右 去年今年・・・

校長講話

前回の校長講話で「探究する心」という話をしたのを覚えているでしょうか。1年のうちに出会った3人の若者(海藻にエネルギーの将来を求める学生たち)を例に取り、興味・関心があることを探究に結びつけるには、「強い衝撃」が必要だと言った話です。漫然と生きていたのでは、それは得られない。常にその衝撃が、いつ訪れようとも感受できる研ぎ澄まされた感性を持ち続けるくらいの緊張が必要だと言った内容でした。
 今日は、生徒会の皆さんからいただいたお題が「3年生への激励の言葉」(=1・2年生への新たな年に向かう決意に結びつく言葉)ですから、見つかった興味・関心に基づく「探究心」を継続するための姿勢というか、生き方の話をしようと思っています。卒業する生徒たちが部屋にやってきて「何か一言をください」と言われた時、私はお気に入りの別役実の名言「人間は、何か一生懸命やり通さなくちゃいけないのさ」を書くことにしています。それに通じるような話です。
去年今年貫く棒のごときもの
これは明治から昭和にかけて活躍した俳人、高浜虚子(たかはま きょし)の句です。この句と先に述べた「(探究の)継続」との関係を語るには、少し彼の文学人生に触れておかなければなりません。彼の文学の道は平坦なものではありませんでした。四国松山から俳句の師「正岡子規」を慕って上京した虚子は、同郷の川東壁梧桐らと共に俳句革新運動に身を投じていきます。正岡子規の没後の俳壇牽引継承者への誘いを断った虚子は、正岡子規の死後、碧梧桐と袂を分かち、しばらく小説の世界に入っていくのですが、自由律の俳句を良しとして進んでいく碧梧桐と日本の俳壇を憂い、再び俳句を読むようになります。「春風や闘志抱きて丘に立つ」はその頃の虚子の心境を詠んだ句です。強い衝撃を受けて「探究」に進む瞬間です。それは「闘志」ほどの強さを持ったものでした。こうした強い衝撃により、(闘志を持って)一生懸命やり通す(継続する)ことを貫いてきた人、虚子の晩年(76歳)の時の句ですから、意味としては
「何の変哲もない棒のようなもの、それが去年と今年を貫いている」
ということでおおよその間違いはないと考えます。碧梧桐の自由律俳句を一線を画し、伝統的な俳句を推し進め牽引してきた俳壇に、前衛俳句という新しい波が押し寄せてきたころでもありました。私はこの句に詠まれている「棒」は、自分の中にある「信念」「闘志」のようなものだと考えて良いと思っています。「去年から今年へと年は変わり、周囲の状況がどんなに変わろうとも、自分の中には変わらない信念が貫かれている」という意味、来し方を振り返り我が人生に悔いなしという思いがこの句には込められていると解釈しています。お前には貫き通せる信念はあるのかという問いを突きつけ問いかけてくれる句であます。
 皆さんには「これだけは譲れない」といった信念のようなものはあるでしょうか?本校の生活の中で培うことはできたでしょうか(できているでしょうか)。本校の先生方はそれぞれにアプローチの仕方は違いますが、みんなそうした力(生きる力)を身につけてもらうために全力で臨んでいます。今眼前にその存在を求めるとするなら、入試に対する姿勢にそれが現れているはずです。君たちを襲う「不安」や「弱気」「妥協」と言った要因を跳ね除ける力を見出してほしいと思います。必ずあるはずですし、持っているはずです。虚子のいう「闘志」に値するものを持つ自分を信じてください。
 今まさにそれを発揮する時です。自分の道の扉を自分でしっかりと開いてください。
激励の言葉とします。