2019年6月の記事一覧

体育・スポーツ 心から賞賛の拍手を贈ろう、頑張れ!中央球児たち

6月17日(月) ほぼ毎日校長 Vol.48 壮行会にお招きいただいた

 一人の教え子のことを思い出していた。大会に出場している全員が、守りからベンチに帰る時、彼の手を通って帰ってくる。ランナーを出し追加点を入れられた後も、ナイスプレーでゲッツーをとりピンチを切り抜けた後も、ナインは必ず彼の手を通過していく。3アウトのコールがあると、真っ先にベンチから飛び出し、大きな声で何かを叫びながら、両手をいっぱいに広げる。その手にナインは、タッチしてからベンチに戻る。バッターボックスに入る仲間を応援するのも彼が一番大きな声を出している。よく聞くと全てポジティブな言葉ばかりである。2年間しか見ていないが、ムードメーカーの彼が守備につくのを見たことがない。いつもベンチで大きな声を出している。チームの「信」は彼によってつながり、彼によって拡張され、強度を増していた。最後の夏の大会、ラストバッターとして打席に立った。私がフィールドの中で彼を見たのは、それが最初で最後だった。熱い一つの夏が終わった。試合後、ゲートの傍らで母親と抱き合って涙していた。「こんなのあり?・・・」応援のチアの女子生徒が呟いて、もらい泣きをしている。彼の球児人生には「外伝」があったのだろう。母と二人でしか感じあえることのできない、素晴らしい「外伝」があったに違いない。

一つ事に夢中になる者の姿は美しい。この日(6月15日・土)お招きいただいた本校の野球部の壮行会でも、子と親御さんの「絆」(信)を熱く感じた。いい壮行会でした。

2019年 熱い夏が始まる。「信は力なり」この夏を熱く駆け抜けろ!市原中央球児たち

お祝い 「共時」の充実を図ると同時に「通時」の意味を深く受け止めよ

6月14日(金) Vol.47  生徒会新役員に期待すること

朝の打ち合わせ前に、生徒会役員の女子がきた。大きな黒い縁のメガネの奥の瞳が綺麗に輝いている。文化祭が近いので、文化祭パンフレットの巻頭言の原稿を依頼したいという。「いいですよぉ。で、いつまで?」「月曜日にはいただきたいのですが・・・」無茶振りを承知で笑顔でお願い。最短の依頼ではないだろうか。昨年度の巻頭言を見せていただく約束をしたが、?おやぁ?、7限が始まろうとするのにまだ来ない。替わりに昼休みに現生徒会長(琴音さま)が新会長を連れてやってきた。「本日の認証式のご挨拶、お願いします」彼女は本当に律儀である。必ず前もって依頼して、当日にもやってくる。見習うことが多い生徒である。さて、何の話をしようと思案して考え出したのが、伝播と伝承の話である。ちょっと難しい話だが、『うちの子なら大丈夫』と思った。

校長講話 生徒会新役員に期待すること

我々の文化には、通時的な流れ伝承と共時的な伝播がある。同じ時を過ごしながら、共に何かを協働で創造していく。人はおおいにしてその刹那に目を奪われ、目を向けがちである。しかし、その刹那の伝播のリングは、気づかない速度で動いている。ジワリ、ジワリと揺れながら動いている。それは「時の流れ」(通時)として認識することができる。通時にのみ目を向けると、年表のような味気ない年号の羅列になってしまうが、先の共時と組み合わせて、その瞬間(とき)を捉えるとき、先人の偉業や偉大さとその瞬間(とき)を生きた労苦を知り、喜びを知ることができる。さらには次に来たる者たちへの期待や活力に思いを馳せることができるのである。

生徒会の新会長は、入学授時に「今やりたいことをしっかりやりなさい」という当時の校長の言葉に背中を押されるように、会長に立候補したと聞いている。先に話をした、君たち新役員が担う「共時」の充実を果たすとともに、「通時」の意味を深く受け止め、市原中央高等学校の「伝統」を築いていただきたいと思う。平野さんをはじめとする旧役員の皆さま、本当にありがとうございます。新役員の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

学校 中央見聞録ってご存知ですか?

