校長室から

キラキラ オルゴールの上の人形のように

11月2日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.124 暖かい日差しのもとでランチタイム


 学校見学会が行われた日の昼下がり。職員の昇降口から外を見ると、中学生とその保護者の方々がお帰りになったバスターミナルで、女子生徒がくるくると回っている。しっかりと軸を作って、見事に回転している。きっとバレーの心得があるのだろう。『まるでオルゴールの上のバレリーナ人形だなぁ』。そのすぐそばの掲揚ポールの下には、暖かい日差しを求めて生徒たちが集っている。ランチタイムである。よく見かけるこの生徒たち。あまりに楽しそうなので、お邪魔して、写真を一枚。二枚。被写体の生徒たちが一斉に「こんにちは」と挨拶をした。振り返ると、一人の先生がこちらに近づいてきて、「校長先生もご一緒に」と、生徒と一緒にパシャリと集合写真。先生エアドロでDATAください。ワイワイと写真交換会が始まった。
 何気ない「瞬間(とき)」なのだが、温かい。市原中央高等学校の素晴らしさってこんな些細なところに現れてくる。

 ありがとう、生徒たち。ありがとう先生。いい学校です。

王冠 ギョギョギョ!のギョ子生徒

11月1日(金) ほぼ毎日・校長 Vol,123 さかなクンの話で盛り上がった

 「おや?君は・・・」後ろ姿しかみたことがなかったが、すぐにわかった。何度か美術の部屋で、大きなキャンパスに向かっている後ろ姿をみたことがある。集中しているので声もかけづらい。立ち並んでいるイーゼルに置かれたキャンパスの隙間から背中が見える。時々小首を傾げて、しばらくするとまた手を動かしている。あまり緻密な描写は、誤解を招きそうなのでこれぐらいにしておくが、とても集中した素敵な後ろ姿なのである。初めて顔(笑顔)を拝見した。おおいにして後ろ姿で作られたイメージは裏切られるのだが、彼女の場合はそれはなかった。こんな話題から、今手掛けている大作の話に至った。制作途中の作品に関わるお願い。そればかりは、私にどうしようもなかった。「ごめんね」と心から謝って、帰ろうとする彼女に興味について聞いてみた。「絵」が返って来ると思っていた予想に反して、「生き物、特に魚が好きなんです」
 この言葉を皮切りに、さかなクンの話になった。彼がまだこんなにテレビにも出ない頃。知り合いの海辺の家の隣に海洋大学の実習所があって、そこにさかなクンは水槽を持っていた。陽気な青年で、私たちの顔を見ると、「海の中はどうですか?」撮ってきた写真を見て「ありゃ〜、ユウゼンの子供ですねぇ」などと話しかけて来る。「ギョ、ギョ」はまだ持ちネタになかったが、「さかなクン」の愛称はもうすでに持っていた。「魚」を語り始めると止まらない。ある時「砂イソギンチャク」の個体識別について問いかけると、「日高さん、苦手なんですボクぅ」と言って悩み始めた。
こんなエピソードを話して聞かせると「えぇ、さかなクンを知っているのですか?」と目を輝かせている。さっきまで少し残念そうに伏せ目がちだった彼女の目がキラキラ輝いていた。「先生!またきていいですか?この部屋に」「いいよ。いつでもおいで」
 見送るといつもとは違う背中、後ろ姿があった。ニコニコしている後ろ姿。いいね。「秋の日はつるべ落とし」すっかりと暗くなった駐車場の向こう側の校舎の窓に、洛陽の最後の光が映っていた。

