2019年6月の記事一覧

鉛筆 玄関を入るとその学校の全てがわかる

6月24日(月) ほぼ毎日校長 Vol.53 高校説明会にお伺いした中学校

 高校説明会に伺う機会があった。なんども伺ったことのある中学校である。いついってもこの学校は、玄関を入るだけで気持ちが洗われる。日頃生徒たちにどんな指導をなさっているのか、どういう教育が展開されているのか、そして先生たちの協働の体制がいかにしっかりしているかが分かる。「すごい学校だなぁ」といつも思ってしまう。見習いたい。兄弟校の木更津総合高等学校の説明を真板校長(理事長)がなさっている間に、パシャリと写真撮影。ご覧いただいて分かるだろうか、姿勢を正してじっと話者の方に目を向けている。「話は目で聞け!日髙!」中学校時代に話を上の空で聞いていた私を注意した先生に「聞いていましたよぉ」とふて腐れると、可愛がってくれていた担任が横から大きな声で指導してくれた。「話は目で聞く」もの、ここの生徒たちはちゃんと実践している。もちろん市原中央高等学校の生徒諸君も。いいね。

 本校の保護者の方が話してくださったお話を思い出した。中学校の教員をなさっている方で、「日髙先生、私の教え子に話してくださった『ドーナツの穴』のお話、よく覚えています」嬉しい限りである。その話を思い出し、この中学校でも「二匹目のドジョウ」を狙ってみた。

ドーナツの穴と動物園の話し(高校選びはこうあるべきだ)

自分って何?という問いかけは難しいが、わかりやすい。自分=ドーナツの穴と考えること。あるかないかを明確に説明できない「穴」は、ドーナツによって形づけられている。自分を「穴」と考えるなら、ドーナツは周辺(=仲間、教員、他者)である。他者が上質であればあるほど、「穴」は上質な自己確認をする。上質なドーナツのある学校をどうやって選べばいいか、その話をしよう。行ける学校選びは、「それなり」のドーナツしか得ることはできない。

動物園(や水族館)に行ったことはあるだろうか?・・・

ほくそ笑む・ニヤリ 「お弁当なしね」が生んだ出会い

6月21日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.52 唐揚げ弁当350円

 私ごとですが、奥さんが出かけるときはお弁当がありません。そんな時は、生徒の昼休みが始まる前に食堂でお弁当を購入することにしている。ボリュームのある弁当が350円と、かなりリーズナブルである。写真は唐揚げ弁当。今日もこれにする予定でしたが、来客があり昼休みが始まって少し時間が経ってからになってしまった。案の定、食堂には行列ができている。「食券の最後尾は?」独り言のように言うと「先生、ここです」と招いてくれた。私の後に2人の女子生徒。どうやらここが終わりのようで、その後は誰も並ばなかった。後ろの二人と色々とお話をさせてもらった。「食券はあらかじめ販売数が決まっているの?」とか「私で売り切れるといけないから、先に買えばどう」といった類の、たわいもない話なのだが、こう言う時間が一番好きである。この17日から販売を開始した売店。ちょっとしたスナックやアイスクリームが売っている。「もう利用した?」「はい便利に使っています」「一番のお気に入りはアイスクリーム」だそうである。列の途中にノートを見ながら並んでいる生徒がいた。「すごいなぁ、行列の中で勉強か?」と問いかけると、下を向いてしまった。そばにいた友人が「追試験があるそうです」と、小声でこっそり教えてくれた。よく考えもせず「そうか、追試か、頑張れ!」と大きな声で励ましたものだから、耳まで真っ赤にしてさらにうつむいている。申し訳ないことをしました。ごめんなさい。

「お弁当なしね」が生んだ素敵な出会いである。感謝。

部屋に帰ると、いつもの野球部の二人が待っていた。抽選の報告に来てくれたのである。「高校球児としての最後の夏を飾るのに、いいくじを引いたね」と迎えると、二人で声を合わせるように「はい!」と大きな声で返事をしてくれる。清々しい空気で部屋が満たされるのを感じた。ありがとう。

王冠 なぜ走るのだろう? カウントダウン

6月20日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.51 あと1週間

 「令月の和楽」をテーマとした文化祭の開催が迫っている。それぞれに忙しそうに準備に追われている。以前(もう30年以上前)から気になっていたのだが、生徒たちはなぜ走るのだろう?テンションが高くなっているのか、やたらとこの時期走りたがる。とある高校に勤務していた時のこと、クラスの生徒で、外からの強い衝撃が加わることに気をつけなければならない生徒がいた。普通に生活している分には、廊下を走る生徒なんて一人もいない学校だった。ところが文化祭の前は、走るのである。あちこちで「あっ、ごめん」「すみません」。ちょっとした衝突事故が起き始める。それも頻繁に。当該の生徒と真剣に考えた。サンドイッチマンのように、前後に看板ぶら下げてみるか?スーパーのお子様買い物カートのように、のぼり旗の立った竿でも持って歩くか?笑いながら話しているが、どちらも真剣に考えなければならない対策であることが分かっていた。「先生、僕は全校生徒の前で事情を話します。僕であることがわかるように、赤い帽子を被って生活します。文化祭終了まで」彼は身長のある人だったので、意外と目立って効果があった。集会を開いてもらい、壇上で彼が赤い帽子を被って事情を話した時、傾聴の姿勢を示していた生徒たちから、拍手がおこった。彼の「勇気」に対するものだったのか。文化祭実行委員長が「ぜひみなさん気をつけてください。この文化祭準備は、疾走禁止です」と語っていたことを思い出した。

 本校の生徒は、見るかぎりまだ走っていない。文化祭に向かって気持ちが高まっていない訳ではないが、まだ走っていない。本校生徒のもつ品格なのかなぁ。印刷室で資料を印刷していると、生徒会役員が新入生の後輩を連れてきて、機器の使い方や手順を丁寧に教えていた。新生徒会役員に期待したことを、ちゃんと実践してくれている。市原中央高等学校、いいね!

