2019年11月の記事一覧

お祝い 千葉県1位:再び全国大会出場・放送委員会

11月19日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.133 AP部門「音で視る。」千葉県1位

 AP部門とは「オーディオピクチャー部門」のことであるらしい。
 一通のメールが届いた。「監督動きます。今、扉の前にいます。」放送委員会からの怪文書ならぬ快文書メールである。「先生!今いいですか?」は、よくある声がけ。ドアを閉めてあったからだろう。この訪問は初めてである。ドアを開けると、見覚えのある監督が頭を丸めて立っている。坊主頭なのである。「いいえ、気分転換で・・・」といいながら、メンバー紹介。新顔は真ん中の男子生徒である。今回は彼が新監督であるらしい。来年(2020年)に高知県で行われる総文祭に、千葉県1位(優秀賞)で、出場が決まったという。すごいことである。「ご当地もの」をテーマーに、AP部門作品の作成を行なった。本校の放送委員会が選んだのは「音訳」に取り組む地元のボランティア団体と、点字図書館の存在。高校生の目線で、障害のある人々を支える市民の熱意が見事に描き出されていた。監督にインタビューすると、謙遜がちに「思わぬきっかけでボランティアの方々の活動に出会い、それがテーマに結びつきました」と答えてくれた。
 視覚障害を支援する様々な取組を話し、知り合いの息子さんが伴走者としてパラリンピックに出場を果たしたエピソードを語って聞かせた。ついえたと感じていた走る夢をまた復活できた喜び。誰かのためになることを知った嬉しさ。交錯する心情のあざないは、感動という滴を絞り出す。今君たちは、このテーマに出会うjことによって、健常者である限り(正確には視覚の障害がない限り)なかなか取り去ることのできない、高いハードルとしてある透明なバリアをクリアしたのだと語って聞かせた。3人の中の一人が「透明なバリアフリーか」と呟いた。いい心のリレーションがあった「瞬間(とき)」であったと思う。おめでとう!これは全国大会(総文祭)出場だけでなく、君たちの心の透明なバリアフリー実現への賛辞である。

 接するごとに成長を感じる市原中央高等学校生、いいね。

暗くなった廊下を歩いていると、向こうから音楽コースの2人の女子生徒が駆けるようにしてやってきて、「先生、ありがとうございました」と謝意を表してくれた。これもまた嬉しかった。

お知らせ 空気が凛と澄んでいた

11月18日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.132 懸命にピッチを駆ける姿が眩しかった


 先週のある日の午後、一人の男子生徒が訪ねてきた。目の輝きの澄んだ生徒である。応接の椅子に座って部活のことを語る。矢継ぎ早ではなく、じっくりと噛み締めるように。こちらの発する言葉に一つひとつ理解をし。応じながら語っていく。良識を踏まえ、その上であってほしいことを丁寧に説明していた。聡明な生徒である。最終に私が告げた結論に「嬉しいです。ありがとうございます」と慇懃に礼を述べた後、「先生、遠いんですが、来ませんか?11月17日(日)、東京学館浦安で翔凛高校と対戦です。みんな頑張っています。ぜひ」と誘ってくれた。別件があったので困った表情をしたのだろうが、黙って私を見る澄んだ目が「否」とは言わせない素直な強さを持っていた。「できるだけ」曖昧な返事に「お見えになったら、挨拶に伺います。ありがとうございます」と言ってドアを開け、丁寧にお辞儀をして出て行った。ぜひ応援に行こうと思った。

  台風や豪雨で流れた第12節の試合がこの日(11月17日)に行われた。快晴の空は初冬を思わせ、合わせるように空気が冷たく凛と澄んでいた。海岸線のためか、風がやや強く、前半、風下のゴールを守る本校にとっては、相手のボールが思いの外、足が早く伸びを見せてくる。開始から25分過ぎ、コーナーキックから上がったボールに双方合わせることができず、こぼれ球を本校の10番が身を呈してクリアした。そのボールがどういう過程でか見えなかったが、ゆるゆるとゴール右サイドのネットにもつれるように入って行った。悪夢を見ているような失点であった。
 2点ビハインドで迎えた後半。動きは本校の選手の方がよかったように見えた。攻めに集中していた本校の隙を突かれた。終了5分前、センター付近でボールをキープした相手88番がドリブルでディフェンスをかわし、ゴール前の空きスペースに送ったパスに合わせ、29番が左で蹴ったシュートは、キーパーの逆をついてゴールネットを揺らした。
 翔凛高校の選手は3年生が中心だったのだろうか、素人目に試合慣れしているように見えた。ただ最後まで諦めることなく、相手のゴールを目指して突き進んでいた本校生徒の姿に感動した。結果は0対3というスコアであったが、決して負けていない闘志を伺うことができた試合だった。頑張れ、市原中央高等学校サッカー部。

