2019年5月の記事一覧

視聴覚 ちょっと楽しみな活動

5月31日(金) ほぼ毎日校長 Vol.39 ドキュメント番組を作る

演劇を志す若者には独特の雰囲気がある。うまく表現できないが、どこか浮世離れしたような、俗人にはない個性が伺えたりする。私の中での日常の彼らは大抵、ぼんやりとしていることが多い。科学に思いふけるばかりに道を踏み外して、溝に落ちてしまったり、壁にぶつかってしまったり。日常に戻るために「叩き役」を連れて歩く天空の城ラピュータの住民(ガリヴァ旅行記)を思わせる。私の印象なので失礼があってはいけないが、多くの演劇に関わる教え子たちがそうであったように思う。彼らのすごいところは、舞台に立って「役」を演じると、豹変してものすごいエネルギーを発するところである。舞台で演ずる役者だけでなく、裏方の者たちもそうである。芸術家やアスリートたち、一つことを極めたものたちも同じような空気を持っている。全ての緊張から自分を解き放った時を過ごしながら、舞台やトラックに立つ、キャンパスに向かう「一瞬」に爆発的な力を発揮する。この日部屋を訪れてくれた3人の放送委員にも同じものを感じた。「僕は、私は、こういうものを音で表現したいのです」と熱く語る。その表情や仕草、目の輝きに、ハイレベルな芸術家の血を見たような気がした。大人の尺度では「それ、相当無理があるよ」「現実を見つめて、諦めるなら早いほうがいい」と言ってしまいそうなものであっても、彼らの語りに裏打ちされると、「いいねぇ、面白いかもしれない」と逆に価値観を改めさせられる。NHKの放送コンテストにチャレンジするそうだ。ぜひ頑張ってほしい。

本校の生徒たちは、想像していたよりワンランク上にいるのかも知れない。いいね了解

困る 校長先生は寂しい(>_<)

5月30日(木) ほぼ毎日校長 Vol.38 あーとで

写真は放課後の職員室前廊下。試験前に限らないが、大勢の生徒たちの学びの壁になっている。廊下の壁際にズラっと長机が並べられて、質問のある人は目的の先生を呼んで、指導を受ける。本校の日常的な光景である。試験前はいつも満員で、空気もピリピリしている。いつもも見慣れた顔がいる。「あっ、先生こんにちは」と言ってすぐに机に向かう。『おーい、それだけか?』いつもなら、ねぇ、ねぇ先生、と話しかけてくれるのに、ここのところ冷たい。一様に冷たい。「あーとで」なのである。幼い頃、友人の家を訪ねて「◯◯ちゃん、あーそーぼ」と声をかけると、「はーい、今行くヨォ」と声を返してくれるのに、その日に限って「あーとで」。なんとも言えない寂しさを感じた思い出が蘇ってくる。校長先生は、さびしいのである。早く考査が終わらないかな。

背中からも緊張を感じさせる本校生徒の勉強する姿勢、いいね。

体育・スポーツ 深紅の優勝旗が校長室に来た?

5月27日(月) ほぼ毎日校長 Vol.37 応援に行けなかった

  長い電話の対応をしていると、ドアをノックして野球部のいつもの2人が入ってきた。もちろん内側からの「どうぞ」に応えての入室であるが、まだ左手に受話器のある私の姿を見て、「失礼しました」と出て行こうとする。急ぎ受話器をおいて、入ることを促した。手には「優勝旗」が持たれている。「報告がてらきました。東海大望洋に勝ち、優勝しました。ここに置かせていただいていいですか」その報告を聴きながら、副キャプテンの右手に、私の視線は注がれていた。薬指に包帯が巻かれている。「どうした?」という問いに、試合中に打球が当たって骨折したと説明しながら、うつむいている。「夏の大会前に、最後の大山場の前に・・・」その言葉に、大きな大きな体が、小さくなったように見えた。言ってはならない言葉だったかもしれない。自責を受け入れるように「他のことではなく、野球でなら納得もある」とわけの分からぬ繕いをした。うつむいていた顔をあげて、「その時までに治します」と、笑顔ではっきりと応えてくれた。君が一番気にしていたであろうことを言ってしまってごめんなさい。空気を読むようにキャプテンが「先生、逆転なんです。接戦を制しました」と昨日の試合の報告に話題を転じてくれた。痛々しいほどの気遣いである。嬉しいね。聴くと下のような結果である。こうした接戦を制することができるのは、この夏に向けていい力をつけてきている証拠だと思う。

