2019年10月の記事一覧

花丸 これは凄いことなのだと自分に語り、得心した

10月30日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.122 アウン=サン=スーチー直筆サイン

アウン=サン=スーチーさんの名前を知らない者はいないだろう。ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。彼女の直筆サインが本校の職員昇降口に掲示されている。8月にミャンマーでおきた豪雨被害への支援を、本校のインターアクトクラブの諸君がおこなったところ、アウン=サン=スーチーさんの直筆のサインの入った感謝状が届けられた。
インターアクトの生徒たちの活動は一見地味だが、人の心を動かす。温かくて重みがある。誰も気づかないようなささやかな善意、思いやり。その小さな一歩のあゆみ、動きに、あの「女史」が答えてくれたのだそうである。本校の生徒の善意を受け取ったミャンマーの財団の代表が、彼女を知っていて「日本の若者の気持ちに応えて上げて欲しい」とお願いしてくれたのだそうである。ありがたいことである。顧問の教員がわざわざ見せに来てくれて、「どこに飾りますか」といって、机の背後の棚をみている。「ダメダメ、一番目立つ、一番輝いて見える場所にしよう」として、この場所に落ち着くことになった。日本との関係では、第二次世界大戦の悲しい過去もある。「水島は、『やはり自分は帰るわけには行かないんだ』と思った」懐かしい故郷・日本と戦友たちとの惜別の思い。その中にある揺るぎない決意。独りこの地に残って、共に戦い死んでいった仲間たちの供養をしよう。『ビルマの竪琴』のあのくだりが好きだ。あの本を読んでから、少し近しい気持ちでいるミャンマー。その国の「事実上の首相」と呼ばれることもある女史の直筆サイン。目の前にして心がいっぱいになった。

 ありがとう、市原中央高等学校インターアクトクラブの諸君。感謝です。

 こんにちは。インターアクトクラブです。日頃よりインターアクトの活動にご理解、ご協力頂きありがとうございます。
 インターアクトクラブでは、今年の8月頃ミャンマーでおきた大雨による災害とその被害に対して、募金活動を校内で行い、ドーチンキー財団を通じて義援金として寄付をしました。お陰様で、今回は7,359円集めることができました。先日、財団からアウンサースーチーさん直筆のサイン入り感謝状が届きました。(感謝状は来客・職員用玄関に掲示します。機会がありましたらご覧ください。)
ご協力頂きまして、ありがとうございました。
 今後ともインターアクトクラブの活動にご協力、よろしくお願い致します。
 市原中央高等学校インターアクトクラブ
                          市原中央高等学校Web通信から

 

晴れのち曇り 今日はすべてが内緒なんだねぇ

10月24日(木) ほぼ毎日・校長 Vol.121 サプライズ


 仲の良さそうな4人の生徒がやってきた。チャイムがなったばかりのお昼休み「いろいろお話があって来たんです」「なんだろう。入って入って」生徒の笑顔に心が暖かくなったのか、嬉しくなってウキウキしている自分がちょっと照れ臭いぐらいだ。『男子1人に、女子3人?』本校の生徒の組み合わせでは、それほど珍しくないのだが、ちょっと「?」。顔に感情が出やすいたちなのだろう、とてもポーカーフェイスは私には無理だ。もう高校生に心を読まれて、「あぁ、音楽コースの3年生です」と自己紹介された。「考えていることがあって、相談して、行こうってことになって、来ちゃいました」口を開いた一人の女子。途切れ途切れに語る経緯。『こんなこと話していいのかなぁ』という遠慮とためらいが感じられて、上品さすら感じさせた。「あのね、・・・」自分たちの企画?企て?もくろみ?挑戦?楽しいサプライズを語ってくれた。「先生だったら、賛成してくれます?」「後輩たちがね。『いいな、私たちも・・・』と思ってくれるものを作りたいんです」いいぞ、いいぞ。単なる思いつきやわがままではなく、きっとこうなるだろうという未来予想図を描いている。企画について、大人ながらの心配事をいくつか投げかけたが、ちゃんと答えも用意している。『すごいなこの子たち』と素直に思いながら、大いに賛成を伝えた。
 ご披露できないが、サプライズ。11月16日(土)の発表会でお披露目です。些細なことだけでど、自分たちや周辺を豊にする術を知っている。市原中央高等学校ってすごい。