花丸 これは凄いことなのだと自分に語り、得心した

10月30日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.122 アウン=サン=スーチー直筆サイン

アウン=サン=スーチーさんの名前を知らない者はいないだろう。ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。彼女の直筆サインが本校の職員昇降口に掲示されている。8月にミャンマーでおきた豪雨被害への支援を、本校のインターアクトクラブの諸君がおこなったところ、アウン=サン=スーチーさんの直筆のサインの入った感謝状が届けられた。
インターアクトの生徒たちの活動は一見地味だが、人の心を動かす。温かくて重みがある。誰も気づかないようなささやかな善意、思いやり。その小さな一歩のあゆみ、動きに、あの「女史」が答えてくれたのだそうである。本校の生徒の善意を受け取ったミャンマーの財団の代表が、彼女を知っていて「日本の若者の気持ちに応えて上げて欲しい」とお願いしてくれたのだそうである。ありがたいことである。顧問の教員がわざわざ見せに来てくれて、「どこに飾りますか」といって、机の背後の棚をみている。「ダメダメ、一番目立つ、一番輝いて見える場所にしよう」として、この場所に落ち着くことになった。日本との関係では、第二次世界大戦の悲しい過去もある。「水島は、『やはり自分は帰るわけには行かないんだ』と思った」懐かしい故郷・日本と戦友たちとの惜別の思い。その中にある揺るぎない決意。独りこの地に残って、共に戦い死んでいった仲間たちの供養をしよう。『ビルマの竪琴』のあのくだりが好きだ。あの本を読んでから、少し近しい気持ちでいるミャンマー。その国の「事実上の首相」と呼ばれることもある女史の直筆サイン。目の前にして心がいっぱいになった。

 ありがとう、市原中央高等学校インターアクトクラブの諸君。感謝です。

 こんにちは。インターアクトクラブです。日頃よりインターアクトの活動にご理解、ご協力頂きありがとうございます。
 インターアクトクラブでは、今年の8月頃ミャンマーでおきた大雨による災害とその被害に対して、募金活動を校内で行い、ドーチンキー財団を通じて義援金として寄付をしました。お陰様で、今回は7,359円集めることができました。先日、財団からアウンサースーチーさん直筆のサイン入り感謝状が届きました。(感謝状は来客・職員用玄関に掲示します。機会がありましたらご覧ください。)
ご協力頂きまして、ありがとうございました。
 今後ともインターアクトクラブの活動にご協力、よろしくお願い致します。
 市原中央高等学校インターアクトクラブ
                          市原中央高等学校Web通信から

 

晴れのち曇り 今日はすべてが内緒なんだねぇ

10月24日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.121 サプライズ


 仲の良さそうな4人の生徒がやってきた。チャイムがなったばかりのお昼休み「いろいろお話があって来たんです」「なんだろう。入って入って」生徒の笑顔に心が暖かくなったのか、嬉しくなってウキウキしている自分がちょっと照れ臭いぐらいだ。『男子1人に、女子3人?』本校の生徒の組み合わせでは、それほど珍しくないのだが、ちょっと「?」。顔に感情が出やすいたちなのだろう、とてもポーカーフェイスは私には無理だ。もう高校生に心を読まれて、「あぁ、音楽コースの3年生です」と自己紹介された。「考えていることがあって、相談して、行こうってことになって、来ちゃいました」口を開いた一人の女子。途切れ途切れに語る経緯。『こんなこと話していいのかなぁ』という遠慮とためらいが感じられて、上品さすら感じさせた。「あのね、・・・」自分たちの企画?企て?もくろみ?挑戦?楽しいサプライズを語ってくれた。「先生だったら、賛成してくれます?」「後輩たちがね。『いいな、私たちも・・・』と思ってくれるものを作りたいんです」いいぞ、いいぞ。単なる思いつきやわがままではなく、きっとこうなるだろうという未来予想図を描いている。企画について、大人ながらの心配事をいくつか投げかけたが、ちゃんと答えも用意している。『すごいなこの子たち』と素直に思いながら、大いに賛成を伝えた。
 ご披露できないが、サプライズ。11月16日(土)の発表会でお披露目です。些細なことだけでど、自分たちや周辺を豊にする術を知っている。市原中央高等学校ってすごい。

