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雪 生徒がくれた贈り物 Part1

12月24日(火) ほぼ毎日・校長 Vol.149 3年生を送る会
 表彰式の後、校長講話、3年生を送る会が行われた。講話を終えて壇上からフロアに帰ってくると、生徒会の諸君が「それではこれから3年生を送る会の準備に入りますので、少しお待ちください」というアナウンスをする。全校の生徒がおかしな動きをしている。静かな水面に様々な絵具を浮かべ、静かに待っていると、わずかな空気の動きで緩やかに模様を作って線画ができていく、あんな動きである。一定の法則性を持っていて、それでいて明確な意思によって動いているのではない、緩やかで「ためらい」を感じさせるようなそんな動きである。よく見ると2年生の動きが1年生に伝播していることがわかる。そう、3年のためにステージ前のフロアに空間を作ろうとしているのである。2年生は昨年の経験があるからスムーズである。1年はなにが起こっているかわからなく、やがて納得して動き始めるから、タイムラグがある。初めての経験であったから、近くにいる教員に尋ねた。「このように動くことが予め指導されているのですか?」「いいえ、自然な流れのようです」
 誰が指示をしているわけではない。誰が促しているわけでもない。自然にこの行動がとれている。「3年生のために」が大きなうねりとなっているのである。「すごい」と思った。

3年生を送る会 校長挨拶
 さほど君たちとは遠くない先輩に、担任として先生が記した「贈る言葉」に接する機会があった。奇しくもこの場で語っておこうと思っていた内容と合致したので、紹介していこうと思う。
その先生は語る。Society5.0の社会が進み、情報化・グローバル化が進む中で、その大きなうねりは、個々人が希望する希望しないに関わらず押し寄せて、君たちを巻き込んでいく。今まで持っていた価値観や常識は、電車の車窓の景色のようにあっという間に遠のき、過去のもの、古きもの、異なるものに変わって行き、通用しないものになっていく。
 その中で必要とされる力は、仲間とのリレーションによって課題を解決する協働力・共生力と、今ある姿に疑問を感じる批判力である。よく語られる「生きる力」「真の学力」につながるものであるが、生徒諸君に直接関わってきた担任の先生が、卒業という節目で語る言葉であるが故により説得力がある。
 もう一つこの力に付け加えるなら、シンパシーに止まらず、エンパシーまでもができる「こころ」を持つことである。この学校での3年間を振り返る時、ここで語られた力の礎が築かれていることを切に願う。これからが本番の諸君が多い。体調を整えて、頑張って欲しい。やり抜いて欲しいと切に願う。

重要 チンパンジー「サラ」の話はしましたか?

10月4日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.112 終始業式が行われた

 全校集会の場、久しぶりな気がする。集会指導の先生が大きな声を出さなくても、ちゃんと整列できる。私にもっとも近いところは、3年生。すでに点呼も終わり、整然と並んでいる。『さすがだな』と思いながら、ブログ用に一枚写真。シャッターを切ろうとする瞬間に、申し合わせたように、一斉に笑顔とピースサイン。あらら、いけない。校長自ら彼らの「整然」に石を投じてしまったようである。みんな、ごめん。

 終始業式・校長講話
台風15号で被災された家庭も多いことと思う。まだ完全に復旧せず、困惑の中にいる人もいるだろう。本当に大変なことだ。心からお見舞いを申し上げたい。学校も施設設備には大きな被害を受けなかったが、閉鎖を余儀なくされた。閉鎖期間中、校長室にいると、時間解放を知った多くの生徒が訪れてくれた。日頃の君たちとは違う君たちを見た。日頃触れることはない保護者の方ともお話しさせていただいた。そこで触れたのは、思いやりと助け合う気持ちである。

チンパンジー「サラ」の話をしただろうか?
京都の霊長類研究所にいたメスのチンパンジー「サラ」は、いくつかの言語を理解、指差し表現するだけでなく、「思いやり」を見せる。その頃の研究では、サラの行動は稀有なもので、世界中から注目を浴びていた。モニターの飼育員が寒さに震えていると、いくつかの選択肢の中から毛布を紛(まが)うことなく選んで掛けてやる。
しかし、彼女の「思いやり」は、限られた条件の中だけでしか機能しなかった。相手が自分の面倒を見てくれている飼育員の時にだけ、別の環境下でも同様の行動をとったという。しかし人はちがう。全く知らない他者にも、その思いを巡らせることができる。そこがサラと人間の違いだ。
最近は薄れてきたかもしれないこの心の動き。しかし市原中央高等学校の風土は違った。
「先生、お困りでしょう。水でしたら復旧していますので・・・」
「○○さん、友人がわざわざきてくれて、今その友人宅でお世話になっているのです」
 みんなが置かれている苦境の中で、自分も苦しいはずなのに、他者へ心を及ぼす者のなんと多いことか、被災による一連の時の流れの中で、温かく「思いやり」を感じた。
 先に話をした「サラ」の場合も、飼育員に限定される行動を持って人間より劣るとは言い難い。サラの持つ「限定」は、「絆」に結びつくものなのかもしれない。そう考えると、今回君たちや君たちの保護者の方から感じたものは・・・。とにかく温かい。

後期が始まる。3年生は決戦の時である。今ある自分をしっかり見つめ。チャレンジの精神を忘れないで欲しい。

前期の終業式、後期の始業式の式辞とします