音楽 汗と涙と喜びのシンフォニー

11月17日(日) ほぼ毎日・校長 Vol.131 感動の3時間ステージ

  鍵盤に向かい伏せ目がちにしばらくあって、彼女の手は動き始めた。後悔した。「演奏する生徒たちの踊るような手の動き、ご覧になりたければあちらの席がよろしいかと」案内してくださった講師の先生がお勧めくださったのに、真正面の席に陣取ったことを後悔した。経験の少ない私には、演奏は歌声は聴くものという先入観があったのかも知れない。一人二人と演奏がなされ、美しい声を披露するごとに、観るものであり参加するものであることがわかってくる。
 腕からも手の動きは感じ取ること、見てとることもできた。さざ波のように指に連動して動く腕の筋肉。柔らかく優しい動きの中に、ピンと張り詰めた鋭さを宿している。鋭く突き進もうとする指の動きをセーブするように肩から二の腕が緩やかに動く。いや上半身全体を使って指の激しく強くなりすぎる動きに調和を与えようとしているかのようだ。鍵盤に直接つながる身体の一部は指、手であるが、奏でているのは全身であり、生徒たちの心、魂そのものだ。
 彼がオペラ座の怪人の一節を歌う時、掌を上に向けた腕を胸元から喉元に幾度も持ち上げる。心の高揚をさらに高めようとするかの如く。感動のピークは差し出した腕と手に見られた。一瞬彼の差し伸べた手と聴衆の手が結ばれたような錯覚があった。単なる錯覚ではなく、心のリレーションが創り上げた幻想だったのだろう。彼の心の高鳴りは私たちと共にあった。会場全体が包まれていた。
 挨拶で今日の演奏会は、彼らの汗と涙と喜びのシンフォニーだと紹介したが、偽りではない。日々部屋で聴くピアノの音色。同じところを何度も何度も繰り返す。苦悩の中で勝ち取った表現。そしてその集大成。それを「汗と涙と喜び」と表現して見た。美しかった。

 おめでとう、演奏会の成功。そして感動をありがとう。素晴らしい学校です、市原中央高等学校。

興奮・ヤッター! エンパシーということ

11月16日(土) ほぼ毎日・校長 Vol.130 共感や同情ではない


 写真は「市原中央高等学校に新しい風を、校長先生、どうすればいい?」と相談に来てくれた男子生徒。エンパシーの話を考えていたので、思いを想像し、共有しようと努めた。お付き合いありがとう。君が考えている構想、うまくいくよ。

 いや、君ならうまく達成できるよ。会話に力があった。

校長講話

 前期の終業式、後期の始業式を兼ねた式辞で「チンパンジー・サラ」の話をしたことを覚えているだろうか。「思いやりなら猿でもできる」でも他に及ぼすことは「猿にはできない」といった話だった。そこに「ヒト」の力がある。この「思いやり」に似た言葉とつい最近出会った。
 君たちは知っているだろうか。本屋大賞を受賞したノンフィクション本。ブレイディみかこさんがイギリスに住む息子の日常を母親目線でつづったノンフィクション本『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』本校の図書館にも間も無く並ぶのでぜひ読んでみてほしい。
 中学校に通う息子が、人種差別や、貧富のいじめなどに巻き込まれながら、成長していく。貧しい家庭環境の友人に、制服をあげようと考える場面。どう渡せば彼を傷つけないか、悩んだ末に言葉を掛かる。「友だちだから」。共感や同情など(シンパシー)ではなく、他人の感情を想像し、分かち合う力。エンパシー。
 「エンパシーとは何か?」と尋ねられた時に息子が出した答え「誰かの靴を履いてみる」に筆者は気付かされたという。「誰かの靴を履いてみる」ということ、つまり違う立場や考え方の人の考えを想像することと語っている。
 「なるほど」と納得させられるが、ちょっと残念にも思った。インタビューに筆者はこう語る。「履きたくない臭い靴とかもあるじゃないですか。絶対嫌な靴とかもあるから。でもそれでも、履いて歩くことまでは、しなくていいけど、とりあえず履いて、どうなんだろうなと想像してみる。それって勇気のあること。力が必要。」
 この息子が語った「エンパシー」=「誰かの靴を履いてみる」とは、そんな意味だったのだろうか?筆者が語るから間違いないのだろうが、私にはもうワンステップあっていいのかなと思われた。誰しも他人の靴を間違えて履いたことがあるだろう。なんとも言えない違和感。足裏に感じる微妙な傾きやずれ。あの感覚にエンパシーの入口があるのではないか。違いを知ること、馴染まないことを自覚すること、違和感を感じている自分の存在に気づくこと。
 直ちにわかる「ちがい」 + リスペクト =エンパシー
エンパシーの始まりを息子は語ったのではないか。そんな思いがしている。
「エンパシー」難しいことだが、モテる人間でありたい。君たちにもそうあってほしいと願う。

 

音楽 芸術コース(音楽専攻)定期演奏会 明日開催

 11月15日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.129  楽しみにしています

*お車でご来場の方は、市民会館の駐車場をご利用いただけます。

演目はこちら      プログラム.pdf

会場までのバスはこちら バス時刻.pdf

 生徒たちは、今年もこの市原市文化会館でみなさまにお会いできますことを、心より楽しみに練習に励んでまいりました。
 初めての演奏会を開いてから、早いもので三十余年の歳月が流れます。刻まれた歩(あゆみ)は、その時々に悩みや課題はあったと思いますが、優秀な講師陣の生徒一人ひとりに応じたご指導により、生徒たちは熱意を結集して乗り越えた歴史です。これも保護者の皆様の深いご理解とご協力を始め、卒業生や毎年の演奏会を楽しみにしてくださる地域の皆様のご支援の賜物と衷心より感謝申し上げます。
 これほど「琴線」というものの存在を感じさせる催し物はないと思っています。今日、この会場で演奏を披露する生徒諸君の音が上質なだけではありません。奏でる音は、毎日の生徒たちの営み、努力、そしてそれを支える周囲の情熱そのものと結びついて心に響くからです。
 生徒の皆さん、今日のこの時空が設けられることに感謝し、聴く者の琴線を大いに刺激してください。ご来場の皆様、生徒たちの奏でる音にきっと感動していただけけることでしょう。ぜひ彼らの熱く輝く「瞬間」(とき)に、喝采をお願いします。