頑張れ!市原中央球児たち。

市原中央 210 040 100 

東海望洋 240 001 000 7

先日の吹奏楽部定期演奏会、大勢で駆けつけてくれたこと、感謝します。ありがとう。

グループ ニライカナイから神がくる夜

5月24日(金) ほぼ毎日Vol.36 信頼されることを教えてくれた少年

生徒会役員選挙の立会演説会があった。先駆けて生徒会長の「◯音さま」が部屋に来てくれた。今日校長講話よろしくお願いしますということと、立会演説会に触れるような内容であってほしいというお願いである。『難しいなぁ・・・』と思っていると、察したのか「そうですね、前回の終わりが、『次回は、信頼を教えてくれた少年の話をしよう』でしたものね」ちゃんと聞いていてくれたのですね。案の定、無理やりこじつけの講話になってしまった。

校長講話

南の小さな、小さな島の話である。その島では夏の初めに、ニライカナイから神々を迎える秘儀の祭りがある。島民以外は全て島外に出して行われる、写真撮影はもとより、筆録も許されず、見たことは語ってはならないタブーがある。まさに秘儀である。その祭りに招かれた。長老の家で紹介され許された私は、招いてくれたオジイが案内係に付けてくれた少年に導かれて祭りの場に向かった。真っ直ぐ続く細道の向こうに、こんもりと茂った森がある。神々の宿る杜(もり)であるらしい。太鼓と木を打ち鳴らす音が聞こえ、2柱の神が現れた。赤い顔の神と黒い顔の神。夫婦神である。「ねぇ、あの神様は夫婦なの?」少年に尋ねると、少し考えた少年は「おじさん、おじさんはいい人だからね、教えてあげる」と言って「夫婦神であると教えてくれた。赤い顔の神さまが女神で、黒い顔の神が男神。勝手に自分の中に出来上がった基準で少年に語りかけると、「違うよ、おじさんはいい人だから教えてあげる。一日中海で釣りをして、日焼けで真っ赤なのが男。かまどの灰を被って真っ黒なおが女の神。」興味津々で少年に尋ねるたびに、彼は枕詞のように「おじさんはいい人」を繰り返す。聞いているうちに私は心が浄化されて、どんどんいい人になっていく。人に信頼されることの喜びをこれほど純粋に感じたことはない。信じることも難しいが信じられていることを実感することはさらに難しいかもしれない。「信」という万有引力のような人の繋がり。大切にしてほしい。立会い演説で、自分たちの学校生活の心臓部を担う労を買って出た仲間との「信」をしっかり確認してほしい。

ところで、話に出た少年は、言葉の前になぜ「おじさんはいい人だから・・・」と必ず言ったのだろう。宿題です考えておいてください。

 

晴れ 君たちのことを忘れていないぞ

5月23日(木) Vol.35 訪問者はこれで何人目だろう、嬉しい限りです

まだ2ヶ月も経たないのに本当に多くの生徒が訪れてくれた。複数回来てくれた生徒も含め、延べ人数で100名は超しているだろうと思う。何がきっかけだったのか、集会の挨拶で「遠慮なく来てください」と言ったのかな?写真を必ず撮影させていただくことにしている。

 A  「カンバック!先生、ただいまぁ〜」の清掃担当の女子生徒たち。一緒の写真がないねという話になり、自撮りで撮影してくれた写真。とにかく彼女たちが来るだけで、部屋がパッと明るくなる。少々ブルーな気分でも、元気が出てくる。5月13日撮影

 B  「ねぇ、本当にやるの?」何かが始まるらしい。ドアの前の廊下に4人の女子生徒。中の一人が「うっ、うううっ」と言ってうずくまり、「先生っ!、これ」と言って、胸元からゴム製の心臓を取り出している。「もう10回以上やっているんです。誕生日プレゼントにもらったとかで・・・」ぜひ校長にも見せようということになったらしい。結構、楽しかったよ。4月18日撮影

 C 「今度、応援はこれでお願いします」野球部のキャプテン、副キャプテンである。応援用のTシャツを作ったので、校長にもぜひと保護者会の方々からの心遣いなのだという。この場をお借りしてお礼申し上げます。熱い夏が始まる。3年生の君たちは、あと何日みんなと野球ができるんだろう。高校球児としていられるのは何日間だろう?もちろん、甲子園の決勝の日までだよ。5月9日撮影