部屋の上に第二音楽室があって、グランドピアノが置いてある。休み時間ごとに、ピアノの素晴らしい音色に囲まれて過ごしています。ありがとう。

3ツ星 懐かしい親友のことを思い出した

10月21日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.120 源氏物語を片手に・・・

 田舎育ちの私からみても「いなか」に住んでいた。農家の長男で、長距離走の得意な男だった。左の頬にニキビが多いことまで覚えている。心の広い男で、わがままな私と妙に気が合った。「しょうがない、長男だし。いいなぁ日髙は」彼は大学に進まず家を継いだ。「game」というニックネームでみんなから親しまれていた。大学に進学した私が、箱根の走者と偶然話をした時「そうですか、○○高校ですか。陸上競技部に●●君がいたでしょう。(大学は)どこへ行きました」とgameの名前に思わず出会った。『へぇ、あいつすごいやつだったんだ』
 彼のことを思い出させたのは、写真の向かって右側の書物で顔を隠している女子生徒。装丁から小学館の古典文学全集であることがわかる。「何を読んでいるの?」と尋ねると、黙って背表紙を見せてくれた。「源氏物語」である。「すごいね、高校時代に源氏を読破しようなんて、すごいね。僕の友人にねgameと言うのがいて、暇さえあれば源氏を読んでいた。」思い出話を勝手に聞かせてしまった。文学部に進んで「女流文学を学びたい」と目を輝かせて語ってくれた。「虚構」という問題について語った。高校生には難しいかもしれないと思ったが、彼女はちゃんとついてきた。「『今』に通じるところがあるんです」正伝はhistoryと言う通り男が作ってきたかもしれない。でも女性の持つあの力、創造力は男にはない。羨ましいほどの豊な力である。

 知性に輝く目が美しい生徒でした。大学に行ってもその輝き、失わないでくださいね。市原中央高校生は素敵だ。

合格 進学指導講話ー不易なものー

10月18日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.119 秋風の吹く頃、木枯らしの吹く頃が一つの山


 7時間目のLHRの時間を活用して、進学指導講和が行われた。写真は3年生の集会の様子。よく知る男子生徒が体育館に入ってきたので、「進路、どうするんだ?」と尋ねてみた。かねてからいい目をしている彼だが「やっています」が烱々とした眼に伺えた。案の定「センター、一般一本です」と朴訥としているが、説得のある響の返事が返ってきた。こういう頃の青年の目は大好きだ。
 講話が始まった。私立(都内)の大学の定数厳格化により、二極化していた大学の枠が重なって、ファジーな位置関係になった。2020年の入試改革を目の前に、安全志向が働く。難関大と呼ばれていた大学の受験者が減少してくる。この踏ん張りって大切じゃないか。受験生にとってピンチをチャンスと考えてチャレンジする。いい機会が、いま君たちの前にやってきている。
 「そんなこと言って、受験に失敗したら、どうするんですか?誰が責任をとってくれるんですか」よく耳にした言葉である。「心が折れる」のである。本人はスランプに陥って、悩んでいる。頑張っても、頑張っても模試の結果が伸びない。その姿を見ていた「心折れ」part1。3教科に変更!AO入試!推薦入試!みんな決まっているし、焦る。ちょうど今頃、夏の終わりから、秋風が立つ頃。乗り切った受験生に対し、part2は木枯らし第一号とともにやってくる。「どこでもいいんじゃないか?ある程度のところで安全策をとっておこう」=志望校DOWN。今も昔も語ることは同じだ。
 現役の頃に辛い思いをしながら指導にあたった覚えがある。「先生、推薦」「文転するかなぁ」「出ないんだ結果が、無理かも」親御さんも、教員も辛い。もちろん生徒本人も辛い。だからこそ頑張り時だ。「心が折れそうになる」のをどこまで頑張れるか。いよいよ今年もそんな季節がやってきた。

頑張れ、市原中央高等学校生! 

