2019年9月の記事一覧

晴れ 久しぶりにはしゃぐ声を聞いた

9月17日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.105 生徒のいる学校が一番
 「人間贅沢をすると、後戻りができない」祖母がよく語っていた。心が満たされると、その満たされたもの以上が欲しくなる。満たしていたものがなくなると、ぽっかり穴が空いたようになる。台風15号の被害で臨時休業を続けていた本校は、そんな感じだったのだろう。当然あるべき、あって普通のものが目の前からなくなってみると、本当に辛いもので、あって普通のものがどれほど大切だったか気づく。授業の合間の休憩時間、昼休み、放課後、生徒たちの喧騒は、何重奏もの音楽のようなもの。映画「奇跡のシンフォニー」の主人公の少年が街に出て聞いた「音」はこんなものだったのかもしれない。ただうるさい雑音が、重なって重厚な心に響く音楽となる。11年間離れ離れになっていた絆を結びつける音楽の才能を持った彼の耳ほどではないが、天賦のものとまでも言わないが、長年の教員生活があそう感じさせるのだろう。生徒たちの喧騒は、我が力なり。

 生徒がいる学校って、やはりいい。生徒がうるさい学校って、とてもいい。

 写真は、試合の抽選結果を知らせに来てくれた野球部の二人。「21日は敬愛学園戦です。それに勝つと23日に・・・楽しみです」と笑顔で報告してくれた。「残念ながらどちらも仕事だ」と残念がると「予報では、どちらも雨です」「お前ねぇ」と掛け合い漫才をやっていた。初めて来た時より緊張がない。いいぞ、いいぞ。
 「先生、進路のトライアングル、やっているうちに変わったの、どうしよう。何かになるために学ぶのではなく、大学で学びたいものが見つかりそうなの」と、臨時休業前に書いたメモ書きを大切そうに持ってきた女子生徒。どうやら一歩あゆみを進めたようである。「そう、じゃぁも少し考えてみよう。今君が陥った陥穽(落とし穴)は、三つのリングで説明できる。ほらね、大学生活のトライアングル。円の交わりが学生生活なんだ。」といって説明を始めると、「そんな考え方初めてだ。面白い」といって、今日のメモも大切そうに持って帰った。また一歩進むのだろうか?楽しみである。

 ただ与えられるだけでなく、与えられたものを糧に成長してくれる本校生徒は、やはりすごいと思う。

右 大変なことだが その中で Part4

9月15日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.104 賑やかな生徒たちと過ごした


 Vol.102で紹介した生徒が帰って間もなく、「先生、いますか?」と声をかけてくれた女子生徒がいる。「いますよ。どうぞ」入ってきたのは2人。一人の生徒の後ろに、まるではにかんで隠れている妹のようにもう一人、(姉の)肩越しにこちらを見ている。最近は歳のせいか、生徒がみんな同じに見えてしまう。先ほどの生徒と違って「悩み」ではなさそうである。予想が的中した。「なんでもないです。ただ姿が見えたのできました」大歓迎である。台風被害の話、災害時にわかる平穏のありがたさなどをとりとめもなく語りあった。1年生と2年生という組み合わせの二人の共通点は、インターアクトクラブだそうである。ブログVol64の記事を読んでいてくれたらしい。インターアクトの活動が市民権を得ていてメジャーである市原中央が誇りだというようなことを語ると、二人は満面の笑顔で「嬉しい」と答えてくれた。
  自分の高校時代は、もっと利己的て自己中心的な考えをしていたように思う。確かに社会全体が奉仕や貢献という村社会の持つ慈愛に満ちていた時代だったかもしれない。敢えて「○○活動」などと名付けなくてもよかった時代であったかもしれない。ただそうした自然の流れと環境の中で、我々の世代が伝承し忘れた「美しさ」を彼女たちは伝播として持ってくれている。すごいことである。多くの高校からこうした取り組みがなくなる中、彼女たちの活動は、やはり誇りである。活動を支え、意義深くしてくれている顧問の教員の努力にも感謝したい。
 「あれぇ。きたみたい。いいですか?」スマホを私の前で見ることにもちゃんと礼儀を正してくれる。これもすごい。「友達がきているみたいなんです。呼んででいいですか」「どうぞどうぞ」と招き入れ、入りづらそうに入ってきたのは同じクラスの男子生徒。「私服で・・・」とためらいながら入ってきた彼らを「校長室に私服で初めて入った生徒たち」とキャプションをつけて、記念撮影。