6月13日(木) ほぼ毎日校長 Vol.46 本校の新聞委員会が出している新聞です

「中央見聞録」なるものが配られた。掲載されている写真をみて、遠い記憶を思い出した。新聞委員会の男子が来て、原稿を依頼された、写真を撮影された。新任の教員紹介の記事が載っている。保護者の皆様、お手元に届いていますか?耳鼻科検診に来ていた学校医の看護師さんが、新聞と学校案内を見ながら「校長先生は髪型で随分と印象が違うのですね」と。『確かに、自分でもそう思う』気分がストレートに表情に出るようで、廊下を歩いていて「今日の先生は怖いですね」と教え子に言われたことがある。きっと難しい顔をして、全身から「寄るな!」オーラを出していたのだろうと思う。授業の様子を覗きに行こうと校内を歩いていると「今日の校長先生は怖いです」と後ろから声をかけられた気がした。振り向くと壁のフックに掛けられたリュックサックに付いた面白いぬいぐるみが、ニッと笑っていた。

新聞記事から

①自己紹介をお願いします ②本校の生徒の印象は?  ③高校生の時はどんな生徒でしたか? ④大切にしている考え方や言葉を教えてください。

  ① 自己紹介:瀬戸内の小さな町で生まれました。18歳の時に上京し、それ以来、関東に住んでいます。今では関西弁もあまり出なくなりました。趣味は南国(の海)に行くこと。若い頃は、波音を聞きながら満天の星空を眺めるために、年間30日くらいは、インド洋や南太平洋の島々に行っていました。
② 本校生徒の印象:「いいね!」「こういう高校生、好きだな」が、印象です。他人の話に傾聴の姿勢を持っている。これって素晴らしい力だと思う。まだそれほど多くの生徒と接していないのですが、接した限りではとても好意印象を持っています。
③ 高校生の時はどんな:同窓会で同級生に会うと、「日髙は変わらないなぁ」とよく言われます。『高校の頃からこんな老け顔だったのか』『人間的成長がないのか』と複雑な気持ちです。「できる」が嬉しくて、できるものが見つかると、とことんのめり込んでいました。わがままを許してくれる寛大な心を持った友人が多かった。感謝しています。
④ 大切にしている言葉:人は、何か一つことをやり通さなくちゃいけないのさ」別役実の言葉だったと思う。若かりし頃に出会って、大切にしている。本当は違う表現だったかもしれない。一生懸命な姿や何事かに投じている様子は美しく、心打つものだという解説とともに、私の中に染み込んでいる。

まる 親睦と友情、つながり、そして奉仕へ

6月12日(水) ほぼ毎日校長 Vol.45 市原ロータリークラブの方々と

左から   平野 様 ・ 野口 様 ・ 日髙 ・ 篠田 様(新会長)

市原ロータリークラブの方々が、わざわざご挨拶に来てくださった。本校のインターアクトの生徒諸君が深い繋がりを持せていただいており、様々な活動への参加や支援を頂戴している。「ロータリークラブ」名前はよく存じ上げているが、私にとって決して身近な存在ではなかっった。「奉仕活動」「地域貢献」という用語がすぐに連想はされるが、恥ずかしながら実感として感じることは少なかった。新会長の篠田さんは、「会長を仰せつかるにあたり、『市原ロータリークラブかくあるべし』をまとめて見ました」といってA4版4枚にも及ぶレポートをご持参くださった。長年継続してきたマレーシアの交換留学生の話、9月に予定されている音楽鑑賞会の話などなど、ぜひ本校のインターアクトの皆さんにお手伝いいただきたいというお話をいただいた。ロータリーが「親睦と友情」を起首とし、やがて「つながりを築く」活動に、そして「奉仕」へと進んだ流れを実際に語っていただいているようなお話をいただいた。

本校のインターアクト、30名を超える生徒が熱心に活動していると聞いている。県下一位ではないのかな。数といい、質といい。市原中央高等学校、いいね!