 駿台予備校の講師の先生配布資料から。カラーのマークは日高が付けました。

お知らせ ラストシーンの「顔なし」になってごらん

10月17日(木) Vol.118 二人で哲学対話 人間関係って難しい

 自宅に帰ってDVDの山をごそごそ探した。TV録画をしていたものがあったはずである。整理整頓ができていないから、見つからない。でも探した。放課後の女子生徒との会話は、どうしても「それ」を確かめたい衝動にかられた。「千と千尋の物語」ラストシーンの「顔なし」である。
 彼女は少し悩んでいた。人間関係だという。詳細は秘密だから、もちろん語れないが、その問題にぶつかり、どうにかしたいと思っている。いつも本校の子供達は、結論を求めてやってこない。「聞いてくださいよ、私(僕)の話・・・」と言ったスタンスである。どんな流れでそうなったか、「顔なし」の話になった。きっと私の中では、個の内部で増幅する「魔物」のようなことを話したかったのだろう。人間関係の悩みはこの歳になってもあるし、尽きない。うまい処し方も知っている訳ではないが「相手を変えるのではなく自分が変わるは、結構有効だね」とか、「流行語対象の『そだねー』から関係づくりをするといいよ」などと語ることが多いので、それかなと思う。自分の中で育った「魔物」は、そのまま相手を「魔物」にしてしまう。消そう。自分が変わって、消そう。ラストシーンの「顔なし」、おとなしくなって千尋と一緒に銭婆の所へいくのだろう。
 女子生徒は予期せぬ答えを返してきた。「自分の存在が認められたから?」それを要にしながら、どうあればいいのか、考えた。二人で哲学対話。出た結論が、ラストシーンの顔なしになってみようだった。

 正解のない問いかけに、複雑な話の流れ、部屋にきた時より分からなくなったかも知れないが、「ありがとうございます」と言って部屋から暗くなった廊下に出て行った。『寒くなったな』と思いながら見送ると、すくっと伸びた背筋の後ろ姿があった。いいね、市原中央高等学校生。

お知らせ できた!体育祭!

10月15日(火) Vol.117 台風で順延になった祭典

第35回体育祭に寄せて
 まずは台風15号で被災された皆様に、お見舞い申し上げますとともに、1日も早い復旧復興をお祈りいたします。
 清々しい季節の中で、保護者会会長をはじめ多くのご来賓の方々のご臨席を賜り、第35回体育祭を実行できますことは、この上ない喜びであります。
 その喜びと同時に、この体育祭を迎えるにあたっての、校長としてのもう一つの喜びをお伝えしておこうと思います。自然災害に大きな打撃と影響を受け、準備期間も十分に取れない中でこの日を迎えました。中には「中止」の考えもあったと聞きます。あの状況下では当然のことだと思います。しかしその中で、前に進むことを決意し、「今何ができるか」「この苦境の中で何をすべきか」を考えながら、実施にまで漕ぎつけた力は素晴らしい。それを選択し一歩一歩確かに踏みしめて来た、その力を生徒諸君が持ってくれた喜びであります。東日本大震災の時に、釜石の小学生が「奇跡」と呼ばれる避難を見事にやってのけた。あの時も子供達の支えになったのは、「諦めない」「前に進む」という気持ちだったと聞いています。人が協働で何かを成しとげようとする時、方向性を定め団結を生むのは、この力なのだろうと思っています。ぜひ大切にしてください。いいものを持っています。
 最後になりましたが、保護者の皆様には、日頃から多岐にわたるご支援を賜り、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。この「瞬間(とき)」をお子様と一緒に楽しんでいただければ幸いです。言葉整いませんが、挨拶といたします。(プログラム挨拶文から)