 しばらくの間、とりとめもない会話で盛り上がった。この学校の、こんな時間が大好きだ。

右 大変なことだが その中で Part3

9月14日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.103 彼らから元気をもらえた


 TVのテロップに施設開放のニュースが流れる。ネット上では電力会社の記者会見動画。まだ完全復旧までには時間がかかる。復旧を待つ地域には、本校の生徒たちや教職員の居住地もある。不自由しているのだろうと思い、辛くなる。ある高校の校長が激励のメールを送ってきてくれた。この校長の学校では、やや無理をして学校を再開したが、出席は芳しくなかったと言う。しかし、登校して仲間と語らい合っている生徒たちの姿を見て、心から「いいな」と思ったと言う。通学手段さえ許せば、学校に来ている方がいい、できる限り努力をしたいとも語っていた。彼にも心配をかけた市原中央高等学校は、おかげさまで昨日(13日)の夕刻に、停電、断水が解消した。施設設備の安全点検を行なった上で、17日(火)の再開に向けて準備を整えたい。
 滅入った気持ちで部屋にいると、ドアをノックして「いま、よろしいですか」と声をかけ、2人の男子生徒が入ってきた。モザイクを入れた写真を見てもすぐにわかるように、野球部の生徒である。新しく主将、副主将務めている二人。もっと早く来ようと思っていたが、県大会出場を決めるまで顔を出しづらかったようだ。会話の行間にそんな思いを読み取った。荷物を取りに、野球場を確認にきた。覗くと校長室の奥に姿があったので挨拶にきたのだと言う。
 Vol.100に書いた「軸」の話を少し噛み砕いて話をしてみた。真剣に体を動かさず、目は私を凝視し、聞き入っている。人の上に立つことは難しいことだ。いや上に立ったと思った瞬間にその動きは終わったいるのかもしれない。何かの支えにあって力を発揮することは、人はできる。しかし、支えになって人を動かすことは、これは難しい。「あいつがいるから自分は120%の力を発揮できた」「あいつの心が失敗をエネルギーに変えてくれた」そんな存在に君たちがなってくれると、もっともっといいチームになる。3年生の先輩が、君たちの力を十二分に発揮させてくれたあの力以上のものを持てる二人であってほしい。素晴らしい同僚や、後輩たちのために。聴き終えた二人は声を揃えるように「ハイ」と大きな声で返事をしてくれた。彼らに語りながら、自分に言い聞かせているようでもあった。語り終えた後、滅入った鬱々とした気持ちが晴れた気がした。ありがとう、生徒たち。