合格 そうか、ここに来ればよかった

6月11日(火) ほぼ毎日校長 Vol.44 生徒会室いつも満員御礼

 「令月の和楽」今年の文化祭のポスターが貼り出された。パープルの地に淡いピンク。令月(美しい月)に手をかざす少女。紫の高貴な品格のある色の中で、髪を風になびかせている。まさに「薫る(カヲ・ル)」なのである。つややかな美しさ、このポスターを手がけた生徒は誰だろう。13枚の候補の中から選出された一枚。もちろん「令和」の「風和らぐ」を視覚的に意識した作品なのだろう。見るものにその意図を感じさせる。かつて読んだ書物の中で、確か和歌の解説であったと思う。「きよし」と「さやけし」は違う。物その物がもつ「きよし」によって対する者の心が浄化される状態それが「さやけし」と書いてあった記憶が蘇る。このポスター「見る者の心を洗うほど」なのである。

 ぼんやりとポスターを眺めていると「こんにちは」と明るく挨拶をしてドアの向こうに隠れていく影。生徒会の生徒である。文化祭が近いのでコトコト忙しそうにしている。『お邪魔かな』と思いながら中を覗くと、案の定、みんなが何かに取り組んでいる。「何しているの?(あーそぼ!)」と声をかけると、PCの方を向いたまま、「はい、クラスの出し物の説明文の活字化です。」と答えてはくれるけれど、応えてくれない(あーとで)なのである。察してくれたのであろう、生徒会顧問の先生が「◯◯さん、校長先生のお相手」と一人、遊び相手をあてがってくれた。嫌な顔もせず「はーい」。ところがこうして改まると、何を話していいかわからない。「えっ、まぁ」などと柄にもなくドギマギしていると、「校長先生、私、生物で97点とったんです。もう、最高」と話題を提供してくれた。それを機会に、そこここに座っている生徒が代わる代わる相手をしてくれる。あっと言う間に時がすぎていった。出来上がった学校案内を見ながら、「素敵なパンフ。表紙はタマちゃん。友達なんです」「アレェ、校長挨拶なんて書いてるけど、これ校長先生ですか?」「えっ、違う」と写真と私をしきりに見比べている。写真が悪いかな?写真変えるかな?

生徒会室、ここに来ると市原中央高校が、グッと凝縮されているようだ。そうか「校長は寂しい( ;  ; )」時にはここにくればいいんだ。生徒会の諸君、忙しい中お付き合いありがとうございました。

話題の写真→ 

鉛筆 アクティブなチョーク&トーク

6月10日(月) ほぼ毎日校長 Vol.43 ちょっと授業を拝見に行ってみた

授業の観察は改めてさせていただくことにした。授業の開始から少なくとも2/3くらいの時間は拝見しないと、生徒の取り組みは見えないだろうから。考査の終わった次の週の月曜日『多くの授業はテスト返却から始まっているだろう』返却がどんな風に指導がされ、生徒たちの取り組みはどうなんだろうと興味はあるが、また次の機会にしようと思ったのである。だから今日は、授業の覗き見。

音楽(声楽):いつも校長室で聞いている綺麗な発声と歌声。アリアナ・グランデという歌手をご存知だろうか。少しハスキーな歌声なのに、とんでもない高音を発声することができる。もちろん彼女ほどでは無いが、うちの生徒たちの歌声は美しい。どれぐらいの音域が出ているのかわからないが、とても域が広い。発声の練習をしながら、音取りがうまくできなくなりそうな一歩手前で、ピアノの鍵盤がポンと鳴る。導かれるように声がその音と一緒になる。『プロの指導だなぁ』このタイミングで指導ができると、他の教科でもきっと「わかる」授業ができるのだろうな。

数学:テスト返しの真っ最中であった。「え〜、追試は・・・」先生が日程を知らせると、クラス中がざわついた、ため息が漏れた。中には、頭を抱え込む者もいる。すかさず「でもな、君たちはすごいぞ。この時期の私の授業では普通、◯◯人ぐらいいていいのだが、◯人しかいない。これは見上げたものだ。見込みがある」と褒める。ダメ出しではなく、いいところを褒めて伸ばそうとする。基本中の基本なのだが、なかなかできることではない。

