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音楽 こんな瞬間(とき)を独り占め

1月29日(水) ほぼ毎日・校長 Vol.154 意思を離れ生き物と化した指の奏でる音

お昼少し前、「先生、お時間大丈夫ですか?」と言って、女子生徒(Vol,153)が部屋を訪ねてくれた。今日は肩まである髪を、ポニーテールに結んでいる。いつも練習している第二音楽室のグラウンドピアノの前に立った姿は、女子の姿を形容するにはそぐわない言葉かもしれないが、「荘厳さ」が感じられた。それだけ、鍵盤に向かう姿勢が凛とした真剣なものであった。生徒は椅子に浅く腰掛け、少し斜め上を見上げるようにして、大きく息を吸った。鍵盤に指を当てがい、最初の音が出るまでのほんの少しの間、時が止まった。私の、緊張に耐えきれず、口が乾くような気がして、つばを飲み込んだ音が聞こえるほどの静寂。次の瞬間、最初の音が出たあとは、生徒の指が、まるで本人の意思を離れた、一個の生き物のように鍵盤の上を目まぐるしく動いていく。ショパンの「革命エチュード」。難曲として有名な曲。その世界に疎い私ですら、それとすぐわかった。
 見事だった。時にはシーケンスに、時にはランダムに動く生き物と化した指は鍵盤を通じ、ハンマーを動かし、弦を叩く。奏でられる音は、こうした構造を説明する言葉で表現するには失礼なぐらい「いのち」を持って伝わってきた。大きく上半身を動かしながら、波打つように揺れる彼女の身体はピアノと一体化していく。華奢な小さな体が、何倍にも大きく、偉大に見えた。彼女そのものが部屋全体に満たされた「おと」になっていく。琴線が震えた、涙腺が刺激された。「すごい」かつて勤務した高校で、吹奏楽部の生徒が全国大会に臨む楽曲を、私に聞いてもらいたいと言って聞かせてくれた時と同じだ。
 辛い時もあったろう、もう投げ出したいと思う時もあったろう。喜びも苦しみも、共に感じてきた白と黒の配列。生徒がそれに向かう時、裏切ることなく「自身」を表現してくれた。この時のこの生徒の心情を確認することはもちろんなかったが、素晴らしい感動の「共鳴」を私に与えてくれたことは間違いなかった。

 ありがとう。こんな素晴らしい瞬間(とき)を。独り占めさせていただきました。すごい学校です、市原中央高等学校。

3ツ星 芸術は、哲学だ、人生だ!

1月10日(金) ほぼ毎日・校長 Vol.152 芸術コースの展示会

 市原地区の高校の芸術作品展示会が行われていた。ぜひ顔を出しておきたかった。そんな思いにさせたのは、3年生のサカナさんVOL146で紹介した彼女の存在である。あそこまで自分自身を引き込んでいる絵画。そんな彼女の後輩たちが集っている。3年生がいなくなった中で、1・2年生の活躍はどうだろう。関心があった。
 平日の午前中、訪れるお客さんは少ない。開場してまもない催し物フロアに椅子を並べて、本校の芸術コースの生徒が先生方からレクチャーを受けている。「冬休みの宿題、みんなで批評し高め合っているんです。」と一人の先生が説明してくれた。講師役の二人の先生が批評、感想を1枚、1枚のデッサンに述べていく。どれもすごい。「いいな、うちの子たち」と思いながら、一緒に聞いていた。
 これはね、製作途中に陥ること。必ずと言っていいほど。見事に陥ったね。
 そんな時は、距離を置いて観ること。
 近づいたり遠のいたりしてみつめてみること。
 技術、テクニックだけでなく人生を語っている。こうした視点、視野を持つチャンスを自分でつかんでいる。すごいことだと思う。絵ができてからテーマやキャプションを考える。テーマやキャプションがあってから絵をものす。どちらでもそれはいい。写真を撮影するのだが、撮影に入る前にテーマを考える。シャッターを切る瞬間には、キャプションが出来上がっている。そんな撮影の仕方をすることもあれば、とりあえず感動や流れに従ってバシャパシャとシャッターを切る。出来上がった作品をみながら、キャプションを考える。
 何を語りたかったのか自問してみること。やはり人生なのだ。

 芸術は面白い。作品と、講評と、生徒たちの表情をみながら、心からいいなと思った。