この師ありて、この生徒あり

2019年4月14日 10時45分

4月14日(日) Vol.10 一枚の印刷物が嬉しかった

朝の打ち合わせに行くと、机上に一枚の印刷物が配布されていた。私だけにではなく、全職員に配られているようだ。新入生向けに作った冊子の巻頭言をわざわざ抜き刷りにしたようである。打ち合わせの発言の中で、一人の先生が「先日のお話の中で、『新入生向けの冊子の巻頭言にも書かせていただいたことですが・・・』との内容がありましたので、全教職員が知っておく必要があると思い配布しました。ご一読ください」と説明してくださった。なかなかできる気配りではない。一部の生徒に接する中で『いいなぁ、うちの生徒。自慢だな』と思える生徒の人間的質の高さは、こうした先生方によって育まれているのだ。嬉しかった。一方で、いい加減なことは書けないぞ、言えないぞと身が引き締まる思いがした。

説明できることの先にある未来に挑戦せよ

少し面白い話をしよう。昔、そう君たちが生まれて過ごしてきた時間の倍ほども昔のこと。出会った一冊の本の中に載っていたエピソードである。日本の霊長類研究所で飼育されていた一匹の雌のチンパンジー(サラ)は、自分を担当している飼育員に「思いやり」という心の動きを見せるという。それを確認する実験が行われた。寒さで震える飼育員に対し、彼女はどんな行動を見せるかというものである。彼女は、いくつかの選択肢の中から見事に毛布を選び、飼育員に掛けてやったのである。人にしか持てないのではないかと思われていたこの「思いやり」という心の動きを、サラはやってのけたのである。同種の行動が彼女には、異なる状況下でも確認された。ただそれは、相手が飼育員である時だけという限られた条件のもとで有効なものであった。
 しかし人は違う。限りのない広がりで、眼前の事象を受け、起こった心の動きを他に及ぼすことができる。目の前で起こっていることを観察するだけでなく、原因や意図を考え、そこですべきことは何かを考える。全く見ず知らずの者であっても、相手は何を望んでいるかを察し行動することができるのである。もちろん個人差はあるが、そこで起こっていることを観察するだけでなく、他者の意図や困惑は何かを考え、推測できるのである。人間にはこうした複雑な概念を学習し、その概念を現実に及ぼす能力があるらしい。誰に指図されることもなく、いつの間にかこの能力を自然に発揮できるようになっている。君たちの担う将来を「不透明な未来」などと人は言うが、説明できることの先にある未来に対する取るべき行動や、掴む力もこうした能力と同じなのかもしれない。
 「いつの間にか」と書いたが、この能力が発揮できるようになるためには、多くの人との交わりという経験、そこで受けた感情、読書や鑑賞によって作り出された疑似体験や感動などと、それを得るための積極的で懸命な行動が必要である。日々の生活における涵養である。勉強も然り、部活動や学校行事、友人とのたわいもない会話など、日常生活のあらゆるものが涵養の糧になっている。周りにあるものが上質であればあるほど、それに比例して形づくられる能力も上質になる。より上質な力を得るための営みには、上質な周辺、環境が欠かせない。ここ市原中央高等学校の自慢は、そこにある。中でも一番の自慢は、生徒である。君たちの選択に間違いはない。ようこそ、市原中央高等学校へ。   2019年4月