部屋の上に第二音楽室があって、グランドピアノが置いてある。休み時間ごとに、ピアノの素晴らしい音色に囲まれて過ごしています。ありがとう。

3ツ星 懐かしい親友のことを思い出した

10月21日(月) ほぼ毎日・校長 Vol.120 源氏物語を片手に・・・

 田舎育ちの私からみても「いなか」に住んでいた。農家の長男で、長距離走の得意な男だった。左の頬にニキビが多いことまで覚えている。心の広い男で、わがままな私と妙に気が合った。「しょうがない、長男だし。いいなぁ日髙は」彼は大学に進まず家を継いだ。「game」というニックネームでみんなから親しまれていた。大学に進学した私が、箱根の走者と偶然話をした時「そうですか、○○高校ですか。陸上競技部に●●君がいたでしょう。(大学は)どこへ行きました」とgameの名前に思わず出会った。『へぇ、あいつすごいやつだったんだ』
 彼のことを思い出させたのは、写真の向かって右側の書物で顔を隠している女子生徒。装丁から小学館の古典文学全集であることがわかる。「何を読んでいるの?」と尋ねると、黙って背表紙を見せてくれた。「源氏物語」である。「すごいね、高校時代に源氏を読破しようなんて、すごいね。僕の友人にねgameと言うのがいて、暇さえあれば源氏を読んでいた。」思い出話を勝手に聞かせてしまった。文学部に進んで「女流文学を学びたい」と目を輝かせて語ってくれた。「虚構」という問題について語った。高校生には難しいかもしれないと思ったが、彼女はちゃんとついてきた。「『今』に通じるところがあるんです」正伝はhistoryと言う通り男が作ってきたかもしれない。でも女性の持つあの力、創造力は男にはない。羨ましいほどの豊な力である。

 知性に輝く目が美しい生徒でした。大学に行ってもその輝き、失わないでくださいね。市原中央高校生は素敵だ。

合格 進学指導講話ー不易なものー

10月18日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.119 秋風の吹く頃、木枯らしの吹く頃が一つの山


 7時間目のLHRの時間を活用して、進学指導講和が行われた。写真は3年生の集会の様子。よく知る男子生徒が体育館に入ってきたので、「進路、どうするんだ?」と尋ねてみた。かねてからいい目をしている彼だが「やっています」が烱々とした眼に伺えた。案の定「センター、一般一本です」と朴訥としているが、説得のある響の返事が返ってきた。こういう頃の青年の目は大好きだ。
 講話が始まった。私立(都内)の大学の定数厳格化により、二極化していた大学の枠が重なって、ファジーな位置関係になった。2020年の入試改革を目の前に、安全志向が働く。難関大と呼ばれていた大学の受験者が減少してくる。この踏ん張りって大切じゃないか。受験生にとってピンチをチャンスと考えてチャレンジする。いい機会が、いま君たちの前にやってきている。
 「そんなこと言って、受験に失敗したら、どうするんですか?誰が責任をとってくれるんですか」よく耳にした言葉である。「心が折れる」のである。本人はスランプに陥って、悩んでいる。頑張っても、頑張っても模試の結果が伸びない。その姿を見ていた「心折れ」part1。3教科に変更!AO入試!推薦入試!みんな決まっているし、焦る。ちょうど今頃、夏の終わりから、秋風が立つ頃。乗り切った受験生に対し、part2は木枯らし第一号とともにやってくる。「どこでもいいんじゃないか?ある程度のところで安全策をとっておこう」=志望校DOWN。今も昔も語ることは同じだ。
 現役の頃に辛い思いをしながら指導にあたった覚えがある。「先生、推薦」「文転するかなぁ」「出ないんだ結果が、無理かも」親御さんも、教員も辛い。もちろん生徒本人も辛い。だからこそ頑張り時だ。「心が折れそうになる」のをどこまで頑張れるか。いよいよ今年もそんな季節がやってきた。

頑張れ、市原中央高等学校生! 

 駿台予備校の講師の先生配布資料から。カラーのマークは日高が付けました。

お知らせ ラストシーンの「顔なし」になってごらん

10月17日(木) Vol.118 二人で哲学対話 人間関係って難しい

 自宅に帰ってDVDの山をごそごそ探した。TV録画をしていたものがあったはずである。整理整頓ができていないから、見つからない。でも探した。放課後の女子生徒との会話は、どうしても「それ」を確かめたい衝動にかられた。「千と千尋の物語」ラストシーンの「顔なし」である。
 彼女は少し悩んでいた。人間関係だという。詳細は秘密だから、もちろん語れないが、その問題にぶつかり、どうにかしたいと思っている。いつも本校の子供達は、結論を求めてやってこない。「聞いてくださいよ、私(僕)の話・・・」と言ったスタンスである。どんな流れでそうなったか、「顔なし」の話になった。きっと私の中では、個の内部で増幅する「魔物」のようなことを話したかったのだろう。人間関係の悩みはこの歳になってもあるし、尽きない。うまい処し方も知っている訳ではないが「相手を変えるのではなく自分が変わるは、結構有効だね」とか、「流行語対象の『そだねー』から関係づくりをするといいよ」などと語ることが多いので、それかなと思う。自分の中で育った「魔物」は、そのまま相手を「魔物」にしてしまう。消そう。自分が変わって、消そう。ラストシーンの「顔なし」、おとなしくなって千尋と一緒に銭婆の所へいくのだろう。
 女子生徒は予期せぬ答えを返してきた。「自分の存在が認められたから?」それを要にしながら、どうあればいいのか、考えた。二人で哲学対話。出た結論が、ラストシーンの顔なしになってみようだった。

 正解のない問いかけに、複雑な話の流れ、部屋にきた時より分からなくなったかも知れないが、「ありがとうございます」と言って部屋から暗くなった廊下に出て行った。『寒くなったな』と思いながら見送ると、すくっと伸びた背筋の後ろ姿があった。いいね、市原中央高等学校生。