 D このパターンは珍しい。クラスの代表でやってきた。文化祭での企画にアドバイスがほしいという。彼らの考えた企画に、私が詳しいという情報が入ったらしい。ちっとも詳しくないのだが、聞いてみると、とにかく面白い。創造性があって、主催側も来客側も楽しめる企画である。ここまで考えられるのはすごいと思う。なんとか実現させてあげたくて、こういうスパイスを利かせばどうだろう、隠し味は・・・。逆に混乱させてしまったかな?5月16日撮影

ピース 激しい動きの中につながりを感じる

5月22日(水) Vol.34 バスケットボールの試合 5月19日(日)県立市原八幡高校にて

バスケットボールは、「ど」がつくほど素人である。ルールも流れもわからない。そんな私が(観戦するのに)好きなスポーツとしては、一番に挙げるスポーツである。まだ若かった頃、このスポーツの部活動顧問がいないというので、白羽の矢が立ったことがある。早速挨拶に来てくれた男女のキャプテンから「先生はバスケットの顧問が初めてとお聞きしました。二人からのプレゼントです」と言ってビデオテープをいただいた。NBAの試合を録画したもの。後日彼らが「ベンチに入っている監督はみんなスーツ姿でネクタイを締めていた。先生にもそうあってほしい」(女子キャプテンがクスっと笑った)ちょっとした、からかいなのである。その気になってスーツにネクタイで公式戦の監督に出向いた。どのチームを見ても、スーツを着てネクタイを締めている監督なんていない。『やられたぁ』と思ったが、顧問である間中その姿を貫いていた。もう40も半ばになるキャプテンが我が家を訪ねてくるたびに、笑い話にしている。

こんな出会いのあるスポーツだから、応援に行くのも楽しみにしている。この日男女の試合が行われたが、午後に吹奏楽部の演奏会が控えていたので、途中で失礼した。「躍動」という言葉が似合う。コートの中で激しく動く選手たち、ベンチで大きな声で指示する顧問。激しい動きの瞬間(とき)の中で、確かに心のリレーションがあった。

市原中央高等学校バスケットボール部、ファイト!

笑う 誰もこない日もある (T_T)

5月21日(火) Vol.33 やはり来てくれた

1日バタバタしていた。昼時も部屋にいることができず、放課後の時間も来客対応でドアがしまっていることも多かった。『これじゃ、生徒たちが来てくれても・・・』と少し残念に思いながら書類整理をしていると、「先生!カンバック。ただいまぁ〜」と言って清掃担当の女子生徒が入ってきた。彼女たちは私にとって、「空気」のような存在になっている。あることが当然のように思っているが、なくてはならない存在なのである。仕事をしながら、彼女たちは清掃をしながら、自然に会話を交わしている。「この掃除機とっても使いやすいです。ありがとうございます」と、私が持ってきた使い古した家庭用の掃除機のお礼を言ってくれる。茶道部に所属している一人から、部活を訪ねてほしい、きっとみんな喜ぶと思うとお誘いをいただいた。ぜひぜひ伺います、その時にはよろしく。「ほら、いらっしゃる」清掃担当の生徒が帰って間もなく、放送委員会の生徒が入ってきた。どうやら何度か訪ねてくれたようなのだが、申し訳なかった。3年生の二人。放送コンクールの作品づくりへの協力依頼である。金曜日の放課後に訪ねたいので、今日はアポ取りだけ。せっかく来たのだからと無理やりお付き合いいただいて、粗々の構想を聞いた。これまたすごい企画である。妙に奇をてらって無理を承知という安っぽいものではない。身の丈に応じた、そしてちょっと難易度の高い「挑戦」が感じられる企画である。話の中で「オノマトペ」(擬音、擬態音)のことを話した。二人ともこの語彙があった。目の前に座っている生徒たちが「すごい」を感じさせた。いいね。金曜日楽しみにしているよ。

音楽 魂のシェア・外伝

5月20日(月) Vol.32 まだ冷めやらぬ余韻

疲れているのに眠れない。興奮が目を冴えさせている。そんな夜を過ごした経験は誰にでもあるだろう。しばらくの間忘れかけていた、若い血潮の躍動。一つ事に夢中になっている者のもつ尊厳。よかった、素晴らしいステージだった。「本当にすごかったですね」見知る人が語りかけてくれる。見送りの列を作った吹奏楽部員の背中が、またひとつ大人になったようにも見えた。顧問の先生が、さぞ疲れているだろうのに、わざわざ歩み寄って来て、慇懃にお礼を述べてくださった。お疲れ様、そしてありがとう。心からそう述べたい。