日本史:「最後の遣隋使は?」かん高く良く響く声で質問が出る。何人かの生徒が声を揃えるように「犬神御田鍬!」「すごいね珍しい名前だから覚えていたかな?初めての遣唐使でもあるんだね。じゃあ、その遣唐使が終わったのは?関わっている重要人物」また「菅原道真!」何人もの生徒が答えている。質問と答えというより会話なのである。生徒も教員も楽しんでいる。アクティブなのである。「じゃぁ・・・」連想ゲームのように続いていく。「白紙(はくし・894年)に戻そう遣唐使」

中学3年生「6」、高校1年生「25.4」。単位は%である。何の?「学校の授業以外に、塾や家庭で全く勉強しない生徒の%である。どうすればいい?「環境を作ってあげることですよ」元都立三田高等学校の校長先生は、さらりと答えた。

花丸 先生、なんだか嬉しそう!

6月6日(木) ほぼ毎日校長 Vol.42 確かに一番はしゃいでいるのは私

チャイムがなり終わった。しばらくするとガヤガヤ、キャァキャアと賑やかになってくる。机を運ぶ音が聞こえる。教員経験のある方なら、これだけでリアルに映像まで浮かんでくることだろう。それだけでなく今まで淀んでいた空気が、一気に爽やかに動き始めるのを感じているに違いない。考査が終わった。この音や生徒たちの会話を聞くだけで、心がウキウキしてくる。「先生、なんだか嬉しそう」清掃担当の生徒が笑顔で語りかけてきた。「嬉しいんだよぉ。先生はこの時を待ったいたんだ」と返事をすると「校長先生は寂しい(≧∇≦)ですね」(Vol38)とブログの記事を話題にしてくれる。「本当に嬉しそう」全身に嬉しさが現れていたのだろうか。話しかける生徒それぞれが、「あーとで」ではなく、ちゃんと相手をしてくれる。「あぁ、あの問題配点が10点だったらまだ救われる。15点だったら地獄」とテスト結果を嘆きながら廊下を歩いていた女子生徒に、「テストが終わった喜びを全身で表現してみよう」と声をかけると、瞬時に明るく応じてくれた。調子に乗って、「さぁみんなも」清掃担当の3人組も全身で喜び。玄関掃除の男子生徒、「僕らはいいですよ」と言いながら「5・4・3・2・1」とカウントダウンすると「ワォ」と付き合ってくれた。一番はしゃいでいたのは、やはり私なのである。みんな、お付き合いありがとうございました。「校長室の清掃担当の男子が来ないなぁ」と独り言を呟いていると「先生、あの二人は提出期限今日までのワークブック回収係になっていて、今日はこれないと思います」同じクラスの女子(彼女は確か吹奏楽部の部長さん)が事情を説明してくれた。気配り段取りができる生徒っていいな。自慢です。

梅雨が近く、曇り空が多くなるかもしれない。でもここ市原中央高等学校の校内は、ぴーかんの晴れなのである。

苦笑い 口から耳へこぼれゆくもの

6月2日(日) ほぼ毎日校長 Vol.41 不断の努力と学校力(市原中央新聞から)

着任早々挨拶文を求められるのは校長の常である。生徒会の挨拶文、新聞委員会が出しているのだろう「市原中央新聞」の巻頭言。この号は、卒業生の進路に係るコメント、後輩たちへのエール特集である。その新聞に「校長あいさつ」として書いた文章がこれ。教員との個人面談の中で、この文章を話題にしてくださった先生がいた。自分でも存在を忘れていたが、前期の第一回考査が終わり、夏を迎えるこの時期に、在校生諸君へのエールとして記しておこうと思った。