校長室の3人は、本文とは無関係です。清掃担当の女子たち。いつも笑顔で、校長を元気にしてくれる生徒たちです。

合格 学校経営の方針は君たちから生まれているようだ

6月19日(水) ほぼ毎日校長 Vol.50 市原市内の中学校長が大勢お見えになった

「僕ってなに?」「私ってどうなの?」という問いかけは、ドーナツの穴ってあるの?という問いに似ている。穴は確かにあります、でも食べてしまったらどうなるだろう?「ない?」確かにあったはずの穴は?穴はドーナツによって形づくられている。人生の中で、高校3年間はそんな自己確認をしたり、人間形成をしていく大切な時期にある。どんなドーナツが周りにあるかで、人生が変わると言っても過言ではない。水中を飛ぶように泳ぐペンギン、やはり鳥だった。プールの中でダンスを踊るシロクマ、王者の風格がある。ガラスの向こうからにらめっこするアザラシ、好奇心の強さが本領。みんならしさを引き出されている。それぞれの動物のプロが、他には真似できない特徴を引き出している。飼育のPROなのである。本校には、自慢できる教育のPROがたくさんいる。だから生徒は生き生きし、らしさを引き出され、光り輝いているのである。市原中央高等学校の自慢はそこにある。

校長先生たちに教育方針と本校の素晴らしさを語り、部屋に帰ると、しばらくして「アレェ、いるぅ」という言葉とともに女子生徒が二人入ってきた。部屋の清掃をしながら、「先生、吹奏楽のコンクール、私たちの前は市立船橋、次の次には市立柏・・・。やりがいあります」と言って笑顔で報告してくれた。ぜひ行くよ。頑張ってください。

会話を交わしながら「本校の教育方針」などと立派なことを言いながら、気づいてみれば、目の前の生徒像を語っているだけである。どうやら校長は、君たちから何をすればいいかを学んでいるようである。いい生徒たちに恵まれた。

野球 12日 Vs 木更津高校 マリンスタジアム 応援お願いします

花丸 正解のない答え合わせと100点ダルマ

6月18日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.49 少年の話・・・答えは?

 ほぼ毎日校長Vol.36「ニライカナイから神が来る」の中で登場した案内役の少年、どうして祭りの話を聞かせてくれるごとに、「おじさんはいい人だから・・・」を枕詞のように使うのだろう?先日の校長講話で私の考えた解答を述べたので紹介しよう。

幼い子が「おじさんはいい人だから」と必ず言ったのは、日髙を「いい人」にしていないと自分が罪人になるから。

神々の話(祭り)にはタブー(=禁忌:してはいけない)がつきものである。異類(神)との婚姻を語るものには必ずと言っていいほどある。鶴の恩返し「機織りを見ないでください」浦島太郎「開けてはいけません」雀のお宿「覗いてはならない」三輪山の杉「触ってはいけない」などなど。この島の秘儀の祭りは「語ってはいけない」(島民だけの共同幻想)である。島民たちは子々孫々にいい伝える「語ってはいけない」純粋な子供は、純粋な疑問を持つ。「なぜ?」そうすると母と子の間に、こんな会話が成立しはしないだろうか。
子「なぜ話しちゃいけないの?」
母「・・・」(答えられない)
子「ねぇ、お母さん、なぜ話しちゃいけないの?」
母「島の人たちの大切な祭りだから、悪い人に聞かれるといけないからよ」
(「いい」←→「悪い」という、本当は難しいが、子供には理解しやすい概念で説明する)
子「ふーん」(じゃあいい人なら語ってもいいんだ)

「おじさんはいい人だからね」という少年の言葉は説明できているだろうか?これは「正解」ではない。◯や✖️で判断されるものではない。私の説明であり解釈である。あの宿題を出した時、生徒諸君はどんな答えを導いたろうか。右から左へ「口から耳へこぼれゆくもの」として聞き流す者も多かったに違いない。(HRで話題として取り上げてくれた教員もいると聞いている。ありがたい)世の中には、こうした問いはあまりにも多い。 いや、こうした問いばかりである。そして時には誰も答えを示してくれない。協働のスパイラルの中で自分を変容させ、強い頭を鍛えるそんな学びが必要な時代なのだ。

これは◯✖️の世界。でも先に書いた学びの根底に、これは絶対に必要だ。この層が薄い者が強い頭を鍛えられるはずがない。スタートはここから。

100点ダルマ、今回は何人いるのだろう。「卒業までに◯個目標」いいね!