   「魂のシェア」という言葉は、一人のアメリカ大陸の先住民の血を引く若者が教えてくれた。シルクドソレイユの「トーテム」に出演している。中休憩の混雑する待合室のモニターに彼が映し出される。「血を引く」が直ちに感じられる浅黒い、私たち日本人に似た顔つき。モニターの中の彼は語る。私が祖先の人々がそうしたように、神々との交流の所作を舞台で演ずる時、それは見世物として(ショー)として演じているのではない、我が民族の「魂のシェアである」と語る。この言葉を語らせる背景には、筆舌に尽くせぬ苦悩に満ちた日々があったに違いない。踊りながら「我が魂の尊厳何処に・・・」と考えたかもしれない。時にはあらぬ言葉に傷ついたかもしれない。自分に言い聞かせるように語った言葉かもしれない。しかし私には説得力があった。生徒の奏でる音に涙するのは、熱く駆け抜ける青春の魂の躍動がシェアされているからだ。この日お越し下さった皆さんもきっと琴線を慄わす「何か」をお感じになったことであろうと思う。

市原中央高等学校の生徒たちに、喝采。

音楽 熱く駆け抜ける3年間の魂のシェアである

5月19日(日) V0l.31 第10回 吹奏楽部定期演奏会

 本日はご来場ありがとうございます。ようこそ市原中央高等学校吹奏楽部定期演奏会へ。
 突然ですが、皆様は音楽に涙されたことはあるでしょうか。私には、はっきりと認識できる経験が一度だけあります。ある高校に勤務していた頃のことです。早朝も夕刻の遅い帰りも、ほぼ同じ時刻になる吹奏楽部の部長が、関東大会出場の楽曲が仕上がった、ぜひ私に聴いてほしいと誘ってくれた時のことです。素人にもその難しさがわかる楽曲を披露してくれ、聴いているうちに涙がこぼれてきました。もちろん初めての経験です。気付くまでにそれほど時間は必要ありませんでした。部員たちのこの音を生み出すまでの強い意志と忍耐、向上心そして支え合う力、それらの総和が楽曲を通じてシェアされているのでした。それが涙腺を刺激しているのです。
 着任して日が浅いのですが、本校吹奏楽部の諸君の日頃にも、既に同じものを感じています。今日のこの時空が設けられることに感謝し、聴く者の琴線を大いに刺激してください。ご来場の皆様、生徒たちの奏でる音にきっと感動していただけけることでしょう。それだけ本校の吹奏楽部の音は上質です。ぜひ彼らの熱く輝く「瞬間」(とき)に、喝采をお願いします。

パンフレット巻頭のあいさつから

了解 Global・Leader育成中(英語コース)

5月17日(金) ほぼ毎日Vol.30 4つのPと3つのリーダー資質

米・マサチューセッツ大学のMITラボの所長は日本人・Joiである。彼は「クリエイティブな学びには4つのPが必要である」と唱え、それを実践している。Project・Peers・Passion・Play。このプログラムにはその全てが揃っていた。そして育成には難しいとされるリーダーシップの三要素「率先垂範」「同僚支援」「方向性の指示」が見事に個々の生徒によって表出された時間が過ごされている。担当の先生から「3年間の集大成です。ぜひ」というお誘いをいただき、のぞいてみた。市原中央高等学校の英語コースは、単に英語を学びに来るところではない。これから生きていく社会において、求められる力(グローバルリーダーシップ)の育成と必須言語としての英語、その学び融合にもっとも価値があることがわかった。見事に目標設定と段階を踏んだ学びが企画されれいる(Project)、机に向かってチョークアンドトークの一方的学びでなく、主体的協働的な学びの仕掛けが随所にある(Peers)、夢中になったことがよくわかるプレゼン(Passion)、プログラムの間中笑顔と笑いが絶えない(Play)素晴らしい瞬間(とき)を過ごしている。