まる ほぼ5日に一回・校長?ですか

10月11日(金)あたりの回想 ほぼ毎日・校長 Vol.116 話題がなかった訳ではないのです

 体育祭の応援にお見えになったある保護者の方が「先生!ほぼ5日に一回・校長ですか」と声をかけてくださった。ブログをまめにチェックいただいている。様々な案件に翻弄されて、自分が向くべき方向を見失っていたのかもしれない。こう書くと、きっとこのお母さんは、「ですねぇ」と共感してくださると思う。「申し訳ない」は生徒への言葉。筆が進まないのは、生徒の方を向けていない証拠だと思っている。で数日の回想。

 「先生、やろうよ哲学対話。台風で流れてしまって、あれっきりだ。結構楽しみにしているんだ」と嬉しい呼びかけをしてくれたのは、1年の男子生徒。ジェネレーションリングの交わりの中で、自分色が作られて来るんだ。例えば赤の文化を持った親と、白の文化を新たな世代(自分)の文化と捨子の世代。いい交わり方をすると、赤をしっかりと継承した鮮やかなピンクがね・・・。そんな話をしながら誘った生徒たちである。「今日の話でしっかり焼きついたのは『ピンク』」と言いながら部屋を出て行った生徒である。いいねぇ、やろう、やろう。放課後ね。

 「ルーチンなんです。青いかもしれないけれど、同じところぐるぐる回っている。なのも結論が出なくて、誰かとこうして語っていると、何か生まれるかと思って。付き合ってください」2年の男子生徒。いいじゃない。ぐるぐる回ろうよ。特権だよ。ただスパイラルのように、少しずつ上昇しようよ。しているはずだよ。この日は、ある結論を伝えにきた。部活の先生に背中を押されて、一歩前に踏み出すことにした。まずは校長に報告と思ってやってきたのだという。いいね、嬉しいね。ほらちゃんと上昇している。自分では自覚できないけれそ、ちゃんとプラスのスパイラルに乗っかっている。またおいで。とりとめもない話をしよう。

 うーん、どこかであったぞ。一度この部屋に来たよね。誰と一緒だったかも定かではない。部屋を訪ねてくれた女子2人を見ながらそう思った。記憶への繋がりの糸は細いが強く、そして意図や自覚を超えて、偶然的で刹那的に「もの」と結びついているものである。一人の女子の仕草で記憶は呼び覚まされた。それは右手を口元にやる仕草。彼女がその仕草をとった途端に蘇った。インターアクトの2年の先輩に連れられてやってきた1年生だ。この日は、本校からこの2人が、ロータリー主催の海外派遣に選ばれ、近々マレーシアに行くことになったという報告にきてくれた。「何が楽しみ?」と尋ねると、とっても真面目で模範的な答えが帰ってきた。それも大切だけど、美味しいものいっぱい食べておいで。その国の特徴をよく表した、美味しいもの食べておいで。だって君たちがいく国は、美しくそしてとっても美味しい国なんだよ。行ってらっしゃい。

重要 見事だ!中庭の温かい雰囲気が目に浮かぶ

10月10日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.115 インスタ映えしますね

 台風が近づいている。15号の被災も復旧しないのに、神も罪なことをなさる。鬱々とする中、担当してくれていた先生が、「できました」と報告してくれた。昨日のブログに書いた「蘇るクマさんたち」なのである。生命が吹き込まれた。廃材となってどこかで朽ち果てるのではなく、見事な「いのち」として蘇っている。生徒たちの喜ぶ声が聞こえてきそうだ。木一吉(きいちきち)さん、ありがとうございます。
 下校バスの放送が入っている。賑やかだった学校が静かになった。歌声が聞こえなくなった。淡墨をさっと刷毛で掃いたような曇り空が重い。「校長先生、ブログの写真できましたね。インスタ映え」と声が聞こえた。じっとこちらを見つめている木彫りのリスとクマ。彼らが語りかけてくれたのかと思った。本当にいのちあるものなのである。振り向くと「琴音様」とそのお友達が立っていた。

 今日も温かい気持ちで一日を終えることができそうである。いいね、市原中央高等学校。感謝。