  誰の言葉だっただろうか、「[『ことば』は口から耳へこぼれゆく」もの。刹那的で命短いものだが、人の心や万物を動かす大きな力を持っている。古人はその力を言霊(ことだま)と呼んだ。ここに記された卒業生たちの「ことば」は尊く、力強い。不断の努力に裏打ちされた大きな力を持っている。魂(霊)を持っている。「筆舌に尽くしがたい」というが、彼らとてもそうであろう。「こんなに努力しました」と自慢げに成果をひけらかしてはいないが、その筆に滲むような努力の軌跡を追うことができる。伸び悩み、苦しむことの連続であったろう。やや先に光が見えたかと思うと、その光はたちまちに霧の中に消えてしまう。目指す方向性も見失い、「もうだめだ」という絶望感だけが支配する時期もあったに違いない。言葉でなんか語ることはできない心境、それが行間から滲み出てくる。その苦しみという大きな壁を穿った力、打ち勝った力の存在を共有させる、姿なき表現を聴くことができる。一つ事を貫き、成し遂げた者たちの、尊厳に支えられた発語である。いま私が語っている感覚が実感できない、享受できない者がいるとすると、やや危うい。目標に向かって真摯に臨む姿勢に、いまある自分の姿に内省の目を向けてみる必要があるかもしれない。
 彼らの目標達成に向かう努力を継続させ、栄冠を勝ち取らせたものは何だろう。もちろん本人の強い意志が一番であることは間違いない。ここで問う「何」は、その意志を、そのモチベーションを保ち続けさせたものは?という問いかけである。多くの要因が考えられるだろうが、もう一度彼らの筆を辿ってみると見えてくる。それは「学校力」である。受験は団体戦ということをよく耳にするが、その団体戦を勝ち抜く力を高めることができるかどうかは、この「学校力」にかかっていると思っている。その学校の空気が、水が、そこに集う者たちの心を刺激し、より高みに向かわせる。一人ひとりの姿勢、奥歯を噛みしめる力、紙面に鉛筆を走らせる音までもが伝播し、刺激する。和紙に落としたインクが滲むように、静かにそして確かに。やがてそれは総和として、学校全体の雰囲気として成立する。学校力の発動である。
 ここには、他にはない素晴らしい学校力がある。寄稿された卒業生の一言一言と、輝かしい実績はその証である。在校生、新入生の諸君にとっては、何物にも代え難い応援メッセージ、熱いエールになっている。険しく辛い道程ではあるが、歩を進めることを止めないで欲しい。君たちの頭上にも栄冠が輝くことを祈念している。

驚く・ビックリ 悔しかったに違いない

6月1日(土) ほぼ毎日校長 Vol.40 よく頑張りました

午前中に保護者会の集まりがあった。ありがたいことに「ほぼ毎日校長」を読んでくださっている方が大勢いらっしゃる。「先生、真紅の優勝旗から・・・」「体調でも・・・」前任校でも3日休むと、副会長から電話があった。「はい、今校長は一番さびしい時を過ごしています(Vol38)」自宅の近所から本校に通っている生徒のおじいちゃんが、楽しみにしていると声をかけてくださることもある。とにかくありがたいと思う。頑張ります「ほぼ毎日・・・」

というわけで、「今週の土曜日試合があります」と誘ってくれたバスケットボール部の午前中の試合の応援には伺えなかった。午後一番に駆けつけると、午前中に試合のあった女子が私を見つけ「先生!ありがとうございます。1試合目勝ちました。これから男子、そして女子・・・」歓迎の言葉をかけてくれた。試験前で忙しいだろうに、若い先生が数名応援に来てくれている。自分のクラスの生徒が出ているのだという。生徒の思いに応えてくださっている姿に感謝である。結果は男子も女子も残念な結果に終わってしまったが、いい瞬間(とき)を共有させてもらった。自分たちの力が存分に発揮できなかったもどかしさが残ったかも知れない。でも流した汗は正直である。ともに過ごした日々に培われた絆は何にも換えがたいものである。しっかり見せていただきました。涙する君たち(女子)の丸めた背中を見て、私は、だらしなくも声がかけられなかった。悔しかったろう。でもこの時を悔しいと思えるだけ、君たちの日々は懸命だったのだ。そんな風に歩みを確認してみるのもいい。よく頑張りました。

終了間際に、足を捻ってしまったセンターさん、大事ないですか?