また一つ本校の教育の素晴らしさに触れた。そしてやはり一番の自慢は生徒であることを確認した。

*来春、本校の英語コースは、その学びにふさわしい「GLC(グローバル・リーダー・コース)」に変わります。

本 1册のノートから

5月16日(木) Vol.29 大切にしているんだ、大切にしてもらっているんだ

放送委員の1年生が教員に連れられてやって来た。何度か訪れてくれたようなのだが、タイミングが悪かったという。事務にいた教員が対応し、今日の日なら大丈夫という約束をしてくれていたのである。顔を見ると、昨日、東京大学・早稲田大学に一緒に行った生徒である。放送委員会に所属していて、NHKのコンクールにエントリーする取材をしているという。手に持った手帳、机の上にはボイスレコーダーがわりのiPhone。『すごいな、本格的だな』と思いながら、取材に応じていた。質問と回答。その中に彼が雑談風に入れる合いの手。ちょっと気になる話題は、自分なりに換言した言い回しで理解を確認する。物静かだけれども、口調に彼の強い頭を感じた。取材の間気になっていたアイテム(大切そうに使っているハードカバーのノート)について尋ねると「お気に入りなんです。父が買ってくれました」と答えてくれた。大切にしているんだ、そして大切にされているんだね君は。ふと自宅の机の引き出しに眠っている、何かの折にApple社から頂いたノートのことを思い出した。長い間使われることなく放置されている。彼の親子の「大切」が羨ましく、ちょっと介入したくなった。私の気まぐれで放置されているノートにも「大切にされる」時を過ごしてもらおうと思った。

君の高校生活は始まったばかり、いい瞬間(とき)を重ねて豊かに過ごしてください

? 5人のクマ子さんたち

5月15日(水) Vol.28 会話が楽しい

早稲田の見学を終えて、帰路につく地下鉄の中。一緒の車両に乗った5人の女子生徒が話しかけてきた。「校長先生、制服どう思います?」この婉曲的な言い回しの中に、肯定的な洞察を求めるかすかな意図が感じられる。(ねぇ君、何を話してるの、だからさ聞き取れないよ、もっと大きな声で、もっと大きな声で・・・[これが分かる世代には、それだけで状況を掴んでいただけるであろう])同じ場面には、教員生活の中でなんども出会っている。その度に「ただ可愛くしてほしい」「変えてほしい」という願望だけを聞かされるのだが、この子達は違った。願望とともに、理由と具体的解決案を持っていた。それに驚きながら、危惧されることを提示してみると、かなり包み込むようにストレートな表現を避けたつもりなのだが、ズバリこちらの真意を受け止め、「その辺りは、もうちゃんと自分たちで管理できると思う」という答えが帰って来た。「そうか、じゃあ変え方、変える手順はどうあればいいかという段階だね」「なるほど・・・」と会話しながら『すごいなぁ、真摯に受け止めてあげなきゃ』という気にさせる会話だった。

言葉のキャッチボールができる生徒っていいね

*念の為:彼女たちは早稲田大学で、クマの被り物を被ったわけではありません。ちょっとお遊びで画像処理をしただけです。念の為。

晴れ 輝いている目が眩しい 

5月15日(水) Vol.27 Ⅰ類・校外学習

心配された雨も去り、校外学習にとっては好天に恵まれた。訪問したのは東京大学と早稲田大学・慶應大学。午前中の東京大学では、大学内にある動物病院にお邪魔し、研究に当たっている皆さんの活躍の様子を拝見したり、魚類の研究をしている先生の興味に満ちた知的探求の実践に触れることができた。「東大はね、14トン/1月の海水を購入しているんです」淡水魚と海水魚の話、温泉トラフグ、第一線で情熱を燃やしている先生方の姿に直に触れた生徒たちの目は輝いていた。

