないいんだね。ここで昼食摂ればいい」と声をかけると、持参した弁当を広げ、むしゃむしゃ食べ始めた。せっかくだから写真撮影。「あぁ、今日は母が手抜きだと言っていました」(それにしては豪勢なお弁当です)ふと高校時代のことを思い出した。隣の友人の弁当がやたらに豪勢で、卵焼きがふんわりしている。看護師をしていて、朝時間のない母が作る弁当は、のり弁か日の丸弁当。それでも美味しかった。ポツンとその事情を呟くと、一緒に昼食を摂っていた友人が、「これお前の分だって、お袋が」と言って、翌日ふんわり卵焼きを持ってきてくれた。嬉しかった。何日かに一回、自分と同じおかずを持ってきてくれる。遊びに行ってお礼を述べると「喜んでもらえたら・・・」という、おばさんの言葉を遮るように「俺が作れって言っているんだ」と友人が言葉を挟んだ。今でも付き合いがある。お母さんはなくなったそうだが。彼らの弁当で、いい思い出を思い出させてもらった。

「で、来たからには、何か目的があるのだろ」と問いかけると、如何ともしがたい、やるせない思いを語り合っているうちに「そうだ校長に聞いてもらおう」という気になったのだという。(内容は彼らと私だけの秘密)一緒に高校生活を送って来た仲間に有終の美を飾らせたい。大きな壁があるし、それはどうすることもできないものであることも自覚している。『しかしなぁ・・・』何がどうなるわけではないが、聞いてくださいよ。堂々巡りの思い。同じ場所をくるくる回るメリーゴーランドのようなもの。話を聞いていて、そんな彼らが羨ましかった。「いい経験しているよ。だでれもできるものではない。私が何をしてあげられるわけではないが、『だめ』という結論を出してしまっているものにチャレンジしてみればどうだろう。互いのつながりや思いを確認するためにも。結果として『だめ』であっても、この『なかま』『ともに』はより強い『絆』となるのではないか」というほどのことを語った。いいアドバイスになったかどうかわからないが、リーダー格の生徒が、「やってみるか。ダメだったらごめんな。」と渦中の友人に語りかけていた。語りかけられた生徒は「ありがとう」とつぶやいている。高校時代に、こんな美しい気持ちを持っていただろうか?

市原中央高等学校生徒の保護者の皆様、お子様はいい成長していますよ。いい学校です。

雪 ここには100点達磨がいた

5月8日(水) Vol.23 創立来生徒を応援してきた

朝の打ち合わせが終わって、担任の先生がHRに向かう。外を眺めると、快晴の空に山々の新緑が眩しかった。爽やかないい朝である。一人の先生が、眺めている私の様子をみて「いい天気ですね」と声をかけてくれた。ささやかな一言だが、こういう会話って大切だと思う。校長室にきたある先生が、私の文章を読んで「言霊」の話をしてくれたことがある。『読んでいてくれたんだ』という嬉しさと、コトダマというもう古語になった語句を共有できる喜びを感じたのだが、今朝のこの先生の言葉にも「コトダマ」が宿っていたようである。いい朝、いい一日の始まり。校長が難しい顔をしていては、学校が暗くなる。いい1日になりそうである。声がけをくださった先生が思い出したように、「校長先生、ご存知ないかも知れませんが、本校には100点達磨がいるんです」といって、足元の引き出しから、手のひらサイズの達磨を出して見せてくれた。各考査のテストで、100点満点を取った生徒に贈られるものだという。創設者の故・真板益夫先生が考え出したものらしい。「頑張っている姿は美しい」少しの励みになればというお考えであったに違いない。毎年ダルマ獲得に意欲を燃やす生徒もいるという。1年生諸君、初めて聞く話かも知れないが、ぜひ狙ってみてはいかがですか。つまらないことでも夢中になるpassionって大切ですよ。

重要 南の海での経験を話そう

5月7日(火) Vol.22 たった一度の経験が命を救う

避難訓練が行われた。様子を拝見していてますます「うちの子」が好きになった。担当の先生が、放送を入れ、避難を開始してからのタイムを図っている。「昨年度は8分30秒くらいでした。今年は7分15秒です」競い合うものではないが、訓練とはいえこの時間で1000名近い人が移動を開始し、整然と整列を完了できる。すごいことだと思う。さて、校長の出番である。実は連休でこの行事を忘れていた。(告白、申し訳ない)当然、講評を忘れている。南の海での貴重な経験を話すことにした。新聞委員の諸君、原稿が遅れてごめんなさい。

1分前の話が人の命を救った

南の海が好きで、年に何回も海に出かけていた。趣味の水中写真を撮影することが目的である。インド洋の小さな島で出会った日本人の若者のこと。彼は経験が豊富らしく、船の上で懸命にレクチャーをしてくれる。はるかに経験の豊かな私は、少しあしらうように彼と話をしていた。移動中のボートの上でウェイトをつけるのはよくない。そのまま落ちると、死が待っている。そんな話になった。「その時はね。こうやって・・・」と実演をして、対処方法を彼に説明して間もなく、大きな波を受けたボートがぐらりと揺れた。すでにポイント近くに来ていたので、私と話をしていた彼もウェイトをつけている。二人とも海に転落した。透明度の高い真っ青な海の中で、私より数メートル先を彼はどんどん沈んでいくのが見えた。数メートル潜ると、水圧でウェットスーツが縮む。加速をつけて、落ちるように潜行していく。苦もなくウェイトを外した私の脳裏に、若者の「死」が浮かんだ。『覚えていてくれればいいが・・・』なすすべなく浮上した私から15メートルほど離れたところに、数秒遅れて彼が浮かんできた。咳き込みながら「ウェイト、ちゃんと外せました!」と彼が叫んでいる。

彼と船上であの話をしなければ、一回の会話による疑似体験が彼になければ、命を落としていたかも知れない。訓練や練習とはそういうものだと思う。ことさら意識はしないが、自分の体は学校の机に入りづらいのだとか、この経路を使って避難場所にいくのだとか、一度実体験しておくこと、イメージしておくこと、それが命を救う。私のような経験をするものは少ないかも知れない。何事もないに越したことはない。しかし、有事に自らを救うのはこうした事前の経験なのである。その「訓練」に真摯に、静かに臨めた君たちは素晴らしい生徒たちである。