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! 君は陸上競技部だったの?

8月30日(金) ほぼ毎日校長 Vol.96 すごい成績なのです

 ここのところこのブログに登場してくれる彼女。選手表彰の時「陸上競技部◯◯さん」と呼名があって目の前に立っている。『おっ、君は陸上競技部なんだ』と思った表情を読み取ってか、賞状を読み上げている間、ニコニコ笑顔を振りまいていた。集会が終わってからかうと、「壇上に上がった途端、友人が後ろで話しているのが聞こえたんです。でも先生、すごいでしょ。自己ベストなんですよ」と表彰状を誇らしげに掲げてくれたので、パシャリ。「綺麗に?可愛く?写っていたら、そのまま載っけてOKですよ」と許可をいただいた。機転が利いて、言葉のキャッチボールができる、話をしていて楽しい生徒である。

夏休み明けの校長講話

今日の話は2つ
一つは、「夏をありがとう」、もう一つは「今までのことは・・・」という話。

先ずは、本校の全生徒に、「いい夏をありがとう」と言っておきたい。
「野球」夏の大会、県ベスト4。101回目の新しいスタートの大会でのすごい結果を叩き出した。よく頑張りました。あの頑張りは、それだけでなく、本校の生徒の素晴らしい力を見せてくれた。魅力的な姿をたくさん見せてくれた。
その意味で、さらに感謝なのである。仲間のそんな力を引き出す野球部の諸君の活躍は、私の自慢です。
「女尊男卑」、放送委員会、全国準優勝、おめでとう。クスッと笑える仕掛け、「あるある」と納得させるワナ、シリアスに考えさせる深み、なんとも「持てる総和」としての味のある映像をありがとう。表面的に現れてこない、本校生徒の「味わい」をじっくり。仕込みのいい目にも美しい日本料理を食べているような、そんな贅沢で味わわせてもらった。
すごかった。
いいね。本校生徒。素晴らしいね、市原中央高等学校。

ブログの86や89を読んでいただいてわかるように。私の故郷は関西、瀬戸内です。夏が白い。砂のせいか、真夏の昼下がりは、風景が揺らぐように真っ白になる。鍵っ子だった私は、広場でみんなと遊んでいて、家々から「〇〇ちゃん、ご飯よー」と呼ばれて、友達たちが一人、また一人と帰っていく。ご飯の後はお昼寝。今度みんなが集まるのは、夕暮れ時なのである。一人残った私が、大きな柿の木の下で座って、誰もいない広場を眺めていてその頃に感じた「夏の色は白」。
焼け付くような夏に郷里に帰り、そんな思い出を思い出し、黄金色に輝く瀬戸内の海を見て、受験生だった頃のことを思い出した。旺文社のラジオ講座というのがあって、同級生はみんなそれを聴いて勉強していた。世界史や日本史の代わりに数学で受験しようと考えた私が聴いていたのは「勝浦捨造の数学講座」。大丈夫かこの爺さんと思わせるような声。受験勉強講座なのに、どこか精神論中心の講義。確か東北大学の助教授だった。彼の口癖のようなトークは今も忘れない。「受験生の皆さん、今までのことは一切問いません。これからです。」クラスのひょうきんな仲間が、授業中に答えられなかった同級生の困る姿を見て、やおら立ち上がり、「〇〇くん心配するな『今までのことは一切問いません。これからです』」と大声でモノマネをして、笑いをとりその場をなごましていた。
あの言葉、どこか支えになっていた。最近、脳科学者が同じようなことをTVで言っていた。「今まで」にこだわったり「あの時こうすれば」と執着しても、力は伸びない。今ある現実をしっかり受け止め、何ができるかを考える時、人の脳は思わぬ力を発揮する。
特に3年生諸君、辛く苦しい時が続く。今日という日を、現実をしっかり受け止め、受け入れて、スタートを切るそんな節目にしてはどうか。

グループ ニライカナイから神がくる夜

5月24日(金) ほぼ毎日Vol.36 信頼されることを教えてくれた少年

生徒会役員選挙の立会演説会があった。先駆けて生徒会長の「◯音さま」が部屋に来てくれた。今日校長講話よろしくお願いしますということと、立会演説会に触れるような内容であってほしいというお願いである。『難しいなぁ・・・』と思っていると、察したのか「そうですね、前回の終わりが、『次回は、信頼を教えてくれた少年の話をしよう』でしたものね」ちゃんと聞いていてくれたのですね。案の定、無理やりこじつけの講話になってしまった。

校長講話

南の小さな、小さな島の話である。その島では夏の初めに、ニライカナイから神々を迎える秘儀の祭りがある。島民以外は全て島外に出して行われる、写真撮影はもとより、筆録も許されず、見たことは語ってはならないタブーがある。まさに秘儀である。その祭りに招かれた。長老の家で紹介され許された私は、招いてくれたオジイが案内係に付けてくれた少年に導かれて祭りの場に向かった。真っ直ぐ続く細道の向こうに、こんもりと茂った森がある。神々の宿る杜(もり)であるらしい。太鼓と木を打ち鳴らす音が聞こえ、2柱の神が現れた。赤い顔の神と黒い顔の神。夫婦神である。「ねぇ、あの神様は夫婦なの?」少年に尋ねると、少し考えた少年は「おじさん、おじさんはいい人だからね、教えてあげる」と言って「夫婦神であると教えてくれた。赤い顔の神さまが女神で、黒い顔の神が男神。勝手に自分の中に出来上がった基準で少年に語りかけると、「違うよ、おじさんはいい人だから教えてあげる。一日中海で釣りをして、日焼けで真っ赤なのが男。かまどの灰を被って真っ黒なおが女の神。」興味津々で少年に尋ねるたびに、彼は枕詞のように「おじさんはいい人」を繰り返す。聞いているうちに私は心が浄化されて、どんどんいい人になっていく。人に信頼されることの喜びをこれほど純粋に感じたことはない。信じることも難しいが信じられていることを実感することはさらに難しいかもしれない。「信」という万有引力のような人の繋がり。大切にしてほしい。立会い演説で、自分たちの学校生活の心臓部を担う労を買って出た仲間との「信」をしっかり確認してほしい。

ところで、話に出た少年は、言葉の前になぜ「おじさんはいい人だから・・・」と必ず言ったのだろう。宿題です考えておいてください。