笑う 支えていただいている実感

5月11日(土) V0l.26 保護者会総会

本当に大勢の保護者の皆様の参加があった。本校の教育活動へのご理解とご協力を強く感じた。お集まりいただいた保護者との協議からは「学校も、ソサエティ5.0社会の到来や、働き方改革関係法案の順次施行等、社会の大きなうねりの中で、教育活動推進がこれまでと同じでは済まされない難しい局面にある。今こそ学校、家庭が連携を密にして臨まなければならない時である。保護者会として協力を惜しまない」というありがたいメッセージをいただいた。本当に嬉しいことである。今後ともよろしくお願いいたします。ご挨拶の中で、たくさんの生徒が校長室に来てくれ、その数のべ80を超えることと、そこで交わされた会話、エピソードをお話しさせていただいた。全体の行事が終わり、部屋に帰っていると「こんな感じで覗いて行くんですね」と言って、ドアから顔を出してくださったお父さんがいた。「うちの息子にも来るように言っておきます」ぜひぜひどうぞ。その後正門近くに立っていると「◯◯中学校の教員です。先生のドーナツの穴のお話し伺ったことがあります」と声をかけてくださるお母さん。「覚えてないでしょうね。◯◯高校で教わった教え子です」という保護者の方。繋がりってあるんですね。懐かしくもあり、嬉しくもあり。一人ウキウキしていると、女子生徒が、「じゃあね」と言ってハイタッチをしていた。感じていた「つながり」を表しているように見えて、一枚撮影させてもらった。ほら、こんなにいい絵が撮れました。

イベント 望んでいた雰囲気なのです

5月10日(金) Vol.25 行きますよ〜、フードカルチャー同好会

校長室のドアを開いていると、時折甘いいい香りが漂ってくる。誰かが何かを作っている。それも「お菓子」。以前勤務していた高校で、服飾デザイン部と調理研究部がセットになった活動場所が、部屋の近くにあり、そこに集う生徒たちと随分仲良くさせてもらった。「先生、カレーパン!」「センセー、クリスマスケーキ。これはワンちゃん用」愛犬にまで差し入れをしてくれる生徒たち。お礼は、ファッションショーに言われるがままの格好をして出演すること。楽しかった思い出が蘇る。香りに誘われて、2階に上がると、いたいた、フードカルチャー同好会の生徒たち。すでに1年生も先輩と一緒に活動している。文化祭での出し物を制作実験中とか。みんなが笑顔で迎えてくれた。おまけに試作品の試食。美味しかった。お世辞抜きで美味しかった。「先生、お誘いしますから、また来てくださいね」嬉しい。餌付けされた野良猫のように、ゴロゴロ喉を鳴らしていたような心地よさである。

楽しくなければ学校じゃない。望んでいた雰囲気を実践している生徒たちがここにもいた。

グループ 打ち上げパーティではありません

5月9日(木) Vol.24 こんなに美しい気持ちを持っていただろうか

昼休みに男子生徒の一団が来た。「おや?珍しい」と思っていると、手にお弁当を持って遠慮がちに入ってきた。「いいよ、昼休みぐらいしか先生が捕まらないいんだね。ここで昼食摂ればいい」と声をかけると、持参した弁当を広げ、むしゃむしゃ食べ始めた。せっかくだから写真撮影。「あぁ、今日は母が手抜きだと言っていました」(それにしては豪勢なお弁当です)ふと高校時代のことを思い出した。隣の友人の弁当がやたらに豪勢で、卵焼きがふんわりしている。看護師をしていて、朝時間のない母が作る弁当は、のり弁か日の丸弁当。それでも美味しかった。ポツンとその事情を呟くと、一緒に昼食を摂っていた友人が、「これお前の分だって、お袋が」と言って、翌日ふんわり卵焼きを持ってきてくれた。嬉しかった。何日かに一回、自分と同じおかずを持ってきてくれる。遊びに行ってお礼を述べると「喜んでもらえたら・・・」という、おばさんの言葉を遮るように「俺が作れって言っているんだ」と友人が言葉を挟んだ。今でも付き合いがある。お母さんはなくなったそうだが。彼らの弁当で、いい思い出を思い出させてもらった。

「で、来たからには、何か目的があるのだろ」と問いかけると、如何ともしがたい、やるせない思いを語り合っているうちに「そうだ校長に聞いてもらおう」という気になったのだという。(内容は彼らと私だけの秘密)一緒に高校生活を送って来た仲間に有終の美を飾らせたい。大きな壁があるし、それはどうすることもできないものであることも自覚している。『しかしなぁ・・・』何がどうなるわけではないが、聞いてくださいよ。堂々巡りの思い。同じ場所をくるくる回るメリーゴーランドのようなもの。話を聞いていて、そんな彼らが羨ましかった。「いい経験しているよ。だでれもできるものではない。私が何をしてあげられるわけではないが、『だめ』という結論を出してしまっているものにチャレンジしてみればどうだろう。互いのつながりや思いを確認するためにも。結果として『だめ』であっても、この『なかま』『ともに』はより強い『絆』となるのではないか」というほどのことを語った。いいアドバイスになったかどうかわからないが、リーダー格の生徒が、「やってみるか。ダメだったらごめんな。」と渦中の友人に語りかけていた。語りかけられた生徒は「ありがとう」とつぶやいている。高校時代に、こんな美しい気持ちを持っていただろうか?