 校長を元気にする生徒がいる学校、市原中央高等学校。

右 大変なことだが その中で Part2

9月13日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.102 ひとつ生徒との出会いがあった


 一人の生徒が部屋の応接の椅子に少し浮かぬ顔をして座っている。やはり校長室のドアが開いていたので訪ねてみたという。今回の台風で大変なことになったのかしらと思いながら、「どうしたの?」と尋ねる問いに、生徒の抱えている悩みを語ってくれた。(内容はその生徒と私だけの秘密)確かな結論が出たわけではないが、最初に見た顔とは違いまっすぐに顔を上げ、私をしっかり見つめることができている。よかった。その表情だけで話をした甲斐がある。
 少し曇りの晴れた生徒の心は、私との「雑談」に応じるだけのエネルギーを回復したのだろう。面白い話を聞かせてくれた。英語圏での生活が長かったためか、思考言語が英語なのだそうである。いや、それを失わないように努めているというのである。会話は流暢な日本語、そういえば気づかなかったが時折、意識しなければ感じないほどのタイムラグがコミュニケーションにある。頭の中で翻訳機が働いていたのだろう。
 勤務した高校の中で、こうした経験をもつ多くの生徒と関わる機会があった。「頭の中フランス語なんです」「まだドイツ語の方が表現できる」なんて生徒たちである。授業の中で「春霞(はるがすみ)という語が出てきて、どうしても理解できないという生徒と長い時間をかけて話をした。この生徒の場合はスペイン語。生活の中で「春霞」との出会いがない。とても説明に苦労したが、やっと「先生、ありがとうございました。薄いFogですね」。「う〜ん、確かに。いいのかなぁ」こちらが持っているイメージがこの生徒に伝わったか、自信がない。かすみがかった少し春愁のような侘しさまで含んだ情景まで・・・。生徒が去った後、聞くともなしに聞いていた会話に、周辺の同僚が大笑いしていた。「日高さん、大変だね」
 本校の生徒にこのエピソードを話して、でも今君が持っている力、僕の教え子たちが持っていた力、これはそんなに簡単に身につけられるものではない、大切にした方がいい。大切にしている君の姿勢は立派だと「肯定」を話しておいた。

 思考言語が異言語であるがゆえに、日本語を母語とする世界では、他の仲間が想像できない苦労もあるに違いない。それをポジティブに捉え返し、大切な力としようとする生徒。市原中央の生徒っていいでしょう。自慢、自慢。

右 大変なことだが その中で

9月12日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.101 心温まる瞬間(とき)をいただいた

 台風が千葉を直撃してから4日が経つ。東日本大震災の時に「想定外」という言葉が使われた。今回の台風15号の被害もそう表現されるのだろう。「想定」が甘いのかもしれない。もう20年以上も前のこと、毎年夏と冬に通っていた白い砂浜の綺麗な孤島の自慢の砂浜が、年ごと、いや半年ごとに狭くなっていくことに、地球温暖化を切に感じていた。我々の世代が、今の若者たちに残した大きな負の遺産の一つ。受け止めてもらうものがあまりに重い。しかし、それをしっかりと受け止め、手を取り合って解決する力だけはつけてあげたいと思った。
 留守番のために学校に朝から行っていると、多くの生徒が保護者の方の車で荷物を取りに来る。中には校長室をのぞいて、「校長先生!お宅は大丈夫でしたか?」と声をかけてくれる生徒もいる。嬉しかった。我がことでも精一杯だろうに、ふとみた校長室のドアが開いていて、姿が見えたので声をかけてみる。その心の動きだけでも嬉しかった。
 お子様を送ってきた保護者の方と話をする機会もあった。お母さんの第一声が心を和ませた。「先生、大変でしょう。お陰様で自宅は今朝断水が解消しました。何かお手伝いできることがあれば」立ち話も失礼なので、どうぞお部屋へ。やはり台風の被害の話。本校生徒のお子様がまだ小さい頃、茨城の地で東日本大震災を経験したという。今回は断水。水の手に入るところまで子供と一緒に何度も足を運んで、家族の生活の水を確保した。途中、もう覚えてもいないだろうと思っていた3.11のことを子供が語り、一緒に支え合った記憶を蘇らせていたという。その「子」は、この夏休みは「戦争」をテーマに調べ物をして過ごしていた。調べれば調べるほど知る悲惨さ。(母)「多感な年頃でしょ、『辛く』て胸を絞られるような思いをしたこともあったようです」でもそれを超えた時「戦争って絶対だめ」という子がいたと語ってくださった。「ひとつひとつ、いい経験になって、成長しているんです。ありがといことです」

 問わず語りに語ってくださった話に、先述の「力」をつけてあげなければという思いを確認した。

 もう少しお話をさせていただきたかったが、荷物を揃え終わった生徒の「終わったよ」という声がけで幕引きとなった。「母と子の心のつながり」いいものを見せていただきました。