市原中央高等学校生徒の保護者の皆様、お子様はいい成長していますよ。いい学校です。

雪 ここには100点達磨がいた

5月8日(水) Vol.23 創立来生徒を応援してきた

朝の打ち合わせが終わって、担任の先生がHRに向かう。外を眺めると、快晴の空に山々の新緑が眩しかった。爽やかないい朝である。一人の先生が、眺めている私の様子をみて「いい天気ですね」と声をかけてくれた。ささやかな一言だが、こういう会話って大切だと思う。校長室にきたある先生が、私の文章を読んで「言霊」の話をしてくれたことがある。『読んでいてくれたんだ』という嬉しさと、コトダマというもう古語になった語句を共有できる喜びを感じたのだが、今朝のこの先生の言葉にも「コトダマ」が宿っていたようである。いい朝、いい一日の始まり。校長が難しい顔をしていては、学校が暗くなる。いい1日になりそうである。声がけをくださった先生が思い出したように、「校長先生、ご存知ないかも知れませんが、本校には100点達磨がいるんです」といって、足元の引き出しから、手のひらサイズの達磨を出して見せてくれた。各考査のテストで、100点満点を取った生徒に贈られるものだという。創設者の故・真板益夫先生が考え出したものらしい。「頑張っている姿は美しい」少しの励みになればというお考えであったに違いない。毎年ダルマ獲得に意欲を燃やす生徒もいるという。1年生諸君、初めて聞く話かも知れないが、ぜひ狙ってみてはいかがですか。つまらないことでも夢中になるpassionって大切ですよ。

重要 南の海での経験を話そう

5月7日(火) Vol.22 たった一度の経験が命を救う

避難訓練が行われた。様子を拝見していてますます「うちの子」が好きになった。担当の先生が、放送を入れ、避難を開始してからのタイムを図っている。「昨年度は8分30秒くらいでした。今年は7分15秒です」競い合うものではないが、訓練とはいえこの時間で1000名近い人が移動を開始し、整然と整列を完了できる。すごいことだと思う。さて、校長の出番である。実は連休でこの行事を忘れていた。(告白、申し訳ない)当然、講評を忘れている。南の海での貴重な経験を話すことにした。新聞委員の諸君、原稿が遅れてごめんなさい。

1分前の話が人の命を救った

南の海が好きで、年に何回も海に出かけていた。趣味の水中写真を撮影することが目的である。インド洋の小さな島で出会った日本人の若者のこと。彼は経験が豊富らしく、船の上で懸命にレクチャーをしてくれる。はるかに経験の豊かな私は、少しあしらうように彼と話をしていた。移動中のボートの上でウェイトをつけるのはよくない。そのまま落ちると、死が待っている。そんな話になった。「その時はね。こうやって・・・」と実演をして、対処方法を彼に説明して間もなく、大きな波を受けたボートがぐらりと揺れた。すでにポイント近くに来ていたので、私と話をしていた彼もウェイトをつけている。二人とも海に転落した。透明度の高い真っ青な海の中で、私より数メートル先を彼はどんどん沈んでいくのが見えた。数メートル潜ると、水圧でウェットスーツが縮む。加速をつけて、落ちるように潜行していく。苦もなくウェイトを外した私の脳裏に、若者の「死」が浮かんだ。『覚えていてくれればいいが・・・』なすすべなく浮上した私から15メートルほど離れたところに、数秒遅れて彼が浮かんできた。咳き込みながら「ウェイト、ちゃんと外せました!」と彼が叫んでいる。

彼と船上であの話をしなければ、一回の会話による疑似体験が彼になければ、命を落としていたかも知れない。訓練や練習とはそういうものだと思う。ことさら意識はしないが、自分の体は学校の机に入りづらいのだとか、この経路を使って避難場所にいくのだとか、一度実体験しておくこと、イメージしておくこと、それが命を救う。私のような経験をするものは少ないかも知れない。何事もないに越したことはない。しかし、有事に自らを救うのはこうした事前の経験なのである。その「訓練」に真摯に、静かに臨めた君たちは素晴らしい生徒たちである。